水妖記(ウンディーネ) その4

〜まもって守護月天オリジナルストーリー〜



「乎一郎みっけ!」
「あー、出雲さん見つけた!」
(とほほ、何で私がお子さまと一緒に鬼ごっこを・・・)
 抜けるような青空の下、元気のいい声が島を駆けめぐっていた。照りつける夏の太陽はじ っとりと汗ばむほどの光を投げているが、高原の涼しさと目に一杯の緑、そして広々とした 風景に、一人でに体は駆けだしてしまう。太助達は青い風を体中で呼吸するように柔らかい 草地の上、木々の影の間を駆け抜けた。
「お、離珠見つけた」
(ちゅわっ、みつかったでし)
「ほーほっほ、見つけたわよ不良嬢ちゃん」
「げ、ルーアン先生、陽天心はきたねーよ」
「後ろとったあ」
「あ、おねー様!いつのまに」
 あちらこちらで、賑やかな声が追いかけあい、混ざり合って、小さな島は爽やかな笑い声 に包まれていた。太陽はゆっくりと弧を描くように天頂を目指し、木々の影も次第に短く、 濃くなっていく。この自然の大きな時計だけが、彼らの間を流れる時間を刻んでいった。長 針と短針の途切れることのないレースに心を奪われる必要のないひとときが、時には必要か も知れない。太助達は時間の過ぎることなど忘れて無心に転げまわっていた。
 ひとしきり走り回ると、一同は日の当たる芝生にぺたんと腰を下ろした。吹き抜ける風が 滲んだ汗を心地よく乾かしてくれる。
「小さい島だと思ったけど、こうして走り回ると結構広いもんだな」
「いい汗をかきましたよ」
 出雲が前髪を整えながら水面の眩しい反射に目を細めた。そこへ、ウンディーネがきらき らと笑いながら駆けてきた。
「どうしたの?早く遊びましょう」
「ウンディーネちゃんは元気だなあ。おっしゃ、負けねーぞ!」
 たかしが威勢良く立ち上がったが、翔子はごろんと横になってしまった。
「少し休もうぜ。それに、もう隠れる所なんて残ってないだろ」
 そこは小さい島。あらかたのポイントは一巡りしてしまった後では、いままでのように隠 れん坊なんかするのも面白味に欠ける。一同は、しばしの間言葉もなく日差しと風に身をゆ だねていた。
「ぐ、ぐぐ〜」
 そんな静寂を破ったのは、ルーアンのお腹の音だった。
「ルーアン先生ってばあ」
「そんなこと言ったってしょうがないじゃない、遠藤君。ねー、シャオリン。お昼にしまし ょうよ」
「ああ、もうそんな時間なのか。気付かなかったよ」
 太助は額に手をかざしながら高く昇った太陽を見上げた。こうして、青空の下、ピクニッ クのように草原にお弁当を広げて、相変わらずの賑やかな、けれども和やかなランチタイム が過ぎていった。

「ふー、満足満足」
 ルーアンは至福の表情で芝生に身を横たえると、細めた目で太陽を見上げた。
「こうしてなんの心配もなく太陽の光を浴びながら夢心地でいられる。本当に、ここは幸せ な時代、平和な国ね」
 ぽつりと呟いたルーアンの眼差しはとても穏やかで優しかった。誰よりも幸せの意味を知 っている慶幸日天の一言に、皆の視線が集まったときには、ルーアンは安らかな寝息を立て ていた。
「あら、ルーアンさんたら」
「いいじゃないか、シャオ。こんなに気持ちがいいんだし。それに、ほら、見てみなよ。み んなずいぶんはしゃぎまわってたからな」
 那奈に促されて目をやると、たかしと花織、乎一郎も、日向の暖かい芝生に丸くなって眠 っていた。
「気持ちよさそうに眠っちゃって。シャオ、このままにしておいてやろう。涼しくなる前に 起こせばいいさ」
 うーん、と一つ伸びをすると、翔子は立ち上がった。
「腹ごなしに散歩でもしようぜ。今度はゆっくりこの島をまわってみたいな」
「そうだな。ウンディーネさんに案内してもらおうか」
 さわさわと静かな音を立てながら細やかなさざ波が湖面に浮かんだ太陽の破片を運んで打 ち寄せる。きらめく湖畔を、太助達は語らいながら散策した。ウンディーネは、素足を冷た い水に浸しながら波打ち際を歩いていく。シャオはにこにことその後を追い、時折足元に咲 く小さな花に微笑みかけたりしている。出雲はそんな二人に従うように歩きながら、こんな 青空の下、日差しよりも眩しいシャオさんの横顔をこうして眺めているのは、なんと幸せな のでしょう、と一人相好を崩していた。その後を、那奈と翔子がまるで出雲の挙動を監視す るようにぴったりと張りついていた。時折ひそひそと何かを囁きあっているのは、おそらく いつものようにシャオと太助の仲をどう進展させるか計略を練っているらしかった。
 涼しげな木陰を歌うように流れる小川や茂みに震える野の花。梢の鳥の巣には雛が赤い口 を懸命に広げている。こんな小さな島なのに、気付かず通り過ぎていたたくさんのものがあ った。この島には、人が踏み入らない場所がまだ多く残っていて、忘れられた静謐で優しい 空気が、至る所に満ち満ちていた。
 太助は、一人遅れてぽつんと歩きながら物思いに耽っていた。この湖に来て、久しぶりに 安らいだ時間を満喫していたが、その一方でよく分からないことが多い。とりわけウンディ ーネという少女のことは、考えてみればみるほど、不思議なことばかりだった。いつの間に か、どこからか現れた少女。太助は、午前の間皆と隠れん坊や鬼ごっこといったたわいない 遊びに興じながら何となく気になったことを思い出していた。

「もー、ウンディーネさんたらどこ行っちゃったのかなあ」
 鬼ごっこをしていたとき、花織はウンディーネが確かにこっちの木立の中に駆けていくの を見た。後を追ってみると、けれどもウンディーネの姿は見当たらない。
「きっと隠れてるのね。よーし、絶対見つけ出しちゃうんだから!」
 花織は木の枝の上やうろの中、石の下を見てみたが、ウンディーネは見つからなかった。 もっとも、半分近くは無駄なところを探していたのだが。すると、くすくすと笑う声が聞こ えた。振り向くと、一瞬視野の隅に白い影がふっと映った。奥の茂みの影からかさかさと音 がしている。
「あっ。あんなところに。ふふふ」
 花織は足音を立てないようにそっと近づくと、
「ウンディーネさんみーつけた!」
と、茂みを飛び越えるばかりにのぞき込んだ。
「あれー?確かにここにいたはずなのに・・・」
 そこには、さらさらと音を立てて湧き出す小さな小さな泉があるだけだった。

 こんなこともあった。たかしはウンディーネを追いかけていた。
「ウンディーネちゃん、待ってくれー」
 鬼に待てといわれて立ち止まるものは多分あまりいない。いるとすればシャオぐらいなも のだろう。ウンディーネは波打ち際まで来ると、そのままバシャバシャと湖の中へ走ってい った。
「よーし、追い詰めたぞ。どうだ、ウンディーネちゃん。もう逃げ場はないだろ」
 たかしが得意気にいうと、ウンディーネはにっこりと笑った。そして・・・
「・・・え?」
 パシャッという水音と飛沫を残してウンディーネは消えた。水面には、大きな波紋が静か に広がっていくだけだった。
「あ、あれ?そうか、潜っておどかそうとしているんだな」
 しかし、そこはようやく足首まで水に浸かるくらいの浅い場所だった。しばらくしても、 ウンディーネが現れる気配はない。間違って深みにはまったとも思えない。
「あれ、たかし、どうしたんだ?」
 不安げにきょろきょろしているたかしをみとめて、太助が近寄ってきた。
「ウンディーネちゃんが水の中に潜ったみたいなんだけど、どこにいったか分からないんだ」
「なんだって?」
 太助も辺りを見回してみたが、すると、
「あ、あそこに」
 少し離れた水辺を笑いながら走っていくウンディーネの後ろ姿を見て、たかしはほっとし た。
「そうか。あれ、でもいつの間にあんな所に?」
 首を傾げたたかしだったが、
「あ、そういえば太助」
「ん?何?」
「捕まえた」
「え・・・ おまえなあ」

 太助はぼんやりと湖を眺めながら、ウンディーネという少女のことを考えていた。この湖 が大好きで、駆けまわることの好きな足を持った少女。その足取りはとても軽やかで、水辺 に敷き詰められた柔らかな花毛氈をふわりと少しも傷つけないようにさえ思われた。緑色の 髪をなびかせ一陣の風のように駆けていくウンディーネというこの少女は、まるで妖精かな にかのように、謎めいた雰囲気を漂わせていた。
 いつしか太助のまわりで風が凪いでいるようだった。さざ波の音も葉擦れの音も遠離って 聞こえる。湖の上に降り注ぐ日差しは、幾千もの金色の破片となって太助の目を焼きつけた。 青空の眩しさもそれに拍車をかける。太助は真っ白な光の中にいるような、白昼夢のような 感覚を受け、目眩を覚えるようだった。
「太助様?」
 太助を正気に戻したのは、柔らかな少女の声だった。知らぬ間に側に来ていたシャオがそ んな太助の様子を不思議そうに見つめていた。太助は何かほっとしたように優しく微笑んだ。
「太助様、どうしたんですか?」
「ううん、なんでもない。大丈夫だよ」
 再び動き出した空気が太助の頬を触るように吹き抜けていく。燃えるような空を映した夕 暮れ、透明な空気まで青ざめたような涼やかな早朝。そのいずれにも劣らぬ眩しい真昼の景 色。ひととき毎にその表情を変え、底知れない奥行きを秘めた夢見るような美しさの湖が、 何とも神秘的な深さを湛えながら、静かに輝いていた。



その5につづく


初出 月天召来! 2000.5.1
改訂 2000.10.5
written by AST (S.Naitoh),2000

戻る