<序>
前回の岡山旅行からわずか三ヶ月。よもやこれ程短期間のうちにもう一度岡山へ行くことになるとは、思ってもいなかった。
前の旅行で、渡ることのできなかった島、見ることの叶わなかった鍾乳洞等々、見て廻ることのできなかった岡山への思いは完全に満たされきれていなかったのは確かだが、それにしても、まさかまたこれ程早く行こうということになるとは…。
もっとも、この一月あまりの間で自分自身の状況もちょっと変わった。
よりによって、HPを立ち上げてしまったのである。その内容はご覧いただいているとおりである。
他の横溝正史/金田一耕助ファンの人たちのHPを覗いたり、掲示板にちょっと書き込みさせてもらっているくらいならまだしも、わざわざ自分でHPをつくるなどということまでして、横溝正史生誕百周年を祝いたいと、自分で火を煽って強くしてしまったりしているのだから仕方ない。
折もおり、前回の旅行であれほど楽しませてくれた真備町では、『名探偵金田一耕助ミステリーラリー』なるイベントも実施され、また、某横溝系サイトの主催で行なわれた岡山オフにからんで、ちょっとした古本に関してのお話などもいただいたり、さらにはこういった横溝正史ワールドとはなんの関係もないことではあるのだが、ちょっとした用事が関西方面にあったりもしたので、こうなるとやはり夏休みを利用してもう一度岡山に行くっきゃないでしょう。…ということになってしまうのである。私の場合。
ところで、前回の旅行の時には知らないでいたことを、旅行の後に気がつき、残念に思うといったことは粗忽者であるところの私にはよくあることなのである。前回の旅行の時は、まだ「横溝正史に捧ぐ新世紀からの手紙」という本は出版されていなかった。購入、読了して驚いた。
これまで、横溝正史自身による『悪魔の手毬唄』における鬼首村に関しての言葉というのはほとんどお目にかかることはなかった。いや、横溝正史自身の言葉に関わらず、なぜか『手毬唄』というのは他の代表作と言われている作品に比べて書かれているものか少ない。なんでだろ?
ともあれ、「横溝正史に捧ぐ新世紀からの手紙」で発見した驚いた一節というのは、あの鬼首村は戦時下疎開していた岡田村を念頭に書かれていたという部分なのである。
う〜む。そうだったのかぁ…。そう言われてみると、なるほどなぁと感じないところもないわけではない。
あの溜め池は…。とすると、人喰い沼は…。
『手毬唄』好きを自認する者としては、こうと聞いてはもう一度そういったことも頭におきながら岡田村…真備町へ行ってみなければ…と思ったことは言うまでもない。と、したら、やっぱり、作品設定にあわせて、お盆に行ってみるのはどうだろう。夏の岡山県を体験せずに、横溝正史ワールドと体験してきたなどと言ってられないじゃないか…。
決めっ!!
単純な男である。
前にも書いたが、元々が独り旅…それもキチンと計画しての旅行ではなく、ほとんど“放浪”といってもいいような行き当たりばったりの旅行が好きで、時折あちらこちらへと愛車で出掛けて行っては一泊、時には二泊と宿の予約も入れずに飛び込み素泊まりで宿泊先を確保して、観光旅行者向けというよりは地元の人が集まるような呑み屋や食堂で食事するといった楽しみ方ばかりをしてきたので、今回の旅行も予約は無し。大体のところを横溝/金田一ファンの方々のHPなどで勉強させてもらってポイントを押つつも、おおかたは行ってみてからの成り行きまかせで行ってみようということに決めたのである。
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