鏡のような月の上を、黒い影がゆっくりと滑って行く。
太助とシャオは、屋根の上でそれを見つめていた。
「太助様、お月見しましょう」
「え?ああ」
「綺麗な月だな」
「ええ、とっても・・・」
その夜の月は、本当にとても綺麗だった。
非の打ちどころのないほど丸い月は、眩いほどの光を放って滑らかに空を昇って行く。
その鏡のような月の一端に、やがてわずかに黒い陰りが現れた。
その影は、次第に滑るように鏡面をなめていく。
ゆっくりと、しかし着実に、月よりはるかに大きい影は月面をよぎって行った。
その光景を、二人はただじっと見つめていた。
無言の天体の運行が織り成す一夜の叙事詩を、ただ深い感動とともに見上げていた。
今やその一部を闇に覆われた丸い月。
そしてその月を覆い隠す巨大な影もまた、限りなく丸い。
それが、今自分が立っている大地の影であることの不思議。
ふとシャオは、自分の影もまた月面に落ちているような気がした。
そんなことが実際にはあり得ないことはもちろんわかっている。
それでも、あの月のどこかに、自分と、自分の隣にいる主の影が
小さく並んで映っていることを想像して、シャオは嬉しくなった。
シャオは、そっと太助の腕を引き寄せた。
「・・・どうした、シャオ?」
「いいえ。ただ、嬉しかったから・・・」
シャオはいつも月を見上げていた。
しかし、今夜はいつもと違う。
それは、月食のためなどではない。隣に大切な人がいてくれるから。
これまで幾度、シャオは欠けていく月を見つめたことだろう。
そしてどれだけ不安に怯えたことだろう。
もし、あの月がもう現れなかったら、再び輝くことがなかったら・・・
〜 私は守護月天 ちょっと離れてしまうことがあっても 月が必ず空に昇ってくるように 私は必ずあなたのところに帰ります 〜
でももし、このまま月が昇らなかったら・・・
今でも、不安が全て消えたわけではない。
いつか訪れるはずの別れ。
これまで繰り返してきた悲しみ。
影に飲み込まれていく月が、一人泣いた闇を思い起こさせることもあった。
しかし、少なくともこの瞬間、自分の隣に誰よりも大切なその人がいることを、シャオは幸せに感じていた。
だから、月を覆っていく地球の影さえ、自分とこの世界との大事な絆であるかのように愛しく感じられた。
シャオは太助の腕を強く抱きしめた。
「よかった。・・・こうして太助様といられて」
「ああ・・・」
太助はそっと、シャオの手に自分の手を重ねた。
二人の手に、互いのぬくもりが流れる。
二人は顔を見合わせてはいない。
けれど、相手が感じていることがわかる気がした。
二人は今、唯一つの同じ月を見つめている。
そして、互いに見交わしたりなどしなくとも、
月には愛しいその顔が重なって浮かんでいることを、二人は知っている。
こうしている間にも、月は昇り、影は滑る。
影は月の半ばを覆うと、やがて音もなく去り始めた。
二人を包む月の光は、再び輝きを取り戻していく。
夜空に、鏡のような月が浮かぶ。
その表には、一点の曇りもない。
先ほどの影などまるでなかったかのように、月光は煌々と降り注ぐ。
ふと太助は、シャオの顔を見た。
そこにはもう一つの月があった。
一心に月を見つめ、シャオは穏やかな微笑を浮かべている。
銀色の髪にちりばめられた月の雫が静かに波打っている。
息を飲むような美しさから、太助は目が離せなかった。
「太助様・・・」
「・・・」
「もう少し、こうしていないか」
「・・・はい」
月は夜空を滑っていく。
幾世紀も変わらぬリズムで、夜空を翔る。
その光の下、寄り添っている二つの影が、ほんの少しだけ近づいた気がした。
それは、ある夜の出来事。