水妖記(ウンディーネ) その6

〜まもって守護月天オリジナルストーリー〜



「心配したぜ、ウンディーネちゃん」
「本当に無事で何よりです」
「ま、これで一段落だな」
「七梨先輩、あたしすっごく心配したんですよ」
「たー様ったらルーアンにこんなに心配させるなんて」
 嵐がおさまったコテージの食堂では、無事に全員が戻ってきた安堵感から、いつにも増し て賑やかに感じられた。
「さっきは本当にごめんなさい。あんなにわがままなことばかり言って」
 ウンディーネがしおらしく頭を下げると、誰もそれ以上責めるようなことは言わなかった。 本当は、誰一人心配していないものはいなかったのだ。
「でも、びっくりしたよな」
「ああ、いきなり嵐が来たからな」
「あっという間におさまっちゃったけどね。なんだったんだろう、あの天気」
 たかし、翔子ばかりでなく、誰しも首をひねった。もちろん予報ではそんなことを言って いなかったし、直前までそんな気配は微塵もなかった。その上、見たこともないようなすさ まじい大水が押し寄せてきたのである。今はまったく穏やかに静まり返ってしまっただけに、 キツネにつままれたような気分になるのも無理はない。
 唯一人、少しうつむいて考え込んでいたウンディーネが、静かに口を開いた。
「そのことについて、お話ししたいことがあります」
 その深刻そうな表情に、食堂は水を打ったように静まり返った。太助達の視線はウンディ ーネに集まった。ウンディーネは、低い声でゆっくりと言葉を紡ぎはじめた。
「あなた達はご存じでないと思いますけれど、世の中の地水火風の中には、あなた達とほと んど同じ姿をしながら、滅多に姿を見せない生き物が棲んでいます。炎の中には火の精が ぴかぴかと戯れていますし、地面の下にはいたずら好きなグノームという土色の痩せた土 の精が棲んでいます」
 突然不思議なことを語り出したウンディーネに、一同は呆気にとられた。先程までの幼さ を残した様子とは一転して、何か神秘的な、神々しさにも似た雰囲気がウンディーネを包ん でいた。
「森の中には風の精が飛びまわり、海や湖水や川の中には、水の精の大種族が棲んでいます。 水の底には水晶の宮殿があり、太陽や星の光が揺れる水面から降り注いで、その下では美 しい貝殻や珊瑚や、または古の美しいものが銀のベールに包まれて輝いています。そこに 棲んでいる生き物たちは、いかにも優しく麗しい姿をしています。今はめっきりなくなり ましたが、昔は人のよい漁師や子供達が、美しい娘が波から現れて歌うのを聞いたという ことも少なくありません。人間達は、そのような不思議な女達をウンディーネと呼んでそ の話を語り伝えました。そのウンディーネの一人を今あなた達は目の前に見ているのです」
 しばしの間、沈黙が部屋を包んだ。ウンディーネは、目を伏せたくなるのをこらえて、毅 然と顔をあげていた。奇異の視線に耐える覚悟だったのだろう。最初に口を開いたのは太助 だった。
「・・・へえ、そうなんだ」
「・・・・・・・・・。あんまり、驚かないのね」
 驚き混じりとは言え、意外なほど平然としている太助に、むしろウンディーネの方が目を 丸くした。
「え、そう?」
「普通の人は、とっても驚くか、信じようとはしないもの」
「あ、そうか。いや、なんか、こういうのは慣れっこだから」
 太助は苦笑した。そういえば、日常に鍛えられて不思議な出来事に驚かなくなっているな、 と妙に納得しながら。
「実はさ、言ってなかったけど、このシャオも月の精霊なんだ」
「え?・・・ええ!?」
 ウンディーネはとても驚いた。これまで見かけていた人間は、誰一人精の存在なんて信じ ていなかったのに、この少年は、自ら月の精霊を伴って現れたというのだから。
「守護月天シャオリンといいます」
 シャオは、驚いているウンディーネにぽけぽけと挨拶なんかしている。
「ついでに言うと、ルーアンも太陽の精霊で、キリュウは大地の精霊。三人とも、俺を守っ てくれたり、幸せを与えて(?)くれたり、成長するために試練をくれてる」
「ちょっと、ついでにってなによ、たー様」
「うむ、やはりウンディーネ殿は精霊であったか。最初にあったときから、人ではない近し い感じがしたのだ」
 口をとがらせているルーアンと頷いているキリュウに対して、ウンディーネはなんだか信 じられないものを見ているようだった。それもそうだろう。一人でも驚きだったのに、その 少年は三人も精霊を連れていたのだ。ウンディーネは、それを知って今度は小さく微笑んだ。
(そっか。だから太助君は、こんなに優しくて、心の綺麗な人なのね。精霊の主になるくら いですもの)
「いやあ、あなたの神秘的な輝きが、ようやく納得できましたよ(ふぁさっ)」
「おお、かっこいいぜ、ウンディーネちゃん」
「だから、あんなにぱっと消えちゃったりできたのね」
「森の中で見たこびともやっぱり精なんだね、花織ちゃん」
「それにしても、太助のまわりにはよくもこんなに集まるもんだな」
 これまた精霊に対して耐性のでき上がっている一同が、疑うことも大して驚くこともせず にわいわいと騒ぎ出したのを見て、ウンディーネはくすりと笑った。
「本当に、不思議な人たち」
「ってことはさあ、さっきの嵐は、もしかしてあんたが?」
 翔子が少し眉をひそめながら質すと、ウンディーネは少し表情を曇らせた。
「ごめんなさい。私がわがままを言って癇癪なんて起こしたものだから、まわりの精達が少 し暴れたのね。きっと叔父が言いつけたんだわ」
「叔父さん?」
「ええ、私の父は地中海の種族の王です。そしてその弟である私の叔父が、はるばる訪れた この森の中の小川で隠者の暮らしをしているの」
「ですが、地中海の王族であるあなたがどうしてこの日本で?」
「むこうには兄王子や姉たちが幾人もいるし、叔父に預けられたのは、社会勉強みたいなも の。それに、この国は水が綺麗だから、気に入ったの」
 それに、とウンディーネは太助をちらりと見たが、今は何も言わなかった。
「本当に、お騒がせしてごめんなさい。せっかくの旅行だったのにね」
「ま、波乱含みだったけど、結構楽しかったじゃないか」
「そうだよ、気にしないで」
「さあ、もう休もうか。みんな疲れてるし」
 旅行の最後の夜は、こうして終わるように思われた。

 静かになった湖面に、月の光がきらめいている。微かに風がそよいで水面に小さな波が立 つたび、水に浮かぶ満月は散らされて、細やかな銀の砂をちりばめたように夜の湖にたゆた っている。それは、闇に沈む透明なガラス細工が月の光を千々に映しているような風景だっ た。シャオは、そんな月を見つめながら一人湖畔に腰を下ろしていた。
「太助様・・・」
 シャオは、太助がウンディーネを見つけ出したときに感じた胸の痛みを、まだ消化できな いでいた。
(何でだろう。なんかもやもや。ルーアンさんや花織さんの時と同じ。でも、あの時より、 もっとはっきりしてる。あの時より、もっとずっと不安・・・)
 こんな時、太助が側にいてくれたら。シャオは、今すぐ太助の顔が見たかった。見つめ返 してほしかった。
「太助様は、どんな人にも優しいのに。私って、わがままなのかな」
 シャオは、ぼんやりと水面の光を見つめていた。と、そっと草を踏んで近づく足音にシャ オは振り向いた。
「ウンディーネさん・・・」
「シャオさんは、月を眺めるのが好きなのね」
 ウンディーネは、静かに微笑みながらシャオのとなりに腰を下ろした。シャオは、さっき の気持ちを思い出して俯いてしまった。ウンディーネは、そんなシャオにそっと語りかけた。
「私が、こうして叔父に預けられてここにいるのは、さっき話したけれど、本当の理由があ るの。私達水の精は、お日様や星の光や風や、そんな自然のちょっとしたことと一緒に生 きていて、それは、人間よりも苦しさや悲しさのない幸せな生き方だと思うわ。でもね、 私達には、「心」とか「魂」というものがないの。私の父は、それに満足しなかったのね。 末っ子の私をとても可愛がってくれた父は、私が人と交わって、「心」を得られるように、 ここに送ってくれたの。魂を持つ人間が、私達水の精と結びついてくれることで、私達は そういったものを得ることができる」
 シャオは、月に照らされた白いウンディーネの横顔を見た。
「シャオさん。太助君のこと、好きでしょ?」
「え?・・・私、私は・・・」
 シャオは、いきなりの問いに答えに窮してしまった。顔が赤く火照ってくるのが、自分で も分かって、下を向いてしまった。ウンディーネはそんなシャオを見て微笑むと、顔をあげ ながらうらやましそうに言った。
「いいなあ」
「え・・・?」
「シャオさんは、太助君のこと、こんなに想ってる。太助君も、シャオさんのことをとって も大切にしているって分かった。なんだか素敵ね」
 ウンディーネは笑顔をシャオに向けると、小さく言った。
「ごめんね」
「・・・どうして?」
「私が現れたから、きっとシャオさんに悲しい思いをさせたでしょ? 私、太助君達と、出 会わない方がよかったのかもね」
「そんなことないよ」
 後ろから声をかけられて、二人は驚いて振り返った。いつの間に来たのか、太助が手に毛 布をもって立っていた。
「ごめん。悪いとは思ったんだけど、さっきから聞いてた。シャオが出て行くのを見たから、 心配だったけど、ウンディーネさんもいたんだね」
 湖面をそよぐ夜風は、しっとりとして涼しい。太助は、持ってきた毛布をウンディーネの 肩に掛けると、シャオには自分が羽織っていた上着をその肩に優しく掛けて、隣に座った。
「ウンディーネさん、そんなこと言わないでよ。俺達、ウンディーネさんに会えて、とって も楽しかったし、出会えなかったなんて考えたら、寂しいだろ」
 太助は、朗らかにそう言った。ウンディーネは、しばらくその横顔を見つめてから、再び 語り始めた。
「私達水の精は、魂がないから、その命が終わる時には、全て微塵になって消えてしまいま す。後に残るのは、風や波だけ。私もここに小さな泉を残して、無くなってしまう。でも、 人は魂が残るのでしょう?」
 太助は、思いもかけない難しい問いかけに、少し考えるようにして言った。
「魂や心なんて、俺達だってよく知らないし、死んでからどうなるかも分からないよ。ただ、 残るとしたら、そうだな、きっと人の心の中に残るんだね」
「心の、中?」
「そう。人が人と出会って、いつかはいなくなっちゃうかも知れないけど、でも、その人と 会って過ごした時間は、ずっと思い出として残ると思うんだ。俺達は、ここでこうしてウ ンディーネさんと出会って、話をした。だから、俺達は、ウンディーネさんのことを忘れ たりしないし、何も残らないわけじゃないと思う」
 シャオもまた、遠い眼をしながら太助に応じた。
「私も、これまでたくさんの御主人様にお仕えして、お別れしてきました。でも、どなたの ことも忘れたことはないですし、今でも私の中に、皆さんいらっしゃいますもの」
「それに、今のウンディーネさんは十分「心」を持ってるんじゃないか?」
「え?」
「ウンディーネさんだって、いろんなことを感じて、シャオの気持ちを分かったりして、そ れって、ちゃんと心を持っているってことだよ」
 ウンディーネは、自分の胸に手を当てて、考え込むように目を伏せた。初めて、自分が求 めていたものを得つつあることに気づいた。以前の彼女は、風が吹くままに、笑ったり怒っ たりしていた。今は、自分の中に、いろいろな感情が流れ込むように生まれはじめている。
「そう・・・。これが心、なのね。この気持ちが、心があるっていうことなのかしら」
 ウンディーネは、目に見えない恐怖を感じたのか、痛々しい表情を浮かべた。
「心って可愛らしいものなのね。でも、何かとても恐ろしいものに違いないわ。本当に、心 なんていつまでもない方がいいんじゃないかしら」
 ウンディーネは、潤んだ瞳を太助とシャオに向けた。しかし、その表情には、大きなもの と向き合い、それを何とか受け入れようとする強さも浮かんでいた。
「魂って、重い荷物に違いないわ。とても重いもの。だって、そのかたちが近づいてくるだ けで、居ても立ってもいられないほど、心配や悲しみが流れ込んでくるもの」
 そんな様子を見て、シャオが自らのことのようにそっとウンディーネの肩をさすった。
「私も、この時代に来て、太助様と出逢って、たくさんのことを知りました。私が知らない 方がいい気持ちと言うのも、今は私の中にあります。そのせいで、今は太助様と離れてし まうことが怖くてしょうがないの。きっと、今までのように別れを越えることなんてでき ない」
 シャオもまた、この時代で太助と巡り会うことで一つの「心」を手にしたのだ。その不安 も知っている。そして。
「でもね、ウンディーネさん。そのお陰で、今は毎日が、とっても幸せなんですよ」
 シャオは柔らかく微笑むと、ウンディーネを見守った。
 いつものように軽やかな楽しい気持ちではなく、自分の中に広がる未知なるものへの不安 が、ウンディーネを震わせていた。しばらく、ウンディーネは自分の心を確かめるかのよう に胸に手を当てたまま目を閉じていた。そして、その奥から、喜びや希望を見つけ出したに 違いない。輝くような笑顔で、こう言った。
「これが心なのね」



その7へつづく


初出 月天召来! 2000.5.8
改訂 2000.10.5
written by AST (S.Naitoh),2000

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