「主様、今日は私が試練を与えます!」
始まりは唐突だった。穏やかな朝食時、ヨウメイがこんな事を言い出したのだ。
朝からの大きな声に、ほかほかなご飯の湯気やくつくつとした味噌汁の匂いが一瞬揺らいだ様。
だが・・・驚きで手を止めた者は太助だけだった。
「・・・本気か?」
その太助本人は信じられないといった表情。
そしてその顔はちらちらとキリュウを見やっている。
だが当のキリュウは黙々とご飯を食べ続けているだけ。口に箸を運ぶ動作に余念が無かった。
「ご心配なく、これはキリュウさんから頼まれたんですから。」
にこりと笑ってヨウメイは言った。場に居る者を安心させる意図で。
もちろん太助自身まだ納得がいかないのはたしかであった。
「キリュウから?」
「はいそうです。私の能力を使った色んな試練の案を考えてたらしくて。
話を受けて、それなら協力しましょう!という事になったんですよ。」
もう一度太助はキリュウを見やる。
笑顔のヨウメイとは対照的に、キリュウは無表情だ。
もしかしたら・・・という不安が頭を過ぎる。
「ヨウメイ、もしかしてキリュウと何か交換条件を?」
「まさかあ。教授の時間を割いてまで試練に協力するのはたしかですが・・・。
交換条件なんてあるわけはありませんよ。」
「けどさあ・・・あれ?そういやなんでシャオ達は平然としてるんだ?」
未だふに落ちない太助は、ここでようやく周囲の状況に気付いた。
そういえばヨウメイの試練宣言に驚いていたのは自分だけだった。
まさか自分だけがびっくりしてたのか?という事に、少しばかり疎外感を感じる。
おろおろとしたその様相に、たまらずシャオが手を触れた。
優しく肩に置かれたその動作に、太助は自然と心が落ち着く。
「太助様、本当は私達で試練のお手伝いをすることになってるんです。」
「・・・私達?」
「はい。中心になって動くのはヨウメイさんなんですけどね。」
「へ、へえ・・・って、なんで黙ってたんだ?」
シャオからの事情説明は太助をほっとさせうるに十分な事だった。
内容うんぬんよりも、シャオからの、という事象が重要だからだ。
それで落ち着いた太助からの更なる疑問に、今度はルーアンが答えた。
「単なるヨウメイのお遊びよ。主様で遊ぶんだ〜って張り切ってたわ。」
「・・・そうかよ。」
途端に呆れ顔に変わる太助の顔。
これまでの経験上、突発的なヨウメイの発言からいい事態になったなどほとんどない。
だからこそ太助自身ずっと慌てていたのだが・・・“遊び”などという言葉が出てくると話は別だ。
さっきまでの自分の動揺が非常につまらないものに思えて、しらーっとご飯を食べに戻った。
「太助、試練だ、耐えようぜ。」
横から那奈が茶化す。だが太助はそれを無視していた。
朝っぱらから途端にやる気がなくなった様であった。
そんな彼の様子を見て、キリュウがヨウメイに耳打ちする。
「大丈夫なのか?あんな状態で。」
「あんな状態だからこそやるんです。人間はいつもいつも絶好調じゃありません。
主様は・・・今までやる気十分で試練を受けてきました。
しかし、時にやる気がなくても試練を超えなければならない場合もあります。
今回はそれも含んでるんですよ。・・・ま、しばらくすれば元の主様に戻りますよ。」
「・・・そうだな。とにかく今日は任せたぞ、ヨウメイ殿。」
「はい。」
こそこそとしたその会話は、二人だけの会話であった。
カチャカチャと食器のなる音やもぐもぐと咀嚼する音。
それらがすべて、七梨家の食卓を埋め尽くしていたのであった。
・・・そんな朝から、今日の試練は始まったのだった。
「さて、まず第一の試練、鬼ごっこです。」
登校しようと家の外に皆が出そろったところでヨウメイが告げた。
“いきなりか・・・”と太助が思う間も無く、ヨウメイはシャオに向かって目配せ。
「来々、軍南門!」
素早く呼び出されたのは家の大きさを超えるほどの巨体を持つ軍南門であった。
呼び出されただけでインパクトのあるその姿に一同が唖然としている間に、
ヨウメイとシャオは飛翔球によって、彼の肩の上に乗っかる。
「さあ主様!軍南門さんに触れられたらアウトですからね!
触れられたらこのスタート地点である七梨家からやり直し!
絶対に遅刻しない様頑張りましょうね〜!!!」
ルールは簡潔に述べられた。遅刻という部分はやけに強調されている。
太助が無事に終わるまでヨウメイも付き合うという事になっているからだ。
クラスも違えば学年も違うという彼女は、担任が確実に違う事により融通が利かない。
それでも試練を行なおうというのだから、立派なものである。
ついでに言えば、多分一度でも太助が捕まれば遅刻は確実のものとなるであろう。
「・・・これが自業自得というやつか。」
キリュウがぽつりと呟く。失礼な言葉に、ルーアンがちょびっと小突いた。
「まだ遅刻になってないでしょ。」
「ならずとも自業自得だと思うが?第一ヨウメイ殿は無理に付き合う必要もあるまい。」
「まあそうだけど・・・。」
試練の主催はたしかにヨウメイ。だが、行なうのは彼女でなくてもいいのだ。
いや、実際この軍南門の試練においては彼女が行なうような事はない。
更に言うなれば、統天書で事情を知る事も可能なはずである。
それをあえて行なわず試練に従事するという事は、たしかに自業自得と言っても差し支えない。
そんな外野のやりとりなどまったく気にもとめず(いや、聞こえてなかったのだろうが)ヨウメイは開始を告げた。
「では試練開始です!」
ずーん!
軍南門が最初の一歩を踏み出した。その直後に、辺りに地響きが起こる。
巨体が大地を踏みしめることにより、重みと大きさから大地が揺れるは必至のことであったのだが・・・。
ずーん!
これはさすがに大きいものだ。いくら軍南門といえどもそこまで揺れるほどのものかと思えるほどに。
おそらくは、キリュウが万象大乱を密かに使っているか、ヨウメイが細工を施しているのか。
いずれにせよ、太助にとってはたまらない時間がやってきた。
「これ近所迷惑だー!」
自分の身よりもまず近所を気遣う心意気は、さすが精霊を呼び出せる心清き存在といったところか。
だがそんなことを叫んでいる間にも軍南門は彼に迫ってゆく。
ずーん!
三歩。ここまでは軍南門自身も歩幅をかなり狭めて足を踏み出していた。それはヨウメイの指示によるもの。
そして、次の一歩で太助に触れられようと位置にまできていた。
「ほらほら主様〜。逃げないとぺっちゃんこですよ〜。」
「おい・・・。と、とにかく学校へ!」
開始直後はつまりは余興という事だったのであろうか。やはり遊ばれている。
いやそんなことより、さっさとこの試練を終わらせないと後からどんな苦情がとんでくるかわからない。
そんな気持ちから、太助は脱兎のごとく駆け出した。走る事は慣れっこなのか、その速さは目を見張るものがある。
ふふっ、と少し笑ったかと思うと、ヨウメイは更に歩幅を広げての前進を軍南門に伝えた。
ずーん!ずーん!
そして、先ほどより早足。辺りはますます揺れが激しくなった。
だが、歩く速度が違うためか、地響きそのものがどんどん移ってゆく。
一分と経たずに、地響きは太助の姿と共に街角の向こうへ消えていった。
七梨家の前に約4名が残される。学校へ向かう組は、家に残る…つまりは見送り組の那奈に一言告げ、
自分らも、と学校へと歩き出した。特に急ぐわけでもなく、ゆっくりと。
試練そのものを遠巻きに見守る、そんな様相だ。
そして一人残された那奈は、ぽりぽりと頭をかきながらぽつりと呟いた。
「・・・たしかに近所迷惑だよな。こりゃ後で苦情が殺到しそうだ・・・。
いっそ、留守番してるよりはとっととどこかへ逃げ出そうかな〜。あははは。」
彼女がくるりと玄関の門へと踵を返そうとした瞬間、
ばたんばたんとあちらこちらから扉を開く音が聞こえてくる。
付近の住民たちが一斉に飛び出してくる、まさにその前触れだったのだ。
危機を察知した那奈は、これまた彼らと同じようにばたんと玄関の扉を開き、家の中へと駆け込んだ。
「くっそー・・・ヨウメイに後で謝りに行ってもらおうっと・・・。」
ずーん!ずーん!ずーん!
よりペースの早くなった軍南門の歩み前方を、太助はひたすら走っていた。
“ああ、付近の皆さんごめんなさい。街中で迷惑なことやってごめんなさい”
と、何故かひたすら心の中で謝ってもいた。
いつもなら自分のことで手一杯の太助が他に気を配れるようになったのも、
普段の試練の賜物かもしれない。(慣れたということもあるが)
「ほらほらー、主様〜。もっと早く逃げないと追いついちゃいますよー。」
ずーん!ずーん!ずーん!ずーん!
更に軍南門のペースは早くなる。単にヨウメイが煽っているだけではあるが、
一歩だけでも進みが早くなると、それはもう常人にとってはとんでもない速度アップになる。
当然それに負けているわけにはいかない太助も、更に走る速度をあげる。
いや、軍南門の歩みに伴い地響きそのものが大きくなるたびに、太助の速度は上がっていっている。
早く試練を終わらせなければ、という思いがいっぱいなのだ。
どこぞの不思議の国にて急いでる兔などめじゃないほど。
ひょっとしたら今彼は日本新、いや世界新記録をたたき出しているかもしれない。
人間火事場の馬鹿力だとかは言うが、それの状態なのであろう。
「・・・うーん、たー様ってあんなに足早かったのねぇ。」
コンパクトを片手にルーアンがしみじみと呟く。
遠目に軍南門を見ながら、三精霊は後方からゆっくりと歩いているのである。
元より急ぐ必要もなく、またヨウメイから“一緒じゃなくて後からゆっくりとついてくるように”と言われたからだ。
ギャラリーが居ては太助の試練の妨げになるとかかんとか、とは言っていたが、
実際のところは彼女が一人で試練を行いたいというだけの事なのである。
既に遠くに先をゆく彼女らを、三精霊たちは苦笑交じりに後を追うのであった。
「太助様・・・大丈夫でしょうか・・・。」
「大丈夫に決まってるでしょ。あたしのたー様だもの。」
「いつからルーアン殿のものになったのだ?それを言うならば、試練の成果が今現れてると言ってほしいものだな。」
「ずっと前からたー様はあたしのものなの。ま、試練の成果はあると言ってもいいとは思うけど。」
「太助様、ずっと頑張ってらっしゃってましたよね。でも・・・私はやっぱり心配です。」
「何が。不意の事故とか起きないかって?大丈夫よ、たー様だもん。」
「どういう根拠だルーアン殿・・・。ま、いざという時も多分ヨウメイ殿がその辺りを心得ているはずだ。」
「怪我を負っても素早く治療をなさってくれるってことですよね?さすがはヨウメイさんですわ。」
「っていうよりは・・・ぎりぎりのところで怪我しないような・・・そんな計算めいたことやってそうよね・・・。」
「だろうな・・・ヨウメイ殿はそういう性格だからな・・・。」
「ぎりぎり・・・えっと、その、太助様は本当に大丈夫なんでしょうか?」
「心配性だな、シャオ殿は。主殿にとってはもしかしたら精神的にきついかもしれんが・・・
なあに、身体的には大丈夫だろう。」
「だといいんですが・・・。」
「いいのかしらそれって・・・あ、たー様そろそろ学校に着きそうよ?」
「え!?」
「本当か?」
雑談しながらもちらりちらりとコンパクトを見ていたルーアンによる不意の発言。
それにはシャオもキリュウも身を乗り出した。ルーアンの両肩から各々の顔をぐにゅーっと覗かせている。
「ちょ、ちょっと!」
「ああ、太助様なんとか校門をぬけたようですわ。」
「さすが主殿だな・・・。」
「あんたら暑苦しいのよ!離れなさいっての!!」
耐え切れずにルーアンが叫ぶと同時に、鶴ヶ丘中学の方から響いていた地鳴りがそれを止めた。
それは今朝一番の試練終了を意味していた。
昼休み。
「ふう〜、やっと昼休みだ・・・。」
大きなため息が太助の口から漏れた。
授業中試練の不意打ちがやってこないだろうかとひやひやしていた彼であったが、
なんとか何事もなく乗り切り・・・無事に昼食時間がやってくることとなった。
もっとも、授業が始まる前にたかしといったクラスメート達から執拗な質問攻めにあっていたのだが。
朝突然に校庭に巨大な人影、すなわち軍南門が何故居たのかということには、
誰もかれもが疑問を持たずにいられなかったのだ。特に彼の肩にヨウメイが乗っていたとあっては・・・。
そんな影に追われるように、七梨太助は学校へやってきた。
目にもとまらぬ速さと表現したくなるような彼のダッシュ・・・。
ずざざざぁ、とはげしい砂煙を巻き上げながら校庭へ突入する姿・・・。
到着した途端に、“いよぉし、俺の勝利だ!さっさと歩くのやめろ!!”と天を指しての叫び・・・。
どれもこれもが、生徒達・先生達の目を引くには十分であったのは言うまでもなかった。
一年三組付近はヨウメイがしっかりとごまかし説明を行ったがゆえあっさりと混乱は収まったが、
問題が多かったのは二年一組。しどろもどろの太助の説明に納得する者は少なく、すっかり太助は説明疲れであった。
そんなことがあったからこそ、授業中も授業中で四六時中落ち着きもなかったことと重なって心労が更に増し、
昼休みでようやっと心の落ち着きを見せるに至ったのであった。
いつものように皆で机をひっつけて各々の弁当箱を囲む。至福の一時の始まりだ。
「はぁ〜あ、よっこらせっと。」
やれやれ、やっとこの時がやってきたのだのう、と太助は大きく息をつく。
「ったく、じじくさいなあ、お前・・・。」
「ほっとけ・・・。俺は疲れてんだよ。」
太助のだだもれため息に対する翔子の呆れを含んだツッコミにも、彼はたださらっと流すのみ。
もはや今自分のなすことしか頭に入らない。
「早くシャオのお弁当を食べて元気にならなきゃな、うん。」
「まあ、太助様ったら・・・。」
やけに機嫌のいい太助の言葉にシャオは少し恥ずかしくなる。
しかし、彼が喜んでいる姿は彼女にとっても嬉しい。ほんのりといいムードがそこに現れる。
かぱっと蓋を開けると、そこには目にも鮮やかなおかずが並んでいた。
見るものすべてを魅了し、どうぞどうぞと食べさせてしまう・・・そんな品々である。
「美味しそうだなあ。」
「はいっ。試練で大変でしょうから今日は特別製ですよ♪」
「うらやましいな太助・・・。」
「いつものことだけどね。それにしても太助君ほんと嬉しそうだね。」
「ああ、待ちにまったこの時間だしな。ありがとうシャオ。それじゃあいただきまー・・・」
がらっ!
「主様!次なる試練を行います!」
がくん!
食前の挨拶を告げようとした瞬間に勢いよく開く扉。
そしてある意味太助にとって最も聞きたくなかった声がそこから響いてくる。
ショックで太助は首をかくんとうなだれさせる。
幸い弁当そのものに被害はなかったのだが、太助の心は瞬く間に打ちのめされてしまったといえよう。
しばらく彼の時間は停止。その間にもつかつかとヨウメイはそばへやってくる。
何故だろう。太助にとっては既に、彼女が嫌ないじめっ子にしか思えなくなってしまっていた。
「・・・あのう、ヨウメイ。試練って?っていうかなんで昼休みに?」
「授業をさぼってまで試練なんてできるわけないでしょう?
昼休みにしたのは、試練の内容が昼休みじゃないとできないからですよ。」
「昼休みじゃないとできない?まさか・・・。」
太助の頭に嫌な予感がよぎった。
ふと彼が見下ろした先には、今まさに至福の時を味わわんがためのものがあった。
改めて彼は横に顔を向けた。彼の心中を察したのか、ヨウメイはにこりと笑った。
「ご名答。」
「ま、まだ何も言って無いけど?」
「私は読唇術が使えるんですよ。ふふふ。」
にやり、と屈託のない笑みを浮かべる。彼女お得意の(?)笑顔だ。
読唇術と聞き、シャオは素直に驚いた。
「うわあ、ヨウメイさんってすごいんですねえ。」
「いやあ、それほどでもありますよぉ。」
「いや、今七梨喋ってなかったと思うけど・・・。」
照れるヨウメイにこれまた翔子が突っ込む。
そんなほのぼのチームとは対照的に、およよよと太助は崩れていた。
彼を気遣っているのはたかしと乎一郎。
だが、いかんせん太助の落ち込みは尋常でなかったために、彼らの慰めもほとんど効果はなかった。
がらっ!
と、そんなところへまたも新たな来訪者がやってきた。
「ふっふっふ、たー様。このあたしが相手よ!」
ルーアンだ。何やら大きな箱を前に抱えて姿を現した。
「わあっ、ルーアン先生。昼前に姿を消したと思ったら・・・それを持ってくるためだったんですね?」
太助をそっちのけで素早く乎一郎が目を輝かせる。友情の半分はもろくも崩れ去った。
「そうよ。これはあたしのお弁当。キリュウにおっきくしてもらったの。さあいざ尋常に勝負!」
でん!とルーアンが箱を手頃な机に置いた。するとまたその箱が大きくなった。
その高さは楽々1メートルはあるだろうか。言うまでもなくそれはキリュウの仕業だった。
ルーアンの後に続いて登場といったところである。
「まったく、ここまで大きくしなくとも・・・。」
「何よ。あたしはめいっぱい食べたいの!って、たー様。何落ち込んでんのよ。早く勝負しましょ?」
ん?と尋ねるようにルーアンが腰に腕を回して前傾姿勢になる。
だが、太助は空ろな光を瞳にたたえたまま顔を上げた。
「なあ、もしかして・・・ルーアンと弁当の早食い競争?」
「ええそうよ。って、ヨウメイに聞いてないわけ?」
「ルーアンさん。私がきちんと説明する前に貴方がいらしたんですよ。」
「ああそうなの。ま、別にもう何を説明するわけじゃないでしょ。早くおっぱじめましょうよ。」
待ちきれないといった感じのルーアン。
だが、太助は未だ始めを許可しようとしなかった。いや、完全に拒否していた。
“早食い競争だと?安らぎの時間の場に何故そのようなものをしないといけないのじゃ!”と言わんばかりの目だった。
「・・・で、それに何の意味があるわけ?」
「食は万里の長・・・さあ頑張りましょう。」
「いやあの、わけがわかんないんだけど・・・。」
「たー様、ごちゃごちゃ言ってないでさっさと始めるわよ。昼休みは短いんだから!」
でん!とルーアンは太助の近くの席に陣取った。
「そうですよね!昼休みという短い時間にルーアン先生みたいな人が食べるにはやっぱり早食い!
太助君も、時代が厳しくなったら早食いしないと生き残れないよ!」
すかさず乎一郎はそのフォロー。つまりは応援。ひいては、太助への裏切りだ。
もっとも、乎一郎自身がルーアン至上主義であるのだが。
「って、乎一郎いつの時代の人間だ・・・。」
冷静に突っ込むたかしではあったが、とりあえず下手に逆らわないように気をつかっている。
何しろ、ルーアンの勢いのある瞳は、今乎一郎の煽りをくらって炎のように燃え盛っているのだから。
それとは対照的に、なんと太助の瞳の冷めたことだろう。
穏やかに済むはずの昼休みが、果たして早食いという安らぎぶち壊しの試練時間に化けてしまったのだ。
悲壮感漂う彼の姿に、シャオはどうしたらいいやらとおろおろ。
また翔子は、慰めの言葉も見つからずただ太助を不憫に思うのであった。
「では、始めましょうかね。主様、準備はいいですか?いいですよね?いいに決まってますよね。」
「お、おい・・・」
「どちらが先に弁当を食べきるか!開始です!!」
ぶんっ、とヨウメイは勢いよく手を振り上げた。
花織がもしこの現場に居たならば“楊ちゃん筋肉痛にならないかしら”などと思うかもしれないなんて事はさておき、
ともかく第二の試練、早食い競争は開始を告げられた。
いくら量が万象大乱で膨れ上がっているとはいえルーアンの大食ぶりは誰もが認める脅威。
ましてや太助が気のりしない現状、果たして勝負は明らかであろう・・・。
だが、そこは幾多もの試練を乗り越えてきた太助。気苦労をさっさと終わらせたい一心の太助。
急展開に脳みその気力を振り替え、シャオのお弁当に手をつけた。
ばくばくばくばくばくー!
と、それはルーアンのがつがつには及ばないながらも、勝利へ繋がるには十分たるものであった。
あっという間に彼の弁当はたいらげられてゆき・・・
「食いきった!俺の勝ち!」
「うそぉ!?」
ルーアンが完全咀嚼途中という間に太助は高らかに宣言を終えたのだった。
“お見事”とヨウメイがねぎらいの言葉を投げ、“凄いですわ”とシャオが感嘆する中、ともかく試練は無事に終了。
皆にやいのやいのと騒がれながら、太助は哀愁の涙を流すのであった。
“ああ、俺の安らぎの時間が・・・”と心の中で呟きながら・・・。
太助にとっておそらく今日の中では最も安らげる・・・放課後がやってきた。
・・・というはずだったのだが、今太助は暗闇の中だった。
瓠瓜に呑まれたのではない。陽天心○○の陰謀でもない。
万象大乱を併用した小さな壷に閉じ込められたわけでもない・・・。
「今度の試練はこれです。」
得意げにヨウメイが取り出したのは、彼女が常備している一冊の本。
それは、取り出すとかいう行為の前に既に見えており、しかも今堂々とページがめくられていた。
「あ、あのう、それで何を・・・。」
嫌な予感がした太助は、疑問を投げると同時に後ずさっていた。
要するにそれは逃げる準備。太助の行動も随分と早くなったものである。
が、彼のそんな行動はとっとと見透かされていたのか、逃げ出す空気をにおわせる前にヨウメイはめくりをやめた。
そして、見開きとなったページをがっしともち、太助の正面へと向けた。
「万象封鎖特別版!」
「な、なにぃっ!?」
あっと驚く太助。そしてまわりの面々(誰々がいたかはこの際重要でないので略しておこう)
その直後には、彼の体はうにょ〜んという擬音語がつきそうな形状で、統天書へと吸い込まれていった。
「主様、今回は空腹と戦います。ただそれだけです。
で、特別版っていうのは、この本の中における時間の流れを非常にゆっくりとした、という事です。
なあに、夕飯時にはたっぷり空腹になって、ちゃんと死なないほどの時間で出てこられますから。」
「どわあああっ!」
淡々とヨウメイが説明している間にも、太助は何がなんやら訳がわんやらの状態で吸い込まれてゆく。
ただ、主旨の程は理解したようであった。
吸い込まれ切る直前に、
「ふざけんなー!」
と、怒りを露にした叫びをぶつけていたのだから。
こうして、すっかり統天書に収められてしまった太助は、空腹と戦うのだった。
「暗いな・・・。」
そこは何もなかった。
「でも向こうの方は明るそう・・・。」
太助がある方向に目を向けると、そこは何かにぎわしかった。
しかし、少々歩いただけで近づけるものでもない。そこへの距離は相当ある・・・それだけは分かる。
だから太助自身も、ただそちらへは目を向ける程度にしていたのだった。
妙な空間である。本の中に街が出来上がっているようであった。
「まぁでも、こういうのには慣れてるよな・・・。」
それは、不思議空間に対してなのか、それとも本に閉じ込められたという出来事に対してなのか、
太助はただ乾いた笑いを紡ぎ出すのみで、それ以上は呟こうとはしなかった。
体はひたすら、地面らしき場所に腰を落ち着けている。要するに、座っている。
空腹と戦えという事なのだから、それはとどのつまり下手に動かぬ方が良いという見解からだ。
“ああ、シャオ達どうしてるのかな・・・”
ふとそんな事を考える。いや、これくらいしか考える事がない。
楽しげに笑うシャオ、心配そうに見つめるシャオ、そして涙を流しているシャオ・・・。
そんなシャオの姿が、彼女の脳裏に浮かんでは消えていった。
シャオ達とか思ったはずなのに、シャオの顔くらいしか浮かんでこないのは、
それは太助が太助たるゆえんなのかもしれない。
また、次に浮かんできたルーアンは、昼休みの大食い選手権の印象が強すぎて、
ただひたすらばくばく食っているいつもの姿がただひょっこり出てきたに終わった。
そしてキリュウ。今日はそういえばあまり顔を合わせて無いような気が太助はした。
いつものようにボーっとしつつ、それでいて無理難題を要求されて困った顔を浮かべる。
試練を与える時の厳しい顔と合わせて、彼女の七変化を多少の間楽しむのだった。
そしてヨウメイ。理不尽な試練を繰り出してきた彼女の事など思い浮かべたくも無いのだが、
やはり試練の根元であるがゆえに、彼女の意図をはかろうとしてしまう。
“一体何故こんな試練を・・・”
朝にはこう言っていた。“主様で遊ぶんですよー、楽しみです”と。
いや、違った。細かくは・・・まあ何にせよ、主で遊ぶという事には違いない。
・・・とどのつまりは、この試練も遊びなのだろうか。
試練にかこつけて主で遊ぶなど、言語道断である。もっとも、誰か他の人が対象であってもそれは同じこと。
“はあ・・・”と、太助は大きく大きくため息をついた。
重苦しい空気があたりを埋め尽くす。
そして、更に太助の気分は沈んでゆく。
なんだかもう、今は空腹と戦うどころでなくなってきた。
本当にこれは、『空腹と戦う…ただそれだけ』の試練なのだろうか。
実はこれは孤独の闇というものに耐える試練であって・・・
「って、今俺って一人・・・?」
空想の中で、太助は一つの結論に至った。
一人という状態がそうさせたのかもしれないが、空腹より何より、太助は先にそこに気が付いた。
そう、今彼は孤独そのものなのだ。
「い、嫌だ・・・。」
知らず知らずに、彼は呟いた。
「出してくれ、ここから出してくれー!」
ありったけの大声で太助は叫んだ。
暗闇の中に太助の声が木霊する・・・。
「ん?どうしたい兄ちゃんよ。」
「えっ?」
気がつくと彼の目の前には鍬をかついだ農夫が立っていた。暗闇の中なのに、妙にはっきりと姿が見える。
年の頃は40くらいだろうか。手に顔に、日焼けと汗の跡がいくつも見られる。
長い長い年月農業に精を出してきたその顔は、にこやかに太助を見ていた。
「えーっと、あなたは?」
「そんなこったどうでもいいさね。どうだい、兄ちゃんはなかなか体力がありそうだ。
いっちょう俺の仕事を手伝ってくれないか?」
「え、えーっと・・・。」
気さくに話しかけられながらも、太助はかなり戸惑っていた。
それは無理もなく、また太助にとって非常に怪しむべき存在でもあった。
ここは一体どこだった?という事を思えば、ここは統天書の中、だという答えが浮かぶ。
ならば目の前にいる人物は何者だ?という事を思えば、仙人か何かではないかという答えが浮かぶ。
またよくよく考えれば、今目にしているのはヨウメイが作り出した幻である可能性もあるのだ。
「兄ちゃん、俺が誰だか疑ってるな?」
「え・・・!い、いやそんなことは!」
「目がそういってるぜ?そう返すんならこっちもそれ相応の対応しなきゃならんなぁ・・・。」
「わ、わわっ、ま、待ってください!疑ってすいませんでした!仕事手伝います!」
ぽきぽきと手を鳴らそうとした男に対し、慌てふためき太助は提案を投げた。
男の先ほどの言動に応える、最も好意的であろう返事だ。
「・・・ふむ、動機は不純そうな気がするが、まあいいだろう。手伝ってくれるんだな?」
「は、はあ・・・。」
「よし、じゃあ俺について来い。」
男は手招きをして歩き出す。太助はそれを追うように歩き出した。
“不純って言われてもなぁ・・・半分脅しなんじゃ・・・”と太助は心の中で呟く。
やがて・・・結局は変わらずまっくら闇の中で、農夫の姿がフッと消えた。
彼がかついでいた鍬も一緒だ。
「え!?」
当然太助は驚き、声を上げた。
仕事を手伝えと言われて付いていった矢先にこれなのだから。
慌てて辺りを、周囲を探すが、何も居ない。姿は無い。まるで最初からいなかったかのように。
「・・・幻か?」
“やれやれ”と、太助はその場に腰をおろした。
「随分と手の込んだ事を・・・。」
ふう、と息をつく。と、そこで太助に眠気が襲ってきた。
何故か今日は疲れた。いや、まだ今日は終わっていないが、朝から疲れることこの上なかったのは間違いない。
座ったまま、太助はうとうとと・・・静かな眠りに入る・・・。
「よぉ、何座ってんだ。」
「・・・へ?」
「へ?じゃないだろ。俺の仕事を手伝うんじゃなかったのか?」
「ええっ!?・・・あ、あれ?」
夢の中かと思いきや、さきほど聞いた男の声が現実に太助の耳に響いた。
が・・・顔を上げてみるとそこには誰もいない。
声はすれども姿は見えず・・・とはまさにこの事。
「疲れてるのかな・・・。」
そして再び太助は顔をうつぶせ、目を閉じる・・・。
意識が薄れてゆく・・・。
「おい。」
「ん・・・?」
「呑気な奴だなあ。もう仕事投げ出したのか。」
「え・・・あ、え!?」
太助の耳に、再び声が響いた。が・・・。
「あ、あれ?」
顔を上げてみると、やはり誰の姿もない。
気配すら感じられない。さすがにこんな事が二度続くと、太助の中にいやな気分が現れ始めてきた。
「もしかして・・・こんなのも試練のうちか?っていうか・・・。」
やがて、ふつふつと、怒りの感情が沸いてくる。太助が気を爆発させるまで、そう時間はかからなかった。
「空腹と戦うなんてまるで関係ないじゃないか!」
彼の声が、暗闇の中へ存分に響き渡る。
誰かが近くにいたなら思わず耳を塞ぎ、または“まあまあ”となだめ、またはたまらず逃げ出したに違いない。
はあはあ、と太助の息が荒い。色んな意味で、彼の心と体は限界であった。
たった数十分だったかもしれない、または既に数時間も経ったのかもしれない。
だが、太助にとっては、この場にいることがもはや限界であった。
キッ、と上(最も、自分が上を向いているかも疑問に思う暗闇であるが)を見据え、太助は大きく口を開く。
この空間を作り出した、または管理しているであろう張本人・・・つまりはヨウメイに向けて文句を言うためだ。
すぅーっ、と大きく息を吸い込む。今まさに太助が声帯をこれでもかと震わせようとしたその時だった。
ばさっ
「へ?」
どさっ
「うわあっ!?」
不意に空間がひっくり返り・・・太助は地面に、体をしたたかに打ちつけた。
「いててて・・・。」
打った箇所をさすりながら見上げると、そこにはヨウメイがいた。
「失礼しました主様。試練とはいえ、あれでは別の主旨ですね・・・。」
「あ、な、なんだ、統天書から出られたんだ。」
まばゆいほどの光。そして空気が流れる。
あまりの気持ちのよさに、久しぶりの光に、太助はすっかり怒る事を忘れてしまった。
「いえ、統天書の中ですよ。」
「へ?」
「だって、そういう主旨ですから。」
「意味がわからん・・・。」
「あははは。」
「・・・・・・。」
目の前でヨウメイが笑っている。何の疑問もなく、不思議に思うこともなく。
それは見る者が見れば、説明も無しに笑うとは何事か、と聞きたくなるほどに。
そして太助にとっては、暗闇から出る直前に出た怒りを蘇らせるスイッチとなった。
「笑うなヨウメイ!それに、さっきのあれは空腹と戦うって何の関係があるんだよ!」
「・・・ああ、それはですねえ。」
激しい太助の声にも、ヨウメイは涼しい顔だ。
屈託のない笑顔をほんの少しだけ俯かせただけで、そのまま説明に移る。
「ご飯を食べないとお腹がすくでしょう?」
「ああ。」
「お腹がすくと怒りっぽくなるんですよ。」
「ああ。」
「怒りっぽくと胃に・・・いえ、これから先は知ってる人が知ってればいい話なんで・・・。
とにかく、怒りっぽくなった主様が、怒って叫んで、空腹と戦いました、と。」
「ああ。」
「めでたしめでたし。」
「・・・・・・。」
最後にヨウメイは綺麗にまとめた。聞く人が聞けば、小さな拍手くらい起こったかもしれない。
が、当然太助は納得がいかない。更なる怒りをぶつけようとするが、それより先にヨウメイが口を開いた。
「それでは、もうこの試練はおしまいですので帰りましょうか。七梨家に。いえ、もう帰ってますけど。」
「は?」
「太助様、お帰りなさい。」
「え・・・しゃ、シャオ!?」
聞き慣れた優しい声を耳に留めたかと思うと、太助は自分のすぐ隣にシャオが立っているのを確認した。
そしてまた、今自分が立っている場所も、七梨家のリビングである事を認識した。
手を伸ばして、近くのソファに触ってみる。ふんわりと柔らかいそれはニセモノではなかった。
辺りをちらちら見れば、本棚もある。テレビもある。画面を見て笑っている那奈が居る。
その隣ではルーアンがお菓子をぽりぽりと食べ、また更にその隣でキリュウが静かに茶をすすっている。
すっかりくつろいだ時間・・・。だが、キッチンの方からはいい匂いがただよってきている。
ふいと時間を確認すれば、まだ夕飯になろうかという時刻であった。
まばゆい光に目がくらんでいたのだろうか、これだけの周囲に太助は気付かなかったのだ。
「人間お腹が空くと周りが見えなくなりますからねえ〜。さ、シャオリンさん、ご飯の準備にしましょう。
主様、相当お腹を空かせてるみたいですよ。」
「はいっ。太助様、そこで座って待っててくださいね。」
釈然としない太助をよそに、シャオがヨウメイを伴ってキッチンへ姿を消す。
普段は見惚れてしまう可愛いエプロン姿も、今の彼にとってはただの風景の一部だ。
それでも、言われたがままにソファーに腰をおろす。
自分の服をもまた確認してみれば、いつのまにか私服に変わっている。
納得がいかないばかりではない。これはもう、自分自身の感覚すら怪しくなってくる。
そう思えて、太助は一言も喋らずにただ夕飯がくるのを待つばかりであった。
なんとなく、といった感じでいつもの時間が流れ終わった。
食事。それは七梨家において、なくてはならない行事。
どこの家庭でもそれは間違いないはずなのだが、七梨家のそれは特に重要である。
時間の区切り、また様々な会話での情報収集。目的は様々だ。
特に太助にとっては、ヨウメイから色々と聞こうと思っていたのだが、
那奈が先に質問をぶつけ(主に今朝の試練について)そのまま食事が終わってしまったのだ。
終始那奈とヨウメイの対話となってしまっていたそれだが、やはりご飯は美味しく、
それはシャオのおかげであると言って間違いない。
そうこうして、食後のくつろぎの時間・・・もとい、試練の時間へと突入した。
「さて主様。主様を除いて、今ここには何名いるでしょう?」
「5人。」
妙に楽しそうなヨウメイに対し、にべもなく太助は応えた。
ため息をつく顔に疲れが見える。彼女が行う試練というものに嫌気がさしているのは間違いなかった。
「次なる試練は、全員の声を聞きあてるものです。
みんなが一斉にしゃべるので・・・何て言ったか当ててください。」
「なんだそりゃ・・・。」
疲れながらも、呆れた反応を太助はした。
一斉に喋るものを聞く、それすなわち神経をかなり集中させないと無理な事柄。つまりは疲れに繋がる。
ため息がより一層深くなる。くつろぎのはずだった時間は、またも暗いものとなってしまった。
しかしそれでもヨウメイは元気である。試練のルールは説明し終えたので、余談に入る。
「かの聖徳太子さんは十人の声を聞き取ったという話がありますし、その半分です。
だから大丈夫、すぐですよ。その聖徳太子さんの半分の努力でいいんですから。」
「ふええ、聖徳太子さんってすごいんですねえ・・・。」
素直にシャオが驚いている。ルーアンもキリュウも、へえーといった顔であるが、シャオだけは別だ。
些細であろうが有名であろうが、自分にとって特別な事柄となりうる話には感動の念を表す。
「シャオ、太助にそれができると思うか?」
「はいっ。太助様ならきっと・・・。」
なんとなく見ていられなくなった那奈が投げた問いにも、シャオはこれまた素直に返した。
こうなってしまっては、名前を出された太助としても気を入れないわけにはいかない。
納得がいかなくても、とにかくここはやるしかないのだ。
“仕方ない・・・”と腹をくくり、ヨウメイからの試練よさあこいと顔を向けた。
「やる気になりましたね、それでこそ主様です。では皆さん喋る準備を。主様は聞く準備を。」
太助が一つのソファーに腰掛ける。その正面、150度くらいの扇状となるよう、正面に他の面々が座る。
ヨウメイの合図がおりれば、そこから試練スタート。すなわちお喋りスタート。
何を喋るかは事前にヨウメイと彼女らとで打ち合わせ済みだ。
そう難しいことではない。ただ喋るだけなのだ。
「では、用意はいいですか?」
もっともらしく、ヨウメイは腕を斜め四十五度上に上げた。
そこで、皆はしーんと静まる。恐ろしい儀式が始まろうかというくらいの緊張感がそこに漂った。
腕を振り上げた本人は、“ああ、今私がこの空気を操っている・・・”と思ったかもしれない。
「・・・お喋り始め!」
ぶんっ、とヨウメイは腕を下ろした。それと同時に、太助を除く五人は一斉に口を開いた。
ただ、ほぼ同時というわけではなく、那奈、シャオ、キリュウ、ルーアン、ヨウメイ、という風に、
偶然そんな順番がついてしまったのだった。
「聞太あた主い助ーー様て様あ様。く。ーたいれこあーいよのー様で太前、、す助お主あか。買殿た、今
い。し今日物本っ回おに日ての前行はば試がっ晴綺練試た天麗に練帰な?おにりりそい出な曇れてかん
天とはけでなも根たすり色性後け雨っも近ど天ぽ必所、ない要の丁り?で人度…どすか雨とっがらが勘
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うたん。てもしで人るのもす様ので褒。にをだめそ迷見なてこ惑つ…ねをにけは。絶なたあお対らん、
世になで何辞見いす故で逃よよ私もさう。だそなに今けういと度こいよも見のううっによ言にと行う葉
し言きなはてっま言大くてし葉事だくょななされうののいよねだよね」
「・・・・・・。」
五人が一斉に喋る言葉はこうも不可解なものとなるのだろうか、と太助は素直に感じた。
彼女らがまた一斉に喋り終わった後も、その余韻は果たして彼の脳裏から消える事が無い。
それほどまでに、太助に与えたショックのほどは大きかった。
脳みそを洗われたとかゆすがれたとか、もはやそういう表現のレベルでも追いつかなかった。
自律神経そのものの乱れ、意識の疑惑、記憶の障害にまで至ろうかというほどに・・・
もう何も考えたくない、受け入れたくない、そういう想いでいっぱいであった。
加えて、朝の追いかけっこに、理不尽な早食いに、空腹とは名ばかりの暗闇に、
それらが手伝って、太助の頭の中はより一層どんよりとした暗雲が立ち込めていたのだった。
これ以上やってしまえば、多分狂ってしまう。そう、どこぞの神話に登場する神々を認知するかのごとく。
5人の異性に見つめられる中、太助の顔は鬼面のようにこわばり始めていた。
いや、既にそのこわばりは完了していたのかもしれない。後は感情の赴くままに声を出す、それだけだった。
「・・・もういやだ!!俺はやらない!!」
「主様?我が侭はいけませんよ。きっちりこの試練までこなしてこそ、今日の試練は・・・」
「うるさいうるさいうるさいうるさーい!!もういい、もういいんだ!
試練がなんだ、どうしたってんだ。こんな頭が狂いそうな試練なんて絶対にやれない!!」
太助の感情が爆発した。
喋り終わった後の主または弟の反応をある種楽しみにしていた女性陣は、
まさかこうも彼が感情を露にしようとは予想だにしていなかった。
シャオはおろおろし、ルーアンは目を円くし、キリュウは難しい表情で黙りこくり、
那奈に至っては心配にかられた念でいっぱいになる。
が、ヨウメイだけは“やれやれ”とため息をついていた。
元々本日の試練発案者であるだけに、こうして試練が投げ出された事に残念無念なのであろう。
「なんだよそのため息は・・・。ついたってしょうがないだろ!?こんな試練じゃあ!!」
「ええ、分かってますよ。ただ残念、失敗したか。まだまだ至らないなあ・・・って思いましてね。」
苦笑しながら返すその言葉に、太助は更に怒りが沸き起こった。
「至らないってなんだよ!俺は俺なりに・・・」
「違いますよ。至らないのは私の方です。」
「え?それってどういう・・・。」
「それについては、主様のみならず皆さん含めご説明しましょう。」
おほん、と息をついた後にヨウメイはつとつとと語りだした。
本日の試練の発端、それは偶然にも統天書にて発見されたもの。
なんと守護月天の宿命から解き放つ鍵を得るという重大なもの。
予想もしないところでそんな情報がちらほらと見えるのが統天書の恐いところでもある、と。
だが同時に、それは相当気まぐれなもので、単純に行ってできるものでもない、と。
いわば因果律に関わるもの。理不尽にも見え、何の関係も無いと思われるそれらが繋がり、
太助がすべからくすべてを超えていれば、必ず相応の結果をもたらすものである、と。
不可解な事象ではあるが、果たしてそれを受け入れられるかどうかが心配であった、と。
試練という名にかこつけて以上を実行すればおそらくは成功するのではないか、と。
よって、ヨウメイはキリュウに持ちかけたのだ。重要な試練を行う、と。
ただし、これらはすべて内密にする必要がある。真の目的を告げては効果は得られないのだ、と。
・・・と、そんな感じでヨウメイは説明を終えた。
以前にも似たような事(精神が強くなるだの隕石を呼ぶだの)に関して、
その実現に際する対象とされた太助としてはどうもすぐに納得がいくものではなかった。
「あのなあ・・・。仮にそれが本当だったとして・・・」
「本当です。」
真っ直ぐな瞳で彼女は告げた。
講義を行う時、生死に関わる事を告げる時、そんな時にヨウメイは必ず真実を告げるべくの瞳を見せるのだが、
今まさにそれがそうだった。
「・・・ごめん。で、それが本当でも、俺が疑わずに最後までやりとげられると思う?」
「主様、やり遂げてもらわなければ困るんです。果たして、守護月天の宿命から解放するという事が、
よもや疑いといった困難などなく、ただ漠然と思うがままに事を成せば達成されるとお思いですか?」
「いや、でも・・・。」
「主様、改めて申し上げますが、私が提示する方法というのは、因果律を覆すもの。
それゆえ、純粋に物事の常識に従い得られるものではありません。
そしてまた、主様が為そうとしている、守護月天の宿命からの解放とも同じ事なのです。
・・・いえ、本当にはもっと別の方法があり・・・私が見つけられるのは捻じ曲がった方法しかない・・・
というだけのことなのかもしれませんね・・・。」
力なくヨウメイは笑った。
今回の失敗もそうであるが、自分はなんと非力であるのだろうという心の表れかもしれない。
太助含め、他の面々はそんな彼女の弱々しい笑顔に、ただ無言の反応しかできなかった。
そうして・・・七梨家の一日は終わりを告げた。
翌日。いつものように七梨家の一日が始まった。
特別な試練も無い。ただ、いつものキリュウの試練があるのみ。
そしてまた、時間を設けてのヨウメイの講義がある。
太助がくじけそうな時に、シャオが太助を励ます。
那奈はそれを優しく見守り、ルーアンは釈然としないながらも場のバランスを取り持つのに努める。
ただ、キリュウは昨晩寝る前にヨウメイにふと聞いてみたのだ。
“もっと違う方法・・・主殿も納得できるもので試すようにすればいいのではないか?”と。
それに対するヨウメイの応えはこうであった。
“それはキリュウさんの役目です。私はそのお手伝い。
そして私のみが積極的にできる時は・・・変わった方法でしかないのです”と。
≪第三十二話≫終わり