“トリックの鬼”と言わしめられる『最後の探偵小説作家』横溝正史の作品の中には、雑誌掲載時よりひとつまとめに単行本化される際、加筆、あるいは削除といった作者みずからによって手が入れられて体裁を整えられたものが少なくない。
  いくつかの短編や中編は、更に緻密に練られた装いをまとって長篇化されたものもあり、こういったことは、ひとえに横溝正史が単に“トリックの鬼”であっただけではなく、それ以上にストーリー、小説の根本であるところの『物語り』にこだわりがあったためと考えるのはやぶさかではないと思う。

 角川文庫版『悪魔の手毬唄(昭和51年発行二十版)』の巻末にある大坪直行氏による 解説の一部にある言葉を引用させてもらう(現行文庫版からこういった解説がなくなってしまっているのは、本当に不幸なことであると思わざるを得ない)と、「手毬唄ができないままにトリックを突っ放したままになっていたのだが、手毬唄ができると同時に、わたしは猛烈な勢いでそのトリックを中心として、ストーリーを組立てはじめた。これは江戸川乱歩氏も水谷準君も認めてくれていることだが、ストーリーを組立てることについては、わたしはそうとうの自信をもっている」
のだそうであり、また『本の本(1976年6月号)』という雑誌に掲載されている座談会企画の中でも「僕は草双紙で育った男ですからね。七五調で書いてみろと言われたら書けますよ。捕物帳なんかそれで書けるよ。すぐ出る方だから。だから僕の探偵小説にもそういうところがあるんでしょう。意識して努力するんじゃなしに、そうした方が僕には楽なんだね。…」と語っておられるほどトリック以外にもストーリー、読者に読ませることに対してもまたなみなみならぬ力をいれられていたのではないかと思われるのである。
 このようなことはここで今更書かれることでもないのであろうが、改めて横溝正史の本質は、トリックもさることながら、話し上手、読ませ上手な“作家”なのである …ということが、私をこれほどまでに『悪魔の手毬唄』に入れ込ませる重要な一要因 だと断言できるところである。

 ところで、ここであらためて『悪魔の手毬唄』を引き合いに出すのだが、一般的には『悪魔の手毬唄』には大幅な加筆や削除といったことはされていないということになっている。
 果たして本当にそうなのであろうか…?
 『悪魔の手毬唄』初出連載時の「宝石」に限って言えば、全て入手して手元にはある。挿絵などの初出掲載当時の雰囲気はすでに十分堪能してはいたが、さすがに対比までしてみようとは考えてはいなかった。折角手元に全てそろっているのにしないままで果たしていいのであろうか…。…こういった思いにとらわれてしまうと、やはり 見比べて自分の目で確かめてみるしかあるまい?…という気になってしまう。哀しい性 である。

 結論を先に述べてしまえば、確かに「大幅な」と形容詞がつくような加筆や削除は見られなかった。

 しかし、往々にして語られているように、「小説家にとって、初出雑誌連載は、ある意味連載終了後にまとめられるであろう単行本等と比較すると不完全なものであると言わざるを得ない」といった風潮(月刊なり週刊なりの時間をかけて書き進めていくうちに「あぁ、あそこはこう書いておいた方が適切だった。一つまとめにするのであれば、手直ししよう」とかいった思いなどもあるのでしょう。きっと…)もまた『悪魔の手毬唄』においても例外ではなく、細かなところでは加筆、削除などが見受けることができ、横溝正史の文章へのこだわりの一端を垣間見ることができる。
 あまりにも重箱の隅をつつくような行為になってしまっていないか…との懸念もあるが、これもひとえに敬愛する作家の作品なり文章なりへのこだわりを追求してみるひとつのアプローチであろうと思い、以下にその加筆・削除箇所の比較を並べてみようと思う。
 なお、対比にあたり、使用したテキストは一番普及率が高いのではないかと思われ、私が一番何度も読み返しに使っている上記角川文庫黒背版の物を使い、 以下の点はあえて加筆削除と考えないこととした。

   ●現代語表記による違い(登用漢字の違い、漢字の送り仮名等を含む)
   ●初出誌あるいは比較使用文庫版の誤植と思われる違い
   ●編集上の都合とも思える段落の変更等の違い
   ●誤植か作者の意図か判断にこまるちょっとした言い回し上の一文字だけの違い

 もちろん、本当なら、光文シエラザード文化財団ミステリー文学資料館で、現在生誕百周年を記念しての展示会(2002.10.10特別展は終了)にて展示されている横溝正史自らの手による生原稿(!)との対比でも出来るのなら全くもって言うことがないところであり、また、修正の赤字なども見てみたいところであるが、単なる一ファンにとっては夢のまた夢と思うしかないところなので、残念ながら初出誌の掲載のものを敢えて“オリジナル”と考えることとしていることを断わりとご理解いただきたい。


角川文庫版(昭和51年発行 第二十版)より
 
『宝石』連載時掲載誌より

 プロローグ 鬼首村手毬唄考
 
   加筆・削除 なし

 《第一回》







「どうしたんです。金田一さん、いつやつてきたんです」




それやこれやで怏々として楽しまずという状態でしたが、それから三年ほどたつて亡くなりましたよ」
 第一部 一羽の雀のいうことにゃ

  第一章 村の詐欺師
 
p11/8行目
「どうしたんです。金田一さん、いつおいでんさったんです」
  第二章 グラマー・ガール
 
p27/12行目
それやこれやで怏々として楽しまずという状態でしたが、それから三年ほどたって昭和十年に亡くなりましたよ」
  第三章 亀の湯の人々
 
   加筆・削除 なし
 《第二回》
 




「いいえン、仁礼の旦那はん」


 
 大空ゆかりがかえつてくるというまえの日の夕方、金田一耕助は用事があつて仙人峠をむこうへ越えた。
  第四章 青髯の五番目の妻
 
p44/17行目
「いいえ、仁礼の旦那はん」


p57/12行目
 大空ゆかりがかえってくるというまえの日、すなわち八月十日は昭和十年に死亡した由良の卯太郎旦那の祥月命日とやらで、亀の湯のリカは昼過ぎから法事の手つだいに出向いていったが、その夕方、金田一耕助は用事があって仙人峠をむこうへ越えた。
  第五章 グラマー・ガール故郷へ帰る
 
p61/14行目
いそいで雨戸をいちまいくってみると、外はまぶしいばかりの日ざしである。
 《第三回》


いそいで雨戸をいちまいくつてみると、外はまぶしいばかりの日照りで
ある。

 

おたくのお客さんじやそうじやけん」
  第六章 新盆
 
p79/3行目
おたくのお客さんじゃけん」
  第七章 お庄屋ごろし
 
p90/15行目
お庄屋さんはほんまにおしりんさらなんだふうじゃったんかいなあ、

p91/7行目
「そのために、わたしども夫婦まで、いちじ、ご機嫌を損じていたくらいじゃったけんなあ…」

p94/6行目
おそらく放庵さんは、遁げた妻の名を口に出すさえいまいましく感じていたことだろう。
 《第四回》
 

お庄屋さんはほんまにおしりんさらつたふうじやつたんかいなあ、


「そのために、わたしども夫婦までいちじご機嫌を損じていたくらいじやけに…」


おそらく放庵さんは遁げた妻の名を口に出すさえいまいましさを感じていたことだろう。



「〜たつた二枚だけじやつた、とゆうとりますんじやが…」
 その二枚はわらびとの煮附けにつかわれたものにちがいない。
「あつはつは」
  第八章 山椒魚
 
p113/9行目
「〜たった二枚だけじゃった、とゆうとりますんじゃが…」
 警察でいま調べているのは草庵にのこっていたいなりずしの出所なのである。すしのできぐあいからみて、すし屋で買ったものではなく自家製らしいとおもわれるのだが、それならそれで放庵さんは油揚げをどこかから手に入れたはずである。
 しかし、いま刑事が調べてきたところによると、放庵さんは村の豆腐屋から、油揚げを二枚しか買わなかったという。その二枚がわらびとの煮付けにつかわれたとすると、あのいなりずしは……?
「あっはっは」
  第九章 生きているのか 死んでいるのか
 
   加筆・削除 なし
 《第五回》
 




昭和二十八年三月以降、どこからも多々羅放庵あての送金があつた形跡はなかつた。


警部とさしむかいで二三本ビールをかたづけたあと、
  第十章 枡ではかって漏斗で飲んで
 
p136/4行目
昭和二十八年十二月以降、どこからも多々羅放庵あての送金があった形跡はなかった。

p141/3行目
警部とさしむかいでビールを二本かたづけたあと、
 第二部 二番目の雀のいうことにゃ
  第十一章 炉辺物語
 
p146/1行目
放庵さんの草庵から人喰い沼にそって半丁ほどだらだら坂をのぼったところに、

p158/9行目
「工場へよって酸っぱいやつを一杯ちくとやって、
 《第六回》

 

放庵さんの草庵から人喰い沼にそって十五六間ほどだらだら坂をのぼつたところに、


「工場へよって酸つぱいやつを一本ちくとやつて、
  第十二章 婿あらそい
 
p163/14行目
金田一耕助にとって、はなはだ印象的だった。
 作業服のまえからボタボタと滝のようにしずくを落としながら、

p163/17行目
その視線が嘉平どんの顔におちると、

p166/15行目
いちばん日のながいつじ(頂点の意)は、

p171/14行目
亀の湯の裏門へつきあたるのである。しかし、この十字路に六道の辻という名があることはいままでしらなかった。
「どの葡萄畠へとびこんだんかね」
 《第七回》


金田一耕助にとつては、とても印象的だった。
 作業服のまえからポタポタと滝のようにしずくを落としながら、


れいの視線が嘉平どんの顔におちると、

 
いちばん日のながいつじは、


亀の湯の裏門へつきあたる。
「どの葡萄畠へとびこんだんかね」




ハカリ屋葡萄酒醸造工場は、その十字路(あとでわかつたところによると、その十字路は六道の辻と呼ぶそうな)を半丁ほどのぼつて、大きく丘を左へまがるとすぐ眼の下の山峡にたつていた。



「ほら、左に見えとるんが桜のお大師さんで、そのねきにひときわ大けな家が見えますじやろ。


しょうことなしにお建てんさつたんがいまのおうちですん。まあ、あのくらい不仕合わせなかたもおありんさるまいなあ」



「ところが、旦那、源治郎さんとわしらとはちようど八つちがいですけん、わしが小学校へ入つたとしに、あのひとは高等二年を出た勘定になりますんじや。しかも、あのひと高等を出るとすぐ神戸へおいでんさつたもんじやけん、ほとんどおぼえとおりませんな」


こつちやへかえつておいでんさつてから、ふた月とたたんまの事件じやつたけんな。


なるほど部落からこつちへ通ずる路のとちゆうに、ひとところ大きく崖くずれして、交通をせきとめている個所がある。
  第十三章 活弁青柳史郎
 
p173/7行目
ハカリ屋葡萄酒醸造工場は、六道の辻とよばれるその十字路を半丁ほどのぼって、大きく丘を左へまがるとすぐ眼の下の山峡にたっていた。


p173/15行目
「ほら、左に見えとるんが桜のお大師さんで、そのねき(そばの意)にひときわ大きな家が見えますじゃろ。

p175/15行目
しょうことなしにお移りんさったんがいまのおうちですん。いまのうち、あれもと尼さんが住んどったんですけんどな。まあ、あのくらい不仕合わせなかたもおありんさるまいなあ」

p182/3行目
「ところが、旦那、源治郎さんとわしらとはちょうど六つちがいですけん、わしが小学校へ入ったとしに、あのひとは学校を出た勘定になりますんじゃ。しかも、あのひと小学校を出るとすぐ神戸へおいでんさったもんじゃけん、ほとんどおぼえとおりませんな」

p182/7行目
こっちゃへかえっておいでんさってから、ひと月とたたんまの事件じゃったけんな。

p186/9行目
なるほど、ここからではよく見えないが、崖の出っ張りをめぐったところに電柱がおおきくななめにかしいでいるのは、そこに崖くずれができているのであろう。
  第十四章 痣娘
 
p194/4行目
里子はまたはげしく身ぶるいすると、長い睫毛のさきがしっとりと涙に濡れていた。
 《第八回》

 
里子はまたはげしく身ぶるいすると、長い睫毛をふつさりふせる。ふせた睫毛のさきがしつとりと涙に濡れていた。



まだ梅雨まえでしたけんな」
「お庄屋さんがあたらしく、あれをお建てになつたんですか。」
「いいえ、あそこにはもと尼さんが住んどりましたん。その尼さんが昭和二十三年かにお亡くなりなさつて、
  第十五章 恨みの『モロッコ』
 
p208/7行目
まだ梅雨まえでしたけんな」
「あそこにはもと尼さんがいたそうですね」
「はあ、その尼さんが昭和二十三年かにお亡くなりなさって、
  第十六章 父の死の秘密
 
p220/17行目
村道である。その交叉点に立って丘のほうをみると、崖くずれのために路が交通不能になっているのがはっきりわかる。村道のかたがわは地面が

p230/3行目
わしは虫が好かんな。年齢はわしより五つうえで、いやに達観したような顔はしているが、
 《第九回》
 

村道である。村道のかたがわは地面が




わしは虫が好かんな。いやに達観したような顔はしているが、
 
  十七章 八十三媼
 
   加筆・削除 なし
  十八章 父なし児
 
   加筆・削除 なし
 《第十回》
  第十九章 暴露の第一夜
 
p259/7行目
金田一耕助は視のがさなかった。
 低音のいくらかしゃがれた声に魅力があって、






p264/4行目
「あいては恩田じゃないかっと……」

 《第十一回》


金田一耕助は視のがさなかった。
  君去りし今宵は
   冬の日ちかづけど
  去りにし君かえらず
   枯葉のまいちる
  …………
 低音のいくらかしやがれた声に魅力があつて、


「あいては恩田らしいと……」






 日下部是哉というのは五十前後、いわゆるロマンス・グレーの頭髪を、ふさふさとオール・バックになでつけて、鼻下のひげと顎ひげがひとつになつて、唇のまわりをふちどつている。血色のいい好男子だが、夜だというのに紫色のサングラスをかけているのがちよつとうさんくさい印象をひとにあたえる。
 
 
東京なら宵の口ですよ。どうぞごゆつくり。春江さん」
 
 
「ああ、春江さん、あんたここにいらつしやい。
 
 
「いや、それがね、あつはつは、春江さん、話してもいいかね」
 
 
ゆかりちやん、ありがと。春江さん、いいねえ」


しかも、法律上われわれの結婚にはなんの支障ももないわけです。ただひとつ、春江さんの心中にのこつているしこりをのぞいては……」
「春江さんの心中にのこつているしこりとおつしやると……?」
 
 
 

「ゆかりちやんのパパさんのことですな」
  第二十章 日下部是哉
 
p276/14行目
 日下部是哉というのは五十前後、血色のいい、たくましい肉付きをした男で、ロマンス・グレーの頭髪を、ふさふさとオール・バックになでつけている。満州がえりだということで、ちょっと野性味をかんじさせる好男子だが、夜だというのに紫色のサングラスをかけているのがうさんくさい印象をひとにあたえる。

p277/12行目
東京なら宵の口ですよ。どうぞごゆっくり。ママさん」

p279/4行目
「ああ、ママさん、あんたここにいらっしゃい。

p280/5行目
「いや、それがね、あっはっは、ママさん、話してもいいかね」

p280/10行目
ゆかりちゃん、ありがと。ママさん、いいねえ」

p280/17行目
しかも、法律上われわれの結婚にはなんの支障ももないわけです。戸籍のうえではこのひと、ずうっと独身でとおしたことになってるんですからね。ただひとつ、ママさんの心中にのこっているしこりをのぞいては……」
「ママさんの心中にのこっているしこりとおっしゃると……?」

p281/8行目
「ゆかりちゃんのパパのことですな」
 第三部 三番目の雀のいうことにゃ
  二十一章 大判小判を秤にかけて
 
p288/8行目
帯のあいだへあないな変梃なもんばさしたんは、おまえかときいとるんじゃ」
 《第十二回》


 
帯のあいだへあないなへんてこなもんはさけたんは、おまえかときいとるんじや」




それはきれいな毛糸でかがつたゴム毬である。


五百子は左手でちよつと右の袖口をつまむと、畳のうえでとんとん毬をつきながら、細いがよくとおる声でうたいはじめた。
  第二十二章 お庄屋殺しで寝かされた
 
p312/15行目
それはきれいな毛糸でかがった手毬である。

p312/17行目
五百子はちょっと腰をうかして、左手で右の袖口をつまむと、畳のうえでとんとん毬をつきながら、細いながらもよくとおる声でうたいはじめた。
  二十三章 民間承
 
   加筆・削除 なし
 《第十三回》
 




それじや金田一先生、そろそろ秤屋のお通夜へいつてみようじやありませんか」
 金田一耕助の予想はやつぱり的中していたのである。
  第二十四章 文子の母
 
p339/13行目
それじゃ金田一先生、そろそろ秤屋のお通夜へいってみようじゃありませんか」
「ああ、警部さん、ちょっと待って」
「金田一先生、なにか……?」
「いや、あの山椒魚はまだいるかどうか……」
台所へ出て水瓶のなかをのぞいてみると、そこにはまだあの醜怪な動物がぶきみな肌に底光りをみせて、まるで冬眠でもしているかのようにぴたりと静止してうごかなかった。
「こういう動物は餌がなくとも案外生きているもんですね」
 と、磯川警部はさぐるように金田一耕助の横顔を視ながら、声をひそめて、
「あんたはこの動物にひどく興味をもっておいでんさるようじゃが、こいつがなにかこんどの事件に関係があるとでも……」
 金田一耕助はゆっくり首を左右にふって、
「いや、いまのぼくにはまだわかりません。しかし、放庵さんがこの動物をつかまえてきたのは、ちょうど事件が起ころうとしていたやさきのことなんです。と、すればなにかこいつも事件に一役かっているんじゃないかと……」
 ふたりはしばらく無言のまま、水瓶の底で身動きもしないでいるぶきみな動物を視つめていたが、
「こいつを食うとひどく精力がつくということだが……」
 と、呟く警部の言葉をききながら、金田一耕助は水瓶に蓋をして、 「さあ、それじゃ、警部さん、まいりましょう」
 金田一耕助の予想はやっぱり的中していたのである。
  第二十五章 暴露の第二夜
 
p355/1行目
ええ仲になっとおりましたんじゃ。卯太郎はんが亡うおなりんさって一年ほどのち、昭和十一年ごろのことでしたけんどな。そのとき、むこうもむこうじゃが、
 《第十四回》
 

ええ仲になつとおりましたんじや。そのとき、むこうもむこうじやが、




「その源治郎というひとは、高等二年を出てから村を出ていつたという話ですが、
  第二十六章 金田一耕助神戸へいく
 
p364/3行目
「その源治郎というひとは、小学校を出るとすぐ村を出ていったという話ですが、
  第二十七章 テル・テール・アルバム
 
   加筆・削除 なし
 《第十五回》

 



 たとえ警部が酒に酔つておらず、大いに静励恪勤していたとしても、金田一耕助でさえが里子がねらわれていようとは予想していなかつたようである。
  第二十八章 錠前狂えば鍵あわぬ
 
p391/11行目
 たとえ警部が酒に酔っておらず、大いに静励恪勤していたとしても、こんどの事件は防ぎきれなかったかもしれない。金田一耕助でさえが、里子がねらわれていようとは、予想していなかったようである。
  第二十九章 送り火
 
p412/17行目
「それは大丈夫、私服がひとり見張っているのを見たし、
 《第十六回》

 
「それは大丈夫、私服が二三見張つているのを見たし、




そうすることによつて村はいちじ無警備の状態に放置される。いや、放置されているかのごとき印象を犯人にあたえる。


「それにしても、警部さん、よく寝たもんですねえ。もう夕方の八時ですぜ。
  第三十章 火と水と
 
p417/1行目
そうすることによって村はいちじ無警備の状態に放置されているかのごとき印象を犯人にあたえる。

p428/5行目
「それにしても、警部さん、よく寝たもんですねえ。もう夕方の七時ですぜ。
  第三十一章 最後の驚愕
 
p430/7行目
……しかし、なんでしたらどんどん質問してくださってもけっこうですよ」

p431/1行目
亀の湯のおかみじゃとしっておいでんさったらしいちゅうのんですが、
 《完結篇(第十七回)》 


……しかし、なんでしたらどんな質問してくださつてもけつこうですよ」


亀の湯のおかみじやとしておいでんさつたらしいちゆうのんですが、
  第三十二章 金田一耕助憶測す
 
   加筆・削除 なし
 プロローグ ちょっと一貫貸しました
 
   加筆・削除 なし

 かくして、比較を終え、果たして何がわかったか…と問われても、答えに窮するが、なるほど、横溝正史ほどの巨匠にしてから、ちょっとした台詞一つにも気を配っていたのだなぁ…と唸らざるを得ない部分もあり、ちょっとした興奮を味わえたのは確かである。
 読者に対して、より分かりやすく、時代の関係や、場所の描写などにも心配りが感じられ、感動的ですらある。
 …日下部是哉の髯の描写などは、思わず笑ってしまった。

 果たして、これだけの加筆・削除は多いと感じるべきなのか、少ないと思うべきなのか…。

 この比較は、あくまでも初出掲載誌のモノと角川文庫版のモノとの比較に過ぎず、拙HP『悪魔の手毬唄 収録書籍表紙図版集』のページにもあるように、
この間には時代を経ていくつもの書籍化があり、果たしてどの段階で横溝正史が手を入れたのかまでは、完全に確認されていないのである。
 事実、最初の単行本化であるところの、昭和34年発行の講談社刊行のモノともまた見比べてみると、この段階で、ほとんど角川文庫版と変わりないのであるが、第五章のところの、“まぶしいばかりの日照りである。”は『日照り』のままで、まだ『日ざし』にはなっていない。
  …こうして一ケ所でも違っているところがあると、また全て比較見直しをしなければならないのか…とも思わないでもないが、さすがに、あまりにも意味のないことのようにも思えるし、実際問題として、すべての『悪魔の手毬唄』書籍を持っているわけでもないのですんなりと諦めることにする。ま、そこまでする意味もないでしょうし。
 それに、何度も読み返していたはずの角川文庫版でさえ、今回の比較作業をして初めて誤植が数カ所あることに気付いたくらいなのであるから、はたしてこれ以上の作業で、どれだけ正確なデータがもとめられるかも、疑問がないわけでもない。
 ともあれ、現行通常店頭購入可能書籍であるところの、角川文庫最新版では、さらに 『本文中には、今日の人権擁護の見地に照らして、不当・不適切と思われる語句や表現がありますが、作品発表時の時代的背景と文学性を考えあわせ、著作権継承者の了解を得た上で、一部を編集部の責任において改めるにとどめました。』と、横溝正史以外の人物による手が加えられてしまっているのであるからして、この作業をここまでとし、「こんなこともあったのか…」と思うに留めておいても何の問題もあるまい。
 
 加えて言うならば、今回の比較にあわせて、角川文庫版の方に各章の小見出しを併記してみた(初出連載時も同様の小見出しは当然ついているが、旧漢字で、一部該当漢字変換が見つけられなかったので、敢えて全てを省略しました)。
 佐野 洋 氏の『推理日記 III 』に掲載されている「追悼・横溝正史」というエッセイにこんな一文がある。

 (略)横溝さんから言われた言葉だけは、はっきりと覚えている。
「ぼくは佐野君に注目しているんだよ。それはね、君の『完全試合』、まだ読んでいないんだが、目次に趣向をこらしているね。趣向というのは、遊びの精神で、探偵小説には一番必要なものだと思うんだ。だから、目次を見たとき、ああこの新人は、探偵小説を知っているな、と思ったんだよ」
 このようなことを横溝さんは、穏やかな笑みを浮かべて言ってくださった。

 なるほど、横溝正史の作品のほとんどは、章立ての小見出しがある。例外的に幾つかの作品にないものもあるが…。
 これも、氏の言葉通りであるならば、文章へのこだわり同様、読者へのサービス精神の賜物、遊び心であり、簡単に無視して済ましていいものではなかったのだなぁ…とあらためて、反省を込めて、載せてみました。


■□■□■□■□■ 以下のHP等でも横溝正史作品の加筆・削除について、より詳しく見ることができます。■□■□■□■□■

横溝正史エンサイクロペディア  http://member.nifty.ne.jp/jiichi_kakeya/ys_pedia/ys_pedia_index.html

金田一耕助博物館  http://www.yokomizo.to/