日常から非日常へ
夢をみた。
不思議な夢を。
その夢では、俺は一人で街を歩いていた。
知らない街ではない。特別な街でもない。自分が住んでる、この街の、普通の道路を。
そしてどのくらい歩いたのだろうか。俺は、一つの店の前に立っていた。
看板も何もなく、入口のドアさえ民家のそれと変わらない。
けど、俺はそれが店だとわかった。それが店だと知っていた。
しかし、どんな店かはわからなかった。知らなかった。
なのに俺は、その店に入ろうとする。それが当たり前のように。
そして、ドアノブに手をかけた瞬間、俺は目を覚ました。
「……ってな夢を見たんだよなぁ」
昼休みの学食で、俺は昨日見た夢について友人に話していた。
「確かに不思議な話だけど……夢だからそんなもんじゃないか?」
オムライス定食を突つきながら、友人の一人がオチがなかった事に失望しているような顔で言った。
「俺としては、その店がなんの店だったかが気になるな」
もう一人の友人がカレーを頬張りながら言った。
……お前は今日もカレーかよ。
「やっぱあれじゃないのか? 特別会員だけが知ってる秘密の店」
とんこつ醤油ラーメンをすすりながら、三人目の友人が言う。
「秘密の店?」
「お前が言うやつだから、予想はつくが……」
「どうせ隠れた風俗の名店とか言うんだろう」
俺達三人が呆れて言うと、そいつは箸とレンゲを置いて意味ありげに笑った。
「それだと特別会員だけが知ってるって付けないさ。ずばり、その店は幼女ば」
ガスッ。
バシャ!
「だああ! スープをまき散らすな!」
「待て、突っ込む点はそっちなのか?」
「あー……じゃあ、食べ物を粗末にするな!」
「それでもそっちかよ!」
「………叩かれた俺の心配はしないのか、お前ら」
「「心配してほしいのならああいう事を言うな」」
「…………ごめんなさい」
「よっ。今日はもう帰るのか?」
講議も終わり、特に何をする気もないからそのまま帰ろうとした時、友人の一人が声をかけてきた。
「ああ。なんか妙に疲れてな。帰ってゆっくりする事にした」
「そうなのか? お前にも是非来てもらいたかったんだがなぁ」
「これからどこかに行くのか?」
「ほら、今日は休講が多いだろ? だからこの時間で講議が終わるやつが結構いてな。これからカラオケに繰り出そうかって話になってるんだよ」
「なに!?」
カラオケだと!?
「ふふふ……来るだろ?」
「おうよ! ……と、本気で言いたい所なんだが……金がない」
「……は?」
「いや、だから、金がない。真面目に。冗談なしで」
今月は食費も削りまくってるからなぁ……。
「…………何をした?」
「その目は何だよをい」
その犯罪者を見るような目は。
……まあ、実際にこいつが犯罪者を見る時、どんな目をしてるかは知らないが。
「…………何をした」
「何もしてない! 今月の頭に高校の時の友人達と飲みに行ったりカラオケに行ったりして、思いっきり散財しただけだっ」
「な〜んだ。ならそうと言ってくれよ。俺はてっきり………………いや、なんでもない」
………おい。
「なんでもないって何だよ。気になるじゃないか」
「いやだからなんでもないって」
「気になるって」
「なんでもないって」
「気になるって」
「気にしないでくれ」
……ふむ。
「気になるだろ」
「気にしないでくれ」
「気にしたいだろ」
「気にしないでくれ」
「気にしたくなるだろ」
「気にしたくならないでくれ」
「気にしたくないって」
「気にしてくれ……うあ」
よし。
「さあさあ、気にしてほしいのなら言うてみぃ」
「くそぅ…こんなのに本気で引っ掛かるとは……」
………………その後、俺がそいつを張り倒したのは当然の行為であったとだけ言っておく。
夢をみた。
不思議な夢を。
その夢ではまた、俺は一人で街を歩いていた。
知らない街ではない。特別な街でもない。自分が住んでる、この街の、普通の道路を。
昨日と同じだ。
そしてどのくらい歩いたのだろうか。俺はまた、一つの店の前に立っていた。
昨日とは違う場所。しかしやはり看板も何もなく、入口のドアさえ民家のそれと変わらない。
……いや、このドアは……俺の家のドア?
けど、ここは俺の家じゃない。
やはり、俺はそれが店だとわかっていた。それが店だと知っていた。
しかし、どんな店かもまた、わからなかった。知らなかった。
なのに俺は、今度もその店に入ろうとする。それが当たり前のように。
そしてドアノブに手をかけた。昨日と同じように目を覚ますかと思ったら、そうではなかった。
ドアを開ける。
すると眩しい程の光が溢れだし、いらっしゃいませとの威勢のいい声が聞こえた。
光が落ち着くと、そこにはどう見てもホステスの格好をした何かがいた。
どうして何かなのかと言うと、その服を着ているのは人ではなく、丸くて四角かったり、縦と横に伸びたりしている何かだからだ。
色も複数で、左から右に順に青青赤赤黒黒と並んでいて、赤と赤の間には透明人間っぽい、服だけが動いてるのもいる。
その中の一つが、てこてこと文字通りの音をたてながら近付いてきた。
「ようこそこーそ、いらっしゃいませました。ご来店をお待ちしておりおってました。あなた本当に最高ラッキーですでした。特別席にご案内ない。さささ、こちらへどうぞどーぞ」
妙な言葉でそう言って、俺の背中を押して中に案内しようとする何か。
だが俺はそれに抵抗せず、案内されるままに中に入っていってしまった。
中も不思議な作りで、雨や雲、晴れや大雪などの天気をイメージしたような部分があると思えば、馬や牛や兎、そして何故かアザラシの、等身大のロウ人形のようなものがずらりと並んでいる所もあった。
そんな室内をぐるぐると回っているようにして進んだ先が、どうやら案内先のようだった。
そして、俺はそこに一人の先客がいる事に気付いた。
相手も気付いたのか、立ち上がってこっちを向こうとして……そこで目が覚めた。
「……お兄ちゃん。顔色が悪いけど、大丈夫?」
「……は?」
土曜の夕方。いつものように家から妹がやってきて、俺を見た直後に言った言葉がそれだった。
「別に何ともないが?」
絶好調とはいかないが、別に体調が悪いって感じはしない。
「本当? 無理してない?」
本当に心配そうに、俺の顔を覗き込んでくる。
……そんなに悪そうに見えるのか?
「俺が無理してるかどうか、言わないでもわかるんだろ? それなのに、嘘ついて大丈夫なんて言わないよ」
こいつはいつの頃からか、俺が無理してるかどうかがわかるようになったらしい。
実際、何度か無理してた時に大丈夫だと言ったが、ことごとく嘘だと見破られて休ませられた。
「うん…無理はしてないみたいなんだけど……」
「だったらそんなに心配するな。お前はちょっと心配性だぞ?」
「……だって、お兄ちゃんだもん。心配だよ……」
「だから安心しろって。お前は泣くと不細工になるんだから、泣くな」
………こうやって心配してくれるから、本当に可愛いよな……。
「さ。のんびりしてないで、そろそろ買い物に行くぞ」
「え?」
「『え』じゃない。今日の飯はどっちが作るにしても、そろそろ買い物に行かないとタイムセールが始まってしまうではないかっ」
タイムセール。これこそ主婦と一人暮らしの学生の命を繋ぐ戦いの時間だ!!
……いや、まあ、大袈裟だとは思うが、これくらいの意気込みがないと主婦軍団には本気で負ける……。
「ほらほら、ぼけっとしてないで行くぞ」
「わわわ、お兄ちゃん、待って。ボクまだ制服だよっ」
「ええい、なら40秒で支度してこい!」
「う、うんっ」
返事をすると同時に、自分の部屋にあてがわれている一室に飛び込む。……上着を脱ぎながら。
……40秒ってのは冗談で言ったんだが、本当に40秒で着替えそうだな。
ちなみにこの部屋は、かなり立派な学生寮で2LDKだ。
他の1DKの学生寮の三倍近い家賃だが、妹が普段から土日は泊まりに来るし、親も月一くらいで来るから、広いここが許された。
おかげで狭い部屋で窮屈な生活を送るなんてことはないから、気分的にはかなりいいが。
「お兄ちゃん、お待たせっ」
そんな事を回帰していたら、動きやすい服に着替えた妹が、部屋に入った時の勢いで出てきた。
……本当に40秒だったのだろうか。
「よし。なら行くぞ」
「うんっ」
時間測っておいたら面白かったかなと考えつつ、俺は妹と一緒に戦争へと旅立っていった。
「ふにゃぁ〜……」
…………。
「うにゅぅ〜……」
…………。
「はにゃ〜……」
…………。
「ほえほえ〜……」
「…………なあ。眠いなら寝ろって」
もうすぐ日付も変わろうかという時間。さっきからずっと、俺に寄り添いながら奇声を発して船を漕いでいる。
目が覚めて恥ずかしそうにすることもあるのだが、暫くするとまた出航する。
たまに反対側に倒れそうになるから、あんまり目が離せないのだが……。
「やだぁ……起きてるぅ…………ふみぃ〜……」
「起きてると言いつつそれじゃないか……。ほら、いいからもう寝ろ」
「うう〜……お兄ちゃんが寝るなら、ボクも寝るぅ……」
「俺はまだ当分寝ないぞ?」
「はぅぅぅぅ………なら一緒に寝よぅ〜………」
それでなんで「なら」なんだよ……。
「起きてるあいだはぁ……お兄ちゃんと、一緒にいたい〜………。だぁからぁ……一緒に寝ようよ〜ぅ……」
「……どんな論法で『だから』になってるんだよ」
「それはぁ……お兄ちゃん、だからだよぅ〜……」
…………………………。
「だ〜い好きな、お兄ちゃんだからぁ……ふみゅぅ……起きてるあいだはぁ……ずっと、一緒にいたいんだよ〜…………みぃ」
あれですか。俺に萌え死ねと?
「んにゅぅ……すりすり〜」
「いやっ、行動を声に出さんでいいからっ」
むぅ……これは、一緒に寝ると言わないと離れそうにないな……。
「うにゃぁ……」
「はいはい、わかったから。ほら、俺も寝るから動けって」
「う〜……動けないぃ……だっこぉ〜……」
…………本気と書いてマジと読むですか?
「……お前。もしかして意識ハッキリしてるんじゃないだろうな?」
「うみゅぅ……?」
………この目は本気で眠いな。
「……ほら、抱いてやるから。少し体起こせ」
「うん……起こすぅ…………って、ええ!?」
急に勢いよく起きあがり、わたわたとの効果音がしそうなくらい慌てる。
「え、あ、その、えと、わ、わた、わた」
「落ち着け。どうして急に飛び起きてそんなに慌ててるんだ?」
本当、滑稽だぞ。
「だだ、だってお兄ちゃんが………その……………だ、抱くって言うか…ら…………」
………………ああ、なるほど。
「ほほほらボクとお兄ちゃんは兄妹なんだからそれはむぐ」
どういう勘違いをしているかわかったから、手で口を無理矢理塞いだ。
「ほ、ほひゅいひゃん?」
このまま喋らせていたら何を口走るかわかったもんじゃない。
「オーケー。わかった。何を勘違いしてるかよ〜〜くわかった。だからこれ以上は何も言わずに大人しく部屋に行って寝てくれ。………OK?」
「………? ひっひょにへひゃいひょ?」
……………。
手を離す。
「むぅ……いきなり酷いよ、お兄ちゃん」
「……文句があるなら明日聞く。今日はもう寝ろ」
「お兄ちゃんも一緒に寝てくれるの?」
……いや、だからどうしてそんな期待を込めた上目遣いでこっちを見る。
「いや。俺はまだ眠くないから起きてる」
「え〜。それならボクもまだ起きてる〜」
「駄目だ。さっきはあんなに眠そうにしてたじゃないか。無理しないで寝ろ」
「う〜……なら、お兄ちゃんも一緒に寝ようよぅ」
「どうして『なら』になるんだよ……」
「だって……」
「だって?」
「………起きてる間は、ずっとお兄ちゃんと一緒にいたいんだもん。だから……だから、せめてボクが寝るまででいいから、一緒にいて………だめ?」
だ、だからその程度のことで涙を浮かべて上目遣いで懇願するなぁぁぁぁ。
なんか、妹が好きってやつらの気持ちがわかるかも……。
「じゃあ、気を付けて帰るんだぞ」
翌日の日曜日。いつもは玄関までだが、今日は買いたい物もあるから、駅まで妹を見送りにきた。
「うん。大丈夫だよ、お兄ちゃん。お兄ちゃんこそ、体には気を付けてよ?」
「何度目だ、その台詞」
俺は苦笑しながら妹の頭を撫で、優しく微笑みながら言った。
「大丈夫だって。無理して倒れたりしたら、お前は学校サボって看病に来そうだからな」
「お兄ちゃんが嫌だって言っても、ボクは行くからね」
……目が真剣だ。
「嬉しいけど、だからって学校サボっていいもんじゃないからな。だからそうならないように気をつけるよ」
「うん。…ボクも、元気なお兄ちゃんを見るのが一番、好きだもん……」
好きと言う時に、僅かに頬を染める仕草が可愛い。
……………………。
……たまに、俺の妹なのに、よくぞこんなに可愛く成長してくれたと感謝する時があるよな……。
「じゃあ、気を付けてな」
「うんっ」
最後にもう一度頭を撫でて微笑むと、妹もまた微笑んで、ホームに向かっていった。
途中、お約束のようにこっちを振り向いて手を振るのを繰り返しながら。
俺は毎回手を振り返し、姿が見えなくなるまで見送った。
……慣れたとは言え、かなりハズイぞ、これは……。
あれから二週間。俺はあの夢を毎日見続けていた。
最後、先にいた客がこっちを振り向こうとしたところで目が覚めるのは同じだが、店の場所は毎回変わっていた。
そして最近は、いつも店への行き方の場面だけ省かれていたのが、徐々に、本当に少しづつだが見るようになった。
おかしなもので、店への行き方を見るようになってからは、少しずつ悪くなっていた体調がいきなり元に戻り、むしろ今は絶好調になっていた。
体調が戻ったのが妹が来る前で良かったよ……そうじゃなきゃ、また心配させる所だった。
そんなことを考えていた時、友人の一人が妙な噂について話しかけてきた。
「は? なんだよ、そりゃ」
「まあ、噂だからな……」
その噂とはこういうものだった。
誰も目にした人はいない、不思議な店がこの街にある。
どうして誰も目にした人はいないかというと、生きてる人は見れないからだ。
死んでる人しか見れない、入れない店。だから生きてる人は誰も知らない。知る事も出来ない。
しかし死んでいれば、いつでも誰でも入る事ができるという。
そして、これからすぐに死ぬという人だけは、生きていても見れるらしい。
「けど、なんでこんな噂を、そんなに真剣な顔で持ってきたんだ?」
「……まあ、続けて聞いてくれ」
続きはこうだった。
霊と交信出来る人というのが、その店に入った事のある霊と交信して、どんな店か聞いてみた。
で、聞いた店の内装が、私の話したのとほとんど同じだったらしい。
もちろん、その霊と交信したという、逝ってそうな人物と私は一切関係はない。
それと一つ気になる事に、店の奥の部屋には生きてるらしい人間がいるとのこと。
俺は夢の最後に出てくるその人が、どうにも妙に気になって…その部分だけは誰にも言ってないのに。
「なんかそこまでくると面白いな。他には?」
内心、かなり興味を引かれつつも、そこまで興味があるようには思わせないようにするってのは、いざやってみると大変だな……。
「他にはと言われてもなぁ……もう、これで全部だぞ?」
「店の名前とかは?」
「そこまでは俺も聞いてないなぁ。今度会った時に聞いておこうか?」
「そだな。覚えてたらでいいから聞いておいてくれ」
……その店を見ることと入ることが出来るのは、死者かこれからすぐに死ぬ人だけ、ねぇ……。
夢をみた。
いつものあの夢を。
だが、今日の夢はいつもと微妙に違っていた。
いつも夢の始まった時にいる場所は、なんとなくこの街だなとわかる程度の、今まで何度か見たことのある程度の場所だった。
ところが、今日の夢は駅前だった。
駅前から自宅への道。そこを歩いていると、こんなところにはなかったはずの横道があった。
周囲を良く見てみると、やはりその風景は昨日の夢でついに見た、あの店への入口と同じだった。
そして俺は、いつものようにその道に足を向けた。
するとそこで、駅の方角から俺を呼ぶ声が聞こえたような気がした。
不思議に思ってその方角を向いてみる。……が、誰もいない。
暫くそのまま待ってみても何も起こらなかったので、俺は再びあの店へ向けて歩き出した。
するとまた、声が聞こえた。
今度は首だけ振り向いて周囲を見回してみるが、やはり誰もいない。
こんなケースは初めてだから違和感を感じたが、それを越える好奇心が、俺を店へと押しやっていた。
しかし、それに対する疑問は全く浮かんでこなかった。
そしてどれくらい歩いただろうか。俺はあの店に到着していた。
これは本当にあの店なのだろうか?
だが、やはり俺はそれがあの店だとわかっていた。どんな店かも、また、わからなかった。
今回のは正面から見る限り、俺の家だ。
けど周囲の風景は、家の周囲のそれではない。
……何故だろうか。今回は店に入ろうとする事にためらいを感じる。そんなに大きな物じゃない。どこか引っ掛かる、その程度の物だが。
どうも今回は、今までと違う事が起きる。
しかし、それが俺の好奇心……この夢が一体なんなのかわかるんじゃないか、との思いを増加させていた。
そして俺は、ドアノブに手をかけた。
また、わずかに躊躇う。
……ここで迷ってどうする。
意を決し、ドアを開ける。
するとやはり、見慣れた何かが立ち並んでいて、その中の一つが俺を奥に案内していった。
だが、どうもいつもと違って不思議な香りがするのは気のせいだろうか……?
そしてあの奥の部屋に着いた時、俺はそこに一人の先客がいる事に気付いた。
あの後ろ頭は、いつも見ているあれだ。
やはり細かい所は違えど、こういったところは変わっていない。
相手もこっちに気付いたらしく、立ち上がってこっちを……向いた。
いつもは振り返り切る前に目が覚めるのだが、今回は目覚めなかった。
そして俺は初めて……ついに、相手の顔を見る事が出来た。
…………俺の顔が、そこにあった。
「やあ。ようやく会えたね、もう一人の僕」
俺と同じ顔をしたそれは、笑顔を浮かべてそう言った。
「ま、とにかく座ってくれ。乾杯といこうじゃないか」
そう言うと、俺と俺と同じ顔の誰かの前にグラスが置かれた。そのグラスの中には、綺麗な、青と言うよりは蒼い色をした液体が入っていた。
「それじゃあ、僕らの出会いを祝して、乾杯!」
カラン、と、グラスの中の氷が小気味よい音をたてる。
俺はそれを、ただ見てるだけだった。
「あれぇ? どうしたかなぁ。ちゃんと一緒に乾杯してくれなきゃ。……ほら、かんぱーい!」
再び、グラスの中の氷が小気味よい音をたてる。一杯分だけの音を。
「やれやれ……ノリが悪いなぁ」
「…………お前は……お前は、誰だ……?」
そいつの言葉を無視して、俺はようやくそれだけの言葉を舌に載せた。
頭は冷静に動いている。けど、舌はそうはいってくれなかった。
「僕は僕さ」
「……じゃあ、どうしてそんなに俺とそっくりな顔をしてるんだ?」
「それは、もう一人の君だからに決まっているじゃないか」
「…………なんだって……?」
「別に不思議じゃないだろ? この世の中には同じ顔の人間が三人はいるっていうじゃないか」
「ああ……」
そうかと納得しかけた時、それだったらもう一人の君だなんて言うはずがないと気付いた。
普段なら納得なんかしない事に、どうして納得しかけたのだろうか?
「おや? その顔は、もしかして気付いたのかな?」
いかにも意外だとの顔をして、そいつは言った。
「バカにするな。気付くだろう、普通なら」
さっきまでと違い、今度はしっかりと舌が動く。
するとそいつは、さっきとは違った邪悪な笑みを浮かべた。
「いいや、普通なら気付かないんだよ。この香が焚かれているからね」
「何?」
この香がなんだって言うんだ?
「この香は本来なら、人間の思考力を含めた五感を徐々に鈍らせ、最後には全て失わせるのさ」
「な……!?」
「舌が鈍ってるから、ちゃんと効いてると思ったんだけどなぁ……どうやら君には効いてないみたいだね。失敗、失敗」
……なんてところだったんだ、ここは……。
「それが効かなかったって事は……あははははっ」
何が面白いのか、そいつは大声で笑い出した。
そして、その声は俺にとっては非常に腹立たしいものだった。
「何がそんなにおかしいんだよ!」
俺はつい、声を荒げていた。
「まあ、そう怒らないでくれたまえ。君は選ばれた人なのだから」
「選ばれたから死ぬって言うのか? ふんっ、いい迷惑だな。俺は今すぐ帰る!」
「ふふ…帰れるかな?」
俺はそいつが浮かべた笑みを無視し、店の外に出ようとした。
ゴンッ。
「!?」
さっきまで座っていた、ソファーのある一段低い部分から出ようとした瞬間、なにか透明な壁のようなものにぶつかってしまった。
「な……なんだ!?」
「やれやれ……」
呆然とその場で立ち尽くしていると、そいつが横を通り過ぎ、外に出ていった。
「え……?」
「安心しろ」
そいつはくるりと向きをこっちに変えると、ヤケに優しい笑みを浮かべながら言った。
「俺が今から、大川進だ。お前の名前は失われた」
「な……!?」
「そしてお前は死ななくなった。死ねもしないがな。何故なら、選ばれた者だからな。だが、そこから出る事も出来ない」
いつの間にか、彼の服が変わっていた。僕と同じ服に……。
「何十年何百年かかるかわからないが、今回のお前みたいに、代わりとなるやつが来るまで、お前はそこで永遠に生きる事ができる。世の中で何が起きているかも、知りたい事があれば知る事ができる。代わりのやつが出現したかどうかもな」
「………………」
「ここが気に入ったならば、その代わりのやつを帰せば、お前はまたここで永遠に生きていく事が可能だ」
僕が……僕がこのまま戻れなかったら、美咲は………。
「安心しろ。お前の大事な妹は、俺がしっかり面倒を見てやるよ。……そう。しっかりな」
「……どういう、意味なんだ……?」
彼は、何かを楽しみにしているような笑みを浮かべている。けど、僕にはそれがなんだかわからなかった。
「気になるんなら、後で俺の行動を知りたいと思うんだな。そうすれば、俺が何をしているかがわかるさ」
………彼が何をしているのか知りたい………。
………………………。
「……わからない……」
「おいおい、今思ったのか? ここで思っても何の意味もないぞ。外にいるやつらが、今、何をしているかがわかるんだからな」
「……そうなの?」
「そうだ。今、外にいるやつの事を考えてみろ」
「今、外にいる人……」
美咲は今、何をしているんだろうか……?
………………………。
………そんな……。
「美咲……!」
「おや? 気持ちにも一緒に気付いてしまったか?」
「………君は知っていたと、そう言うのかい?」
「当然だ。だから、妹の事はしっかり面倒を見てやると言ったんだ」
「君に大事な妹を」
「待て。言いたい事はあるだろうが、その前にこれを見ろ」
僕の言葉をさえぎり、彼は人指し指を僕の目の前に突き出した。
「それがなんだって言うんだい?」
「ふふ……。次に目を覚ました時、お前は立派な守人となっているだろう」
「……もりびと?」
「そう、守人さ。輪廻の環から外れ、全てを見守りつつユグドラの環を守り、護り続ける存在。全知全能に最も近くが無力なる者。神と悪魔をも従え…………」
何だろう…? 何だか、眠くて意識が薄れてき…た……よう………な…………。
「もぅ…お兄ちゃんったら、なんで呼んだのに気付いてくれないかなぁ……」
今日は土曜日なので、またいつものように、美咲は兄、進のいる街へとやってきていた。
そして今回は駅を出たところで進を見かけたので、声をかけた。
だが彼は振り向いた後、暫くすると何事もなかったように、また歩き出してしまった。
もう一度声をかけたが、今度は首だけ振り向き、また暫くすると行ってしまった。
「う〜………何よ、もう……」
ぶつぶつと、口の中で小さく文句を言いながら、進を追う美咲。
駆け足で追ったため、後少しで追い付く距離にまで来た。だが突然、視界から進が消えてしまった。
「……あれ? お兄ちゃん?」
見失った場所に来て、周囲を見回す。しかし、どこを見ても進はいない。
真直ぐな道なので、どこかに隠れる場所も脇道もなく、人通りも多くないので人影に隠れる事もない。
「…………おにいちゃぁん……どこ……?」
わずかにだが涙声になって周囲を見回していると、突如背後から抱きつかれた。
驚いて暴れようとするが、直後に聞こえた美咲の名を呼ぶ声で、体から力が抜けた。
「まさか、そこまで驚くとは思わなかったぞ」
「知らない人に抱き着かれたと思ったら、驚くよぅ……」
言いつつ、首の前に来てる兄の手に自分の手を乗せ、体も後ろに寄り掛かるようにする美咲。
「だから、お兄ちゃんで安心したよ。えへへっ」
「まったく、お前というやつは……」
「おおお、お兄ちゃん!?」
いつもと違う進の反応に驚く美咲。けど優しく抱き締めてくれるのは、美咲が何度も心の中で望んでいた事だった。
三先に取って、これはとても幸せな事だった。
「お…おにいちゃん……人が見てるよぅ……」
言葉の通り、数少ない通行人は殆ど二人を一度は見ていた。
「気にするな」
「気になるよぅ……」
美咲は恥ずかしくて、耳まで赤くなっていた。
「ふむ……そうか。なら、とっとと部屋に行くか」
「あ…………うん……」
美咲の手を握って歩き出した進と、その手を恥ずかしがりながら握り返して歩き出す美咲。
そうやって歩いていると、二人は初々しいカップルに見えない事もない。
暫くすると、もう二人を注目する通行人もいなくなった。
美咲は、嬉しさと恥ずかしさでやや下向きになりながら、進の手を握って隣を歩いている。
だから、誰も気付かなかった。誰もわからなかった。
進となった、その人物の浮かべていた笑みの意味に……。
完
はい、空理空論さんの1500カウントゲット・リクエスト小説でした。
リクエスト内容は、谷山浩子さんの曲で、ドッペル玄関の歌詞をテーマに一作でした。
思いっきり自己流のアレンジを加えたため、原曲の持つ明るくて不思議な曲って感じがなくなってしまいましたが、どうでしょうか?
自分なりのこだわりを出しつつ、●にも奇妙な物語の雰囲気を頑張って目指したつもりです(笑)
・・・・まあ、そのせいで無駄に長くなりましたけどね(爆)
まあ、色々とこれに関するエピソードをあげればそこそこの量になるけど、思いっきり省いて一つだけ書かせていただきます。
結末だけを思い付いたからって書くもんじゃないね。
・・・・・以上。失礼しました〜(^^;)
こんなのだけど、空理空論さん、受け取ってくださいなw
著:GP-03D/相模大和
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