小説「Looking For」


番外編『無口なお客さん』

けだるくなるような夏の暑さも収まり、心地よい涼風が吹き抜けている。
商店のあちこちに植わっている街路樹も紅葉の色を見せ始めた。
「もう秋なんだなぁ…」
空を見上げ木を見上げながら、自分の店である駄菓子屋の前で、智子はしみじみと呟いた。
13という年齢の割にはどこかしっかりとした貫禄のある顔は、清々しい解放感に満ち溢れている。
後ろでポニーテールにしているちょっぴり長めの茶色がかった髪。
それを左右に揺らしながら、いっちにいと体操を始めた。
寒さを感じてるのか、幾枚かのカッターシャツを重ね着しているその格好は多少動きにくそうだが。
彼女の傍を通り過ぎるこの街の住人達に、ながらの挨拶。
働きに出ている者達にとっては忙しない時間帯なのだが、智子にとってはそうでもない。
今日は臨時で学校はお休み。朝からずっと店で居ていい日なのであった。
「…別にいつも店に居たいわけでもないけどね」
誰に聞こえるともなく吐き出したその言葉は、彼女の本音を少しばかり含んでいる。
智子は、駄菓子屋の店長であると同時にちょいとした探偵業もこなしている。
ひっきりなしにやってくる特定の人物からの依頼以外は喜んで請け負っているのだ。
もっとも、この探偵業もほとんど趣味の範疇なのだが…。
「ん?」
そろそろ体操を終えようかという頃に智子は、この街では見慣れない人を見つけた。
すらっとした長身の体型は、驚くほど綺麗に見える女性。
智子とよく似た髪型(後ろで束ねている)ではあるのだが、彼女のそれより美しく黒く、そして長い。
黄色のポロシャツとジャンパースカートが手伝って、端整な顔立ちは少し幼くも見えた。
しかし明らかに智子よりは3,4年くらいは年上であるとわかる。
片手に小綺麗な手提げ鞄、そしてもう片方の手に紙を見ている所から、捜し物をしているようであった。
「へえ〜、綺麗な人だな〜」
智子が手を休めてうっとり見ていると、その視線に女性は気付いたみたいだ。
ゆっくりとこちらの方へと歩いてくる。
内心少しどきっとした智子だが、そのまま近づいてくるのを待った。
ずんずんずんと女性は接近。そして…。
「………」
すいっ
智子の目の前にやってきたと思ったら、手に持ってた紙を差し出した。
いきなりの態度に驚きながらも智子は紙をのぞき込む。それはこの商店街の地図であった。
「…あの、これがどうかしたんですか?」
わけもわからず智子は尋ねる。すると女性は無言のまま、ある一箇所を指で指し示した。
そこは赤くペンで丸印で囲まれている、一件の店であった。
「…ここはたしか…長月さんの…。ここへ行きたいんですか?」
「………」
こくり
やはり女性は無言だったが、頷いて意思表示を行った。
その様子が誰かに似てると物凄く思った智子だったが、あえて気にしないことにする。
「えっとですね、ここへ行くには…」
地図を道路と同じ方向に向けて口頭で説明しようとする。
だが、女性は…
「………」
ぷるぷる
首を横に振った。
意図がよくわからなかった智子だが、“もしかして…”と思いながら顔を上げる。
「…あたしに直に案内して欲しいんですか?」
「………」
こくり
正解のようだ。
ここは交番でもなく駄菓子屋なのだが…そこは普段智子が行っている事で問題は無い。
いつもの探偵業と比べれば道案内などお手のものである。
「わかりました。用意しますからちょっと待っててくださいね」
「………」
こくり
女性が頷くのを確認して、智子は店の中へと戻っていった。
ちなみに店はまだ開けてない。用意というのは長月酒屋店に注文する為の書類だ。
書類といってもただのメモ書きなのだが…。
およそ2,3分後、智子は家の戸締まりをして女性の元へと戻ってきた。
「では案内します。付いてきてくださいね」
「………」
こくり
相変わらず無言、そして頷くだけ。
しかし智子は特に不信感を感じていなかった。
“長月さんの親戚か何かかな…”と心の中では思っていたが…。



およそ数分後。あっさりと目的地に到着。
道中も女性は一言も喋らなかった。代わりに智子はそれなりに話しかけていた。
“どちらから来たんですか?”とか“この街はどうですか?”とか。
反応はすべて“………”であったが、別に智子にとってはどうってこともなかった。
目的地に居る人としゃべり具合は大差なかったから…。
ただ、時折出会う動物たち(と言ってもせいぜい猫や犬くらいだが)には好意的な視線を投げていた。
もちろん笑っている風にも見えなかったが、智子はその優しい視線に気付いていた。
だから“動物好きなんですか?”と尋ねもした。するとその女性は、こくり、と一つ頷くのだった。
Yesと取れる唯一の意思表示。これが智子にはなんだか嬉しくも思えた。
「長月さ〜ん」
店の奥へと呼びかける。
数秒と経たないうちに、主人である長月賢吾がぬっと顔を出した。
…いや、長月ではなかった。顔を出したのは…
「おや智子ちゃん」
「む、睦月さん!!?」
レコード店の店長である睦月裕華であった。
キラリ光るその目が、口元が、鼻が、髪が…とにかくすべてが智子には眩しい存在である。
意外な登場人物に思わずくらりとキている智子…
「…智子ちゃん?何か用事があったんじゃないの?」
「…はっ、そ、そうでした」
呼びかけられて我に返る智子。
慌てて体勢を整え、ついてもいない服の埃をパンパンと手で払う。
更には何故か髪型をセットし始めた。鏡は無いからただの手櫛だが…。
そんな彼女を見て、連れられて来た女性は少し唖然。やはり無言ではあったが。
「えっとですね、この紙に書かれてあるものを注文しに…」
「わかった、後で長月に渡しておくよ」
智子からの注文書を睦月は受け取る。
身につけていたエプロンにそれをしまい込むと同時に、智子が尋ねた。
「あ、あのっ、な、なんで睦月さんがここに?」
「ああそれはね、ちょっと長月が用事で居ないからさ。店番頼まれたんだよ」
にかっと笑いながら腕組み。
力強く見える睦月のその姿は、普段よりもいっそう頼もしく見える。
同時に想像力豊かな智子の頭の中にも様々な想いが駆け巡る。
「え、エプロン似合ってますね…」
あれやこれやと瞬時に出てきたものを整理し、出てきた言葉は無難なものであった。
ほっとしつつ見ていると、睦月は普通に笑ってそれに応える。
「はは、ありがと。…ところで、後ろに居るのは誰だい?」
「へ?」
しどろもどろになってる智子は、言われて後ろを振り返る。
そこには、相も変わらずの無言状態である女性の姿が。
智子の変貌振りに少し戸惑っているようであった。
「あ、ああっ、すいません!えっと…到着しましたよ、ここに用事があったんですよね?」
「………」
言われて女性は考え込む。店の屋根、看板を見る。
最後に店番をしている睦月を見る。そして…
「……違う」
首を横に振りながら、智子にとっては初めての言葉を発した。
か細いその声は、注意していなければ聞き取れないほど…。
「えっ、違う、のですか?」
「………」
こくり
今度は無言で頷く。一瞬愕然となった智子だが、瞬時に別の事に納得した。
用事があったのは店ではない、長月賢吾本人なのだと。
おそらくはここに来れば彼に会えると思っていたが出てきたのは睦月さん。
店番している彼女を見た今ならば、なるほど違うと言っても差し支えない。
そんな奥底で頷いている彼女の肩を、睦月がぽんぽんと叩いた。
「あの、智子ちゃん。この人誰?なんで智子ちゃんに付いてきたの?」
「えっ?えっと、ですねえ…多分、長月さんに用事があるんじゃないかと…」
言いながら智子は女性が持っていた地図を睦月に見せた。
この酒屋に印が付けられている点以外は、普通の商店街の地図。
“ふーん”と一通りそれを眺めた睦月は、うんと頷いた。
「…なるほどね。じゃあ長月が帰ってくるまで待ってればいいよ」
「えっ?すぐ帰ってくるんですか?」
「ああ。お昼になるまでにはね。だからそこの娘さんも一緒に…」
言いかけて睦月は言葉を止める。
女性に向けた顔を、智子に向けた。
「そういや名前は?」
「…あ」
言われて智子がはっとなった。
ただ案内するだけだという意識が頭の中にあったので、そこまで聞かなかったのだ。
今更と思いながらも、女性に名前を尋ねる。
「えっと、あなたの名前は…」
「智子ちゃん!!!」
「へっ?」
質問を呼び声によって遮られる。
何事かと振り返ったその先には…
「うっ、師走さん…」
「また何か問題でも見つけたのかな」
智子と睦月がだれた様に呟く。
遠くからでも確認できる師走哲朗の特徴は、その声にある。
呼ばれてびりっとくるような感覚は他には類を見ない珍しい声だ。
それは彼が電気屋を営んでいる所為であろうか…。
ばたばたと忙しなく傍に駆けてくる。それは智子らにとっては非常に見慣れた光景だ。
辿り着いたところで息を整えながら、師走は改めて言った。
「ふう、見つけたよ。事件だ!!」
「…なんですか、事件って」
「聞いて驚いてくれ、商店街外からのお客さんだ!!」
「………」
師走の言いたいのは、要は街の外から客が来たって事だ。
しかし別に驚くことでもない。現に今智子の傍にもその客がいるのだから。
「しかもその女の子がとびっきり可愛くってねえ!
あははーってよく笑う明るい女の子で…とと、それはいいか。
えっと、とにかくその子がある子を探してるんだとさ。
黒髪の、智子ちゃんと同じくポニーテール…じゃなかった。
えっと…ああそうそう、丁度あんたみたいな…」
忙しなく勢いで師走は説明。
その途中で、智子が連れている女性の姿を目にした。そこで言葉がとまる。
「うわっ!この子!この子だよ、多分!!」
「あ、あのー、師走さん?」
「さすがだねえ、智子ちゃん。俺が依頼する前に既に見つけてるなんて!!」
「いや、あの、もう一度落ち着いて説明して欲しいんですけど…」
突然依頼されて更に解決されたとなると智子としてはまったく訳が分からない。
こういう突っ走る部分は更に誰かに似てるなと思いながらも、改めて説明を受けた。

「…へえ、ということは、その人が探してるのはこの…って、名前なんて言うんでしょう?」
師走の説明で納得した智子は、女性に向き直った。
一度聞こうとしたことを遮られた後に再び尋ねるのはどうも気が引ける。
しかし聞かなければ事は始まらないように思えた。
「………」
それでも女性は無言。
いや、口を開きかけている。かなりのスローモーションである。
その間の時間がとても長く感じた智子…
「あれっ?長月もう帰ってきたんだ?」
がくっ
ようやく聞けると思ったところで、今度は睦月が先に声を発した。
おかげで智子はがっくりと前につんのめる。
そのこけそうになった姿を、女性は慌てて受け止めた。
「…大丈夫?」
「え、ええ、まあ…」
心配そうな彼女の顔。だがそれを見て智子はなんともやるせない気持ちになっていた。
と、智子が体勢を立て直したところで、女性の身体がくいっと向こうに引き寄せられた。
それは長月によるもの。腕を引っ張ったのである。
「おいおい長月、あんたを尋ねてきたお客さんになんてことを…」
「………」
睦月が言い終わらないうちに、長月は女性の手を引いたまま店の中へと姿を消してしまった。
俊敏なその動作に、その場に居た者達はどうすることもできずに…
と思っていたら、あっさりと長月は店の前へと姿を現した。
素早く用事を済ませたのだろうか?女性と顔を見合わせながら、無言で頷き合っている。
「あ、あの…」
「……じゃ」
「………」
こくり
智子が何か尋ねようとすると同時に、長月は別れの挨拶を女性に投げかけた。
そして女性は頷き、歩き去ろうとする。
言葉なくしての意志疎通に、そこにいた面々は唖然とするばかりであった。
しかし…
「…ありがとう」
女性は最後に智子に向かって一礼した。
ぺこりと頭を下げるその可愛らしい動作に、思わず智子も礼を返す。
そのまま…女性は去っていった。
「…おい長月、あの子は一体なんだったんだ?その前に師走、追いかけなくていいのか?」
「あっ!!そ、それじゃあまた!!」
ひたすら固まっていた師走は、慌てて女性の後を追いかける。
“忙しない奴だな”と笑いながら、睦月は改めて長月に問うた。
「長月、あの子はなんなんだ?」
「………」
「いくらだんまりなあんたでも、絶対に教えてもらうぞ。第一私は店番したんだからな」
「……いや」
「いや、ってなんだよ。喋っちゃいけないことなのか?」
「まあまあ睦月さん、もういいじゃないですか」
詰め寄る睦月を止めたのは智子であった。
その顔はやけに悟った様な色を見せている。
だが彼女自身、一瞬一連の出来事すべてを理解したわけでもなかった。
それでも…智子は新たなものを得ていたようである。
「長月さんにも、秘密にしておきたいことってあるでしょうから」
「…ま、智子ちゃんがそう言うのならいいけど」
「じゃああたし帰ります。ではっ」
深々とお辞儀をし、智子はそのまま帰路についた。
ただの案内だけだった予定は、彼女にとって意外なものへと変貌した、そんな感じである。
酒屋の前では、やはりというか睦月は腑に落ちない表情だったが…
智子からの注文書も含めた書類等を長月に渡すと、自分の店へと戻っていった。



同日の午後、夕方。
ぼーっと店に座っていた智子の店に、2人の女性が客としてやってきた。
「こんにちわーっ」
「はーい、いらっしゃい…あれ?あなたは!?」
「………」
片方は、今朝智子が案内した無口な女性であった。
片方は智子にとっては初対面である。明るさからしてやけに対照的、智子はそう思った。
「用事は済んだんじゃなかったんですか?」
「はいっ。そうなんですけど、駄菓子屋なんて懐かしいなと思いまして寄ってみましたっ」
「へえ…あ、ごゆっくりどうぞ」
「はいっ」
客人二人は、質素な店内を嬉しそうに見てまわる。
古くさい木の匂いとはまるで反対の清々しさを振りまきながら。
「うっわあ、綺麗だねーっ」
「………」
「へえ…これ飴なんだね…」
「…ペンギンさん」
「え?あ、ほんとだ。これ動物園だね」
「…可愛い」
「うん、可愛いよね」
静かな駄菓子屋が、あっという間にざわめきを得たかの様だった。
楽しそうなその声を聞いて智子も非常に満足している。
見るだけでも喜んでもらえているのなら彼女は凄く嬉しいのだ。
ひとしきり騒いだ後、その客人は二種類の飴を購入してそこを去っていった。
笑顔で彼女らを見送った後、智子はふと呟いた。
「名前聞くの忘れてた…」

≪番外編終わり≫


後書き:一度書き出して、仕上げられなくて、最近仕上げたものです(なんのこっちゃ)
なんつーかまあ、これだけ不完全な話も珍しいってなもんでしょう。
クレパスいっぱいのお話ですからねえ。
作中の二人が誰なのか、まあ言わないでおきます。
分かる人にだけわかってもらえりゃいいんで。
(それに、分からなくても多分問題ないでしょう)
何がやりたかったってーと…何がやりたかったんでしょうね…(蹴)
単にこの二人をLookingForに出したかった、ただそれだけですね。

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