朝。気持ちのいい目覚めにせかされて、早い時間からあたしはベッドから降りた。
がちゃり
思いにふけっていると、目線の先にある扉が開かれた。
───────
「まず朝起きたら、私は自分の部屋にいたの」
“せいやぁーっ!…ひゅいーん”
頭の中で栞が飛ぶ…。
<おしまい>
思うが侭に歩を進めキッチンに辿り着くと、椅子に腰掛けて一杯のコーヒーを口にする。
温かい湯気。そして豊かな香りが辺りを包む…。
「…ふう」
いい時ね。しかも休日だからのんびりしたものだわ。
いつもいつも騒ぎながら学校まで来ている誰かさん達とは大違い。
「なんてね」
一人微笑を浮かべる。
さて、今日は何をしようかしら。図書館へ勉強、というのも悪く無いわね。
それとも散歩に出かけてみようかしら。町内の散策というのも悪くない。
選択肢はたくさんある。
とりあえず今日のあたし始まりは、いっぱいのコーヒーね。
果たしてそれから、何を経て何に辿り着くのかしら…。
そこから顔を出したのは…
「おはよう、お姉ちゃん」
「おはよう栞」
栞。あたしの大事な妹。
柔らかな生地の、チェック柄のパジャマを身にまとって、ストールを羽織っている。
ついこの間までとんでもない病気を背負っていたのが嘘のように消え、今はすっかり元気になった。
あの時ほど“奇跡”という言葉を思ったことはなかったわ。
その栞が、顔をほころばせている。まるで、宝物を見つけた子供のようにはしゃいでいる。
何かを話したくてうずうずしているのが分かる。仕方ないわね、あたしから聞いてあげましょ。
「栞、朝から機嫌よさそうじゃない」
「お姉ちゃんもね」
あら、よく分かったわね。あたしも顔に出てたのかしら。
「あたしはいい時間を満喫してたからね。で、栞はどうしてそんなにご機嫌なの?」
「あのね…」
待ってましたとばかりに栞は駆け寄ってきた。ぱたぱたと鳴らすスリッパが栞の動悸を物語っている。
得意げな顔を見せながら、あたしのすぐ隣に椅子を引き、腰をおろした。
「とっても面白い夢を見たの!」
「夢?」
「そう!それでね、是非お姉ちゃんにも聞かせてあげたいな〜って」
「へえ…」
夢というものは起きたら即消えてしまうものが大半だ。泡のように、しゃぼん玉のように。
また、一生のうちでずっと覚えていられる夢はたくさんのうちのほんのわずかだろう。それだけ儚いもの…。
そんな夢を、人に聞かせるほどに覚えてるなんて相当印象強かったのね。
「で、どんな夢だったの?と聞く前に…コーヒー飲む?」
「うんっ」
待ちきれない様子ではあったけど、栞は元気よく頷いた。
あたしが丁度飲んでたし、欲しくなったのね。
手際よくカップと原料と用意してやり、栞の分を作成してあげた。
やはり広がる芳醇な香り…いいわねえ…。
「はい、栞の分よ」
「ありがとう」
かたりとテーブル上に置いたカップを、栞は早速口に運んだ。
その動作も、凄く機敏に見える。待ちきれなさが手に移ったみたい。
「あつっ!」
熱かったのだろう。火傷しかけたみたいだった。
すぐさまカップを元の位置に戻す。
「もう、そんなに慌てて飲もうとしないの」
「えへへへ」
照れ笑いを浮かべる。…つい可愛いとか思っちゃうところだった。
ま、正直言ってイケてるとは思ったりしちゃうけど…。
「…まあいいわ」
「ん?何が?」
「なんでもない。で、栞。どんな夢を見たの?」
「あ、うん。それはね…」
危うく妙なことを口走っちゃうところだったわ。
というわけで栞にはさっさと本題に入ってもらう。
いよいよ、栞の夢語りの始まり。コーヒーをお供に…。
「普通ね…。無人島に居たとかじゃないの?」
「それはさすがに…」
突拍子も無いものが来るかと思ったら、案外まともみたいね。
それどころか普通だわ。起きたと思ったら夢だった、みたいなオチかしら…。
そうか、読めたわ。
「で、いつもみたいに二度寝したのね?」
「二度寝なんてしてないもん」
「何言ってんの。朝学校へ行く時にあたしがどんなに苦労してるか」
「もう!無いこと言って話の腰を折らないでよ!」
怒られた。
けどついついからかいたくなっちゃうのよね。姉として。
第一の読みは外れか…(当然だろうけど)
「でね、いつも私一人で部屋がまんいんだな〜って事に気付いてね」
「満員?あたしも入れるでしょ?
なんで満員だって思ったの?」
「それがね、この時は不思議と満員だって思っちゃったんだ〜」
「へえ…」
満員ねえ…。たしかに一人部屋だけど、満員なんていうほど狭くないでしょうに。
それに“不思議と”なんて理由もなんだかねえ…。
けど夢ってそういうものかもね。何故だかわかんないけど納得しちゃう。
「しかもね、コップにはおいしい水があふれてるの」
「………」
あたしは沈黙した。
意外と早かったわね、あたしがこうなるまで。さすが栞の夢だわ。
「あんた浄水とかに凝ってたっけ?」
「ん〜、よくわかんない」
でしょうねえ…。
もっともそれ以前に、栞の部屋にコップなんて置いてあったかしら…。
「そこで私思ったの」
「何を」
「世界の向こう岸なんて見えなくていいって」
「………」
二度目の沈黙。
何言ってるのかしら栞ったら。
世界の向こう岸?それって何よ。
「だいたい、世界は丸いんじゃないの?とかって尋ねるのも変だけど」
「うーん、どうやらそういう事を意味してるものじゃないみたいなの」
「よくわかんないわねえ…。向こう岸、ねえ…」
ま、大抵よくわかんないのが夢だし。ここは気にしないことにしましょうか。
素直に考えるなら
、海かなんかを隔てて別の世界があるとでも思えば。
「…けど、栞の部屋でそういうこと意識するのも変な話だけど」
「それでねお姉ちゃん。少女ってまわりの空気ごと移動するの」
「………」
三度目の沈黙。
完全に納得しなくて無理に納得しようとした時に更に更に不可解な事を告げられた。
まわりの空気ごとって言われても…。
だいたいそれってどういう事よ。強力な引力でも伴って空気の塊でも身につけてるって言いたいわけ?
「知らない?」
“知らない?”なんて聞いてくるとは…。
「あたしが知ってるわけないでしょ、そんなもん」
こればっかりは当たり前のごとく堂々と返す。
よもやそんな質問を投げかけられるとも思ってもなかったわ。かなりやられた気分…。
ちょっと心をすっきりさせるため、あたしはコーヒーを一口すすった。
それにつられて、栞もコーヒーをすする。
そういや栞にとっては最初のちゃんとした一口じゃないかしら。
一回目は熱くて飲めなかったみたいだし…。
それに気付くと、栞の反応が気になってきた。
朝からあたしをご機嫌にさせてくれた一杯のコーヒーに、果たして栞はどんなものを返してくれるのかと。
「あ、美味しい」
「でしょ?」
素直に感想を述べる栞にあたしも嬉しくなる。
そして再び、朝の上機嫌な時を思い出した。のんびりした、穏やかな時間を…。
…今ものんびりしてるけどね。
のんびりついでに、さっき栞が言っていることをあたしなりに想像してみた。
空気ごと移動…多分空も飛んだりするんでしょうね…。
飛ぶ時のポーズは…栞のことだから…
片足あげて片手を突き出して、せいやぁーってな格好で飛ぶんでしょうね。
そのままの体勢でひゅいーんっと…
「…ぷ、うくくくく…」
「どうしたのお姉ちゃん?」
「な、なんでもないわ。…うふふふふふ」
「…?」
笑いをこらえるのに必死になる。
いけない、今の自分の想像が相当ツボに入っちゃったわね。
これはごまかすのに必死…
「あはははははは!!」
とうとう我慢できずに、あたしは大きな声で笑い出した。
さっきとは打って変わっての、大口あげて、思い切り気分よく。
「どうしちゃったの、お姉ちゃん…」
「な、なんでもないわよ、あはははは」
「もしかしてこのコーヒーに笑い茸でも入ってたんじゃ…」
「あ、あのねえ、それじゃああんたも大笑いしてるでしょうが」
「そうだよねえ…」
しげしげとコーヒーカップを見やる。
右に左に上に下に…ちょっと、そんなに傾けたらコーヒーがこぼれるでしょ。
いいかげん笑うのをやめ、子供みたいな栞の仕草をとめに入る。
ちゃんと落ち着かないと…。
というわけで、自分のカップを口元で傾ける。
「…ふう」
やっと落ち着いた。
相変わらず栞は何がなんだか分かんないって顔してるけど。
あんまり気にしないで欲しいもんだけど…見つめられると戸惑っちゃうわ。
とか思ってあたしの方が栞を気にしてると、“ああそうだ”と栞は思いついたように手を打った。
「そうそうお姉ちゃん、実はさっきのには続きがあるの」
よかった、話が夢に戻ったわね。あたしもしっかり戻ろうっと。
「空気ごと移動とかってこと?」
「うん、そう。それはね、思いっきり夜更かしして赤い目の太陽だって、
ぼーっと寝ぼけてる昼間の月だって、私ごと移動するの。
あ、正確には私の船ごと、だけどね」
「………」
ついさっき口にしたばかりのコーヒーの効果はあっという間に消え去った。
太陽?月?船で移動?いよいよおかしくなってきたんじゃないかしら…。
おかしくなってきたのは…栞?それとも夢?
「だから、ちょっと旅行に出かけようと思ったの」
栞の方らしいわね。
「ってちょっと待った。船、ってどこから用意したの?」
「だから、それは私の船」
それって答えになって無いような気がするんだけど…。
けど、栞があまりにも、常識だ、みたいな顔するもんだから…流しておくとしましょうか。
そうよ、ここで納得しなくていつ納得するって言うの?
…いつも納得はしてない気がするわね。
まあいいわ、栞に免じて納得しておくことにしましょ。
「それで、どうしたの?」
「うん。それで、いざしゅっぱーつ!と思って出かけたんだけど…」
「だけど?」
ここで栞はとっても深刻そうな顔へと表情を変えた。
一瞬で空気がどよんとなる。はしゃいでいた、あの明るさはどこかへ消え去ってしまった。
一体何があったのかしら…。
「途中でね、とってもとぉ〜っても重大なことに気付いたの!」
目前に迫るくらいに栞が顔を近づけてきた。
ふと見れば、拳に力を入れているのが良く分かる。それだけ力説すべき事柄なのね。
けれどこれはいくらなんでも迫りすぎ。
一瞬後ろにこけそうになったあたしは、慌てて栞を手で抑えた。
「そんなに興奮しないで。で、何に気付いたの?」
「アイスクリームを忘れてきちゃった」
「………」
両者沈黙。特にあたしはとっても沈黙。
テーブルに置いてあるコーヒーも、もはや湯気も立たず香りも漂わせず…。
…あのねえ、それが重大なこと?
っていうかそれが旅行に必要なの?
第一、旅先でそういうのって買えるんじゃないの?
しかも関係あるの?
あたしがとんでもないほどに呆れ顔になってると、栞は迫っていた顔を引っ込めた。
「ああーっ、お姉ちゃん馬鹿にしてる」
するわよ、そりゃ…。
よもやこんなところで強調されようとは…。
意外な落とし穴はいくらでも存在した、っていうことかしらね。
既にあたしは読みなんてものはできなくなっていた。
栞らしいと言えばらしくも思えるのだけど、あたしの手におえる代物じゃあない。
なのでここは…普通に返すとしましょうか。
「別に忘れたとしても、後で買えばいいじゃないの」
「だって!今持っていきたいのに!」
「我慢しなさい」
「うーっ、お姉ちゃんの意地悪…」
「あんたねえ…」
聞き捨てなら無いわねえ。そんなことで意地悪扱いされたくないんだけど。
こうやって“我慢しなさい”とかって返してあげてるあたしもあたしなんだけどね…。
ついさっき決定付けた自分の行動にも疑問を感じずにはいられなかった。
しばらく栞は小さな声で何かをぶつぶつと呟いていた。しかしそれもすぐに止まる。
何かを思い出したように、ふいっと顔をあたしに向けたからだ。
「ああそうそう、折角船を使うんだから、ハタを作ったの」
「ハタ?」
「うん。海賊船とかに必ずついてるじゃない。でも海賊旗みたいに黒くないからね」
まったくこの子ったら夢の中で何やってんのかしら…。
わざわざ旗なんて作る必要があるのかしら…。
しかもたとえも悪いわよ。なんでよりによって海賊船なのよ。
「でね、その旗なんだけど…」
「はいはい」
「旗を作るときに怪我しちゃったの」
「は?」
まったくもう、相変わらずどじねえ。
それにしても一体どこで作ってたんだか…。栞の部屋かしらね、やっぱり。
「でね、その怪我の様子なんだけど」
って、更に何を話そうとしてんのよあんたは。
「とりあえず白い包帯に…あ、膝をすりむいてて、血が出てたの。絆創膏も使ったかな…」
「わざわざ怪我の説明なんてしなくても…」
「うーん、包帯ってとってもス・テ・キ♪」
「………」
もはや数えるのもバカらしくなってきた沈黙の回数。
ス・テ・キ、じゃないでしょうが…。
我が妹ながら恐ろしく思えてくるわ。
そしてその言葉があたしにとっては決定打でもあった。
あたしの堪忍袋(怒る、じゃあなくて聞くのを投げ出すってことだけど)が切れる直前までの。
あと一歩までは耐えられる状態。あと少し踏み入れられると危うい。
いや、危ういどころかあたしの負けだわ。なんとかしないと…。
…なんとかできるものでもないけど。いつもの様に返すのが関の山ね。
「あんたねえ、もうちょっと他にも素敵に思うものがあるでしょ?」
「それでね、他にも怪我を負ってたんだけど…やっぱりホータイで頑張って、それで出発したの」
聞いちゃいないわね…。
まあいいわ、栞がホータイ好きだろうがアイス好きだろうが、個性ってものよ。
自爆する前に無理に自分で納得して、話を先に進んでもらうことにした。
「船で、大洪水を…すべりだしたの」
大洪水…。
なるほど、すべて謎は解けたわ。
ありがとう栞。とっても分かりやすいオチを用意してたなんて…さすがだわ。
今ので、これまでのすべての負荷はチャラ。
蓋をされていた、暗い暗い穴の底から、蓋を突き破って這い出してきた、そんな気分だった。
「それで…結局栞はおねしょしたってわけなのね」
「おね…なんてしてない!」
「だって大洪水だったんでしょ?」
「そんなの関係ない!」
「まったくもう、それであたしが後始末をするのね…」
「だからしてないって!お姉ちゃん話聞いてよ!」
怒り出した。
でも、夢の大洪水といえばお約束として決まっているもの。
「はいはい。で、大洪水に出発してどうなったの?」
「えーっと、そこで目が覚めちゃった」
ここで終わりらしいわね…。
すっかり冷めたコーヒーを飲みきり、あたしはおもむろに立ち上がった。
「どこ行くの?」
「栞の夢の後始末をしにね」
「後始末ぅ?」
「とりあえず布団を乾燥させないと…」
「だから!なんでおねえちゃんはそんな解釈になるの!?」
がたっと大きな音を立てて栞も立ち上がる。
振動が大きいそれに、飲みかけだった栞のコーヒーカップが揺れる。
「ちょっと、暴れないでよ」
「暴れてない!」
言ってるそばから栞の声は既に大きく、興奮しているのが分かった。
ちょっとからかっただけなのにすぐ感情的になるのが栞なのよね。
でもそこが可愛いっていうか、だからこそあんな意味不明な夢も見たのかもね。
とたんに騒がしい朝に切り替わったけど、それは別として譲れないほどに決定した事がある。
これはぜひとも訂正しなきゃいけないわね。何が何でも。
今日のあたしの始まりは…栞の夢。
後書き:同タイトルの谷山浩子さんの歌がモチーフとなっています。
…モチーフといっても、歌詞そのまんまなんですけどね。
聴けば、謎がいっぱいのような、そんな歌だと思うかもしれません。
何故に包帯がステキだったりするのか、
何故にコップにおいしい水があふれているのか。
私にはそのままの情景を思い浮かべるのが関の山でした(苦笑)
書くきっかけとなったキーワードは、アイスクリームと包帯、ですかね。
それにしても…容量の割には内容が薄い話になってしまった気がする…。
2003・1・29