(六)
カップを両手で包むようにコーヒーを一口飲ながら、唖然としている私の顔を見ている由里子の顔にはどこか哀しさみたいなものを漂わせていた。
「里子が…犯人?」
私にはそう言うだけが精一杯だった。由里子はカップをテーブルの上に置くと軽い溜め息を洩らしてから言葉を続けた。
「それに気が付いたリカが里子の犯行を止めようとして、結果里子を殺してしまった。…母親としては、里子が泰子、文子、放庵殺しの犯人だということが発覚するよりは、自分であれば23年前にも自分の夫を殺してしまっていることもあるし、すべての罪を背負って犯人であるように見せ掛けて自殺…すれば、少なくても里子の罪だけは隠すことができるんじゃないか…と思ってのことじゃないかしら」
「そんなことって…。…あ、でも、それって無理がありゃしないか?」
「無理?」
「だって、里子が泰子、文子、放庵の三人を殺したっていうけど、泰子を誘い出した老婆を目撃しているのは里子とお幹なんだぜ。リカが老婆に扮して泰子を誘い出した以上に無理があるだろ…」
由里子は憂いを帯びた表情のまま、唇の端だけほんの少し持ち上げるように微笑みらしきものを浮かべた。その顔を見て気が付いたのだが、例えば推理小説ファン同士がこういった“推理”の披露みたいなことをして楽しむようなときは、もっと嬉々として楽しそうに話しをするものなのではないか…?なのに、この由里子の暗鬱そうな表情といったらまるでそんな“楽しさ”みたいなものとは関係なさそうであり、話しを進めていくうちに段々と暗く沈んでいくようなのである。ただの“楽しみ”での話しでないとするのなら、一体なぜこのような“推理”が由里子にとって必要なのか…。
このまま由里子の“推理”を最後まで聞き終えれば、その理由がわかるのだろうか…。それとも、もうこの辺でやめさせて、この“推理”のことは棚上げにしてしまった方がいいのでなないのだろうか…とも考えたが、由里子の思いつめたような瞳と、由里子の“推理”を最後まで聞いてみたいという誘惑には勝てなかった。
「里子が泰子殺しの犯人だと言うからには、この老婆のことも説明してくれるんだろうね」
「説明も何も、答えはさっき木村さんが自分で言ってたのよ」
「オレが?」
「そう。…いくら老婆にばけて犯人を放庵かもしれないと見せ掛けようとしていたからって、怪しい老婆に化けて村の中を歩きまわってたんだとしたら、いつどこで誰に会うともわからないのに、危険じゃないかって」
「?…それって、リカが犯人だとしたら、ちょっとおかしく思わないかって言ったことだろ…」
「同じことでしょ。誰が犯人であっても、わざわざ怪しい人物にばけて村の中を歩くなんて、殺人を計画している犯人がしそうもないことだと思わない?」
「そりゃ、そう思うからこそおかしいんじゃないかって言ったんだけど…」
「だから、老婆なんていなかったのよ」
「いなかった?!」
「そう、だって、この老婆目撃証言って、里子からのものでしょ。里子が犯人ならそれくらいの嘘…ううん、嘘じゃなくて、捜査を混乱させるための偽証言ね。するはずでしょ」
「偽証?…じゃぁ、お幹は共犯だとでも言うの?」
「お幹は、老婆を見たように思い込まされていただけじゃないかしら」
「思い込まされていたぁ?」
由里子はテーブルの上に置かれていた『悪魔の手毬唄』を手にとり、パラパラとページを捲って目的のページを開きながら続けた。 「…里子のこの証言が一番あたしもわからなかったのよ。木村さんが言ってたみたいに、リカは金田一耕助と磯川警部を送り出すまで亀の湯にいたわけでしょ。だからそれから慌ててお陣屋へ先回りして泰子を誘い出すのは無理じゃないかって言ってたのよね。…それだけじゃなくて、リカがその時間まで亀の湯にいたのなら辰蔵の証言にあった枡と漏斗を見つけて持って帰った後、また工場までどうやって枡と漏斗を取りにいってこれたのかしら…。辰蔵の証言では枡と漏斗を見つけたのが八時半くらいじゃないかって言ってるの。金田一耕助と磯川警部が亀の湯を出たのが八時ちょっと過ぎで、それから泰子の姿が見えなくなって探し始めたのが九時頃だから、リカが犯人だとしたら泰子を誘い出す前に葡萄酒工場までも立ち寄らなきゃいけなくなっちゃうわけ。…やっぱり時間的に考えると無理がありそうよね。で、じゃぁ、リカが犯人じゃないとしたら、里子の証言した怪しい老婆って誰なんだろって思ったの。でも、木村さんも言ってたみたいに、犯人がリカじゃない他の誰にしたところで、わざわざ怪しい老婆に変装して村の中を歩いているなんて変でしょ。自分から『これから事件をおこします』って宣伝しているようなものだものね。そう思ったら、もしかしたら里子の証言自体が嘘臭く思えたの。そんな老婆はいなかったんじゃないかって。…そう思って里子の証言のところを読み返してみたら、おもしろいことに気が付いたの」
「おもしろいこと?」
「里子とお幹が泰子と老婆に会ったと言っているのは最初に泰子が発見される前に金田一耕助と磯川警部が後から追い付いたところで一回と、泰子が発見されてから亀の湯で事情聴取された時の二回あるんだけど、まず最初のところでは、こう書いてあるの…歌名雄が『それはそうとお幹、泰子さん、しらんか。このあと泰子さんと文子さんの出番やのに、泰子さんどこかいいてしまいよって』と尋ねて、『それにたいしてお幹さんが林のおくを指さしてなにか答えると、』って地の文であって、『なんやて!』っていう五郎の声に続くの。それから金田一耕助と磯川警部が追い付いて、磯川警部が『それ、どういう話かな。だれかお婆さんが、泰子さんをどこかへつれていったのかな』って尋ねると、その後にはまた地の文で『それにたいしてお幹が答えたところによると、彼女と里子はここへくる途中、泰子と出会ってすれちがったというのである』って書いてあるわけ。おもしろいでしょ?」
「…」
「わからないかな…。最初のここではお幹の台詞としてキチンと『泰子と老婆を見ました』って書かれていないの。…なぜ、泰子を見なかったかという質問の方とか、『なんやて!』なんて素っ頓狂な声をキチンと書いておきながら、お幹なり里子なりの発言は地の文になってるのかなって思わない?…だって、むしろその言葉の方がここでは重要なはずじゃない。それなのにその大事な言葉を地の文にしてあって、まるであやふやにしているように思えない?」
テーブルの上に開いて置かれた『悪魔の手毬唄』を見ると確かに由里子の言うとおりであったが、だからと言ってそれのどこが“おもしろい”のかまではわからなかった。
「それから二度目の事情聴取の時はこうなってるわ。…先に一通り里子への質疑応答があって、里子が老婆のことを話した後に『お幹さん、君はどうかね。そのけったいなばあさんの顔は…?』って問われて『いいえ、わたしも里ちゃんとおなじでござります』と、お幹はことばすくなに里子の申し立てに同意を示した。』ってあって、その後は『お幹、おまえはどうじゃ。泰子がなにかお庄屋さんのことゆうとるのを聞きやせなんだか』って言われて『はい、あの、それが…』って『すっかり逆上気味で、おどおどと緊張した一同の顔をみまわしながら、『そうおいいんさったら、たしかにそうでござりましたん』となるわけ。…その後はもっと凄いわね。里子がこらえきれずに泣き出すとそれに誘われたように、『お幹さんまで、それというのもわたしが悪いからでございましす。わたしがぼんやりしていたばっかりに…と、俄然、こんどの事件の全責任は、すべてじぶんにあるようなことをいいだして、』って大騒ぎになっちゃうのよ。…ここでもお幹のハッキリとした証言といえるものはないわけ。それどころかすっかりパニックになって、自分が全て悪いなんて言い出す始末だもの…。…でね、こんな性格のお幹さんなんだから、里子と二人で何度も人目を避けるように“かくれんぼ”しながら歩いてきたところで、里子がまたお幹を木立の後ろに引き連れて隠れた後に『あら、あれ泰っちゃんやなかったかしら…。変なおばあさんといっしょに向こうへ行ったん…』とか言ってさも泰子と老婆がいっしょにいたように思いこませることもできるんじゃないかしらって思ったの」
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