「M」

第5章 side-A


----------------□


『チャオ〜』
その甲高いアニメ声が背後から聞こえたのは、待ち合わせの時間を5分ほど経過したときだった。
『遅せ〜よ、清水』
『えらくなったものねぇ、清水さんも』
矢口と保田が同時に声の主に不満を漏らす。
3人はこの喫茶店で待ち合わせ、このあと一緒に遊びに行く予定だった。

『あ〜ん、ごめ〜ん。田中ちゃんと電話してて、うっかり時間過ぎちゃって・・・・』
そういって石川はぺロッと舌を出す。
矢口は自分が男だったらこれでイチコロなんだろうなぁとその笑顔を見ながら思った。
『まぁ別に仕事の待ち合わせじゃないんだからいいけど。でも田中は相変わらず石川・・・・じゃないや清水ラブなの?』と保田が聞く。
『そうみたい。うふっ。尊敬されちゃってるって感じ?』石川はわざと少しぶりっ子なしぐさをして答えた。
『なんでチャーミー言葉なんだよ。普通にしゃべれよ』と矢口。
『いやぁ何か清水って呼ばれるとキャラ変わっちゃうのね。自分でもよくわからないんだけど』

3人は芸能人であることを隠して街を歩くときなどは、それぞれ偽名を使って呼び合うことも多かった。
だがその効果のほどはあまり信用しておらず、単なるお遊びでやっている感のほうが強いというの事実だったが。そして実際、途中で飽きて止めてしまう場合が多かった。
『じゃあ行きましょうか。権田原さんに越後屋さん』
『ちげ〜よ』
『それじゃ逆に目立つでしょーが』


矢口、保田、石川の3人は、軽いランチをこの麻布十番の喫茶店で済ませ、そこから徒歩で六本木ヒルズへと向かった。
そこで買い物と映画とディナー。それが今日の予定だ。
開業してそれなりの日数も経ったが、まだまだ六本木ヒルズは人気スポットではある。
しかし今日は平日であるから、それほどの人出ではないだろうと見越したのだ。
『いや〜でも、3人でオフに会うなんて久しぶりだよね』と、歩きながら矢口が2人に言った。
『そうだよね〜、それこそあの温泉旅行以来かもね』と保田が懐かしそうに言う。
『圭ちゃんがまだ娘。だったころだよね。懐かしいなぁ。2年前?それくらいだっけ。おいらと圭ちゃんの家族で一緒に温泉に行こうってなったんだよね』矢口が返す。
そんな風に笑いながら、麻布十番の商店街の歩道を保田を中心にして3人横並びでゆっくりと歩く。
人があまりいないので、すっかり偽名ごっこのことも忘れて、普通に名前で呼びあっていた。

『なぜか石川が一人でついてきてさ』と矢口が笑う。
『私も連れて行って〜って目で見ててさ。しょうがないから誘ってあげたんだよね』
『しょうがないって何よ〜』
と石川がダダをこねる仕草をする。
とりあえず矢口と保田はそんな石川の仕草をスルーし、二人で目を合わせて苦笑する。

『温泉かぁまた行きたいな〜』
そして麻布十番名物の温泉から漏れてくるにおいを嗅ぐように、保田は大きく深呼吸した。
『でもあれから2年かぁ。もう2年なんだよね。つい2ヶ月前くらいにも感じるのに・・・・』と石川がしみじみと言う。
『だね、ほんと。気が休まる暇なんてないから、どんどん時が経っていくんだよね。娘。に入ったのだって、ついこの間な気がする』と矢口。
『私と矢口が、もうすぐ7年だっけ?』
『私は5年だ』と石川。
『すごいなぁ小学校卒業できるくらいの年だ』と矢口が言ってため息をついた。
『すごく環境は変わってるんだけどね。信じられないくらいに。でも自分自身は不思議とそんなに変わってない気がするな・・・』
石川がそんなふうにしみじみと言った。
『あんたは結構変わったでしょ。前はポジティブポジティブって呪文みたいに唱えてたくせに』と保田がからかって笑う。
『ううん。それは成長したってことだと思うの。本当の私は昔から変わって無いよなぁって最近思うの』
『そんなものかなぁ』と矢口。
『うん。ただ自分を環境に合わせるのがうまくなっただけ。時々ね、本当の自分じゃない自分を、毎日毎日創り続けてるような気がすることがあるの』
『それは私もあったな』と保田が同意する。
『それが芸能人ってものなのかなぁとも思うけど・・・』と石川が少し諦めたような声で言った。

『本当の自分じゃない自分を作ってる・・・・か・・・・』
矢口がそういってなんとなく物思いに耽っているのを見て
『矢口は違うの?』
と保田が尋ねた。
『ん・・・いや・・・そうかもしれないね・・・・』
と少し落ち込んだ表情で矢口は言った。
だが、そんな矢口を見て2人が心配そうな表情に変わるのを見て、矢口は表情を明るく変える。
『でも!うん!おいらはこの7年でかなり変わったと思うよ!うん!』
なぜか自分に言い聞かせるようにそう言った。
『矢口は最初から一緒だよ』そういって保田は優しい笑顔で矢口を見た。
そして矢口が少し照れるのを見て、
『背も伸びないし』
と付け加えた。
『それかよ!』
矢口が突っ込み、3人は大きな声で笑った。


『でもあれだね。矢口のライブ中の癖も変わらないよね。』
ひとしきり笑い終えた後、保田が再び矢口に言った。
『癖?なにそれ?』石川が尋ねる。
『ほら、昨日もまた背の高い女の子のお客さんを見つけて、よく見てたじゃない?』
『あぁ・・・あれね』苦笑する矢口。
『えっ、そんな癖があるんですか?私知らなかった』
『娘。に入ったときからそうなのよこの子。背の高い若い女のお客さんを見つけると、なんか見てるの、いつも』

矢口はそんな自分の小さな癖を保田が発見したときとても驚いた。
自分でも自覚はあったが、まさか同じ出演者に気づかれてるとは思わなかった。
保田は仲間のことに本当によく気がつく。体調が悪いとき、悩んでいるとき、他の誰もが気づかなくても、なぜか保田だけは気づいているということがよくあった。
『なんかね・・・・シンパシー感じちゃうんだよね・・・・』矢口がつぶやくようにそう言う。
『それって逆じゃないですか。矢口さん小さいんだから、普通は小さい女性にシンパシーってのは感じるものなんじゃ・・・』
『でしょ。だからよくわかんないのよね。無いものねだりってやつ?』
『ふふ、まぁいいじゃない』
矢口は笑ってそう言った。



----------------□


3人は、六本木ヒルズで買い物を満喫し、ヴァージンシネマズのプレミアシートで流行のSF映画を見た。
久しぶりのゆったりした時間。
平日ということもあって、予想通り六本木ヒルズは人も多くはなく、また簡単な変装の効果もあって3人がそれとばれることもなかった。
もっとも一度、石川の選ぶ服のセンスの悪さを二人がかりで指摘して石川が軽くキレたときには、注目を浴びた末にばれていたけれども。

最後に晩御飯を食べようと、森タワーの5Fにある保田がお気に入りというレストランへと入った。
「olives」という地中海料理の店で、かなり値段ははるが雰囲気のよい店だ。
矢口たちが外食する場合、最近はたいていこういった豪華な雰囲気のする店を選ぶことが多かった。それでよく、「芸能人はいいわよね」などと芸能人ではない友達に言われたりもするのだが、別にお高く留まってそんな選択をしているわけでもないんだけどなと矢口は思っていた。
こういう店の方が、落ち着けるのだ。
それは周りのお客さんや店員が、芸能人を見てもじろじろ見たりしてこないから。たとえ興味があったとしても、興味のないように振舞ってくれる。
それは別に気遣いというよりも、自分がそういう店で優雅に立ち振る舞っているという意識を保ちたいからなのだろうと矢口は思っていたが、いずれにせよそのおかげで自分たちも余計な気を使わずにすむのだ。

予約してあった席に案内されて、3人はそれぞれ席についた。
『やっぱり、梨華ちゃんはマネキン買いしてた方がいいね』
矢口がそういいながら荷物を椅子の隣に置く。
『もう、まだ言ってる』
石川は不満を口にしながら、持っていた大きな袋からさっきかったばかりのものを取り出した。
そしておもむろに一つだけ空いている席にそれを置く。
『ちょっとちょっと石川、それはやめてよ。恥ずかしいじゃない』
保田があわててそう言った。
石川がさきほど階下のバラエティショップで買った大きなピンク色のうさぎのぬいぐるみを、椅子の一つに座らせ始めたのだ。
『ええ〜、だって一人だけ仲間はずれはかわいそうじゃない』
『いや、いくらなんでも・・・・』矢口もさすがに嫌な顔をする。
『でもほら、他のお客さんからは見えない椅子だし・・・』
石川が言い訳していると、
『あのお客様・・・申し訳ありませんが・・・』
ウェイターが困り顔で石川にそう言った。

石川は恥ずかしがりながら人形を元の袋に仕舞う。その姿を見て保田が矢口に言った。
『矢口だってラジオのときいつも「しげる」を椅子に座らせてるじゃない』
『あ〜、あのプーさんの大きいぬいぐるみ』と石川。
『21歳にもなって、あんなぬいぐるみ抱っこしてラジオの前でしゃべってんだよ。最初見たとき笑っちゃった』
『いいじゃんか〜、あれで落ち着けるんだもん。しげるはおいらの恋人なの』矢口が口を膨らませて言う。
『じゃぁしげると結婚すれば』
『何それ?自慢?優越感?裕ちゃんに言いつけるよ。』
『それは勘弁』保田は顔をしかめてまじめな表情でそう言い、それから笑った。


食事は確かにおいしかった。さっきみた映画のこと、ファッションのこと、そしてモーニング娘。のこれからのこと・・・・会話も進んだ。食後にアルコールを注文した。矢口と石川は少し口をつける程度だったが、保田はけっこう飲んでちょっとほろ酔い加減だった。
『そうだ、ねぇ朝のニュース見た?』保田が2人に尋ねる。
『ん?見てない』ほんの二口程度しか口にしていないのに顔が赤くなっている石川がそう答えた。
『ちょっとだけ見てたけど』と全然平気な矢口。
『あれすごいと思わない。急に消えちゃったんだよ』
『何が?』石川が聞く。
『あのお金持ちのお嬢さんでしょ?』朝のニュースを思い出して矢口が答えた。
『え、違う違うそれじゃなくて、ハチ公』
『は?』矢口は予想外の単語を聞いて驚いた。
『ハチ公って、あの渋谷の駅前の?』
『そう、おとといの夜、急になくなっちゃったんだって。誰も気づかないうちに。誰かが盗んだんだろうってことだけど』
『ええ〜うそ〜すご〜い』石川が驚いて声をあげる。
『でもハチ公なんて盗れるの。あそこ夜中でもいつも人たくさんいるし、すぐ近くに交番もあるし』矢口が信じられないという口調でそう質問する。
『でしょ。それが急に突然なくなっちゃったんだってさ。目撃者とか誰もいないの。何かのマジックじゃないかって』
『Mr.マリックさんとかテンコーさんとか』まじめな顔で石川がそう言った。
『プリンセスアヤヤだったり』
『ははは』
『へ〜、でも困るよね、ハチ公いないと』と矢口。
『しげるでも置いておけば?』保田がしげるの話を蒸し返す。
『おいらのしげるは駄目。梨華ちゃんが今日買ったピンクのウサギでいいじゃん』
『駄目〜、私のうさちゃん』
『キショ』
『キショくてもいいもんね〜』
そう言って石川は、今日買ったうさぎのぬいぐるみを再び取り出そうと、足元においてある袋に手を伸ばした。

『あれ?』
『どした?』
『あれ?あれ?』
石川はビニールの袋を持ち上げた。さっきまで確かにピンクのうさぎが耳をちょこっと見せていた大きな袋。
しかし今は、ただの大きな空き袋になっていた。

『え?なんでなんで?うさちゃんどこ行ったの?』



----------------□


>第5章 side-B

>目次