「M」

第3章 side-B


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『帰りました・・・』
私は玄関の扉を開けると同時に、誰に言うでもなく声をだした。
『おかえり』と家の奥からいくつかの声がした。いつもの感情のない挨拶。形式的なコトバ。

私は階段を上り、自分の部屋へと直行する。階段の横のリビングからもれてくる家族の明るい声。私には近くて遠い世界。
自分の部屋に入ると、倒れこむようにしてベッドに身を投げた。といっても私の180cmを超える体にはこのベッドはかなり小さいので、体をまるめて注意しながらであるけれど。
もうこのまま寝てしまおうか。でも、やっぱりお風呂には入りたい。今日の一日の疲れを明日には残したくないな。でも、階下のみんなが入り終わるまでは・・・。

(トントン)
部屋のドアをノックする音が聞こえた。
『はい』
私は返事をする。
『瑞希さん、晩ご飯は食べてきたのよね』
『はい、お母さん』
『じゃあ、お風呂には好きな時に入ってね。パジャマはここに置いておきますから』
『ありがとうございます。でも私はもうちょっと起きてやることがありますので』
本当はやることなんか何も無いけれど、いつものようにそう答える。
『そうですか。ではおやすみなさい』
『おやすみなさい』
そんないつもの作業が終わった後、私はいつものように「お母さん」と自分が呼んでいた人が階下へ降りるのを待ってから部屋のドアを開けた。
そこにはきれいにアイロンがけされたパジャマが置いてあった。
まるでクリーニング屋から受け取ったばかりのように、きれいに、そして機械的にたたまれていた。

彼女が私の部屋に入ったのはいつが最後だろうか。5年前?10年前?いや、私がこの家に来て以来、彼女がこの部屋に入ったことはないのかもしれない。
彼女だけではない。自分がお父さんと呼んでいる人も、自分をお姉さんと呼んでいる妹も。
私の本当の両親は、私が6才の時に交通事故で死んだ。一人残された私は、死んだ実の父の妹夫妻の家、つまりこの西田家に引きとられる事になった。
私はこの西田の両親に本当に感謝している。
彼らが私を引きとる際には、何の野心もなかった。ドラマなどでよくある遺産目当ての養女だとか、引きとった子供に冷たくするだとか、そんなことは一切なかった。
私の実の両親の保険金は、必要最低限の分以外は手をつけずに私のために置いてくれているし、普通に学校にやってくれ、普通に西田家の娘として育ててくれた。親の義務としてやるべきことは滞りなくやってくれた。

そう、義務だった。
身寄りのない娘なのだから、親戚として私たちが育てるのが義務だという思いが彼らに強くあった。正義感といってもいいかもしれない。
だけどそこに愛情はなかった。

とはいえ、感謝こそすれ、私が西田の人たちに文句をいえる筋合いはない。
そもそも、西田家の人々を遠ざけたのは私自身なのかもしれない。
私は人付き合いが苦手で、とかく引きこもりがちな子供だった。
生まれたときから体が大きく、幼稚園でも、小学校に入っても、常に飛びぬけて背が高かった。
同い年の子からは、怖がられるか、年上の大人のように扱われるかのどちらかだった。
そんな環境がそうさせたのか、あるいはもって生まれた性格のせいなのか、あるいは事故で両親を一時になくしたせいなのか。
私の記憶の中に、友達や仲間と呼べる存在はいない。
常に目立たぬ存在であることを心がけ、人の邪魔にはならず、ただたんたんと生きる。そんな生き方が私には染み付いている。

そんな自分を変えたいという思いはある。
だけど、そんなに人間は簡単には変われない。同じ生き方を20数年間も続けてきたのだ。
それに自分というものを形作っているのは、自分の意思だけではなく、周りの環境も含めて「自分」なのだ。
私の意思が変われば、私が変われるというわけではない。必ず周りの環境から、私という存在を、「今までの私」に戻そうする力が働く。
それに抗う力など、私にあるわけがない。

今日見に行ったコンサートを思い返してみる。1万を超える人々の注目を集めながら、歌い踊る女の子達。
彼女達の「自分」ってなんだろう。
私は彼女達みたいになりたかった。
あの小さな彼女、私の半分くらいの大きさしかないのに、私の数百倍エネルギッシュな彼女のようになりたかった。
だけど、その彼女と私との差は、表面的な差でしかなかったりもするのだろうか。
周りの環境が大きく違うだけで、本質的な人間としての意思の部分では大きな差はなかったりもするのだろうか。
それともやはり、根本的に違うものなのだろうか。



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