「M」

第7章 side-B


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研究室に戻ると、相変わらず機嫌の悪い教授が私を待っていた。
『遅い!どこに行っておった!!』
『えっと・・・・すいません』
自宅でシャワーを浴びてすぐに戻ってきただけなので、たった1時間程度いなかっただけなんだけど。
もっともそんな言い訳(いや至極真っ当な説明だ)をしたところでしょうがないのでここは素直に謝っておく。
『全く、最近は家に帰れと言ってもなかなか帰りおらんくせに、肝心なときには帰っておるというのも・・・・・・』
確かに私は最近はほとんど自宅には帰っていない。
いや帰れないのだ。

こちらの世界の時間の流れと、あちらの世界の時間の流れは等価ではない。
動的モデルを採用している今は多少の変動があるものの、平均してこちらの1時間があちらの4時間に相当する。
だからこちらの世界の自宅に帰って泊まったりして、こちらの時間で10時間の間を空けてしまうとあちらの世界で約40時間が経過してしまう。
そんな時間は、今の向こうの世界の私の状況ではそうそう作れない。

『まぁいい。君にやってもらいたいことがある。今から説明する』
『はい』
『例のC14の原因をもう少し多角的に調べてみたのだがね。原因、いや結果といった方がいいか、それらしきものの輪郭が少し見えた』
『原因ではなく結果・・・ですか?』
よくわからない表現に私は疑問を口にした。
『ああ。原因は不明だが、m世界内部での瞬間的なオブジェクト欠損がC14エラーにつながっているようだ』
『瞬間的なオブジェクト欠損?』
オブジェクトというのは向こうの世界を構築する物体のことだ。それが欠損?瞬間的?
『うむ。まぁ簡単に言えば向こうの世界のオブジェクトが瞬時に消滅したらしいということだ。マジシャンが物を消すようにな。もっともマジシャンはトリックだがこっちは本物だ。本物という表現もおかしいが、まぁともかくm世界内のオブジェクト、つまりmシステム上のデータがデリートされたということだ。それも瞬間的、かつ明確な理由なくな。それで欠損したオブジェクトの周りのデータがイリーガルなリンク切れを検知しエラーを出す。そういう事のようだ』
つまりm世界内の物が消えるということか。私の中に少しひっかかるものがあったが、それが何か分かる前に教授が先を続けた。
『原因はまだわからん。まだな。そもそもおかしいのは、オブジェクトが必ず1つ単位で欠損していることだ。メモリ破壊なり、プログラムエラーであれば複数のオブジェクトに同時に不具合が起こるはず。だが、そんなことは起きていない。1つずつ正確に消去されているのだ。まるで精密な誘導弾で狙い撃ちしたようにな』教授はそう言って不可解だという表情をした。
『それは・・・・人為的ってことですか』
信じられないことだが私はそう聞いてみた。
『まさか。そういう意味ではない。あたかもそのように事象が起こっているというだけだ。そもそもこのmシステムでは外部からのデータ改ざんができないのは君も知っての通りだ。データを変更するためにはシステムにリンクインする必要がある。そしてそれができるのは今は西田君だけだ』

そうなのだ。m世界内の事象を外部から遠隔操作することはできない。それはm世界内部の事象があまりに複雑な要素が絡んだ上で発生し、進んでいるので、こちらの世界からは何をどう制御すれば何が起こるというのがわからないのだ。
このmシステムとその内部のm世界を作り出したのは確かに今目の前にいる宗像教授だ。だが教授はあくまで種をまいたに過ぎず、その後の過程は驚異的な演算能力を持つこのmシステムが気の遠くなるような演算回数をこなした上で作り上げてきた世界である。
例えるならば、今のm世界を「人間」だとすれば、教授は「バクテリア」を作ったに過ぎない。そして「バクテリア」が「人間」に進化するまでの過程はシステムまかせだったのだ。
よって外部からできることといえば、今はただ監視、観察することのみ。それとてごく限られた情報しか得ることはできない。
よってこのmシステムは事実上、リンクインシステムのみを唯一の連絡路とする完全に独立した世界と言える。
システムに創造主は存在する。だが、万能の神はいないのだ。
リンクインした私にできることなど、向こうの世界で生きている他の人間となんらかわるところはない。

『そこでだ』
教授が話を続ける。
『そのオブジェクト欠損を強制的に起こし、それを詳細に観察することによってC14の原因を突き止めようと思う』
『強制的に起こす・・・・でもそんなことできるのですか?システム上難しいと思うのですが』
今でも限られた情報の獲得だけで精一杯なのに、そんなことができるとは思えなかった。
『外部からはな。外部からはそのようなことは無理だし、詳細な観察だって普通にはできん』
『ではどうするんでしょう?』
『まずオブジェクト欠損だが、これはちょっとしたプログラムを使えば内部から起こすのはそんなに難しいことではない。理論的な説明は省いて実践的な話をすると、君にオブジェクト欠損を引き起こすマーカーをm世界内で使ってもらうことにする。それを使えば、m世界内のオブジェクトを消去できる』
『C14が起きた状況を再現するということですか』
『その通り』
教授は、教え子が正解を答えたことが嬉しいという表情をした。
『そしてその状況をこちらで詳細にモニターして、今までのC14との状況の差分を取る。その後さらに詳細なデータを下にシミュレーション実験を行う。これで原因が多少なりともつかめるかもしれない』
『でも詳細にモニターなんてできるんですか?だって外部からは・・・・』
教授が私の疑問に口を挟んで答える
『できる場所が1つあるだろう』
『・・・・あっ、私の部屋・・・・そうか、向こうの世界の私の部屋ですね』
私はあの部屋だけは特別だということを思い出した。
『そういうことだ。これから君はまたm世界にリンクインして、君の部屋でオブジェクト消去を行う。消去するものはまぁなんでもいい。ただそうだな、人間くらいのサイズは欲しいかな。あと時間も正確なものが欲しい。今からだと・・・・そうだな、私の準備に4時間見るとして・・・・うむ、向こうの時間で次のちょうど深夜12時に消去してくれ。それくらいが丁度いい』
『わかりました』

そして私はオブジェクト消去の方法を具体的に教授にレクチャーされ、その後再びm世界にリンクインした。





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