『運びと謳と…』

「そ、それでは、観光案内を始めさせていただきます」
 強張った面持ちで開始宣言。黒いゴンドラの上でオールをひるがえし、水無灯里は緊張という名の壁に耐えながら、ゆっくりと風を切り始めた。
「ああ」
「よろしくお願いしますね」
 ぶっきらぼうに、またにこやかに、返答するのは今まさに同乗している客人の男女二人。男の方は、つんつんした黒髪をバンダナでまとめあげ、これまた黒のロングジャケットに身を包んでいる。のんびりのネオ・ヴェネツィアにあまり似つかわしくない、険しくも油断ならぬ目つきの奥底に、いくつもの修羅場を潜り抜けてきた事を物語る光を宿す。陰のある表情は、どことなく近寄りがたい雰囲気があった。女の方は、男とは対照的なまでの明るい笑顔と、希望と期待に満ち満ちた瞳。特徴的なウェーブのかかった跳ねるような前髪と、後でまとめた団子ヘア。明るい桃色の、スーツのようにフィットした服が体のラインを強調している。そんな異色の二人であったがゆえ、街中では随分と目立ったことであろう。
 灯里が彼女らと出会ったのは、例の如くの個別指導真っ最中の時であった。半人前である彼女に直接ARIAカンパニーへ指名がくるなどは相当稀な事ではあるが、もちろんそれは外に出てもそう変わるでもない。実は、観光案内と宣言はしたが、本当の目的はマルコポーロ国際宇宙港へ二人を届けること。案内できる人を探している二人から、たまたま声がかかったという事であろう。もちろん、ただ移動するだけではなく、ゴンドラでの観光もしたいということ。それを二つ返事で(やはり緊張のぬぐえない声で)受けたのであった。
「灯里ちゃん、もっとリラックスよ」
「は、はひっ」
 舟に乗り込む前に、アリシアはいつものアドバイス。それでも、やはり灯里の緊張はぬけない。お客さん相手にはまだまだ自然体でもいられないのである。
 ただ、ゴンドラを漕ぎ出せばやはりウンディーネ。楽しさと幸せを全身から滲み出しながら、灯里はその使命をまっとうするのであった。すれ違う幾多のゴンドラにもぶつかることなく、角にくれば“ゴンドラ通りまーす”の掛け声。いわゆる、なりきりで日常練習の成果を出せているに違いない。

「……ゴンドラって、観光用だけじゃないんですね」
 いくつもの舟とすれ違う中、荷物運搬のゴンドラが横を通りすぎたところで、ぽつりと女性客がつぶやいた。ゴンドラと聞けば、観光のためのものというイメージが強かったのだろうか、ちょっと意外そうな顔である。
「はい。先ほどのように荷物を運搬したりもそうなんですが、郵便配達のためだったり、お祭りの屋形船だったり……。ここネオ・ヴェネツィアは水の町ですから、主な移動手段となっているんです。だから、観光じゃなくても普段の生活で当たり前に見ることができますよ」
「へえ〜」
「ほほう……」
 目を輝かせて灯里の説明を聞く女性客。それまで、対照的に無言のまま頬杖をついていた男性客も、ついと灯里を向いて反応の声を上げた。今までずっと無反応であった彼にちょっとだけ切なくなっていたが、こういう態度を見せてくれれば、そんな気持ちも吹き飛んでしまうというものだ。
 やや進んだところで、灯里は丁度観光案内どころに差し掛かる。うっかりしてしまいそうな咳払いを引っ込め、すかさず解説を始めた。
「お客様、ここより程近いカンポ・サン・ファンティンに面してフェニーチェ劇場が建っています」
「フェニーチェ劇場?」
「はい。ヴェネツィアと歌劇の関係は古く、フェニーチェ劇場はその当時の文化を今に伝える、シンボル的な劇場なんです。それはヴェネツィアにとどまらず、広くヨーロッパとしての中心的歌劇場としての地位が確立されていました」
「へええ……」
 優雅に手をさしての解説。女性客はもちろん夢中で、アリシアもアリア社長も、一緒になって彼女の案内する建物に注目している。ところが、それにあまり興味なさそうなのは男性客。もちろん完全に最初から無視を決め込んでいたわけではないのだが、さっきのゴンドラ解説からは打って変わっての態度。途中からはまったくの別方向を見やっている。しかしそれも、妙なものが視界に入ってきてからはただぼーっとしているだけではなくなっていた。
 ついさっき、ゴンドラについてあれこれと解説を聞いたそば、その多目的ゴンドラの一つが今前からゆっくりと迫ってきている。白い大きなゴンドラ。が、それに乗員は見当たらない。無人で動いているのなら機械仕掛けか何かだろうが、そんな様子がまったくないのだ。
「なあ、あれはどういう目的のゴンドラだ?」
「ほへっ」
 不意の男性客からの質問。頭の中のマニュアルを掘り起こしつつしていた解説が間の抜けた声と共に中断された。彼が指す方向に他の面々は一斉に注目する。
「へええ、あんな無人のゴンドラもあるんですねぇ」
「お客様さすがにそれはございませんが……」
「ぷいにゅ」
 素直に見たままの感想を述べる女性客に、アリシアとアリア社長がつっこみの言葉を入れた。もちろんアリシアにとってみれば、今眼前を行くのは紛れも無く観光用の白いゴンドラ。見慣れたそれが無人で運行などありえるはずはなかった。
 と、皆よりは高い目線の灯里が(立って漕いでいるのだから当然であるが)そのゴンドラの主を発見し、ぎょっとした。褐色の肌、輝かんばかりの銀髪、オレンジぷらねっとの制服……。震える手で思わず指差してしまう。
「あ、アテナさん!」
「アテナちゃん?」
 灯里の声に反応し、アリシアも声を上げた。慌ててゴンドラを傍に寄せる……いや、寄せたのはアテナが乗っているゴンドラ。肝心の彼女はぴくりとも動かない。何か事故があったのだろうか、これは一大事である。
 急いで、お客を巻き込んでの誘導。“やれやれ、薮蛇だったか”と呟きながら、一番要領よく力を発揮してくれたのは男性客であったりする。
 改めてゴンドラを見やると、うつぶせの状態で中に倒れこんでいるアテナの姿がそこにあった。ぴくりとも動かない――わけではなくて、やや上下に体が動いている。定期的なそれに、女性客はぽつりと呟いた。
「ひょっとして……眠ってます?」
「はひ?」
 恐る恐る灯里が顔を近づけると、静かな呼吸音が聞こえてきた。すー、すー、緩やかな流れ。が、しばらくとせぬうちにぴたっとそれは止まる。そして、その呼吸の主はゆっくりと体を起こした。その彼女の目の前には見知った顔。
「あれ? アリシアちゃん? と、灯里ちゃん?」
「あらあら、おはようアテナちゃん」
「うん、おはよー」
 緩い挨拶を交し合うプリマ二人。仮でなくともお客様が傍にいるのに、この呑気な会話はなんなんだろうと、灯里は首をかしげずにはいられない。
「ったく、人騒がせだな……」
「でも眠っていただけでよかったです。それこそ、大怪我で意識を失っていたとかじゃないですから」
 手伝いによって観光を中断された客二人は心なしかほっとしたような声をあげた。
「あっ、す、すみませんお客様。ご案内の途中なのに……」
「ぷいぷい」
 慌てて灯里、そしてアリア社長がお詫びの言葉を挟む。しかし、二人は気にして無いといわんばかりに首を横に振った。たしかにアクシデントではあったが、悪いものを見たわけでもないという事である。
 そんなやりとりを横で聞きながら、アテナは事情を察知した。黒いゴンドラ、お客様、という事は……。
「もしかして、灯里ちゃんのお仕事邪魔しちゃった?」
「うふふ、そうよ。灯里ちゃんにご使命があったの。凄いでしょアテナちゃん」
 アテナの侘びにアリシアがにこやかに回答。だが微妙にかみ合っていない。また、慌てて灯里はそれに返答を重ねた。
「あ、は、はひっ、あの、全然気にしないで、なんて私が言っちゃいけなくて、でも、あの……」
 お客とアテナを交互に見ながらしどろもどろ。その光景を見て、女性客はくすくすと笑った。
「ですから、気にしなくていいんですよ。あ、でもそちらの方の……」
「ああ、顔に怪我してるな」
 ぼそっと吐き出される男性客の言葉。顔という事に、慌ててアリシアと灯里はアテナを見やると、その中心部からつっと赤い雫が一つ落ちかけていた。
「大変。アテナちゃん、お鼻を切ってるわ」
「はわわわわっ、絆創膏絆創膏!」
「ぷいぷいにゅーっ」
 肝心の怪我をしている本人は、わけもわからずおろおろ。対するARIAカンパニーの面々の慌てようは実に対照的である。
 やがて……灯里ご持参の救急箱により、その場はなんとか収まった。ペタリとバンドが貼られたのは、目と鼻尖の境、丁度坂になっている辺りである。顔の真ん中ででっかい目立つそれを手鏡で見て、アテナはちょっと肩を落とした。
「すいません、本当に絆創膏しか無くて……」
「ううん、いいのよ。ありがとう」
 申し訳なさそうな灯里に、アテナは笑みを浮かべて応えた。元々は自身の不注意で起こした怪我。他者に謝られるようなことではないのだから。
「それにしても、どうしてこんなところでうつぶせになってたんですか?」
 心配そうな女性客の目線。これまた先ほどの灯里に劣らず申し訳なさそうに、アテナはポツリと事情を話し始めた。
「ごめんなさい。実は最近寝不足で……。お客さんを案内して会社へ帰っている最中に、ついがくってきちゃって、そのままばったり」
「それで、眠ってしまっていた、と」
「ええ。まさか灯里ちゃんの、しかもお仕事中に拾われるなんて思ってもみなかったけど」
「そりゃそうだろうな」
 無遠慮な男性客の感想。たしかに仕事中に助けられるなどまず無い経験。いやそれ以前に、ゴンドラ漕ぎの最中に寝不足で倒れるなど予想できるものでは決してない。
「お詫びと言ってはなんですけど、舟謳を歌わせていただいていいでしょうか」
「アテナさん?」
 意外な申し出に、灯里は、そしてアリシアも目を丸くした。
「折角の観光案内の最中に不快な思いをさせてしまったわけだし……。その、灯里ちゃんのゴンドラの後ろから、BGMみたいに聴いていただければ。って思うんですけど……」
「そんな、不快だなんて。でも、いいですね舟謳。是非聴かせてください」
「ありがとうございます」
 女性客による笑顔の回答に、ぺこり、とアテナは頭を下げた。
「というわけで灯里ちゃん、ちょっとお邪魔しちゃうけど……いいかな?」
 訪ねてはいるが、完全な事後承諾であるのは間違いなかった。しかし、名誉挽回(?)故の行動でもある。更に言えば、アテナの歌をBGMに観光案内。こんな機会は滅多に無い、と灯里は大きくOKとして頷いた。
「ええ、もちろん私は構いませんけど……大丈夫なんですか? 寝不足なんじゃ……」
「それならたっぷり寝たから大丈夫よ」
「たっぷり……」
 たっぷりとはゴンドラで倒れていたことを言っているのだろうか。あの状態で熟睡できるのも凄いが、それを睡眠時間に換算して問題ないのもまた凄い状態ではある。更に言うなれば、それほどの長時間、よく事故にも発展せず過ごせたものであると表現せざるをえない。びっくりしながらも、アテナの凄さ(?)を思い知った灯里であった。
「うふふ、決まりね。さあ、目的地に向かいましょう」
「ぷいにゅっ」
 笑顔でアリシアが立ち上がる。アリア社長が出発の音頭をとる。こうして、ARIAカンパニーの観光案内の後に、オレンジぷらねっとの舟謳が流れるという、珍妙な二艘のゴンドラが航行を始めるのであった。



 微風が舟をかけぬける。前からのそれを感じているそばから、背後からはこの世のものとは思えぬほどの美しい謳声。天上の謳声(セイレーン)の通り名を持つアテナによる舟謳(カンツォーネ)に、近くを通りがかる誰もが振り返る。その中でも、灯里は持ち前の知識を用いて観光案内を続ける。それに目を輝かせながら、そして時折うっとりしながらの女性客。無愛想な男性客の方も、表情を緩ませて静かに謳を堪能していた。とはいえ……。
「え、えーと、あちらに見える大鐘楼は、サン・ミャル……じゃなかった、サン・マルコ広場に立つもので、えー、マルコポート国際宇宙空港……違う違う、えー、マルコポーロ国際宇宙港まであと少しです、はい」
 しきりのどもりが抜けないまま、灯里はここまでゴンドラを漕いできた。何といってもアテナの舟謳BGMつきなのだ。出発する直前までは彼女の申し出をいい案だと思っていたのだが、まさか自分が影響を多大に受けるとは思ってもいなかった。
 ゴンドラを漕ぎ出した途端、ゆっくりとその後に付き従う白いゴンドラ。そして同時に、BGM並みに配慮した大きさの舟謳。灯里の解説をしながら、かつ遠くで響く、それでいて決してかき消されない力強さ。また、場面場面での気配りで謳を止めたり、開始したり。さすがプリマだけある、三大妖精の実力というものを、灯里は暗に思い知ったのであった。
「灯里ちゃん、リラックスよ」
「は、は、はひっ」
 小声で何度アリシアに言われただろうか。繰り返されたそれはもはやほとんど効果がなく、灯里はカチンコチンのまま……。そして、舟は目的地に到着した。

「で、では、お客様、お手をどうぞ」
「ありがとうございます」
 舟を降りる手助けを行い、客人二人を誘導。終始緊張しっぱなしの灯里ではあったが、なんとか目的は達成できた。とはいえ、まだ気を抜くことはできず、やはり固い。それでも、女性客は笑顔であった。ぺこりと頭を下げ、ここまでの行程のお礼を告げる。
「本当に楽しかったです。案内とっても楽しかったし、謳も素敵だったし」
「ほへ……あ、いや、あの、でも、すいません、ずっと私緊張してて、下手な案内になっちゃって」
「いいえ、下手じゃありません。だって、相手を楽しませるっていう貴女の想いが伝わってきたし。実際本当に楽しかったんですよ、私。だから、自信を持ってください」
「は、はひっ、ありがとうございます」
 緊張で慌てながらも懸命な、灯里の姿が女性客には眩しく映ったのであろうか。彼女にとっては、結果そのものよりも、頑張る姿が大事であったかもしれない。遅れて挨拶しに来たアテナに対しても、女性客は存分な笑顔で頭を下げた。
「素敵な謳声、ありがとうございました」
「ありがとうございます。楽しんでいただけたのなら何よりです」
 笑顔でアテナもお辞儀で返す。素直にお客の喜びを受け取り、それを自身の糧とすることはある意味大事な事だ。灯里はそこを噛み締めて、改めて女性客へ笑顔でお辞儀するのであった。
「これが料金だ。そっちの舟謳を歌ったあんたの分もな」
 男性客は、ぶっきらぼうにお金を取り出すと、丁度手の空いていた(?)アリシアに料金を手渡した。意外な言葉に、アテナはぶんぶんと首を横に振った。
「そんな、あれは私のお詫び代わりで……」
 申し訳なさそうな彼女に対し、男性客はぶっきらぼうに返した。
「細かいことは気にするな」
「そうですよ、受け取ってください。そうだ、折角ですから……」
「おい」
 何かを思いついた女性客を男性客が止める。そして、宇宙港の方をくいっと指差した。
「それじゃあとっとと行くぞ」
 言うそばから、女性客の手を引っ張ってゆこうとする。だが、それでも構わず、女性客は灯里達に向かって言葉を続けた。
「最後に、お返しと言ってはなんですけど……」
「おいセレナ」
「いいじゃないですか、カミーユさん。とっても素敵な時間を体験できたんですし。それに、私にできることはこれくらい……」
「ったく……」
 言い出したら聞かないのか、それとも彼女の笑顔には適わないのか、カミーユと呼ばれた男性客は、額に手を当てて“勝手にしろ”と、つかんでいた手を離した。するとやはり笑顔を浮かべて、セレナと呼ばれた女性客は、改めて灯里達へと向き直った。
「舟謳じゃないんですけど、私も謳を嗜んでいるんです。ささやかなお礼として、一曲聴いてくださいますか?」
 不意の申し出に、灯里含め一堂は意外な顔を浮かべた。謳に謳でのお礼、という事は実に珍しい。笑顔のそれに、快く面々は返事をする。
「はひっ、もちろん喜んで!」
「謳でお礼をいただけるなんて、とても嬉しいです。是非お願いします」
「とっても楽しみだわ」
「ぷいにゅーっ」
 疑う余地の無い満場一致。笑顔で“ありがとうございます”と一礼すると、立ったままのその状態で、セレナは一呼吸。そして、音を紡ぎ始めた。

…………



 最初はゆっくりと、ただゆっくりと。

 全身から、命の声を震わせる。

 透き通った響きは、振動となって深く深く染み渡ってゆく。

 まるで空のように、どこまでも広がる謳。

 人が、鳥が……

 水が、大気が……

 そして、星が……

 すべてを包み込むほどの、抱えきれないくらいの大きさ。

 世界が懸命に鼓動する。

 時が一緒にリズムを刻む。

 やがてそれらは一つに収束して……

 当たり前のような日常に舞い戻った。

 何気ない一つの、気持ちという癒しを手にして。

…………



 最後に、一息分をついて、セレナは謳を終了した。多少息衝かれしてはいたが、やはり笑顔を浮かべて。
「おしまいです」
 終わりの宣言と共に一礼した。
 そして刹那、面前の一堂は拍手喝采、である。
「す、すごいっ、凄いですっ、お客様!」
「とっても……素敵な謳ですね……」
「私、感動しました。こんな……こんな凄い謳が歌えるなんて……」
「ぷいぷいっ、ぷいにゅー!」
 口々に、賞賛の言葉が述べられる。しかも言葉だけではなく、そこに込められた感情の幅広さが、セレナの謳に対する想いが存分にこめられていた。ただ言葉で言い表せるわけではない、あまりにも大きな感動。本当に思いを直接に伝えられるならば、直にそれを行いたいくらいだ。
 そんな感慨に浸っている十分な時を待たずして、カミーユは待ちくたびれたようにセレナの手を引っ張った。
「おいっ、セレナ。もう行くぞ」
「あ、はい。それじゃあ皆さん、お元気で」
 ぺこりと頭を下げると、セレナはカミーユと共に走り去っていった。宇宙船の時間が押し迫っているのか、それとも元々急いでいたのか。どちらにせよ、不思議な余韻をその場に残したまま二人は行ってしまったことには変わりない。姿が消えるまで、ウンディーネ達は手を振りながら見送っていた。
 やがて、人ごみに紛れて二人が見えなくなると、それぞれのゴンドラへと戻りにかかる。
「さあ灯里ちゃん。練習の続きをしましょうね」
「はひっ! 私、もっと練習して、ちゃんと接客できるように頑張ります!」
「あらあら」
 後半緊張しすぎていたことを気にしての発言であろうか、灯里はびしっと姿勢を正した。ある種不可抗力でもあったそれだが、やはりまだまだ未熟だという自覚があったのだろう。そんな灯里を見やりながら、アテナはしばらく考え込んだ後にぽつりと呟く。
「私も……もっと、舟謳頑張らなくっちゃ……」
「ほへっ? アテナさんは十分凄いじゃないですか。あ、もちろん頑張るなってことじゃなくて、その……」
「アテナちゃん、ちょっと悔しかった?」
 ぶんぶんと細かい言い訳を加えながら灯里を通り越して、覗き込むようにアリシアが告げると、アテナは少しの思考の後、ゆっくりと小さく頷いた。
「悔しい……とはちょっと違うかもしれないけど、でもあんな謳は初めてだったから。まるで、心だけに留まらずに体全体が癒されるような……」
 真剣な面持ち。灯里に負けぬくらいに、ぐっと気合を入れている姿に、相当刺激を受けたのが分かる。変わらずにアリシアが“うふふ”と笑う一方、灯里はわけも分からず、ただはれはれと交互に二人の顔を見ているばかりであった。
「ぷぷいっ?」
 と、そんな光景を下から見上げていたアリア社長には気付いたものがあった。それは、一枚の絆創膏。ついさっきの時間、灯里が使用したものだ。それは、今アテナの顔にあるのだが……。
「ぷいぷい」
「アリア社長?」
 いてもたってもいられず、アリア社長は灯里の裾を引っ張った。そして、手で懸命にアテナの方を指さす。灯里がそちらをじっと見やると、彼女に貼った絆創膏が、今にもとれそうになっていた。
「ああ、なるほど。アテナさん、絆創膏取れかかってます」
「え? ああ、ほんとだ。いつの間にはがれたんだろうね。ぷらぷらしてるとみっともないから……オレンジぷらねっとに帰ったらちゃんと手当てしておかないと……」
 笑いながら絆創膏を貼りなおそうとするアテナであるが、それを見てアリア社長は、今度はアテナの裾を引っ張った。
「ぷいぷいっ!」
「え? どうしたんですか、アリア社長」
 そんな彼の行動に、つられてアテナの顔を見たアリシアは思わず息を呑む。
「アテナちゃん……怪我、治ったの?」
「え? え?」
「ほ、本当ですっ! さっきまであった傷がきえてますっ!」
 思わず指を差して声を上げる灯里に、アテナはそのまま怪我をしてた部分を撫でた。すすっ、と指が滑る感触を覚える。“あれ?”と不思議に思いながら、もう一度指をなぞらせる。すると、やはり指はすすっと違和感無く滑ってゆく。
「いつの間に……」
 呆然、と呟くアテナ。今度は完全に絆創膏をはがしてみた。すると、そこにはいつもと変わらない顔がそこにある。アリア社長、アリシア、灯里がわいのわいのと不思議がる。その一方で、アテナは本当に不思議そうな面持ちで、マルコポーロ国際宇宙港を見つめ、そして空を見つめた。
「癒しの謳声(ヒーリング・ヴォイス)……」
 ぽそりと呟いたそれは、周囲の雑踏にかき消される。
「ん? 何か言った、アテナちゃん」
「ううん、何でもない」
 ふいと尋ねたアリシアに対し、アテナはゆっくりと首を振った。そして、改めて空を見つめる。天上の謳声……その名を冠する事の意味を広く深く考えながら……。

<いつまでも響く空の謳のやうに>


あとがき:
 四作目は、「空の謳」より、カミーユ&セレナでした。裏的設定としては、原作の後の話で、カミーユがセレナを無事に迎えに行って、星々を廻っている、という感じです(あくまで感じね、感じ。発信機どうとかっていうまずそうな設定は取り除いているという都合のいい設定で<爆)
 でもって、今回はオレンジぷらねっとへと舞台を移……そうと思ったんですが、やっぱりARIAカンパニー……でも中心人物は多分アテナさんじゃないかなぁ、と。
 そ、それにしても…描写、描写がぁぁぁぁぁ…。そろそろ、ちゃんと勉強するべきのような気がします。いつまでも面倒がっていてはだめだ!と思うのですがね…。
 それにしても、公開した日って第一稿作ってから既に一年以上経過してるではないかぁぁぁぁぁ!ってのは内緒です(汗)
2006・9・3

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