Daemmernd liegt der Sommerabend | 黄昏なずむ 夏の宵 |
Ueber Wald und gruenen Wiesen; | 森と緑の 牧の上(へ)に |
Goldner Mond am blauen Himmel, | 青き空には 金色の月 |
Strahlt herunter, duftig labend. | 清らに匂う 光の滴 |
どこからか流れてくる、清らかな歌声。凛として、優しく、透き通るような少女の声が夕闇に沁み通っていく。
西の山並みに落ちた太陽の残照に燃え上がっていた夕空も、今やすっかりと熱を失って涼やかに暮れなずみ、空は漆黒を迎える前の深い群青色に澄み渡っている。
森の木々はさわさわとざわめきながらその陰を色濃くしていき、夜の帳をまとい始めた。
梢を離れて昇りはじめた月は、けれどもまださほど高くはなく、やや赤みを帯びて金色の光を投げている。
そよとの風もなく、鏡のように穏やかな湖には、わずかに揺らぎながらもう一つの月が黄金の小舟のように浮かんでいた。
きらめく水面の上を、ゆったりと透き通った歌声が流れている。
An dem Bache zirpt die Grille, | 川辺に歌う 虫の音 |
Und es regt sich in dem Wasser, | 水面(みなも)を揺らす 影一つ |
Und der Wanderer hoert ein Plaetschern | 旅人は聞く 静けさの内 |
Und ein Atmen in der Stille. | 微(かそ)けき水音 秘かな吐息 |
微かなさざ波が緩やかに湖面に広がり、黄金の月を幾つかの欠片に割って波間に散らした。
砕けた光の破片はきらきらと輝きながらたゆたっている。
ぴしゃっ、と小さな水音がして、また一つ波紋が広がり細やかな光の砂を湖に広げた。
湖畔の岩に腰を下ろした一人の少女の足先がそっと水面に触れるたび、光の輪が広がる。
少女は、よく通る美しい声で歌いながら、珊瑚礁の海を思わせる緑色の髪をくしけずっていた。
水に濡れた翡翠の髪は、梳かれるたびに艶やかに輝いてなめらかに少女の肩に零れた。
少女はふと手元に置かれた小さな瓶に目を落とした。
「ふふふ」
少女は今日幾度目かの笑みを満面に浮かべた。
今朝この瓶が湖の岸に打ち上げられているのを見つけてから、彼女はうれしくて仕方がないようにうきうきとしていた。
綺麗な花も摘んできた。
野いちごもずいぶん集めた。
愛らしく甘い果物もかごにいっぱい積んである。
きのこや木の実は森のグノームたちからの贈り物。
新鮮な魚もたくさん湖に分けてもらった。
そうだ、朝露を集めてとっておきのハーブティーを淹れてあげよう。
そう、少女の大切な友達のために。
もう一度、少女は小瓶をその手に取った。中には一枚の手紙が入っている。
『ウンディーネさん、お元気ですか? 俺たちはみんな元気です。ルーアンも愛原も相変わらず騒がしいし、キリュウは暑さにのびてるし、 たかしと乎一郎も、おまけに出雲まで、呼んでないのによく家に遊びに来ます。 山野辺と那奈姉は今でもお節介を焼いてくれます。 そして、シャオは今日も笑顔でいてくれます。 あれからいろいろあったけど、俺たちはみんな元気にやっています。 今度、みんなで湖に遊びに行きます。また、あの思い出の場所に。 七梨太助より』
「あれから1年か」
友達って、なんてうれしいものなのだろう。普段は離れていても、きっと心はつながっている。
ウンディーネは、その幸せを今胸一杯に感じていた。
水の精たちが湖まで届けてくれますように。太助たちはそう願いを込めて、手紙を詰めた小さな瓶を川に流したという。
他愛ないことかもしれない。けれど、とても暖かいことだった。
「ありがとう」
小さな感謝の言葉は、手紙を運んでくれた水の精たちに、太助たちに、そして彼女を包む数多の存在に向けられたのかも
しれない。
「もう、叔父様ったら」
いつの間にか、そばには銀の燭台、神々しい月のレリーフされた銀の食器、そして年代物の高級なワインが1本、置いて
あった。
「人間界じゃ、子供はお酒を飲めないのよ」
くすっと笑うと、ウンディーネは空を見上げた。
空には白い満月が浮かんでいる。紺碧の瞳は、吸い込まれるように銀色の光を見つめた。
明るい明日の予感を胸に、ウンディーネは心から微笑みながら、、再び髪を梳く手を動かし始めた。
柔らかな口唇が、古い歌を紡ぐ。
Dort an dem Bach alleine, | 川のほとりに 水浴(みあみ)する |
Badet sich die schoene Elfe; | 奇(く)しき乙女の ただ一人 |
Arm und Nachken, weiss und lieblich, | 白くやさしき 腕(かいな)と首が |
Schimmern in dem Mondenscheine. | 月の光に 浮かび輝く |
岸辺で時折、鈴のように虫が鳴いている。夏の夜もとうに暮れ、夜半の空には高く満月が浮かんでいる。
緑の草原も、深い森も、その下で安らかな眠りについている。黒々としたそのシルエットに、光はさらさらと惜しみなく
注がれている。
微かな夜風が、透き通る歌声を、森の向こう、彼らの元まで運ぶように、少女の歌を包んで水面を渡っていった。
5ヶ月ぶりくらいの作品だろうか。久しぶりに小品をひとつ。
詩はハイネの「夏の夕べ(Sommerabend)」です。ドイツ文学は妖精が好きですが、
この詩に出てくるElfeはその中でも特に愛されている水の精ウンディーネです。
ちょうどよかったので選んでみました。
ハイネのこの詩にはヨハネス・ブラームスが曲をつけています。今度聞いてみようっと。
水辺の岩に座って髪を梳りつつ歌を歌う、というと、何やらライン川あたりの別の人の気もしますが(^^;