水妖記(ウンディーネ) その2

〜まもって守護月天オリジナルストーリー〜



「皆さん、お夕飯ができましたよ」
 キッチンからシャオと翔子が料理を運んできた。本当は太助もシャオを手伝いたかったの だが、花織とルーアンが自分についてきて料理をするのを止めるために一緒に遊んでいなけ ればならなかった。一方たかしと出雲もまた、那奈や翔子の視線に当たって仕方なくシャオ の手伝いをあきらめ、料理音痴二名の阻止作戦に参加していたのである。乎一郎はルーアン の側にいれば幸せだし、キリュウは窓際で湖を眺めながら試練の手だてを考えていた。
 緋色の大きな夕日は西の空を朱に染め、やがて森の向こうに落ちていった。残照の明るさ 残る空は湖に映じて刻々と移り変わる微妙な色彩を水面に浮かべている。東の空は群青色か ら次第に紫紺の夜を導き、地上は黄昏時のモノトーンに薄墨の水墨画のように溶けていく。 やがて降り注ぐだろう満点の星空を予想させるような雲一つない空が暮れていく頃、コテー ジの窓からは電灯の明かりが漏れていた。木造の板壁がオレンジ色の光を柔らかく照り返す 中、一同にさらに暖かみをもたらしていたのは、テーブルの上の料理である。メインディッ シュのシチューから立ち上る温かそうな湯気といい匂いが鼻をくすぐり、夏の夕暮れに涼し さを添えるサーモンと野菜のサラダが目に鮮やかだった。
「いただきます」
 小さな島のコテージに全員の声が合わさった。
「うん、美味しいよ、シャオ」
「そうですか。ありがとうございます」
「がつがつがつがつ」
「うむ。さすがシャオ殿」
「シャオは、いいお嫁さんになるな、太助」
「え?え、ああ、ええと」
 一人で将来を想像して真っ赤になった太助を不思議そうにシャオが見つめると、花織も負けじと対抗心を燃やしていた。
「今度はあたしがおいしい料理を作りますね、七梨先輩」
 遠慮しときます、という太助の呟きも耳に入らず、花織は(七梨先輩のハートはあたしの料 理にもう・・・)と独り妄想に浸っていた。
「いつもながらシャオさんの料理は格別ですね」
「太助え、お前、毎日毎日シャオちゃんのこんな美味しい料理を食べてるなんて、うらやまし すぎるぜ」
「そう言いながら最近しょっちゅう人ん家の食事に上がり込んでるのはどこのどいつだよ」
 太助の一言になぜか七梨家のメンバーをのぞく全員がむせこんだ。
「七梨、細かいことは気にすんじゃねーよ」
「そ、そうだぞ、男らしくねーぞ」
「そうですよ。私達と太助君の仲じゃないですか」
 そんな良好な仲だったか?と、疑問符を浮かべずにはいられない太助だが、シャオはにこ にこして嬉しそうに言った。
「大勢でお食事をした方が楽しいですものね、太助様」
 こうして、賑やかな晩餐のひとときが流れていった。

「ん?」
 ふと、太助は窓の外で何か音がするのに気づいた。
「どうかしたか、太助」
「ああ、那奈姉。窓の外で何か音がしないか?」
「そうか?気のせいじゃないのか?」
「そうかな・・・」
 太助は耳を澄ませた。するとまた、窓の下の方でピシャッと水のはねる音が確かに聞こえ た。さらにピシャピシャッと音がして、水飛沫が窓にかかるのが見えた。
「何だろう。雨かな?」
「そんなことはないでしょう。外はとてもいい天気ですよ」
 出雲の言うとおり、空は晴れていて、早くも幾つか星が瞬きはじめている。雨が降ってい る様子はない。
「なんだよ、いたずらか?」
「いたずらって、誰が・・・」
 むっとしたたかしを太助がなだめたが、再びピシャッと大きく音がすると、窓枠の隙間か ら水がさっと入ってきて部屋の中に飛沫を散らした。太助は立ち上がると、近づいて窓を開 けてみたが、
「あれ・・・?」
 窓の外にはすでに誰の姿もなかった。けれど、少し離れた暗がりからくすくすと忍び笑い が聞こえてきた。
「ドアの方に誰かいるのかな」
「あーもううるさいわねえ!陽天心召来!!」
「ああ、ルーアン先生!」
 周囲の静止も間に合わず、食事時に水を差されて頭にきたルーアンはドアに陽天心をかけ た。バタン!!大きな音を立ててドアが開いた。太助はゆっくりドアの方に歩いていった。
「あっ」
「なんだよ、誰かいたのか?」
 思わず声をあげた太助の後ろから、ついてきたたかしたちは太助の背中越しにのぞき込む ようにして外を見た。
「君は、さっきの」
 そこには太助達と同じくらいの年頃の女の子が立っていた。その子は両手を口元に当てて くすくすと笑っている。その顔はとても愛らしく、整った顔立ちを南洋の透き通った海のよ うな翡翠色の髪が緩やかに波打ちながら縁取っている。大きな瞳もまた、エーゲ海もかくや と思われるような深い紺碧で、見つめるものが吸い込まれそうになる不思議な輝きを秘めて いた。
「おい、太助。この子、知ってるのか?」
 たかしが怪訝そうに聞いた。しかもこんなかわいい子、と呟いたのを見ると、たかしもこ の不思議な女の子に引きつけられているようだ。
「いや、昼間ちょっと見かけたんだけど」
「ああ、そういえばそんなこと言ってたな」
 翔子は太助が湖畔で誰かを見かけたといったのを思い出しながら相づちをうった。
「ですが、どうしてこのような時間にこんな所に?」
 出雲が持ち前の女性(だけ)に対する優しい笑顔を浮かべて尋ねたが、その問いに答える 代わりに少女は、
「まあ、綺麗な方ね」
と目をくりっとさせた。出雲は得意絶頂といった感じで前髪をかき上げると、
「そう言っていただけると光栄ですね。ところで」
 あなたは、と尋ねようとしたが、シャオが声を上げたのでその言葉は遮られてしまった。
「まあ、大変。びしょびしょに濡れていらっしゃいますわ」
 見ると、確かに少女の翡翠色の髪からは雫がぽたぽたと滴り落ちており、昔のローマやギ リシアの人が着ていた布のようなゆったりとした不思議な服もぐっしょりと水を含んでいた。
「きっと湖に落ちてしまったのですね。そのままでは風邪を引いてしまいます。さあ、中へ 入ってください」
 シャオは皆の先頭に立って少女をコテージの中へ連れていくと、タオルを取り出して少女 の髪を拭きはじめた。
「とりあえず、着替えてもらわなきゃな。シャオ、頼むよ」
 太助の言葉に、シャオと翔子はコテージの寝室の方に下がって、少女に着がえをさせるこ とにした。太助達はその間食堂の席に戻っていたが、この不思議な女の子のことが気になっ て仕方がなかった。
「ここから最も近い人家に出るまでには、あの森を抜けなくちゃいけないんだろ。なのに、 こんな時間までここにいるなんて、妙じゃないか?」
「ですが、太助君、地元の人なら、そのくらいのことはあるんじゃないですか。まだ日も落 ちたばかりで、夜中になったわけではないですし。遊んでいて帰りが遅くなったとか、そ んなところでしょう」
「やっぱり、湖に落ちて大変な目にあったんじゃないかなあ。だからこんな時間まで」
「けどよ、この時間にあの森を通るなんて、俺は御免だぜ」
「ちょっと、野村先輩。変なこと思い出させないでくださいよ」
 乎一郎は心配そうにしていたが、たかしと花織は不気味な森を思い出して身震いした。一 方で、なんでもいいわよ、とばかりにルーアンは皿の上のサーモンをフォークでつついてい る。キリュウは何か気になることがあるのか、腕組みをして天井を見つめるともなく見つめ ていた。
「ま、あの子に聞いてみるしかないか」
 場合によっては送ってあげなくちゃいけないし、と太助が寝室の方を見遣ると、ちょうど 着替えを終わった少女とシャオ達が出てくるところだった。爽やかな薄青のワンピースは、 少女の緑の髪とよく似合って、まるで神話のニンフのような雰囲気だった。
「私の服を着ていただいたんですけど、ぴったりでよかった」
「あれ、女御を使わなかったのか?」
「人前で星神を使うのはまずいだろ、七梨」
「そっか。シャオ、ご苦労様」
「いいえ」
 微笑みあう太助とシャオを、しばらく目をぱちぱちさせて見つめていた少女は、ついで部 屋の中にいる面々の顔を物珍しそうに見回した。出雲はさっと前に出て、前髪をふぁさっと かき上げながら少女に名乗った。
「申し遅れましたが、私は宮内出雲と申します」
 出雲に出遅れたたかしも、つんつんヘアーをなで上げながら、
「俺は野村たかし。熱い魂の男さ」
と白い歯を光らせて格好つけて名乗ったが、相変わらず意味の分からないことを口走ってい るので、少女はきょとんと二人を見つめた。そして、にこっと微笑むと、出雲とたかしは思 わずその笑顔に惹きつけられるように顔をほころばせた。
「なんだ、二人ともさっそく浮気か?」
「い、いえ、決してそう言うわけでは」
「そ、そうだよ。俺はシャオちゃん一筋だから」
 那奈の一言に二人はあわてふためいて言い訳をしたが、ゆるみっぱなしの表情では説得力 に欠けるというものだ。と、少女は太助の方に向き直った。
「あなたのお名前は?」
「え?あの、七梨太助といいますけど・・・」
 とりあえず自分を紹介すると、太助は一人ずつ全員を紹介して、少女に尋ねた。
「君の名前は?」
「ウンディーネ」
 少女は鈴のように透き通った声で答えた。
「やっぱり外国の人だったんだ。瞳の色が青いから、そうじゃないかと思ったんだ」
 乎一郎が感心したように眼鏡の奥の目を輝かせた。
「それで、ウンディーネさん。どこから来たの?もう遅いから、送っていこうか?」
 太助は心配して尋ねたが、ウンディーネと名乗った少女はいっこうに気にしていないよう だった。
「この近くに住んでいるの。それに、この辺りのことはよく知っているから平気よ」
 そう、と頷いたもののまだ腑に落ちない太助だったが、シャオはにこにこして言った。
「ウンディーネさんもご一緒にお食事をいかがですか?」
「まあ、うれしい。それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます」
 結局、少女を囲んで食事の再開ということになった。
「おいしい。シャオさんて、とってもお料理がお上手なんですね」
「まあ、ありがとうございます」
「ルーアンさんてずいぶんと召し上がるのね」
「ほっときなさいよ。がつがつがつがつがつがつ」
「シチューをお取りしましょう」
「じゃ、サラダはどう?」
「出雲さんとたかしさんはお優しいんですね」
「いやあ、このくらいは当然ですよ」
「そうそう」
 ウンディーネはシャオの料理がとても気に入ったようで、快活に会話も弾むようになった。 彼女には分からないことがあまりにも多かったので、皆いろいろと尋ねてみたのだが、肝心 なことは笑顔ではぐらかされてしまって、何も聞き出すことはできなかった。逆にウンディ ーネの方もまた太助達に興味があるようで、いろいろと聞いてきた。
「どこから来たの?あの森を抜けてきたんでしょう?何か見なかった?」
 森と聞いてたかし、花織、乎一郎は顔を見合わせて身をすくめた。
「いえ、なかなか自然の豊かな森ですが、何も見ませんでしたよ」
と出雲が答えると、ウンディーネは少し首を傾げていたが、今度は太助の住んでいる町につ いて色々聞いてきた。彼女には、道路を車がたくさん走っていたり、高層ビルが建ち並んだ り、黒山のような人波が毎日行き来するという世界は非常に珍しいようで、目を丸くして聞 いていた。
「ふうん。外にはそんな世界が広がっているのね。知らなかったわ」
 どうやらウンディーネはこの森と湖に抱かれた静かな地域から出たことはないらしく、都 会については何も知らないようだった。そして、次のように聞いた。
「ねえ、あなたの街に、川や湖はないの?」
「ああ、川は流れているし、海も近いよ」
 太助が答えると、少女は少し安心したように笑って、
「じゃあ、水の中も賑やかなのね」
といった。自然が残っていて、水辺の生き物が豊かなのかということなのだろう。残念なが ら、太助達の町でさえも、都心部ほどではないが人の生活の影響であまり綺麗な水とはいえ ない。そう答えると、少女は悲しそうに首を振った。
「ウンディーネさんは、湖や川が好きなんだね」
 太助が慰めるように優しく言うと、ウンディーネはしばし太助の目を見つめて、そして答 えた。
「ええ。綺麗な水に浮かぶお日様をすくったり、水をくぐって青く揺らめく光が散るのを眺 めるのがとっても好き」
 この美しい湖とともに育った少女は、清らかな水のある風景に人一倍愛着があるのだろう。 明るさを取り戻すと、元気にこういった。
「私この湖の綺麗なところをたくさん知っています。明日もきっといい天気になるわ。だから 一緒に遊びましょう」
 明くる日の青い空と眩しい日差しの予感に、一同の心も弾みながら、夜は次第に更けていった。



その3につづく


初出 月天召来! 2000.4.19
改訂 2000.10.5
written by AST (S.Naitoh),2000

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