もう少しだけ


それはある朝の事。いつも通り始まるはずだった一日。
シャオは一番に起きだして部屋から出たのだが・・・。
「なんだろう・・・頭がふらふらする・・・。」
何気なく額に手を当てると、かなり熱い事が自分でも分かった。
それでも歩こうとした途端に視界がぼやけたりもした。
ついに体を自分の力で支え切れずにその場にしゃがみこんでしまう。
「体が・・・だるい・・・。」
苦しそうに“はあはあ”と息をする。とても動ける状態ではなくなってきた様だ。
「ご飯、作らなきゃ・・・。」
こんな状況で?と誰もが思いたくなるような言葉を口にする。
とはいえ、こんな状態の彼女が動けるわけも無く・・・。
「シャオ!一体どうしたんだ!!」
「・・・那奈さん?」
階段の下で座りこんでいる彼女を見付けたのは、この家で最も寝起きが良いとされている那奈だ。
慌てて駆け下りて行くと、手早く部屋に連れて行くのだった。


「風邪、かなあ・・・。」
カチャカチャと食器を洗う音が鳴り響いている。それを行っているのは那奈だ。
普段から台所が嫌いな彼女ではあるが、シャオがあんな事態なので片付けをかって出たのである。
朝食はなんとか無事に終わったものの、学校にはとてもいける状態ではないのだ。
「風邪ならば問題は無いと思うぞ。少し休めば治るものだ。」
食後のお茶を啜りながらキリュウがのんびりと答える。
この場に居るのは那奈と彼女だけ。
朝の職員会議の為にルーアンは一足先に家を出たし、
太助はといえば、部屋で横になっているシャオの傍にいるのだ。
「少し休めば、かあ・・・。シャオの事だから無理したりするんじゃ・・・。」
「なるほど、一理ある。」
那奈の心配事に冷静に答え、“ずずずず”と再びキリュウがお茶を啜る。
“まったくこいつは・・・”と呆れながら、那奈は残りの食器を洗いにとりかかるのだった。

一方太助。既に制服に着替えて準備万端。
額に濡れタオルをあてて横になっているシャオを心配そうに見つめていた。
「気分はどう?」
「まだ、あまり・・・。」
「そうか・・・。」
熱の所為か、いつもより顔が数段赤いのが見てとれる。
素直に不調を訴えているシャオを見て、太助の心はかなり不安でいっぱいだった。
ただの風邪だろうか?もしかして精霊特有の悪い何かじゃ・・・。
様々な考えに頭を廻らせていると、それを読みとったのか、シャオが口を開いた。
「すみません、太助様・・・。」
「え?な、なんで謝るの?」
ふいっと現実に引き戻された太助の顔は、あたふたと焦り気味である。
「太助様に心配をかけてしまって・・・。」
「何言ってんだよ。シャオが病気で寝込んだら心配するのが当たり前じゃないか。」
「でも、学校に・・・。」
「そんな事まで気にしなくていいってば。とにかく今日は安静に、な。」
「はい・・・。」
しっかりと受け応えはしている太助を見て、シャオに安堵の表情が浮かぶ。
安心できるような答えを返してくれているからであろう。
「さてと。じゃあ俺、そろそろ学校へ行くから。」
「そう、ですね・・・。」
「おとなしく寝てろよ。」
「はい。」
「じゃ、行ってきます。」
挨拶を告げて太助が立ち上がって行こうとした時・・・
すっ
と、太助の制服をシャオの手がつかんだ。
布団の横から、弱々しくも清楚な手で・・・。
「どしたの、シャオ。」
「あ、あの・・・。」
「ん?」
「もう少しだけ・・・傍に居てください・・・。」
「・・・・・・。」
ビックリしたような顔で、太助はしばらく動けなかった。
まさかシャオがこんな事を言ってくるとは思ってなかったからだ。
「・・・分かった。後少しだけ。」
「はいっ。」
“少しくらいならいっか”と思い、太助は座り直す。
それと同時にシャオも手を制服から離して布団の中へしまいこんだ。
しかし別に話をするわけでもなく、お互い黙ったままである。
シャオは布団にくるまって横になったまま、太助はそんな彼女を見たまま。
互いに視線は少しずつも動いているが、どこかぎこちない。
たまに“ふっ”と目が合ったりすると、慌てて顔をそらしたりしているのだ。
「あ、あの、シャオ。」
「は、はい。」
「も、もうそろそろ行かなくちゃ。」
“間がもたない”という思いもあったかもしれない。
しかし、どうもこの場に居づらくなった太助は、せきをきったように立ち上がった。だが・・・
すっ
またしてもシャオの手が制服をつかむ。今度はズボンの裾だ。
「シャオぉ・・・。」
「すいません。もう少し、もう少しだけ・・・。」
俯きかげんに訴えているシャオの顔は真っ赤に違いない。
それに無意識に合わせてか、太助も顔を真っ赤にさせて座り直した。
「じゃ、じゃあ後少しだけ・・・。」
「はい・・・。」
再び二人だけのぎこちない時間が始まる。
ただ目をいろんな所へ向けつつ、お互い合えばすっと顔を逸らす。
そしてしばらくして太助が立ち上がろうとする。
するとシャオがすそをすっと掴んで“あと少し”と告げる。
周りから見ればまるで子供の遊びの様だが、
二人にとって、いつのまにかそれが楽しくてたまらなくなっていた。
「そういえば、前にも二人っきりで居た事があったよな。」
「梅雨の・・・時ですね・・・。」
「そう。あの時は皆から逃げるのに必死だったよなあ。」
「でも、今は・・・その必要もありませんよね。」
「ああ、そうだな。」
「・・・太助様。」
「ん?」
「あと、少しだけ・・・。」
「ああ、後少し居るよ。」
「良かった・・・。」
穏やかな微笑を残したかと思うと、シャオはすーすーと寝息を立て始めた。
さすがに疲れたのであろう。しかし、いつのまにか顔色は随分と良くなってる様だ。
「・・・この分なら大丈夫かな。今のうちに・・・あれ?」
随分時間遅れただろうな、と思いつつも学校へ行こうとする太助。
だが、ふと見ると自分の右手をぎゅっと掴んで離さないシャオの手があるではないか。
「まいったな・・・。シャオぉ、手を離してくれって。」
「むにゃ・・・太助様・・・。」
寝言で返事したシャオの握る力が更に強くなった。これはどうやら外せそうにない。
一人で困っていると、ガラッとふすまが開いた。
「あれ?太助、お前まだいたのか。」
「那奈姉・・・。いや、ちょっと成り行き上。」
「キリュウはさっさと学校へ行ったぞ。早く行かないと遅刻するんじゃないのか?」
「あれ?まだそんなにやばい時間じゃないのか?」
那奈の言葉に時計を改めて見ると、走ればまだ間に合う時間だ。
シャオと二人で過ごしていた時間はそれほど短かったのだろうか?
と、ぐるりと部屋を見まわした那奈がうんうんと頷いた。
「なるほど、その状態じゃあ学校に行けないよなあ。」
「へ?あ!いや、その、これは!」
シャオに握られた手を慌てて隠そうとしたり動かしたりする太助。
だがそれは、道化人の滑稽なパフォーマンスにしか那奈の目に映らなかった。
「いいからそのまんまそこに居ろ。・・・そうだな、あたしが学校に電話しといてやるよ。
七梨太助も風邪引いたみたいだから休みます、って。」
「ちょ、ちょっと待てって那奈姉!」
「うるさいな、寝ているシャオが起きるだろ?おとなしく待ってろ。」
ケラケラと笑いながら、那奈はふすまを閉めて部屋から去って行った。
片方の手を伸ばす太助の姿は、ぴしゃりと閉められた扉の前に遮られたのである。
「はあ・・・。たくう、シャオの所為だぞお。」
「んん・・・。」
聞こえているのか、それに反応する様にシャオは悪戯っぽい微笑を見せた。
本当は起きてるんじゃないのか?と思いつつも、太助は那奈が戻ってくるのをおとなしく待つのだった。



学校。職員会議も終わってルーアンは職員室にて一息ついていた。
朝のホームルームまでの時間、少し休憩しているのだ。
「それにしても今朝のシャオリンの様子は異常だったわねえ。
キリュウは風邪だとか言ってたけど・・・精霊って風邪引くのかしら。
たー様はちゃんと学校にきたかしら・・・」
「ルーアン先生、お電話ですよー!」
「はーい。」
一人でぶつぶつ言っている所へ、他の先生からの呼び声によって我に帰る。
いそいそと立ち上がって受話器を受け取ると・・・
『もしもし、七梨です。』
「その声は・・・おねー様?どうしたの?」
『いやあ、シャオの風邪が太助にうつっちまったみたいでさあ。
あいつ、頭はガンガン熱はジュージュー咳がボコボコいってるんだ。だから休むよ。』
「・・・・・・。」
意味不明な説明に一瞬受話器を落としそうになったルーアンだが、
数秒の考察の後、ばっとそれを持ちなおした。
「なんですって!?たー様も休むの!!?」
『・・・大きい声だすなよ。耳に響く。』
「ご、ごめんなさい。それでおねー様、たー様も風邪なの?」
『だからそう言ってるんだって。つーわけでよろしく頼む。』
「ちょ、ちょっと!」
ガチャッ、ツーツーツー
一方的に電話は切れた。半分呆然としながらも、ルーアンは受話器をそこに置く。
「たくもう・・・。シャオリンの風邪がうつったなんて・・・。
まあいいわ、たー様は御休み、っと。」
急いで日誌を手に持つ。しかし、ふと気にかかる事があった。
「いきなり風邪がうつるものかしら?いくらなんでも唐突過ぎるわ。
もしかしたらたー様とシャオリン・・・!!」
ふと浮かんだ自分のある考えを確かめようと、彼女は素早くコンパクトを取り出した。
そしてそれを開き、七梨家の様子を見ようとするが・・・。
「・・・やめた。たまには割り切ってやらないと。」
“ふっ”とため息を一つつくとコンパクトをしまいこみ、
ルーアンはコツコツと足音を立てて歩き出した。二年一組の朝のホームルームを行う為に。



「よし、これで上等だな。じゃあ太助、ゆっくり休めよ。」
「那奈姉・・・。」
「なんだ?大声は出すなよ、シャオが起きちまうから。」
「いくらなんでもこれは・・・。」
シャオの部屋。結局手を振り解く事もできなかった太助の為に、
那奈が布団一式を持って来てシャオの布団の横に敷いたのである。
御丁寧にもパジャマをも持って来て、それに着替えて・・・。
実は着替える最中にシャオは一瞬手を離した。
其の時にそこを離れれば良かったのだが、
着替えるのに頭が一杯だった太助は再び手を掴まれたという事だ。
「はあ、俺ってなにやってんだろ・・・。」
「いいじゃないか。こういう体験は滅多にできないもんだ。」
「なんか頭痛くなってきた・・・。」
「風邪って事になってるしな。丁度良いんじゃないか?
シャオと一緒に寝てゆっくり養生しろよ。」
「・・・・・・。」
理想的なのはシャオの一つの布団で一緒に寝る事なのだが、
さすがに病人のシャオを前にしてそういうまねはできない、と那奈。
それでもこの状態じゃあ仕方ない、と太助は諦めたのか、おとなしく布団に入った。
もちろん、布団の中で二人の手は繋がったままである。
「じゃあな、ゆっくりしてろよ。」
「目が冴えて眠れないんだけど・・・。」
「贅沢言うな。なあに、そのうち眠くなるさ。」
「はいはい。じゃあおやすみ。」
「頑張れよっ♪」
「さっさと出て行けって!」
にやつきながら手を振る那奈に、太助は布団にもぐりこんで叫んだ。
そんな弟の姿を可愛らしくも思いつつ、那奈は部屋を後にする。
彼女が去ってしばらくした後、太助は布団から顔を出してシャオの顔を見つめた。
少し近付けばお互いの顔が触れ合ってしまいそうな位置にある。
最初はどきりとしたが、みつめているうちにだんだんと穏やかな気分になってきた。
「シャオ・・・。」
「むにゃ、太助様・・・。」
寝言ではあるが、愛くるしい声で返事するシャオに思わず胸が高鳴る。
だが、ごく自然に太助は、シャオの顔に自分の顔を近づけた。
「おやすみ。」
彼女の艶やかな頬に、一瞬だけそっと唇を触れると、顔を引き離す。
そして顔を向かい合わせにして頭を枕に任せ、静かに目を閉じた。
後は、ただ二人の寝息が聞こえるだけの、二人だけの空間となる。
それは、とっても清い時間が流れる場所・・・。

<終わり>


あとがき:うーん・・・。なんなんでしょうねえ、これ(笑)
大元は離珠のことわざ大辞典の「出る船の纜(ともづな)を引く」という言葉、
(『未練がましい行いをする事の例え』という意味でし)にて浮かんだ話です。
書いてる最中、いっそのこと普通の二次小説に加えるか!
ってな風に思って書き出したわけですが・・・。
最初と最後比べると、妙に大胆になっちゃってますねえ、太助もシャオも。
まあ、ちょいと探せばどこにでもある様な話です、こういうのは。(だと思う)
私が書くとこんな感じになるのだよ、って事で。
つーか、かなり設定的に流れ的に妙ってのが良くわかるでしょうけど(爆)
それでは〜。
2000・9・7
戻ります