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過去ログ:
2003年4月12日〜4月20日

おもな内容:
ラジオドラマプロット(4/13,15)
3人のいた公園(4/16)
市井と娘。(4/19,20)




◆4/20 23:50 応援と抵抗

今日はなぜかやる気満々なので2回目の更新。今回は市井について。

市井の娘。への態度の不満について、おとといのの日記では好き放題書き過ぎちゃったかなぁとも思ったんだけど、まぁでもそれが正直な感想だったりするのでしょうがないかなぁとも思う。ま、ファンのわがままでしかないんだけどね。市井には『こうあって欲しい』という気持ちが、『こうあるべきだ』に変わってるっていう。
でも『こうあって欲しい』って思えるようなタレントさんなんて、いくらDD(誰でも大好き)な僕でもそうそういるわけじゃないので、そういう意味では僕はいまだ市井ファンを名乗っていたいかなと思うのです。はい。
ただ最近は、自分の市井へのスタンスが、『応援』なのか『抵抗』なのか自分でもわからなくなってるけども。抵抗ってのは、アンチって意味じゃなくて、必死に気持ちを食い止めてるって意味ね。どうなんだろうなぁ。

ま、ひとつ確実に言える事は、僕は今も市井にモーニング娘。でいて欲しいのだろう。中澤や後藤がいまだそうであるように。


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(リンク)
C_life
チャーリーさん経由で最近知った市井系テキストサイト。うちと違って市井に優しく愛に溢れてます。
そこで先日のラジオの公開録音の模様があったんだけど、なかなか市井節が炸裂してておもしろい。まぁいろいろつっこみたいところが多いんだけど、今は角がたちそうなのでやめておこう(^^;
ただ、今日のハロモニで新垣や高橋が『ありえない』って言葉を連発しているんだけど、そんなときに、『ありえない』って言葉を使う人を否定してる市井ってのは相変わらず間が悪いというかなんというか(^^;『ありえない』も『ぶっちゃけ』も別に使っていいと思うんだけどね。ぶっちゃけなんて別にキムタクが使う前からみんな使ってる言葉だし。まぁいいや。

あと、もし僕が市井のマネージャーだったら毎日喧嘩してすぐ辞めさせられてそうだなぁって思った。僕だったら、まず今の不自然なハロプロとの距離感をなんとかしようと思うので、さすがにハロコンとかには出さないにしても、なんらかの関わりのある仕事をさせようとは思うのです。ラジデラのレギュラーにごっつぁんか中澤ねーさんを入れるとか。嫌がるのかなぁ。さすがにその2人とか、かおりか圭ちゃんくらいだったら嫌じゃないよなぁ。急に石川ととか言われたらやだろうけど。

今日はさらにあともう1回更新すると思います。もう1回ハロモニ見てからね。




◆4/20 20:40 モース素。部屋

今日のハロモニは本当よかった。視聴者を幸せな気分にさせるって、言葉にするのは簡単だけど、やっぱすごいことだと思うのです。そして今日の放送なんかは、スタッフが娘。のことを好きじゃないとありえないような企画で、そういう気持ちが伝わってくるというのも素晴らしいこと。なんかハロモニ内で人事移動とかもあったらしいけど、今日のスタッフがたくさん残ってるんだといいなぁ。あまりによかったので、後でハロモニに感謝メールを送っておこうっと。

モーム素。部屋に関しては、ヘッドフォンで大音量できくと、後ろの小さな声での会話なども聞こえてきて、ますます楽しいかと思います。是非に。
しかしやっぱ、一番よかったのは麻琴の『幸せ、こんな家族だったら、いいな』という発言。家族が大好きで、でも最近はきっとなかなかそういう時間のない麻琴のそんな一言が胸に染み入った。もうこの一言だけでも、この企画の価値はあったというか、モーニング娘。って存在が今もっている幸福感みたいなのを一番単的に表現していたのではないでしょうか。そんな発言をちゃんと拾ってくれた中澤ねーさんや、テロップで強調していたスタッフもさすが。

あと、新曲リハーサルの圭ちゃんフィーチャリングもえがったね。
何気に、カメラがスタッフにぶつかるシーン。あれってファインプレイっていうか、構成を考えた人の素晴らしい仕事だと思うのです。あれがあるから、例えば新垣あたりが露骨に見せている不満顔を笑えるっていうか、演技が入ってるって伝わる。そういう細かいところまで考えてくれてるってのは嬉しいなと。(でも新垣はそういう表情がうますぎて、ある意味損だなぁと思った。まぁ100%演技じゃないって部分もあるんだろうけど、それはそれでおもしろい)

岡女といい、最近はそんなしっかりしたいい仕事をしてくれる番組が多くていいね。やっぱスタッフに恵まれることってすごく大事だなぁと改めて思ったし、そういうスタッフにまた一緒に仕事したいなぁと思わせることがきっとできている娘。たちというのは頼もしいし、なんだかんだいってもまだまだ大丈夫なんだろうなと安心したりもします。


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圭ちゃんリハーサル企画中の、唯一の麻琴の見せ場でカメラが来なかったとき、『わたしのところ・・・』っていう麻琴のつぶやきがよかった。『わたしのところ』って表現がなんかかわいいね。


今日は珍しく時間があるので、もう1,2回更新する予定。




◆4/19 2:45 愛しさと切なさと心強さと

『SSQR』は聞いてないんだけど、きうぃふるーつ。さんで書き起こしを読むことができた。そして、真里さんがひとりごとの中で述べられていられるのと同じように、僕もなんだか切なくなった。

市井にはなんにも罪のない事だけど、市井がモーニング娘。について他人事のような態度をとっているのを見たり感じたりしてしまうと本当に切なくなる。というよりも、悲しくなる。それがわざとそういう態度をとっているんだったらいいんだけど、あまりそうも見えないし。
モーニング娘。という存在が、市井がいた時からまったく変質してしまっていたり、あるいは存在そのものがなくなってしまっていたりすれば、こんな気持ちは抱かずにすんだろう。だけど、モーニング娘。はいまだここにある。いまなお安倍、飯田、矢口、保田は大きな存在感を誇っているし、市井のあとにやめた、中澤と後藤の意思のようなものも感じられる。
だからこそ、そんな昔の大事な仲間が存在するグループに対する興味がなんら感じられないことになんとも違和感を感じてしまう。市井にももちろん色んな事情があるだろうし、そんな僕の心象はあくまで表層的なものを捉えているだけにすぎないのかもしれないけれども。

一般的に女性ほど割りきりがはやいと言われる。僕も過去の経験でそれは多少ではあるが感じてきた。別れた彼氏を、平気で遊びに誘う(もちろんよりを戻したいとかそういうつもりは微塵もなく)ようなシーンをいくつか見てきて、あぁそういうもんなのかなぁと思ってきた。そういう意味では市井はすごく『女性』であるのかもしれない。
以前、市井は視野が狭いと書いた事があるが、狭いというよりも、指向性が強いのだと思う。車に例えれば市井はサイドミラーもバックミラーも見ないドライバー。ひたすら前を見ている。前だけをみている。だけど、いやだからこそ、よく道に迷う。

僕は市井がいるからモーニング娘。を好きになった。
だけど今は、モーニング娘。がいるから市井に戸惑う。

もちろん嫌いではないし、今でもファンのつもりでいる。CDは買うし、近くであればライブにも行くだろう。だけどずっと違和感は消せずにいる。
そしてこの違和感こそが、市井への気持ちの証左なのだと思う。



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まぁこんなことを書きたい時もある。

それはそれとして、ラジオドラマとかハロモニの素晴らし過ぎる新コーナーとか色々触れたいんだけど、なかなか更新の時間がとれないのが恨めしい。っていうかラジオドラマは一応とるだけとったけど、テープ早送りして探すのが面倒でまだ聞いてないし。聞かなきゃなぁ。

Mステはさっき早送りで娘。のとこだけみたけど、登場シーンで麻琴と高橋が手をつないでたなぁってのと、麻琴がちょっと茶髪になってたなぁってくらいかな。市井の名前がでそうででないところに一人で勝手にドキドキしてた。切ないねぇ。




◆4/17 9:30 お願い!!更新に時間を!

 ぎゃあ。

けっこう評判いいみたいだし、いいんじゃないですかね。今までとはちょっと違う感じのイメージがでてて新鮮味があるし、曲にもあってるように思う。たいせーと吉澤くんが見えないのはちょっとあれかなとも思ったけど、まぁそれはそれでいいか。レコードやで実物見る日が楽しみ。

でもやっぱ個人的にはショートがいいんだよなぁ。でも、だからこそ、髪の長い子が急に短くした時の可愛さってのは僕にとってはそれはもう大興奮なので、そのためにしばらく髪伸ばしててください。


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 昨日の日記で貼り忘れてた写真




◆4/16 2:50 ある晴れた日曜日 (10:00 一部修正)

最近はなんか世間から取り残されてるなっていうような、どうしようもない寂しさを感じる事が多い。というのも、今年になってからは毎日仕事仕事の日々で、2003年はまだ1桁日数しか休んでいない。もちろん家に帰るのはほとんど終電だし、仕事関係以外で人に会うという事もほとんどない。TVをだらだらと見る余裕もなく、結局見てるのは娘。関係の番組のみだ。
そんな最近の楽しみと言うと、休日出勤時に、長めの昼休みをとって都内をぶらぶらと探索する事。たった2,3時間のことなんだけど、そのちょっとした時間が今は一番楽しい。
平日は身動きとれないし、休日に休んだとしても、今の仕事の残量を考えると不安になってしまって逆にストレスがたまる。だから、職場にでて仕事をして精神的に安心しつつも、でも休みの日だからいいじゃんって感じでのんびりでかける時間が、いまは唯一精神的に開放される時間なのだ。

そんな時間に最近やってる事といえば、麻琴の私服やアクセサリーを探しながらのウィンドウショッピングなのだが、おとといは天気がよかったので職場の近くの公園にいってのんびりと昼寝をしてきた。となりで子供達がサッカーをやってるよこで、ベンチに横になりぐーすか寝る。子供達の喧騒が、人恋しい今の僕の心理状態にはとても心地よい。そしてふと目を開くと、まだわずかに桃色を残す桜の枝の間から、青い空と輝く太陽が見える。なんともいい気持ちの時間をすごすことができた。心と体の栄養補給完了。

 
持っていたデジカメで撮ったその公園。こういう微妙な感じの桜もまたいいものだ。







ちなみにこの公園。どっかで見た事があると思った人もいるかもしれないがそれはきっと気のせい。
公園なんてどこだって似たようなものだ。









あるいは幻覚。




◆4/15 10:20 プロット2

書きたい事は山ほどあるんだけど、更新する時間がなかなか取れないので、ハロプロラジオドラマのプロット案をもう一個のせておきます。

ハロプロラジオドラマの応募プロットもう1本の方

ヘイヘイヘイは麻琴が活躍しててよかった。追い風吹きまくってるなぁ。




◆4/13 8:25 ラジオドラマプロット

ニッポン放送がプロットを一般公募していたラジオドラマの第1弾が、麻琴、高橋、紺野の3人によるドラマだそうな(シャレモニ。経由。そういえばこの前はリンクどうもでした。)
新垣はどこいったって感じだけど、まぁ5期メン単位で考えるのもそうそろそろ終わりってことだろう。

にしても、この人選はかなり楽しみだ。月曜からちゃんと録音予約して会社に行くのを忘れないようにしなければ。

でもなぁ。このプロット公募には僕自身も2通送ったのだけど、うち1通の内容は主人公が4人で、その役名が『愛』『あさ美』『麻琴』『里沙』だったんだよなぁ。って考えるとある意味惜しかったかもっていう。ま、しょうしょうあざとすぎたとも思うけど。
で、なんかシナリオの内容が、高橋が打たれたソフトボールの球がUFOに当たって宇宙人がでてきて・・・・・って(^^;すげぇ。僕にはこんなぶっとんだシナリオは書けん。
そっかぁ、そういうプロットが求められていたのか。ごまミュージカルといい、やっぱインパクトか。
うん、傾向はわかった。次はがんばろう。

で、応募総数は約2000通だったとのこと。1800通くらいじゃないかって書いてたんだけど(2月15日の日記)ほとんど予想通り。ちょこっとすごくない?


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ということで、落選が確定してるので、応募したプロットを載せてみる。物好きな方は読んでみてくださいませ。

ハロプロラジオドラマの応募プロット




◆4/12 22:00 物語は続いて行く

にしても、藤次さんがうらやましくてしょうがない。街角で麻琴に会いたいなぁ。2つしばりだって。パンツだって。むひゃぁ。
僕が藤次さんだったら、麻琴の目を見た刹那に気が付いて、思わず『麻琴!』とか声を出してしまっていたかもしれない。そして2人の物語がはじまるのだ。ほほほ。うんうん。絶対にはじまらないね。わかってる。


で、今からわりとどうてもいい事書きます。ひとりごとレベル。あんまりおもしろくないと思います。

その件を読んで六文銭へリンクしようした時、リンクコメントにかなり悩んだ。最初はストレートに麻琴と紺野さんを見たらしい。羨ましい。みたいなコメントつけたんだけど、そうすると、ネタばれっていうか、ちょっと読む人の興をそいじゃうかもなって思って変えた。
藤次さんの麻琴と紺野さん目撃シーンの文章は、すごく味のある文章になっていて、そしてそれはその後に起こる事、つまり麻琴と紺野さんに会ったってことを知らないほうが、より楽しめる文章構成になっている。実際僕はそんなこと知らずに普通に読み始めたから、麻琴と紺野さんに会ったという描写がでてくるまでそのことは知らなかった。おかげに余計に驚いたし、そしてそれ以前の導入の部分の文章に、より味を感じて、とても感慨不快、もとい、深いものがあったのだ。
だから、六文銭よりも先にうちのサイトを見にきてくれたひとが、僕のリンクコメントを読む事によって(あるいはアンテナのヘッダを読む事によって)先を知ってしまい、僕がその文章で感じた驚きとか味みたいなものが軽くなってしまうのはまずいかなぁと思った。まぁもちろん、先を知っていても味のある文章だと思うけど、先を知らないほうがより楽しめるように思ったのだ。

とはいえ、何も書かずにさぁ読んで来いってだけのリンクコメントもどうかと思った。何かしらの感想はつけたい。それが『謝っても許さない』というネタばれにはならない程度のコメントだったんだけど、今思うと、ちょっとあざとかったかなぁという気がしなくもない。ある意味興味をこっち側にもってこようとしているようなところがあるから。

こんなことを書いてると普通に『2人に会ったんだって』っていうようリンクコメントをつけた人を批判しているように見えちゃうかもしれないけど、そんなつもりは毛頭ない。
話が広がった後ならもちろんなんの問題もないし、そうでなかったとしても、他のサイトを紹介するっていうのはいい事だと思うし、同じ感動をたくさんで共有しようよって考えは素晴らしい事。それに事実を紹介しないと読んだ感想とか書けないし、話も広がらなくてつまらない。あるいはニュース系サイトなんかは、あいまいなコメント付きで紹介なんてのはサイトの性質上ちょっとおかしいように思う。

結局僕が長々と考えた末の結論は、リンクしたい文章が内容を知らないほうが楽しめそうなもので、そしてリンク先と読者がかなりの割合で重なっていると思われ、かつ先方の更新から時間があまり経ってない場合には、ネタばれしないようなリンクコメントのつけ方をするようにしようかなって感じ。
読者が重なってないならば内容を書いてでもとにかくクリックしてもらいたいけど、逆に読者が重なってるならば、内容を書かなくてもクリックしてもらえるだろうし。

まぁここまで色々書いてきてなんかただの自意識過剰だなぁという気がしてきた。ま、たった数文字のリンクコメントだったんだけど、そこでかなりの時間葛藤したんだよねと書きたかっただけなのです。こんな風に、リンクコメント一つつけるのにもうだうだ考えてるので、僕は更新に時間がかかるんだ。今でだいたい1回の文章に45分〜1時間程度。これでも以前よりは速くなった方。
もっと気楽でいいのだろうなと思う。なんだ、自己完結した。おしまい。




◆4/12 19:20 市井の英語

市キュビの新曲、前回の日記でアレンジがいいねって褒めてみたら、アレンジはたいせー氏じゃなくて矢野さんだった。
外注だったのね。
ははは。と笑ってごまかしておく。ま、いずれにせよ、出来がいいんだから喜んでおこう。

あとはカップリングの『journey』も楽しみだ。キュービッククロスの場合、カップリングの曲が(A面の曲よりも)充実してるし。
こっちは純正キュービッククロス製の模様。おそらく『ずっとずっと』の詞はほとんど園田さん作と考えていいんだろうけど、『journey』の方は市井の詞。さて、どんな詞を書いてるのやら。
でもWebDeluxianで市井がたまに書いてる詞みたいなものを見るとあんまり期待しちゃ行けない気がしてくるけど(^^;

っていうか、久しぶりにそのWebDeluxianを見に行ったけど、相変わらずユーザーインターフェース悪過ぎ。これじゃよっぽど市井に興味がないともう1度見にこようとは人は思わないだろう。B級感をわざと出すのと、インターフェースが悪いのは別問題。なんとかしようよ。

そのHPの中の市井が書いた1節。
『”There is only one Sky to fly.”
めいげん さ 。
いみ が わかった ひと は めいる して ね 。』(文中の空白等もそのまま転載)
まぁこの意味不明の空白が入ったひらがなだけの読みにくい文章の事はあえて突っ込まないとして、市井曰く『めいげん』であるこの英語の文章について考えてみた。

”There is only one Sky to fly”直訳すれば『飛ぶ空は一つだけしかない』ってところだが、おそらく市井はこの言葉に何か意味をこめているのだろう。おそらくそれは”fly”を、”鳥が飛ぶ”って意味ではなく、”人が生きていく”という意味になぞらえ、”Sky”を”空”ではなく”世界”になぞらえているのではないだろうか。『人が生きていく世界は一つしかない』これがきっと意訳になるのかな。

では、これをどう解釈するべきか。これには色んな解釈があると思うが、考えられそうなのは以下の2つだろうか。
まずはflyは市井のこれからの人生の歩みで、Skyは音楽の世界という意味。『私の生きる世界はこの音楽の世界なんだ。他に行く場所なんてないんだ』という決意のあらわれを表現したものという解釈だ。思いこみの激しい市井だけに、いかにもありそうである。
もうひとつはflyを今生きている人間みんなの人生の歩みととらえ、Skyをそのまま世界と解釈する方法。人が生きていく世界はたった一つ、同じ世界だけなんだよ。その中で出会ったり別れたりするかけがえの無い仲間なんだよというメッセージだ。そう市井なりの反戦メッセージなのである。いい事いうじゃないか市井。

とまぁ以上のような解釈が正統派だと思われるが、しょせん、もとい、そこは市井。そんな平凡な解釈で彼女の意をくみとっているとはとても思えない。ならば彼女がこの英文に込めた意味は何か。
実は市井はflyを応援に例え、Skyを応援する対象と捉えているのである。市井を好きといいつつも、やれ麻琴かわいいだの、辻ちゃんがどうだの、亀井がどうだといっている連中への市井からの『なんだよあんたら、かわいければ誰でもいいのかよ』という怒りの表現だったのだ。『一人(私)にしぼれよ!』と。

ん〜・・・無理。
(最悪なオチ)