「清水の舞台からもう一度」

六日目


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「ぱせりちゃ〜ん」
待ち合わせ場所である四条河原町のマクドナルドの前に立つぱせりを見つけて、希美は大声でその名前を呼んだ。とたんにその周りの人々の視線が、希美と、その視線の先にいるぱせりに注がれる。
右手で顔を覆い、
「あの子ほんましゃれにならんわ・・・」
とため息混じりにつぶやくぱせり。

「おまたせ!」
一方希美はまわりの視線なんぞお構いなしだ。いや気がついていないといったほうが正しい。
もともと芸能人として人の視線にさらされることが多かった希美だが、こちらの世界にきてからはそのような視線にさらされることもなくなった。なんといっても一般人なわけだ。しかも可愛い女の子というわけでもない。だから、希美は向こうの世界での好奇の視線の集中砲火というものから逃れ、この世界で外を歩くときには少なからぬ開放感を味わっていた。だからこそ、逆に他人の視線に疎くなっていた。
そしてだからこそ、希美はしばらくはこの世界でのんびりしてようと思ったのだった。7つの願いをすぐにはかなえずに。
こんなとんでもない状況でも楽しんでしまうたくましさを希美はもっていた。

「どしたの?」
不機嫌そうなぱせりの表情をみて希美がいう。
「あんたにはデリカシーというものがないの?」
口をどがらせて訴えるぱせり。
「ん?でりかしぃ?」
「デリカシー!!恥ずかしいの!!大きな声で名前を呼ばれると」
「そうなの?でも、かわいいじゃん。ぱせりちゃんって。なんかかわいい犬みたい」
「だから恥ずかしいの!もう、ええから行こ!!」
ぱせりはそう言って、希美の腕をつかんだ。
だがそれは別に怒ったからではなく、単に腕を組もうとしただけだった。
だが、腕を組み終わったところで、ぱせりは自分がとても大胆なことをしていることに気がついた。なんといっても、相手は同じ歳の男の子なのだ。
「あっ!」
そしてあわてて腕を振り解く。
「ちゃう!ちゃうんよ!!ほら、健太君ってなんか女同士の友達みたいな感覚になっちゃって・・・だから・・・・」
少し顔が赤くなるぱせり。
「まぁええんちゃうん」
希美はそんなぱせりを見てにこにこしてそう答えた。

2人は目的の場所に向かうことにした。先ほどの件で照れているのか、ぱせりは無言のまま希美からすこし距離を置いて歩いていた。そのため希美も少し話しかけづらかったので、しばらくは2人無言で歩いた。
2人が渡ろうとしていた交差点の信号が、交差点に着いた時に赤に変わった。
周りには人がいない。

「ねぇ名前変えたい?」
希美からぱせりに話しかけた。
「は?」意味がわからないぱせり。
「ぱせりって名前を変えたいのかなぁって思って」と希美が説明した。
「そりゃまぁ恥ずかしいけど・・・・でもまぁ、変えようと思って変えれるものじゃないもの」
「えっとね、願いをかなえるおまじないを知ってるんだ」
本当はおまじないというレベルではないが、つかに他の人には教えてはいけないと言われていたのだった。
だが、当然のことだが、それをぱせりは冗談と受け取った。
「何?そのおまじないなら、名前も変えれるの」笑いながらぱせりはそう言った。
「かも」希美は話の持って行き方に少し後悔しつつ、そうあいまいに答えた。
「でも、別にいい」
ぱせりはきっぱりと答えた。
「え?」

信号が青に変わる。二人は横断歩道を渡り始めた。
歩きながらぱせりが言う。
「まぁね、確かに目立つし変な名前だけど・・・・でもなんだかんだで自分の名前は好きなの。もう16年も付き合ってきてるんやもん。そりゃ恥ずかしいけどね」
「ふ〜ん」
希美はなぜか少しほっとした。
そして続けて聞いた。
「じゃぁ他に何か願い事ある?」
「願いごとなぁ・・・・」少し目線をあげて考えるぱせり。
「あっ、そうだ!歌手になりたいんだよね」希美が思い出してそう言った。
「うん、まぁ・・・・一応・・・・」すこし照れくさそうにぱせりが答える。
「じゃあそれ願い事にしようよ」と希美。
「健太君は何やようわからんこというなぁ・・・・・でも」
「でも?」
「それは願い事って言うより目標かなって思う」
「目標?」
希美はぱせりの言葉を繰り返して、首をかしげた。
「うん。努力しなくてかなえるのが願い事。努力してかなえるのが目標。歌手って言うのはうちにとっては目標。願い事ってのが、願えば努力もなしにかなうんやったら、なんか人生味気ないって思わへん?そんなんつまらんって思うわ」
希美を見ながらでは恥ずかしいのか、ただ前方を見据えて話すぱせり。そしてさらに話を続ける。
「せやからな、もし神様がなんでもええから一つ願い事を叶えたるとかうちに言うてくれたとしても、歌手にしてくださいなんて頼まへんねん。自分でなります言うて」
「かっこいい!ぱせりちゃんかっこいいね!!」希美はあっさり感激していた。
「いえいえ」照れて顔の前で手をぱたぱた振りながらぱせりが答えた。
「そっかぁ、目標かぁ」
「そう・・・・あっ、もうすぐやで。あそこの店。ロッテリアの横にあるやつ」

そう言ってぱせりは前方を指差した。
目指す場所はもうすぐのようだ。その場所を確認してから、希美はぱせりに聞いた。
「じゃあ、もし神様が本当に一つ願いをかなえてくれるとしたら、ぱせりちゃんなら何を願うの?」
「ん〜難しいなぁ・・・なんやろ・・・・あ・・・」
一つ思い当たった。努力ではどうにもならない問題。
「何?」興味津々にぱせりを覗き込む希美。
「胸・・・・」
「胸?」
だがぱせりはそこで相手が健太であることを思い出した。男の子相手に何を言おうとしているのか。
「なんでもない」
「?」
「なんでもないって。ほら着いたで」
ぱせりは店の入り口に向かって小走りで駆け出した。



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2人が来たのは、カラオケボックスだった。ぱせりが友達とよく来るという店だ。
ぱせりは希美をカラオケに誘ったのだった。

2人でまる2時間歌った。いや、正確には、2人ではなくほとんどぱせりが1人で2時間歌った。
というのは、希美はこの世界のほとんどの曲を知らないからだ。似てはいてもやはり違う世界。音楽に関しては、似ている曲も多いのだが、全く同じ曲というものは存在しなかった。ゆえに希美は、こちらの世界にきて6日の間に聞いた曲しかしらないのである。そしてまともに歌える曲となると、今この世界で大ヒットしている曲1曲だけだったので、希美はその曲を2回歌っただけだった。

「健太くんもっと曲聞いて覚えた方がええよ。だってめちゃめちゃ素質あるもん」
カラオケから出てきて、近くのクレープ屋でクレープを食べながらぱせりが言った。
「そう?」と嬉しそうに聞き返す希美。鼻に少しクレープのクリームがついている。
「うん。うちがあんまりえらそうに言えへんけど、リズム感とかすごいええもん。びっくりしたわ」
「えへへ。でもぱせりちゃんもやっぱり上手いね。あいぼんと一緒だ」
「ありがと」
ぱせりも嬉しそうに答えた。

「ひょっとしてさ、オーディションとか受けるつもりでしょ?」
1つめのクレープを食べ終えてから、希美がぱせりに聞いた。
「え!?なんで分かるの?」
びっくりしてぱせりが言う。
「だって同じ曲ばっかり何度も歌って練習してたじゃん。’のん’もオーディション受けたときそうだったよ」
「のん?オーディション受けた?」
「あ!違う違う・・・・えっと・・・親戚の話・・・・」
ぱせりといると、希美はつい自分の元の世界の加護と話をしている気になってしまう。いちいち誤魔化すのも大変だ。
だがぱせりは、希美の誤魔化しを言葉通りにうけとって、自分の話を続けた。
「そっか・・・・・うん、来週ね、オーディション受けてみようと思ってるの。でも初めてやから上手く歌えるかなって。だから今日健太君に付き合ってもらったの。友達と行って、オーディション受けるのばれるん恥ずかしいって思ったし・・・」
少し照れくさそうに、小さな声でしゃべるぱせり。
「受かるよ、ぱせりちゃんなら。絶対!間違いない!!」
と、希美は自分の世界での今はやりのギャグの物まねをしながら言う。当然ギャグがぱせりに伝わるはずはないが。
「おおきに。なんか健太君が言うと、気休めに聞こえへんから嬉しいわ。そうだ!ねぇ来週オーディション大阪であるんやけど、一緒に来てくれへん?1人じゃやっぱり心細いし」
「一週間後?」
「うん。土曜日。だめかなぁ?」
「う〜ん・・・・」

そうするとあと一週間は自分の世界に戻れないことになってしまう。
希美はやはり断ろうと思った。さすがに一週間は長い。
だが希美がぱせりを見ると、ぱせりはきらきらした目で期待のまなざしを希美に送っていた。
「まぁいっか」
思わず希美はそう答えてしまった。
「本当?」
「うん」
「わぁ嬉しい。だってオーディション受けるやなんて誰にも言うてへんし。ちょっと気が楽になったわぁ。よかったぁ」
心底嬉しそうなぱせり。そんなぱせりを見て、希美は断らなくてよかったと思った。たった一週間だ。

希美のもとに2つ目のクレープが届いた。
ぱせりももう一つ食べたそうだったが、オーディション前にこれ以上太るわけにはいかないからと言って我慢していた。
新たなクレープにかぶりつきながら、希美はぱせりに聞いた。
「ねぇ、それってひょっとしてモーニング娘。のオーディション?」
「は?モーニング娘?」
不思議そうなぱせりの表情。ここは違う世界だ。モーニング娘なんてグループも無いんだということを希美は改めて思い出した。
「そういう名前のグループってなかったっけ」と笑いながら誤魔化す希美。
「何それ?そんな変てこな名前のグループがあるわけないやん」
「変てこ・・・・」思わず希美は苦笑い。
「うちに変てこな名前なんて言われてたら終わりやな。あはは」とぱせりは大笑いした。



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「それであと一週間待たなあかんようになったわけやな」
つかが希美に向かってそう言う。
「うん」
と、焼肉をほおばりながら希美が答える。
目の前には山のような焼肉が積まれている。
「だからと言うてやな。一週間分の焼肉っていう願い事はどうかと思うで」
「だってこの前の肉すごくおいしかったんらもん」
肉を頬張りながら答える希美。
「もっとましな願い事がないんかあんたは。ってうち毎回これ言うてる気がすんねんけど。とにかくやな、なんていうかこう、自分の人生を豊かにするようなやなぁ・・・」
呆れ顔で説明するつか。
だが、
「ちっちっち。つかさんはわかってないねぇ」
と箸をふりながら希美が得意げに言う。
「は?」
「あのね、つかさん。願い事と目標は違うんだよ。目標はね努力するから目標なの。願い事だけじゃ人生は味気ないの。わかる?」
と希美はぱせりのセリフを適当につなげて言った。
「何がいいたいねんこの子は?」
わかるわけが無かった。

「まぁそれはあんたがええんやったらそれでええんやけど・・・・でも、ちょっと気になるな・・・」
つかは少し心配そうな表情で言った。
「何が?」あいからわずのほほんとした表情で答える希美。
「あんたが一週間まだこの世界におるってことや。あんまりええ事ではない気がする」
「え?」少し希美の表情がひきしまる。
「あんたはこっちの世界の人間やないねん。いずれは別れなあかん。それやのにあんまりこっちの人間とかかわりが強くなると別れるんが辛なるで。多分もう二度と会われへんようになるんやから・・・・」
「そっか・・・・」箸をおきながら希美は答えた。
「旅行にきたくらいやったらまた旅行にきて会うことも出来るやろ。手紙とかも送れる。でもあんたの場合は違うんや。もう、これっきりや」
「これっきり・・・」
「でもあんたがおらんようになっても、こっちの人間は誰も気がつかへん。健太君って子が戻ってくるやろからな。別れを知ってんのはあんただけや。それはちょっと・・・・・寂しいことかもしれへんな」
まるで自分のことであるかのように、寂しげな表情を見せるつか。
希美もつかの言わんとしていることを理解し、寂しげな表情を見せた。
しばらくして、希美はつかを見ながら言った。
「・・・・・でも・・・・・つかさんは’のん’の事、覚えててくれるでしょ?」
「まぁな。でもうちは所詮は幽霊やしな・・・・」
「幽霊でもいいよ。つかさんが覚えててくれたら・・・・」
「そっか・・・・」

夜の清水寺の舞台の上で、炭がはぜる音だけがぱちぱちと静かに鳴っていた。

願いはあと、2つ。



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