「M」

第9章 side-B


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リンクインカプセルから起き上がった私は、いつものように転送後の弛緩状態でボーっとすることもなく、即座に覚醒した。
今はそれどころじゃなかった。
『教授!!』
私はカプセルを出て、椅子に座ってこちらを見ていた教授に向かって叫んだ。
『おい西田くん、約束の時間よりずいぶん早いじゃないか。どうした?何かあったか?』
教授は少し驚いた表情で私を見てそう言った。
そう言われて、オブジェクトを消す実験の途中だったことを私は思い出した。
確かにまだ約束の時間であるm世界時間での深夜12時には達していなかったと思う。
だがそれどころではなかった。
『教授!お願いがあるんです!』
『ど、どうした西田君・・・・』
私の迫力に圧されて、教授は少したじろいだ。

『調べて欲しいんです。あの、m世界の中の事を・・・・』
私はそう言いながら、これから自分が話す事の内容を思い返し、冷静に戻ってしまった。
そして教授の反応を予測して弱気になった。
『中のこと?』
それでも言うしかなかった。
『はい・・・私の友だ・・・あの・・・ある人物・・・・m世界内のですけど、その彼女の今の居場所を調べて欲しいんです・・・・』
『は?』
教授は何がなにやらわからないといった体である。
『あの・・・彼女・・・多分誰かに誘拐されて・・・だから急いで居場所を調べて助けてあげないとだめなんです。お願いします!』
私はそういって頭を下げた。
『それはつまり・・・・』
教授は事の次第を飲み込んだらしく、やがて大きなため息をついた。
そして私に背中を向けてPCのキーボードに向かい、いくつかの単語を打ち込みはじめた。
私は教授が素直に梨華ちゃんの居場所を調べてくれるのかと期待したが、残念ながらそうではなく、教授はただm世界の現在の時間を調べただけだった。
『今は向こうの時間で夜の11時15分か。まだ間に合うな。西田君、とっとと向こうに戻って、言われた作業をやってきなさい』
教授は背中越しにそう言った。
『でも・・・お願いです教授。居場所を調べていただけるだけでいいんです!それなら端末で調べられるはずです』
『何を馬鹿なことをいっておるのだね君は』
そして教授は私のほうに向き直った。
『前々から気になっておったのだがいい機会だから言っておこう。君は少々向こうの世界に入れ込みすぎだ。それは自分でも気がついているんじゃないかね?』
『それは・・・』
『確かに君にとって、向こうの世界はこちらの世界となんら変わらないものだろう。もはやm世界は安定し、表面的に感じるレベルでの差は無いに等しい。つまりこちらの世界となんら変わりないもう一つの世界、言ってみればもう一つの宇宙がこの』
といって教授は大きな円筒型の装置を指差す。
『mシステム内にあるといっても過言ではないのだ』

それから教授は少し間を置いたのちに、再び語り始めた。
『だがな、西田君。やはりあちらの世界は現実ではなくあくまで作り物なのだ。科学者であるわれわれがそれを忘れることは決してあってはならない』
『でも・・・・でも、生きてるんです。みんな・・・向こうの世界の人間も・・・私たちと一緒なんです。自分の意思で考え、行動し、悩んで、喜んで・・・・』
私はいつしか涙声になっていた。
『それはそう見えるだけだ。あくまで彼らは私達人間の動きを真似ているだけに過ぎないのだよ。あたかも感情を持っているかのように振舞っているだけで、決して感情を持っているわけではないのだ。それは君も分かっているだろう』
『それは違います。私も最初はそう思っていました。でも違うんです。中で一緒に生活してみて分かったんです。あちらの世界の人々も私達と一緒です。感情を持ってそこで生きているんです。教授も中に入ればわかります!』
『それは君の幻覚、あるいは妄想だよ・・・。私はあの世界をそんな大したものに作った覚えは無い。私やこの装置は神ではないのだ。だからあちらの人間も、所詮は作り物だ。私と君とのね』
『作り物だなんて・・・』
『そうだ。どんなによく出来ていても所詮は人形だ。そしてとても小さな存在なのだ。例えば、私がまばたきの千分の一の時間装置への通電を止めただけで、m世界は消滅する。その中の人間もろとも、なんの跡形もなくな。そんな存在が、果たして我々現実世界の人間と同じであると言えるか?』
『でもそれは、私たちだって一緒じゃないですか』
私は食い下がった。
『私たちだって・・・太陽がほんの0.1秒だけでもその温度を倍にすれば、一瞬にして蒸発してしまうような存在じゃないですか』
『だが誰が太陽の温度を倍にすることができるのかね?』
教授は自信満々に諭すように答えた。
『そんなことが出来るものはいやしない。たとえ出来たとしてもそれは何らかの自然現象というものだ。理論上予測がつくものなのだよ。だがm世界は、私が今この端末にあるコマンドを打ち込むだけでいつでも、そして簡単に消去することが出来る。私のたんなる気まぐれでね。あるいは私でなくても、誰かがシャベルカーでも持ってきて、この装置を物理的に破壊するのでもいい。簡単なことだ』

教授はいいかげんにわかってくれという表情で私を見ている。
でもやはり、私には納得ができなかった。7年間あちらの世界で生活してきた実感は、教授の言うことをとても肯定できなかった。
『でも・・・それでも・・・どんなに儚くても・・・・命の重さは一緒なはずです。あちらの世界のみんなにも命があるんです』
『・・・・命の重さは一緒?本当に君はそう思うのかね』
『え?』
『君は今、友達の命の危険を訴えている。そしてその命を救うために情報を得ようとしている。そうだね?』
『はい・・・』
『じゃあもしその友達が死んだとしたら、君はどうする?』
『な・・・何を言ってるんですか?』
教授が何を言いたいのかが私は分からなかった。
だが教授は構わず続けた。
『君はきっと私にこういうだろう。「友達を生き返らせてください」とね』
『・・・・』
『確かに現在のシステムではm世界に生きる人間に対してなんらかの干渉をすることはできない。だが内部からなら多少の制御はできる。私が君に依頼したオブジェクト欠損を起こす実験のようにな。そしてそれを応用すれば、死んだ人間も生き返らせることができるかもしれないと君は考えるだろう』
『それは・・・・・』私は否定も肯定もできなかった。
『きっと君はそうする。そしてインチキでその友達の命を元に戻そうとするだろう。ではそんなことができる命が、果たして我々と同じ重さだといえるのか?一度死んでしまったら、二度と元には戻れない我々と一緒だといえるのか?』
『そんな・・・・そんな例えに今は意味はありません。私は今、梨華ちゃんの危険な状態をなんとかしてあげたいんです』
『ふん』
教授はあからさまに私の言葉を受け流した。
だが私はというと教授の言葉に混乱していた。
命の重さ・・・・私にとっては一緒のものだと思っていた。たとえそれが現実世界だろうと、架空の世界だとしても、同じ命だと思っていた。
けれど。
教授の言うとおり、やはり人形なのだろうか?極めて出来のいいペットのようなものなのだろうか?
私はただそれらを溺愛しているだけなのだろうか?

違うっ!!
私の中で何かがそう叫んでいた。
だけどそれを言葉にすることはできなかった。いや、自分の中でも理屈をもって納得することはできなかった。

『よし。ではわかった。君の友達とやらの居場所を調べてあげよう』
『えっ?』
教授の意外な言葉に私は驚いた。
『そしてその情報をもってm世界に戻り友達を救うがいい。必要とあれば例のシールを使ってもいい。悪者がいるのならそいつらに使ってやればいいんだ。簡単だ。そのシールを相手に貼って手を離すだけだ。それだけでその悪者は 永久にこの世から消える』
『教授・・・』
私には教授の真意がわからなかった。
『そしてその時、改めて考えてみたまえ。そのような超常的行為を自分が行うことが出来る世界。それが今、自分がのめりこんでいる世界だということに。そして、その事実をしっかりと肌で感じればきっと、君も少しは目が覚めるだろう』
『そんな言い方・・・・』
私の非難を無視し、教授はキーボードに向かった。

『さぁでは調べるとするか。名前はなんと言うんだね、その友達とやらは?』
教授のその態度に私は梨華ちゃんの名前を出すのをためらった。けれど、今はそんなプライドを気にしている場合じゃなかった。なんと思われてもいい。今はとにかく梨華ちゃんを助けたい。面倒なことはその後に考えればいい。
『石川・・・石川梨華です。梨華のリは果物の梨、カは華やかのハナです』
それを聞いて教授は命令をキーボードに打ち始める。
(>getID -2A -C1 -age 石川梨華)
するといくつかのIDが表示される。
(>Searching.....)
(>ID:000002CE 石川梨華 20 Detected)
(>ID:0000412F 石川梨華 4 Detected)
(>Search Finished)
『2人いるな。こっちの20歳の方か?』
教授はコンソールに表示された結果画面を見て私に尋ねる。
『はい、そうです』
『じゃぁ居場所を調べればいいんだな』
『はい』
教授が再び命令を打ち込む。
(>getStatus -n -positon 2A-C1-000002CE)
(>Searching.....)
(>.....)
(>.....)
(>.....)
『ん?』
結果がなかなか表示されないので教授が疑問の声を上げる。
だがその直後に一列の文章が表示された。
(>Search Error. Not Exsisting in Field.)
『何?』
教授の背中越しにコンソールの結果表示を見た私の背中から、一瞬にして冷や汗がどっと噴出した。
『Not Exist・・・・存在・・・しない・・・・』
だが私の考えを察知した教授が言う。
『いや西田くんちょっと待て。そうじゃない』
『そうじゃないって・・・』私は震える声でそう言った。

教授は質問には答えずに続けて同じ命令コードを打ち込む。
(>getStatus -n -positon 2A-C1-000002CE)
(>Searching.....)
(>.....)
(>.....)
(>.....)
(>Search Error. Not Exsisting in Field.)
そしてまた同じ結果が出力さた。
『梨華ちゃんは・・・・梨華ちゃんは・・・・教授・・・・』
消え入りそうな声で教授に聞いた。私の心は、断崖絶壁の崖の上でかかとから先が崖の宙に浮いているような状態だった。
『どういうことだ・・・』
教授は別の命令コードを打ち込みはじめた。
(>getStatus -n -attr 2A-C1-000002CE)
(>Searching.....)
そして今度はすぐに結果が表示された。
(>Vanished. No Attribute Found.)

『これは・・・まさか・・・』教授は信じられないといった表情でモニターを見つめていた。
『教授!どうなってるんですか!?教えてくださいっ!!』
私は教授の肩をつかんで強くゆすっていた。自分で何かを考えるということが出来るような精神状態ではなかった。
『・・・消えてるんだ』
『消えてる・・・消えてるって・・まさか・・・』
『違う』
『え・・・・』
『死んだんじゃない。消えたんだ・・・・石川梨華というデータが消去されているんだ・・・・』



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