たくさんの家が、ビルが建ち並ぶ都会。どこにでもあるような普通の都市だった。
「・・・ふう、ここまでくれば大丈夫かな。」
そして六人で歩き出し、サ店とやらへ向かう。
中はなんとも落ち着いた雰囲気で、少し古めかしい感じがした。
しばらくして翔子殿がぽつりと言う。
そして時が流れる。最後の飲み物を飲み終わったところで、翔子殿が目を覚ました。
まあ、都市自体どこにでもあるわけではないが・・・。
とにかく変わり映えのしないと言った方がよいかな。
ちらっと翔子殿を見たが、なんとなく不機嫌そうだった。
“げえむ”などという名前に惑わされるからだ。ふーむ、怒り出す前に言っておくかな。
「翔子殿・・・」
「試練だ、って言いたいんだろ?わかってるよ。
ゲームなんて題にだまされたあたしが悪いんだよ、はあーあ・・・。」
なんだ、自覚しているのか。結構結構、翔子殿も少しは成長したのかもしれぬな。
少しだけ機嫌良く歩いていると、翔子殿がピタッと止まった。
「どうしたのだ?翔子殿。」
「見ろよ、あの家。面白い形してるなあ・・・。」
その言葉に横の家を見る。
胴長な四角い箱の上に円柱を置いたような家の形。
そして窓にはよく分からない羽根のような物が突き出ていた。
「私はこんな家は初めて見たな。ここはこういうものが流行っているのか?」
「うーん、流行っているようには見えないなあ。他は全然違う家だし。
一体誰が設計したんだろ。こういうのをユニークな家って言うのかな。」
ゆにいく?またよく分からぬ言葉を使って・・・。
しばらく物珍しそうに眺めていると、その家から一人の男が出てきた。
正装はしているものの、いかにも気取っているという感じがした。
眼鏡がそう思わせるのか、顔がそう思わせるのか・・・。
「おや君達、私が設計した家に見とれていたのかな?
まあ、いつもの自信作だからね。おっほっほ。」
おっほっほ・・・。なんだか気分が悪いな。もう少し普通に笑えないものか?
「別に見とれていたわけじゃないよ。ユニークな家だなって思ってさ。」
「ユニーク・・・。ふう、君達みたいな子供にはまだまだ私の芸術は理解できないのかな。」
嫌味げに言う男。少し頭に来て、心の中でつぶやく。
理解できなくて結構だ。そんな物はするだけ時間の無駄だ、と。
「私の名は矢吹豪だ。君達が将来家を建てたいと思ったら、
是非私の設計事務所を訪ねてくれたまえ。」
勝手に自己紹介をしてきた。
ますます嫌になってきたな・・・。だいたいそんなものを建てるつもりなどない。
私とは違って素でいる翔子殿が、窓から出ている羽根のような物を指差して尋ねた。
「ねえおじさん、あの突き出してるのはなんなの?」
「あれかい?あれはもっとも調和の取れた黄金分割による物で、
時間と空間との融合を意味しているわけだ、いわゆる象徴だよ。」
さらに今度は頭がこんがらがってきた。
時間と空間の融合だと?そんな物を考えたというのか?この男が・・・。
頭を少し抱え込んでいると、翔子殿が片手をつかんできた。
「翔子殿?」
私の声に翔子殿は目で少し答え、その男、矢吹殿に向かって言った。
「一つ分かった事があるよ。」
「なにかね?それは。」
そしてにこにこしている相手に向かって大声で叫ぶ。
「あんたの設計した家には絶対住みたくないってことだよ!!」
「な、なにぃ!?」
矢吹殿は表情を一瞬で変えて怒鳴ってきたが、それより早く翔子殿が駆け出した。
当然腕を捕まれていた私は引っ張られて行く。
なるほど、そういう事か。なかなかの行動力だ・・・。
あの男が追いかけてくる様子はない。というよりは、最初から追いかけてこなかっただけだが。
「感謝するぞ、翔子殿。よくぞ逃げ出してくれた。」
「なあに、あんな奴の話なんかあれ以上聞きたくなかっただけだよ。
象徴なんて偉そうに言いやがって・・・。」
「まったくだな。考え方は人の勝手だと思うが、あんな物で時間と空間の象徴とは・・・。」
しばらく一休みする。
そして私達は再び歩き出した。特に目的地はなかったが。
「しっかしあんな奴に設計された家に住んでる人達ってかわいそうだよな。
多分ものすごく住みにくいだろうぜ。」
「翔子殿、そういう見方は良くないぞ。たで食う虫も好き好きというではないか。」
「・・・それで意見してるつもりか?やっぱり否定してるじゃんか。」
頭ごなしにそう言わなくても良いではないか。もう少し聞いてもらいたいものだ。
「そういう事ではない。彼は彼なりに必要とされているという事だ。
確かに私達にとっては嫌な家かもしれない。
しかし、別の人にとってはそれが最適であるという事だ。」
「へえ・・・。でもそういう人ってすごく物好きなんだろうなあ。」
物好きか。そう考えても仕方がないかも知れぬな。
話に区切りがついたところで黙っていると、再びぴたっと翔子殿が止まった。
またゆにいくな家とやらを見つけたのか?
「紀柳、ここでちょっと矢吹豪って人について聞いてみようぜ。
いろいろ面白い話が聞けるかもしれない。」
そこにあったのは、『高橋秀之設計事務所』とかかれた札。
なるほど、確かにここなら教えてくれるやも知れぬな。しかし・・・。
「翔子殿、いきなりそんな程度の用事だけで訪ねるのはどうかと思うぞ。」
「へーきへーき。どうせ暇してると思うしさ。」
どこからそんな考えが浮かぶのやら・・・。
勝手に決め付けて・・・どうなっても私は知らぬぞ。
そして中に入ろうとしたちょうどその時、二人の男が事務所にやって来た。
一人は帽子を前後逆にかぶった、少しきつい目の男。
もう一人はうってかわってゆるい目の男。
なんとなくいいかげんそうに見えるのは気のせいだろうか・・・。
「君達はなんだい?事務所に何か用なのか?」
きつい目の男が言ってきた。うーむ、なんと言って良いものやら。
例のごとく私は赤くなって照れていたのだが、翔子殿が代わりに答えてくれた。
「矢吹豪って人についてちょっと聞きたくてさ。あの人ってどんな人なの?」
するとその二人の目が丸くなった。
ふーむ、反応からしてすごい人なのだろう。
「超売れっ子の新鋭建築家だよ。それがどうかしたの?」
ゆるい目の男がそれに答えてくれた。やはりそうだったのか。
この世界はあんな建物が人気なのか。まったく嘆かわしい・・・。
「どした、紀柳?そんなにしぶい顔してさ。」
「ちょっとな・・・。翔子殿はなんとも思わないのか?」
一応聞いてみると、翔子殿の表情がみるみるうちに険しくなった。
ひょっとして聞かない方が良かったのか・・・?
「なんとも思わないわけないだろ!なんであんなのが超売れっ子なんだ。
世の中おかしいんじゃねーのか!?」
「わ、私に言われても・・・。」
いきなり怒鳴ってくるとは思わなかった。やはり聞くべきではなかったな・・・。
二人で少し言い争っていると、事務所から更に二人が出てきた。
一人は短い髪の女性で、頭に帽子のような物をかぶっている。
もう一人は眼鏡をかけた男である。
「あれ、どうしたのよ二人とも。帰って来たんなら事務所に入ってくれば良いのに。」
「ドジ子さん。いや、ちょっとこの子達に矢吹豪について訊かれたもんで・・・。」
「それより君こそどうしたんだ。野村さんも一緒で。」
「ちょっと外で頭を休めてこいって、所長に言われたからさ。
それにしても矢吹豪だって?これまたすごい質問だな。」
いきなり人が増えてきて訳が分からなくなってきた。
ちゃんと自己紹介をせねばなるまいな。よし。
「翔子殿・・・」
「ねえちょっとおにいさん達、とりあえず自己紹介をしておきたいんだよ。
というわけで、この子紀柳っていうんだけど、彼女に聞いてよ。名前とか。」
な、何を言い出すのだ翔子殿は・・・。
赤い顔のままうつむいていると、翔子殿につつかれた。
うう、こうなった以上私がするしかないのか・・・。
興味津々と私を見つめる四人の目に耐えながら、私は意を決して言葉を発した。
「私の名は紀柳。そしてこちらは山野辺翔子殿だ。少し訳ありで一緒にいる。
矢吹殿についてはさっき会ったばかりで、それで訊いたわけだ。」
ふう、なんとか言えたな。
どんなもんだとばかりに翔子殿に向かって得意そうな顔をする。
すると小さな拍手をしてくれた。
ふふふ、さすがの翔子殿も参ったようだな。
そもそも、私がいつまでも照れたままでいると思うのが間違いというものだ。
私だってやる時はやる。だいたい翔子殿は・・・。
「・・・りゅうちゃん、紀柳ちゃん。」
「ん?」
誰かの呼び声にはっとして我に帰る。事務所から出てきた女性だな。
そういえば相手側の自己紹介を聞かねばなるまいな。
「ではそなた達の名前を教えてくれないか。」
しかし四人とも黙ったままだ。その中にはあきれ顔になっている者もいる。
なぜだ?私が何かしたのか?
周りの様子に戸惑っていると、翔子殿がぽんと肩を叩いてきた。
「いいか、もう一度あたしが親切に教えてやるからよーく聞けよ。
女の人は渡辺ドジ子さん。眼鏡の人は野村さん。
帽子をかぶった人は杉田ひとしさん。そして最後の一人は不破雷蔵さんだ。分かったか?」
「なっ・・・。」
もしかして聞き逃していたという事なのか?
しかしいつの間に終わってしまっていたのだ・・・。
「キリュウちゃん、ちゃんと相手の話は聞かなきゃだめだよ。それじゃサ店に行こうか。」
野村殿に言われて赤くなる。
しかし野村殿とは・・・。混同せぬようにしないと。
まあ、あの野村殿とは似ても似つかぬから問題はないか。
終始無言の私とは反対に、翔子殿は明るく喋っていた。
翔子殿が自己紹介しろなどと言うからいけないのだ。大恥をかいてしまったではないか。
一人でぶつぶつ言っていると、不破殿が話しかけてきた。
「大丈夫?なんだか気分悪そうだけど・・・。」
「いや、気にされるな。それより不破殿は矢吹殿についてどう思われる?」
少しきき返しただけなのに、不破殿は黙り込んでしまった。
自分で超売れっ子だとか言っていたのではなかったか?
すると、前を歩いていた杉田殿が後ろを振り返りながら言った。
「僕は個人的に彼を好きではない。
彼の芸術を否定する気はさらさらないが、それだけは言っておこう。」
ドジ子殿も続いて言う。
「そうそう、あたしも。」
更に野村殿が、
「実は俺も。」
と最後に付け足した。
ふーむ、あまり好かれているという訳ではないのだな。
三人の言葉を聞いた翔子殿は、
「やっぱりな。あんな家が良いなんて思わないよ、普通。」
と、納得したように言った。
普通か。そういうふうに判断するのはよくない事だと思うのだが・・・。
「不破さんとキリュウは?」
後ろを振り返りながら尋ねる翔子殿。私はそれに素早く答える。
「普通かどうかは知らぬが、私としては好きではないな。それだけ言っておく。」
それを聞いたドジ子殿はこう言ってきた。
「それだけ言っておく、なんてヒトシみたいね。キリュウちゃんてやっぱり変わってるわ。」
「???」
変わってる?杉田殿が変わっているという事なのか?
どうしてこう難しい事ばかり言ってくるのやら・・・。
「不破さんはどうなのさ?」
私の疑問に満ちた表情をよそに、再び翔子殿が尋ねてきた。
翔子殿にはどうでもよい事なのかもな・・・。
「オレは実際会った事もないから何とも言えないけど。ただ・・・。」
「ただ?」
言いかけた不破殿に皆が視線を浴びせる。
そんなに興味深い事なのか?かく言う私も注目して見ていたのだが。
「オレたちと馬が合わないことは確かかもしれませんね。それだけです。」
なんとも慎重な意見だな。ま、そういう考え方もあるか。
そんなこんなでサ店とやらに到着した。
「なんだ、サ店とは喫茶店の事だったのか。」
感心したようにつぶやくと、野村殿が不思議そうに尋ねてきた。
「分からないで付いて来たのかい?こりゃまた変わった人だ。」
またもや変わった人と言われてしまった。良いではないか、変わっていても・・・
「紀柳、変わってる人ってのを二字熟語に直してみな。」
「何をいきなり。えーと・・・変人・・・。」
「そう、紀柳って実は変人だったんだな。」
そこでムカッと来た。ばしっと翔子殿をたたく。
「いたっ、冗談だよ冗談。言葉のあやだって。」
「だったらそういう余計な事は言わないでもらいたいな。」
私の怒った態度を見て、他のみなが謝ってきた。
“今度からは気をつける”だの、“ヒトシと一緒にしてごめん”だの・・・。
悪気が有ったのなら良いことだ。それより、“ヒトシと一緒にしてごめん”というのは・・・。
いくらなんでも、それだと杉田殿に失礼ではないのか?
そんないざこざもようやく終わり、店の中に入った。
所々に、昔に使われていたような(今も使っているだろうが)家具が置かれてある。
更には不思議な事に、奥まで導き入れられるような、そんな気分にさせられた。
「へえー、アンティークって感じだよな。なあ紀柳。」
「う、うむ・・・。」
せっかく良い気分に浸っていたのに、わけのわからぬ単語によって壊されてしまった。
どうしてそういう事を翔子殿は言ってくるのやら・・・。
「確かここは野村先輩が設計されたんですよね。」
「そうそう、狭い店の空間をどう生かすかって、ずいぶん悩まれてましたね。」
杉田殿とドジ子殿が唐突にこんなことを言った。
なんと、これはこの野村殿が考え出したのか。ふむ、なかなか良いな。
二人の言葉に、翔子殿と不破殿も感心したように店内を見回している。
「なあに、狭いからこそこういう雰囲気が生まれたのさ。それより早く座ろう。」
少しも照れるそぶりを見せずに、野村殿が適当な場所に腰を下ろした。
さすがだな、私も少しは見習うべきなのだろうか。
皆で一つのテーブルを囲むようにすわり、それぞれ飲み物を注文する。
品物が来るまでの時間、やはりじっとすることは好きではないのだろうな。
翔子殿がきょろきょろとしたかと思うと、少し笑って言った。
「さっすがだよなあ。あの矢吹って奴とは大違い。すごく気分いいよ。」
「ははは、誉めてくれてありがとさん。
初めて見てくれた人にそんなに言われると嬉しいよ。」
ふむ、そうなのか?では私も何か言うべきかな。さてと・・・
「ところで不破君。君の言う望ましい家とやらを教えてくれ。」
「なんなんですか杉田さん、いきなり・・・。」
「ずっと前から聞こう聞こうと思って聞けなかったんだ。さあ。」
「私も興味あるなあ。不破さん、教えてよ。」
「俺にも俺にも。」
「はーい、あたしも聞きたいなー。」
何やら話がそれてしまったようだ。どうして私が何か話そうとするとこうなるのやら。
まあいい。私も聞いてみるとしよう。不破殿の考えを・・・
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。
まだ俺は建築の仕事を始めたばかりだってのに・・・。
もうちょっと考えがしっかりしてからにしてくださいよ。」
「・・・そうか。未熟な考えのときに聞いても仕方が無いな。
すまなかった不破君。」
「い、いえ。」
そうして皆も黙り込む。
なんという事だ。私が気持ちを切り替えたとたん・・・。
少し落ち込んだ雰囲気で居ると、翔子殿につつかれた。
「なんだ、翔子殿。」
「さっきからいろいろ顔が変わるなあって。
言いたいことがあるんならはっきり言えよ。」
「・・・別にいい。もう済んだことだ。」
「あ、そ。」
翔子殿はあっさり引き下がった。
てっきり深く追求してくるのかと思ったのだが・・・。
「・・・あ!大変、私こんなところでのんびりしてられないんだった!」
突然ドジ子殿が叫んで立ちあがった。
「おいおい、いったいどうしたんだい。何かやらなければいけない事でも?」
「まだ途中にしてあった仕事があって・・・。
もう、所長に言われてすっかり忘れてたわ。野村さん、早く帰りましょう。」
「なんだ、俺もやらなければいけないのか?」
なんだかせっぱつまっているドジ子殿は、更に声を大きくして言った。
「忘れたんですか?共同でやる仕事だったじゃ無いですか。
所長が頭冷やして来いなんて言うから・・・。」
「そうだった!!あれは明日までにやらなけりゃ!!」
野村殿も立ちあがった。まったく騒々しい人達だな。
「ヒトシも手伝ってくれない?二人だとちょっときついから。」
「しょうがないな。では三人とも、とりあえず先に失礼するよ。
不破君、彼女達とゆっくり話をしていてくれ。
手伝うのは僕一人で十分だろう。」
「いいんですか?俺も一緒に行った方が・・・。」
「それだと、この二人をわざわざサ店に連れてきた俺の立場が無くなるだろ?
いいから不破君はここでのんびりしててくれ。」
あっけにとられているうちにその三人は店を出ていった。
「なんだかなあ。ま、あの三人の話は十分聞けたんだからいいや。
後は不破さんだけ。とりあえず注文の品を待とうか。」
本当に自分のペースだな。私はほとんど話を聞いていないというのに・・・。
そうしているうちに、注文の品々がやってきた。
持ってきた女性(なぜか先程とは違う女性だ)を見て不破殿が驚く。
「い、一角ちゃん。なんでこんなところに?」
「先輩こそどうして・・・って仕事の休憩ですよね。
あ、皆さんはじめまして。わたし、氷山の一角と書いて、ひやまいずみといいます。」
どうやら不破殿の知り合いのようだ。皆でそれぞれ挨拶。
「で、どうしてこんなところに?」
「友達に頼まれてバイトですよ。結構時給が良かったから。
ところで、そちらの女の子二人って、仕事の仲間じゃないですよね?
一体誰なんですか?」
何やら怪訝な目つきで私達二人を見る。
なんだ?すごく不機嫌そうな目つきだが・・・。
「事務所の前で知り合ったんだよ。
矢吹豪について聞きたいとか言われて、そして・・・」
「はいはいそうですか。それで先輩が三つもおごったわけなんですか。」
三人は帰ったものの、注文したのは六つだから当然それらが来ている。
ふむ、こんなにあると飲みきれないな・・・。
「翔子殿、どうすれば良いものかな。」
「うん、なにが?」
まったく・・・。普段からいろいろ言っているのだから、少しは先読みをして欲しいものだ。
「だから、こんなにあると飲みきれないだろう?
どうするべきなのかと聞いているのだ。」
「ああ、紀柳が余った分飲んでよ。のど乾いてるだろ、遠慮するなって。」
そう言って、余った三つを私の目の前に持ってくる。
「ちょ、翔子殿。そんな無茶な・・・。」
しかし翔子殿は、私の事はお構いなしのようで、
いきなり不破殿の傍に寄ったかと思うと、腕をいきなり絡ませた。
「な、何をするんだよ翔子ちゃん。」
「何だって?もちろんおごってもらうんだから、これくらいのサービスはしとか無いと。」
あきれたものだ・・・。何がさあびすなんだか。
ため息をついて顔を上げると、一角殿の様子がおかしい。
何やらわなわなと振るえているようだが・・・。
「先輩!なんてこと・・・。」
「い、いずみちゃん、誤解だってば。翔子ちゃんがいきなり・・・。」
「仕事サボって女の子と・・・。先輩の馬鹿!!!」
一角殿は突然叫んだかと思うと、だだっと駆け出していってしまった。
他の客の注目を浴びてしまい、三人で慌てて弁解する。
ようやく静まったようで、やれやれと席に腰を下ろした。
それにしてもすごかったな。たったあれだけの行為でああも怒鳴れるものなのか。
「まったく、翔子ちゃんが余計な事するから・・・。
一角ちゃんはすごくやきもちやきなんだ。
例え浮気じゃなくても、女の人と俺が一緒に居るってだけで・・・。
とんでもない事をしてくれたよ。」
不破殿が疲れた顔で文句を言う。
その通りだ。翔子殿が余計なさあびすとやらをやるから・・・。
しかし翔子殿は、悪びれもせずにこう言った。
「やっぱりそういう事だったんだな。
ちょっと試しただけだったんだけど、大いに効果ありって事か。
よーし、おもしろくなってきたぞー。」
その言葉に、私も不破殿も呆れ顔になる。
ますますあきれたものだ。
そんな厄介事をわざわざしてもらわないで欲しいものだ。
「まあまあ二人とも。とりあえず注文の品を飲もうぜ。
不破さん、後であのじょーちゃんには、あたしからしっかり説明するからさ。」
「・・・翔子ちゃん、言っとくけど、一角ちゃんは多分君より年上だよ。
一角ちゃんは16歳だからね。」
なるほど、確かに年上だな。しかしそんな事を気にする翔子殿ではないだろうな。
「年上がどうしたってのさ。たったあれだけで不破さんに怒鳴り散らすなんておかしいよ。
大体その一角ちゃんよりも、もっと心を痛めている子があたしの友達に居るんだ。
それに比べれば、あんなのはただのお子ちゃまだよ。」
言うことがむちゃくちゃだな。友達というのはシャオ殿のことか。
それよりもお子ちゃまとは・・・。翔子殿もずいぶん言うようになったものだ。
不破殿をちらりと見たが、翔子殿に圧倒されたのか何も言い返せないでいた。
と思ったら、顔を上げてきりっとして言った。
「翔子ちゃんは分かってないよ。一角ちゃんはすごい苦労してるんだ。
だから、あんな性格に・・・」
「違うね!!」
不破殿の言葉をさえぎって翔子殿ががんとして言った。
「あたしの友達は、普通じゃ考えられないような、
つらいつらい別れを幾度と無く繰り返してきたんだ。
そしてやっと見つけたって言うのかな。だから一角ちゃんとは違うんだよ。
たかが女の人と一緒に居るからってあんなに怒鳴って、
一角ちゃんは贅沢過ぎるんだ!!」
「・・・・・・。」
再び不破殿は黙り込む。
それにしてもいったいなんの話だ?これは。
こんなわけのわからない話をしにわざわざ喫茶店に来たのか?
目の前に置かれた四つの飲み物の半分を、いつのまにか平らげていた私は、
どうにも腹が立ってきたので、二人に向かって言った。
「二人とも、そんな話は別の機会にでもしてくれぬか?私はとっても不愉快だ。」
そして三つ目を飲み出した。ふむ、私が飲んで正解だったようだな。
なぜだか知らぬがいくらでも飲めるぞ。
「ごめん、紀柳。余計な事をあたしがしたから。」
「俺も悪かったよ。少しむきになってさ。家についての話でもしようか。」
不破殿の声に、私と翔子殿はばっとそちらの方を向いた。
杉田殿が訊いた後、何やらごまかされて結局聞けなかったのだから。
それに、なぜか今はとても興味がある。ぜひ聞いてみたいものだ。
「ちょ、ちょっと二人とも。そんなに真剣な目つきで見なくても・・・。」
「だって、不破さんの理想の家ってのが聞けるんでしょ?真剣になって当然だよ。」
「まったくその通りだ。さあ、早く話してくれ。」
不破殿がなだめる格好に、翔子殿と私で興味津々と詰め寄る。そんな時、
「先輩、ごめんなさい。私が言いすぎました。」
という声が横からした。見ると、一角殿が普段着に着替えて立っている。
「一角ちゃん、バイトはどうしたの?」
「先輩にあれだけ理不尽に怒鳴ったのに、気になってバイトなんてできませんよ。
というわけで、頼んで早退する形を取らせてもらったんです。」
なるほど、実は素直な子なのだな。
よしよし、これなら余計な話を翔子殿がしなくて済みそうだな。
「そんならいいや。一緒に不破さんの理想の家とやらを聞こうよ。」
翔子殿が座れと言わんばかりの態度を取る。
まったく・・・。分かっているのか?そもそもの原因は翔子殿なのだぞ。
とはいえ、どうせ軽くあしらわれそうだな。細かいことは置いておくとするか。
三人で一斉に不破殿を見る。さすがに不破殿は緊張しているようだ。
それでも、一口飲み物を飲んだかと思うとゆっくりと話し始めた。
「別に理想とかそういう大げさなもんじゃないけどさ、
どんな家に住むかって事は絶対こだわるべきだよね。」
ふむふむ、確かにそうだな。なんといってもそこで暮らしてゆかねばならないのだから。
「どんな家かって、場所とか大きさとかデザインとか?」
「違うよ、翔子ちゃん。良い材料とか、使いよい間取りとか、そういう事だよ。」
うむ、確かにその通りだな。よい家でなければ・・・。
住んでいて苦労を感じるのではたまったものではない。
「先輩、それって杉田さんが言っていた事じゃないんですか?」
「もちろんそうだよ。杉田さんのことも含めて。
それに設計に関して言えば、俺の理想は・・・。」
そして何やら長々と喋り出してしまった。
光が出きるだけ入るような家。二階建てとか三階建てとかの家で、
天窓等の設置、ふきぬけのリビング、三階の見晴らしの良いデッキ。
もちろんそれらは生活のしやすさを念頭において、等々・・・。
一角殿は何やらうんうんと頷いて。
私はもちろん真剣に聞いていたのだが、翔子殿は・・・。
「話を戻せば、住む家だって人生の一部なんだから、自分で勉強して・・・。
・・・あれ?翔子ちゃん、いつの間に寝ちゃったの?」
「ほんとだ。先輩がせっかく良い話をしてくださってるのに・・・。」
小さな寝息、そして少しばかりのよだれをたらして、テーブルにうつぶせのような格好で眠っている。
まったく、最初はあれほど真剣な目で見ていたのに・・・。
長い話になると翔子殿は眠ってしまうという習慣があるようだな。
「翔子殿、起きろ。眠っていたのでは失礼だぞ。」
「ん・・・んん・・・くー。」
私がゆすってみても起きなかった。不破殿はやれやれとため息をついて言った。
「それじゃあ俺はもう失礼するよ。紀柳ちゃんだけにでも聞いてもらえれば良かったから。
後で翔子ちゃんにもしっかり言っておいてくれよ。」
「申し訳無い、心得た。」
「先輩、仕事に戻るんですね。あたしはどうしようかな・・・。」
そう言えば一角殿は早退したといっていたな。
それも翔子殿のせいではないか。その本人が無責任にも寝ているとは・・・。
「もう一度やりますって頼んでみなよ。早退は止めましたってさ。」
「でも・・・。うん、やっぱり言ってみますね。
それじゃ紀柳さん、また機会があったら会いましょう。先輩、アパートで。」
「ああ、頑張ってね。」
そして一角殿は店の奥のほうへと歩いて行った。
一時間も話をしていたわけではないから大丈夫だろう。
「さてと、それじゃあね。翔子ちゃんが起きたらよろしく言っておいてくれ。」
「うむ、ではな。」
不破殿に手を振ってさよならする。ちゃんと代金も払ってくれた。
後は翔子殿が起きるのを待つばかり。しかしすぐに起きそうには無いな。
では今のうちに思いついた試練を書きとめておくとするか。
もちろん飲み物が一つ残っているから、それを飲みながら・・・。
それにしても結局私一人で四つ飲んでしまったな。大丈夫だろうか。
ルーアン殿みたいにおなかを壊したりしそうで怖いな・・・。
「ふあ〜あ、良く寝た。あれ?不破さんと一角ちゃんは?」
「二人なら自分の用事に戻った。人の話の途中で寝てしまうのは良くないぞ、翔子殿。」
一言注意すると、翔子殿は眼をこすりながらけろりとして言った。
「だって眠いもんは眠いんだからしょうがないだろ。ある程度聞けたからいいんだよ。
それに紀柳がしっかり聞いてるだろ。後で説明してくれよ。」
「まったく、あきれたもんだな・・・。」
私がそれを言うと、翔子殿は私の肩をぽんと叩いて言った。
「四人の自己紹介をまったく聞いていなかったのはどこの誰なんだ?
あの時はあたしはちゃんと説明したんだからな。紀柳もちゃんとしろよ。」
「うっ・・・。分かった、ちゃんと説明するから・・・。」
人の弱みを突いてくるのが上手いな。やはり翔子殿には勝てん。
そして店を出ようと立ちあがったら、翔子殿が何気なしに言ってきた。
「なんだ、結局一人で四つも飲んだんだな。ルーアン先生に近づいたじゃないか。
良かったなあ、紀柳。」
「・・・・・・。」
返す言葉も無かった。一応最初に言葉で拒否はしていたが、
実際こうして飲んでしまったからには言い訳はみっともないだけだしな。
しかしルーアン殿に近づいた、とは・・・。いくらなんでもあんまりではないか。
どうも最近けなされてばかりのような気がするのだが・・・。
まあ今回は家の何たるかが良くわかった。これでよしとしよう。