そこは、ただ広い広い草原だった。
黄金色の海がざわざわと風にゆられ音を立てる、とても広い草原だった。
「…なんで俺ここにいるんだ?」
自分で自分の状態がわからなくなる。
いや、今の自分の状態じゃない。何故こうなったかということが皆目見当がつかない…。
「太助、太助…」
誰かが俺を呼んでいる。
細い女性の声。この声は聞き覚えがあるぞ…?
振り向くとそこには、俺にとって予想外の人物が立っていた。
「母さん!?」
そう、七梨さゆり、俺の母さんだ。
世界中の恵まれない子供達に愛を振りまいている。
つまりはボランティア活動を行っているんだけど…。
そんな母さんが、俺の目の前でこう言った。
「太助、母さんと『しりとり』しない?」
「『しりとり』…?」
「そう、『しりとり』よ。母さん強くなったのよ。もう太助になんて負けないから」
俺と母さんってしりとりで競い合ってたっけ?
まあいいや、母さんとしりとりなんて子供みたいだけど(実際俺は子供だが)
こんなことは滅多にできない。いざ受けて立つぞ。
「ああ分かったよ。母さん、『しりとり』やろう」
「嬉しいわ。じゃあ、私から始めるわね」
「ああ。いいよ。」
俺の返事に『うふふ…』と笑いながら考え出す母さん。
よくよく見ればなんて素敵な笑顔なんだろう。
見た目も天使だとか言われても不思議はないよな、なんて俺は考えていた。
「『祈願』」
「『祈願』…。えっと…じゃあ最後は『ん』だね?
ん、ん、ん、ん?…って、『ん』じゃ『しりとり』終わってるんじゃ?」
「ぶ〜。時間切れよ♪」
「えぇ!?」
突如俺の負けを告げられた。“きがん”って『ん』で終わってるのに?
しかし俺の納得がいかないまま、母さんは再開を告げた。
「じゃあ、また私からね?」
「う、うん」
あっけに取られながらも俺は返事をする。いや、するしか無かった。
「え〜っと『ムーン』」
「『ムーン』…ああ、月、だね。じゃあ、最後は『ん』か…。
ん、ん、って母さん。また『しりとり』終わってるんだけど」
「ぶ〜。時間切れよ♪」
抗議すると、勝ち誇ったように再度終わりを告げられた。
戸惑っていると母さんは少し怒ったような顔になる。
「太助、すこしは真面目にやってちょうだい」
「あ、ああ。ごめん」
おかしいと思いつつも、責められればついつい謝ってしまう俺だった。
けどなあ、やっぱり『ん』で終わってるんだけど…。
「じゃあ、またまた、私からね?」
「う、うん」
今度こそは、と気持ちを引き締めてみる。
「今度のは難しいわよ。『お母さん』」
「『お母さん』か…。じゃあ最後は『ん』…母さん…。
さっきから『しりとり』にならないような気がするんだけど…」
三度目反論を入れる。と、母さんの顔が、先ほどの怒りに憂いと呆れを含んだそれに変わった。
「もう。太助がそんな不真面目な子だとは思わなかったわ…」
「いや、そもそも『しりとり』のルールが…」
「わかったわ。母さんとは『しりとり』したくないって言うのね?」
「え?」
「さようなら、太助…」
「いや、そうじゃなくて…母さん!」
手を伸ばして追いかけようとするが、母さんの背中はどんどん小さくなっていった。
悲しそうなさびしそうな背中。俺はもはや何と言っていいやらわからない…。
逆に、さびしいのはこちらだと思いたくもなった。
「はぁ…」
深いため息をついた。つかずにはいられなかった。
一体どうしたんだ?母さんは。俺がしりとりをしたくないなんて…。
でもしりとりのルールってのは…。
「太助!」
「うわぁ!?」
なんの前触れもなく現れた…今度は七梨太郎助、父さんだった。
「はっはっは、今度は父さんが相手だ!」
いきなり何笑ってんだか…。
「って、親父が『しりとり』を?」
「そうだとも。中国四千年を旅してきた成果をじっくりと見せ付けてやるぞ!」
中国旅してきて『しりとり』が強くなるんなら、中国の人達は皆『しりとり』が強いじゃないか。
そもそも『しりとり』って中国が発祥地だっけ?
「まぁ、べつにいいけど…」
いやちょっと待て。さっきみたいな目には遭いたくない。
ここは一つ俺から始めるということにしよう。
「親父、一ついいか?」
「なんだ?」
「『しりとり』は、俺からはじめるからな」
「ああいいぞ。そのくらいのハンデで丁度いい」
どんなハンデだよ…。
「えーっと、じゃあ『うま』。『ま』だぞ親父」
「『太助、父さんはお前を愛しているぞ』」
「はぁ!?」
「太助。『ぞ』だ」
「あ、ああ、はいはい。」
既になんか変だ…気にしちゃいけないな。『ぞ』、『ぞ』、っと…。
「じゃあ次は…『ぞうりむし』。『し』だぞ親父」
「『太助、父さんのこと嫌いなのか?』」
「うぇ!?」
眉を寄せ、なんとも物悲しそうに親父は答えた。
もちろん俺は飛び上がって驚いた。父さんのそんな顔ははじめて見たから…じゃなくて、
なんてこと言いやがるっていうかなんていうか…ええい、気にしない気にしない。
「太助、『か』だぞ」
「あ、ああ、じゃ、じゃあ。」
既に俺の声は上ずっていた。
「『かけじく』…『く』だぞ親父」
「『なぁ、頼む太助。父さんのことを“大好きだ”と言ってこの胸にとびこんで来てくれ』」
“ぶーっ!!!”
俺は思い切り吹き出した。それこそ口から心臓が飛び出すかと思うほどに。
「太助、『れ』だぞ」
構わずに親父は急かしてくる。もはや俺はなすがままに答えるしかなかった。
「え、えっと…じゃあ、れ、れ…『れもん』」
あっ、と思った時には遅かった。『ん』が付く言葉を俺は言ってしまったのだ。
「太助の負けだ。情けない、父さんが旅してる間に随分と腑抜けたもんだな…」
「ちょ、ちょっと待ってよ。さっきから全然『しりとり』になってないような気がするんだけど…」
「素直に負けを認めないなんて、太助はなんて男らしくないの」
どこからともなく突然母さんが現れて言った。
男らしくないって言われても、あれは…。
「太郎助さんおめでとう」
「ありがとうさゆり」
「だからあれは『しりとり』じゃあ…」
夫婦仲良く見つめ合っている。俺はそれでも懸命に抗議しようとした。
ところが親父も母さんも俺にくるりと背を向ける。
「行きましょう太郎助さん。男らしくない太助なんて放っておいて」
「ああ、行こうさゆり。男らしくない太助なんか放っておいて。」
ちょ、ちょっと待ってくれよ。そんな事言わないでよ二人とも…そんなのシャレになってないって…。
「今日は太郎助さんにたっぷり愛を振りまいてみようかしら♪」
「それは楽しみだな」
「うふふふふ♪」
「あはははは♪」
楽しげに笑いながら遠くへ行こうとする親父と母さん。
たっぷり“愛”って、母さん何をするつもりなんだろ…。
なんて気にしてる場合じゃなくて!
「ちょっとまってよ!母さん!親父!ちゃんと男らしく『しりとり』するからさ!」
走る。草原を走る。けれども、俺がどんなに追いかけようとしても、
ふたりとの距離はいっこうに縮まなかった。
「母さん!親父!」
手を伸ばしても届かない。そうして遠のいていくふたりの姿が薄くなる…。
とうとう霞んで見えなくなってしまった。
と、辺りの視界が急に開けた。
「はっ!」
気が付くとそこは見慣れた自分の部屋の天井だった。
自分が居るのはベッドの上。どうやら横になって寝ていたみたいだ…?
「あ、起きたのね太助。疲れは取れた?」
「ようやく目覚めたか…。まったく、折角の日にぐーすか寝てしまっているとはな…」
声がする方を向くとそこには…母さんと親父!?
けれど今の俺の頭には、何故二人がここに居るのかという事より『しりとり』の方が強く残っていた。
それで、慌てて頭をさげてしまった。
「ごめん母さん、親父。今度は男らしく『しりとり』するからさ。この通り!」
両の手の平を合わせて懇願する。二人の顔を見ると、分からないといった風なきょとんとした顔だ。
「『しりとり』…なの?」
「太助、起きていきなり『しりとり』をしようとはどういうつもりだ…?」
あれ、反応が変だ。てっきり受けて立つみたいなことを言ってくると思ってたんだけど…。
「でもなんだか懐かしいわ。ちょっとやってみましょうか」
うふふ、と母さんが笑う。
「さゆりがそう言うなら」
ふふ、と親父も笑う。
どうやら『しりとり』が今から始められるらしい。
「じゃあ私からいっていいかしら?えーと…『太助』♪」
「ははは、さゆりらしいな。じゃあ…『健康』ほら太助、『う』だぞ」
「あ、ああ。えーっと…う、う、…あれ?」
今更ながら我に帰る。『しりとり』はいきなり終わらせちゃうことになったけど…。
「どうしたの?太助」
「男らしく『しりとり』をするんじゃなかったのか?」
「え、えっと、その、どうして母さんと親父がここに居るの?」
まず尋ねるべきだった事柄を、やっと尋ねた。
そして状況を整理しなきゃいけない。俺はなんで寝ていてなんで母さんと親父がここに…
「そういえばここ、どこ?」
「もう〜、太助ったら寝ぼけてるのね」
「ここは太助の部屋だぞ」
「それでね…母さん達は、太助のお誕生日だから戻ってきたのよ」
「えええっ!?」
戻りすぎた状況整理はいいとして…今日って俺の誕生日だったんだ?
「さゆり、そうじゃないだろ?たまには二人して顔を出してみようと戻ってきたんだ」
「だってぇ、私は太助のお誕生日をちゃんと祝えてないんですもの。太郎助さんも同じでしょ?」
「そうだったな…じゃあ太助の誕生日ということにしようか。はっはっは!」
しようか、じゃねえだろ親父…。母さんも母さんだって。
でも、まあいっか。こうして日本に俺を祝うために戻ってきてくれたんだし。
「…って、そんな大事な時になんで俺寝てるんだ!?」
「那奈ちゃんが言ってたわよ。キリュウちゃんの試練、ってので凄く疲れてるんだ〜、ってね」
「それで、二人で太助の寝顔をじっくり見てやろうと思ったわけだ。なかなかいい寝顔だったぞ」
「………」
那奈姉、そういうのは勘弁して欲しいぞ。
恥ずかしくなって、ついついうつむいてしまう。
「照れることないわよ太助。なかなかの男前だったわ〜」
「はっはっは!さて、太助も起きたことだし下へ降りてゆこうか。パーティーの用意をして皆が待ってるぞ」
「う、うん」
急かす母さん、そして親父に連れられて、俺はベッドを抜け出した。
そして、あの夢は一体なんだったのか、なんてことはすっかり頭から抜けきっていた。
ただ今という時間を大切に思おう、ということで俺の頭はいっぱいだったのだから。
終わり
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