「M」

第1章 side-A


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『・・・・・お〜い』
『もうすぐ出番だぞ〜起きろ〜』
飯田がやさしく声をかける。だけど眠り姫は一向に起きる様子が無い。
『ったく!!』

そしていらいらしてきた飯田はあらん限りの声を出して叫んだ。
『矢口っ!!!!!!』

『わっ!!』
耳元で大声で叫ばれ、さすがにたまらず、矢口は飛び起きた。
ドキドキする心臓をしばらく抑え、少し落ち着いてから矢口はやっと声を出した。
『び、びっくりした〜。ちょっと圭織〜』
矢口はかなり不満そう。
そして、同じ部屋にいた他のみんなも、笑いながらも矢口に同情的な表情を浮かべている。

『だっていくら声かけても起きないんだもん矢口。起こしてあげたんだから感謝しなさい』
『いや、感謝っていわれても・・・・あ〜もうびっくりした』
『でも、最近矢口楽屋でよく寝てるよね〜。ちゃんと家で寝てないんじゃないの?』
と、保田も口をはさむ。
『いや、そんなことはないんだけど・・・・って、なんで圭ちゃんここにいるのよ?』
『いいじゃん別にいたって。私だって元....いや今もモーニング娘。のつもりだもん』

ここはモーニング娘。のコンサートの楽屋。そして今は本番前の最終リハーサルの最中だった。
飯田、矢口、藤本、小川、田中の5人がライブの衣装に着替えた状態でこの部屋で出番を待っていた。
そして長袖のポロシャツにジーンズというラフなスタイルでいる保田は、ライブの見学に来たものの、
早く来過ぎたと言って、楽屋で時間をつぶしているのだった。
両耳には、矢口が誕生日プレゼントとして送った水色の水晶のイヤリングが光っていた。
会う時にさりげなくそういうものをつけてきてくれる保田が矢口は大好きだった。


『大事な同窓会ツアーの初日だもんね。私がじきじきにチェックに来てあげたのよ』
と保田は胸をはる。
そう、今日はモーニング娘。歴代メンバーによる合同ライブツアーの初日であった。
それは、今までのライブとは全く違うメンバーで構成されたツアー。モーニング娘。のツアーとも、ハローのツアーとも違う。現役モーニングメンバーに、中澤、後藤、安倍、辻、加護、飯田の卒業組を加えた、歴代モーニング娘。オールキャストによるツアーだった。まさに同窓会だ。もっとも、既に歌の世界を離れている、福田、石黒、市井、保田の4人は参加しない。

『え〜、にしてはさっきからここでお菓子ばっかり食べてくつろいでるじゃないですかぁ。本当はお菓子食べにきたんですよね?』
『あら藤本さん?ずいぶんおっしゃるようになったのねぇ』
といって保田が藤本を睨む。そんな保田を見るのが、藤本は嬉しくてしょうがないらしく、満開の笑顔で保田を睨み返した。
『お菓子食べにだけに、こんな納豆くさい楽屋なんか来ないもんねー。藤本納豆は外で食べなさいよ』と保田が反撃した。
どうやら藤本がまた楽屋で納豆を食べていたらしい。困ったもんだと矢口は思った。
『えー、美貴だけじゃなくて亀井ちゃんも食べてたんですよー。それにいいじゃないですか。納豆は健康にいいんですよ。ライブは健康第一』
藤本がそんなことを言っていた時、楽屋のドアがノックもなく乱暴に開いた。

『矢口さ〜ん!!』
加護がドアから頭だけを出して、矢口の名前を読んだ。
飯田が『ちょっと加護、ノックくらいしなさいよ』と文句を言うが、
加護は笑顔で『はいはい』と言ってから再び矢口の方を向く。
飯田はおおげさにやれやれと行った感じに手をすくめた。

『あれ?・・・・矢口さん泣いてるの?』
加護が矢口を見て不思議そうに尋ねた。矢口の目は少し赤かった。
『違うよ。さっきまでぐーすかぐーすか寝てたんだよ、矢口は』
保田がそう答える。
『矢口さん、あのぉ、監督がミニモニの順番は後回しにするって。梨華ちゃんの出番の分を終わらせときたいんだって。だからもう少し待っててって言ってたの』
『え〜そうなの。わかった』
予定通りなら次は、既に卒業した矢口を含めた「元祖ミニモニ」による曲目のリハーサルだったのだが、どうやら事情が変わったらしい。
もっともこんな事は日常茶飯事であるから、矢口は別に何も思わず、それではしばらく圭ちゃんと雑談でもしていようかななどと思っていた。
矢口は保田に相談したいこともあったのだ。

『で、おとめチームは来て用意してって』
『あいよ』
飯田の軽い返事をきっかけに、藤本、小川、田中は椅子を立ち、ステージに向かう準備をはじめた。
藤本は鏡で衣装の確認をし、靴をぬいで裸足になっていた小川は靴をはき、田中はMCの再確認をしている。
それを見ていた加護が何かを思いついたような嬉しそうな顔をした。
そして誰にともなく『じゃぁ加護はケータリングに行ってこよう〜っと。マネージャーさん一緒に行きましょ』と言った。

『マネージャー??』
矢口が疑問の声をあげた。今この楽屋にはマネージャーはみんな出払っていていないのだ。
『誰もいないよ加護』
『え!?いるよ、マネージャーさん』
加護が嬉しそうに答える。
『ひょっとしてそれあたしのことかい?』
保田が加護に向かっていった。
それを聞いて、加護と小川、田中は大声で笑い始めた。飯田、藤本、矢口も思わず苦笑い。

『行こう、マネージャーさん』
ひとしきり笑い終えた加護が保田に言う。
『あんた、子供じゃないんだから、ケータリングくらい一人で行きなさいよ』
『え〜、だってタレントの食事の管理もマネージャーの大切なお仕事でしょう』
と加護がひときわ甘えたような声で言う。
加護自身、保田に会うのは今日で久しぶりだから、少し甘えたいのだろう。それを保田も感じたらしく
『わかったわかった。大事なタレントさんのためですからね』と答えると、席を立ち、加護とともに出ていった。

『じゃぁ私達も。ありゃ矢口だけ一人ぼっちになっちゃうね。お留守番よろしくね』
飯田がそう言ってドアへと向かう。
『はいはい』
矢口はそう答え、手近にあったファッション雑誌を手に取った。
やがて藤本、小川、田中もドアから出ていき、楽屋には矢口一人だけとなった。

『ふぅ・・・圭ちゃんは加護に取られちゃったか。このままライブが始まるのも嫌だなぁ・・・・・』
矢口は一人つぶやいて、天井を見上げた。しばらくそうして固まっていた後、はぁと大きくため息をつき視線を雑誌に落とそうとした。
すると、楽屋のドアがまたノックもなくそっと開いた。
そしてドアから顔を覗かせたのは、さっきまでリハーサルをしていた安倍だった。

『矢口・・・』
矢口は安倍の方を見た。
安倍はいつになく真剣な表情だった。それは矢口もおなじだった。
やがて、安倍が何かを決心したような表情となり、声を出した。
『・・・・あの・・・・この間は・・・・ごめん』
そしてすぐに顔を背け、矢口の反応を見ることなく、ドアを閉じ出ていった。


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3日前から矢口と安倍は口をきいていなかった。
それはささいな事が原因の喧嘩だった。
公演ごとにMCを全員が変えるようにしようという安倍の意見に対し、
それは個人個人で決めればいいし、そもそもそんな必要もないというのが矢口の意見だった。
去年からのソロライブ経験をつんだ安倍は、毎回違うMCで客の反応を見ることの楽しさを学んでいた。
しかし、矢口にとっては、今回のような大人数のライブでそのようなことをするのは逆効果で、ライブの流れを悪くすると思っていた。
ライブのミーティングの席上で始まったその議論は、スタッフも巻き込んでの熱い討論となった。
そして結果的には安倍の意見は却下され、つまり、矢口の意見の通りとなったのだが、
安倍の中ではしこりが残ったらしく、ここ数日気まずい雰囲気が2人の間にはあったのだ。

だが、2人は長い付き合いだ。こんな喧嘩は特に珍しい事ではなかったし、矢口も安倍もいつかは仲直りできるだろうとは思っていた。
ただ、こういう喧嘩が起きた時、いつも謝るのは自分からなんだよなと、矢口は少々不満を持っていた。
(たまにはなっちから謝ってきてくれてもいいのに・・・・)
そんな風に思わずにはいられなかった。

だから矢口は今とても嬉しかった。
(なっちから謝ってくれるなんて初めてかもなぁ・・・)
それまでの少し暗い気分がすっかりと晴れ、ライブに向けてテンションが上がってきた。

『おし!いっっちょ頑張りますかっ!!』
誰もいない楽屋で矢口は一人気合を入れた。



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