" Kanon" side story "DEPART FROM THIS WORLD"



         

    "Kanon" side story "DEPART FROM THIS WORLD"




         最終章 魂の還るところ(前編)


  −さあ、切符をしっかり持っておいで−
   −お前はもう夢の鉄道の中でなしに−
    −本当の世界の火や激しい波の中を−
     −大股にまっすぐに歩いていかなければならない−

  −天の川の中でたった一つの−
   −本当のその切符を決してお前はなくしてはいけない−


         −宮沢賢治「銀河鉄道の夜」−




      A-part:『高級の霧(HIGH-GRADE NO KIRI)』



 天にまた一つ、星が流れた。
 蒼く尾を引き、濃紺の空を駈ける一筋の光。
 それらは一つではなく、一つ、また一つと次々と。
 光は時に新星の如く青く輝き、そして消える。
 天を彩る、幾つもの光の粒子。
 絶え間なく降り続くそれらは、遥か闇に覆われた水平線の彼方へと消えて行く。

「あれは、なんなのかな?」
 幼い少女が一人、傍らに立つ少年に問う。

「そらがおちてくるのかな?」
 少年は無垢な瞳にその光景を映し、少女に答える。

 僅かばかりの天文の知識があるものなら、
 あれは宇宙を飛ぶ彗星の欠片が地球の引力に引かれ、
大気との摩擦で燃えているとこともなげに答えるだろう。

 しかし彼等はそのような宇宙の理など何一つ知ることはない。

 故に己の眼で見ゆるもの、そしてそれを見て思う己の心のみが真実となる。

 時としてヒトはそんな子供を無邪気と微笑み、笑う。

 だが、誰が彼等を笑えよう?
 無知を愚かとさけずみ、嘲笑と共に見下すことは許されるか?

 もし彼等を笑うものがいるというなら、それはヒトの歩みを否定する愚か者に他ならない。

 誰しも初めは無知なのだ。
 それが時と共に彼等に知識を与えていく・・・ヒトとは全てそういった過程を踏んで行く。

 全ての理は長い時を経て、世代を越えて考えられてきたものである。


 誰かが何かの理を発見したとしよう。それは、果たして彼のみの手柄といえるのだろうか?
 答えは否である。

 彼は理を発見するために多くの先人達の作り上げたものを操ってそこに辿り着いた。
 歴史の影に埋もれた彼等もまた、表に出ないだけで賞されるべき存在である。

 何も知らない子供は、人から聞き、自らの手で試し、幾つもの情報を吸収して成長して行く。
 成長とはいわば学問の歴史の縮図でもあった。


「・・・なかなか面白い想像しよるの、あんたら」
 長い髪を海風に揺らせながら、一人の女が少年と少女の後ろに立っていた。

「げげ・・・先生か」
 慌てて少女の手を取り、逃げようとする少年。

「あまいわ」
 しかし女は少年と少女の襟首をひっつかみ、あっさりと制する。

「・・・今日はここまでだね、にははっ」
 自分たちの冒険はここまでだな、と少女は悟っていた。

 先生の目を盗み、夜の空を見に来た。子供心の小さな好奇心が生み出す小さな冒険。

「ちぇっ・・・しょうがないか」
 頭を掻きながら少年は答える。それでも不思議と残念な気はしなかった。

「ま、いいか。まだ・・・始まったばかりだ」
 別に今動けなくとも、まだ明日になれば日は昇る。

 今日倒れたならば、また明日歩けばいい。そんな気持ちが少年にはあった。

「ようわかっとるやないか。今日は帰るで。あんたらにはまた明日がある。
 それにあんたのおとんもおかんも心配しとるわ」
 女は左手に少女の右手を、右手に少年の左手を握り、女は砂浜を歩き出す。

「あ・・・からす」
「?」

 堤防の上に一羽の鴉がとまり、漆黒の体を夜風に晒しながら、舞い落ちる流星を見つめていた。

「・・・・・・」
 女は何かに取り付かれたかのように鴉を見つめる。

 鴉もそれに気がついたのか、女を見返す。暫し見つめ合う一人と一羽。


 ぶわさっっっ!


 鴉はやがて翼を広げ、遥か星空へとその身を踊らせる。
 遥か高みへ、ヒトがたどり着けぬ高みへと向かい、鴉は空へと舞い上がる。

「先生、どうしたの?」
 女の手を握る少年が訝しげに女に問う。

「ああ・・・なんか、なつかしゅうて・・・せや、帰りにおとぎ話したる」
 鴉の消えた空から少年に視線を移し、女は微笑む。

「退屈だよ・・・どうせなんかの絵本とおなじでしょ?」

「甘いで・・・これから話す事は、どんな絵本にものっとりゃせん。
 ましてや知っているのはうちくらいのもんや。
 どや、そんな話が聞けるんやで。お得思わんか?」
 少年に顔を近づけ、女は悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「それなあに?あたしききたい」
 興味を惹かれた少女は、女に尋ねる。

「そっか、よっしゃ話たるわ!長いお伽噺をな・・・」
 遥か空へと女は視線を移す。

 宵闇の中、女は静かに語り始めた・・・
 遥か創成の昔から紡がれる、星の物語を・・・

         *


 一羽の鴉(からす)が飛んでいた。
 五里霧中の白い闇の中を。

 目を凝らせども瞳に映る者はなく、
 水分に満ち満ちた大気は容赦なく体温を奪い、
 それでもなお、鴉は羽ばたく。

 何故にか?
 それは鴉自身にも分かっていないだろう。

 ひとえに己の中から叫ばれる真なる己
・・・即ち『E's』と呼ばれる者の声に答え、彼はひたすらその翼をはためかせる。
 時には疲れて倒れようと、
 時には進むべき道に惑おうと、

 それでも彼は進み続けた。


 やがて、白い闇のさきに輝く一筋の光明。
 彼は歓喜に満ち満ちたる鳴き声をあげ、
 天に輝く十字架の光にその躯を明け渡す。

 されど彼の『意志』は尽きることなく羽ばたき、
 遥か十字架の彼方に広がる黄金の雲環へと登っていく。

−待っていた−

 光の彼方で『彼女』が微笑んでいた。
 永らく笑いを忘れていた『彼女』。
 凍てついた表情の仮面が砕け、
 彼女は嫣然たる微笑みを満面に浮かべ、
 大きく手を広げる。

 それがつかの間の希望であろうと、
 意味のない自己満足であろうとも、
 彼等は抱き合い、その温もりに心を委ねる。

 永遠とも言える時の中で・・・・・・・・・・・




      B-part:『無声慟哭(MUSEI-DOHKOKU)』



「どこから話せばよいのかのう・・・」
 少女はあゆの体をそっと撫で、遥か空を見上げた。

「星の巫女がどうとかいっていたな・・・まずそれから聞かせてくれ」
 微かに迷う少女に、祐一が問いかける。

「そうよの・・・お主達は知っているか?星もまた、数多のソウラスを纏う命であることに?」

「星が・・・命」
 名雪の言葉に頷く少女。

「そう、命であるが故に意志を持ち、意志は命を生み出し、星の上に命が遍くようになった」

「命は星が創造した、そういいたいのか?」

「左様じゃ。お主らが信ずる神というのも、元をただせば星の意志。
・・・まれに聖人と称する輩が現れるであろう?
 そいつらは皆、星の意志を多少は感じられるものなのじゃ。
 星の意思を感じ、ソウラスウェーブに残るヒトの意思を読む」

 少女の周りにはソウラスを積んだ貨車を満載した模型機関車が所狭しと走り回っていた。
 少女はそれらから無言でソウラスをつまみ上げ、別の器へと移して行く。
 呆気にとられる祐一達を後目に、少女は続ける。

「それらとは別に、人の姿を持ちながら星の意志を感じられる種族がいた。
 余はヒトであった頃、その一族の一人であった・・・」
 少女の背の翼が開き、ソウラスが満たされた器へその翼を満たして行く。

「だが、ヒトは余を初めとする我らが種族の血を求めた。
 我が一族は一人、また一人とその命を落とし、この地へと還った」
 翼はソウラスを満たして輝き、少女の翼はまばゆいばかりの輝きに包まれる。

「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
 その光景をただ呆然と、名雪と祐一は見ている。

「余もその例に漏れず、ヒトの呪詛に囚われ、長く死することも無いままにヒトの世を彷徨っておった。
 お主達と戦った柳也と裏葉も余がヒトの身であった頃に時を同じくした者たちよ・・・」

「ヒトの呪詛に・・・囚われた?」
 気になる言葉に祐一が反応する。

「それが、さっき言っていた呪詛?」
 名雪がそれに続く。

「そういうことじゃ。余が生きていた頃は余のような者が邪魔になったのであろうな。
 余の一族はやや特殊でな、命と記憶を明け渡して種を紡いで行くのだ」

「記憶を・・・明け渡す?」
 怪訝な顔で祐一が問う。

「そう・・・そうしなければ命が終わらない。
 今の余のようにいつまでも死ぬことも生きることもないまま彷徨わねばならない・・・」

 少女の告白に名雪と祐一は言葉を失う。

 死に至れない辛さ。
 それがどれほどの苦しみを伴うものなのか想像もつかなかった。
 愛しい者が死のうと、己の生に絶望しようと、決して終焉の訪れないという無限の苦痛。
 それが一体誰に理解できようか?少女は2人の驚きを後目に更に言葉を紡ぐ。

「余には継がせるべき相手はいなかった。
・・・だが、それだけではなかった。主らは呪術というものを知っているか?」

「呪術・・・?」

「そう・・・強いていうならば、魂を冒す武器」

「まさか・・・これか?」
 祐一が自分の持っていた武器を手に取ってみる。

 死んだ存在である柳也達にダメージを与えられたのだからこれももしや・・・?

「そのような武器は呪術によって作られる。
・・・余がいた頃は呪術士と呼ばれる者たちによって呪術を余に撃ったがの。
 そうしてもたらされるものが呪詛」

「・・・それから、ずっとここにいるのか?」
 祐一の問いに少女は瞳を上げ、遠い目をして語りだした。

「いや、幾度かは輪廻の理に従いて命となって生まれた。
 だが、余に刻まれた呪詛は生きられぬ呪詛」

「生きられぬ呪詛?」
 怪訝な顔で問う名雪。

「そう。たとえ生まれても決して長くは生きられない・・・
 そうして余は幾度も彷徨うた・・・此岸と彼岸の間を。
 そうして『あいつ』に出会った」

「「『あいつ』?」」
 祐一と名雪が顔を見合わせる。

「お主らが死を司る神と呼ぶ存在だ・・・タナトス、そう名乗っておった」

「神様!?」
 名雪が叫ぶ。

「様付けなどするでないわ!!」
 初めて少女が感情を露にし、名雪を一喝する。
 少女の表情に宿るのは憎しみ・・・・・・そして悲しみ。

「あやつのせいで・・・余は・・・いや、奴は・・・」
 拳を握りしめ、少女は唇を噛む。

「タナトスとやらが創造したのか・・・この場所は。
 そしてピグマリオとカラテアは、防御装置なのか?」
 少女の側に膝をつき、少女と瞳の高さを合わせ、祐一は問う。

「左様じゃ・・・・・・余の顔を見るな!」
 少女の顔は涙に濡れていた。滂沱の涙を見られまいと祐一の手を払い、横を向く。

「ど・・・・・・どういうことなの?」
 おろおろと名雪が少女と祐一を交互に見つめる。

「多分こういうことだろう。
 死を司る神であるタナトスはこの星を維持する役割がある。
 そのためにこの空間を作った・・・」

「じゃあ、お父さん達は・・・・?」
 名雪が訊ねた。

「名雪の親父さんやあゆのお母さんは、更にこの世界を守る役割を背負わされている。
 本人の意志とは無関係に。体の中の白血球と同じだ。
 それもすべては輪廻転生という生命のサイクルを潤滑化させるために。
 そうだな?」
 無言で頷く少女。

「そのために、あんたという永遠の存在が必要だった・・・
 星が命を紡ぎ続ける限りそのシステムを生かすために」
 少女は再び頷く。

「そんなあんたを生かすためには生贄が必要だった。
 それがピグマリオとカラテア。
 おまけに俺達みたいな『反逆者』を処分する役割まであるらしい」

「生贄・・・それが、あゆちゃん!?」
 そこまで聞いて名雪がはたと気がつく。

 今までの話を統合すると少女はこの場所を維持するために必要だった。
 だがそのままでは少女も魂なのだからいつかは壊れる。
 そしてこの世界を守るものが必要である。
 そのために少女にそそぎ込むエネルギー、そして力が必要であるというならそれは・・・

「そうだ。この者が一度は死にながらも何故再び世に舞い戻ったと思うておる!?
 それはひとえに、余の糧となる定めがあったからじゃ!!
 お主らに解るか!?
 欲しくもない生を維持するために生きた者を捕らえ、喰らい、
 その怨念を聞きながら、それでもなお彷徨わねばならぬ余の慟哭が!!
 余は殺すためにこの娘子を助けたのだぞ!!
・・・抜け出そうともした・・・
 もがこうとして転生したこともあったが、呪詛のせいですぐにここにもどされた」

 あゆを生き霊として世に留まらせたのはこの少女の力故だった。

 だがそれは少女の善意などでは決して無く、あたかも家畜を守るかのようにとのこと。
 少女は殺すためにあゆを助けたのだ。
 少女は涙を拭おうともせずに祐一につかみかかり、その胸ぐらを掴む。

「お主に・・・・」
 だがすぐに力は失われ。

「何が・・・」
 掴んだ手は力無く垂れ。

「解るというのだ・・・」
 少女は項垂れた。


 やがて一羽の鴉が舞い降り、その嘴でそっと少女の髪を撫でる。

「お主か・・・」
 少女はそっとその鴉の額を撫で、微かに微笑む。

「その子は?」
 名雪が訊ねた。

「幾度めかに転生したときに出会った者がいた・・・その者のなれの果てよ」
 愛おしそうに鴉を撫で、そして少女は鴉を抱きしめる。

「救おうとしたのか・・・そいつは?」
「ああ・・・だが、無駄に終わったが・・・
 結局ここにたどり着けたのも死んでからじゃったしな」
 鴉は少女の手に頭をすりよせ、愛おしそうに鳴いた。




      C-part:『不貧慾戒(FUON-YOKUKAI)』



 それからどれくらいたったのだろうか・・・?祐一は腕を組みながら何かを考えていた。

 名雪はあゆと少女の傍らに腰掛け、だれも何一言発さないまま時のみがただ流れ続けていた。

「・・・・・・」
 やがて祐一は立ち上がり、少女の前に歩み寄った。

「一つ聞かせてほしい」
 淡々と祐一は言葉を紡ぐ。
 気怠げに少女は祐一を見上げ、何事かと問うた。

「さっきからあんたの話を何度も思い返してみた。
・・・そして名雪やCOS-MOSから聞いた話も思い出してみた」
「それがどうしたのだ?」

「どうしても一つ、解せないところがある」
 祐一の表情が鋭く引き締まり、その瞳が少女を捉える。
 何かの鍵を見つけた、そう暗に祐一は言っていた。

「何なりと申してみい」
 少女は微かに驚きを見せた。

「ここはいわゆる死後の世界だ。
 ここで死にきれない魂はソウラスに分解されて命として再構築される。
 あんたはその役割を担っている。そうしなければ命は分解されないからだ」

「いかにも」
 少女は頷く。それを確認して祐一は続ける。

「だが、あんたは知っているか?」
「なにをじゃ?」
 祐一の質問に少女は小首を傾げる。


「命という者が、この星に一体いつから存在しているのかという事だ」


「どういうこと、祐一?」
 名雪も質問の意図が読めずに当惑していた。

「お前なら解るだろう?最初の生命がこの星に誕生したのはいつだ?」
「え・・・えっと・・・確か35億年前だったって聞いたけど?」
 額に手を当てながら名雪はやっとの思いで答えを言う。

「それがなんだというのだ?」
「おかしくないか?35億年だぞ?命は生まれることもあれば死ぬこともある。
どうして『この場所が作られるまで』無事に輪廻転生のサイクルが正常に動作していたんだ?」

「!?」
 そこで少女も漸く祐一の意図していることが理解できた。

「・・・・・・それはヒトが強い魂を持つようになったからだって。
 長く生きて、死を認めないようになったから」
 あゆが目を覚まし、会話に割り込んでくる。

「あゆちゃん?大丈夫?」
 名雪があゆの側に寄り、あゆを助け起こす。

「うん・・・ありがとう名雪さん」
 弱々しく頷き、あゆは答えた。そして祐一を見るあゆ。

「そうして死にきれない魂は、現世に戻って魔物となる。
 ボクはお母さんから聞いたよ。だからこのシステムは大切なんだって」

「それにしてもおかしいんだよ」
 あゆの疑問を切り伏せ、祐一は続ける。

「確かにヒトは異様に寿命が長い。だが、やはりおかしいんだ」

「もったいぶらずに言うてみい」
 微かに苛立ったように少女は言う。

「ヒトの魂を『あんなところにおいておくから』かえって魔物が生まれるんじゃないのか?」
 祐一は言い放つ。

「真琴のときも・・・・・・まさか!?」
 名雪が思い出したように叫ぶ。

「ど、どういうことなの?」
 意味が分からないあゆが名雪と祐一を交互に見つめた。

「いいか、確かにヒトは長く生きるようになった。
 確かに、死を認めたくないやつは多いだろう。
 そうしてそんなやつらを『死を納得させるため』にこんなところに縛る。
 そして暴れないように『番人』を置く。
 だがヒトは死ねばソウラスに還る。幽霊だって万能じゃない。
 真琴がいい例だ。
 あれほど強い力を持つ真琴ですら、その力を保てた時間はわずか。
 つまり魔物もほったらかしとけばいずれ崩壊するわけだ。
 しかも魔物はある程度悪霊の数が無いと生まれない。
 おかしくはないか?
『この場所が無ければ』そんなことだって起きないんじゃないか?」

「つまり・・・・・・存在そのものに意味がない!?」
 あゆも漸く理解した。

 このシステムがいつからあるのかは知らない。
 が、少なくともその所為で魔物が生まれた。
 成仏できない魂も、集まることが無ければ脅威ではない。
 そしていずれ、意志の力が尽きたときソウラスに戻る。
 ならばあゆの母から聞いた話との間に大きな矛盾があることは否めなかった。

「なるほど・・・言いたいことは良く解った。
 こう言いたいのだろう?
『ここがあろうが無かろうが輪廻には何の影響ももたらさない。
 故に破壊しても何の影響もない』と」
 頷く祐一。

「そのような考えに至ろう者がいようとは・・・な」
 微かに少女が微笑む。

「フッ、ヒトは日々進歩する生き物なんだよ。死人には解らないかもしれないがな」
 おどけたように祐一は笑う。

「でも祐一。壊すって言ってもどうするの?」
「そうだよ、そんな簡単に出来ることとは思えない」
 名雪とあゆが口々に疑問を呈する。

「聞けばいいのさ」
 ニヒルに笑って祐一は答える。

「誰に聞くの?」
 名雪が問う。

「決まってんだろう?神とやらにさ」
 祐一は少女に視線を向けた。


「あんたは知っているはずだ。ここに神が来たというのならその居場所を」
 祐一は少女に向き直り、問う。

「もうこの星にはおらぬ」
 少女は素っ気なく答える。

「それってどういうこと?」
 名雪が訊ねた。

「神の役割は成長途中の命を導くこと。
 タナトスはこの星の生命は成長したと判断して星の海へと旅だった。
・・・この星にはおらぬ」

「そんな・・・それじゃあ」
 絶望に打ちひしがれそうになるあゆ。

「この星には、だろう?ここには星へと魂を送る列車があるんだ。
 それをあんたが一台貸してくれればそれでことは足りる。
 それなら、あっという間に着けるだろう?」
 しかしあくまで祐一は冷静だった。

「解っておるのだな・・・・・・」
 少女は線路の先を指し示す。"

「どこにつながっているの?」
 名雪が問う。

「プロキシマ・ケンタウリじゃ・・・
 この星の太陽以外で最も近いところにある太陽。
 タナトスはその地の生命を導くべくして旅だった」
 少女は答えた。その口調には怒りに満ちて、拳を握りながら。

「心配するな。あんたの運命も終わらせてやる」
 少女の肩に手を置き、祐一は言う。

「安請け合いは・・・せぬ方が利口だぞ」
 顔を背け、少女は言う。

「俺には、守らなければならない人がいる。
 宿命から解き放たねばならない人がいる。
 遺志を継いだ人がいる」
 名雪を見て、あゆを見て、そして胸を押さえる。

「?」

「俺の大切な・・・・・・恋人の名雪を守り」

「7年間魂を漂わせたあゆの宿命を解き放つ」

「俺の中にいる、今はいない少女に誓った約束だ」

 祐一の胸の辺りが微かに光を放つ。
 真琴の魂が幾ばくかは今だ分解されずに残っているのだろう。

「・・・死人の思いか」
「そんなところだろうよ。だが、俺はこれでいいと思っている」
 瞳を上げ、祐一は答えた。

「?」
「ヒトの死って奴は一体何なんだ?
 肉体が砕けることか?ソウラスに戻ることか?
 ・・・・・・俺はそのどっちとも思っていない」

「何がいいたい?」
 少女は瞳を上げ、祐一を見つめる。
 行く道を失った者が、助けを求めるかのように。

「俺は、真琴の魂を貰って解ったよ。死ぬって事は終わりじゃない。
 どんな人間だって係累って奴はある。
 ヒトは一人では生きられない、だからこそ多くのヒトを求める。
 だけど、それは永遠じゃない。いつかは死ぬ。
 だがその人が存在したという証は記憶として留まる人の心に残る。
 残された者の心から消えること、それが本当の死だ。
・・・・・・少なくとも俺はそう思う」

「・・・・・・・」
 少女は黙って祐一の言葉を待つ。

「人はそうやって思いを紡いで生きて行くんだ。だからあんたの思いも背負ってやるよ。
 もう終わりにしよう。こんな暗い場所で・・・一人で泣き続けるのは、な」

「・・・・・・馬鹿者っ・・・」
 少女は祐一の腰にすがりつき、泣きじゃくる。
 親の傍らで泣く幼子のように・・・・・・・

「終わらせるよ・・・私達が」
 名雪がその小さな肩に手を置き。

「助けてくれて、ありがとう・・・だから、今度はボクが、君を助けるね」
 あゆは微笑みとともに頷いた。



      D-part:『風の偏倚(KAZE NO HENI)』



 3人を乗せた列車は走っていた。
 彼等は風を感じる。

 それはソウラスに満たされた命の風。
 風に乗って感じるのは、人の想い。

 最初の刹那で星は遥か後方へと消え、
 次の刹那でスターボウの様に星は光の帯となる。
 光を越えた速さで列車は無の空間を走る。神の御座を目指して。

「感じる・・・」
 あゆが緊張の面持ちで漏らす。

 彼等の瞳には爛々と輝くプロキシマ・ケンタウリの輝きが映った。
 それは近づくにつれて徐々にその光を増して行く。

 その周りを回り続けるいくつかの星達。
 プロキシマ・ケンタウリの惑星が無の空間を舞っていた。

「あれは!」
 名雪が叫ぶ。

 人影があった。星の上に立ち、その星を見下ろす存在がそこにいた。

「・・・神、か」
 祐一は自分が生唾を飲み込む音が聞こえた。

 神、そう、まさしく神だった。
 その圧倒的な存在感は祐一達の体の芯まで響きわたる。
 感じる力は星をも砕かんほどの超越的なエネルギーに満ちあふれ、
 見る者全てに畏敬の念を感じさせる絶大ななにかがあった。

−・・・・・・・・−
 その姿は言うなれば小さな太陽。

 直視できないほどのまばゆい光に包まれたその姿。
 やがてヒトの姿を形作り、彼等の前にその姿を見せる。

「あんたが・・・・・・」
 祐一がそれでも必死で口を開こうとする。

 武器を握る手が汗で濡れる。
 奥歯が震えているのが解る。
 恐怖で全身が凍り付きそうになる。

 だが留まるわけにはいかなかった。
 狼狽しそうになる心を抑え、一歩踏みだそうとする祐一。

−あの者を解放するというのだな・・・−

「!?」
「うぐ!?」
「心を・・・読んでいる?」
 祐一、あゆ、名雪が驚愕に恐怖を強めた。
 だが相手は神なのだ。これくらい造作もないのだろう。

「解っているなら話は早いな・・・俺達が聞きたいことも解っているんだな」

−いかにも−
 一呼吸置き、タナトスは続ける。

−ピグマリオとカラテアを撃て・・・それでお前達の望みは叶うだろう−
 あっさりとタナトスは答えた。


「そんな・・・いともあっさりと」
 名雪は驚きを隠せない。

−私が去った時点であの星の輪廻についてあの星の生命に運命の決定権を渡した。
・・・そういうことだ−
 タナトスの心に直接届くような声が名雪に語った。

「あの・・・一つだけ聞いてもいいですか?」
 あゆがおずおずと片手を上げる。

 タナトスの意識があゆに向けられた。それは無言の肯定。

「どうして・・・あんなことをしたんですか?」
 それはあの少女や銀河鉄道のことだった。
 何故あのような空間を作ったのか、訊かずにはいられなかった。
 どうしてもあゆには聞かずにはいられなかった。あの少女のためにも。


−それは、わが試練−

「試練?何のための試練なんだ?」
 祐一が訊ねた。

−生命を進化させるためだ−
 タナトスは答えた。

「進化?」
 首を傾げる祐一に対し、タナトスは続ける。

−見るがいい−
 その瞬間、周りの空間が変異して、彼等の足下に赤く波打つ海が現れた。

 海からは泡のようにその一部が膨れ上がり、そして浮かび上がる。
 浮かび上がった泡のあるものは砕け、またあるものは成長し、天へと浮かび上がっていく。

「これは・・・?」
 名雪が周りの光景を呆然としながら見つめる。

−無の揺らぎ−

「無の揺らぎ?」
 あゆが訊ねる。

−全ての宇宙が生まれ、育ち、巣立っていく場所。
 お前達が見ている泡は、全てが宇宙だ−

「これが宇宙・・・」
 祐一はただただその光景を見つめている。

−そう、そして生命は宇宙を誕生させる源なのだ−

「宇宙を、誕生させる?」
 名雪が問う。

−全ての生命はソウラスであることは知っていよう−

「うん」
 あゆは頷き、タナトスの次の言葉を待つ。

−ならばこの宇宙は、無から始まったということは知っているな?−
「ああ・・・もっとも、正確な答えは知らないが」
 祐一は答える。

−砕けた命はソウラスとなり、宇宙を流れるエネルギーとなる。
 だが、何億、何兆、何京・・・
 お前達ヒトの概念が生み出したありとあらゆる大数の概念を遥かに上回るソウラス。
 その中で極、希に生まれるものがある−

「生まれる?」
 名雪が問う。

−そう・・・『ジオ・マター』と呼ばれるものだ。
 次元の壁を突き破り、新たな宇宙となる存在−

「ジオ・マター??」
 聞いたこともない言葉にあゆが困惑の色を浮かべる。

−そうだ。ジオ・マターはいわば『宇宙の卵』。
 ジオ・マターは新たな宇宙を創成する・・・
 私は待っているのだ。ジオ・マターになりうる存在を−

「なるほど、宇宙に命をあふれさせているのはそういうことなのか?
 新たな宇宙を生み出し、別の世界を創造し続けることが神の目的なのか!?」
 祐一が訊ねた。それに対しタナトスは答える。

−いかにも。
 多くの命が存在するために鎬(しのぎ)を削り、
 時には結ばれ、時には殺し合う・・・それはいかなる命でも変わりはない。
 その中で生まれたお前達ヒト。お前達にはその可能性がある。
 ゆえに、あの地を作り、試練を与えた−
 そうしてタナトスは彼等を見つめた。

 表情が見えたのなら俄に厳しさを増したのが解った。
 峻烈なタナトスの想いを3人は胸に感じる。
 彼等は考えていた、その想いを如何に受け止めるか。

 沈黙が流れる。タナトスはその沈黙を許す。


         *


 どれほど時間が経ったか。

 やがて彼等は面を上げ、タナトスを正面から見つめた。
 不思議とまぶしさによる瞳の苦痛は感じられなかった。

「俺達は俺達の正しいということをしろ・・・そういうことなんだな?」
 祐一は言った。

「私達が私達の星で生き続けること。
 それはジオ・マターに至る過程の魂の成長のほんの一時。
 生きるために必要と思うなら、それに躊躇しちゃいけないんですよね?」
 それが名雪の答え。

「あなたの試練・・・それでわざとあんな場所を作ったんですよね?」
 あゆは更に続ける。

「あなたの求めるものになるためには、生死と輪廻の意味を知らなくてはならない。
 だから『わかりやすいように』あんな場所を作った、そうですよね?」
 向かい合うあゆとタナトス。

−であるならばどうする?−
 いささか意地悪くタナトスは問う。

「決まっている・・・ぶち壊す」
 武器を握り、答える祐一。

−正しいと言える根拠はなんだ?−
 タナトスは問い返す。

「もう意味は無いからだ」
−ほう?−
 タナトスは愉しんでいるようにも見えた。祐一は続ける。

「あんたは生死と輪廻の意味を知るためにここを作った、そうだな?」
−いかにも−

「ならそれは『もう』存在意義を失っている」
 祐一は断言した。

「理由は簡単だ。それは『俺達がここで意味を知った』からだ。
 その時点でもうあんたの『理由』は消えたんだ」

 祐一はタナトスを見据える。
 タナトスもまた祐一を見据える。

 2人の視線が交わり、そしてとぎれた。


         *


 祐一はタナトスに背を向けた。タナトスもまたその姿が徐々に薄れて行く。

「行くぞ、名雪、あゆ」
 祐一は一歩踏み、そしてまた一歩踏み出す。

「いいの?」
 心配げにあゆが問う。

「あいつは俺達を認めたんだ。もうあいつは関係ない。これからは俺達の問題。
 あいつもそれが解っている」
 祐一は武器を構えた。

「そっか・・・そうだね。私達が決着をつけなくちゃならないんだよね」
 名雪もそれに続いた。

「そう・・・そうなのかもしれない。行こうか、祐一君」
 あゆも頷く。

 三人の視線が混じり合う。頷き会う3人。

 そして彼等はそれぞれの武器と思いを手に、
 それぞれの意志を込めて走り出した・・・・・・・


後編へ続く。






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