「清水の舞台からもう一度」

初日
(その一)

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京都の清水寺の裏手には地主神社という神社がある。
この地主神社は縁結びの神様として有名だ。
さまざまな種類の縁結びのお守りが所狭しと売られ、恋に恋する年頃の女の子たちで年中にぎわっている場所である。

その神社の境内に2つの石がある。
それは縄文時代から伝わるという恋占いの石。
約15mほど離れたその石の片方から片方へ目を閉じたまま歩いて無事にたどり着けると、歩いている間に心の中で思い描いていた異性と結ばれるという伝説がある。
修学旅行で女学生が多数訪れたときなどは、この石の片方に、順番待ちの長蛇の列ができるという名所だ。

だが今は長蛇の列はなく、かわりにさまざま機材を手に持った主に大人の男性からなる集団が、この2つの石のまわりを取り囲んでいた。
そしてその中心には一人の少女が立っていた。
彼女の名前は辻希美。

「スタート!」
集団の中で一番立場が上と思しき男が大きな声でそう叫んだ。
そしてその声を合図に、希美は目を閉じて歩き出す。
「カット!」
だがすぐに希美の歩みは中断させられた。
「辻さん表情にリアリティがないです。こう、誰か恋する人を思ってるような表情をしてもらえますか?」
先ほどの男が希美にそう注文をつける。
「はい」
そういうと希美は、出発地点の石のところに戻る。

そう、希美は今、来春から放送される予定になっているドラマの収録にのぞんでいるのだった。
タイトルは『千春と美千瑠の青い鳥』。チルチルミチルの青い鳥を元ネタにしたドラマで、前年に好評を得た『ブレーメンの音楽隊』というドラマの続編的な位置づけのものだ。
そのドラマの美千瑠役である希美は、この清水寺で恋する人を思って恋占いの石に挑戦しているシーンの収録をしているというわけである。

「用〜意!」
石のところに希美が戻ると、再び監督の声が響いた。
希美は少しの間、演技について考える。
(リアリティがないと言われてもなぁ・・・・・別に男の人で好きな人とかいないし・・・・う〜ん・・・・)
「スタート!!」
そうこう考えているうちに、再びカメラが回り始める。

このシーンの収録は、スタッフの事前の予想通りに苦戦した。
何回もテイクを重ねていくが、なかなかに上手くいかない。
希美の表情に関しては、回を重ねるごとによくなっていき、監督から褒められるまでになっていった。
『焼肉を思い浮かべながら歩く』という希美が自ら発明した技が、希美の表情に一気にリアリティを加えたのだった。
だが、別の問題のために、なかなかOKシーンを撮る事ができなかった。
それは、反対側の石にうまく辿り着けないのだった。
目をつむって歩くのはなかなか難しい。途中で知らず知らずのうちに進む方向が曲がっていってしまう。
「ここは石の間を歩ききるシーンをノーカットで撮りたいんです。成功するまでがんばってください」
監督が希美にそう声をかけた。
「はい!」
希美は元気よく返事した。



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「かき氷・・・ハンバーグ・・・・ラーメン・・・」
希美は心の中でそうつぶやきながら反対側の石を目指していた。
だけどなかなかうまく行かない。
「好きな人を思う必死さはうまく出てるよ。だからあとは石にたどり着くだけだから。がんばって」
「ありがとうございます」
恋する気持ちは、相手が男の人でも、ご飯でも一緒!
希美はそんな風に変な納得の仕方をしながら、演技を続けた。

だが。
「しょうがない。このイヤホンを耳につけてやってもらいましょうか?」
相次ぐ失敗の連続に、スタッフの一人が小型のイヤホンを手で示して言った。
「う〜む、まぁ仕方ないな・・・・」
監督がそう答える。
「辻さん。このイヤホンを耳に隠してくれるかな。それで歩く方向を教えるから。」
だが、希美は首をふった。
「あの、もうちょっとやらせてもらっていいですか。もう成功しそうなんです」
希美なりにやっとコツを掴んできはじめた所だったのだ。それに意地というものもある。
そんな希美を見て監督は軽く微笑んだ。
「そうか。じゃあもうちょっと頑張ってもらおう。でもあと数回やってダメだったら、撮影時間のこともあるから残念だけどイヤホンを使ってもらうよ。いいね」

その次のテイク。
希美の集中力が高まった。
例によって片方の石のところから、もう片方の石を目指して歩き始める。
(行ける・・・・)
今回は希美の中でそんな手ごたえがあった。
(絶対、まっすぐ進んでる感じがする・・・・)

その時、突然希美は一瞬体が宙に浮いたような感覚に襲われた。
「へっ!?」
希美は思わずそう声を出し、立ち止まった。
だが、その感覚は一瞬で過ぎ去り、すぐに今までどおりの感覚が戻ってきた。
(やばい・・・)
今のおかしな感覚よりも立ち止まってしまった事が気にかかり、希美はすぐに歩き出した。
だが、少しざわざわしてはいたが、希美の耳に監督の「カット!」という声は聞こえてこなかった。
このまま続けてもきっといいんだろう。
希美はほっとして歩き続けた。

やがて、踏み出した右足が何かに触れた。
希美は目を開けた。
するとそこには遂にあの反対側の石があった。
「やった!!」
希美は大きな声をあげて両手を上げた。ついに成功だ。
(あっ!次の台詞を言わなくちゃ!)
そして希美は急いでくるりと振り向き、台本で覚えていた台詞を言おうとした。
「よし!これで私の恋はついに成就・・・・あれ?」

目が点になった。
そこにはマイクも、カメラも、撮影につかうたくさんの機械や道具が何もなかった。
さっきまでたくさんいたはずの撮影スタッフが誰もいなかった。
そしてその代わりに、たくさんの若い女の子達が希美をおもしろいものを見るような目で見ていた。
「あれ・・・」
希美は意味が分からず、ただ呆然と立ち尽くした。

「なにあれ?」
「あはは。おもしろ〜い」
「恥ずかしくないのかしら」
「よっぽど誰かのことが好きなんじゃないの。かわいいじゃん」
周りを取り囲む女の子達が、口々にそんなことを言いながら笑って希美を見ている。

「え?何々?何がどうなってんの?」
希美は辺りを見回した。
そこには見知った顔は誰一人としていなかった。
ただ、自分を好奇の目で見て笑っている女の子達ばかり。
こんな女の子達、さっきまでいなかったはずだ。
ドラマの撮影をするからってことで、この神社は少しの間だけ撮影スタッフと数人の役者以外は立ち入りを遠慮してもらっていたのだ。

混乱した希美は、自分を刺す視線から逃れるようにその場から駆け出した。
清水寺から地主神社へとつながる急な石階段を降り、神社の鳥居を抜ける。
そこは清水寺の裏手の少し広い何もない空間になっているが、そこで辺りを見回しても、何人かの見知らぬ観光客がいるだけだった。
「ええ〜、ちょっとおぉ〜」
希美は泣きそうになりながら、清水寺の舞台の方へと駆け出した。



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清水の舞台を通り過ぎ、拝観料を徴収する門を出て、希美は仁王門まで戻ってきた。
仁王門は清水寺の表玄関となっている場所で、広い敷地内にはたくさんの観光客がいる。
希美は門の下に立って眼下を見渡した。
秋の修学旅行シーズンだけあってたくさんの修学旅行客がいる。そしてもちろん一般の観光客。さらには、ちらほらと舞妓もいる。その先の仲見世通りにはたくさんの観光客相手の店がにぎやかに商売をしている。
希美がつい30分ほど前にここに来るときに見た光景とまったく同じだ。
だが、いま希美の周りにはマネージャーも、スタッフもいない。
どうしていいのか分からず、希美はただ眼下の景色を見つめていた。

しばらくして妙なことに気がついた。誰も自分のことを気にとめないのだ。
(おかしいなぁ・・・・変装を何もしてないのに誰も’のん’のことに気がつかない・・・・・)
修学旅行で来たと思われる中高校生達がそ知らぬ顔で希美の横を通り過ぎていく。

「そっか!!」
希美はふいにある考えを思いついた。
「ドッキリだ!岡女かなんかなんだきっと!!」
撮影のスタッフも、そして今回りにいる人たちもみんなで自分の事をだまそうとしているんだ。
冷静に考えればおかしなところだらけの思いつきだが、混乱していた希美はすぐにこの思いつきに飛びついた。
そしてそう思うとすこし落ち着けた。

希美は自分の隣で五重の塔を写真におさめようとしている制服姿の女の子に目をやった。
この子に話をきけば何か答えてくれるかな。この子もきっとエキストラさんか何かに違いないから聞けば教えてくれるかもしれない。
希美はそう思いながら女の子を見つめた。
やがてその女の子はカメラから目を離し、他の被写体を探しはじめた。
そして自分を見つめる希美に気がついた。

目が合った。
二人の間を沈黙が流れる。
希美はもともと人見知りするタイプなので、いざとなると見知らぬ女の子に話かけることができなかった。
そして女の子の方も、何か照れている様子でそのまま固まっていた。頬が赤く染まり始めていた。
なんとなく居ずらくなったので希美はその場を離れた。

希美は再び駆け出した。どこかにスタッフの人たちが隠れているはずだ。
清水寺の外へ行ってしまったとも思えなかったので、仁王門の右手にある今戻ってきたのとは別の道から清水寺へと戻る道をとった。
葉がすっかり赤く染まった並木に囲まれた砂利道を、小走りで駆け抜ける。すれ違う人の顔を一人一人見ていくけれど、知った顔には出会えない。そして相変わらず、誰も自分には気がつかない。

希美は走り続けた。走っているうちにまたどんどんと不安になってきた。
やがて、小さな滝のある場所にたどり着いた。
『滝から流れ落ちる水を飲むと願いがかなう』といわれる音羽の滝。だが、今の希美にとってそんな滝なんぞはなんの興味もひくものではない。
(ドッキリじゃないのかなぁ・・・・・迷子になっただけなのかなぁ・・・・)
希美はそんな風にも思い始めていた。ドッキリにしてはいくらなんでもおかしい。
(そうだよ。それで’のん’が迷子になってるうちに多分みんな先にホテルに帰ったんじゃないかな。ホテルに戻ればみんな心配して待ってるよ。きっと・・・・)
とりあえず新しい目標を見つけて、希美はまた少し落ち着けた。とにかく何か目標でも見つけないと、不安で泣き崩れそうだったのだ。

でも・・・・お財布も携帯もないからどうやって帰ろう。タクシーも乗れないなぁ・・・・。
そんなことを希美が思っていたとき。

「健ちゃん!!」
どこかで聞いたような声が聞こえた。
希美が顔を上げると、そこには見知った顔が自分を見ているのが見えた。
「愛ちゃん!!」
同じハロプロの仲間で、もともとモーニング娘。やミニモニで一緒に活動していた高橋愛だ。
「よかった〜。愛ちゃんももう京都に来てたんだあ」
希美は心底ほっとした。
今回のドラマは希美のほかに、この高橋愛と加護亜依の3人が主役という設定になっていた。つまりはブレーメンの音楽隊と同じ設定というわけだ。ゆえに希美に遅れて、高橋もここ京都に来る予定になっていた。
高橋はなにやら希美が見たことのない高校の制服のようなものを着ている。だが、それはドラマの衣装なのだろうと希美は納得した。
希美は高橋に駆け寄った。
「もう〜よかった〜。どうなるかと思ったよ。ねぇねぇ愛ちゃん、スタッフの人たちどこに行っちゃったの?」
「はぁ!?愛ちゃん?」
高橋が意味がわからないという表情をした。そして、
「愛ちゃんて誰やのん?」
とつっけんどんに聞いた。
「え?」
今度は希美も意味がわからないという表情をした。
変な表情をした二人は、そのまま声もなくしばらく向きあっていた。

やがて、希美がまた例によってひらめいて、笑顔で高橋に言った。
「わかった!愛ちゃんもどっきりだ!!」
「はぁ?さっきから何を言うてんのん健ちゃん?」
高橋は怪訝な表情のままそう切り返した。
「健ちゃん?」
今度は希美が首をかしげた。
「へ?」
さらに高橋も。そして心配そうな顔になって続ける。
「ちょっと健ちゃんほんまに大丈夫?」
「それって’のん’のことを言ってるの?健ちゃんって?」
「健ちゃんは健ちゃんやんか。なんやのん、’のん’って?」

希美は混乱してきた。
だが高橋の表情は真剣そのもので、とても自分をからかっているようにも見えなかった。
(ドラマのシーンでこういうのを撮る予定だったっけ?)
そんなことも考えたが、自分が健ちゃんと呼ばれるシーンなどまったく覚えがない。

「あれ?愛ちゃんてこんなに背が低かったっけ?」
そんな状況であるにもかかわらず、希美は全然関係ないことを口にした。人はそれをマイペースと呼ぶのかもしれない。
まぁともかく、希美から見るといつもより高橋の背が低く見えた。高橋の身長は自分よりやや高いはずなのに自分よりもずいぶん低く見えたのだ。
「だから愛ちゃんって誰やのん、もお!それと、背は去年健ちゃんが私の背を追い抜いたやろ!何や急に伸びてるから私のことチビに見えるんやろ。この前、もう160cm超えそう言うてたやんか」
「160cm?’のん’が?」
「だから’のん’って誰?」
高橋は疲れる様子もなく、希美の一言一言に疑問の表情を浮かべていた。
一方希美は160cmという言葉がひっかかり、何か自分の姿を映すものはないかと辺りを見回した。そして音羽の滝のところにある水面がその役目を果たしそうだと気がつき、滝へと向かった。

水面に向かって自分の体を傾け、そこに映る自分の顔を覗き込む希美。
最初はいつもどおりの自分の顔がそこにあるだけだと思った。
だが少し違和感があった。
やがて水面が徐々に静かになり、そこに移る希美の姿がより鮮明になった。
「え?」
希美はその姿に驚いて声をあげた。
まず髪型が変だった。
髪がすべて後ろの方向へ撫で付けられていた。いわゆるオールバックだ。こんな髪型にした覚えはない。撮影前に、団子を二つ頭の左右に作ったはずだ。
そして次に服装もおかしい事に気がついた。
希美は水面から視線を外し、顔を下に向けて直接自分の体を見た。
着ていたのは黒い学生服だった。それも、男の子用のものだ。
「なに、この服?」

さらに希美は自分の胸がぺったんこであることに気がついた。
いや、もともと小さいけれどもそれにしても全くないということはない。
希美は自分の胸を触った。ただ平面があるだけの洗濯板だった。

希美はさらにあることに思い至り、手を自分の下半身の方へとのばして行った。
清水寺に、男性のものとも女性のものともつかない悲鳴が響いたのはその直後だった。



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