「海の底」

今回は心に浮かんだことを書いています。内容も未定だし、オチはたぶん
ありません。あんまり不定形なものが好きじゃない人は読み飛ばしてください。

最近自分がよくわからない、って自覚することがよくある。別に今の生活に
取りたてての不安や心配、不満があるわけじゃない。でも形の無い、何かが
私の中で膨らんでいる。それは影なんだろうか。心に残る影。こんな感覚は
ここ数ヶ月で大きくなってきた。たぶん、今の仕事が深く関係しているんだ
ろうとは思う。今の仕事はとても形の無い、そして先の見えない穴のような
状態。這えば進む、動けば流れる、けれど行き先は見えない。近いのか、遠い
のか、それすらもわからない。すべては闇。広い広い闇の宇宙みたい。

最近の自分を考えてみる。仕事がある。取りたてて忙しくて死ぬという
事も無い。でも、やろうと思えばいくらでも仕事がある状態。自分次第。
自分の頭次第の仕事。アイデア次第ではいくらでも進む。そんな状態。

遊びはどうか。私はゲームが好き。オモチャが好き。じゃ、実際にどこまで
ゲームで遊んでいるのか、オモチャで遊んでいるのか。週に1時間も無い。
あんなに好きだったのに。だった、って過去形になっちゃう。そう、昔は
時間なんて忘れるぐらいに遊んでた。気づけば朝、なんて当たり前だった。
いつからだろう、遊ぶことを客観的に感じて無意識に限度を決め出したのは。

気づけば27歳。世間では充分大人。大人って何だろう。大人ってなに?
大人だから、大人なんだから、こんなセリフは何を前提として出てくるんだろう。
やっちゃいけないこと、悪いこと? 遊びは子供の仕事。昔そんな言葉を
聞いたような気がする。そう、ゲームは子供の遊び、オモチャは子供のもの。
そんな世間一般の常識がある。そんなしがらみを知らず知らずのうちに
受け入れていたのかもしれない。大人になる、なんて想像もしなかったけど。

もっと遊びたい、って感じる。もっとゲームをしたり、オモチャを買ったり。
外でブラブラしたり、友達とダラダラしたり、好きなことたくさんしたり。
でも、今はそれが出来ない。あまりしちゃいけない、って思っているみたい。

人は生きる。生きる為に働く。働かざるもの喰うべからず、なんて言葉がある。
食べていく為には仕事は絶対に必要。でも、今の私の仕事はなんだろう。
食べる為の仕事なのか。そんなことはない。好きでやってる、楽しくてやってる。
子供の頃からの夢だった仕事。希望の職業。今でも好きだし、誇りに思ってる。

気づけば趣味が仕事へと昇華してる。だからこそ遊べなくなってきて
いるのかもしれない。遊びを考える、面白さを考える。そうしているうちに
素直に遊べなくなっているのかもしれない。裏を見てしまう・・・。

最近は心に引っかかるものがある。何かがある。きっとこれは私の中での区切り。
分岐に限りなく近い区切り。自分を再確認して、さらに進むかどうか判別する。
遊びの中で生き、遊びを追求していくか、遊びを受ける側としていくか。

思いもよらない時間の中で私はそんな私を見つけた。思考は思考を呼ぶ。
いつもは考えないようなところへ思考がいきついた。動物たちも深い思考を
するんだろうか。人間だけに許されたものなんだろうか。動物たちに
聞いたことがないから真意のほどはわからないけど。これって限りなく
無駄に近いけど大切なことだと思う。考えるということ。悩むということ。

当分私はこうやって取り止めも無いことを考えていると思う。結果なんて
今は出すことが出来ない。時間が経って振り返った時に初めて結果が
見えてくるんだと思う。それが正しいのかどうか、なんて誰にもわからない。
でも、そうやって進んできた道が私の道ならば、今は黙って進んでみたい。

例え今が深い海の底でも。底があるなら必ず海面があるはずだから。


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