翔子と紀柳のパラレルワールド日記(「るろうに剣心」編)


「そんなこんなで」

明治の世、江戸から東京へと名前を変えたこの町を、2人の女性が歩いていた。そう、翔子と紀柳である。
「へえー、これが明治時代か。さっすが、昔って感じがするよなえ。」
翔子がものめずらしそうにきょろきょろしながら、感嘆の声をあげた。
紀柳はといえば、周りの景色に見とれていて、声すら出せない状態だった。
「確かにあたし達の世界とは違うって気がするよな。どんな事件が待ってるのかな。」
この世界へ来る扉にはごていねいに、
『明治時代の東京です。目立たぬよう、服が自動的に変わります。』
という説明書きがしてあった。今までにないタイプの扉に魅かれて、2人はこの世界にやってきたのだ。
翔子は、面白そうだから。紀柳は、剣の字に魅かれて。というわけである。
「紀柳、なんか感想はないのか?少しぐらいしゃべれよ。」
ずっと黙りっぱなしの紀柳に、翔子はたまらずさいそくした。すると、
「すごいな・・・。こんな町並みを見られるとは思わなかった・・・。」
と、ただただ驚きの声だ。翔子はうんうんとうなずく。
翔子自身は、雰囲気ががらりと変わったことに大満足なのである。
今まで、ここまで景色が変わった世界はなかった。しかも服装まで自動的に変わったのだから。
ちなみに、今2人が着ているのは和服。つまり着物である。髪形は変わっていないが。
「おおっ、牛鍋だって。うーん、歴史を感じるねえ。紀柳、食べていこうぜ。あれ、紀柳?」
翔子の声が聞こえていないのか、紀柳はぼーっとして歩いていった。
「たく、しょうがないな。」
翔子が紀柳のところへ行こうとしたその時、向こうから歩いてきた数人の男達の1人と紀柳がぶつかった。
男は少しよろめいただけだったが、紀柳はしりもちをついてしまった。
「オウ!前からぶつかってくるとは、いい度胸してるじゃねーか、ねーちゃんよお。」
「すまぬな、ついボーっとしてしまって。しかし本当に珍しいものばかりだ。うーむ・・・。」
男の言葉も聞き流し、ただただ感心している紀柳。翔子はあわててその場に入った。
「ごめんよ、こんな性格だから勘弁してやってよ。ほら、紀柳、立ち上がって。」
「うーむ・・・。」
やはり紀柳はボーっとしたままだ。よほど景色に魅入られてしまったのだろう。
しかし男達は、そんな2人を許そうとはしなかった。
「勘弁してやれだと?ふざけるな!ちゃんと落とし前つけてもらうぜ。」
「そうそう、おわびとして、有り金全部置いてもらうぐらいはしてもらわねーとな。」
下品な笑い声と共に2人の前に立ちふさがる。翔子は、
「あのなあ、謝ったんだからもういいだろ。おとなしく引き下がってくれよ。」
と、悲痛な声をあげた。しかし、
「何言ってやがる。お楽しみはこれからだぜ。」
再び笑い声を上げる男達。
誰の目から見ても、男達が悪いのは明らかだったが、翔子にとってそんな事はどうでも良かった。
こんな町中でキリュウが力を使いでもすれば、大騒ぎになること間違いなし。
かといって、有り金を渡すわけにもいかないので。
翔子は、なにか良い策はないかと、頭の中をめぐらせていたのだ。そのとき、
「翔子殿、この者達に試練を与えるべきではないか?根性が腐っているぞ。」
紀柳がとんでもない言葉を発した。思わず“あちゃー”と額に手をあてる翔子。
しかし次の瞬間、男達は襲ってくる前にばたばたと倒れ出した。
「な、なんだ?何が起こったんだ?」
「ひょっとして眠ってしまったのか?これでは試練のしようがないな。」
2人がいきなりの光景にあっけに取られていると、1人の男がそばにやってきた。
「大丈夫でござるか、2人とも。つい乱暴な事をしてしまったが、
女性2人に大の男が大勢でよってたかってなど、非常識でござるからな。」
その男はみごとな赤毛で、ほほに十字傷。そして腰には刀を差していた。
「う、うーん・・・。」
男達なかの1人が意識を取り戻す。すると、
「今度からこのような真似は止めること。わかったでござるな。」
「は、はいー!」
赤毛の男の鋭い眼光に、目を覚ました男は他の連中をたたき起こし、あわてて全員で走り去っていった。
やれやれ、と翔子は胸をなでおろす。
「ありがとう、あんたは一体?」
翔子が尋ねると、男は笑ってこう言った。
「別に名乗るほどの者ではござらんよ。それより、もう少し前を見て歩いたほうが良いでござるよ。
これからは気をつけることでござる。それでは。」
そして歩き去っていこうとした。しかし、
「待たれよ。そなたは剣術の使い手であろう?私にぜひ腕前を見せてもらいたいのだが。」
紀柳が呼びとめると同時に、その男は足を止め2人の方に向き直った。
少し言葉遣いに驚いた様子である。
「自己紹介をしておく。私は紀柳、こちらは山野辺翔子殿だ。そなたはなんという名だ?」
するとその男は操られるかのように自分の名を答えた。
「緋村剣心でござる。」
2人はそこでピンときた。この男が鍵を握っている、と。
再び紀柳が口を開く。
「緋村殿、そなたのこれから向かう場所に案内してもらいたい。そこで剣の腕前を見せてくれ。」
「拙者の剣術を見せるわけにはゆかぬが、拙者が居候している道場の剣術で良いでござるか?」
「うむ、それでもいいぞ。では案内してくれ。」
くるりと向きを変えて歩き出す剣心についてゆく紀柳と翔子。
「なあ紀柳、これからどうするつもりなんだ?」
「良い試練がひらめいたのだ。とりあえず剣術を見せてもらう。」
すでに紀柳は太助に与える試練を思いついたようだ。
実は学校の図書館で、紀柳は剣術についての本を読んだことがあった。
しかし、剣術などそう簡単に教えてもらえるものではなかった。
試練の事を毎日考えているため、剣道部になど入部できるはずも無かったし。
というわけで、偶然にも剣術で紀柳たちを助けた剣心が目にとまったわけである。
「もとの世界には無い物。それを必ず身に付けてみせる。」
紀柳は胸を躍らせながら歩いて行く。
しかし、翔子は紀柳が万象大乱を使わないよう目を光らせていた。
試練の事となると、どんな状況でも使いかねないのだから。
それが翔子にとって、一番の疲労の種であった。
「さあ、ついたでござるよ。」
門には神谷道場と書かれた看板がかけられてある。大きな屋敷が目の前に広がっていた。
「さあどうぞ、薫殿は中にいるはずでござる。」
剣心に案内され、道場のほうへと足を運ぶ。
だだっ広い剣の稽古場に、ここの道場主、神谷薫がいた。竹刀を持って素振りをしている。
とても若い女性で、長い黒髪のポニーテールに、剣術用の道着を身にまとっていた。
「あ、お帰りなさい剣心。赤べこはどうだったの?」
「拙者が行ったころには、すでに弥彦が事件を解決させていたから心配ござらんよ。
それより、客が2人みえているのでござる。薫殿の剣術を見たいというから連れてきたのでござるが。」
剣心の話の後、翔子がすっと前に出た。
「どうも、はじめまして。あたしは山野辺翔子っていいます。こっちは紀柳。よろしく。」
そしてぺこりとおじぎをする。
「あら、こちらこそよろしく。この道場の師範代、神谷薫よ。
剣術を見るだけでなく、うちの門下生にならない?」
「い、いや、別にそんなつもりじゃ・・・。」
「面白そうだな。少し剣術を教えてくれぬか。」
薫のいきなりの誘いに、翔子は遠慮したが、紀柳はやる気満々だ。
「そうこなくっちゃ。それじゃ、紀柳さん、だったわね。まず道着に着替えて。」
「うむ。」
薫に連れられて歩いてゆく紀柳。残されたのは翔子と剣心だ。
「やれやれ、紀柳も物好きだよなあ。よく剣術なんてやる気になるよ。」
翔子の疲れた声に剣心は、
「いやいや、何事も挑戦してみるのは悪いことではござらん。
それに薫殿はしっかりと剣術を教えてくれるでござるよ。」
「そーなの?それよりのどかわいたからお茶かなんか入れてくれないかなあ。」
半分聞き流し状態で翔子が注文する。
「わかったでござる。しばらくここに座って待っていて下され。」
剣心はそう言ってお茶を入れに行った。
翔子はふうとため息をついて、床にあぐらをかいて座る。
外を見ると、なんとものどかな風景が広がっていた。
自然というわけではないが、何やら落ち着ける雰囲気があった。
その景色を見て、少し微笑む翔子。
「待たせたでござるな、翔子殿。」
剣心がお茶のセットを持ってやってきた。慌てて翔子は正座する。
「ありがとさん。それじゃいただきます。」
茶菓子を食べながらお茶を飲む。本来なら牛鍋を食べる予定だったので、お腹はすいている。
そのためか、翔子にとってお茶が妙においしく感じられた。
「うーん。おいしいなあ、これ。」
「ただのお茶でござるよ。でもおいしいならよかったでござる。」
ずっとにこにこ顔の剣心に、翔子は少し疲れが取れたような気がした。
その時、道着を着た紀柳が薫とともに道場に入ってきた。
「さあ、それじゃ始めるわよ。まず竹刀を持って。」
薫に言われて竹刀を握る紀柳だが、
「そういう持ち方じゃないの。こうよ。」
と、持ち方を直される。そして、
「とりあえず素振りをしてみて。見本はこうよ。メンッ!」
薫のお手本を参考に紀柳も素振りをする。
「メンッ!」
「そうそう、その調子よ。」
というわけで、素振りが始まった。それを見ていた翔子は、
「じゃあ頑張れよ。あたしは別のところにいるから。」
と立ち上がった。剣心も一緒に立ち上がる。
「それでは薫殿、また夕食の時に。」
しかし、剣術をしている2人にはその声は聞こえていないようだった。
そして、翔子と剣心は道場を後にする。道場とは反対側の縁側に、2人は腰を下ろした。
「ふう。まったく、紀柳のやつ、ここにきた目的を忘れなきゃいいけど。」
翔子のつぶやきを聞いた剣心は不思議そうに、
「剣術を習いに来たのではなかったのでござるか?」
とたずねた。翔子は少し困りながら、
「いや、気にしないでくれ。まあいっか。紀柳のすきなようにさせておこう。」
とそれだけ言うと、お茶を飲み始めた。剣心は気にするのをやめ、
「さてと、それでは拙者は洗濯をするでござる。翔子殿はそこでのんびりしていて下され。」
と立ち上がった。洗濯という言葉に少し驚きながらも、翔子はやはりのんびりする事にした。
今までこうしてのんびりしていた時間など、ほとんど無かったのだから。
少しボーっとしながら、洗濯をしている剣心に質問をしてみる。
「なあ緋村さん、さっき言ってた赤べこと弥彦ってのは?」
洗濯する手を止め、剣心は振り向いて答える。
「そなた達と会った場所。あそこは赤べこという牛鍋屋の前でござる。
弥彦というのは、そこで少し働いている、ここの道場の門下生でござるよ。」
「へえ、じゃあ紀柳の先輩だね。」
「はは、そうでござるな。」
翔子の冗談に、2人は軽く笑う。剣心は再び洗濯に戻った。
翔子はそんな剣心を見て、またもや質問したくなったが、
「まあいっか。とりあえず洗濯が終わってからにしよう。」
と少しつぶやいたかと思うと、ごろんと横になった。
そして目を閉じて、すうすうと寝息を立て始めた。
それに気づいた剣心は慌ててかけ布団を持ってきて、翔子にかけてやった。
「今日は弥彦がおらぬから、4人分でござるか。鍋料理にでもするでござるかな。」
剣心は再び洗濯に取りかかった。

・・・そして、日が沈みかけたころ、道場の2人は剣の稽古を続けていた。
「さあ、打ち込んできなさい!」
「では行くぞ、メーン!」
紀柳が薫に向かって突進する。その瞬間、薫は素早く身をひるがえし、その攻撃をすっと受け流した。
バランスを失った紀柳は床に転げ込む。
「あいたたた。うーむ、参った。」
「もう、攻撃が単調過ぎるわよ。相手をもっとよく見て、打ち込まなきゃ。
でもすごい上達ぶりよ。1日でここまでになるなんて。」
紀柳の手を引っ張って起こしてやりながら、薫は正直に誉めた。紀柳は少し照れながら、
「面白ければいくらでも上達するものだ。
それにしても良い経験になった。今日はありがとう、薫殿。」
「あら、ひょっとしてもう帰るの?門下生になるんじゃなかったの?」
薫の残念そうな声に、紀柳は少し考えながら言った。
「なりたいのはやまやまだが、ずっとここにいるわけにはいかないのでな。
それにちょくちょく来れるというわけでもないし・・・。」
「そうなの、でも一応紀柳さんはここの門下生だから。今度来た時にはね。」
諦めずに続ける薫に紀柳は少し笑って答えた。
「ありがとう。いつになるかは分からぬが、近いうちに必ずまた来よう。」
「よし、決まりね。ちゃんと名前の札を下げておくから。」
門下生の名札が並んだ壁を見ながら、薫は応えた。そのとき、
「薫殿、紀柳殿。そろそろ夕食の時間でござるが。」
剣心が道場に顔をのぞかせた。
「夕食・・・。すまぬな、そんなものまで。ところで翔子殿は?」
「しまった、翔子殿は縁側で寝てたのでござった。拙者起こしてくるでござる。」
あわてて走り出そうとする剣心を薫は素早く呼び止める。
「ねえ剣心。私達はご飯より先にお風呂に入ってくるから、先に食べてて。
紀柳さん、入りに行きましょう。」
「よいのか?ではそうさせてもらおう。」
「ならば2人が出るまで夕食は待つことにするでござる。とりあえず翔子殿を呼びに行かねば。」
そして薫と紀柳はお風呂に入りに。剣心は翔子を起こしに行った。
しかし、剣心が縁側に行った時、翔子の姿は無かった。かけ布団はきれいに折りたたまれてある。
「おかしいでござるな。どこに行ってしまったのやら・・・。」
剣心は屋敷内をくまなく探したが、翔子は見つからなかった。
途方にくれて門のあたりに立っていると、着物姿の薫と紀柳がやってきた。
風呂に入り終わったのだが、剣心と翔子の姿が見えないのでおかしいと思ったのだろう。
「どうしたの剣心。翔子さんは?」
「姿が見えぬので少し探していたのでござるが、屋敷内にはいなかったのでござる。」
それを聞いた紀柳は急に不安な顔になった。
「翔子殿、ひょっとして勝手に1人でどこかに行ってしまったのだろうか。
私が剣術を教えてもらうのに夢中になっていたから・・・。」
薫はそんな紀柳を慰めるように告げた。
「心配いらないわよ。たとえそうだとしても、もうすぐ帰ってくるはずよ。
剣心、夕食はうちでって言ってあるんでしょ。」
「それが、言う前に翔子殿は眠ってしまったので。その事は伝えてないのでござる。」
それを聞いた薫は剣心にくってかかる。
「なんですってー!ちゃんと言っとかないとダメじゃないの。もう、気が利かないわねえ!」
「すまぬでござる薫殿。まさかこんなことになるとは・・・。」
それをあわてて紀柳は止める。
「まあまあ薫殿。とりあえず待ってみようではないか。翔子殿は必ずここに戻って・・・ん?」
紀柳が言いかけると、1人の女性がやってきた。手には何やら紙を持っている。
「あの、神谷道場ってここですよね。」
「ええそうだけど。」
女性の急ぎ気味の質問に薫が答えた。するとその女性は、
「あの、これをここの人に渡すように言われたもので。」
と言って、手に持っていた折りたたまれた紙を薫に手渡した。
「それじゃあ、確かに渡しましたよ。」
そして女性は急いで走り去っていった。それを見送りながら、薫は紙を広げてみる。
「なんなのかしら一体・・・手紙?」
その紙にはこう書かれてあった。
『青い髪の女はあずかった。返して欲しくば、武器を持たずに凶来神社までこい。
もちろん、そこの道場の者だけでだ。条件を満たさぬ場合、この女の命は無いものと思え。
―――昼間の男達より。―――』
しばらくの沈黙の後、薫がつぶやく。
「なんてこと、ゆるせないわ。」
「拙者とした事がうかつでござった。まさか誘拐されていたとは。早く助けに行かねば。」
「でも剣心。武器を持たずにってことは、逆刃刀を持たずにってことなのよ。何か作戦を立てないと。」
「しかし時間が経てば、翔子殿の身が危うくなるでござる。
奴らの目的は昼間の仕返しでござろう。急がないと。」
2人のやりとりを見ていた紀柳が口を開く。
「今すぐ行こう。まったく、とんでもない話だ。翔子殿をさらうとは・・・。
緋村殿、早く刀を置いてゆかれよ。薫殿も竹刀など持たぬようにな。さあ、急いで!」
紀柳にせかされ、3人でその神社へ向かって走り出した。
当然紀柳は、短天扇を持っているという事を付け加えておこう。
ところかわって凶来神社では、昼間の男達が、十数人の仲間と一緒に酒を飲み交わしていた。
翔子はといえば、両手両足を縛られ、建物の階段に座らされたいた。
ほとんど抵抗しなかったためか、さるぐつわはされていなかった。
さらに、抵抗するどころか、この状況で翔子は寝ていた。
なんせ気持ちよく眠っていたところを、いきなり誘拐されてしまったのだから。
しかし翔子は、あまり相手の機嫌を損ねる事はするのは危険だと判断した。
というわけで、眠いから寝ようということにしたのである。
男達の一人が翔子の寝ている姿を見て叫んだ。
「てめー、なに寝てるんだ。人質らしく、ちっとはおびえてみろ!」
その声に少し目を覚ました翔子だったが、
「うるさいな、あたしは眠いんだ。じゃあおやすみ。」
そして再び寝に入った。その余裕さが気に入らなかったのか、親分らしき人物が翔子の頭をぶん殴った。
たまらず翔子はとびあがった。
「いったいなー、何するんだよ!」
「おい、道場の奴らが来るんだ。ちゃんと起きとけ。」
親分の脅迫じみた目にも、翔子は一歩も引かなかった。
「じゃあ来た時に起こしてくれりゃいいじゃねーか。女性に手をあげるなんてさいてーだぞ。
というわけでおやすみ。」
と、再度寝に入ろうとしたが、親分は翔子の服をつかんだ。
「ちゃんと起きてろってんだ!そして奴らが来たら、“助けて―!”と叫べよ。命が惜しかったらな。」
「はいはい、分かったよ。起きりゃいいんでしょ、まったく・・・。」
この時の翔子の頭には、殺されるよりも心配な事で頭がいっぱいだった。それは・・・。
「翔子殿!」
「無事でござるか!」
「ちょっとあんた達!誘拐なんて卑怯な事だと思わないの!?恥を知りなさい!」
紀柳、剣心、薫の3人が神社に到着した。そして親分は翔子を軽くこづく。
やれやれと思いつつ、翔子は声をあげた。
「きゃあ〜、助けて〜。」
しかしすごく投げやりだ。緊張感がまったく無い。それでも、紀柳を怒らせるのには十分だった。
「そなた達、翔子殿を誘拐して何をした!?ただで帰ると思われるな。」
そして短天扇を手前に構えた。この時、男達の目にはこれが武器と写らなかったのは言うまでもない。
「おいね―ちゃん、なんのつもりだ。その扇であおいでくれんのか?」
「ぎゃはは、そりゃいいぜ。でもその前に、そこの侍!お前だよ。」
「この女の命が惜しかったら、俺達にぼこぼこにされるこったな。」
この時翔子は思った。“やめろ、命が惜しかったらなんてこと言っちゃいけないんだ”と。
「翔子殿の命だと?翔子殿、私はもう我慢できぬ。」
怒りに震える紀柳に、薫と剣心が心配そうに言った。
「しっかりして、紀柳さん。」
「紀柳どの、ここは拙者に任せるでござる。」
しかし紀柳にはそれは聞こえていなかった。そんな紀柳の様子を見た翔子が叫ぶ。
「紀柳、やめろ―!!」
「万象大乱!!」
翔子の叫び声と同時に、紀柳が万象大乱を唱えた。
翔子、紀柳、剣心、薫の4人を除く、この神社にいたすべての人間が、豆粒ほどに小さくなった。
「ふっふっふ。さあて、どうしてくれようか。ふむ、私特製の試練スペシャルコースを試してくれよう。」
目が血走って完全にキレた表情になっている。翔子があわてて剣心に言った。
「緋村さん、早く紀柳を止めてくれ!気絶させてもいいから!」
一瞬の出来事に目が点になっていた剣心だったが、翔子の声に正気を取り戻した。
ちなみに、薫はすでに気絶していた。
「しょ、承知したでござる。失礼、紀柳殿。」
紀柳の首筋のあたりに剣心が一撃を加えると、紀柳はその場に倒れこんだ。
ほっ、と胸をなでおろす翔子。
「もう、結局こうなっちまった。こんなことならもっとちゃんと言っとくんだったな。
とりあえず縄ほどいてよ。」
「わかったでござる。」
剣心が縄を解きにかかる。その間に、小さくなった男達は林の中へと消えてしまっていた。
「翔子殿、これはいったいどういうことでござるか?」
「実は・・・。」
もはやごまかしは通じないと悟ったのだろうか。剣心の問いに、翔子は正直に紀柳の能力を話した。
「なるほど、世の中には不思議な人がいるものでござるな。」
翔子の懸命の説明により、剣心はなんとか納得した。
「薫さんやその他の人達には内緒にしといてくれよ。」
「心得たでござる。」
そして、気絶していた2人が目覚めた。
「う、うーん。翔子殿?」
「あれ、どうして私気絶してたのかしら。」
ショックで、気絶する前のことは覚えていないようだった。チャンスとばかりに翔子がしゃべり出す。
「緋村さんがすごい形相でにらんだら、あいつらあわてて逃げ出しちゃってさ。
『逃げるが勝ち!』なんて捨て台詞はきながら、あたりを爆薬で吹き飛ばしちゃって、
その音で紀柳と薫さんが気絶して・・・。
とにかくあたしはこうして助かったんだよ。いやーよかったよかった。」
剣心もそれに合わせる。
「というわけでござる。とにかく皆無事でなにより。さあ、さっそく帰って夕飯でも食べようではござらんか。」
「おおっ、夕飯かあ。お腹へったもんなあ。ささ、紀柳、薫さん、早く帰ろうぜ。」
慌てて翔子は2人の腕を引っ張って歩き出す。そんな翔子を見て紀柳は、
「なあ、翔子殿。本当にさっき言ったような事が起こったのか?」
と尋ねる。続けて薫が、
「それにしてはどこも吹っ飛んでないけど・・・。」
と、辺りを見まわした。2人の疑問に剣心が答える。
「気のせいでござるよ。細かい事は気にせず、おいしい鍋料理を食べに帰ろうではござらんか。」
「うむ・・・。」
「でもねえ・・・。」
まだ頭が疑問だらけの2人を、剣心と翔子が説得するのに、その日の残りすべてを費やした。
そして、翔子の疲労が前にも増してしまったのは言うまでもない。
紀柳はといえば、せっかくひらめいた試練を忘れてしまい、結局試練ノートの内容が増える事は無かった。
2人が得たものは、苦労という名の試練っだたのかもしれない。