そうして歩く事数分。イヴがふと足を止めた。
真横に見えたショーウィンドウに飾られている人形が気になったのだろう。
両の手をガラスにぴたりと引っ付けている。
「どうした。何か欲しいものでも見つけたか?」
「・・・・・・。」
口を半開きにしたまま、イヴはそのまま人形を見つめていた。
偶然にも服装が同じ人形。そして、髪型も。
更には顔の形までそっくりであった。
「これは・・・。へえ、イヴによく似てるなあ。」
「・・・・・・。」
「欲しいのなら買ってやるぞ。その為にわざわざこんな裏通りまで来たんだからな。」
「ほんと?」
くるりとスヴェンのほうを向くイヴ。
なんとも嬉しそうなその顔は、欲しいと言っているも同然であった。
「ああ。さて、値段は・・・。」
彼女の気持ちを察したのか、早速値札を見るスヴェン。
だが、その次の瞬間には表情がこわばった。そして体の動きも止まる。
「どうしたの?スヴェン。」
「・・・イヴ、済まないが俺には手が出ない。」
「そりゃそうだよ。ガラスごしじゃあさわることなんてできないよ。」
「そうじゃなくてだな・・・。」
実は人形の値段は、目が飛び出るくらいに高かった。それこそ0の数がとんでもない。
そんなものを見てしまってはどうしようもない。必死に言い訳を考えるスヴェン。
欲しければ買ってやるといった手前、堂々と“金が足りないから買えない”と言えないのだろうか。
しかし、結局は素直に理由を告げ、彼はとぼとぼと店の前を去るのであった。
少し残念そうな表情を浮かべながらも、何事もなかったかの様に歩き出すイヴの後を歩く形で。
しばらくして、今度は本屋の前でイヴが足を止めた。
別にショーウィンドウに惹かれたわけでも無い様で、店の中へ入りたがっているみたいだ。
「たしかこの本屋は・・・。よし、入ってみるか。欲しいものがあったら言えよ。」
「?・・・うん。」
スヴェンには何やら思惑がある様子。
だが、イヴはそれを少し不思議に思っただけで、するりと店の中に入っていった。
もちろんスヴェンもその後に続く。
中は大して広くなく、種類などてんでバラバラに本が積まれているだけだったが、
イヴにとってはそれでも楽しいものであるらしく、片っ端からほんを広げたりしていた。
しかしスヴェンは真っ直ぐにカウンターへ向かう。
そこにはすっかり眠り扱けている店の主人が居た。
「おい、あの本はあるか?」
「・・・ん、おや、お客さんで。あの本とはなんですかい?ふあ〜。」
すぐに目を覚ました店主は大きな欠伸をしてスヴェンに聞き返す。
すると、彼はカウンターの上にある紋様を描き始めた。
指で描いているものだから当然形が出来上がってくるものではない。
それをじっと見ていた店主は“あーあー”と頷いた後に首を横に振った。
「残念だが既に売り切れちまったよ。ちょっと遅かった様だね。」
「そうか・・・。」
店主の答えに、残念そうに俯くスヴェン。
彼が描いたのはこの店独特の合言葉のようなものかもしれない。
「ねえ、あのほんってなに?」
「ん?ああそれはね、お嬢ちゃん・・・」
「い、言わなくていい!」
いつの間にか傍にやってきていたイヴに、“説明不要だ!”と店主を遮るスヴェン。
苦笑している店主は、話を逸らす様に別の質問をした。
「その本、買うのかい?」
イヴが両手で大事そうに抱えている一冊の本。
真っ黒な表紙に、イタリック体でとある文字が書かれている。
こくりと頷いたイヴだったが、スヴェンはその本が気になった。
「ちょっとそれ見せてみろ。」
「・・・かっちゃだめ?」
「そうじゃない。中身が気になるんだ。」
言われてイヴがスヴェンに本を差し出し、彼はそれをぱららっとめくる。
だが、読める文字が一切無い。まったく見た事の無い文字だけが並んでいる。
しばらく眺めているうちに、その本が別世界から迷い込んできた感覚に襲われた。
開いたままの状態で店主に向け、尋ねる。
「これは何の本だ?」
「ああそれは・・・何でしょうねえ。」
不思議そうに首を捻る店主。どうやら彼はこの本を知らないと見える。
少なくとも、得体の知れないものであるのは間違い無いらしい。
さすがにうかつには扱え無いと思ったのか、スヴェンは本を閉じてカウンターに置いた。
「なあイヴ、本当にこの本が欲しいのか?」
「うん。」
「ある日突然襲いかかって来るかもしれないぞ。」
「・・・?」
スヴェンとしては、なるべく買いたくなかった。
たしかにイヴが欲しいと思ったものではあるが、ともかく怪しい本だ。
文字が読めないうえに店主にも分からないときた。
こういうものは、大抵曰く付きの本であったりするのだが・・・。
もっとも、“襲いかかって来る”などというお伽話めいたものでは説得になるものでは無いだろう。
少しばかり必死になっているスヴェンを見て、店主は心の中で笑っていた。
「スヴェンがそういうのならやめる。」
「そうか。じゃあこれを返して・・・ん?」
イヴの説得に成功した様だ。だが、スヴェンがカウンターを見た時、その本は消えていた。
「おい、今置いたあの本はどうした。」
「そういえば・・・見当たりませんねえ。誰か別の人を襲いに行ったんじゃ?」
「・・・・・・。」
ふざけているのか、店主は笑いをこらえながら説明をした。
だが、やはり黒い本は見当たらなかった。ふうとため息をついたスヴェンは、
「じゃあな。」
と、不機嫌そうにイヴの手を引っ張り、踵を返した。
そして、名残惜しそうに振り返る彼女に構わず店を出たのである。
「ねえスヴェン、あのほんどこへいったの?」
「さあな。」
下手に関わら無い方がいいと思ったのか、スヴェンは詳しく答えようとしなかった。
イヴはそんな彼を見ながら、そして本屋を振り返りながら、何度も首を傾げていた。
三度目、イヴが立ち止まったのはこぎれいな飾り物が置かれてある店だった。
俗に言うファンシーショップとかいうものだろうか。
幾種類ものアクセサリがショーウィンドウに並べられている。
「やっぱりこういう店に行きつくものなんだな。」
少しホッとしてスヴェンが頷いていると、イヴはちょいちょいと裾を引っ張った。
「あれ。」
「ん、どれだ・・・。」
欲しいものが早速見付かったのか、イヴがあるものを指差す。
それはあんまりきらびやかでもなく、他の物に比べれば一見地味なブローチであった。
楕円形のそれに波の紋様が描かれている。だが、それ以外は何も無い、普通のものだ。
「・・・あのブローチか?」
「うん。」
「随分と地味な・・・。まあいい、値段も御手頃だし、イヴが欲しいと言うなら。」
早速店の中へと足を踏み入れる。
こじんまりとした品並びに、幾人かの客がいる程度だったそこは随分と落ち着ける。
だが、早々に用事を済まそうと、スヴェンは真っ直ぐにカウンターへ向かって行った。
「店の前に並べられてるブローチが欲しいんだが・・・。」
「わかりました、少々お待ち下さい。」
店主は丁寧に頭を下げ、そして外へ向かった。
そして、一分と経たないうちに品物を引っさげて戻ってくる。
「これですね。」
「ああ。・・・まて、何故これだと分かった?」
「ブローチと名のつくものはこれ一つなのですよ。」
「そうか・・・。」
不思議に思ったスヴェンだったが、もっともな答えに安心した。
そして、代金を支払い、品物を手渡されると同時に少しの安堵感を得る。
今まで何がしかの障害の為に買うものも買えなかったわけだが、やっとそれが出来たのだから。
「イヴ、それじゃあそろそろ帰・・・って、どこ行った?」
店の中に居たはずの彼女がいない。一緒に入らなかったのだろうか?
いや、そんなはずはない。たしかに彼女はスヴェンとともに店の中へ足を踏み入れた。
ということは先に出たのだろうか?
しかし、いつもスヴェンが先導していた事を考えるとそれもありえない。
「まさか・・・。」
考えられるとすれば誰かに密かに連れ出されたという事。
一瞬のうちにそれを頭の中に廻らせ、慌ただしく品物をポケットに突っ込むと彼は店を飛び出した。
その途端・・・
ずでん!
何かに引っかかったのか、彼は思いきり前にこけてしまった。
「つう・・・ん?」
起き上がろうとしながらも転んだ原因を探る。
と、それは後ろで衣服を掴んでいる少女だと分かった。
「イヴ!どこへ行ってたんだ!」
「みせのなかにいたよ。そしたら、スヴェンがあわててかけだしたから。」
「そんな馬鹿な・・・。」
ゆっくりと体を起こすスヴェン。それと同時に店の中の状況を思い返していた。
―――品物を受け取っていた時、たしかにイヴは店の中に居なかった。しっかりと見回したし。―――
という事がまず浮かんできた。そう、彼の確認は間違いなかったはずだ。
考えこんでいる所へ、イヴがゆっくりと口を開く。
「ゆびわ・・・。」
「指輪?」
「そう。みえなくなるゆびわ、っていうのがあって、それをつけてみたの。
でも、いくらまってもなんにもみえなくならなくて・・・。
そのときだよ、スヴェンがはしりだしたの。」
「・・・・・・。」
どうやら、不思議な不思議な指輪をイヴがつけていた事が原因の様だ。
しかし、スヴェンはそんな話などまっすぐに受けとめる気もなかった。
“そんな馬鹿な。やっぱり俺が見落としていたんだ”と。
それでも、イヴの真っ直ぐな瞳を見て、再び店の中へ。
そして問題の指輪をつけてみたものの、やはり見えなくなるという事はなかった。
「・・・さて、そろそろ帰るか。」
「うん。」
妙な気分になりながらも店を後にする二人。
結局買ったものはブローチ一つだけだったのだが・・・。
「ねえスヴェン、ブローチかして。」
「おっ、そうだったな。さっそくつけて・・・あれ?」
スーツに数多く有るポケットを探る。だが見付からない。
「どうしたの?」
「それが、ブローチが見付からなくて・・・。」
慌てて何度もポケットに手を突っ込む。
挙句のはてに全てを裏返してしまったりもしたが、結局ブローチは出てこなかった。
「きえちゃったね。」
「そんな馬鹿な。たしかにここに入れ・・・あっ!」
思いだしたように立ち止まるスヴェン。それにつられてイヴも止まった。
「もしかしたら転んだ時に・・・。」
「ころんだの?どこで?」
「あの店の前だ。そうか、うかつだったなあ・・・。」
どうやら、勢い良くこけたひょうしにポケットから飛び出してしまった様である。
慌てて後ろを振り向き、駆け出して行こうとしたスヴェンであったが・・・。
「もういいよ。」
と、イヴに裾を引っ張られた。
同じ様に危うくこけそうになった彼であったが、今回はなんとか踏みとどまる。
「もういいって・・・どういうことだよ。折角買ったのに欲しくないのか?」
「ううん。こうしてスヴェンといっしょにおみせをまわっただけでもたのしかったから。」
微笑を浮かべるイヴにしばらく黙っていたスヴェンだったが、やはり諦め切れ無い様子だった。
「だったらなおさら、取りに戻ろうぜ。探し出せばもっといい思い出になる。」
にやっと笑って言われたそれに最初は困惑してい彼女だったが、やがて・・・
「・・・うんっ。」
と大きく頷いた。そして二人は戻って行く・・・。
結局、探し物は見付からないままに日が暮れてきた。
残念そうな顔のまま捜索を打ち切った二人ではあったが、それでも満足げに裏通りを後にする。
祭りの日には掘り出し物があるというのは、なかなかに的を得ていた様である。
余談:二人が購入しようとしていたブローチは、翌日再び同じ店のショーウィンドウに並んでいたとか。
≪おしまい≫