水妖記(ウンディーネ) その5

〜まもって守護月天オリジナルストーリー〜



「ええ、もう帰っちゃうの?」
 ウンディーネは驚きと悲しみが入り交じったような声をあげた。夕食の後、太助達は明日 の予定を話し合うことにしていた。太助達の滞在は、明日までの予定だった。
「それで、明日はどうする?」
「森を抜けて、町へのバス停まで行かなければならないんですよね。それに間に合うように しないと」
 出雲は、手帳に控えてきたバスの時刻を確かめた。日に3本しかないバスを逃すわけには 行かない。
「すると、昼のバスに間に合うには、午前のうちに発つってわけか」
 翔子が時計に目をやりながら全員に確認すると、ウンディーネが立ち上がって再び話題を 遮った。
「ねえ、そんなにすぐに帰っちゃうことないじゃない。もう少し、ここにいましょうよ」
「そういわれてもさあ」
「そうだよ、明日帰るってお母さんにも言っちゃったし」
 たかしと乎一郎が意義を唱えたのだが、ルーアンは、
「あら、あたしは別にいいけど」
「そりゃ、家は全員で来てるからな。って、そういうわけにもいかないだろ」
 そういった太助に、まあな、と那奈はキリュウを見遣って、苦笑した。
「う、うむ・・・」
 キリュウはそう答えながら、しかし帰ると暑いのがどうの、とぼそぼそ言っている。とも あれ、明日出発することで話を進めようとすると、ウンディーネはやにわに怒ったように叫 び出した。その仕草は、まるで幼い子が可愛い両足を踏みならして駄々をこねるような愛敬 があったが、一同は突然のことにぽかん、とウンディーネを見た。
「どうしてもここから出ていきたいのね。それならいいわ。あなた達だけこのちっぽけな小 屋に寝てるといいわ」
 そう言い棄てると、ウンディーネは矢のようにコテージから駆けだしていってしまった。
「ウンディーネさん!」
 シャオが立ち上がって戸口まで走っていったが、すっかり日の落ちた暗がりの中に、ウン ディーネの姿を認めることはできなかった。
「どうしましょう・・・」
 シャオは心配そうだったが、
「なんだったんだ、一体?」
「なんだかわがままな子ですね、野村先輩」
「さあ。とにかく、話を決めてしまいましょう」
 しばし呆気にとられていた他のメンバーは、至って平然としていた。
「大丈夫だよ、シャオ。ウンディーネは、この辺りのことは知ってるんだから」
 幹事の翔子がそういうと、話し合いは仕切り直しになった。

「じゃあ、明日は朝食の後に片付けをして出発。それでいいよな」
 翌日の予定が決まって、なんとなく今回の旅行のことを話していた一行だが、飛び出し ていったウンディーネのことがやはりどこか気になった。会話も途切れがちになり、物音 がすれば、ウンディーネが戻ってきたのではないか、と振り返った。そうしているうちに、 シャオが突然叫び声をあげた。
「あっ!」
「どうした、シャオ?」
「太助様、聞こえませんか?外を見てください」
 いつの間にか、ごうごうとすさまじい響きがするのに今まで気がつかなかった。飛び出し てみると、空には暗雲が沸き立ちはじめ、月の光が遮られて地上は急に漆黒の闇の中に沈ん だ。森から湖に注ぐ川が渦巻く急流となって押し寄せていた。先程まであれ程静かだった湖 面は、今は荒れ狂ううねりとなって岸に迫っている。吹き起こる嵐の様相に、太助は息を呑 んだ。
「あれを見ろ!」
 那奈の声に振り返って、一同は色を失った。湖岸から続く岬は、先端を残して湖に沈んで いた。草を踏み分けた細い道が波の間に消えていた。この島は、本当に陸から隔絶された島 になってしまったのだ。
「どうするんだ、帰れねーぞ」
「僕怖いよ」
「あーん、七梨先輩!どうしましょう」
「たー様、こんなの、陽天心でちょいちょい・・・」
「待ってください。この嵐の中では危険です。おさまるまで、せめて朝が来るまで待ちまし ょう」
「この高さまで水が来ることはないだろう。さ、とりあえず、戻ろうぜ」
 出雲と翔子がなんとかパニックが起こるのを鎮めたが、
「太助様、ウンディーネさんは」
「まさか、島のどこかにまだいるんじゃ・・・」
 飛び出してしまったウンディーネのことが、ますます心配になってきた。
「探しにいきましょう、太助様」
「おい、七梨!今は危なすぎる」
「そうですよ、先輩!」
「それに、もう島にはいないかも知れないよ、太助君」
「たー様、ほっときなさいよ、あんな子」
 皆は口々にそういうのだが、
「そんなわけにはいかないだろ。いこう、シャオ」
 すると、出雲もいつになく真剣な面持ちでそれに続いた。
「この嵐の中にか弱い少女を放っておくことなんてできませんよ。さあ、あなた達も手伝っ てください。ただし、十分注意してくださいよ。あまり水に近づいたりはしないこと。い いですか」
「そうだ、女の子を見捨てるなど、俺の魂が許さん!」
 叫んだたかしばかりでなく、渋々の者も含めて、全員で辺りを探してみることにした。し かし、コテージの周囲には人影はなかった。嵐はその激しさを弱めなかった。降り出した雨 が、水面に無数の波面を作り、肌に打ちつけては体温を奪っていく。木々は根元から梢まで 風に喘ぎ、打ち寄せる波は岸を駆け上がろうともがいていた。そんな風景を見ていると、ま すます不安が強くなっていく。
「ウンディーネさん!」
「ウンディーネちゃん!」
 口々に名を呼んではみるのだが、吹きすさぶ風に呼び声もちぎられてしまい、仮にウンデ ィーネが助けを求めていても、その声もかき消されてしまうだろうと思われた。結局、ウン ディーネは見つからず、一人、また一人とコテージに戻ってきた。唯一人、最後まで太助だ けが、帰ってこなかった。
「七梨の奴、どこを探してるんだ」
「まさか、太助君まで行方不明なんてことは・・・」
 がたん!!
「シャオ!」
「シャオさん!」
 椅子が倒れる音がして、シャオがたまらずに表に飛び出した。
「太助様!!」
 波飛沫が濡れた服をますます重くしていくのも構わず、シャオは走った。

 そのころ、太助はとある湖の畔にいた。そこは、昼までは陸続きだったのだが、増水のお 陰でそこから先が小さな島になっていた。その場所は、昼間、ウンディーネが小さな泉を残 して姿を消した、あの不思議な場所だった。
「後はここだけか。まさか、取り残されて帰れなくなってたりはしないよな」
 足元を流れる水は激しい勢いでものを押し流していく。一瞬躊躇したが、意を決した太助 は水に分け入った。水は太助の足首を掴んで真っ黒な湖の中へ引きずり込もうとしている。 膝の辺りまで水が来るような所もあった。歩くどころか、立っていることさえ難しい流れの 中で、太助は、水中に沈んだ灌木に捕まりながら、なんとか水を分けて対岸まで躙っていっ た。
「はあ、はあ、まあ、これも試練、なんてな」
 岸に這い上がると、太助は辺りを見回して、叫んだ。
「ウンディーネさん、いたら返事をして」
 すると、暗がりの中から、白いものが浮かび上がった。それは、うずくまるウンディーネ の顔だった。
「太助・・・君?」
「よかった。無事だったんだね。心配したよ」
「どうしてここに?まさか、探しに来てくれたの?」
「だって、飛び出したきり帰ってこなかったし、こんな嵐の中だから。大丈夫だった?」
 心配そうに太助はウンディーネの顔をのぞき込んだ。ウンディーネは、太助の瞳を見つめ 返して、不意に自分の顔が熱くなるのを感じ、目を逸らした。
「ご、ごめんなさい・・・」
 ウンディーネは、うつむいて小さな声で誤った。癇癪を起こして飛び出してしまった自分 のことを、どうしてこんなにも心配してくれるのだろう。
「太助君て、優しいんだね・・・」
「え?いや、そんなことはないけど。それより、こんなところに一人でいたの?」
「え、ええ。ここの泉に来ると、落ち着くから」
 ウンディーネは、少し言葉を濁しながら曖昧に答えた。きっと、小さい頃から、この泉の 側で楽しい夢を紡いできたのだろう。小さな泉は、枝を広げた木の懐に抱かれるように、小 さな花を寄り添わせて嵐に震えているようだった。
「さあ、戻ろう。一晩中ここにいるわけにもいかないだろ。こんな天気だし」
 それにしても、この嵐の中を戻るのも危ないな、と太助が空を仰ぐと、どうしたことか、 丁度月にかかっていた雲が吹き払われ、再び光が雨に濡れた草木を輝かせはじめた。風も弱 まり、夜は再び静かになった。嵐はすっかりおさまってしまったようだ。
「よかった。さあ、いこう」
 太助はウンディーネの手を引いてコテージに戻ろうとした。再び、水を渡らなければなら ないところへ来てみると、激しい流れはおさまっていたが、大水はまだ陸を覆っていた。
「さて。よいしょっと」
「あっ」
 太助は、ウンディーネをすっと抱き上げると、バシャバシャと水の中に入っていった。ウ ンディーネは、困ったような顔をしていたが、恥じらうように笑みを見せた。
「ありがとう。ほんとは自分で小さな波をくぐって楽にいけるんだけど、こうしてもらうと なんだかすごく暖かい」
 ウンディーネはそういってされるままに身を任せていた。
 半ばまで水を渡り終えたとき、先の方から声が聞こえてきた。
「太助様ぁ。太助様、どこですか」
 シャオが、泣き出しそうな顔でこちらへ走ってくる。そして、ウンディーネを抱えて水を 渡ってくる太助を見つけた。その瞬間、シャオは胸にちくっとした痛みを感じて立ち止まっ た。胸を締めつけられるような気持ちと、そんな気持ちになった申し訳なさとで、シャオは 水から上がってきた太助と目を合わせられなかった。
「太助様・・・。ウンディーネさんも、大丈夫でしたか」
「ああ。なんとか無事だったよ」
 太助はウンディーネを芝生の上に下ろすと、ほっとした顔で振り向いたが、少し無理をし て微笑んだシャオの顔をみて、はっとした。
「シャオ・・・」
 ウンディーネは、そんなシャオの瞳に浮かんだ寂しさを見て取った。
(そっか、そうだよね・・・)
「さあ、早く戻りましょう。濡れたままでは、風邪を引いてしまいます」
 シャオは努めて笑顔を見せると、二人を促して帰り道を歩き始めた。



その6につづく


初出 月天召来! 2000.5.2
改訂 2000.10.5
written by AST (S.Naitoh),2000

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