あとがき

まずは、なんとも煩わしいだけの長い文章にお付き合いいただきまして心から御礼申し上げます。

念の為一応お断り申し上げておきますが、以上御覧いだたきましたモノは全て襟裳屋による創作であり、
決して本当に頂きましたメールをこのような形で掲載したものではありません。
いかに襟裳屋が愚かしい人物であろうとはいえ、それ程失礼なことをするつもりまではありません。
私的にいただきましたメールを公開するなどもっての他です。
そんなことだけは絶対にいたしません。
もっとも、「こんなメールもらえたら嬉しいな」とは考えなくもないですが…。

なかなかまとまりきらない構想をどうにかこうにかまとめようとする苦肉の後だと御理解ください。

内容に関しましては、一言の言葉もございません。
おそらくただ良く意味のわからないくどくどとしたものだと、
自分でもうんざりとしております。
お目汚しお詫びいたします。

ま、こんなことする奴が世の中にはいるのだな…はっはっは。
と、笑い飛ばして済ませて下さいますようお願い致します。

タイトルとしました「氷解」ですが、
何も全ての謎が解けたというようなごう慢な気持ちからのものではありません。
御覧いただければわかりますように、謎は何一つ解けてはいないのですから。
ただ、前から気になっていたのですが、
氷解という言葉、一般的には「疑問
が氷解する」といったように使うと思うのですが、
氷が溶けたとしても、水として形は変わることはあっても無くなるわけでもなし、
気化して無くなるならいざ知らず、かえってビショビショになったりして、
厄介なことになるだけなんじゃない?
…などといった愚かしい考えをもっていたものですから、
今回のこの試みの際、「あ、これってある意味ピッタリじゃん」と
一人自己満足のなかでつけてみた次第です。
つまりは、謎は、形をかえてもむしろ増えただけで、余計やっかいなことになったんじゃないか…と。
いやはや、やはり無謀な試みであったと言わざるを得ません。

ついでに言えば、金田一耕助と女性との関係のことをちょっと思い返してみたことから端を発したこともあり、
そう言う意味で満更無視もできないあの作品のタイトルもちょこっとだけ引っ掛けています。

今さらここでまたお断りするまでもないでしょうが、
勿論、偉大な作品である『獄門島』に対して愛情以外の何ものも持っていないことはここで断言いたします。
悪意や中傷などといった気持ちはこれっぽっちもありません。
それだけは誤解されませぬよう、心からお願い申し上げます。


最後に、この無謀な試みへ挑戦してみようかと思わせるだけの刺激を
いろいろな形で与えて下さいました方々に心から御礼申し上げます。

2003年 春  襟裳屋

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