プロローグ
どうして泣いていたかなんて、思い出せない。
苦しいことがあったのかなって思う。
とめどもなく涙があふれ、
泣いていた。
心がつぶれそうになる。
消えてしまえば楽なのかなって思う。
私は苦しまなきゃならない。
私の胸の中にある苦しみの中にある、たった一つの暖かさ。
くる。
私を定義してくれたあの人と、『私をくれる』あの人が
それがあれば私は待てる。
壊れた教会。
あの人たちのくれた記憶が、私を作る。
-unknown-
「人待ちですか?」
「待っている・・・」
「私の・・・パパとママ」
「これは?」
「ええ・・・ならば、お呼びするべきですね」
「多分、想像したとおりだと思うよ。
「そしてそれは『あなたが本当に望むこと』なのでしょう?」
「でも・・・それはあの人たちにとって苦しいことだよ」
「ディシプリン・・・?」
「うん、確かに苦しい・・・罰というのも当たっている。でも『試練』って?」
「なら、迎えましょう。その方たちを」
「うにゅ・・・?」
そのことを思い出すと、胸の中に何か、大きな穴が開いているような気がした。
「ゆう・・・いち?」
完治したはずの痛みが、疼くような感覚とでも言えばいいのだろうか?
それはどちらでも当たりのように思えるし、どちらも違うような気がした。
「わ・・・まぶしい」
「なんとも、ないよね」
どこまでも、空が青かった。
少年と少女のディシプリンなど知ろう筈もなく・・・・・・
相沢祐一
俺達がその町に寄ったのはほんの偶然だった。
そこで俺達は、一人の少女に出会う。
俺達を両親と呼ぶ少女に、俺達はなぜか納得する。
次回" Kanon" side story "Nayuki's discipline time"
Episode 1: At one time, I despaired of all things
俺は、まだ何かを忘れているのかも知れない。
泣いていた。
ただひたすらに、泣いていた。
でも、なにがくるしいのかなんて、わからない。
心が締め付けられるような悲しみだけがあって、
ただひたすらに、泣いていた。
体が砕けそうになる。
でも、それは叶わない。
そんな私がまだ「私」でいられるのはなんだろう?
それは・・・・・・・
あの人たちが来る。
私のパパとママ。
冬の小さな駅。
その人たちの名前は・・・・・・・
1
どこまでも、空が青かった。
大地の上で紡がれる人の想いなど知らぬかのように、どこまでも青く輝いていた。
少女はただ一人、その光景を瞳に映しながら、風を受けていた。
年のころは8歳くらいだろうか?
白磁器のように白い肌を陽光に晒し、
深い海を想起させる青い色の髪を風にたなびかせ、
茶色の瞳は彼方の水平線を見つめ、『何か』に想いを馳せていた。
その少女に、声をかけた者がいた。振り向いた少女の瞳に映るのは、別の少女。
年のころは17,8程度。
灰色の髪に青いリボンを巻き、やや浮世離れした印象を受ける。
幼い少女は答える。
「だれを、ですか?」
もう一人の少女は問いかける。
幼い少女は答えた。
「・・・・・・どちらに、いらっしゃいますか?」
「これ」
幼い少女はその問いには答えず、一枚の紙片を手渡す。
「・・・多分、ここにいると思う」
紙片を手渡された少女は、微かに何かに気がついたような様子を見せる。
「懐かしい・・・懐かしい名前です」
「知っているの?」
幼い少女は問いかける。
少女がどこからかポストカードを取り出し、流麗な字で何かを書き込んでゆく。
「まって」
幼い少女は少女の手を握る。
「それは、あの人たちの幸せを・・・壊すかもしれない」
上目遣いに見上げる幼い少女の姿は、恐怖に彩られているかのようにも見える。
少女はしばし呆気にとられたように幼い少女を見つめた。
「あなたは・・・まさか?」
だが、やがて納得したかのように頷く。
私が今こうしているのは『約束が果たされたからだから』」
「・・・・・・ならば、尚のことです。
あなたを縛る鎖を解くことは『あなたのご両親』にしかできません」
強い調子で、少女は言う。
「・・・・・・・・・」
押し黙り、幼い少女は俯く。
両肩に手を置き、幼い少女の前にしゃがみ込む少女。
見つめあう二つの瞳。
半ば泣きそうな表情で幼い少女が言う。
「信じましょう、夏の日の奇跡を・・・そして、あなたがここにいる奇跡を」
「奇跡・・・・・・」
「そう、奇跡です」
そうして二人の少女は空を見上げる。
「あなたのような存在を生み出すということは、相応の苦痛があったはずです。
ですが、それは彼らにとってのdisciplineなのです」
幼い少女は首を傾げる。
「discipline・・・
訓練、規律、試練、懲罰といろいろありますけど『苦しいこと』の総称・・・でしょうか」
頬に手を当てながら少女は答える。
「強いて言うのなら・・・『壁』です。突破して、次の場所へ行くための」
「そうなんだ・・・そうだね、確かにそれはパパとママの試練だよ。『本当に一緒にいるため』の」
納得したように少女は頷く。
「うん」
初めて幼い少女は微笑んだ。
それは雨上がりの木漏れ日のように。
それは雪解けの日の春の日差しのように・・・・・・・
2
「・・・・・・・・・」
目を開けると、カーテンの隙間から光がこぼれる。
枕元の時計は、起きるにはまだ早い時間を指していた。
意識のはっきりしない頭を上げて、水瀬名雪は夢を思い出そうとする。
遠い誰かが、自分を呼んだ気がしていた。
それが誰なのかは解らない。ただ遠い・・・遥か遠い昔に、会ったような気がする。
それは寂しさでもあり、悲しさでもある。
傍らですうすうと寝息をたてる少年・・・相沢祐一の姿を見つめる。
かつて彼と共に感じた、大きな悲しみと苦しみ。
それが蘇ってきた気がした。
酷く激しく、それでいて曖昧な痛みを感じる。
或いは幻肢痛のように、失った部分が傷むような感覚なのだろうか?
私は何が不安なんだろう、と名雪は思う。
外の空気が吸いたくなった。祐一を起こさないように気を使いながら、ベランダに出た。
東の空に太陽が昇る。雲ひとつない青空に、目もくらむような陽光。
今日もきっと暑いのだろう。
眠っている祐一を見つめながら、自分に言い聞かせるように名雪は呟く。
そっと祐一の耳元に顔を寄せ、悪戯っぽく名雪は笑う。
「朝〜朝だよ〜。朝ごはん食べて、学校行くよ〜」
いつもの言葉を言いながら、
いつもの朝が始まる。
大地の上で紡がれる人の想いなど知らぬかのように、どこまでも青く輝いていた。
次回予告
名雪のミスで俺達はその町に降り立つ。
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