水妖記(ウンディーネ) その8

〜まもって守護月天オリジナルストーリー〜



(なんだか眩しいな。真っ白な光・・・。俺はまだ湖を漂ってるのかな。なんだろう、暖か い。そうだ、シャオに支天輪を返さなくちゃ。シャオ、シャオはどこ・・・)
 太助は、まだぼんやりとしたまま、うっすらと目を開いた。目の前に、誰かの顔があった。 その輪郭は次第にはっきりとしていき、ようやく、自分の瞳をのぞき込むようにしている大 切な少女の瞳を認めた。
「シャオ・・・」
「太助様・・・。太助様!」
 シャオは、緊張がゆるんだのか、わっと太助の上に泣き伏せた。太助は、自分がシャオの 膝に頭をのせて横たわっていることに気付いた。
「太助様、本当に、無事でよかった」
 涙を拭いながら、シャオは身を起こした。
「シャオ。ほら、支天輪」
 太助は右手にしっかりと握りしめた支天輪を差し出した。シャオは、両手で太助の手を握 ると、抱きしめるように包み込んだ。
「あんな無茶なこと、もうしないでください」
「心配させてごめん。でも、シャオを悲しませたくなかったから」
「そんなこと言って、結局泣かせてるじゃないか」
「那奈姉・・・」
 見回すと、那奈や山野辺、キリュウ、乎一郎がほっとした顔で立っていた。その向こうで は、出雲、たかし、花織、そしてルーアンがものすごい形相で睨んでいる。
「飛び込んだところまではかっこよかったけどさ、もう少ししっかりしろよな。まっ、でも 七梨、シャオに人工呼吸してもらえてよかったな」
「え、じんこう・・・? ・・・・・・じ、人工呼吸!?」
 太助は驚きのあまり飛び上がるように身を起こすと顔を真っ赤にした。どうりで向こうで 四人が睨んでいるわけである。
 助け上げられたとき、太助は呼吸が止まりかけていた。それを必死に介抱したのはシャオ だった。もちろん、ルーアンや花織が騒いだのは言うまでもない。
「七梨先輩はあたしが看病します!」
「なにいってんの、あたしの人工呼吸(くちづけと読むらしい)で助けるのよ」
「お前ら、いいかげんにしろ!緊急事態なんだぞ!」
 那奈の一喝で、辺りが治まったとき、応急救護はどうにか済んだところだったのだ。
「シャオ、ありがとう。ほんとに、ごめんな」
「いえ、太助様も、ありがとうございました」
「太助君、無事でよかったね」
 ウンディーネの声に振り返った太助は、何かを思い出したようにはっと目を大きくした。
「そうか、ウンディーネさんが助けてくれたんだね。あの時誰かが手首を引いてくれたのを、 微かに感じたんだ。ありがとう」
「ううん、私の方こそ、本当にごめんなさい。最後まで、迷惑かけちゃって・・・」
「そんなことないよ。ウンディーネさんのお陰で、こうして事なきを得たんだし。大丈夫だ から、気にしないで」
 太助は、まだ少し重い体を持ち上げて立ち上がると、ううん、と伸びをした。見回すと、 辺りはもとの静かな湖に戻っていた。
「今度こそ、帰ろうか」

「それじゃ、さようなら、ウンディーネさん」
「また、遊びに来てね、太助君、シャオさん。翔子さん達も」
「きっと来るよ。またな」
 太助達は、再び水が引き姿を見せた岬の道を渡り、森の入口に来るまで、何度も振り返っ ては、ウンディーネに手を振った。たった三日ばかりの間に、彼らはかけがえのない友人に なった。また会える予感を胸に、太助達は湖を後にした。
 木漏れ日が心地よい森の小径を、賑やかに歩いていく。太助とシャオは、妙に互いを意識 し、ルーアンは面白くなさそうにちょっかいを出しては雰囲気を壊している。乎一郎はそれ を追いかけ、花織やたかしはいつになく当たりが厳しい。キリュウは小鳥と戯れながら、翔 子と並んで歩いていた。出雲は那奈にもてあそばれて疲れた顔をしていた。そんな、いつも と同じ空気が、ようやく帰ってきた。
 と、その時、脇を流れていた小川があふれ出したかと思うと、太助達の行く手を遮るよう に小径を横切った。その中からシュッシュッと吹き上げた水が、白く背の高い人影を露わに した。キューレボルンである。
 シャオは、支天輪を握りしめ、きっとキューレボルンを見据えた。太助は、そんなシャオ をかばうように背中にまわすと、少し身構えた。
「何の用だよ」
 翔子が強い語気で問いただすと、ルーアンは黒天筒を今にも振りかざそうとした。キュー レボルンは静かに首を振ると、手を挙げてそれを制した。
「いや、もう争う必要はない」
 以外にも穏やかな口調に、太助達はほっとした。
「手荒なことをして済まなかった。七梨太助よ、そなたの心の強さ、見せてもらった」
 キューレボルンは、厳かささえ具えた静かな言葉で語りはじめた。
「月の精のために自ら湖に身を投じる姿を見て、ようやくそなたらの絆を思い知った。 大切な人を守るために自分の危険さえ厭わないそなたの強さと優しさを、見誤っていたようだ。 ウンディーネを見て分かった気がする。あの娘はなんとも善い心を与えられたものだ。深 い優しさと、たとえ涙でさえも越える強さを持っていよう。それは、そなたが清い心の持ち主だ からだ。礼を言おう」
 キューレボルンの表情が今まで感じられなかった慈愛をもって見えた。
「人と本当に触れ合うということが、どれ程大切なものか、この歳になって初めて学ぶこと ができたわ」
 さも愉快そうに笑うと、キューレボルンはゆっくりと足を踏み出し、太助達の間を抜けて、 湖の方へ歩き始めた。数歩進むと、キューレボルンは立ち止まり、背を向けたまま振り返ら ずに言った。
「七梨太助よ、また訪ってくれ。ウンディーネも喜ぼう」
 再び歩み始めると、キューレボルンは頻りに頷きながら森の中へと分け入っていった。ゆ ったりとした襞の多い服が、森を抜ける風にひらめいて、木漏れ日に輝く白さが眩しかった。 森の中を進む背の高い白い後ろ姿は、やがて森に溶け込むようにふっと消え、さわさわと小 川の音だけが森を渡っていった。
 太助は、眩しい夏の青空を見上げた。いつかまた、この青空を映す美しい湖に、湖のよう に深い色の瞳を持った少女に会いに来よう、そう心に誓いながら。




エピローグ

 夏も終わろうとしていたが、まだうだるような残暑が控えている頃。日が暮れて間もなく、 シャオはキッチンで夕食の支度をし、ルーアンはリビングで那奈とテレビを見ていた。その 隅ではキリュウが暑さに伸びていた。太助は、少し早いが試練の汗を流そうと風呂に入って いる。
 と。
「うわあああ」
 浴室から、突然太助の叫び声が聞こえた。シャオは慌てて駆けだした。
「どうしたんですか、太助様!」
「何かあったの、たー様」
「「ああ!!」」
「まあ!」
「ちょっと、あんた・・・」
「う、ウンディーネさん、ななな、何でこんな所に・・・」
 真っ赤な顔をした太助の前で、ぺろっと舌を出しているのはなんとウンディーネだった。
「水を辿って来てみたんだけど、都会の水道は迷路みたいで、出口を間違えちゃったみたい」
 ウンディーネは、太助が蛇口をひねった途端シャワーから飛び出してきたのである。
「おお、久しぶりだな」
「ウンディーネ殿か・・・よく来たな」
 那奈やキリュウまでも駆けつけ、浴室は賑やかになった。思い出話に花が咲こうとした時、
「なあ・・・。とりあえず、みんな風呂場から出てくれないか」
 湯船の中にあごまで沈んだまま太助がそう言うと、キリュウとウンディーネは赤い顔をし て、シャオは少し残念そうに、ルーアンは那奈に引きずられて戻っていき、ようやく浴室に 平和が戻った。ぽつんと取り残された太助は、ほうっと溜め息をついた。
「ああ、びっくりした。ま、元気そうでよかったな。・・・ん、なんだか嫌な予感がする」
 浴室でぼやく太助の声が通じたのかどうか、玄関で響くチャイムの音と賑やかな声が、残 り少ない夏の夜を騒がしくしそうだった。






初出 月天召来! 2000.5.15
改訂 2000.10.5
written by AST (S.Naitoh),2000


初出版 後書き

ようやく、最後まで公開することができました。こうして数話に分けて出してみると、
思ったよりだらだらしてしまったのが少し残念ですが。書き上げてからまとめて読んだ時は、
まとまって感じたのですが、情景描写が続いて各話にイベントが少なかったのかとも思います。
ストーリーを通しての構成ということで、起伏をはっきりさせたかったのですが。

さて、この話は、ある小説を元にして書かれています。ゲストキャラクターの名前や台詞は、
かなりその小説に基づいているのですが、ドイツ後期ロマン派の作家フーケーに、
同名の「水妖記」という作品があります。岩波文庫からも出ているのですが、
その世界が月天と重なるところがあるのではないかと思って、書いてみました。
ウンディーネという少女そして、ウンディーネのためを思えばこそ頑なになる
キューレボルンという存在も、何かしら似たものを背負っているキャラがいると思いませんか。
原作が、キリスト教的な倫理観などを持っていて、それをそのまま引きずりすぎて、
台詞が場違いに重くなってしまった気もしますが。
フーケーのウンディーネは、もっと切なく、哀しい結末を迎えます。
それは、もし触れる機会があったら、その時に読んでみてください。

2000.5.15



改訂版 後書き

フリードリヒ・モット・フーケーの原作小説「ウンディーネ」に最初に出会ったのは中学のころ。
ある書評に引用されていた結末の一説に、なぜか心引かれ、文庫本を求めた。

「みんなとりとめもない夢だ」と騎士は独り言を言った。「もう花嫁の閨にはいらなければならない。」
「はいらなければなりません。でもそれは、冷たい閨です。」 部屋の外から、涙声でそう言うのが聞こえた。それから、扉が徐かに、徐かに開き、さまよう白衣の女がはいって来て、そっと掛け金をかけるのが、姿見に写って見えた。
「あの人たちは泉を開けました。」と女は小声に言った。「それで私はここへ来ました。あなたはもうお命がございません。」
騎士は、心臓がだんだん止まって行ったが、こうなるより仕方がないのだと心に感じた。けれども両手で顔を覆って言った。
「いまわのきわに、恐ろしさで気を狂わせないでおくれ。お前がそのヴェールの下に恐ろしい顔をしているなら、それを脱がずに、顔を見せずに、私を裁いておくれ。」
「まあ、それではあなたは、もう一度だけ、私を見てやろうとはお思いになりませんの?私は今も、あなたが岬で言い寄った時と同じく、美しいのです。」
「ああそうだったらね」と言って、フルトブラントは溜息をついた。「そして、お前に接吻をしてもらって死ねたらね。」
「あなた、喜んでしますわ。」
女はヴェールを払った。愛らしい顔が、神々しくも美しい微笑をたたえて、現れた。恋しさと死の近づきに慄えながら、騎士は女に身を凭せた。女は騎士にこの世ならぬ接吻をした。 しかしもう騎士を放さなかった。ひしと男を抱きしめて、魂も尽きるまで泣こうとするかのように女は泣いた。その涙は騎士の眼に入り、快い痛みのうちに、胸を通って波うった。 とうとう騎士は息も絶えて、美しい女の腕から寝床の枕の上に骸となって、しずかに倒れた。
「あの方を涙で殺しました。」

騎士フルトブラントと水の精ウンディーネとの悲恋は、御伽噺にありがちな、いかにもロマン派的な甘美な悲劇だった。使い古された、とさえ言えそうなこの物語が、けれどもどうしてか心に残った。
それから数年を経て、ふと目にした自室の本棚に、今もその文庫本はあった。手にとって開くと、そのあまりに純朴なまでの悲しさに、不覚にも涙しそうになった。それと同時に、守護月天の世界と、 悲しげなシャオの表情と、何かが重なって見えた。しばらく夢想した後、筆をとり、こうして遅筆ながら書き上げることができた。
この小説に求めたかったものは、あくまでも守護月天世界の二次小説としてその世界観とギャップを持たないこと。自然に世界をつなげてもらえること。 結果としては、言いまわしが時に重いこと、そして何より、原作にはほとんどない戦闘場面を挿入してしまったことで、出版小説のような読後感、と言う高すぎる理想には 到底及ばないものとなってしまった。
そして今一つ、求めたかったものは、あるいは、190年前にフーケーの手によって涙を与えられたウンディーネに、今一度笑顔を与えたかったのかもしれない。

こうして公開することで、多くの方に読んでもらうことができ、月天召来における初出のときは感想もいただくことができたことに、感謝しています。


献辞

Webページ上で公開する機会を下さった空理空論さんに、ここに感謝とともにこの小説を寄贈し、献呈する。

2000.10.6 AST

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