鳥(頭)の唄 前編
ドゥーハンに17代女王が誕生して少し経った頃。
謎の老司教は、歓喜に打ち震えていた。
「間違いない…今度の女王こそ、古代ディアラントの血を色濃く伝える女!あの魂をもってすれば、武神を甦らせることが可能!」
いわゆる「ターゲット確認!これより追尾します!」状態である。
だが、いくら『狂える』老司教とはいえ、女王にすんなり近づいて、「あ、すみませーん、貴女の魂、貸して頂けます〜?」と言えるとは思っていなかった。
「魂を手に入れるには…」
ぶつぶつと老司教は呟きながら地下神殿を歩き回った。
「ワシがいきなりその場に現れてメガデス…いや、駄目じゃ。一気に殺して、魂が天に召されたのでは意味がない。誰か他の者が殺して、ワシはその場で儀式を行い魂を取り込む…これじゃ」
まあ、魂も、死んですぐに天に召されるわけではない。だとすれば、還魂の術など、使えるはずがない。大体において、「まだ生き返れるんじゃないかなー」と期待を持ってうろうろ彷徨っているものだ。
しかし、『いきなりメガデス』テロ行為をしたら、どう考えても衛兵たちが現れ、魂を取り込む儀式どころの騒ぎではなくなることは目に見えている。
とすれば。
誰か暗殺者を仕立て上げ、こっそりひっそりと女王を殺し、ばれる前に魂を頂く、というのが確実だろう。
『誰か暗殺者』
あいにく、老司教に暗殺者の知り合いはいなかった。
そもそもカーカスだのカテドラルだのと言った魔法を寺院の司祭レベルがかけられるような国で、職業暗殺者は育ちにくい。
「となれば…ワシが一から育てれば良いのか。何、時間はたっぷりある…」
くっくっくっと、老司教は怪しげな笑いを漏らした。
言うなれば、『普通の子供をさらってきて、オリンピックで優勝できるような実力に育て上げ、国民栄誉賞を獲得して首相と握手出来るようにする(で、毒針のついた指輪で暗殺する)』という大変に遠大な計画を立てた悪の幹部にも通じるものがある。
もっと簡単な方法があるんじゃないか。
そんな自省が生まれるようなら『狂える』老司教なんて名前は付いてない。
「では、まずは…子供を見つけてくるか」
そう言いつつ、老司教は地下神殿から地上に向かった。
しとしとしとしと。
雨が鬱陶しく降っていた。
「…こんな日に、遠出はしたく無いのぅ」
実体がないのも棚に上げて、老司教は呟いた。
地下神殿からの出口は、裏路地の端っこに存在した。まあ、大通りにあったら嫌だが。
よっこいせ、と声を出して老司教は路地に立ち、あたりを見回した。
雨のせいで視界も悪い。
大通りの向こうすら霞んで見えないような日に、子供さらいは無理か、と老司教は考えた。こんな日に、外で遊ぶ子供はよっぽど物好きだ。
だが、考えながらも数歩、裏路地を進むと。
小さなひさしの下に、膝を抱えて座る子供がいた。
雨に濡れ、服は泥に汚れみすぼらしいことこの上ない。
だが、わざわざ地下から出てきたのだ。これでもいいか、と老司教はそれに声をかけた。
「どうかしたのか?」
優しい声掛けに、子供がのろのろと顔を上げた。
怯えたような大きな瞳が、老司教を捉える。
むぅ、これは。
老司教は思った。
汚れてはいるが、金髪ストレート。目は普通の青ではなく、煙るような水色で印象的。顔立ちも体格も華奢で、不健康な感じだが、磨けば結構見られるんじゃないか、という想像は付いた。
この時、老司教の頭に名案が閃いた。
暗殺者を育てるのはまあ決定事項として、どうせなら、クイーンガードとして女王の近くに行けるほどの者を育て上げれば良いのではないか?忍び込んで暗殺するよりも、機会が多い分、こちらの都合で儀式に合わせて殺せるし。
クイーンガードと言えば、実力もさることながら、女王に気に入られるか否かが、重大な選考ポイントとなっている。やはり人間の心理として、同じ実力なら、ごっつい不細工な男より、男前の方が近くにいて嬉しいだろう。
とすれば。
見かけが綺麗な者を暗殺者に育てる方が、クイーンガードになれる可能性が高いわけで、そうしたら、この目の前の子供は適材では無いだろうか。
一瞬のうちに、理屈になってるんだかなってないんだか分からないような考えが老司教を支配し、子供に手を伸ばした。
子供は一瞬、びくりと身を竦ませたが、頭を撫でられて、すがるような目で老司教を見つめる。
「おぉ、よしよし。怖がることはない。どうかしたのか?こんなところで一人で」
見る間に、子供の水色の目にぶわっと涙が溜まる。
「お、おかあさんが…お迎えに、来ないの…」
よし、声も綺麗だ。
ま、声なんて声変わりすればいくらでも変わるが。
「そうか…お前の名は?」
「……ダークマター……」
よっしゃ、暗殺者の素、ゲット。
老司教は、ダークマターの手を引きながら、そんな言葉を思い浮かべていた。
地下で、湧き水を沸かして子供を綺麗に洗う。
想像通り、見てくれは大変に愛らしい子供であった。
これの母親は、寺院の前にこれを捨てたらしいが、売るところに売っていれば、結構な値段が付いていただろうに、と老司教は思ったが、そこまでは出来ないところが『親心』なんじゃろうなぁと思い直す。
ま、寺院に育てられても、やられることは一緒のような気もしたが。この時代、一応僧侶に妻帯は可能とは言え、そこまでの地位が無い者が同性で手っ取り早く何かを済ませる、ということは少ない例では無かったから。
そう考えれば、この子供にとって、ワシが拾ったことは恩恵ではないか、と老司教は悦に入った。
ちなみに、老司教に実体はないので、セクハラの心配はない。
数日は、ダークマターが安心するように、普通に食事をさせ、普通に眠らせ、普通に着替えさせていた。
もちろん、「置き去りにした母親が悪いのではない、そんな時代にした女王が悪いのだ」と何かにつけ吹き込むことは忘れない。
だが、しかし。
その事実に気づくのには、1週間ほどを要したのだが。
ダークマターは、極めつけの『アホ』であった。
「おはよーございますー!……えーと……どなたでしたっけ?」
えへ、なんて首を傾げる姿は大変愛らしい。
だが、もうすでに一緒に暮らして10日あまり。
「何で、こんなに濃い顔の一つも覚えられんのじゃ〜〜!!」
「うわああああん!ごめんなさい〜〜!」
えぐえぐっと鼻を鳴らす姿は、しつこいようだが、大変愛らしい。多分、これでこれまでの人生、うやむやのうちに渡ってきたのだろう。
しかし、その頭はまさしく鳥。3歩進んで、主人の影踏まず…もとい、3歩進めば、それまでのことをすっかり忘れる。いや、むしろ、鳥に失礼なほどに、ダークマターの記憶力は酷かった。
ひょっとしたら、母親に捨てられたんじゃなくて、本当に待ち合わせしたのに、ちょっと寺院から離れた途端に場所を忘れて(いや、寺院にいたこと自体を忘れたのかも)、彷徨いていたのでは、とまで思わせる。
「えーと、しきょーさまぁ」
上目遣いでうるうると見上げるさまと、舌っ足らずな言葉が、全てを帳消しにしたくなるほど愛らしいとしても!
「…何で、ぼく、ここにいるんでしょぉ…?」
「だーかーらー!お前は、母親に捨てられたんじゃーっ!でもって、それは全て女王が悪いんじゃーーっっ!!」
「えぇっ!ぼく、おかあさんに捨てられちゃったんですかっ!うわあああんっっ!!」
「何度言わせるんじゃあああっっ!!」
ぜーぜーぜー。
仮に実体があったとしたら、絶対血圧が上がって、脳卒中で倒れている。
無駄な確信を抱きつつ、老司教は肩を波打たせた。
いっそ、これは諦めて、他の子供を育てるか?
そんな考えも、何度も浮かんだが。
一つには、また地上に行くのが面倒くさい。数百年にわたる筋金入りの引きこもりである老司教にとって、もう一回地上に行って、さんさんと日の照る中子供をさらう、というのは、すっごいどっこいしょーという気合いが必要だった。
一つには、これの見かけが大変愛らしいことを考えれば、これ以上の外見の子供を捜すのは、結構骨が折れるんじゃないか、と思えたこと。
最後に、なんだかんだ言って、もう10日も暮らしていれば、ちょびっと情が移ってしまったこと。
以上の理由により、老司教は、本格的にダークマターを暗殺者へと育て上げるという悲愴な決心をした。
如何に道が困難なことが予想されても!ひょっとしたら、全くの無駄に終わるんじゃないかなーなんて心が鈍っても!
こうなったら、このアホを完璧な暗殺者に育て上げることこそ我が使命!
何となく、本末転倒というか、目的と手段が入れ替わった気がするが、そこはそれ、すでに死んじゃった人は頭が固いのである。
というわけで、老司教は、決意も新たにダークマターを見つめた。
そのダークマターは、何が楽しいのか知らないが、きゃあきゃあ言いながら、地下神殿の床を前回りをしながら転がっていた。
よく考えろ、ワシ。
少なくとも、これは自分の名前ぐらいは覚えてられるのだ。
完全に記憶力障害、というわけではあるまい。
自分で着替えもできるし、歯も磨けるし…つまり身体的に覚えたことは忘れていないと見た!
「うむ、ラディオ体操方式じゃ!」
叫んだ老司教の前に、前回りしながら転がってきたダークマターが、床にぺたんと座って見上げて言った。
「らでぃおって何ですかー?」
「覚えていないつもりなのに、音楽が鳴れば、勝手に体が動くという『体に覚え込ませろ』方式じゃ!これしか無い!」
「しきょーさまぁ、らでぃおって何〜?」
「そうと決まれば!」
びしぃっとダークマターを指さし、老司教は叫んだ。
「理屈はどうでもええから、とにかく、体で覚えるんじゃ〜!」
そんな感じで。
史上最強に『何も考えていない』暗殺者が誕生するのであった。
十数年後。
老司教は、なんだかもういっそ昇天しそうなほどの満足感を覚えていた。
「もはや、お前に教えることは、何もない…」
目の前に立つ青年は、いっぱしの剣士の姿である。
ストレートで艶やかな金髪は、邪魔にならないように後ろで三つ編みにされ。
地下で育ったせいで白く抜けるような肌に、ほんのりピンク色の唇。
相変わらず煙るようで印象的な水色の瞳。
鍛えられた筋肉を持ちながら、どことなく華奢でほっそりとした体躯。
外見だけは、無駄に完璧であった。
この頃、女王は40前の独身女。他のクイーンガードは、ナイスミドル(?)と筋肉無骨系男とついでに女エルフ。となれば、それを埋める人材として、こーゆー基本的美青年系は実にお奨め!
いや、ホストクラブの欠員補充じゃないんだからさー、というツッコミをする者は、この場には誰もいなかった。
ついにやってきた、クイーンガード試験である。
とある寺院の関係者に対する老司教の記憶操作により、書類上はダークマターは寺院出身、ということになっている。
寺院で僧侶になりかけたが武術の才能が見いだされ、修行に出されていた、という設定である。
老司教にとっても意外だったが、ダークマターの剣の才能はずば抜けていた。
ま、いわゆる「無我の境地」を理屈抜きで修得しているせいかも知れないが。
無表情あるいは静かな微笑みを浮かべながら敵を切り刻む姿は、流れるように洗練された動作である。
老司教は、その頭の中身が『パー』で、ホントになーんにも考えちゃいない、ということを知っているが、それを知らない人間が見れば、戦慄さえ覚えるほど美しいことだろう。
寺院出身、という設定に相応しく、多少の僧侶魔法も使える。
戦闘に関して言えば、クイーンガード試験に、全く心配はなかった。これ以上の人材はいない!と自信を持って送り出せる。
だがしかし。
何と言っても。
「んじゃあ、行って来ますね、しきょーさまぁ」
「待て!顔は緩めるな、と言っただろうが!」
「あう」
ほにゃっと人懐こい笑みを浮かべていたダークマターが、慌てて無表情になる。
「復唱!クイーンガード試験にあたっての心得!出来るだけ、表情は変えずに!」
「表情は、変えませんっ!」
「アホがばれないよう、出来るだけ、喋るな!」
「出来るだけ、喋りませんっ!」
「…心配じゃ〜…心配じゃ〜…」
老司教は肩を落とした。
ダークマター御年20歳。しかし、老司教がどー頑張っても、頭に咲いたチューリップは相変わらずであった。
「実力はあるんじゃがのぅ…これだけアホなのがばれたら、クイーンガードとしては採ってくれんじゃろうぅなぁ、普通…」
クイーンガードとは、ただの女王の護衛ではない。女王の盾であり剣であり、同時に、部下を編成し独自で動く権限も有している。
頭が悪くては出来ない職業であった。
「まあ、駄目もとじゃ…行って来い…」
「はぁい!じゃ、行って来まぁす!」
「じゃから、顔は緩めるなと言うのに〜!」
「ごめんなさぁい!」
ぱたぱたと間の抜けた足音を立てて、ダークマターは去っていった。
残された老司教の肩に、ずっしりと今まで育ててきた時間がのしかかる。
これで駄目なら、また一から子供を育てるのか…。
ものすんごくめんどくせぇ。
「偉大なる武神よ…どうぞ我が道具に武運を〜」
実に本末転倒な祈りであった。
さて、そのクイーンガード試験。
一次審査は書類上で行われる。これで大体の出自とか極端に不備な者は落とされる。
そして、2次審査からが本番と言えた。
まずは騎士だとか傭兵だとか忍者兵だとかが、武力の審査に当たる。それをくぐり抜けたら、3次審査で、これは2次を合格した者同士のトーナメント戦であり、女王及びその護衛としてクイーンガード3名も特別席から見下ろしていた。
「いやあん、あの娘、可愛い〜vv」
ハートマークを語尾に付けながら、ソフィアが書類にチェックを入れる。
「ふん…斧使いか…動作が大きすぎる。あれは落ちるな」
もちろん、クルガンはあくまで武人としてチェックしている。
レドゥアも独自にチェックしていたし、女王も口には出さないが頭の中ではチェックに忙しい。
そう、トーナメント戦とはいえ、優勝者が自動的にクイーンガードの資格を得るとは限らず、逆に、優勝者以外がクイーンガードとなる可能性もあった。
もちろん、初戦で負けるような奴は問題外であるが。
さて、次々にトーナメントは行われ、残り16名となった時点で翌日に持ち越した。
その日の夕食では、女王とガード3人がテーブルに付いたが、自然と話題はクイーンガード試験に関してになる。
「今年こそは、新しい奴が入るかもな」
クルガンが楽しそうに肉にかぶりついた。
彼がクイーンガードになってからすでに10年。未だ彼の後にクイーンガードになった者はいない。
彼自身はクイーンガード試験は受けていない。ちょっと腕試しに宮殿に盗みに入ったら、捕まった挙げ句に女王に気に入られたという微妙に情けない過去を持つ。
ちなみに、その後二匹目のドジョウを狙った盗賊が、多々宮殿に押し入ったが、ことごとく捕まって牢屋にぶち込まれたという、実に理不尽な歴史もある。
まあ、それはともかく。
「あの子、可愛かったわぁ…」
うっとりと目線を宙に漂わせながらもワインを口に運んでいるソフィアも、クイーンガード試験は受けていない。アンデッド100人切り、という輝かしい戦歴によってクルガンより前に選ばれている。
当然、女王の教育係であるレドゥアも試験を受けてはいない。
つまり、このクイーンガード試験、今までだれも合格者がいないのであった。
「私も一人、目に付いた者はいたが…」
どことなく苦い顔でレドゥアは相づちを打った。
女王がにっこりと微笑む。
「わたくしも一人、気になった者がおります。皆の意見が、一致している者なら良いですね」
あえて、誰も、何番が気に入った、とは口に出さぬまま、目を見交わして笑う。
さて、翌日。
次々と試合が進む中、クルガンはそわそわと自分の装備を確かめていた。
「クルガン、少し落ち着きなさい」
苦笑混じりの女王の言葉に、クルガンは照れたように笑った。
「すみません。もうじき、あれと戦えると思うと、少し興奮しました」
あれ、と指さす先には、金髪の剣士の姿。
「何故、あれほどの逸材が今まで存在を示さなかったのかに不審が残りますが…その辺は直接戦えば、何か感じ取れることでしょう」
「…なんだかんだ言って、単にあの子と戦いたいだけでしょ」
ソフィアがぼそりと呟く。
「久々に、遠慮なく打ち合えそうだからな」
否定するでもなく、クルガンは腰の忍者刀を叩いた。
このクイーンガード試験3次審査、トーナメント優勝者に待っているのは、対クルガン戦である。
今まで10年。誰もクルガンを負かす…どころか、対等に試合を出来た者すらいなかった。いい加減、ストレスも溜まるというもの。
無論、相手を人間に限定しなければ、敵にとって不足はない!という相手は色々いるだろうが、やはりクルガンとしては、人間(エルフ他デミヒューマン含む)の好敵手が欲しいのである。
「俺より強い奴に会いに行く」…のはクイーンガードしてては無理だから「俺より強い奴、会いに来い!」である。
微妙にへたれ。
「あと2回戦、我慢なさい」
試合も進んで、残っているのは4人。もちろん、その内の一人が金髪の剣士。
「あの分なら、続けざまに試合をしても、疲れてはいないだろうな。ふっ…ふっふっふっふっふ…」
「怪しい笑いは止めろ、クルガン」
こみ上げる笑いを隠しきれないクルガンに、うんざりしたようなレドゥアのツッコミが入る。
そして、レドゥアは手元の紙に目を落とし読み上げた。
「ダークマター、20歳。ケトス寺院出身。3レベルまでの僧侶魔法及び、2レベルまでの魔術師魔法も使用可能。…クイーンガードとして、不足はないが…」
ふと目を上げ、闘技場で相手の大剣を弾き飛ばした様子を確認する。
「だが…20歳、という割には、動作がその…幼くないか?」
勝者が高らかに呼び上げられると、金髪の剣士は、ぺこりと相手に礼をした。
それから、向き直って、自分の控え室に戻ろうとして…こけた。
慌てたように立ち上がって、ぱたぱたと土を払い、恥ずかしそうに走って帰る。
「いやあああん…可愛い……」
目を潤ませて見守るソフィアを筆頭に、試合を見ていたその他観客の間にも、何となくほのぼのとした空気が流れる。
とても、クイーンガードの厳格な試験最中とは思えない雰囲気だ。
気分は、幼稚園児のお遊戯発表会。
戦っている最中との落差がナイアガラ並に激しい。
「顔が見たい〜vvどんな顔かしら〜vvv」
「あまり期待していると、がっかりするぞ」
一応、クルガンがソフィアに水を差しておく。
金髪の剣士の鎧は、他の者と違って覆う面積も少なければ、見るからに厚さも薄い。スピードを重視する軽戦士タイプの装備だ。だが、兜はきっちり被って、目から鼻にかけて覆われているし、口元も鎧下の服を引き上げて隠している。
アホな表情がばれないように、というダークマター(&老司教)の苦肉の策であったが、売りの一つである顔も見えないと言う欠点があった。
そして、次の2者の試合が始まる。
自分の背よりも大きい戦斧を振り回す重戦士と、やはり鎧をがちがちに着込んだ騎士の対決である。
「ふん、つまらん」
打って変わって、イライラと指で自分の腕を叩き、クルガンはぶすっと呟く。
「私もつまんないわ。早く、あの子の相手が決まらないかしら」
もうすっかり、ダークマターの対戦相手、という認識しかない。気の毒な話だ。
そのうち、戦斧の重戦士の勝ちが決定する。
ちょっとした休憩時間を挟んで、ついに決勝戦が始まった。
相変わらず、子供のような『とてとて』とでも表現したい足取りで金髪の剣士が中央に出てくる。
そして、礼。背後の金髪の三つ編みが、ぴょこん、と舞った。
「絶対…絶対!あの子が良いの〜!」
いやんいやんと身悶えしつつ、ソフィアが叫ぶ。
完全に公私混同である。
「ふっふっふっふっふ…さあて、俺も準備するか」
ソフィアを咎めるどころか、やはり公私混同気味なクルガン。
「お前たち…本日の目的を覚えているのであろうな?」
レドゥアの苦情も何のその、エルフ二人の意識はすっかり金髪の剣士に向かっている。
そして、試合が始まる。
重戦士の戦斧が、音を立てて振り下ろされる。軽装で当たれば、体の半分くらい持って行かれそうなそれを、ほとんど身動きせずにかわし、ダークマターの剣が振るわれる。だが、鈍い音を立てて、鎧に阻まれる。
ダークマターの剣は細身の『切る』タイプの武器である。重みで断ち切る『斬撃』タイプの剣とは違い、厚い鎧の相手には不利だ。
す、とダークマターの構えが変わった。
「刺突型に切り替えたか」
クルガンが目を細めて呟いた。
全身型の鎧とは言え、継ぎ目はある。そこを狙うのだろうが、相当精確な狙いと技術を要する。
また、軽く戦斧を避け、ダークマターは重戦士の斜め前から、頭部と首の継ぎ目に剣を貫きかけ……動作を止めた。
さすがに相手も最終戦に残る戦士、その隙を見逃すはずもない。体勢を捻り、横合いから戦斧をダークマターの胴目掛けて薙払った。
鎧に挟まった剣を手放し、ダークマターの体は地面を転がった。
重戦士は悠々と剣を抜き取り、背後に放り投げる。
「クルガン?」
ソフィアの声掛けは、解説希望だ。
クルガンは、目を離さないまま、独り言のように返した。
「馬鹿が、躊躇ったんだろう。あのまま貫いていれば、頸動脈を切断していただろうからな。この試合は建前上は命がけじゃ無いが、刃先を潰していない『死合い』なのだから、死者が出るのもお互い合意の上のはずなんだが…甘いな」
「あの子、負けちゃうの?いやあよ、私、あのごっついのがクイーンガードになるの。…もちろん、陛下が認めれば、従うけど」
ちらりと女王を見やるが、その顔に表情はなく、やはりじっと闘技場を見つめるばかりだ。
「武器が無ければ、相当難しいだろうが…だが、降参する気配も無いな」
楽しそうにクルガンは腕を組む。もう、精神的にも肉体的にも戦闘状態だ。アドレナリンばりばりである。
戦斧を避けながら、ダークマターの首が傾げられた。まるで、困ったな、とでも言ってるような姿に、またソフィアの目が潤む。
もう一度、戦斧が、ぶん、と振るわれた。
これまで同様、軽く避けた…と思われたが、戦斧は急激に軌跡を変え、ダークマターの胸に迫る。
「ふむ、相当筋肉に負担がかかっただろうな。これまでが単純な攻撃だった分、相手は対処し難いだろうが…」
ダークマターの体が宙を舞った。
戦斧に薙払われたようにも見えたが、戦士の頭に手を突き、軽く降りてくる。
「…こめかみに一撃、後頭部に一撃、ついでに、頸部を捻ったか。体術もなかなかのものだな」
押さえきれない興奮のままに、クルガンが口走った。
とん、と地面に降りたダークマターの前には、重戦士の背中。
ちょい、と人差し指で頭を押せば、どうっと地響きを立てて倒れた。
「勝者、ダークマター!」
その声に首を傾げ、それから放り投げられた自分の剣に歩み寄り、拾い上げる。
刃先を点検して、ちょっと項垂れた。折れてはいないが、刃先が潰れているらしい。
倒れた重戦士が運び出される。
闘技場の歓声の中、クルガンは女王に簡潔に言った。
「行きます」
返事も待たずに、闘技場の中へと跳ねていく。
「…よほど、待ち遠しかったのですね」
苦笑して、女王は先ほどまで乗り出していた身を椅子に沈めて、ふぅっと息を吐いた。
「そうですね。私も待ち遠しかったですけど」
対して、ソフィアはますます身を乗り出して闘技場を見守っている。
闘技場の観客も、クルガンが現れたのを見て、先ほどまでの歓声が囁きに変わる。
そんな中、クルガンは忍者刀を片手に、ゆっくりと金髪の剣士に歩み寄った。
「トーナメント優勝者は、俺と戦うことになっている。せいぜい、楽しませてくれ」
出来るだけ挑発するように皮肉の色を込めたのだが、目の前の剣士は、またきょとん、と首を傾げた。
「えっとー、鎧無し?」
声は、一応子供では無かったが、どことなく子供っぽい口調に密かに眉を顰めながら、クルガンは頷いた。
「動きが制限されるのは嫌いだからな。…どうせ、お前の攻撃は俺には当たらない。なら、防御など不要だろう?」
「そっかー」
…納得するな。それを当ててみせる!という気概を見せろ。というか全然挑発になってないぞ。
自分が一方的に悪者になった気分で、クルガンはこめかみを押さえた。
だが、その様子を気にした様子もなく、金髪の剣士はくるりと後ろを振り向き、すたすたと闘技場の端に歩いていって。
控え室に通じる通路の前で、兜を脱いだ。
「ぷー。暑かったー」
口元の布も引き下げ、肩当てと膝当てを外す。
ひょいっと空中で一回転して、中央に戻ってくる。
「俺も、身軽になってみました」
えへ。
クルガンは、背後の特別観客席で、ソフィアが悲鳴を上げているのが聞こえた気がした。
いや、特別観客席ばかりではない。一般観客席からも、きゃーっと黄色い悲鳴が聞こえている。
にこにこと無邪気に笑っている顔から、胸に視線を落とした。
よし、平らだ。
ひょっとして男っぽい体格(と声)の少女ではないかとも疑ったが、やはり男で間違いないようだ。
しかし、これが20歳の男かぁ?とまじまじ見ると、途端に不安そうにもじもじし出した。
「あのー、えっとー」
「い、いや、何でもない。では、行くぞ!」
「はーい。では、お願いします」
のほほんとした礼が一つ。
だが、上げられた顔を見て、クルガンの背筋がすっと冷えた。
冷静、と言うのではない。その瞳に浮かぶのは、ただの虚無。
敵意も、功名心も、気合いも、何も無い。
まるで気配が読めない剣の打ち込みを払いながら、クルガンは僅かに笑った。
面白い。
短刀を髪の毛一筋分の差でかわしたダークマターに回し蹴りを一つ。だが、それも身を沈めてかわされる。
同時に放たれた一撃を、やはり僅差でかわした。
かなりの接近戦でありながら、お互い全く攻撃が当たらない。
まったく、こんな相手は初めてだ。
気分を高揚させるクルガンとは対照的に、ダークマターの目には、まるで表情が浮かばない。
意識のない人間と打ち合っているようだ。かといって、ゾンビのようなものを相手にしているのとは全く異なる。
神経を削っていくような攻防が2時間は経った頃。
「それまで!」
高い声が響いた。
攻撃を払ったその動作そのままに、二人は飛びすさった。
ダークマターが、吃驚したような顔で、きょろきょろとしている。
「両名、それまで。ダークマターとやら」
やっと、特別観客席の女王の声と気づいたのか、そちらを向いて、はい、と答える。
「明日、わたくしたち皆で面接を行います。本日はゆっくりとお休みなさい」
もう一度、はい、と答えた声は、大歓声に遮られた。
10年ぶりに新しいクイーンガードが生まれる予感に、観客が興奮しているのだ。
その中で、ダークマターは首を傾げて不思議そうに立っていた。
「もう、おしまい?」
「そうだ。明日の面接で、また会おう」
クルガンは、忍者刀をしまい、立ち去ろうとしたが、ダークマターの呟きに思わず振り返った。
「ちぇー。面白かったのにー」
ぷぅ、と頬を膨らませて、恨みがましそうな目で彼を見ている。
「……クイーンガードになれば、毎日でも手合わせ出来る」
「え?そーなんだー。うわぁ、楽しみだなー。俺、クイーンガードになりたいな」
打って変わってにこにこ満面の笑みを浮かべている剣士に、皮肉を言うのも忘れて、クルガンの口から言葉がこぼれた。
「あぁ、俺も、楽しみだ」
その夜。
女王に頭を下げているクルガンの姿があった。
「もし、あれがクイーンガードになれなかった場合、是非とも俺の部下に下さい!」
「ずっるーい!私だって欲しいわ!」
「お前は僧侶だろうが!剣士に僧兵は合わんわ!」
「だってーだってー、あの子欲しいんだもの〜!貴方だって、忍者兵じゃないでしょ、あの子!」
「あれだけ反射神経が良ければ、十分忍者兵としてもやっていける!いや、忍者にしたいわけではないが、とにかく俺に寄越せ〜!」
「貴方と一緒にしてたら命がいくらあっても足りないでしょ!もちろん、もしあの子が死んだら、懇切丁寧全力をもってカーカスかけてあげるけど!」
ぎゃあぎゃあと女王そっちのけで口論するエルフ2人に、レドゥアは顔をしかめて、どんっと杖で床を鳴らした。
ぴたりと口を噤んで、エルフたちは首をすくめた。
その姿に女王は苦笑しながら柔らかく言う。
「そのような話し合いは、彼がクイーンガードに落ちてからになさい」
「陛下、あの者をクイーンガードに取り立てるおつもりですか?」
レドゥアの苦い声に、女王は穏やかに微笑んで見せた。
「貴方は反対ですか?レドゥア」
「子供に、ガードは務まりませんからな」
戦闘能力はクルガンと対等、ということは、全く問題なし。
だが、あまりにもその他の動作が幼く見えた。
「全ては、明日の面接で決めましょう」
女王の言葉に従い、皆敬礼をするのだった。
その頃のダークマター。
「えっとーえっとー。試合に勝ったら、くいーんがーどになれるんじゃなかったっけー。面接って何するんだろー?えっとー…出来るだけ、表情は無し、出来るだけ、喋らないように…うわああん!絶対、落ちる〜〜!!」
あてがわれた寝室で、布団を抱えてごろごろ回っていた。
そして翌日。
謁見室ではなく、書斎で面接は行われた。
中央に女王、両脇を固めるようにクルガン、ソフィア。斜め後ろにレドゥア、という配置である。
もしも相手が女王に敵意を持っていたならすぐに対応できるようクルガンは帯刀している。
その4人に見守られるように、壁際の椅子に、ダークマターはちょこん、と座っていた。
緊張を通り越して、明鏡止水らしい。無表情とまではいかないまでも、ひどく穏やかな顔をしている。
レドゥアが繰り出す形ばかりの質問(名前や住所など)にも、言葉少なに答え、澄んだ目で女王を見つめる。
レドゥアが一端口を閉じたところで、クルガンが質問を挟んだ。
「お前は、誰か師匠に付いて剣術を習ったのか?」
その質問には、僅かに首を傾げ、考え込むように目を細める。それから、また目を開き、水色の瞳がまっすぐクルガンを見つめた。
「特に誰、ということは無いと思います。主に、魔物相手に剣を振るってたので」
嘘ではない。嘘ではないが…単に師匠の存在を忘れた、というのもまた事実なのだが。
しかし、クルガンは素直に納得した。彼もまた、師匠を持つことなく、野生の勘と実践で腕を磨いたからである。
今度はソフィアが質問した。
「何故、僧侶の修行を止めたの?僧侶を極めようとは思わなかった?」
その質問にも、やはりダークマターは首を傾げた。ゆっくりと言葉を探して口を開く。
「司教様が、こう仰ったので。カーカスやカテドラルで、一度死んだ人間を甦らせることが出来る。だけど、いくら僧侶の信仰が篤くても、蘇生される方の人間の信仰心が高くても、やっぱり上手くいかなくて、天に召されることもあるって。だから、死んでも甦ることが出来るなんて考えるな、死なないようにしなさいって」
そうして、にっこりと笑う。
「僧侶って、どうしても、寺院に来た人たちを救うしか出来ないから。でも、剣を使えれば、誰かが危ないときに助けることも出来るでしょ?」
老司教の教えは、確かにそうだ。カーカスやカテドラルでも甦らない人間がいる。だが、老司教の言い分としては、「だから、そんな神様に頼ることなく、絶対的な神様を創っちゃおう!」だったのだが、その辺は綺麗さっぱり忘れているダークマターだった。
自分なりに解釈した結果、老司教の考えを歪んで納得…つまり、一般的にはまっすぐな考えになってしまっているのだった。
ダークマターに、相手に迎合するべく真っ当な考えを述べよう、という意識はない。そこまで頭はよろしくない。
そして、その極々シンプルな考えは、結果としてソフィアのみならず、一般的に受け入れられるものであった。
そこまでは、至極穏やかに面接は過ぎていった。
だが、次にレドゥアが質問した時に。
「もしも、お前がクイーンガードになったら、何をする?」
それに、ダークマターはにこにこしたまま
「はい、悪い女王様を殺すように言われてます」
あっさりと答えた。
一瞬、沈黙が落ちた。
クルガンが抜刀する。
それを手で押さえて、女王はやはりにっこりと微笑んで、言った。
「何のためにですか?」
水色の瞳が、ぱちぱちと瞬いた。
「えっと…えっとー…俺は、母親に捨てられたんだそーです。それで、それは、女王様が悪いんだそーです。司教様が仰るには、悪い女王様をやっつけたら、お母さんが迎えに来てくれるんだそーです」
そこまで言って、照れたようにこめかみをぽりぽりと掻いた。
「さすがに、それは嘘だと分かってますけど。もう母親のお迎えを待つ歳でもないし。きっと、司教様は、俺を励ますために仰ってくれてるんでしょーけど。俺、頭が悪いんで、厄介払いされたんでしょーねー」
あはは、と笑って、両手を組む。
「でも、悪い女王様を殺したら、俺みたいに捨てられる子供がいなくなるって言われたから。皆が裕福で、幸せなら、子供を捨てたりしないって。そんな世界になったらいいなぁって思うんで、悪い女王様を殺します」
やっぱりにこにこにこ。
罪悪感の一欠片も持っちゃいねぇ。
ごほん、とレドゥアが咳払いをした。
「悪い女王を殺したら、良い治世が行われる、と言うのだな?」
「はいー。きっと、今度は良い女王様がいらっしゃるんですよね?」
クルガンは悩んでいた。目の前の剣士は、女王に敵意がある…んじゃないかなぁ、と思うのだが、牢屋にぶち込むには何かが足りないようにも思う。
「陛下」
許可を得ようと躊躇いがちに口を開くが、やはり女王の手で押し止められる。
「ダークマター」
「はい」
「わたくしは、良い女王だと思いますか?悪い女王だと思いますか?」
ぱちくりと水色の瞳が大きく開かれた。
じーっと見つめて、それからにっこり笑う。
「良い女王様だと思います」
「それは、何故ですか?」
「だって、綺麗だから」
そんなもの、根拠になるか!
4人の心のツッコミは、声には出ていないが足並み揃っていた。
女王は、何もなかったかのように微笑んだ。
「実は、もう悪い女王は倒されたのです。この、クルガンの手によって」
「俺!?…あ、いや、うむ、その通りだ」
素っ頓狂な声を上げかけて、ソフィアの肘鉄を食らい、慌てて重々しく頷くクルガン。
その様子を何か考え込むように見ていたダークマターは、じーっと上目遣いにクルガンを見つめた。
「殺したの?」
「う、うむ、俺がこの手ですっぱりと」
「じゃあ、俺、もう、殺さなくてイイ?」
かくん、と傾げられた首は、どことなくリスなどの小動物を連想させた。
「あぁ、殺す相手がいないからな」
「良かった〜!」
満面の笑みで、キラキラと輝く瞳でクルガンを見つめている。その光は、憧憬とか尊敬とかそういう類のもので、クルガンは落ち着かずにもぞもぞとした。
「他に、彼に質問したい者はおりますか?」
一斉に振られる首。
「では、面接を終了いたしましょう。ダークマター、貴方はまた寝室で休んでいて下さい」
微笑みながら言われ、ダークマターは、自分がものすっごい失言をしたことになど全く気づかず、侍女に案内されて書斎を辞去した。
女王とクイーンガード3人だけになった書斎では、一斉に溜息が漏れた。
「まず、俺の意見を言おう。…あいつは、アホだ」
呻くように言って、額を押さえるクルガン。
「何て、純粋なのかしら……」
うっとりと両手を組むソフィア。まあ、純粋、と言えば純粋かもしれない。
「早急に、ケトス寺院を調査いたします。一体、どの司教があんな教育を施したのやら」
苦虫を噛み潰したような顔でレドゥアが言った。
そして、肝心の女王は。
「わたくしは、彼をクイーンガードとして迎え入れたいと思います」
一瞬、間をおいてから、えーっという悲鳴が上がった。
「アホですよ、あれは!」
「きゃあっ!嬉しいっ!」
「しかしですな、あれは陛下に殺意を抱いている者で…!」
3者3様の叫びを聞いても、女王は動じない。
「大丈夫、彼が殺意を抱いているのは『悪い女王』に対してです。そして、わたくしが『良い女王』である限り、彼の殺意がわたくしに向くことはありません」
「しかしですな…」
「良いではありませんか。敵意も何もかもが分かり易くて。監視もし易いのでしょう?クルガン」
「そ、それはそうですが…」
確かに、敵意を抱いているかどうか分からない奴をクイーンガードとして迎えるよりも、分かり易いと言えば分かり易いが。
「きっと、大丈夫ですわ、陛下。きっと、彼にも陛下の良い治世が理解できます。そうしたら、陛下のために力をふるってくれることでしょう!」
熱弁は良いが、これまでの言動を考えるに、単にあの金髪の剣士が可愛かった、の一言に尽きるソフィアの言葉では、3割引くらいにして聞いておいた方が良い感じであった。
「皆、彼が良きガードとなるよう、指導をお願いしますよ。…彼を見ていると、和むのです」
こそりと付け加えられた最後の一言が、女王の心を端的に表していた。
癒し系、ならぬ、和み系。
こうして、金髪の剣士は、女王のペットとしてクイーンガードに認定されたのであった。
ダークマターは、自分がクイーンガードに認められたと聞いて、飛び上がるほど驚いた。
「え?え?え?!何で!?だって、俺、アホなのに!」
「…自分でも、分かっていたのか…」
苦く言った後、クルガンは何気なしに聞いた。
「クイーンガードになったら、まず何をする?」
「はいっ!悪い女王様を殺しますっ!」
にこにこと自分を見ているダークマターの顔を数秒見つめ、それから思い切り拳骨を落とした。
「痛い〜〜!」
「馬鹿者!悪い女王は俺が殺した、と言っただろうが!」
「え〜!?そうなんですか?じゃ、俺、殺さなくてもイイ?」
「そうだ!…と言っただろうがぁあ!!」
「うわああああん、ごめんなさぁい〜〜!」
どこにいても。
誰が相手でも。
ダークマターの記憶力が酷いことに変わりはなかった。
それから、約1週間。
クルガンの容赦ない鉄拳制裁によって、ようやくダークマターは自分の立場を認識した。
「……さて、聞くぞ」
「はいっ!」
すでに拳骨を落とす体勢で目の据わっているクルガンに、怯えたように首をすくめながらダークマターはそれでも元気良く答えた。
「お前は、クイーンガードになった。さて、何をする?」
「えとえとえと…悪い女王様はもういないので、良い女王様が良い世の中にしてくれる手伝いをします!」
「………」
「えと…また、間違っちゃった…かな?」
えぐえぐと目を潤ませながら見上げる頭に手を乗せると、殴られると思ったのかびくっとしたが、そのまま頭を撫でてやると、途端にほにゃっと笑う。
「よしよし、よく覚えたな」
「えへへへへ」
「ほら、ご褒美だ」
「わーい、食べ物だ〜!」
ほとんど、犬の調教。
何で俺が、とクルガンは思ったが、ソフィアでは躾にならないのは目に見えているし、かといって仮にもクイーンガードを殴れる者は、同じガード以外にはいない。
これが人間だと思うから腹が立つのだ、陛下のためにペットを躾ていると思えば、そう腹は立たない、と割と失礼なことを考えて、自分を納得させたクルガンだった。
さて、これで陛下の前に立っても、いきなり飛びかかることはなくなっただろうと、明日からきちんと出仕しろよと言って立ち去る。
だが、翌日、いつまで経ってもダークマターは現れなかった。
探しに行ったクルガンは、城内の屋上で彼を見つけた。
「馬鹿者!今日は陛下の所に出るよう言っただろうが!」
拳骨を落とす前から涙ぐんでいたダークマターは、ぼろりと涙をこぼした。
「迷子…」
「あ?」
「迷子になってた…ここどこか分かんない…」
しばらく、冷たい風が吹き抜けるのを感じていた。
ようやく立ち直って、クルガンはどうにか声を振り絞った。
「迷子、なのか」
「やっと…自分の部屋と、食堂は覚えたのに…他、分かんない…」
やっぱり、これはアホなのだ、とクルガンは全身脱力しそうなのを辛うじて堪えた。
「分かった…善処しよう……」
そうして、ドゥーハン城内には、ダークマターのためだけに、色分けされた印が廊下の隅に書かれることになった。
ま、白を辿れば執務室に、とか、赤を辿ればクルガンの部屋に、とか言うのを覚えるのに、また2週間ほど要したが。
そんな感じで、ダークマターがクイーンガードとなったは良いが、本当に女王にガードとして就くようになったのは2ヶ月ばかり過ぎた頃であった。
もちろん、その間に、誰がこんな奴を育てたんじゃ!という追求もされてはいたが、ケトス寺院には記録が残っていないのが判明。肝心のダークマターは、隠す気は無いのだが、どーにもこーにも
「えと、司教様ですか?えとー名前は知りません。司教様って呼んでたしー。え?神殿ですか?えっとーえっとー下の方…かなぁ…」
全っ然、役に立たなかったし。
てことで、有耶無耶のうちに、ダークマターはクイーンガードとして勤めていた。
最初こそ、クルガンの監視がびっちり付いていたが(本人は気づいていなかったが)、そのうち本当に『ただのアホ』というのが分かったため、監視も投げやりなものに変わり、ついには誰も付かなくなった。