水妖記(ウンディーネ) その1
〜まもって守護月天オリジナルストーリー〜
「うわあ、綺麗なところ。七梨先輩、見てくださいよ」
はしゃいでいるのは花織ばかりでない。それほどここは見事なところだった。砂洲が湖の
中に岬のように突き出しているところを、細い道が一筋続いている。岬の先端は、ちょっと
した小島のようになっていて、真ん中の少し小高いところにログハウスのような作りのコテ
ージが数本の木の涼やかな影を受けてたたずんでいる。湖に打ち込む青々とした地面は、柔
らかな草原に色鮮やかな野の花が咲いていたり、灌木が群生している。暖かい陽光はそれら
の上に春の昼下がりのまどろみに見る夢のように浮かび、深い碧色の湖水はその水面に金の
粉のような光のさざ波を浮かべながらうち寄せていた。
「へー。いいところだなあ」
いつもの騒々しい日常からはまったく異世界のような穏やかで平和な風景に、太助は久し
く感じられなかった心の安らぎを得られる心地がした。しかし、そのささやかな期待は同行
メンバーの顔を思い出した瞬間に無残にも飛散してしまった。
「おお、見てくれシャオちゃん!こっちに小川があるぜ」
「シャオさん、これはハルリンドウという花なんですよ」
「・・・こいつらがいる限り穏やかにすむわけがない、か」
はあ、と太助は一人溜め息をついた。と。
「あれ?」
「ん、どーした、七梨?」
「いや、今あそこの水辺を女の子が走ってなかったか?」
翔子は太助の見つめている方を振り向いたが、そこには誰もいなかった。
「そうか?あたしには誰も見えなかったけど。この島には誰も住んでないんだぜ。ま、地元
の子が遊びに来たのかも知れないけどな」
確かに、子供の秘密の遊び場にするにはもってこいの場所ではある。
「それより、さっさと荷物運ぼうぜ。お前らも早く来いよ!」
はしゃぎ回っている面々に声を掛けると、翔子は先に立ってコテージへと向かっていった。
「さてっと、食料やなんかもちゃんと届いているみたいだな」
キッチンの冷蔵庫をのぞいて翔子が準備を確認している。一番近い町まで森を抜けて買い
出しに出るのは面倒なので、あらかじめ必要な物を届けてもらっておいたのだ。ホールも
かねた食堂に戻ると、そこにはいつもながらの光景が広がっていた。
「たー様、はい、あたしといーことしましょ」
「だめです!七梨先輩はあたしと遊ぶんです!」
「ちょっとあんた何すんのよ!!」
「ああ、ルーアン先生、あぶないよ〜」
「シャオちゃん!俺と輝く水辺を歩かないか」
「おっと、足が滑った」
「ぐべっ。出雲〜〜!」
「お前らな・・・」
場所が変わってもまったく普段と変わらない大騒ぎに、翔子は一気に疲れた気がして額に
手を当てた。ふと見回すと、ホールから続く湖に面したテラスで、シャオと太助はしっかり
二人の世界を作っていた。
「いいところですね、太助様」
「うん。景色もいいし、なんかすがすがしいよな」
「湖がきらきらしてとっても綺麗。あ、見てください太助様。鳥さんがいますよ」
「ああ、ほんとだ」
シャオが指さした先には、日溜まりに寄り添う二羽の小鳥がいた。それを見たシャオが、
心なしか太助に寄りかかるように近づいた様に翔子は感じた。その光景は、小鳥達に劣らず
微笑ましいものであった。
「かわいいですね」
「きっとあの鳥達も日差しが気持ちいいんだろうな」
「ええ、とっても」
日頃四六時中騒ぎに振り回されているお陰か、背後の大騒ぎにも動じることなくほのぼの
タイムを繰り広げる二人に、翔子は少し安心してくすりと笑った。
「お楽しみか、七梨?」
「山野辺・・・。な、なんだよ、その言い方は」
(からかうとすぐ真っ赤になるのは変わっていないな。しっかりしろよ、ったく)
「翔子さん、とっても素敵なところですね」
「え?あ、ああ、いいところだろう」
ふんわりと笑顔を浮かべたシャオに、心の中で太助に説教をしていた翔子はちょっと慌て
たが、シャオの笑顔に答えるように朗らかに返事をした。
「でも、よくこんな所知ってたな」
「ああ、親のつてでね。あたしも来たことはなかったからさ、こんなにいい場所だとは思っ
てなかったよ」
翔子も、太助ほどではないが、一人で過ごす日が多いため、家族で旅行をしたこともほと
んどなかった。そんな翔子に、お友達と一緒に、と彼女の親が用意してくれたのが、今回の
旅行のきっかけというわけである。
(いつもはドレスだの何だのろくなものよこさないくせに、今回は気が利いてるよな)
やや苦笑混じりに呟いたのは、密かな感謝の気持ちの照れ隠しなのかも知れない。そんな
翔子の気持ちを果たして知ってか知らずか、晴れ晴れとした空の下に輝く湖は、ゆったりと
広がっている。
「いつも騒がしいからな。たまにはシャオにゆっくりと羽を伸ばしてもらいたくてさ」
けどな・・・と笑顔を引きつらせたのは、いつの間にか騒ぎを抜け出して後ろに立ってい
る気配に気づいたからである。
「まったく同感ですね。ですが翔子さん、太助君が一緒では、シャオさんも安らげませんよ。
大騒ぎが起こるのは目に見えていますからね。どうせなら、私とシャオさんの二人だけを
招待してくだされば、きっとシャオさんもゆっくりできたでしょうに」
ふぁさっと前髪をかきあげながら、出雲がシャオに微笑みかける。しかし、シャオは太助
を見ているのでまったく気づいている様子がない。それを見て恨めしそうな表情の出雲にさ
らに追い打ちをかけるように、背後から声がかかった。
「そんなこと言って、シャオから安らぎを奪ってるのはむしろあんただろ、宮内」
「な、那奈さんっっ」
「なんだよ、今更あたしが一緒に来たのが気に入らないとでもいうのか?」
「い、いえ、そんなことは・・・」
天敵と遭遇した小動物のように油汗を浮かべつつ後ずさった出雲をジト目で見やりつつ、
那奈はすかさず二の矢を継いだ。
「それはとにかく、あんたが出てくると必ずシャオは悲しそうな顔すんだよなあ」
「う、ぐっ」
立て続けに放たれた矢は確実に出雲のヒットポイントを奪っていく。そして、クリティカ
ルヒットは思わぬ人物から放たれた。
「おにーさんはオオカミだからな。迂闊に近づくと食べられちゃうぞ、シャオ」
「まあ、そうなんですか。じゃあ私気をつけなくっちゃ」
「そ、そんなあ・・・」
シャオの一言に出雲は衝撃も露な表情もそのままに真っ白になって石化してしまった。
すがるように伸ばされた手は虚しく宙を掴むように半ば開かれたまま。そんな出雲を現世に
救い出したのは、なんと他ならぬ太助だった。
「大丈夫だよ、シャオ。出雲はこんな奴だけどそんな奴じゃないから」
「た、太助君・・・」
苦笑しながらフォローを入れた太助に、化石から甦った出雲は珍しく目を潤ませた。しか
し、彼の出番はここまでだった。もう誰も出雲の話は聞いていない。
「それに・・・。いざって時は俺がいるからさ」
「太助様・・・」
見つめ合う二人は再び二人だけの世界へと旅立っていった。光して、彼らの楽しい旅行の
最初の昼下がりが穏やかに過ぎていった。
その2へつづく