(二)

襟裳屋様

 拝啓 先日は不躾なメールにも関わらず、御丁寧な返信ありがとうございました。

 御指摘いただきました『黒猫亭事件』にある記述の

「因縁をつけに来たんですよ」
 と、そう言って面白そうに笑った。


 といった箇所もまた興味深く思えます。おっしゃられるように、なるほど、これが、金田一さんと伝記作者であられる横溝先生との出会いであれば、「本陣殺人事件」ではなしえなかった、事件を小説という形で公表する際にその材料の語るべき要素と、或いは語られるべきでない要素の選択もまたここで初めてお二人の間での決めごととして話しあわれたのかもしれず、そういった意味合いもあって『因縁』などという物々しい言葉もあったのではないか、そして、それがお二人の出会い直前にあった『獄門島』の事件を小説にする際への配慮でもあったのかもしれないという襟裳屋様の御意見を拝見させていただき、メールさせていただいてよかったと嬉しく思っております。
 「事件解決後に残されることになる人たちのことを慮って」という部分への、御意見にも本当に驚きました。確かに、大団円直前の章の見出しが『封建的な、あまりにも封建的な』とあって、その『封建的な』ものを壊すための象徴としてこのすぐ後の早苗さんの言葉にある

島も革命ならば日本も革命、

 という言葉の『革命』という言葉に、将来への希望を託していて、その為の配慮という意味で小説の中には語られなかった部分もあるのかもしれないということまではこれまで考えていませんでした。
 まだまだ考え足らずでお恥ずかしいのですが、折角のお言葉ですので、もう少しだけ私の想像をお話させていただきます。

 千万太さんの存在という一つの疑問について、先のメールではお話させていただきましたが、もう一つどうしても気になるのが、やはりあまり語られていない一さんの存在です。
 もちろん小説としては、謎めかして書かれなければ、事件の根底にある謎までも中途半端にぼやけてしまうので成り立たなくなってしまうのかもしれず、そういった意味でも明確に書かれなかったというのも仕方なかったのかもしれません。
 しかし、果たして、本当に和尚さんの言われるように条件がそろわねば三人の娘たちは
殺されなかったかもしれないのであれば、ただ(後に復員詐欺とわかった)戦友と名乗るだけの男が「いずれ次の便か次のつぎの便で帰るから…」との伝言を持って来たというだけで、本人の生還を待たずに、さっさと三人娘殺害に踏み切れるものなのでしょうか。
 確かに、一さんが帰られてからであれば、三人娘殺害の動機の一番の理由として本鬼頭の遺産相続があげられ、一さんにもいらぬ 嫌疑がかけられてしまうといったおそれもあるかもしれません。しかし、一さんが戻られてからであっても、一さんに完璧なアリバイがあり、なおかつ犯行自体は和尚さんたちの手によるものであれば、よもや本鬼頭の家督を継がせるために後見者たちが娘たちを殺したなどという動機など、普通 であれば思い付かないところでしょうから、一さんにとっても、本鬼頭にとっても問題はなかったはずです。
 それでありながら、一さんの生還を待たずに和尚さんは犯行に踏み切った。あれほどまで巧緻に長けた犯行を犯せるほどの和尚さんともあろう人が、僅か数日後にはあるやもしれない、本人の帰還という現実の確認を待つこともしなかったのはなぜなのでしょう。
 そう考えると、和尚さんの告白にある「条件がそろわねば三人の娘たちは殺されなかった」という言葉も、言葉どおり受け取っていいのだろうかと疑えなくもありません。
 そして、そういった疑念はもう一つの疑問へとつながっていくのです。

 もう一つの疑問とは、和尚さんは本当に最後まで一さんの生存を信じていて、それが覆されたが為にあのような最期を迎えられたのかということです。
 小説の中ではあまりにもさらりと書かれてしまっているのと、いよいよ事件解明という大舞台の直前なので、見落とされがちになってしまいそうですが、和尚さんの言葉にその疑問が秘められています。

「和尚さん、了沢君はどうしました」
「了沢かな。あれは分鬼頭へあいさつにやりました。なんとゆうてもこれからは、儀兵衛どんのうしろ楯をたのまねばならんからの。


 なぜ分鬼頭のうしろ楯をたのまねばならなかったのでしょう。
 和尚さんたちは、一さんの帰還を信じ、一さんに本鬼頭の相続をさせる為に三人の娘たちを殺したはずです。それほどまでの思いがありながら、寺の後見を今後は分鬼頭に頼まねばならないのはなぜか。いずれ戻り本鬼頭を継ぐ一さんに寺のうしろ楯を頼めば良いはずなのに、なぜそうしなかったのか。一さんという人はそれほどまでに信頼のおけない方だったのでしょうか。そんなことは無いはずです。いくら嘉右衛門さんの遺言があったとしても信頼のおけない人の為にわざわざ人を殺めてまで、家督相続の筋道をたててやることまではしないでしょう。本鬼頭を相続しうるだけの人物であればこそ、三人の娘を手にかけたはずです。
 それでありながら小説中では、一さんの訃報を聞く前に、了沢さんの後見を分鬼頭に頼まねばならないとおっしゃられているのには、本鬼頭はこの先後見として成り立たないという可能性をこの時点ですでに和尚さんが考えておられたという他ないとしか思えません。
 確かに一さんが戻られ本鬼頭の家督をすぐ継いだとしても、いくら『本鬼頭』の名前があるとはいえ一さんもまだ若く、分鬼頭の儀兵衛さんと対等に渡り合うことなどかなうはずもなく、一時は本鬼頭も分鬼頭に押されてしまうかもしれないとお考えになったのかもしれません。しかし、それだとはいえ、儀兵衛さんもすでにお若いという年令ではなく、いずれ亡くなれば分鬼頭もまた後継者には恵まれていないのですから、その時になればまた一さんの天下となるかもしれず、なによりもこれまでの本鬼頭と寺の関係を考えれば、そんな一さんを支えてやってこそといった考え方の方が和尚さんのような方のお考えになることなのではないでしょうか。
 そう考えると、和尚さんは一さんの生還もまた無いのではないかと考え、一さん亡き場合後を継ぐのは三人の娘をこの場合考えないでおくと実質早苗さんにおいて無いわけですが、いくら戦時下の本鬼頭を支えてきたとはいえ、所詮女の早苗さんでは、本鬼頭の家は継ぐことはできても、網元としては、これまでの本鬼頭の勢力を維持しきれまい。というような思いが和尚さんにはあったのではないかと考えられなくもありません。そういった考えであれば、寺の後見を分鬼頭に頼みに行かすことも有り得ないことでは無いように思えます。

 それでは、小説中に書かれているあの和尚さんの最期は一体なんだったのでしょうか。
 読む限りにおいては、一さんの戦死を知り、狂った情念に突き動かされた行動を取らざるを得なかったにも関わらず、運命のいたずらに翻弄されていたことに高揚しすぎた挙げ句のショック死のように語られています。
 しかし、和尚さんが一さんの帰還も無いものと考えていたなら、それもまた矛盾が残るところです。

 先に、
千万太さんの遺志が書かれなかったのは、事件解決後に残されることになる人たちのことを慮ってのことなのではないかという想像をお話させていただきました。和尚さんのこの往生もまた同じことで、このような形にすることによって、“和尚さんもまた一さんの生還を信じておられての犯行だった”というように思わせるための小説的な配慮だったのではないのでしょうか。
 それでは、その配慮は誰へのものだったのでしょう。
 和尚さんほどの方の最期まで手を加えられてまで守られようとする人物。これもまた早苗さんを指し示しているようにしか思えません。

 こうして書いてしまいますと、あたかも、襟裳屋様が「幻の中の女」の中で語られておられるような『真犯人』と同じような印象で早苗さんのことを言っているように思われてしまうかもしれませんが、
そうではないのです。
 三人の娘たちの殺害も復員服の海賊の殺害事件も、そのどれ一つ取ってみても早苗さんが手を下したといったことだけは少しも考えておりませんし、事件そのものはあくまでも小説中に語られているまま受け止めるしか私にはでません。
 しかし、これまでお話させていただいてきたように、いくつかの疑問の裏にありそうな『何か』を見ようとすると、その行き先には必ず早苗さんがいるように思えてしかたないのです。

 しかし、早苗さんの行動事体にも気になるところがあります。

「それでもあなたはやっぱり気になって、今夜の山狩りへ出かけていかれたんですね。いや、そればかりじゃない。あの座敷牢を開いて、病人を外へ出したのもあなたでしょう」
 早苗ははっとしたように耕助の顔を見たが、すぐしょんぼりとうなだれた。
「あなたは利口なひとだ。もしあれが兄さんであった場合のことを考えて、疑いをほかへそらすために、気ちがいを外へ開放されたんですね。だが、そんな小細工をするよりも、あれが兄さんかどうか確かめてさえいてくれたら……」


 早苗さんは、この金田一さんの言葉に肯定も否定もせず、ただ「耕助さん」と突然名前で呼ぶといった意表をつく行動の後、続けて海賊の男の正体を訊ねています。
 私が不思議に思うのは、何も突然に「耕助さん」などと名前を呼んだりするところではなく、金田一さんの言葉の方にあるのです。
 金田一さんは、『疑いをほかへそらすために』与三松さんを早苗さんが座敷牢からだしたとおっしゃられていますが、果 たしてそうなのでしょうか。
 “キちがい”の問題は、和尚さんのつぶやきを聞いた金田一さんお一人が抱えておられる問題なのです。だから、現実に与三松さんが座敷牢から出たとしてもそのことを、花子さん雪枝さん殺害の容疑者であったり、この座敷牢から与三松さんが出た時間とたまたま偶然に行われ、およそ早苗さんには想像もできなかったであろうはずの復員服の海賊殺害の犯人として、与三松さんとを“キちがい”のことなど何も知らない警察に結びつけて考えられる可能性は、はたしてどれくらいあったのでしょうか。ただ単にまともな精神状態でない者が、島の中にいたとしても、それだけで全ての犯行に結び付けて、与三松さんを容疑者扱いすることもないでしょう。
 付け加えるならば、小説で読む限り、早苗さんもまた、金田一さんが囚われている“キちがい”の問題のことなど知ることはできていないのです。

 それでありながら、金田一さんが『小細工』とおっしゃるように、与三松さんを座敷牢から出したのが果 たして本当に早苗さんなのなら、それは何故なのでしょう。
 もっと単純に、花子さん雪枝さん殺害の容疑者であったり、復員服の海賊殺害といったものへのミスリードとは関係なく、ただ単に与三松さんを牢から出さねばならない理由というものがあるとしたら、それはどういったものなのでしょう。
 与三松さんが座敷牢から出されたのは、月代さん殺害の夜であり、月代さんが「一つ家」で殺害されなければ見立てが成り立たないのであれば、犯人もまた同じ本鬼頭内にいなければ殺害はできないのです。この犯人にとってもう一つ本鬼頭内にいてなし得ること。すなわち、与三松さん殺害の計画があり、その計画から与三松さんの身を守るために、本鬼頭の中から表に逃がしたという考えはどうでしょう。
 考えてみてください。三人娘殺害は、あくまでも、千万太さん亡き後、一さんに本鬼頭の家督を継がせるためという大前提があるのです。しかし、気こそ違えていても、与三松さんは、紛れも無く嘉右衛門さんの実子であり、千万太さんの父親。本鬼頭の継承者の一人でもあるのです。
 これが、千万太さんが本鬼頭を継ぐのであれば、実子でもあり、これまでどおり、父である与三松さんは座敷牢の中で隠匿生活を続けられたのかもしれませんが、血筋だけで言えば、本鬼頭にしてみれば直系でもなくいとこでしかない一さんが継ぐことになるとした場合、やはり、島のような閉鎖的なところであれば、現実問題はともあれ、口さがない者にしてみれば、本鬼頭を乗っ取ったと悪評を振りまく者もでないとも限りません。であれば、万全を期して、いっそのこと三人の娘を全て亡きものとした暁には、与三松さんにもまた同じ運命をたどってもらった方がすんなりと一さんが本鬼頭の跡目を継承できるという考えがあってもおかしくはないようにすら思えます。
 もし仮に、そのような計画があり、与三松さんを守るために座敷牢から出したのだとしたら、なぜそのままそう書かれることなく、『小細工』などと言われているままなのでしょう。
 それは、早苗さんが、与三松さんを助ける為に牢から逃がしたということであれば、与三松さん殺害を予期していたことを意味してしまい、つまるところ、三人娘殺害に関しても何らかを知っていたのではないかとの疑いをもたれてしまうことになりかねないからです。

 ここでもまた『早苗さんを守るため』といった印象に行き当たってしまいます。
 元々、私が最初からそういった印象を持ったまま見てしまっているせいかもしれませんが、何度読み返してみても、いえ、読み返せば読み返すほど、この『獄門島』のなかでの早苗さんの書かれ方は、事件とはできるだけ距離をおいたような書かれ方をされているような気がして、『守られて』いるような印象が強くなってしかたないのです。
 いえ、守られているのは、あるいは早苗さんなのではなく、早苗さんという女性をとおして、島の封建的な因襲や時代といったものを打ち壊す『革命』をもたらす新しい時代への希望なのかもしれません。

 私の場合、襟裳屋様のように細かく検証しているわけではなく、いくつかの想像だけの思い付きのようなものばかりですので、或いは細部に関しては私の印象とは相容れないものもあるかもしれません。しかし、早苗さんが三人の娘が殺されるであろうことを知っていたのではと思わせるような細かな謎は他にもいくつか見受けられます。

 たとえば、雪枝さんの吊り鐘がそうです。
 本鬼頭の蔵のなかにあったはずの芝居道具の吊り鐘。本鬼頭の蔵の管理をしていたのは誰なのでしょう。
 何時、あの作り物の吊り鐘が天狗の鼻に運ばれたかも気に掛かるところですが、それよりも、人が入れるほどの大きさのものが蔵から出されるのであれば、蔵を管理していたものが気がつかないというのもおかしな話しです。しかし、吊り鐘のトリックによって時間経過の解明がされただけで、そういったことには全く触れられていません。
 月代さんの首にまかれた反のまま染めさせてある日本てぬぐいが本鬼頭のどこにあるのか。誰よりもそのことを知っているのは誰でしょう。
 花子さんが家を出たであろうと思われている時間、お勝さんは雪枝さんと月代さんのお召し変えを手伝っています。その時、花子さんが家を出て行くのを見ていられたかもしれないのは、本鬼頭にあと誰がいたでしょう。

 
早苗さんは、復員服の海賊が殺害されたあと、金田一さんに問いつめられると

だいいち、あのときちらと見た人が、兄かどうか確信が持てませんでした。夜はすべての猫が灰色に見える、ええそうですわ。いったんはあたし、兄さんと思いました。いいえ、現に小声で、兄さん?と呼んでみたんです。でもそのひとすぐ顔をそむけて逃げ出したので、ハッキリ確かめることはできませんでした。そして、そのことがあたしを苦しめたんですわ。

 と、お答えになられていますが、この場面を早苗さんの立場からでない向きからはどのように書かれていたでしょう。

そのときだった。突然、奥のほうでけたたましい悲鳴のようなものがきこえた。たしかに、早苗の声らしかった。おりがおりだけに、一同はぎょっと腰をうかしかけたが、それにつづいてきこえてきた、床を踏み鳴らすような物音と、野獣のようなうなり声をきくと、かえって腰をおちつけて、

 とあります。あまりにも不自然なほどの食い違いかたです。
 早苗さんがおっしゃられているように、不審者に驚いて悲鳴をあげ、そのあとで不審者を一さんかもと思ったがために
、与三松さんをわざわざ興奮させて物音をたてさせて、その声に注意を向けさせるということをわざわざしたのでしょうか。『悲鳴』であって、不審者に「きゃっ!」と驚く程度のことではなかったのです。そのような後に、小声で「兄さん?」と問い正していたのでしょうか。「悲鳴のような」という言葉と「現に小声で」の間にあるギャップは、私のなかでは符に落ちないものとして残ってしまいます。この早苗さんの証言は取ってつけたようなものとしか思えないのです。
 この早苗さんの証言に疑わしいものを感じてしまうと、復員服の海賊に風呂敷に包んだ荷物を盗ませやすいように準備していたというのも、兄への思いからではなく、単にこの復員服の海賊が一さんなのではないかと考えているという謎を常に提示し続けていたいが為のように思えてなりません。 、

花子の死体がかつぎこまれたときの、早苗の態度こそあっぱれであった。


 といわれるほど落ち着いてみせていた早苗さんでありながら、そのすぐ後に「千万太さんの葬式もまた延ばさねばなるまいな」という村長の言葉を聞くなり、

儀兵衛さんやお志保さんはどうですの。あのひとたちは……。あのひとたちなら……


 などと、およそ早苗さんらしからぬ発言をして和尚さんに一喝されています。それまでの必死に支えてきた平常心がここにきて切れてしまっての不用意な発言にすぎないと考えるのが自然なのかもしれませんが、この発言も必要以上に困惑をまねくための台詞のようにもみえるというと言い過ぎでしょうか。

 こうしていくつもの疑問を並べてみても、前にも書きましたように早苗さんが三人の娘を殺した犯人だとは思えません。早苗さんが犯人であれば、『見立て』の必然はないのですから。三人を殺害したのはあくまでも小説にあるように和尚さんたちであり、そのうえ、犯人である三人とは直接連動していないところで行われている不可解な黙認者である早苗さんの行動が事件を一層謎めいたものとし、金田一さんを困惑させたのではないでしょうか。

 あまりにも長くなりすぎましたので、最後にもう一つだけ私の想像…いえ、空想をお話させていただいておしまいにします。

 何の根拠も無い空想に過ぎませんが、千万太さんがもし無事帰還されていれば、早苗さんと結婚され、いっしょにこれからの新しい本鬼頭を作って行こうといった約束が二人の間にかわされていたのではないか…という気がしてならないのです。
 しかし、戦争は早苗さんの運命を大きく狂わしました。帰って来てくれさえすれば、いっしょにこれからの島の未来を語ることもできるはずだったのに、もうそれは叶えられぬ 夢と消えてしまい、残されたのは、二人で守ろうと話していたであろう『本鬼頭』という家です。
 そのあまりにも残酷な宣言ともいえる訃報を持って来たのが金田一さんです。
 千万太さんの訃報を始めて聞かされた時の早苗さんの様子は小説の中では不思議と触れられていません。自分が帰れぬ という報を千万太さんに代わって島に持って現われた男に対して、早苗さんの心中はどのような気持ちだったのでしょう。金田一さんに対して恨みがましく思う筋こそないとはいえ、心安いものではないように思えます。ましてや、そのメッセンジャーが犯罪捜査のエキスパートで、これから行われるやもしれぬ “家督相続のために仕方なく殺される三人姉妹殺害”という行為の障害になるやもしれぬ のですから、一抹の警戒心もまたあったのではないでしょうか。
 更に、そういった人物を島に送ってきた千万太さんの遺志にもまた疑念を抱くことになったのかもしれません。
 もちろん、千万太さんは出征前に、将来の約束を取り交わした早苗さんには、万が一のことも考え、祖父である嘉右衛門さんの口から聞かされた忌わしい計画の話のことも伝えていたことでしょう。
 金田一さんが携えて来た絶筆は『万が一』を悪夢のような現実に変え、それはとりもなおさず三人娘の生死に関わり、その引き金となるのは実の兄の生還という自分にとっての朗報なのです。そのことだけでも困惑させるものである上に、千万太さんと語っていた『本鬼頭を守る』ためには三人娘を殺してでも一さんに家督を継がせるという遺志が一方にあり、かたや、金田一さんという犯罪捜査のエキスパートを島へ送り込んできたということは、金田一さんもお考えになったように「事件を未然に防ぐため」といった思いもまた千万太さんにあったのかもしれないという一つの可能性をも示唆しているようにも思えますが、「事件を未然に防ぐため」ということはとりも直さず、一の生還がどうであれ、三人娘のおそらくは月代に婿をとらせて本鬼頭を継がせるということになり、一と早苗はその補佐をするといった形で本鬼頭に残ることになったとしても、一体どこの馬の骨ともわからない人物が本鬼頭を守れるとも思えず、ましてやこの時点で鵜飼さんのような人が目の前にいるのですから、本鬼頭の混乱は想像することも容易いことだったでしょう。千万太さんとの二人で本鬼頭を守って行こうという約束は泥にまみれることになるのかもしれないのです。
 三人娘を亡き者にしてでも一さんに『本鬼頭』を継がせるという狂った遺志に従うべきなのか、それとも金田一さんという立場の意味を汲んで三人娘殺害を思いとどまらせるべきなのか。早苗さんには、恐ろしい選択がせまられ、早苗さんは嘉右衛門さんの遺言が執行されることを見守ることを選ばれたのです。本鬼頭を守るため、ひいては千万太さんとの約束を守るために。
 先に千万太さんと早苗さんの間の約束のなかに、万が一、千万太さんが戻れず、一さんも帰らない場合には三人娘を亡き者にしても早苗さんが本鬼頭を継ぐといったことが話されていたのではないか…という想像について触れさせていただきましたが、早苗さんに直接三人娘を手にかけることなど、いくら千万太さんとの約束があったとしてもできるものなのかということに関しては疑問が残ると書きました。
 しかし、早苗さんが、嘉右衛門さんの狂った遺言と、それを託された和尚さんたちのことを知っていたとしたら、ことはたった一つの条件さえ満たせば、自分で三人の娘たちを殺害することなどしなくても、それを実行してくれる人はいるのです。
 ただ一つ、一さんが戻ってくるのだと、嘉右衛門さんの遺言を託された人たちに信じさればいいのです。
 早苗さんが、一さんは今にも帰ってくるものだと振る舞えば振る舞う程、或いは、謎の復員服姿の男をいかにも一さんだと思っているかのように見せれば、和尚さんたちが、自分に変わって千万太さんとの約束を実行してくれるのです。
 そう考えると、本当に実の兄であるのか、確認もしないで風呂敷包みを用意したり、ラジオの復員だよりを聞かなくなったことも意味がとおるのです。
 早苗さんは復員服の海賊を兄かもしれないという可能性だけで庇っていたのではなく、自分が兄かもしれないと思っているという姿を見せることこそが大事だったのです。そして、実際に協力関係にないまま、犯行に必要な首尾を陰で支えることにより、自分は黙認しているだけで思いは成し遂げられたのです。
 このように書いてしまいますと、早苗さんという人をあまりにも非情な悪女のように考えているのではないかと思われてしまいそうですが、決してそのように考えているわけではないのです。
 あくまでも、早苗さんは千万太さんとの約束に対して、ひたむきにその思いを守りたいと願っていただけだと思っているのです。
 与三松さんを逃がしたのではないかと、自分で与三松さん殺害計画説を唱えておきながらそれが失敗したものだと否定するようにお話したのも、一さんか早苗さんが本鬼頭を継ぐことになったとしても、千万太さんとの約束で、三人の娘は仕方ないとしてもそれ以上の必要はないと、早苗さんなら考えたのではないかと思うからです。
 こうして三人の娘たちは殺され、『見立て』の謎の他にも、犯人であるところの和尚さんたちが知らないところで、細かな謎が鏤められ、事件を難しくしていったのです。
 本鬼頭を守らんとする早苗さんの思惑は、一さんもまた帰らぬ人であったという悲しい事実をも受け入れざるを得ないまま成し遂げられ、それが「革命」と語られる新しい時代につながる希望として金田一さんもまた全てを受け止められたのかもしれません。
 例えそれが悲しい血に塗れた希望であったとしても。
 金田一さん御自身もまたこの直前まで、時代という名の運命ともいえる戦争という悲惨な「血塗られた」希望を体験してきたばかりなのですから、この早苗さんのお気持ちも受け入れられたのかもしれません。
 そしてそれが横溝正史先生によって小説にされる際、いくつかの語られなかった部分が生まれることとなり、その結果 、わずかの疑問が残されたままになることになってしまったのかもしれません。

 少し感情的に考え過ぎているため、ちゃんと自分の考えがお伝えできているのか不安も残りますが、私の空想はここまでに致します。

 耕助は艀のなかにつと立ち上がると、
「南無……」
 と、霧雨けぶる獄門島にむかって合掌した。


 金田一さんのこの合掌は、事件で亡くなった人たちだけへの合掌ではなく、それ以上の深い意味があるように思えてなりません。

 またよろしければ襟裳屋様のお考えなども教えていただけますと嬉しく存じます。

敬具     


 大変興味深いお考えでしたので、私一人だけが楽しませていただくのも勿体無いかと思い、特にお願いして、『獄門島』には関係ない私信部分を削除して掲載させていただくことご了承いただきました。また、引用部に関しましては、あった方が分かりやすいとの私の判断で、特に『引用』として残させていただきました。『引用』に際し、今日の人権擁護の見地に照らして、不当・不適当と思われる語句や表現があるやもしれませんが、オリジナル作品発表当時の時代背景や、その文学性の重要さを考え合わせ、参照させていただきました出版書まま引用させていただきました。(襟裳屋)


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