鳥(頭)の唄 後編
さて、約1年と半年が過ぎた頃。
ダークマターは、皆に迷惑をかけながらも、「ごめんなさい…」と涙ぐんでは許して貰うという成人男子とは思えない方法で世の中を渡っていた。
3日も経てば真っ白になる脳味噌を持ちながらも、どーにかこーにかどれが自分の味方でどれが自分の敵かくらいは区別できるようになっていた。
たとえば。
『赤白はちまきさん』は、よく殴るけど味方。遊ぶと楽しい。
『癒し手さん』は、味方。撫で撫でしてくれて、お菓子もくれる優しい人。
『お爺ちゃん』は、一応味方。よく怒られるけど、でも、誉めてくれるときは優しい。
『角の人』は『へーか』で、味方。でも、『女王様』だから、敬語を使わなきゃいけない相手。
…とまあ、こんな感じで。
人間の名前を覚えるほど、ダークマターにとって荷が重いことは無かったのだった。
逆に、何故か数字関係は得意で、1年の出納表をざっと眺めて、数字の食い違いや計算ミスを指摘するのは得意中の得意であった。
何故、そんな桁の暗算が出来て、人の名は全く覚えられないのか?
そんなことは、本人にも分からなかったし、誰にも分からなかった。
だが、分からないままにも、剣術以外の得意分野を得たことで、ダークマターのクイーンガードとしての地位はそれなりに確立していた。
で、そんなある日。
嵐の夜だった。
ダークマターは、自室をノックする音に気づいて、「はーい」と答えながら扉を開けに行った。
「あ、赤白はちまきさんだー。こんばんはー」
「クルガン、だ」
何百回と繰り返したセリフに、自分でもうんざりしつつクルガンは一応突っ込んでおいて、さっさとダークマターの部屋に入った。
かちゃかちゃとお茶の用意をしながら、ダークマターはのんびりと聞いた。
「今日は、見なかったねぇ、赤白はちまきさん」
「…今日だけじゃなく、2週間ばかり任務に出てたんだがな」
「そーだっけ〜」
あはは〜と笑いながらクルガンの前にお茶を置く。
ダークマターの脳に、昨日、とか1週間、とかいう概念はあるんだろうか、とクルガンは思う。過ぎ去ったら、どんどん真っ白になっていく脳、というのはどんな気分だろうか。ま、本人は何も悩んでないようだが。
しかし、完全に記憶が残らないというのでも無いらしく、目の前に出てくるお茶はクルガン好みに仕上がっていた。言葉として認識されるものでなければ、意外と頭は良いのかもしれない。
「それで?任務から久しぶりに帰ってきたなら、早く休んだ方が良いよぉ」
にこにこと笑うダークマターに、クルガンは咳払いした。
「いや…今晩は嵐だな、と」
「そうだねぇ、凄い風だねぇ」
「こんな夜に、外に出るのは面倒臭いことだな、と」
「そうだねぇ、濡れるし歩くのも疲れるし、面倒だろうねぇ」
「ちょっとくらい、声が出ても、聞こえないだろうな、と」
「あぁ、うるさいもんねぇ、風の音。皆、窓もしっかり閉めてるだろうしねぇ」
「どーせ、お前は、明日になれば忘れてるだろうな、と」
「何を?」
きょとん、とダークマターは首を傾げた。
クルガンは、大真面目な顔で、ダークマターの肩を叩いた。
「悪いようにはせん。ちょっと、付き合え」
「…どこに?」
翌朝。
ダークマターは、ごく普通に目覚め、ごく普通に黄色の印を辿って食堂に行き、ごく普通に白い印を辿って執務室に出仕した。
本日の予定を読み上げて、陛下が頷いたのを確認して、与えられた帳簿の監査をしようと、机に手を突いた。
「…いたた」
小さな声に、女王が振り返る。
「どうかしましたか?ダークマター」
ダークマターは、帳簿を手にしたまま、不思議そうな顔で腰をさすっている。
「えとー、何か今朝から腰とか下半身が痛いんですよねー。何か怠いって言うか。昨日は訓練じゃなかったはずなんだけど」
ダークマター本人の記憶に、昨日のスケジュールは無い。だが、一応本人なりに覚え書きを手帳に書いてあるので、何をしていたかは大体把握している。
「まあ…ソフィアに見てみらいますか?」
「あ、いえ、そんなに痛いってほどじゃないんで良いです。…なーんか、重いっていうかー…うーん、変な姿勢で寝たかなぁ…」
首を傾げているダークマターが心底不思議そうなので、女王はそれ以上何も言わずに朝の仕事を始めた。
しばらく、ペンが紙を滑るさらさらという音だけが室内に響く。
「そういえば、クルガンが帰ってきているようですね」
女王はぽつりと独り言のように呟いた。そして、すぐに、ダークマター用に言い直す。
「貴方が言うところの『赤白はちまきさん』が、任務を終えているようですね」
「あぁ、そうですねぇ。帰ってるようですねぇ。夕べ……」
言いかけて、自分で不思議そうに首を傾げる。
「夕べ…えと…赤白はちまきさんに会ったような…えーとー…何かあったような…」
うーんうーん、と頭を抱えていたが、すぐに諦めて、ま、いっか、とまた帳簿に戻る。
またペンがさらさらと滑る音だけが流れ出す。
2時間ばかり経過した頃、女王の
「お茶にしましょうか」
という言葉でペンを置き、伸びをしたダークマターが、またびくんと動きを止めた。
「…う〜…ホントに、何で痛いんだろー…」
小さく口の中だけで呟き、そーっとした動作で手を下ろし、侍女がお茶の用意をするのを見つめていた時、扉がノックされた。
「失礼いたしします、陛下。クイーンガード・クルガン様が、任務終了のご報告に、といらっしゃいましたが」
戸口の衛兵が敬礼するのに、女王はにっこり笑って通すよう言った。
「失礼します、陛下」
すぐにクルガンが入ってくる。
「任務、昨日夜半に終了いたしました。死者は0ですが、軽傷の者は幾人かおります」
平然と書類を提出するクルガンを、ダークマターは不思議そうな顔で見つめる。
それに、何もなかったような顔で、
「土産だ」
と、小さな袋を手渡し、頭を一つ、ぽんと叩く。
ばっとすごい勢いで、ダークマターはその手を掴んだ。
立ち上がり、あ?と目を見開くクルガンの胸に顔を寄せて、くんくんと鼻を鳴らした。
「何だ?何か変な匂いでもす……」
「あああああああああっっ!!」
ダークマターの口から漏れたのは、まさしく絶叫であった。
「思い出した!思い出した!クルガン!!夕べのは一体何!?」
「ゆ、夕べ?い、いやぁ、何か、あったか?」
「あれだよ、あれ!俺を裸にして何か知らないけど舐めたり噛んだりした挙げ句に、俺の尻にクルガンの…」
「待て〜〜!それ以上言うな〜〜〜!!」
大きな声で言い募っていたダークマター以上の大声で遮り、引き寄せる。
じたばた藻掻くダークマターを全身で封じ込め、大きな手で口を塞いだ。
「もががもがが〜!」
「何で、こんな時に限って覚えてるんだ、お前は!」
「もがががが〜〜!」
「え〜い、ちょっと大人しくしろ!」
それ以上拙いことを言われないように、ということだけに集中していたクルガンだが、
「…クルガン?」
女王の硬い声で、ぴたりと動きを止める。
ぎぎぎぎぎ…と音さえ立てていそうな仕草で、女王を振り返った。
尊敬と忠誠を捧げる自分の主君が、冷え冷えとした微笑を浮かべていた。
「クルガン」
「はっ!」
「説明…出来ますか?」
「はっ!…いや、その、ですね、何かの記憶違いじゃないかなー、とか…」
「もぎゅぎゅぎゅ〜」
じたばたするダークマターの動きが弱っていた。ふと見ると、真っ赤だった顔が血の気を失っている。やばいやばい、と手を離すと、崩れ落ちて、ぜーぜーと息をした。
「こ、殺されるかと思った…」
口に手を当て、涙目で見上げるダークマターから目を逸らし、口の中でもごもごと謝罪する。
「さて、クルガン。そう言えば、そろそろ貴方の発情周期でしたね…」
淡々とした女王の言葉に、クルガンの背中がぎくりと揺れた。
いや、エルフも人間同様、決まった発情期があるわけではない。言うなれば、『年中発情期』。
「2ヶ月に一度、貴方が花街に出かけていっているのは、わたくしも把握しております」
「せんで下さい、んなこと!」
「ところが、任務のため花街に出られなかった。そして、帰ってきた晩は嵐で、出かけるのが鬱陶しい天気。そこで、貴方は、翌朝には忘れているであろう後腐れ無い相手を訪ねた。…違いますか?」
「やんごとなき御方が、そんな下世話な推測するのは止めて下さいっ!!」
「違いますか?」
女王の背から、威厳のオーラが立ち上った。
クルガン240歳。しかし、こーゆーもんは年齢の問題ではないのである。
悪さがばれた子供のような気分で、クルガンは女王の前で項垂れた。
「…大筋では、陛下のお考え通りです」
「クルガン。忘れられることを前提に、不埒な行動に出る、というのは、浅ましい所行だと思いませんか?」
そこか、とクルガンは思った。
したこと自体ではなく、その行動動機を責められている、というのなら、まだ勝機(?)はある。
「い、いえ、その…何も、どーせ忘れているだろうから手っ取り早い、などと考えていたわけでは…」
あるけど。
「では、単に性欲処理として行ったわけではない、と言うのですね?」
直球な単語にめまいを覚えつつ、クルガンは頷いた。
「はっ。平素から憎からず思っているからこそ、こいつの所に行ったのでありまして、単に処理というなら、俺に心を寄せている侍女あたりを選んでも良かったのでありまして、ですね…」
ま、女、しかもこれからも顔を合わせる女を抱いたら、後々面倒くさいなーと思ったんだが。
あぁ、畜生、こんなことなら、面倒がらずに嵐の中でも花街に出かければ良かった、と悔やみつつも、真面目な顔を取り繕ってクルガンは女王の目を見返した。
その間、ダークマターはひたすらおろおろしていた。
自分の頭越しに行われる会話の半分も理解できなかったからである。
女王は、これ以上無いくらい晴れ晴れとした笑顔を見せた。
背中に冷や汗を一筋垂らして一歩下がるクルガンを見据えて、にっこりと言い放つ。
「では、責任を取る、と言うのですね?」
責任。
何を、どーしろ、と。
てゆーか、一回したくらいで、責任?
人生240年。一回しただけの相手なんて、掃いて捨てるくらいいるぞ。
瞬時にそれだけ考えたクルガンだったが、女王相手にそんなことは言えない。
ごほん、と一つ、咳払いをした。
「あー、その、ですね。責任を取るのにやぶさかではないのですが、なにぶん、我々は男同士でありまして…」
そーなのだ。
男同士で責任取れったって、所詮、ちょっと恋人を装えば良いくらいのことでは無かろうか。そのうち、ダークマターも忘れるだろうし。
ちょっと前向きな気分になったクルガンに、女王は相変わらず満面の笑みを浮かべて言った。
「法を改正します」
「…………はい?」
「男同士でも、いえ、同性でも婚姻可能なように、法を改正します」
また、背筋をだらりと冷や汗が滑り落ちた。
この人は、やる。
たとえ寺院関係や法王庁と事を構えてでも、やると言ったら、やる。
だが、すんなり受けるわけにもいかず、抵抗を試みる。
「しかし、ですね。我々のために法を整えて下さるのは、大変に嬉しいのですが、法王庁の不興を買うようなことまでして頂かずとも…」
「そのようなことを貴方が気にすることはありません。結婚、という偉大な愛の結びつきの前には、些細なことです」
駄目だ、外堀埋め立て完了っぽい。
ぐらり、とホワイトアウトしかける視界を、クルガンは唇を噛みしめて堪えた。
思えば、この女王陛下、自分が婚姻不可能な分、他人の結婚沙汰が大好きであった。いつまでも純愛恋愛色恋沙汰に夢見る乙女なのである。
ふーっと静かに息を吐き出すと、涙ぐんだダークマターがおろおろと見上げていた。
「ク、クルガン…俺のために怒られてる?」
展開に付いていけないまでも、どうやらクルガンが女王に諫められている、というのだけは分かったのだろう。
「ごめんね、ごめんね、俺、馬鹿だから、よく分かんないけど、ごめんね」
「い、いや、お前が謝ることはないんだが…」
改めて、ダークマターを見る。
これは、確かにアホだ。
だが、外見は、まあかなり標準オーバー。
少なくとも、女の代わりが務まるくらいには魅力的だ。
男だが。
しかも、人間…
そこまで、考えて、クルガンはふいに思い出した。
「やはり駄目です、陛下!うちの一族、純血にやたらと拘るんで、人間の嫁なんぞ連れて帰ろうものなら、何を言われるか!」
「そこを何とか説得するのが男でしょう!」
「出来るかぁ!」
何故か生殖能力が年々衰退していっている古の種族。
だが、頑なに同じ一族内で血を残すことに汲々としていて、他国のエルフとの婚姻すら認めていない。人間の嫁など、問題外も良いところだ。
種馬よろしく、生まれたときから子孫を残す相手が決められているのが嫌で逃げ出してきた一族ではあるが、ことあるごとに刷り込まれた『血族を残す』という使命に抗うのも後ろめたい。
まだ言い募ろうとしたクルガンだったが、開いた扉の音に振り返る。
「何の騒ぎなの?」
きらきらと好奇心に目を輝かせたソフィアが入ってきた。
クルガンと女王に挟まれておろおろしていたダークマターが、助かった、という顔をしてソフィアに駆け寄る。
「癒し手さまぁ」
「どうかしたの?ダークマター。何か、クルガンが怒鳴っていたようだけど…」
「あのね、えっとー…クルガンに、結婚しろって、へーかが」
考えながら話すダークマターに、ソフィアの目が見開かれた。
「ダークマター…貴方、今、何て言ったの?」
震える声に首を傾げて、ダークマターは繰り返した。
「クルガンに、へーかが、結婚しろって」
「いやああああん!」
いきなり叫んで、ソフィアはダークマターの肩を揺すぶった。
「クルガン?クルガン、ですって?ああん、私の名前を初めて呼んで貰おうと、一所懸命教えてたのに〜〜!」
「突っ込むのは、そっちか!」
思わず空気に向かって裏手ツッコミしながらも、クルガンは思い返していた。
そういえば、このアホが、今日会ってからはずっと自分のことを名前で呼んでいた、と。
ついに覚えたのか、俺の名前を。そういや、「名前を呼べ」と散々夕べ教えたっけか、体に教えると一発(いや、一発じゃなかったが)で覚えたんだなぁ…。
ふと遠い目をしていると、ソフィアがずいっと迫ってきた。
「…で?誰と結婚するんですって?」
「い、いや、その、な…」
「ダークマターとですよ、ソフィア」
にっこりと女王が口を挟んだ。
沈黙が数十秒。
「何ですって?」
低い低い地を這う声音に、クルガンは溜息を吐いた。
「俺と、ダークマターが、結婚する、と言う話だ」
諦めて、どこか他人事のような気分で、一言一言区切りながらゆっくりと発音する。
「するの?」
「いや、今、うちの一族がうるさい、という話をしていたところだが」
何でこんなことになったのだろう、俺はちょっと手っ取り早く後腐れ無い方法を選んだつもりなのに、ものすごい泥沼に頭まで浸かってるぞ、と現実逃避しだした頭が、妙に冷静に言葉を返す。
「あぁ、さぞかし五月蠅いでしょうねぇ、長老様」
ソフィアも現実逃避したのか、どこか冷静に頷いた。
また、数十秒の沈黙。
「あのぉ…」
ソフィアに肩を掴まれたまま、ダークマターはもじもじと口を開いた。
「えっとー、俺は男なんだけど…クルガンと結婚…するの?」
するの?と同時にかくん、と傾げられる首。
「嫌か?」
「いや、とかどーこー言う以前に、男どーしで結婚できるの?」
かくん、と今度は逆側に首が傾げられた。
それに慈母のような笑みを浮かべて、女王が両手を拡げた。
「大丈夫ですよ、ダークマター。男性同士でも結婚できるよう、法律を改正しますから」
「そーですか…俺、クルガンと結婚するんですか…」
どこか呆然とした言い様に、そういえばダークマターの意見は完全に無視していた、と気づく。
ここでダークマターが嫌、と言えば、結婚せずに済む、とクルガンは思った。
しかし。
それはイコール自分がふられる、という意味である。
このアホに、この疾風のクルガンが断られる。
そんな屈辱的なことがあろうか。いや、無い。
結構、俺様。
「そうだ。お前は、俺の嫁になるんだ」
これは確定事項です、とばかりに断言する。
人間の嫁など、一族としては問題外、追放で済めば良いが下手したら刺客ものだぞ、と考えて、はたと気づく。
ぽん、と手を鳴らした。
「おぉ、そういえば、男なら子供も産まれん。嫁が人間でも、血は混じらん。一抹の光明だな」
それに、人間なら、もって精々あと50年。クルガン290歳、まだまだ適齢期真っ盛りである。
よし、一族にはそういう風に持っていこう、と、すっかり結婚確定で計画を立てる。
「光明、なのかぁ……」
ダークマター21年生きて、初めてツッコミに回った瞬間であった。
話に引き離されつつも、ダークマターは改めてクルガンを見上げた。
男。
エルフ。
筋肉質。
赤白はちまき。
遊ぶと楽しい。
そんな単語が脳を過ぎる。
「嫁、かぁ…俺が、クルガンの嫁なのかぁ…」
ダークマターにとって、嫁、というものは、白いドレスで微笑んでいる花嫁、とか、旦那様の帰りをエプロンで迎える可愛い女性、とかそーゆーものであった。いや、それが普通だろうが。
どうしても、その単語と自分とが結びつかなかったが、大好きなクルガンと大好きなへーかが決めたことなので、それで良いんだろう、と自分を納得させる。
何となく話がまとまりつつあったが、未だ納得できていない者もいた。
ソフィアである。
「そもそも、何故、そのようなことになったのですか、陛下」
何もダークマターと結婚したかったわけではない。だが、お気に入りの愛玩動物…もとい、お気に入りの玩具…いや、お気に入りの人間を、何故男にかっさらわれなければならないのか。
駄々こねの形相で、ソフィアは女王に詰め寄った。
「それは、すでに既成事実があるからです」
にこりと笑いながら、女王はソフィアの肩を軽く叩いた。
「そして、それは愛ゆえ、となれば、応援するのが正しき姿というものでしょう」
愛、違う。
こそりとクルガンは胸中で呟いた。もちろん、口に出す勇気はない。
「き、既成事実…」
ソフィアの目が、信じられない、と言うかのように見開かれた。
さすがにそれを真っ向から見返す気はしなくて、クルガンはすいと目を逸らす。
「や、やっちゃった婚だと言うのね…サイテー!」
そんな単語はありません。
「酷いじゃないの、クルガン!ダークマターが何も分からないと思って、手を出すなんて!」
「一応、合意の上だ、合意の上!」
半分、嘘。
ダークマターには、理解できていなかったので、嫌、とは言われなかった。
…嫌と言われなかっただけで、OKとも言われてないが。
「ダークマター!」
「はいっ!何でしょうっっ!」
突然、名前を呼ばれて、ダークマターは吃驚しつつも姿勢を正した。
「貴方、クルガンが好きなの!?」
「え?クルガンが…?」
目をぱちくりさせてダークマターは鸚鵡返しに繰り返した。
もし、これで好きじゃないとでも言おうものなら、当然殴る!と拳を握ったクルガンを見上げて、ダークマターは、えへへっと照れたように笑った。
「好き〜。大好き〜」
「そ、そ、そそそそそ、そう、か」
そこで動揺してどうする、俺、とクルガンは思ったが、耳が赤くなるのは避けられなかった。
たとえ、相手が人間の男でも。
たとえ、相手がどーしよーもなく馬鹿であっても。
面と向かって「大好き」などと言われると、照れるだろう、普通!と心の中でだけ逆切れしてみる。
顔を赤らめて見つめ合う男二人、という寒い光景にも動じず、女王はそれはもう嬉しそうに頷いている。
「わたくしの大事なガード二人の婚姻です。立派な式を執り行いましょうね」
国中にばれるのか。
クルガンの背中に、一瞬凍える風が吹き抜けた。
だが、次の瞬間には開き直る。
どーせ逃げようも無いのだ。とことんやっちゃうしか無いではないか。
「よろしくお願いします。一族には、俺の方から連絡しますので」
「快諾がいただけると良いですね」
「いや、まったく」
ははは、と乾いた笑いが漏れた。
笑い合うクルガンと女王に、ダークマターもにこにこ笑う。
さっきまでのようなぴりぴりした空気は苦手なのだ。とりあえず和やかな雰囲気に、嬉しくなって一緒に笑っていると。
「ダークマター」
表情はそのままに、クルガンが呼んだ。
「はい」
「お前は、俺の嫁だ」
「うん、そーみたいだね」
クルガンは笑っていた。
だが、その目が笑っていないことに気づいて、ダークマターは一歩退いた。
「俺の嫁となるからには、それを忘れて貰っては困る」
「…そーだろーねぇ…」
じりっじりっと迫るクルガン。逃げるダークマター。
「どうやら、お前は、体で覚えたことは忘れないようだし…」
「は、はは…ははは…む、昔から、そーなんだよねぇ、頭じゃなく体で覚えろって、何度も…」
「というわけで」
がしぃっと掴まれた肩を、泣きそうな目で見る。
「とことん、体で覚えて貰おうか………」
低く囁かれた言葉に、泣き笑いになった。
意味は理解できない。
理解は出来ないが…何となく、自分が痛い目に合うような気はした。
後に。
実はひっそりとお茶の用意をしながら固まっていた侍女によって、その場の様子は全国民向け娯楽雑誌『ドゥーハン・ナウ』に余すことなく掲載された。
『やっちゃった婚』という単語が、ドゥーハン国で市民権を得た記念すべき一冊であった。
ま、どーでもいい歴史であるが。
半年後。
ソフィアはダークマターを誘って、ドゥーハンを見渡せる小高い丘に来ていた。
「良い天気ね…」
「そーだねぇ」
青い空、白い雲。
眼下には、活気溢れるドゥーハン市街。
だが、ソフィアの表情は暗かった。
「ついに、結婚するのね、貴方達…」
「そのよーで…」
はぁっと海より深い溜息を吐き、ソフィアは顔を上げた。
目の前には、にこにこしているダークマター。
「ねぇ、ダークマター。目の下、隈が浮いてるわよ?ちゃんと寝てる?」
ソフィアの白い手が、ダークマターの頬に触れる。
困ったように笑って、ダークマターはこめかみをぽりぽりと掻いた。
「えっと、式って、結構覚えることが多くて。ほら、俺って、人の3倍くらい言われないと、覚えられないから」
「あまり、寝てないの?」
「うん、まあ…」
頷きかけて、慌てて手を振る。
「今の無し!クルガンに、『閨房でのことは、人に喋るな』って言われてたんだった!」
…閨房で、覚えさせられてるのね…遠い目になって、ソフィアは、ただ「そう」と頷いた。
「私ね。本当に、貴方のことが好きだったのよ…」
金髪で水色の瞳の可愛い男。
たとえそれが、他人からは『お人形遊び』と陰口を叩かれるような『好き』であっても、やっぱり『好き』には違いなかった。
これで、ダークマターが無理矢理結婚させられていると言うなら、たとえ女王に刃向かってでも反対するつもりだった。
だが、目の前の男は、クルガンのことが『大好き』で、クルガンの言うことならよく覚えているのだ。
諦めるより他、どーしよーもないではないか。
「ありがとー」
結婚の決まった相手がいながら、他の女に告白されている、というシチュエーションであるにも関わらず、ダークマターはひたすらにこにこと笑っていた。
はぁっともう一度溜息を吐き、ソフィアは手を引っ込めた。
「私、任務に出るの。あ、もちろん、式には間に合うように戻ってくるわ」
「え?どこ行くの?」
「ちょっと…アンデッド100人切りにね」
「あぁ、ソフィア、得意だもんねぇ」
得意、と言われると、切ないものがあるが。
そう考えてから、ぱっと振り向いた。
「ねぇ、ダークマター」
「なに?」
「初めて、名前を呼んでくれたわね」
そうだっけ、とダークマターは首を傾げた。
それから、照れ臭そうに、えへへと笑う。
「クルガンがさ、同じガードの名前くらい覚えろってうるさいから。ソフィアでしょー、レドゥアガード長でしょー、オティーリエ陛下でしょー…って、これだけしか覚えられなかったけど」
「そう…クルガンが…」
やっと覚えてくれた名前は、クルガンに教えられたものだった。
好きになった男が、男に取られたときよりももっと、失恋したような気分になって、ソフィアは空を見上げた。
「あぁもう、やんなっちゃうくらい、青い空ね」
「綺麗だよねぇ」
ソフィアは何度か瞬いて、それからにっこりとダークマターを振り返った。
「ねぇ、私が任務から帰ってきたら、またここに来ましょうね」
「うん、いーけど」
何で?と首を傾げるダークマターに、笑って手を振り、丘を駆け下りる。
「クルガンへの、嫌がらせよ」
小さく呟いた言葉は、誰の耳にも届かなかった。
そして、ソフィアが任務に出て2日後。
ダークマターは、女王に呼ばれて、彼女の私室に来ていた。
「さぁ、ダークマター。これを被ってごらんなさいな。歴代女王に代々伝わるヴェールです」
楽しそうに微笑みながら、女王は手ずからダークマターの頭に幾分古びた色合いの白いヴェールを乗せた。
「次期女王に地位を譲り渡し、降嫁する際に使われるものです」
「え?そんな由緒あるもの、俺が使って良いんですか?」
由緒がどうこう言う以前に、男が花嫁衣装を着るのか、という気もするが。
白いレースをダークマターの顔に被せ、女王はくすくすと少女のように声を立てて笑った。
「可愛らしい花嫁さんの出来上がり、ね。金色の髪に、よく似合います。明日には貴方の衣装も仕上がりますから、その時にも合わせてみましょう」
「はぁ…」
ダークマターは、壊れ物に触れるかのように、自分の頭上の白いヴェールをそっと押さえた。
「ホントに、俺で…いーのかなぁ…」
少し自信無さそうな呟きがダークマターの口から漏れる。
「まぁ、何を言うのです!愛し合う二人が婚姻を結ぶ。これ以上、素晴らしいことがありますか!?」
「はぁ…でも、クルガンにしてみれば、もっと可愛いエルフの女性…」
言いながら顔を上げたダークマターは、女王の背後に蟠る闇に気づいて、す、とクイーンガードの顔になった。
腰の剣を引き抜きながら、女王を背後に庇う。
鋭い視線の前に、闇は徐々に広がり、そこから抜け出すように、一人の老人が姿を現した。
ダークマターの目が見開かれる。
「しきょーさまぁ!」
思わず駆け寄るダークマターを抱き留め、老司教は目を細めた。
「おぉ、元気であったか、我が息子よ」
「はい〜!ごめんなさい、司教様ぁ。俺、連絡方法が分からなくて…」
「…そんなことだろうと思ったわい」
ごろごろ懐くダークマターの様子から、これが養い親だと判断して、とりあえず女王は一般向けの笑みを浮かべた。
「まぁ、貴方がダークマターの養い親でいらっしゃいますのね。お噂はかねがね…」
「おぉ、これは、ご丁寧に…」
ダークマターを腰のあたりにひっつけたまま、老司教は慌てて礼を返した。
それに、女王はそつない笑みを浮かべたまま続ける。
「本当にもう、どのように連絡したものか、悩んでおりましたのよ?せっかくのダークマターの結婚式、やはり親御さんが参加されないのでは寂しいでしょうしねぇ」
ぴたり、と老司教の動作が止まった。
おそるおそる、といった感じで、ダークマターを見下ろす。
「…結婚?結婚じゃと?こ奴が?」
まじまじ見られて、ダークマターは僅かに頬を染めた。もじもじしながら頷く。
「うん…何か、そんなことになってて…」
「でかした、我が息子!」
ぎゅーっと抱き締められて、ダークマターはうきゅうと声を漏らす。
「よもや、お前のようなアホが、花嫁をゲットできるとは思わなんだぞ!して、相手はどのような娘御で…」
「あ、あのね、しきょーさまぁ。あのー…俺が、嫁、なの」
間があった。
「…何じゃと?」
「俺が、そのー…クルガンの嫁、ですー」
ますます恥ずかしそうに俯くダークマターを呆然と見つめながら、老司教は声を失った。
女王が慈悲深い笑みを浮かべながら口を挟む。
「あの、男性同士ではありますが、二人は愛し合っておりますことですし…」
ここにクルガンがいたなら、胸中でこっそり「愛し合ってねぇ」と呟いたかもしれないが、あいにく彼は一族の元に帰っていた。
「すでにその、既成事実もございますし、ねぇ」
「あ?」
ほほほ、と笑う女王に、間抜けな声を出しながら、老司教は思い出していた。
クルガン…クルガン、というと…確か、筋肉むきむき無骨系男エルフ…それと、既成事実……。
「この、くそばばぁ!」
激しい罵りが老司教の口から飛び出した。
驚いて、ダークマターが思わず離れる。
「くそ、ばばぁ…?」
冷ややかに繰り返す女王に構わず、老司教は泡を飛ばした。
「人の大事な息子を預かっておきながら、傷物にするとは、なんという了見じゃ!」
「た、確かに、余所様の息子さんをお預かりしている身ではありますが、両名ともすでに大人ですし…」
「大人ちゅうても、こやつの頭がパーなのは分かっとるじゃろうが!それを筋肉男の餌食にさせるとは、何という…!!」
握り拳をぷるぷるさせている老司教に、ダークマターはおずおずと声をかける。
「あ、あのー、へーかが悪いんじゃないですー。お、俺が、その、クルガンとそのー同衾したせいでーえっとー」
「お前もお前じゃ!何で、抵抗せなんだんじゃ!」
「え?え?え?て、抵抗…?」
ダークマターの顔が、みるみるうちに真っ赤に染まった。
「だ、だってー…気持ちよかったしー……」
やはり、数十秒の間があった。
「き、気持ちよかった…じゃと……?」
老司教は、世界ががらがらと崩れていく音を聞いた。
「ふっ……ふっ…ふっふっふっふっふっふっ…」
瞳が、くわっと見開かれる。
「さらば、穏やかな日々!もしも、お前が普通に結婚して孫なんか抱かせてくれたりしたなら、この復讐心も溶けていくかと思っておったが…その夢も潰えた今!ワシは、予定通り、このドゥーハンを武神に捧げる!!」
豹変した老司教に付いていけず、おろおろするダークマターの前に、映像が浮かび上がった。
「ソフィア?」
「何かの役に立つか、と捕らえておいたクイーンガードの小娘じゃ…ダークマター、我が道具よ」
びくんっと体を跳ねさせて、老司教を見つめる。
「その女を殺せ。さすれば、この小娘を解放してやる…。そもそも!お前をクイーンガードとして送り込んだのは、その女を殺すためではないか!」
「だ、だって、しきょーさま、へーかは『良い女王様』で…」
「問答無用!お前が、どちらを選ぶのか…待っておるぞ」
「しきょーさまぁ!」
駆け寄るダークマターの目前で、闇が消えた。
事態に付いていけずに、涙ぐんで座り込むダークマターの肩に、女王の手が触れた。
「…へ、へーかぁ…ごめんなさい…ごめんなさい…」
ぐしぐしと鼻を鳴らしながら泣き出すダークマターの頭を撫でながら、女王はそっと問うた。
「ダークマター。どうするつもりですか?わたくしを殺し、ソフィアを救うつもりですか?」
途端、ぷるぷると振られる頭。
「では、ソフィアを見殺しにするつもりですか?」
やはり、勢いよく頭が振られた。
「し、しきょーさまは、ホントは良い人なんです…俺のこと、捨てずにずっと育ててくれたし…」
『道具』と呼ばれた。だが、ダークマターは、それに関してはこれっぽっちもダメージを受けていなかった。…意味がよく理解できていなかったので。
クルガンに会いたい、とダークマターは痛切に思った。
クルガンなら、自分が対処できない出来事でも、きっと何某かの指針を打ち出してくれるだろうから。
「この馬鹿者が」なんて言いつつも、きっと一緒に来てくれるだろうし。
だが、今、クルガンは城内にいない。それどころか、城下にもいない。
これは、自分でやらなければならないのだ。
クルガンに頼らず、自分で始末しなければならないのだ。
ダークマターは、涙をぐいっと拭き取って、立ち上がった。
「俺、司教様と話し合います。きっと分かってくれます」
ふと気づいて、頭上のヴェールを取り去った。
「やっぱり、俺…クルガンの嫁にはなれないですね」
さばさばとした笑顔で、ヴェールをテーブルに置き、女王に一礼した。
「必ず、ソフィアは無事に戻します。へーか、今まで、ありがとうございました」
もう戻らない、いや、戻れない決心をして、ダークマターはそこを去ろうとした。
だが、女王も決然と顔を上げる。
「わたくしも参ります」
「へーか?」
「貴方一人では、老司教の元に辿り着けるかどうかすら心許ないでしょう?」
ばれてる。
そう、実は、地下神殿への道は、すっかり忘れているのだ。
「で、でも、へーかを危険に巻き込むわけにはいきませんのでー…」
「気遣い無用です。わたくしは、わたくしの手で、あの無礼な司教を懲らしめたいだけなのですから」
はは、とダークマターは泣き笑いになった。
女王の冗談めいた言葉が、嘘だとは分かっている。
だが、この人は、やると言ったらやるのだ。
たとえ、置いていっても、こっそり付いてくるに違いない。
「じゃ、行きましょーか。へーか」
しかし。
予想通り、と言えば予想通りであったが。
ダークマターが地下神殿にて老司教に対面できたのは、それから3日後のことであった。
「遅い…遅いぞ、我が道具よ!」
「ご、ごめんなさーい、しきょーさまぁ…だって、だって、目印がもう無くなっててー…」
半泣きでダークマターは訴える。
2年の間に、裏路地の道しるべは消えて無くなっていて、彼にとっては、どの裏路地も同じに見えていたので、ことごとく探し回っていたらこんな時間になってしまったのだ。
「まったく…この小娘もいい迷惑じゃろうて…」
ずっと縛り付けられたままのソフィアはぐったりして顔も上げられない。
「ソフィアを返して貰いますよ!」
「くく…女王を連れてきたことについては、褒めてやろう、我が道具よ」
老司教、女王同時に、掌に光球が生まれ、相手に放つ。
慌てて避けながら、ダークマターはそれでも老司教に必死で言った。
「しきょーさまぁ、止めてください!だって、へーかは良い女王様なんですっ!」
「ふん…そんなことは、もはやどうでもよい。我が望み、叶えるため、死んで貰うぞ!」
「司教様!」
女王の前に立ち、ダークマターは剣を構えた。
「へーかをお守りするのが、クイーンガードの役目!」
「ふん…せいぜい持ちこたえるが良い、我が道具よ!」
老司教が手を振ると、石畳から滲み出るように不死者たちの群が出現した。
女王の魔力と老司教の魔力がぶつかり合う。
不死者の群を駆逐しても、次から次へと沸き出してくる。
また一体、剣で切り裂き消滅させたそのとき。
「何をしている、ダークマター!」
その声に含まれる怒りに、咄嗟に身体が跳ねた。
地下神殿の崩れた入り口を乗り越えて、クルガンが走り寄ってくる。
「貴様、一族をようやく説得して連れ帰ったと思えば、行方不明などと…俺に恥をかかせるつもりか!」
「ク、クルガン…えとえと、その、そんなつもりじゃなくて…」
思わず無防備に立ち尽くした瞬間、老司教の勝ち誇った声が響いた。
「時間稼ぎ、ご苦労、我が道具よ!!」
「司教様!?」
老司教の杖に、これまでとは比べものにならないほどの光が集まっている。
「駄目ぇ!!」
いつの間にか、呪縛が解けたのか、ソフィアが転がるように彼らの元に駆けてきた。
「司教様ぁ!」
咄嗟に、手に持っていた剣を投げる。
だが、その行方を見ることなく、あたりは閃光に包まれた。
数年後。
迷宮にてクルガンは、『婚約不履行』のまま逃げ出した相手と再会した。
「何故、お前はこんなところにいる!?」
B4F地下道の1室で、クルガンは相手の胸ぐらを掴み上げた。
「え?あ?あのあのあのあのあの…」
何が起こったのか分からない、という風にあわあわしている相手を見ると、涙が出るほど懐かしい気がしたが、一瞬でそれを押さえ込み、ただ怒鳴りつける。
「あれから、俺が何と言われたか分かってるのか!?『衣装合わせ直前で嫁に逃げられた男』だぞ!?それを、お前、こんなところにのこのこと…!!」
「あ、あのあの…ご、ごめんなさい、俺、全然覚えてな…」
相手の足が、地面から離れてしまい、じたばたと藻掻いている。
真っ赤に鬱血した顔が、土気色に変わっていく。
「まあまあ。あのよー、あんたとこいつに何があったのか知らねーけどよー。こいつ、すっげ記憶力悪いからさー」
「その通り。いつのことかは存ぜぬが、彼に昔のことを思い出せ、というのは酷だろう」
怒りのあまり、相手しか見えていなかったが、どうやら『冒険者』が一緒にいたようだ。
冒険者たちが、自分を宥めようとしているのに気づき、更に怒りが増す。
「何故だ」
手を離し、げほげほと咳き込む相手に押し殺したセリフを投げつける。
「何故、冒険者の真似事などしている!」
涙ぐんだ目が、彼を見上げた。
変わらない、煙るような水色の瞳。
白い肌も、淡いピンクの唇も、華奢な体躯も変わっていない。
ただ。
何か違和感があるなーと観察すれば、耳が尖っているのにようやく気づいた。
「…ダークマター」
「はい」
返事をするところをみると、やはりこれはダークマターで間違いないのだろうが。
「お前…エルフになる修行でもしてたのか?」
どんな修行だ。
「まったく、だからお前はアホだと言うんだ。俺の一族のことなど気にせずとも良い、と言ったのに」
昔のように、ぽんぽんと軽く頭を叩いてやると、水色の目が大きく見開かれた。
それから、自分の耳に触れ、もじもじと床にのの字を書く。
「あ、あのですね、大変申し訳無いのですが、俺、貴方のことを覚えていませんで、その〜…」
「ほほぅ」
その声は、地獄から吹き渡る風を言葉にすればこうなるか、とでもいった響きを持っていた。
ダークマターはひきつった笑いを浮かべながら、正座のまま、ずざざざっと仲間の元に後ずさった。
「あ、あのよー、うちのリーダーのこと知ってんなら、こいつの頭がちょーっと不自由なのも知ってんだろ?そんなに虐めてやらないでくれねーかなー」
「大丈夫?ダークマター。どこで会った人か知らないけど、覚えて無いってことは、大した相手じゃないってことよね、きっと」
しゃきん。
音を立てて、クルガンの忍者刀が引き抜かれる。
「ダークマター」
「はいぃ!?」
「念のため、聞いておく。そいつらの名を言ってみろ」
返答と次第によっては、その首、体からお別れするぞ!と気合いを込めて睨む。
「え、えとえとえとえと〜その〜…ですね。こっちの戦士が『ビキニの人』で、こっちの忍者が『赤鼻さん』で、こっちの僧侶が『お喋りな人』で、こっちの盗賊が『色っぽい姉さん』ですぅ〜」
よし、体に教えられてるわけではない。
ちょっとだけ気分の高揚したクルガンは、そのまま忍者刀をダークマターに突きつけた。
「それで。この俺の名は?」
「え?え?え?…そ、そんな…俺、『赤白はちまきさん』と会ったのは初めて……」
自分で言いかけておいて、ダークマターは、ふと首を傾げた。
「赤白はちまきさん?えっと…赤白はちまき…うーんと…うーんと…」
どうやら、自分の存在は、完全に忘れ去られた訳ではなさそうだ。
うーんうーんと頭を抱えているダークマターがあまりにも必死だったので、クルガンは忍者刀を腰に収めた。
「ダークマター」
顔を上げたダークマターと目が合った。
かつてそこに存在した憧憬や恥じらいや恋情は認められない。いやまあ、そもそも恋情なんてもんがあったかどうかちょっと自信が無いが。
「猶予をやる。次に会うときまでに、俺のことを思い出せ」
「…あ…」
ぐいっと胸ぐら掴んで引き寄せると、また首を絞められるのかと抵抗したが、それも全部封じ込めて。
口づけた。
冒険者たちの「ぎゃーっ!」という無粋な悲鳴が聞こえる。
散々っぱら口を塞いでいたせいで、また酸欠状態でぱくぱくしているダークマターに、低く囁く。
「もしも、お前が思い出さない、と言うのなら」
思いっきり据わった目で言ってやる。
「身体に思い出させるまでのこと。何、体に覚えさせたことだからな。俺の名前から、好みの体位まで」
「…こ、後半、すっごく恐いセリフなんですけどぉ!」
「お前が思い出すまで、やってやってやりまくる!」
蒼白になったダークマターを離して、クルガンはにやりと笑ってみせる。
「さあ、次に会うときが楽しみだな」
「きゃーーっ!!」
身を翻し、地下室を出て行った。
背後の扉の向こうから、悲鳴が聞こえてくる。
「うわああん!殺される!俺、殺されるよぉ〜!だって、あの人、手加減しないんだも〜ん!その気になったら、朝が来てもへーきでやり続ける人なんだからぁああっ!」
何だ、覚えてるんじゃないか。
クルガンは、僅かに口元を緩めた。
そうして、部下たちと合流すべく足を早めるのだった。
おまけ。
そんな二人のB8F水晶イベントは。
「きゃーっきゃーっきゃーっきゃーっ!!」
「ほぅ、これはなかなか…」
「見るな〜!お前らは見るな〜〜!」
「見るなって言われてもねぇ。頭の中に直接『見える』だもの、しょうがないでしょ」
「俺も、見たくて見てるわけじゃねーけどな…。男同士のエッチなんぞ、むしろ見たくねーよ」
水晶は、情け容赦なく、過去の出来事を無修正ノーカットで完璧に映し出していた。
「このクソ妖精!編集版は無いのか!?」
「無いわよ、んなもん☆」
「殺す…いっそ、こうなったら、全員殺してやる…後からカーカスかけてやるから死ねぇ!!」
「でええぇぇっ!!」
クルガンが仲間を皆殺しにしている頃、ダークマターは、顔を沸騰させて、脳の血管を2,3本切れさせていた。
水晶の上演が終了して、現実に戻る。
仲間たちの惨殺死体の真ん中にぺたりと座り込んで、ダークマターは真っ赤な顔でえぐえぐと泣いていた。
「ふえええええん!皆、これ、見たんだぁあっ!」
「そーねー。戻ってきたのは、レドゥアって男他数名だけどねー。でも、見た人はもっと一杯…きゃはははは!」
ずばっずばっずばっ!
無言で水晶のフェアリーを切り刻んだクルガンが呟く。
「ガード長も、見たのか…」
「うわあああああん!!」
「な、泣くな!ガード長は、俺が殺してやるから!俺としても閨房での秘め事を他人に見られるなぞ我慢ならん!」
「うわあああああん!!もー、死にたい…」
ぐしぐしと鼻をすすり上げるダークマターの頭を慌ててぽかりと殴る。
「だから!これを見た奴は全員俺が殺してやるから!死ぬな、馬鹿者!」
「だって〜だって〜…こんなの見られたらぁ…もー、お婿に行けない〜…」
疾風のクルガンは、にやりと笑った。
「婿に行く必要性などないだろうが。お前は、俺の『嫁』なんだからな」
迷宮とは、殺伐として然るべき。
そんな言葉が身の置き所を無くすほど、そこにいるのはバカップルであった。