水妖記(ウンディーネ) その7

〜まもって守護月天オリジナルストーリー〜



「さあ、そろそろ行こうか」
 翌朝、出発の準備を整えた太助達は、予定通りに島を離れることにした。
「それじゃあ、ウンディーネさん、元気で」
「ええ。太助君達も、元気でね」
「でもさー、どうやって渡るんだ?」
 たかしが言うのも無理はなかった。昨日の大水で、島はまだ陸と分断されたままだったか ら。
「野村、もう少し頭使えよ。キリュウ、短天扇を大きくしてくれよ。あ、シャオは軒轅で渡 れるよな」
 てきぱきと翔子が指示すると、ウンディーネがにっこりと微笑んでそれを制した。
「大丈夫。すぐに水を引かせるから」
 そういうと、ウンディーネは湖に手を浸して二言三言ささやいた。すると、見る見る水が 引いて、岬の地面が姿を表した。一筋の細い道が、再び小さな島と湖岸の森とをつないだ。
「ありがとう。じゃあ」
 太助達はまだ水を含んだ道に踏み出した。ウンディーネが笑顔で手を振っている。ところ が、ゆっくりと退き続けていた水が突如沸き返ると、湖は渦巻くように波立ちあっと言う間 に岬を飲み込んで再び道を閉ざしてしまった。
「うわっ、なんだ?」
「ウンディーネさん、これは一体?」
 驚愕する一同の目の前で、湖水の一部が沸き立つように泡立ったかと思うと、噴水のよう に高く吹き上げた。吹き上げた水は、次第に人の形を取りはじめ、やがて真っ白な服に身を 包んだ背の高い男が姿を表した。
「ああっ」
「たかし君、あのときの」
 叫んだのはたかし達だった。来るときに森の中で見かけた不気味な人影にそっくりだった からだ。
「ウンディーネ。どういうことだ」
「キューレボルン叔父様・・・」
 白いマントを翻した、キューレボルンと呼ばれた男は、ウンディーネに厳しい口調で問い ただした。
「お前は父の願い通り心を得るためにその少年と結ばれたのではないのか?わしはそのため にこうしてこの少年達を引き留めようともしたのだ。なのにどうして送り出すことができ る。水界の掟を忘れたというのか?」
「それは・・・」
「水界の、掟・・・」
 太助は唇をかみしめて険しい表情をしたウンディーネを見た。キューレボルンは低い声で なお続けた。
「人間の愛を得て魂を持った水精は、その相手が他の女を娶ろうとしたときにはその命を自 ら奪わねばならぬ。その掟を知っていて、なお従わぬというのか」
「浮気は御法度、ってわけか」
「冗談を言っている場合じゃありませんよ、翔子さん」
 翔子が唇を歪めて皮肉をとばしたが、出雲に言われるまでもなく、その場の張り詰めた重 い雰囲気は誰もに沈黙を強いた。
 俯いていたウンディーネは、つっと顔を上げると、微笑みさえ浮かべてこう言った。
「あら、叔父様。太助君は、初めから私ではなくてシャオさんのことを好きなのよ。叔父様 が思っているように、私は棄てられたわけでも、裏切られたわけでもないわ」
「な、ななっ」
 ウンディーネの言葉に、太助は真っ赤になった。恐る恐る振り返ると、シャオと視線があ ってしまった。二人は、ますます顔を赤らめると、さっと目を逸らした。そんな二人を見な がら、よしっ、と見交わすもの3名。太助を睨み付けるもの2名。そして、
「ちょっと、何言ってんのよ。たー様にはあたしがいるんだから」
「そうですよ。七梨先輩にはわたしがいるんですから」
 その様子に、キューレボルンはますます怒りを露わにした。周囲の泡立つ波が激しく吼え はじめた。
「七梨太助。汝はウンディーネとの結びつきを冒涜するつもりなのか!」
「え?そんなこと言われても・・・」
 太助は、キューレボルンの剣幕にたじたじとなった。その前に立ちはだかったのは、また もウンディーネだった。
「叔父様。私は確かに太助君や、シャオさんや、みんなと出会って、そして大切なものをも らいました。今でも、私達はちゃんと結びついていますわ。それは、叔父様が考えていら っしゃるような仕方ではないかも知れませんが」
 それを聞くと、キューレボルンは、今度は諭すように語りかけた。
「私は長く生き、多くの精達が、人間の愛に束の間の喜びを得て、やがて打ちのめされるの を見た。お前にはそんな思いをさせたくないのだ。だが、その少年がその娘と結ばれたの ならば、お前はどうなる?忘れられたお前はその手で裁かねばならないのだ」
 ウンディーネは静かに首を振ると、答えた。
「私達は、今まで水の精が語り継いできたように愛を誓ったり、結婚の約束をしたわけでは ありません。もしそうだったら、私も掟に従うことを拒めないでしょう」
「だがウンディーネ。お前はもはや今までと同じではない。その胸に抱いているものは何だ。 お前は魂を得た、それはお前の重さを見ただけで良く分かる」
 キューレボルンは、ウンディーネの言葉の意味が、まだよく分かってはいないようだった。
「ええ。私は心を持ちました。それは、私が太助君達の心とふれあったからですわ。そして、 お互いの心の中に、大切な思い出が残る。それだけでもう、私達はこの地上でかけがえの ない結びつきになったのです。私達はずっと友達ですし、時が来てこの身が消えるときが 来ても、私は彼らの中に生き続ける。今はそれを信じることができます。それに・・・」
 ウンディーネは太助とシャオをちらりと見た。
「こんなに想いあっている二人を引き裂くなんて、そんな心ないことはできませんもの」
 相手の思いをくみ取ることができる。それは、まさしくウンディーネが心を得た証でもあ った。しかし、キューレボルンは首を振ると唸るように言った。
「やはりわしには理解できぬ。今のままでは涙から逃れることなどできないのだ。七梨太助、 汝にはここに留まってもらう」
 キューレボルンが言い終わるやいなや、湖の水が盛り上がったかと思うと、太助に向かっ て迸った。
「うおっと」
 間一髪、太助はそれを飛び退けて交わしたが、幾本もの大きな腕が湖から突き出して太助 を捕らえようと飛びかかってきた。
「ちょっと、たー様になにすんのよ!」
「太助様!」
「シャオ!危ないからさがってろ!うわっ」
 その時、一本の腕が太助から引き離そうとするかのようにシャオに向かって伸びてきた。
「シャオ!!」
 太助はシャオを突き飛ばしたが、その瞬間まともに水を受けて地面にしたたかに叩きつけ られてしまった。それを見て取り押さえようと、立ち上がろうとする太助にさらに腕が襲い かかった。
「きゃあ、太助君!叔父様、止めて!」
「太助様!!来々、車騎!」
 ドオン!車騎の放った一撃に、すんでの所で水の腕は砕け散った。太助は、崩れ落ちる水 飛沫を浴びながら、ようやく立ち上がった。
「サンキュー、シャオ」
「その力・・・。小娘、精霊なのか」
 キューレボルンは唸るように言うと、さらに激しく哮り立った。迫り来る幾筋もの水流が シャオを襲う。車騎が射撃姿勢をとろうとした瞬間、その幾つかがぱっと弾け飛んだ。
「みんな・・・」
「シャオリンばかりにいい格好はさせなくてよ!陽天心召来!!」
「おい、七梨!ちゃんとシャオを守れよ!」
 陽天心をかけられた木切れや板が水の腕を両断したかと思えば、巨大な石が水を押しつぶ している。翔子や那奈も、手に手に石を握って奮戦していた。突然の援護射撃に、キューレ ボルンは一瞬たじろいだが、水の塊を打ち出した。
「万象大乱」
 すかさず木の葉を巨大化させて防御するキリュウ。しかし、相手は所詮水である。車騎の 砲弾が貫いてもあまり効果はない。砕けた後から次から次へと新しい水の柱が盛り上がり、 このままでは湖の水が尽きない限り切りがなかった。
「そうか!シャオ、火だ」
「来々、天鶏!!」
 迫り来る水の腕に、矢のように支天輪から飛び出した高温の火の鳥が体当たりすると、あ っと言う間に腕は蒸発して霧散してしまった。そのまま返す刀で水を蹴散らしていく天鶏。
「よし、こっちのもんだぜ。あ、太助!」
「七梨、足元を見ろ!」
 いつの間に忍び寄ったのか、太助の足元までひたひたと打ち寄せた水は、今にも太助の足 をからめ取ろうとしていた。
「太助様!軒轅!」
 とっさに、シャオは軒轅を呼び出すと、太助をさらう様に拾い上げて空へ逃げた。それを 追って水面から無数の水の筋が伸びていく。軒轅は右へ左へとかわしながら水面を走った。 目標を外れた水流は湖面に崩れ落ちては水柱をあげる。戦いの場は次第に島を離れ、湖の上 を移動していった。
 静かになった岸から見ていると、それは壮烈な光景だった。必至に馳せる竜。それを襲い 降り注ぐ幾筋もの水の放列。その間を直援の天鶏が炎の矢となって旋回している。弾けた水 飛沫に軒轅の姿が隠れると、残されたたかし達はハッとして息を呑んだ。次の瞬間、崩れ落 ちた水柱の向こうからその姿が現れると、ほっと安堵の息をつく。立ち上がる水柱はすさま じい速さで蛇行しながら湖面を移動していった。
 ウンディーネは、まだ島の周りで波立っている水に向かって激しく叱咤して鎮めていたが、 やはりちらちらと心配そうに太助達の行方を見遣っていた。と、
「あっ」
と小さな叫び声をあげると、身を翻して湖を渡っていった。飛ぶように湖面を駆けていく彼 女の足元には、足跡の代わりに波紋が連なって残されていった。

「太助様、しっかりつかまっていてください」
「シャオこそ、気をつけろよ」
 どんな場面にあっても、互いを気遣いあう二人だが、この状況を切り抜けるのに必死だっ た。執拗に追ってくる水を軒轅は懸命にかわして全力で駆けていた。崩れ落ちる水飛沫が、 二人を包み込んでぐっしょりと濡らした。ちらっと目を上げると、襲いかかろうとする放水 を防ぐべく、天鶏が青空に輪を描いていた。飛び散った飛沫に映る赤い炎の閃きが、場違い なくらい鮮やかに見えた。
 突如、真下の死角から一筋の水柱が立ち上がった。咄嗟のことに、さしもの軒轅もこれを かわしきることができなかった。水柱はシャオを掠めるように吹き上げると、激しく音を立 てて崩れ落ちた。
「きゃっ」
 シャオの悲鳴に太助は振り返り、それをみとめた。
「ああ、支天輪がっ!」
 水柱に叩かれてシャオの手から離れてしまった支天輪は、くるくると回りながら弧を描く と、ぽちゃっと小さな音とともに水中に消えていった。その瞬間、
 バシャン!
「!! 太助様あ!!」
 太助は軒轅の上から身を躍らせると、湖に飛び込んでいた。

 ゆらゆらと揺れながら静かに沈んでいく支天輪が、水中で散乱された朧な光の中に頼りな げに遠離る。太助は、水の中で思うように動きをとれないことがもどかしくて仕方がなかっ た。
「くそっ。必ずもって帰る。支天輪を・・・。待ってろ、シャオ」
 もがいても、太助の体は一向に進まないように思われた。伸ばした指の先を逃げるように 支天輪は沈んでいく。それはまるで、底知れぬ湖の濃緑色に澱んだ深みに吸い込まれていく ようにも見えた。もう息が続かない。嘲笑うキューレボルンの顔が一瞬目に浮かんだ。
「取り戻すんだ。こんなことでもうシャオを泣かせたりしない。離珠、みんなも・・・」
 太助は身を伸ばしてあらん限り腕を差し出した。指先に、微かに堅いものが当たった。
「よおし」
 太助は精一杯腕を伸ばして、支天輪をしっかりと掴んだ。
「やった。取り戻したぞ、シャオ!!」
 その瞬間。ゴボッ。太助の口から空気の泡があふれ出した。
「ああっ」
 太助の体は急に力を失うと、水中を漂いはじめた。見上げると、水面に揺らいだ白い太陽 がいくつもの破片となって浮かんでいる。音のない、静かな世界だった。
「シャオ・・・」
 太助の瞼に、シャオの顔が浮かんだ。再び霞んでいく目を開けると、白い光の中に、緑色 の波が広がるのが見えたような気がした。そのまま、太助の意識は遠ざかっていった。



その8へつづく


初出 月天召来! 2000.5.9
改訂 2000.10.5
written by AST (S.Naitoh),2000

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