水妖記(ウンディーネ) その1

〜まもって守護月天オリジナルストーリー〜



「ふい〜〜。やっとあの変な森を抜けたぜ」
「ああ〜ん、あたし怖かったあ」
「ああ、たかしくん、置いてかないで〜」
 深い木立の間を抜ける道を、たかしと花織、少し遅れて乎一郎が半ば駆け出すようにして 飛び出してきた。三人とも何かにおびえて引きつったような顔をしながら息を切らしている。 目に涙までにじませている乎一郎の後ろから、遅れて歩いてきた面々は呆れたように彼らを見やった。
「まったく、情けねーやつらだな」
「だってお前、あの白い服の背の高い男見ただろ。こんな森の中で、普通じゃねーぞ」
 馬鹿にしたような翔子に食ってかかるたかし。花織や乎一郎もすごい剣幕で訴える。
「そうですっ。木の上にいた生き物なんて、きっと怪物ですよ!真っ赤な口が耳まで裂けてたもん」
「茶色い小人が追いかけてきたんだよぉ」
 三人は薄気味悪そうに抜けてきた森を振り返った。背後に横たわる森は明るい夏の日差しを 受けながら緑の梢をきらめかせている。時折聞こえる軽やかな小鳥の声も、清々しさを運んでくる。 しかし、恐怖心に支配された三人には、黒々と盛り上がった森は得体の知れない存在を隠して 迫ってくるように見えた。今にも木々の隙間からそれらと目を会わせてしまうのではないか、 と彼らは身を縮めた。
「白い男の人なんて見ませんでしたよ。もっとも、飛沫を上げる滝なら流れてましたけどね」
 まったく、これだからお子さまは、と呟きながら宮内出雲はふぁさっと前髪をかき上げた。 大人を自認している出雲にしてみれば、日々「精霊」の存在を目の当たりにしているとはいえ、 森の中の怪物やら小人など、やはり他愛のない子供の夢物語にしか過ぎない。
「けどさー、確かに妙だろ。同じ滝や小川があちこち場所を変えてついてくるなんてさ」
 たかしたちを馬鹿にしていた翔子も、眉をしかめて見せた。
「まったく、翔子さんまでそんなことを」
 しょせん中学生なんてこんなものですね、と失礼なことをこぼす出雲。
「この森はよほど水源が豊富なんでしょう。幾筋も小川が走っているだけですよ。それに、 こんな森ですから小さな動物もたくさん住んでいるんでしょう。何か動くものを見間違え たんじゃないですか」
「ま、何にせよ、色々いたのは確かだわね」
 どーでもいいけど、とつまらなそうにルーアンが欠伸をした。
「木々や小鳥も水や土に住む者達も生き生きしていた。この時代でこれだけの森に会うのは  初めてだな」
 大地の精霊であるキリュウは鬱蒼と茂った緑の香りを吸い込むように気持ちよさそうに 深呼吸をしている。
「木漏れ日がきらきらしていて、とっても綺麗でしたね、太助様」
「え、ああ、そうだな」
 シャオににっこりと微笑みかけられて、太助も慌てて笑顔で答えた。
(確かに少し気味が悪かったけど・・・。まあ、気のせいだよな)
 都会育ちでこんな深い自然に慣れていないから、太助はそう納得すると、森のことなど もうあまり気にならなくなった。
「さあ、先へ行こうぜ。山野辺、コテージってどこなんだ?」
「ああ、この岬の先だよ」

「うわあ、綺麗なところ。七梨先輩、見てくださいよ」
 はしゃいでいるのは花織ばかりでない。それほどここは見事なところだった。砂洲が湖の 中に岬のように突き出しているところを、細い道が一筋続いている。岬の先端は、ちょっと した小島のようになっていて、真ん中の少し小高いところにログハウスのような作りのコテ ージが数本の木の涼やかな影を受けてたたずんでいる。湖に打ち込む青々とした地面は、柔 らかな草原に色鮮やかな野の花が咲いていたり、灌木が群生している。暖かい陽光はそれら の上に春の昼下がりのまどろみに見る夢のように浮かび、深い碧色の湖水はその水面に金の 粉のような光のさざ波を浮かべながらうち寄せていた。
「へー。いいところだなあ」
 いつもの騒々しい日常からはまったく異世界のような穏やかで平和な風景に、太助は久し く感じられなかった心の安らぎを得られる心地がした。しかし、そのささやかな期待は同行 メンバーの顔を思い出した瞬間に無残にも飛散してしまった。
「おお、見てくれシャオちゃん!こっちに小川があるぜ」
「シャオさん、これはハルリンドウという花なんですよ」
「・・・こいつらがいる限り穏やかにすむわけがない、か」
 はあ、と太助は一人溜め息をついた。と。
「あれ?」
「ん、どーした、七梨?」
「いや、今あそこの水辺を女の子が走ってなかったか?」
 翔子は太助の見つめている方を振り向いたが、そこには誰もいなかった。
「そうか?あたしには誰も見えなかったけど。この島には誰も住んでないんだぜ。ま、地元 の子が遊びに来たのかも知れないけどな」
 確かに、子供の秘密の遊び場にするにはもってこいの場所ではある。
「それより、さっさと荷物運ぼうぜ。お前らも早く来いよ!」
 はしゃぎ回っている面々に声を掛けると、翔子は先に立ってコテージへと向かっていった。

「さてっと、食料やなんかもちゃんと届いているみたいだな」
 キッチンの冷蔵庫をのぞいて翔子が準備を確認している。一番近い町まで森を抜けて買い 出しに出るのは面倒なので、あらかじめ必要な物を届けてもらっておいたのだ。ホールも かねた食堂に戻ると、そこにはいつもながらの光景が広がっていた。
「たー様、はい、あたしといーことしましょ」
「だめです!七梨先輩はあたしと遊ぶんです!」
「ちょっとあんた何すんのよ!!」
「ああ、ルーアン先生、あぶないよ〜」
「シャオちゃん!俺と輝く水辺を歩かないか」
「おっと、足が滑った」
「ぐべっ。出雲〜〜!」
「お前らな・・・」
 場所が変わってもまったく普段と変わらない大騒ぎに、翔子は一気に疲れた気がして額に 手を当てた。ふと見回すと、ホールから続く湖に面したテラスで、シャオと太助はしっかり 二人の世界を作っていた。
「いいところですね、太助様」
「うん。景色もいいし、なんかすがすがしいよな」
「湖がきらきらしてとっても綺麗。あ、見てください太助様。鳥さんがいますよ」
「ああ、ほんとだ」
 シャオが指さした先には、日溜まりに寄り添う二羽の小鳥がいた。それを見たシャオが、 心なしか太助に寄りかかるように近づいた様に翔子は感じた。その光景は、小鳥達に劣らず 微笑ましいものであった。
「かわいいですね」
「きっとあの鳥達も日差しが気持ちいいんだろうな」
「ええ、とっても」
 日頃四六時中騒ぎに振り回されているお陰か、背後の大騒ぎにも動じることなくほのぼの タイムを繰り広げる二人に、翔子は少し安心してくすりと笑った。
「お楽しみか、七梨?」
「山野辺・・・。な、なんだよ、その言い方は」
(からかうとすぐ真っ赤になるのは変わっていないな。しっかりしろよ、ったく)
「翔子さん、とっても素敵なところですね」
「え?あ、ああ、いいところだろう」
 ふんわりと笑顔を浮かべたシャオに、心の中で太助に説教をしていた翔子はちょっと慌て たが、シャオの笑顔に答えるように朗らかに返事をした。
「でも、よくこんな所知ってたな」
「ああ、親のつてでね。あたしも来たことはなかったからさ、こんなにいい場所だとは思っ てなかったよ」
 翔子も、太助ほどではないが、一人で過ごす日が多いため、家族で旅行をしたこともほと んどなかった。そんな翔子に、お友達と一緒に、と彼女の親が用意してくれたのが、今回の 旅行のきっかけというわけである。
(いつもはドレスだの何だのろくなものよこさないくせに、今回は気が利いてるよな)
 やや苦笑混じりに呟いたのは、密かな感謝の気持ちの照れ隠しなのかも知れない。そんな 翔子の気持ちを果たして知ってか知らずか、晴れ晴れとした空の下に輝く湖は、ゆったりと 広がっている。
「いつも騒がしいからな。たまにはシャオにゆっくりと羽を伸ばしてもらいたくてさ」
 けどな・・・と笑顔を引きつらせたのは、いつの間にか騒ぎを抜け出して後ろに立ってい る気配に気づいたからである。
「まったく同感ですね。ですが翔子さん、太助君が一緒では、シャオさんも安らげませんよ。 大騒ぎが起こるのは目に見えていますからね。どうせなら、私とシャオさんの二人だけを 招待してくだされば、きっとシャオさんもゆっくりできたでしょうに」
 ふぁさっと前髪をかきあげながら、出雲がシャオに微笑みかける。しかし、シャオは太助 を見ているのでまったく気づいている様子がない。それを見て恨めしそうな表情の出雲にさ らに追い打ちをかけるように、背後から声がかかった。
「そんなこと言って、シャオから安らぎを奪ってるのはむしろあんただろ、宮内」
「な、那奈さんっっ」
「なんだよ、今更あたしが一緒に来たのが気に入らないとでもいうのか?」
「い、いえ、そんなことは・・・」
 天敵と遭遇した小動物のように油汗を浮かべつつ後ずさった出雲をジト目で見やりつつ、 那奈はすかさず二の矢を継いだ。
「それはとにかく、あんたが出てくると必ずシャオは悲しそうな顔すんだよなあ」
「う、ぐっ」
 立て続けに放たれた矢は確実に出雲のヒットポイントを奪っていく。そして、クリティカ ルヒットは思わぬ人物から放たれた。
「おにーさんはオオカミだからな。迂闊に近づくと食べられちゃうぞ、シャオ」
「まあ、そうなんですか。じゃあ私気をつけなくっちゃ」
「そ、そんなあ・・・」
 シャオの一言に出雲は衝撃も露な表情もそのままに真っ白になって石化してしまった。 すがるように伸ばされた手は虚しく宙を掴むように半ば開かれたまま。そんな出雲を現世に 救い出したのは、なんと他ならぬ太助だった。
「大丈夫だよ、シャオ。出雲はこんな奴だけどそんな奴じゃないから」
「た、太助君・・・」
 苦笑しながらフォローを入れた太助に、化石から甦った出雲は珍しく目を潤ませた。しか し、彼の出番はここまでだった。もう誰も出雲の話は聞いていない。
「それに・・・。いざって時は俺がいるからさ」
「太助様・・・」
 見つめ合う二人は再び二人だけの世界へと旅立っていった。光して、彼らの楽しい旅行の 最初の昼下がりが穏やかに過ぎていった。



その2へつづく


初出 月天召来! 2000.4.17
改訂 2000.10.5
written by AST (S.Naitoh),2000

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