「清水の舞台からもう一度」

三日目


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「健太、ご飯できたで〜!」
母の声が階下から響いた。
希美は、それを機会にノートから顔をあげる。
「は〜い。今行く〜」
元気に返事して、シャープペンシルを机の上に放り投げる。
「もう、こんな難しい宿題絶対わかんないよ!」

希美は久しぶりに宿題というものと格闘していた。
だが、とにかく問題が難しすぎてちんぷんかんぷんだった。
芸能活動を優先してほとんど勉強というものをしてこなかった希美にはまったく歯が立たないレベルだ。
「健太君はこれ分かるのかなぁ」
そう呟きながら希美は腰を上げ、
「もういいや。ご飯ご飯」
と言いながら自分の部屋を出た。

部屋を出てすぐにある階段を降りると、そこが家族があつまるリビングルームだ。
家族といっても、自分と母親の2人しかいないし、部屋は純和風なのでリビングルームという呼び方もしっくりこないが。
部屋の中央には大きめの背の低い机が畳の上にあって、その机の上には作りたての晩御飯が置いてあった。
焼き魚に肉じゃがに餃子。そしてご飯にお味噌汁。特に焼きたての秋刀魚がおいしそうだ。

「いただきま〜す」
希美は机のそばに敷かれた紫色の座布団に座るや否や、さっそく箸をとってく食べ始めた。
秋刀魚に、肉じゃがに、餃子にと次々に手をつけていく。
どれもおいしいのだが、もうひとつ味つけが薄いようにも希美は思った。
だが昨日、「味が薄い」と言って肉じゃがに味ポンをかけようとして母に怒られたので、今日はそのままで食べることにした。

そんな希美を見ながら母が言った。
「さやかちゃんが心配してたわよ、なんか最近あんたがおかしいって」
「うん」希美はとりあえず食べるのに必死なので適当に返事をした。
「どないしたのよ、あんた?2,3日まえから言葉遣いおかしいし、今はそうでもないけど、昨日辺りはなんかちょっとよそよそしい感じやったし・・・・」
「そんなことないよ。はい、おかわり」
と言って、希美は空になった茶碗を差し出した。
「たくさん食べるんだけは、相変わらずやけど」
母は希美から茶碗を受け取った。

ご飯が新たに山盛りになった茶碗を受け取りながら、希美はちょっと気になっていたことを母に聞いてみることにした。
「ねぇ、お父さんは?」
「ぶっ!?」
母は、口の中にあった餃子を吹き出しそうになり、あわてて口を手で抑えた。
「大丈夫?」
希美が母をみて聞く。
「あ・・・あんたは・・・・」
母は希美を呆れたような目で見た。
「へ?」
希美はきょとんとした表情で母を見つめ返す。
「出てったの!!よう知っとるでしょうが!!ほんまに・・・・・あんたやっぱ病院行くか!?」
母が顔を真っ赤にして大声で言った。
「いえ・・・・・いいです。あ、この肉じゃがおいしい・・・・」
やばいやばい・・・・希美は再び晩御飯に集中した。
そして、うかつはことは聞かないようにしようと決心した。


希美がこの世界に来て今日で3日が経っていた。
『この世界』・・・・自分が今まで住んでいた世界とそっくりだが、しかし少し違う世界。希美はそう認識していた。
大体のことは一緒なのだ。
希美くらいの年頃の子はみんな学校へ行き、親達は仕事をする。
テレビをつければバラエティ番組や、音楽番組や、アニメやニュース番組をいつもやっている。
だけど、テレビの中に映る人たちのなかに希美の知った顔は一人もいなかった。
もちろんモーニング娘。やハロプロといった存在もない。そして当然、辻希美という女の子もいない。
どうやら、人間だけが元の世界と違うようだった。
世界はそのままに、人間だけがまるごと入れ替わった世界・・・・。

だけど、人間が全く違うというわけでもなさそうなのだった。
例えば希美の、いや今自分の体となっている健太という男の子の幼馴染。この世界ではじめて話をした子で、名前は河合さやか。彼女はどうみても自分の世界の仲間である高橋愛に何から何までそっくりだった。似ているとかいうレベルではなかった。
そして自分、越中健太という名前の男の子も、体が男の子である以外は希美に瓜二つだった。
違う人間が住んでいるというよりも、外見は一緒だが名前とか記憶とか人によっては性別が違う人間が住んでいる世界という感じだ。

『こういうのをなんて言うんだっけ・・・えっと・・・パ、パ・・・・パラソルワールド!!そうだパラソルワールドっていうやつだ!!!』

言葉は少し違うが、希美はそう直感で理解していた。

(でも、なんでこんなことになっちゃったのかなぁ・・・)
肉じゃがを頬張りながら希美は考えていた。
(あの時、撮影で石の間を目をつむりながら歩いていた時になんか変な気分になった時があった。あの時だよね、やっぱり・・・・)
そう。あの後、つむっていた目を開けたときから、希美の周りの世界は一変していたのだった。
(そうだっ!もう一回同じことをやってみれば元に戻れるかもっ!!)

「ごちそうさま!」
箸を乱暴において、希美は勢いよく立ち上がった。
そして、
「行って来ます!」
玄関へと駆け出した。
「ちょっと、こんな夜中にどこ行くの健太!」
「清水寺!!」
希美は、かかとをスニーカーの中に急いでおさめながらそう答え、玄関のドアを開けて出て行った。
「こら〜!ちゃんと玄関閉めて行きなさ〜い」
開け放たれたままの玄関を見て母がそう叫んだが、希美はすでにずいぶん先まで駆けていて、その耳には届かなかった。
「まったく・・・なんか最近女の子っぽいけど、やっぱり健太は健太なんやから・・・・」
母は少し安心した表情で、開け放たれたままの玄関の先を見ていた。



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拝観時間を過ぎた清水寺はひっそりと静まり返っていた。
昼間は観光客でいっぱいだったことが嘘かのようだ。
だが、寺の所々の建物からは明かりが漏れていて、何人かの寺の関係者が残ってはいるようだった。
希美はできるだけ足音をたてないようにして、忍び足でゆっくりと清水寺の有名な舞台を横切ろうとしていた。
清水寺に入るためには通常300円の拝観料が必要である。
だが今は夜なので、その300円は払わずにこっそりと忍びこむこととなった。もし見つかれば追い出されてしまうだろう。
清水寺の舞台は木でできているので、ときどき希美の歩く振動で「ギーッ」という音が鳴ってしまう。
希美はそのたびにビクビクしながら、ゆっくりと地主神社へと向かった。

やがて希美は、なんとか無事に目指す石のある地主神社にたどり着いた。
どうやらこの神社の周辺には人はいないらしく、神社やその周りの建物から明かりが漏れている事もない。月明かりだけが、神社とその周囲の建物や木を照らしていた。
希美は少しほっとしてため息をついた。
だが、人がいないとわかると、今度は別の恐怖心が希美をおそってきた。
ただでさえ夜の神社というのは独特の雰囲気があって怖いのだ。
先ほどまでは人に見つかるといけないという緊張感のせいで、その類の恐怖感を忘れていたにすぎなかった。

強い風が吹いて、近くの木々がゆれ、葉がこすれあう音がした。
希美は少しびくっとして、
「お化けでもでそう・・・」
と涙声でつぶやいた。

普段の希美ならここで逃げ出していたかもしれない。
だが、今はそんな場合ではなかった。
どうしても元の世界に戻りたい。だから、今は少しでも可能性のあることをやらなければ。

撮影の時と同じように、希美は神社の奥にある片方の石の横に立ち、そしてもう片方の石を目指すことにした。
目を閉じて、そして一歩を踏み出す。
「帰れますように・・・元の世界に帰れますように・・・」
そう願いながらゆっくりと歩く。
希美はもう、この石が恋占いのための石だということなど、きれいさっぱり忘れていた。

やがて足に何かに触れた。
一瞬たどり着けたかと思ったが、目を開けると、その触れたものが神社の社を囲む低い段差であることがわかり希美は落胆した。目指す石とはずいぶん違う方向へと進んでいたのだ。
だが希美はすぐに思い直し、
「成功させなきゃ」
と気合を入れて、スタートの石へと戻った。

その後もなかなか成功はしなかった。
近くの木にぶつかったり、途中で転んで目を開けてしまったり、目的の石を追い越して神社への入り口の階段を転げ落ちてしまったり。
擦り傷をたくさん作った。
撮影のときに学んだコツはこの3日のうちに忘れてしまっていたようだった。夜の闇の中という状況が希美の落ち着きを失わせていたことも大きかった。
だが、希美は諦めずに続けた。泣き虫の希美だが、泣いたりもしなかった。ただ一心不乱に何回もチャレンジした。



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挑戦をはじめて30分程度は経ったころだろうか。
希美の足元に目的の石らしき感触があった。
希美はそのまま目を開けずにしゃがみこんで、足元の物体の感触を手で確かめた。
それは確かに目的の石だった。
「やった!できた!!」
希美はそう叫んだ。
そして・・・ゆっくりと、期待に胸を躍らせながら・・・目を開けた。

そこには先ほどとまったく変わらぬ景色があった。
夜の、誰もいない寂しい神社の光景。
月明かりだけがかすかに周りの景色を照らしている。
「できたの・・・かな?」
その景色だけでは元の世界に戻れたのかどうかまったく分からなかった。
しばらく希美はどうやって確かめていいのかわからず途方に暮れた。
「愛ちゃんに聞くか、家に戻ればいいのかな?」
だが、やがて一番簡単な方法に気がついた。
「そうだ!’のん’の体、男の子になってるんだ!!」
そして再びおそるおそる視線を自分の体へと向けた。

そこには・・・・すっかり傷だらけになった健太の体があった。何も変わってはいなかった。

希美はその場でうずくまって泣いた。
泣いたのは、この世界に来てこれが初めてだった。
今までは、あまりの事態に感覚が麻痺しているようなところがあったのだ。混乱し、現実を認識できていなかった。
だが今、元の世界へ戻るための努力を通じてその現実を受けとめる準備が希美の中にできてしまっていた。
(もう戻れないのかもしれない・・・・)
大好きな家族や、ハロプロの仲間たちともう会えないのかもしれない。
そう思うと息がつまり、そして涙が止まらなかった。
泣いても泣いても止まらなかった。
もう自分がなんで泣いているのかも分からないくらいに混乱し、動転していた。



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「あんたなぁ、男のくせに何をめそめそしてんねん」
突然、希美の背後から声がした。
「えっ!?」
希美は驚いて振り向いた。
目の前になにか白いものがぼーっと立っていた。ぼーっとするのは涙のせいだ。希美は急いで手で涙をぬぐった。
するとそこには、白い着物姿の綺麗な女性が立っていた。歳のころは二十歳前半くらいに見える。白い肌と長い黒髪が幻想的な雰囲気をかもし出している女性だ。
「ほんまにもう、さっきから見ててイライラしてなぁ。えらい頑張ってやってんなぁって感心してたのに成功した途端になんや泣き出して、ほんま訳わからへんわ」
その女性は京都弁でそう捲くし立て、見た目の幻想的な雰囲気をぶち壊していた。
「なんで泣いてんのん?成功したからええんちゃうん?」
「・・・だって・・・帰れないんだもん」
希美は少しだけ落ち着きを取り戻し、やっとそう答えた。
「帰れないんだもんて・・・・なんやのん、迷子かなんかか?」
「うん」
「うんて・・・男のくせにほんまだらしないなぁ、そしたら私が家まで送ってったるから・・・ん?あかんわ、それ無理やった。うち清水寺から出られへんやん」
「え?」
その女性の言っていることがよく分からなくて、希美は首をかしげた。
するとその女性は少し嬉しそうな表情をした。
「あんな。実はな。驚いたらあかんで。」
「うん・・・」希美は怪訝な顔でその女性を見返しながらいった。
「実はうちな、この清水寺にとりついてる幽霊で、つか言います」
「はぁ・・・つかさん・・・」気のない返事をする希美。
「驚けへんわこの子、なんやおもろない、私幽霊やで!」
つかは心底つまらなそうにそう言った。
「だって・・・・’のん’もお化けみたいなもんだし・・・・」
希美はそう力なく答えた。
「はぁ?」
つかにとっては全く予想外の返答だった。



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「つまりはこういう事やな」
つかは、自分の境遇を話し終えた希美に向かって、話をまとめてみようとした。
「あんたは他の世界の人間で、ほんまは女の子やと。でもこの恋占いの石の間を目をつむって歩いてるうちにこっちの世界に来てしまったと。で、今の越中健太っていう自分そっくりの男の子の体と入れ代わってしまったということやな」
「うん。多分、パラソルワールドっていうのなんだと思う」希美はそう答えた。
「パラソル?」つかは言葉の意味が分からないという表情でそう希美に聞く。
「2つの世界が同時にあるんだって。紙の表と裏みたいに。そういうのをパラソルワールドって言うって聞いた事があるの」
「へ〜。うちはカタカナ言葉はようわからんけど、あんた案外と物知りやな」
「えへへ」
希美は少し嬉しそうに微笑んだ。先ほどの動揺からはかなり立ち直ったようだ。もっとも、その動揺のおかげで、「幽霊」であるつかと普通にしゃべれるようになったのだが。そうでもなければ怖くて逃げ出していただろう。

「ということはきっと、ほんまの越中健太くんの方は、あんたが元おった世界の方に行っとんやろな。多分体が交換してしもたんや」
つかが話を進めた。
「あっ!そっかぁ〜。すごいすごい、つかさん」
希美が感心して答える。
「ふふん、まぁな。でも別の世界があるやなんてなぁ、世の中不思議なことが一杯あるもんや」
つかが幽霊らしくもないことを言う。
「つかさん、本当に幽霊なの?」
「ほんまや。だからあんたのこんな話信じとんねん。普通の人やったらそんな話信じるかいな」
「そだね」
「パラソルワールドねぇ・・・世の中まだまだうちも知らんことが一杯あるなぁ」
そんな風に思索にふけっていたつかを見て、希美が何かを思い出して声をかけた。
「ねぇ?」
「ん?」
「やっとわかったんだけど、つかさんの声ってあっちゃんに似てるね。顔もなんとなく似てる」
「それ誰やねん?」
「えっとねぇ、すっごいダンスが上手なの。でももう三十路なの」
いたずらな微笑を浮かべる希美。もうすっかり、いつもの希美のペースだった。
「あんた呪たろか。うちはこれでもまだ22歳やで。まぁ死んだとき22歳やったってことで、生きてるんはそれはまぁすごい長いけど。いや、生きてるってのもおかしいな」
「ふ〜ん」
「そんなことより、元の世界に戻りたいんやろあんた」
「うん・・・・つかさん幽霊なんだからなんか方法知らないの?」
「ふふふ・・・ちょっとええ方法があるよ。多分なんとかなると思う」
「本当!!」
希美は嬉しさのあまり飛び上がらんばかりに大声を上げた。
「まぁ任しとき」
つかは得意そうに請け負った。
「やったー!ありがとう、つかさーん!!」

そう叫んで希美はつかの胸に飛び込んだ。
だが希美の体は幽霊であるつかの体をすり抜け、その後の木に希美は顔から突撃してしまった。

「だからうちは幽霊やって言うたやろ」



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希美が来るときにはついていた寺の建物内の明かりも消え、この清水の舞台の周辺からはすっかり人の気配がなくなっていた。一人の人間と、一人?の幽霊を除いては。
希美は清水の舞台の端から、その眼下を見下ろしていた。
赤く染まった葉の間から数十メートル先の地面が見えるはずなのだが、そこに広がるのは黒い葉とそして夜の暗闇ばかり。見ているだけで恐怖心が希美を襲ってくる。
「本当に、ここから飛び降りたら願いがかなうの?」
希美が疑わしそうにつかに尋ねる。
「ほんまや、幽霊が嘘ついてどないするねん?」
なんだかよくわからない理屈でつかが答える。
「でも、こんなところから落ちたら死んじゃうよぉ」
「だからや。下でうちが受け止めたるから大丈夫やってさっき言うたやろ」
「ほんとに大丈夫?だってさっきつかさんの体とおりぬけちゃったじゃん?」
額にできた一番新しい傷を抑えながら希美が言った。
「あれは準備ができてへんかったからや。その気になればうちはずいぶん重いものでも受け止めれるんやで。だからこの清水の舞台からあんたくらいの体が落ちてきても安全に受け止められるねん。大丈夫、あんたがはじめてやないんやから」
「そうなの?」
「そや、もう何人もうちは受け止めてきた。97人もや。あんたで98人目。今までの人らはみんな願い事をかなえてきたんやで」
「すご〜い。つかさんていい人なんだね」
希美が尊敬のまなざしでつかを見つめる。
そんな希美の視線に照れたのか、つかは顔を横に背けた。そして
「まぁ自分のためでもあるんやけどな」とぽつりと言った。
「え?」と、希美が疑問顔。
「まぁそんなことはどうでもいいから。さぁやろか。自分の世界に戻りたいんやろ」
つかが再び希美に向かってそう言う。
「よし!」希美も気合を入れる。
「じゃぁうちは下行くからちょっと待っとりや」

そしてつかは舞台の下で希美を受け止めるべく、近くの石段の方へと歩き始めた。
だがその時、何かを思いついた希美が、つかを呼び止めた。
「ねぇつかさん?願い事って7つかなうってつかさん言ってたよね」
「そうや。一生のうちに全部で7つ。ただし願い事は人の心を動かすようなものだけは無理やで。誰かに自分のことを好きになってもらいたいとかな。でもあんたの今回の願いやったらそういうんとちゃうから大丈夫やろ」
「ねぇねぇ。自分の世界に戻ってから続きってできるのかなぁ?」
「う〜ん、それはどうやろ?わからへんけど、そのパラソルワールドっていうのが人だけが変わってるんやったら、できるんちゃうかな。でも受け止める人がおらなあかんから、そういう点であかんのちゃう?うちみたいな幽霊が向こうの世界におるかどうかはわからへんやろ」
「そっかぁ。じゃあじゃあ、こっちで6つかなえてから戻るってのでもいいのかなぁ」
希美は期待に瞳をきらきら光らせて、つかにそう言った。
「いや、まぁそれでも大丈夫やろけど・・・・なんやあんた、戻れるってわかったら急に元気になったなぁ」
つかは少し呆れ顔。
「へへー。実はね、やってみたい願い事があるの。ね、いいでしょ」
「まぁうちはかまへんけど」
つかの返事を聞いて、希美は’にちゃ〜’と顔を崩して笑った。



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「やっぱり無理〜!」
それから1分後、希美はそう叫んでいた。
眼下にはただ暗闇がすっぽりと穴をあけて待っているのだ。こんなところから飛び降りるなんてとても出来そうもなかった。
「うちが受け止めたるから大丈夫や〜」
舞台の下の方からつかの声が聞こえる。だがつかの姿は暗くて全く見えない。幽霊だから体が光っていてもよさそうなのにと希美は思ったが、そのように便利な体というわけでもないらしかった。
「絶対無理〜、だって全然下が見えないんだもん」希美は舞台の柵の手すりに両手でつかまりながら答える。
「さっきの元気はどこにいったんや〜」
「だって怖いんだも〜ん」
「下を見るからあかんのや。願い事を頭の中で考えながら、目をつむって飛んだらええねん。そしたらあとはうちがなんとかしたるから〜」
そもそも希美はジェットコースターですら苦手なのだ。なのに、こんなジェットコースターどころではないスリルの事をやるだなんて・・・・。
「あ〜ん」希美は膝を舞台についてしまった。
「ええのんか〜、ここで飛び降りなんだら、一生男の子のままなんやで〜」
つかの説得が聞こえてくる。
一生男のまま・・・・やっぱりそれは嫌だ。
男の体の方が楽だろうなと希美は今までずっと思っていた。トイレは楽そうだし、生理痛とかそんなものもない。
でもこの3日間で、そんなことはたいした問題じゃないんだと希美は思い直していた。楽とか、楽じゃないという問題よりも、男の体になるということは生理的に受け付けないことが多かったのだ。
この世界に来て3日たった今もトイレや風呂に行くのが嫌いだった。そしてそれはとても慣れることができないように思えた。
自分は女なんだ。それを改めて希美は実感していた。

「・・・・わかった。がんばる〜」
希美はつかに向かってそう答えた。
「そうそう」
暗闇からつかの返事が聞こえた。

希美は再び立ち上がった。
手を舞台の手すりから離し、舞台の端に移動する。
眼下の暗闇はやはり怖い。まるで自分を吸い込もうとしているように見える。
希美は眼を閉じた。見なければいいんだと自分に言い聞かせた。

そして頭のなかで願い事を考え始めた。
そういえば撮影のときもこんなだったなと思い出した。あの時のように石の間を歩くのではなく今度は飛び降りるんだけれども。でもそう考えると少し落ち着いた。そして今度は、願ったことが本当に叶うという。
(よし!)
希美は覚悟を決めた。
そして・・・・叫んだ。

「辻希美17歳!」
そして願いを声に出した。
「願いは一つ、8段アイス!!うりゃ!!!」

「は?」と言うつかの間の抜けた声が届くか届かないかのうちに、希美は清水の舞台から遂に飛び降りた。



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「おいし〜い!!やっぱいいね〜」
希美が心底嬉しそうな表情でアイスを食べている。コーンの上に8つのアイスがのった『8段アイス』なるものを。
「えっと・・・希美ちゃん・・・?」つかが呆れたように声をかける。
「なに?」希美は、口の周りをアイスで白くした顔をつかに向けた。
「これがあんたの最初の願い?」
「そうだよ。最近ね、全然食べてなかったの。京都じゃこんなのないでしょ。ずっと食べたかったんだよね」
「それ別に買えるんちゃうん?そんな高いものでもないやろ」
「それは東京に戻ったら買えるけど・・・・・あっ!そうだっ!!」
希美は何かを思いついて叫んだ。
「なんやなんや」
「よし!もう一回やる!つかさん今度もちゃんと受け止めてね」
そう言うや否や、つかの返事もまたずに希美は駆け出した。8段アイスは既にすべてが希美の胃の中に消えていた。
「なんかえらい子つかまえてしもたかもなぁ」
つかはポツリとそう呟いた。



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「辻希美17歳!願いは一つ、22段アイス!!うりゃ!!!」
「はあぁぁぁ?」
前回よりもさらに間の抜けたつかの声が、清水の舞台に響いた。
そして。

「すご〜い!一度これくらいのすごいの食べて見たかったんだよねぇ。」
希美がきらきらした瞳で目の前の高い塔のようなアイスを見つめている。
「ありえへん。これが立ってるっていうのがありえへん。そんなん物理の法則に反してるやろ。うち信じられへんわ。」
「いったらっきま〜す・・・・う〜ん、うめ〜!」
そう言ってなぜか首をぐるぐると回し始めた希美。
「ちょっとちょっと希美ちゃん・・・・大丈夫」
つかが心配顔で尋ねる。
だが希美は意に介さずに、アイスを食べ続ける。
「あ〜この22種類のアイスのハーモニーがたまらないわぁ」
「ひょっとしてうち、声をかける相手間違えたやろか・・・・」
「あ〜おいしかった」希美は満足そう。
「もう全部食ったんかい!?」
「お腹いっぱい」
「そりゃそうやろ」
「帰って寝るね」
「おーい」
「また明日の夜くるね。おやすみー」
そして希美は自分の家へと戻って行った。

「・・・うち、狐かなんかに化かされてるんやろか」
希美の後姿を見ながら、つかはそう呟いた。

願いはあと、5つ。



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