香里にさよならの挨拶をして、俺は商店街へ向かって歩き出した。
色々ものが売ってる場所だ。
ひょっとしたら名雪を楽に起こすためのヒントが何か得られるかもしれない。
昼間学食でのやりとりにより、やはり自分でなんとかしようと俺は思ったのだ。
いや、単に香里達に相談するのはやめた、というだけのことだ。
目的地へ向かって、かなり解け始めた雪を踏みしめ歩く。
そのまま考え事をしていると、気が付けばそこは商店街の入り口であった。
「早いな・・・。」
何かをしている間に過ぎ去る時間というのは考えられないくらい早い。
この調子で学校の授業もあっという間だったのだろう。
「さてと、どうするかな・・・」
「あっ。」
「あっ?」
不意に声がする。誰かに発見されたという声だ。
その直後、タタタタッという声が・・・じゃなくて、走る音が聞こえてくる。
「祐一君っ!」
がばっ
「うぐぅ!」
何者かが背中に飛びかかってきた。対抗して叫び声をあげてやる。
と、そいつは即座にそこから腕をはなした。
振り返ると、半分涙目になりそうなあゆが立っていた。
「・・・うぐぅ?」
「よおあゆ、やっぱりお前だったか。」
「うぐぅ・・・祐一君、さっきなんて言ったの?」
「よおあゆ、やっぱりお前だったか。」
「その前。」
「あっ?」
「その後。」
「よおあゆ、やっぱりお前だったか。」
「・・・・・・。」
何か疑問を感じながらの顔で俯く。
どことなく不機嫌そうだ。
「どうした?何か悪いもんでも食べたか。
盗みを重ねることに罪悪を感じて、落ちてるたい焼きでも拾い食いしたか。」
「そんなことしないよっ!・・・ねえ祐一君、ボクが抱きついた時に何て言ったの?」
責めるような目つきだ。さすがに次は正直に答えてやる。
「うぐぅ!だ。」
「うぐぅ・・・真似しないでっ。」
「真似じゃないぞ。先手を打ったんだ。」
「・・・・・・。」
「しかし、また負けたみたいだ。やはりうぐぅはお前だけのものだ、あゆ。」
「・・・・・・。」
だんだん顔つきが険しくなる。次の瞬間にあゆはそっぽを向いてしまった。
「うぐぅ、もう知らないもんっ!」
完全に怒ってしまったのか、顔が真っ赤である。
慌てて俺は謝った。
「すまんすまん、俺が悪かった。」
「・・・・・・。」
「今度たい焼き買ってやるから。」
「・・・いらない。」
ちらっとこちらを見たがまたそっぽを向いた。
食べ物でも機嫌を直さないとは、相当なものらしい。
「困った・・・あゆに相談があったんだが。」
「相談?」
つい口に出た言葉により、あゆは少しだけこちらに向く。
最初ここに来た時はそんなつもりはなかったのだが、こうなったらという気持ちで更に続けた。
「そうだ、相談だ。俺の悩みを聞いてくれるか?あゆ、お前が頼りなんだ。」
「ボクを頼りに?」
「そうだ。さっきの事は本当に謝るから。」
「・・・じゃあ、たい焼き買ってくれる?」
「あ、ああ、いいぞ。」
「嬉しいよ。」
完全に笑顔でこちらに向き直った。
やけに手間がかかった。これは自業自得かもしれないが・・・。
「じゃあ早速買いにいこ。」
「何をだ。」
「たい焼き。」
「・・・しょうがないな。」
「やったねっ。」
スキップしながら駆け出すあゆ。
俺は慌ててその後を追った。

数分後、焼きたてのたい焼きをそれぞれ手に、俺達は適当な場所に腰を下ろす。
話を切り出そうとあゆを見た時、彼女はすでに二匹目にとりかかっていた。
「早いな。」
「ん?何が?」
「それだけ早いと、たい焼き早食い選手権に出場出来るんじゃないのか。」
「うぐぅ、そんなの出場したくないよ。」
「豪華賞品が出るぞ。優勝者には一生たい焼きが支給される。」
「えっ、ホント!?」
「ああ。しかし朝昼晩ずっとたい焼きを食い続けなければならない。」
「うぐぅ、そんなの無理だよ・・・。」
輝いた目が一瞬で曇る。ころころとここまで表情が変わるのはあゆ独特のものだろう。
何気ない冗談をすぐに真に受けて、純粋に反応を示す・・・。
しかしいつまでもこんな雑談をしているわけにはいかない。そろそろ本題に入らねば。
「さてあゆ、肝心の相談だが・・・」
「えっ、たい焼き早食い選手権の事じゃあなかったの?」
「そんなもんあるかっ!」
「うぐぅ、祐一君が自分で言ってたくせに・・・。」
「あれはただの冗談だ。第一そんなもん俺が相談してどうするんだ。」
「それもそうだね。」
あっさりと決着はついた。さて、本当にやっと話すとしよう。
「で、相談というのはだな・・・」
「あっ!このたい焼き粒あんとカスタードクリームが混ざってる!
普通こんな間違いしないよね。プロでも失敗する事ってやっぱりあるんだあ。」
「・・・・・・。」
ぽかっ
「うぐぅ、イタイ・・・。なんで叩くの?」
「人の話聞けっての。で、カスタードがどうしたって?」
わざわざ聞いてみた。
ついでに言うと、プロの失敗模様を見てみたかったのだ。
「そうそう。ね、ほら見てよ。ここにちょこっとカスタードクリームがついてるでしょ。」
あゆがかじったものは、粒あん入りのたい焼き。
見るとたしかに、カスタードクリームがちょびっとだけ付いていた。
「・・・なああゆ。」
「あっ、よくよく見るとこれってボクがさっき食べてたものが付いたのかなあ。」
「だと思うぞ。現に、今も口の周りに少し付いてる。」
「えっ!」
ごしごしと口元をこする。
「とれた?」
「ああ、とれたぞ。
まったく、いくらなんでも中身を混ぜるなんてミスを誰がするかよ。」
「そうだよねえ、うんうん。」
頷いて納得したかと思うと、あゆは再びたい焼きにかぶりついた。
それで何個目なのか、かなり気になるところであった。
「・・・って、何か忘れてる気がするんだが。」
「祐一君、あんまり食べてないんじゃないの?」
「あ、ああ。」
言われてみれば俺の分のたい焼きはほとんど減っていなかった。
あゆに負けないように、ぱくんとかぶりつく。
「祐一君、いい食べっぷりだね。」
「それでもあゆには負けるがな。」
「うぐぅ、それなんか引っかかる言い方だよ。」
「事実を言ったまでだ。・・・やっぱり何か忘れてる気がする。」
「考えごとしながら食べるとおいしさ半減するよ。」
「まあそれは言えてるかもしれないな。」
しばらく、二人して無言でたい焼きをほおばり続ける。
無理に口で話すこともなく、互いに表情だけで語り合う。
アイコンタクトとは違うが、見るだけで言いたいことは伝わるものだ。
やがてすべてのたい焼きを食べ終わる。袋を一つにまとめ、ゴミ箱に捨てる。
「ごちそうさま。美味しかったね♪」
「ああ。」
これだけ食べれば満足だ。
そして二人立ち上がる。
「さてと、どうしようかな。」
「あっ!」
「どうしたあゆ。」
何かを思い出したように両手を合わせている。
「祐一君、ボクに何か相談があったんじゃないの?」
「相談?あゆに相談するくらいなら俺はこの身を海にでもなげうつぞ。」
「・・・うぐぅ、ひどいよ。」
「冗談だ。・・・相談って何だ?俺が何を相談するって?」
「えっと、内容はまだ聞いてないけど、とにかく祐一君がボクに相談があるって。
悩みがあるって言ってたよ。」
「俺がいつそんな事を言った。」
「今日ボクと会った時だよ。」
「そんな昔の事は忘れた。」
「うぐぅ・・・。」
「冗談だ。しっかし本当にそんな事言ったっけか?」
「本当だよ。」
「うーん・・・。」
思い出せない。俺は一体あゆに何を相談しようとしていたのだろう。
「忘れちゃったの?」
「そうかもしれない。」
「大事な事だったら大変だよ?」
「心配要らない。一晩寝て朝起きたら忘れてる。」
「うぐぅ、それはあんまりだよ。折角ボク期待されてたのに。」
あゆに期待するなんて相当な事のはずだ。もしくはまるで大したことないか。
しばらく考えていた。しかしどうも思い出せない。
こうなったら明日でもいいか。明日になったら思い出すかもしれない。
帰って寝て、朝起きて、そして学校へ行って・・・
「あーっ!!!」
「な、なになに!?」
「思い出した!!こ、こんな重要なことを俺は忘れていたなんて・・・。」
「良かったね、思い出せて。」
突然の俺の変貌ぶりにおろおろしながらもあゆは声をかけてくれた。
そう、俺は思いだした。何のために商店街に来たのか。
そして、何故あゆを頼りにしようとしたのか。
たい焼きのおかげですっかり忘れていた。おそるべしたい焼きの魔力・・・。
「あゆ、改めて言うぞ。」
「う、うん。」
神妙な面もちで頷く。俺の真剣さが伝わっているのだろう。
「うぐぅをマスターさせてくれ。」
「・・・・・・。」
「どうしたあゆ?」
「それは祐一君の相談事と絶対違うと思う。」
途端に怒り顔になった。
「冗談だ。」
「うぐぅ、祐一君って真面目なのか真面目じゃないのかわからないよ・・・。」
「俺はいつも真面目だ。それは置いといて、本当に相談事を言う。」
「今度こそちゃんと言ってね。そうじゃないとボク怒るから。」
既に怒ってた気もするが・・・。
「実はだな、朝の事なんだ。」
「朝?」
「そうだ、英語で言うとモーニングだ。」
「うぐぅ、わざわざそんな事言わなくていいよ。」
「で、その朝、俺は起きて学校へ行く訳なんだが。」
「ふむふむ。」
「名雪知ってるよな。」
「名雪さん?」
「ああ。あいつの寝起きの悪さに困っている。大音量の目覚ましでも起きない。
朝食も着替えも寝たまま行える。今日なんか目が覚めたのは学校に着いてからだった。」
「す、凄いね・・・。」
たしかに俺もこれは素直に凄いと思った。
「しかしだ、その裏で俺は毎朝奮闘しているんだ。
このままだといつか俺は狂ってしまいそうだ。」
「苦労してるんだね、祐一君・・・。」
しみじみと言われるとなんだか哀愁がただよってきた。
「そ、そこでだな、あゆに相談だ。名雪をちゃんと起こすいい方法を考えて欲しいんだ。」
「うん、分かった。考えてみる。」
まっすぐな目で頷くと、あゆは“うーん”と頭を捻りだした。
と思ったら、ぱっと顔を上げた。
「うぐぅ、ボクには荷が重すぎるよ。」
速攻諦めの言葉だった。
「お前な、俺が何のためにあゆに相談したか分かってるか?」
「そう言われても・・・。祐一君が相談するときに出した条件でほとんど無理だよ。」
「条件?」
「大音量の目覚ましでも起きないんでしょ?」
「そうだ。」
「祐一君が直に起こそうとしても起きないんでしょ?」
「そうだ・・・って待て、そんなこと俺言ったか?」
「裏で奮闘してるってことはそういう事じゃないの?」
「・・・・・・。」
相談方法を間違えただろうか。
「ならあゆ、質問の方向を変えよう。お前は朝どうやって起きている?」
「・・・目覚まし。」
「やっぱりそうだよな・・・。」
無駄なことを聞いてしまった気が多分にする。
なんでこんなに早くから行き詰まってしまっているんだろう。
「こうなったらあゆ、お前が起こせ。」
「えっ?」
「お前ならなんとかなる。そんな気がする。」
「うぐぅ、そんなの絶対無理だよぉ〜。」
「・・・そうだな、絶対無理だな。」
「うぐぅ、やる前からそんなこと言うなんて祐一君ひどい。」
結局どっちなんだ。
「なら・・・あゆ、お前はどんなことをされれば絶対起きる?」
「えっ?うーん・・・大声で怒鳴られたとき。」
「それ以外。」
「叩かれたとき。」
「なるべくそれ以外。」
「他は・・・のいろーぜ、かなあ。」
ノイローゼ?
「どういうことだ。」
「夜な夜な何かの暗示をかけられて、朝になって“うわあっ”って起きるの。」
意味がわからん。
・・・いや、待てよ、なるほど、そういうことか。
「ということは、うぐぅはそこから来たんだな。」
「違うよっ!」
「まあそれを踏まえてだ、やはりあゆが起こしてくれ。」
「どういうこと?」
「夜にあゆが名雪の部屋に侵入する。そして耳元でささやくんだ。
“うぐぅ〜、うぐぅ〜”って。そうすればばっちり名雪はのいろーぜ。」
「・・・・・・。」
「・・・なんて案はやっぱり良くないな。別のものを考えるとしよう。」
慌てて話をそらす。いつになく怒った顔のあゆがそこに居たからだ。
「祐一君、やっぱりボクのこと嫌い?」
「そういう問題か。俺はあゆに相談を持ちかけているんだ。どうして嫌いになれよう。」
「でも・・・。」
「頼むから案を出してくれ。俺は今あゆを頼みにここにいるんだから。」
「・・・うん、わかったよ。」
再度考察に戻る。なんとか誤魔化せて良かった。
しかし、どうも進展がないな・・・。

結局日が沈む頃になってもいい案というのは全く得られなかった。
「もうこんな時間か・・・。」
「うぐぅ、ごめんね。全然頼りにならなくて。」
疲れた表情の俺に対して、あゆは泣きそうな顔で俯いている。
“ふっ”と息を付いて、俺はあゆの頭をなでてやった。
「気にするな。相談事が難しすぎたんだ。」
「でも・・・。」
「明日また、放課後に相談に来る。この商店街にな。」
それだけ言って、俺は立ち上がった。
「明日、って?」
「今日の所は考えるのはもうお終いって事だ。
だから明日にまた一緒に考えようって事だな。もちろんその時も頼りにしてるからな。」
「・・・うんっ。」
顔を上げ、笑みを伴って答える。
真っ赤な夕日にさらされたそれがやけにまぶしかった。
そう、別に今焦る必要はない。何日かかけてゆっくりと考えていけば・・・
きっといい方法が見つかるはずだ。
「じゃあまた明日な、あゆ。」
「うん。ばいばい、祐一君。」
手を振り、さよならをする。
背中の羽をぱたぱたと鳴らしながら、あゆは商店街の奥へと消えていった。
「・・・さて、帰るか。」
くるりと踵を返し、そこを後にする。
何故だか足取りは重くなかった。

帰宅後、夕食時に名雪の顔がやけに印象的だった。
何かが違う。いや、一日ずっと起こすことばかり考えていた所為だろう。
「・・・祐一、わたしの顔に何か付いてる?」
「鼻が付いてる。」
「なにそれ・・・。」
「心配するな、目も付いてるぞ。」
「当たり前だよ。」
「それだけじゃない、口も付いてる。」
「祐一の顔にも付いてるじゃない。」
「俺のこれはレプリカなんだ。本物はもっと大切な場所に保管してある。」
「嘘ばっかり。」
「本当だぞ。妖怪を一匹退治する事にそれらが本物になってゆくんだ。」
たわいもない会話をしながら進む食事。
途中真琴が一緒になってふざけだし、秋子さんから怒られる。
いつも通りの食事だった。
食後、風呂に入って部屋に戻る。てきとーに本などを読んで寝るまでを過ごした。
時計を見るといつの間にか夜中の12時近くになっていた。
「さて、寝るか・・・。」
目覚ましをセットして寝に入る。明日の対策なんてもはや考えていない。
なあに、明日は明日で何とかなるさ。
そんなことを思いながら、俺は目を閉じた・・・。


『朝〜、朝だよ〜。朝ご飯食べて学校行くよ〜。』
「・・・・・・。」
『朝〜・・・』
カチッ
いつもの目覚ましによって、俺は体を起こす。
手早く支度を終えて、廊下に躍り出た。
「おしっ、今日も勝負!」
無意味に気合いを入れて名雪の部屋へ向かう。
ドンドンドン
「おーい、名雪ー!」
「うにゅ?」
「ぬあっ!?」
なんてこった、今日は一回目にして反応があったぞ!
「祐一?」
「あ、ああ・・・って名雪、起きたのか?」
「うん・・・。」
「なんてこった。今日は雪が降るな。しかも台風が同時に来そうだ。」
「祐一、なんか失礼な事言ってない?」
聞こえていたようだ。しかも確実に起きているという反応だ。
「じゃあ先に降りてるから。」
「うん。」
はっきりした返事を耳にして、俺は階段を下りる。
一体どういう事だ?昨日とはどえらい違いだ・・・。
もしかして今日から改まったとか。
「そんなわけないか。」
今日は偶然だろう、多分。そういう結論に落ち着いた。
食卓に顔を出して秋子さんに挨拶。
その後、はっきりした顔で起きてきた名雪にえらく驚いていた。
滞りなく食事は終わり、通学も問題無く、俺達は無事に学校に到着した・・・。



放課後。俺は約束通り(自分で行くって言ったしな)商店街へと向かった。
今日は晴れている所為か寒さをあまり感じない。気軽に口笛など吹きながら歩いた。
しばらくして到着。と、傍らに腰を下ろしているあゆを発見した。
いつも通りたい焼きをほおばっている。
が、慌てた様子が無い所を見ると、今日は素直に買った品の様だ。
「よおあゆ。」
「あっ、祐一君。」
近づいて挨拶すると、いつもの笑顔を見せた。
たい焼きのあんこを付けながら、ではあるが。
「珍しく買ったみたいだな、それ。」
「うぐぅ、珍しくないもん。」
「いつも盗っているのにな。」
「いつも買ってるもん。・・・たまにお金が無い時があるけど。」
買ってるのがたまじゃないのか?
「まあそれはいいとして、今日も相談に来たぞ。」
「えっ?あっ、そ、そうだよね。」
動揺したのか、食べかけのたい焼きを落としかける。
「どうした?何か違ってたか?」
「う、ううん、そんなことないけど・・・。」
「だったら構わないが。さて、その前に今日名雪は珍しくもちゃんと起きた。」
「・・・・・・。」
「しかしこれは偶然だろう。明日にでもまた戻るかもしれない。
というわけで昨日と同じく名雪を起こすいい方法を・・・」
「祐一君。」
得意げに話す俺を遠慮がちに遮る。
そんなあゆの顔は既に笑顔じゃなかった。
何か言いたげな、それでいて不安そうな顔だ。
「どうした?」
「名雪さんをきちんと起こす方法、やっぱり考えないと駄目なのかな?」
「何を今更言ってるんだ。俺はそのためにここに来たんだぞ。」
「どうして、その方法が必要なの?」
「そりゃああった方が俺にとってはいいから。いつまでもあんな調子だと俺は・・・」
「いつまでもあんな調子じゃないかもしれないよ?」
また遮られてしまった。
「お前は水瀬家の朝の事情を知らないからそんな事が言えるんだ。
一度俺の立場に立って体験してみろ。」
「うぐぅ、そう言われても・・・。」
困った様な顔にあゆはなる。
どうも様子が変だ。昨日とはまるで違う。
「あゆ、何か隠してるな?」
「う、うぐぅ、そんなことないよ。」
「顔に書いてあるぞ。油性ペンキででかでかと。」
「そんなわけないよ。」
冗談は乾いた笑いにさらりと流された。
間違いない。あゆは何かを隠している。俺に言えない何かを。
「何を隠してるんだ。言ってくれ。」
「・・・・・・。」
真剣な俺の目つきにあゆは考え込む。
だがしばらくして、決心したように顔を向けた。
「本当は言いたくないんだけど・・・でもボクは言うよ。」
「そうか、すまないな。・・・で、言いたくないほどの隠し事ってなんだ。」
「隠し事じゃないんだけど・・・。昨日、偶然名雪さんと会ったんだよ。」
「名雪と?」
思い返してみるに、昨日の名雪の帰宅時刻はそれでもおかしくなかった。
部活終了後に商店街へ寄って・・・それであゆと出会ったのだろう。
「それでね、ボク話しちゃったんだ。祐一君とこんな相談してるって。」
「なんだと!?お前なあ、そういう事は言っちゃ駄目だろ・・・。」
本人に直接聞けないからこうやって他人に相談したというのに。
ばらしてしまったら元も子も無い。
それどころか、名雪自身に凄く気をつかわせてしまうことになる。
なるほど、だから昨日あいつの顔が妙に印象的だったんだ。
「うぐぅ、ごめんなさい。」
「まあ話してしまったことは仕方ないが・・・それで、何だって?」
「う、うん。名雪さんが最近朝極端に弱くなったのは・・・。」
「なったのは?」
「・・・ゴメン、これ以上はボクの口からは言えないよ。」
「は?」
「ほんとにゴメン、祐一君。」
申し分けなさそうにあゆはうつむく。
とにかく昨日あゆは名雪から遅くなってる原因を聞いた。
しかしそれは俺に対して明かせないことらしい。
ということは・・・朝に弱いのは部活の所為じゃ無いってことか?
「あゆ、どういう事なんだ。話してくれ。」
「だからこれ以上は、ボクの口からも言えないよ。
名雪さんと約束したんだ。絶対言わないって。
でも名雪さん言ってたよ。“これ以上は祐一に迷惑がかからないようにする”って。」
「なんだよそりゃ・・・俺が聞きたいのはそんな話じゃないんだ!
名雪はなんでそんな事を言う必要があるんだよ。
そりゃあ朝の事情を聞けば思うかもしれないけど・・・。
しかし、しかしだなあ!!」
とてもやりきれなかった。
あゆが話したのも原因だが、あゆに話した俺も原因の一つだ。
いや、名雪を朝に起こそうなんていう事を考えたのがそもそもの原因か・・・。
「ゴメンね、祐一君。」
「謝るな、あゆ。辛くなる。」
「・・・・・・。」
「はあ、こうなるともう今日はお開きだな。俺もう帰るよ。」
とぼとぼと歩き出そうとすると、あゆが俺の袖をくいっとつかんだ。
「どうした?」
「祐一君、名雪さんの気持ちを考えてあげて。」
「考えてるよ。俺はただ、朝二人が快適に通学できるような方法を知りたかっただけなんだ。
ちゃんとまともに起きられたなら、それが可能だしな。」
もっともらしく言ってみたが、それはほとんど建前だ。
本当は、俺が楽に名雪を起こしたかっただけ。
“迷惑”か・・・。そう言われると、かなりきついな・・・。
「祐一君、これからどうするの?」
「・・・とりあえず名雪に謝る。」
「それは良くないと思うけど・・・。」
「名雪にとって良くなくても、俺がこのままじゃあ狂いそうだ。
とりあえず謝って、朝の事は気にするなと言う。
それで、再び考える。朝名雪を起こす方法を。だからあゆ、頼むぞ。」
俺のその言葉を聞いて、あゆは信じられないといった風に目をまるくした。
「祐一君、本気なの?名雪さんは、名雪さんは・・・」
「だから!“迷惑”だとか思われるとこっちも迷惑なんだよ!
名雪を朝ちゃんと起こすことは、この街に戻ってきた時からの俺の使命だ!!
そうだ、それでいいんだ。名雪には何がなんでも納得してもらう。
何をしてようが構わない、朝起きるのが遅くなっても構わない。
そんな細かいことをいちいち気にされるのはそれこそ嫌だ。それを俺は言う。」
「・・・・・・。」
半ばヤケになって叫んだ事を、あゆは唖然とした顔で全部聞いていた。
そのまましばらく続く沈黙。やがて・・・
「分かったよ、祐一君。ボクはもうこれ以上何も言わないことにする。」
「ああ、言うな。ただ、名雪に事情話す時はさすがに名前を出すぞ。」
「うん、それでいいよ。共犯だもんね。」
そういう表現は誤解を招くと思うが・・・。
「それじゃあまた明日な。今後どうするかを言いにくる。」
「うん。ばいばい、祐一君。」
手を振ってさよならする。
昨日の様なのんびりさはまるで無く、少しばかり重い空気が漂っていた。
時間は既に夕暮れを過ぎていた。日がすっかり落ち、辺りは真っ暗。
それだけあゆと長く話し込んでいたということだろうか。
空を仰ぎ見ると、たくさんの星々が輝いていた。
「祐一?」
不意に名前を呼ばれる。
正面を見ると、そこに居たのは名雪だった。部活がやっと終わったのだろう。
「よお。今帰りか?」
「祐一こそ・・・どうしてそんなに遅いの?」
尋ねては居るが、理由は分かっているような顔をしていた。
丁度いい、今ここで話してしまおう。
「名雪、一緒に帰りながら話いいか?」
「・・・わたし、寄るとこあるから。」
「だったら今話す。」
「後にして。」
すたすたと歩き出そうとする。しかし俺はその肩をがしっとつかんだ。
「大事な話だ。俺の一生に関わるんだ。」
「離して。わたし、祐一には・・・」
「頼む、聞いてくれ。今じゃないと多分ずっと話せない。」
両肩をつかみ、真剣な目つきをするとさすがに観念したようだ。
一つ息を付いて名雪は頷く。そして俺は、すべてを話した。
俺がとってきた行動に関する謝罪、名雪にしてもらいたいこと。そしてあゆの事・・・。
全部を聞き終えたあと、名雪はただ一言だけ告げた。
困惑しながらも、優しく穏やかな笑みを浮かべて・・・
「了承、だよ。」


エピローグ

「うぐぅ、捕まるぅ〜。」
「なんでお前は毎度毎度金を払わないんだー!」
「今日はたまたまお金がなかったんだよー。」
「昨日もそんな事言ってたじゃないか!」
恒例行事になりつつある食い逃げダッシュ。
それを俺とあゆはいつも通りおこなっていた。
「うぐぅ、いつも通りじゃないよぅ〜。」
「遅いぞあゆ、もっとしっかり走れ。」
「うぐぅ、祐一君が早すぎるんだよー。」
「ふっ、俺は毎朝鍛えられてるからな。」
今朝も名雪はイマイチな目覚めをかましてくれた。
なんとけろぴーを抱いたまま離さない。困ったものだ。
仕方なく学校までそのままで連れて行く羽目となり、執拗に目立ってしまった。
「そうだ祐一君、いい案を思い付いたよ。」
「なんだ、食い逃げの三十六計か?」
「うぐぅ、違うよっ!名雪さんを起こす方法!」
「何っ!?」
走りながら思い付くとは器用な奴だな・・・。
・・・そう、俺達は毎日のごとく名雪を上手く起こす案を考察していたのであった。
説得の甲斐あってか、秋子さんを真似た名雪の言葉により、そういう結果になった。
毎朝の様に名雪は寝坊。それでも俺は懸命に連れてゆく。
現在の所無遅刻という結果をたたき出しているから、大いに威張れることだろう。
しかしながら肝心のいい案というのは全く出ず。
自然な方法で自然に名雪を起こす、という理想までにはほど遠いものがあった。
「で、あゆ。どんな方法を思い付いたんだ?」
「うん、たい焼きをね・・・」
「却下。」
「うぐぅ、まだ全部言ってないのに・・・。」
「たい焼きなんてはなっから出る時点で却下だ!」
「うぐぅ、ひどいよ〜。」
走りながら、たい焼きを食いながら。物事を考えるというのはなかなかに楽しい。
いつ終わるともわからない事柄ではあったが・・・
いつまでもこのままで良いかな、とも思った俺だった。
「しかしなるべくなら本人も参加して欲しいんだが。」
「祐一君、それは言わない約束だよっ。」
「そうだな、そうだった。」
たまに、少し弱音を吐きつつ食い逃げしつつ。
こうして俺とあゆの時間は過ぎてゆくのだった。

<おしまい>


あとがき:そんなわけであゆシナリオ、でした。
少しわかりにくい部分もあるかもしれません。中途半端になってしまったかもしれません。
前半やけにのんびりしてたくせに、後半突っ走ってしまいました。
むう、まだまだ甘いな・・・。
このあゆシナリオではある真実に少しだけ触れてます。ここでは秘密ですけどね。