(9)

 正午、少しまえにダネシュ技師は私のところへやってきました。会談は短く、要領を得ないものでした。しかも、二度もイヴォナのモナリザの苦笑いに中断されたのです。
 この娘が、ときどき局内の長い廊下を耳にイヤホンを突っ込んで、自分一人のジャズ音楽の厚い雲に取り囲まれて書類を配って歩いていることをもうお話ししましたかな?
 この娘ときたら、さも「あたしのことを知りたがり屋のおしゃべり娘とでもなんとでも呼んでいいわよ。でも、ほら、あたしは人の話なんか全然興味ないんですからね……」と言いたげな顔をしているのです。
 ところが、今日は厚かましくも、ラジオの音量をいっぱいに上げて私の事務室に入ってきたのです。
 私がびっくりして顔を上げると、音を小さくして「ゴメンナサーイ」と甘ったれた声を出して、小娘みたいに頭をこっくりしたんです。それも、私のほうへではなくて、私の机の角のところにすわっている、いかつい肩をしたボート選手のほうへなんですよ。
 彼は近視の目に微笑を浮かべて応え、彼女が部屋から出ていってから、おもむろに切れた話の糸の端をさがしだして話を続けたのです、が、その話というのが、まさに私を驚かさずにはおかないものだったのです。
 言うならば、彼はお別れを言いにきたのです  それ以外の何ものでもありません。
 明朝、飛行場から空の彼方へ飛んでいってしまうのです。
 彼が何かこんなふうな話をしているあいだ、私は窓に面した壁のほうを見つめていました。そこには反射した日の光がゆれています。
 それはこうも言えませんか。もう冬空のように澄みきった青空の、ジェット機しかとどかないような、どこか高い空中へバーンと打ち上げられた休暇だと。
 そしてその晴れやかな休暇へわがボート選手はふわふわと飛んでいくのです  もはやふたたび、彼の姿を見ることもないでしょう。私の相棒でもなくなるのです。
 彼が言うには「研修」(それがどんなものか私にはわかりません)のために出かけるのであり、オムスク大学から奨学金を受けており、帰ってくるのも早くて六カ月後だというのです。
 私は彼の返答の意味をやっと理解し、結婚式のあとこんなに早急に花嫁を置き去りにできるのかと、しどろもどろに驚嘆の念を表明すると、彼は肩をすぼめて言いました。
「そのことは、あらかじめ相談していました。夏のおわりごろには、すでにそう決めていたのです……」
「夏のおわりですか」私はその言葉をとらえて言いました。
「それじゃ、マツレの事故のあった後ということになりますな?」
「ええ、そうおっしゃりたいのでしたら」彼は同意しました。
「決めたのは事故のあとですが、オムスクからの許可はその前に来ていたのです」
 おい、いいかげんにしろ。そんなに軽率に話を進めるんじゃない。少し、誘導尋問をしろ  と私は自分に命令しました。
「それじゃ、ブルダ氏が亡くなられなくても、この奨学金は受けるつもりでしたか?」
 私は尋問口調にならずにたずねることができました。
 もともと、こんなことは大して重要なことではないという気があったからです。
 彼はまた肩をすくめ、これ以上、凝視することはできまいと思えるほど、じっと私を見つめました。
「たぶん、受けなかったでしょう。プラハで私は順調にいっていたのです。亡くなられた先生との共同研究は中断を許しません。ただ、先生が亡くなられた現在、研究所の事情も変わり、私たちの研究にたいする関心もだんだん薄れてきたのです……」
「ほかに理由はないのですな?」
 この質問はやや不作法に聞こえたかもしれませんが、そのことで効果がそがれたわけではありません。
「まあ、そうです。考えてもみてください。マツレの不幸がすべてを変えてしまったのです。それに、多少の不安がなくもなかった、というのもたしかです……」
「不安ですか?」
「人の口ですよ。ブルドヴァー夫人は一年もたたないのに結婚のことを考えるのはうまくないのではないかと、いつも気にしていまして……」
「それなのに、一昨日の朝……?」
「ええ、でも、このことを知っているのはほんの一握りの近親者だけでして……。このことを私たちは三週間まえに決心したのです。
 ある人がアドヴァイスしてくれましてね。正式な手続きを踏んでおいたほうが、いろんな点で便利ではないか、もしかしたら、ソビエトのどこかに一緒に休暇を取って行ける可能性も出てくるしと……。
 そのうち、私が最終的に帰国するまでには、みなさん方も、私たちのことを忘れてくれるでしょうし、気にもとめなくなるでしょうと……、まあ、それを期待もしているわけで……」
「わかります。それに、なぜ最近、奥さんが運転免許の試験を受けられたかもわかりましたよ。あなたは車を置いていかれるのですね……」
 私はこんなささいな、取るに足らぬ問題が、どうしてまた、私の頭に浮かんできたのかわかりません。彼の答えがまさにそのことを示してくれました。
「そうなんです」と彼は弱々しい微笑を浮かべて言いました。
「どっちにしろ、私よりは彼女のほうが運転はうまくなるでしょう」
 話がちょうどこのように興味しんしんといったところにさしかかったとき、いみじくも、またもやイヴォナ  むしろ、シラミと言ってやりたいですよ    が入ってきたのです。
 今回はラジオの音は止めていましたが、そのかわり視線をまともにダネシュのほうに向けていました。この娘は自分の姿をダネシュによく見せようとして、彼の前まで進んできて、尻をひねって書類を机の上に置きました。
 私は黙っていました。この不愉快さを引きのばしたくはありませんでしたからね。
 ところがイヴォナは自分のほうから口をはさんできました。
「マトラッチさん、決済の終わった書類はなにもないんですか?」
 私は堪忍袋の緒を切らせて言いました。
「君が自分をさっさと決済して、ここから消えてくれるといいんだがね」
「あら、どういうことですの?」うっとりとした目を客のほうに向けたまま言いました。「決済部へ、あたしをですか……?」
「いずれ、説明してあげよう。今は頼むから邪魔しないでくれたまえ」
 彼女は頭をツンとそらすと、ラジオのスイッチをカチッと鳴らしました。そのとたん、ドラムの音が響き、バス歌手が「アママ・マー・パパ、アママ・マー・パパ」とわけのわからない言葉を発し、それでフェイド・アウトしていきました。
 イヴォナのほうはそのとき、すでにドア口のところにいて、クックッと笑いながら言いました。
「では、おじゃまさまでした。チャーオ」
 私たちはお互いに顔を見合わせました。ダネシュはおもしろそうに、私は憤然として。 私は若い職員のとても理解しがたい行為に向かってうなり声をあげたいような気分に襲われました  どうせ、むだでしょうがね。
「そろそろ、失礼しなくちゃ」と私の不決断の瞬間をとらえて、彼は立ち上がりました。「プラハも今日が最後ですからね、どうか、お察しください……」
 私も立ち上がりました。私はこの会談が何の役に立ったのか、そもそも私は何を期待していたのか、まったくわからなくなってしまいました。
 相棒は今、冬空のなかに去っていこうとしています。彼がいなくても、私はすべてを書類袋に封入し、ブルダ事件にかんする書類に署名をし、それをイヴォナに渡して決済部へ送ることも、業火の燃えさかる地獄へ送ることだってできるのです。
「もし、こう言ったら」と私は口をすべらせました。
「マツレの事故の本当の原因を知っていると言ったら、もうしばらく付き合っていただけますか?」
「冗談を言っておられるのですか」と彼は口の片方の端で微笑みました。
「先程、あなたがあの娘さんに命令されるのを聞いて、あなた一流のユーモアを知る機会を得たばかりですよ……」
「まあ、お聞きください。あれはエンジンのせいでも、蜂のせいでも、自殺のせいでもありません」
 彼は体をしゃんとのばしました。
「ヴラスタが私にいい忠告をしてくれましたよ、あんたには気をつけろって。あんたは他人の私生活にまで 嘴 を突っ込み、うそ八百をならべ立てて、鍵穴をのぞく時間を少しでも長びかせるためなら、何ごともいとわないんだ……」
 彼はこれまでとは打って変わった調子で言いました。
 私たちは向き合って立つと、彼のほうが頭半分だけ背が高く、肩もがっちりしていて、頼りなげな感じはまったくありません。
「そう、ガツガツしなさんなって、君。正気になれよ。ぼくが遠くへ行ってプラハにいないのをいいことに、あんまり変なことをすると、ただじゃおかないからな。もう、二度と会わないほうが、あんたのためにもなるんじゃないかな。それじゃ」

 次の朝、私は事務所へは行きませんでした。わざとそうしたのです。
 平常どうり家を出て、郵便局へ立ち寄り、会社へ電話しました。口実はすぐに浮かんできます。
「安全地帯に立っていたとき、風が吹いていて、目に何か入ったんです。すごく痛むので……、病院に行きます……、いつおわるかわかりません」
 こんなことは私にかんするかぎり、会社ではチェックなしに通ります。
 私が休むことはめったにありませんし、暗号手「HM」にはこれまでのところ、古い教育を受けた仕事の虫で通っていますからね。
 それから私はバスに乗り、ルジニェに行って、電車に乗りかえましたが、そのとき、風がひゅうひゅう鳴っていて、本当に目が痛いくらいでした。
 しかし、そのほかの点では文句なしのいい天気でした。
 私はほんのちょっと飛行場見物にいくといった気分で、ブルドヴァー夫人との恋物語の次の重要な一章がそこで演じられることになろうとは、そのときはまったく思いもよりませんでした。
 以前はよく考えたものです。ルジニェのような国際交通の十字路がまだプラハに所属しているのかと。
 日曜日の遠足に私と家内はときどき、ここまで足をのばします。すると通いなれたババ、ルホトカ、バランドフを歩くときとは、まったく異なったおもしろい体験に出会います。 油でよごれ、ガソリンのにおいの立ち込める吹きさらしのコンクリートの平面の上では、誰も住むことはできないし、週末をのんびりすごすというわけにもいきますまい。
 着陸と離陸の合間に、飛行機はそこに停止しています。そして、しばらくのあいだは騒々しい動きが飛行機を取り巻くのです。
 ただ、止まっているだけの場合もあります。階段車や給油車、荷物車、空のもあれば満載したのもあり、しかも人間までがそれらのまわりを動きまわっています。
 オーバーロールを着たのもいれば、乗務員の制服を着たのもいたり、乗り込んでいるものもあれば、降りてくるのもいます。
 やがて旅行者たちが手提げ鞄をもって、あるいはもっと身軽なかっこうで飛行場の向こうの通路を群がって通っていきます。
 まもなく、誘導員が一人だけ両手に小さな円形のプラカードをもって飛行機のまえに突っ立って、どこからどっちへ行き、どこで止まるかを指示します。
 目は一種の安堵感をもってこの男の上に止まります。
 目に見えるのはこの人物だけで、彼は何かを指揮しています。
 見方によっては、テラスの上の見物人には金属製機械人形のバレーのレッスンでも見ているかのような気分さえしてきます。
 それから、ロビーのほうはもっと奇異の観を呈しています。
 自動的に開閉するドアから、いろんな言葉を早口にしゃべるスピーカーにいたるまで、ここではすべてが人間のためであるかのように見えます。
 そのくせ人間がそれらのものを作り出しているようには見えません。
 人間不在、ないしは、アンチ・ヒューマンがそこに感じられます。
 旅行者たちがマイクの呼びかけにしたがって、素直に仕切りのむこうへ消えていくのを家内がはじめて見たとき、顔をしかめて言ったものです。
「あの壁の装飾をごらんなさいよ、あの人たちの頭の上にある……まるで黄泉の国の門といったふうじゃない……。あのアッシリアとかじゃ『王の谷間』とかなんとか言うんでしょう……?」
 家内が学校に通ったのはほんの何年間かです。何年かということは大した問題じゃないかもしれませんが、観察は正確です。
 私も同じ方向から眺めてみて、家内の正しさを認めました。
 それがはたしてアッシリアだったかエジプトだったかはどうでもいいことで、そのレリーフの壁画が与える印象は(その彫刻家が用いた素材にしても高価な花崗岩どころではなく、ただのドロドロした安物の漆喰にしかすぎなかったのですが)たしかにその通りで、ふたたびもどることのできない入り口を思い起こさせました  少なくとも、私たちのようにそこをくぐり抜けたことのない人間にとっては……。
 ところで、呼びかけにしたがって、そこを通過する人びとにとってはどうなんでしょうね? 強制されてそうしているのか、自発的にそうしているのか?
 同じような運命的な、おも苦しい何ものかが、この一見明るいロビー全体におおいかぶさっています。ロビーのかもしだす雰囲気はあたかもおおらかで、かつ実務的な性格を強調しようとして、「あたしは世界へ出ていくための階段よ。その第一歩を踏みだすたために、勇気を出して通りなさい!」とでも言っているかのようです。
 でも、同時に、その言葉のなかには「その一歩を踏み出したが最後、もう二度ともどってはこれないからね」という、無言の脅迫も聞こえます。
 このロビーは、私たちのように一度も飛行機に乗ったことのない人にたいしても、また「金の豚」(これは家内の言葉です)をくれると言われても絶対に乗らないと心に誓った人にたいしても、同じことを言うのでしょうか?
 あるいは、そこらにいる妙に興奮し、同時に疲れきった顔をしたせわしげな旅行者たちも似たようなことを感じているのでしょうか?
 この人たちは前もって航空券のために大金を払い、今度は間違えないように、乗りおくれないようにと、気を抜くのひまもないのです!
 乗りおくれないようにって、何に?
 家にある厚紙製のトランクは、むしろ夏には冬物を、冬には夏物をしまうために役立っています。一生のあいだに、ほんの何回か汽車に乗ったときに使いました。
 ここにはそんなものは不似合いです。
 そうはいっても、飛行場の人びとが、みんな格好のいい旅行鞄をもち、すてきな服装をしているわけではありません。しかし、それでも鞄も服装も即物的かつ実務的なこのロビーにマッチしています。
 そして、事実、この外観の内側には永遠に変えることも避けることもできない、鉛のように重たい運命がつめ込まれているのです。
 七月のある日、私と家内は出発する数人の外国人の女性たちを見かけました。
 彼らは旅行用に白っぽいスラックスやスカートをはいていましたが、各自、まん丸にふくらんだ毛皮のコートを腕にかけてもっていました。
 私たちは言ったものです。
「ははあ、この人たちはよっぽど遠くへ行くんだね。明日、目を覚ましたら地球の反対側の冬景色のまっただなかというわけか」
 しかし、どうしたわけか、この想像はそれ以上はふくらまず、イースト菌もうまく発酵せず、気を晴らしてもくれませんでした。
 またもや、宿命というやつ  何かが演じられたら、必ず、その後にくっつけられる終止符  がいたるところから口をはさんできたのです。
 どうして?
 言うならば、不確実性、つまり気候、時間の流動性がここほどはっきりしているところはありません。モスクワから巨人機がちょうど到着したところです。
 今、九時三十分です。二時間空を飛んで到着です。モスクワを離陸したのも九時三十分でした。あちらでは二時間まえに時計の針はその時間を指していたのです。
 同時に、西側のどこかでは、たとえば、ロンドン塔の上では、たった今、プラハよりも一時間少ない時間を文字盤の上に認めるでしょう。そこでは八時三十分です。
 そしてさらにむこうの大西洋の上では運命を夜が支配しているのです……。
 また一方、世界のどこかでは寒暖計は三十度の暑さを示しているかもしれないというのに、このロビーの周辺では十月の強い風が吹いています。
 切符の買い違いさえしなければ、そんな暑い南の国へ飛んでいって、今日のうちにも海辺で海水浴ができようというもんです……。
 私たちを取り巻く状況から飛び出すチャンス  すべてを一挙に変えてしまうほど徹底的に飛び出すというチャンス    をもっているということが、ルジニェの空港ロビーにいるそれぞれの人間にたいして、なんの意味も与えないと、はたして言いうるでしょうか? むろん、このチャンスを生かすには、決心をすること、自分の運命を自分でつかむこと、実行に移すこと……などが要求されるのです。
 だからこそ人間は、この相対的時間と場所の不確実な条件のもとに、自己の惰性という鉛のように重いブレーキを意識するのでしょう。
 飛行場自体、プラハにありながらプラハにないのです。税関では旅行者たちが、あたかもここから何百キロも離れた国境にいるみたいに所持品検査をしています。
 同時に、この建物のどこかの空間には、プラハに入るビザをもっていない人たちがすわったり、飲んだりしています。ただ、ここではフランクフルトとブダペストとのあいだの中継のための時間をすごしているだけなのです。彼らはプラハにいるのでしょうか?
 結局、飛行場にはいる人は、誰もがトランジットなどと称する、まったく便宜的な、超時間的、かつ、超空間的世界に足を踏み入れることになるのです。

 私のまえで自動ドアが開くと同時に、なかへはいり、あたりを見渡しました。
 足が地につかない感じの相もかわらぬ不安顔が見られます。しかしそれでいて今日は、どうしたことか、すべてが明らかで、ほとんど当然のことのように感じられるのです。
 亀は甲羅のなかで必死に生きています。ところが、その甲羅を放り出すなんてことを亀が思いつくでしょうか?
 もちろん、無理でしょうね。
 同様に、人間にだって、自分の皮をはぎ取って肉だけにし、皮膚も爪もない状態にできるなんて思いもよらないでしょう。
 人間が亀以上のものを頭のなかにもっているとしたら、それはただ、人間が亀よりは深く、複雑にものを考えることができるというだけでしょう    だから、われわれには自分の手の皮をはぐなんてばかなことを考えることができるのです。――そんな愚にもつかない小賢しい屁理屈が何になる? それとも、何かの役に立つのか? 亀はいつかは死ぬということを知らないが、おまえは知っている。だからといって、おまえにとって、それがいいわけでもあるまい?
 亀は、ときには身を守ってくれ、ときには、たぶん、重く感じるだろう、甲羅なしの生活を知らない。が、おまえは知っている。
 同様に、鏡に映る己の姿を見たとき、おまえは亀と違ったいろんな感情を感じることができる。正直のところ、おまえは自分を守り、長年つき合ってきた自分の醜い面を脱ぎたがっている。
 だが、同時に、おまえにはわかっているのだ。それを脱ぐことはできないし、一生おまえにつきまとうことも。
 時間は流動的で、文字盤の上の位置も地図の上の位置も、単に相対的な意味をもつにすぎないのだが、しかし、亀を待ち受けているのは亀の運命であり、おまえを待ち受けているのも、やはりおまえの運命だ。
 そして、おまえはそのことを知っている(しかも潜在意識のなかで、このことをずっと知り続けてきた)からこそ、だから飛行場がおまえを引きつけもすれば、反発させもするのだろう。
 おまえは、自分よりも鈍重でないやつらを観察したくて来たのだ。
 運命のハードルを飛び越え、何千キロの彼方まで飛んでいく勇気のあるやつらを。
 たとえば、研修のためにオムスクへ、きれいに整えられたベッドと花嫁をプラハに置き去りにして、不確定な六カ月のあいだ、まったく別の舞台装置のなかへ、すべてをなげうってまで行こうとするやつらを
 そう、だいたいそんなところです。つまり私よりは幸せな若者の旅立ち、自らを信じ、自らの行く手にはなやかな人生と輝かしいキャリアの約束された男の旅立ち。
 そもそもこの男にとって半年のあいだなぞ、なんのことはないのです    なるほど、彼にはわかっているんです、帰ってきてから取り返せばいいって。
 それにまた、もし状況が多少変化していたとしても、そんなこと気にすることはありません。それに順応すればいいのです。そしたら世界はまた別の意味でおもしろくなるでしょう。
 なぜなら、大事なことは、要するに、一定の目的にしたがって変化する行為、常に活動しているということですからね。その活動が今ここにあるじゃありませんか。
 何かをなし、回答を求め、障害に立ち向かい、差し迫った問題を解決し、人生をほんの少し向上させる意思も。
 人間はまた同時に、できるだけ自分を向上させるために、自分の性格をも改造していかなければならないのです。
 自分の職場において地位を高めるには、何よりもまず、そして、たゆまず、仕事にはげむしかありません。
 外国に行けば、早い話、有益な経験や刺激を豊富に受けることができ、専門的能力を高めることができるので、失うものは何もないのです。
 それに生活のなかの六時間を羽布団のなかで、たとえ、ふしだらにすごそうとも、翌朝、前の晩よりも爽快な気分で目覚めることができるのなら、なにも損なことはないじゃありませんか。
 私はもう、どう転んだって、今よりよくなりっこはありませんがね、ただ、ちょっと目先の変わったものをこのロビーで観察したかったのです。
 つまり、わが恋敵の出発をこの目でたしかめたかったのです。
 積極的協力をダネシュから得る望みはなくなりましたが、それによってブルドヴァー夫人にたいする私のかかわり方、そのものが変わってくるわけではではありません。
 ダネシュは私の邪魔をするどころか、あっさりと空の彼方へ飛んでいこうとしているのです。
 美しいカモシカは地上に取り残され、頼るものとてなく、察するに、愛するものとの別離にうちひしがれ、神の意志により私の獲物となるべく予定されたまま……
 結局のところ、今日、私はこの飛行場で、二人の甘く悲しいお別れ場面を十分賞味しようとの魂胆なのですよ。
 私は恋人たちが「プラットホームの上の自由」を活用するのではないかと期待しているのです。激しく抱き合い、じっと相手の顔を見つめあうのです。
 周囲の人びとのことも、不潔な目撃者のことも忘れて……。
 要するに、私のプログラムは内容豊富なのです。
 掲示板のそばで誰かが、東行きの飛行機は十一時すぎに出発すること、税関のチェックは市内(コトヴァ・ターミナル)からのバスの到着後、出発の一時間まえから始まることを教えてくれました。

 時間はたっぷりありましたが、私は外の空気を吸いにいくほどの勇気はありませんでした。それで本や新聞のならんでいる売店のそばに場所を占めて、そこから主役の二人の登場を見張ることにしたのです。
 間もなく、私は否応なしにショー・ケースのなかに新聞のニュースの見出だしを暗記してしまいました。
 しかし、たとえそれらのニュースが最も新しい事件として書かれ、まさに叫んでいたとしても、今の私にはその内容を説明するなんて、とてもできそうにありませんでした。
 私にとって、世界は、それらのニュースとは違った別の一つの現実に狭まっていたのです。私は女隊長がドアのところに現れるのを待ちながら、彼女がどんな衣装で現われるかを考えていました。
 彼女はこの期におよんでも、喪中を示す印を身につけているのでしょうか? 黒いコート、黒い帽子など……。
 または、その反対に、いかにも、いま旅立とうとする愛人に、プラハに残した高価な宝物のことを忘れさせまいとして、絢爛たる装いに、ふさふさとした髪はたらしたままにして……、こんなことで涙を流しはしないと、彼に安心させようとしてささやくのです。
「わたしたち、若いのよ、それにお互いに信じあっているわ  わたしたちが未来の星にかけて誓った永遠の幸福にくらべれば、六カ月の別れがなんだっていうのよ!」
 私の作り話ときたらまるで詩人じゃありませんか。
 しかし間もなく、彼女が男の肩に体を押しつけ、現実にロビーに入ってきたとき、今、それを目の当たりにしてみると、彼にくらべて彼女のなんと小さく、きゃしゃに見えることでしょう。
 私は愚にもつかない想念をうっちゃり、異議をさしはさむ余地のないものだけを凝視し続けました。残念ながら、私の目のまえで演じられているのは、そそくさとした、ほとんど味もそっけもない場面です。
 ダネシュは落ち着きなく霧のなかを透かすような目つきで時刻掲示板を眺めていました。 そこには「モスクワ行き・一一時〇五分」とあり、その文字の箇所は、もう最前から注意信号のランプが右から左、左から右へとせわしげにスキップする感嘆符のように「見て、見て、見たら、用意して!」とせかしています。
 おまけに場内スピーカーまでが同じようなことをチェコ語、ロシア語、英語で叫びはじめました。
 いま私が目の当たりにしているのは女隊長らしからぬヴラスタでした。
 つつましやかな微笑を浮かべ、「そんなに急がなくても大丈夫よ、時間はまだ十分あるはずだから。もう少しのあいだ、わたしたちのこと以外は考えないで。そんなに出発のことばかり気にしていちゃだめよ……」とせがんでいるみたいでした。
 私は何一つ見逃しません。遠くのほうでおこなわれる一切のことをクローズアップで見るように正確にとらえることができます。手押車で荷物を運んできたポーターをチラッと見て、計量カウンターのほうに行くように指示する男の身振りなども。
 その身のこなしは私が夢のなかでそう思い込もうとしたような、半分眠ったような目つきの不器用者ではけっしてなく、すっかり旅なれた旅行者のものでした。
 それからダネシュは金を払い、礼を言うポーターに軽くうなずいて応えました。
 それから、やっと  大きなトランクを足元に置きます。それは税関のところからほんの数歩のところでしたが    別れの時が来たと意を決したのです。
 彼は女のまん前に立ち、率直なやさしさをこめて「さあ、おいで」とでも言うように、ニッコリと白い歯を見せて笑いました。
 その瞬間、彼女はうれしそうに抱きついて、涙にくれました。彼の手は泣きじゃくる彼女の肩をオーバーコートの上からいたわるように軽くたたいています。
 彼女はなにか特別、柔らかそうなコートを着ていましたが、そのコートを私はまだ見たことがありませんでした。そして、いま、男の大きな手が彼女のコートの背中をほとんど全部おおいかくしていました。
 彼女はともすると、くじけそうになるのをなんとか耐えようとつとめていました。
 それにしても、そんなことは何も今日にはじまったことではありますまい。
 なぜならボート選手は、微笑みながらじっと見つめるその姿勢をくずそうともしなかったことからも察せられます。
 こうしているのが、一番いいらしいことが、彼にもわかっていたのです。
 無言のままそこにいて、すすり泣くいとしい存在を自分の胸に引き寄せ、微笑を浮かべながら、規則正しく呼吸をしていることが……。
 私は彼のことをボート選手としつこく言いますがね……実をいうとダネシュは一度もオールを触ったことがないかもしれないのです。
 でも、いま、彼は本当に水に関係のある人間に見えるのですよ。
 海の精の呼び声を聞いた水夫は、ほかのすべてを投げ打って船に乗り込むのです。
 別れる女を愛さぬからではなく、このように目を泣きはらす女を置き去りにすることに胸の痛みを感じないからでもありません。
 ただ、かつてこのかた、旅立つことが男の宿命であったがゆえに……以前、ウォルケルの作品で読んだことがあります。それとも、ほかの作品でしたかな?
 女がたずねます。
「どうしていくの?」
 男は答えます。
「もどってくるために……」
 こんな対話はばかばかしく思えますが、恋人たちは似たり寄ったりのことを、何千年来、言い続けてきたのですよ。それに第一、水夫としてはこのむだな質問にたいして、ほかにどんな答えがあるというのです?
 あるいは、この作品の主人公は兵士だったか、騎兵だったか……、もう、さだかではありません
 私は自分に命じました。そんな想像のなかになんか逃げ込まないで、見るべきものをちゃんと見てろと。
 私は彼女がいかに彼を必要としているか、いかに彼を頼りにしているかを、自分で身にしみて感じました――不安におののき、美しくもか弱き彼女を――くすり指には新しい結婚指輪をはめ、それがそのときピカリと光りました。
 一方、彼女の背に広げられた男の手には装飾品はなく、仕事の邪魔になるこまごまとしたものは、すべて拒否していることを見せつけていました。このような男性は、輪環でつないでおかなくても、女性にとって安心していられるものなのでしょうな。
 この点にかんして、私はこれまで彼のことを間違ってお話ししていたようです。
 このボート選手、海難救助隊員はくすり指をキラキラさせているブルドヴァー夫人よりは、あらゆる点で信用のおける人間です。
 彼女だって、愛人のことをそんなに心配することはないのですよ。ところが、それでも心配なんですな。
 彼のことがですか? いやあ、自分のことが心配なんでしょう。自分自身が!
 私の事務室に来たとき、彼はオムスク行きのもっともらしい理由を披露しておりましたが、六カ月の別居生活は、彼よりは、むしろ彼女のほうに深刻な意味をもつんじゃないでしょうか?
 おそらく、恋人が遠くへ行く決心をした裏には、表向き、彼が私や彼女に語ったよりもっと深刻な理由があるのだということを、彼女が予感していないはずはありません。
 彼が自分独りの心のなかで、非常識だ、許されないことだとして拒否していることを、彼女がなんにも感知していないってことがあるのでしょうか?
 彼女はこの友人を身近に知っており、また、彼女自身も聡明です。
 だから潔癖な彼が、以前はブルダ氏の目をはばかり、今では絶えず周囲の目を気づかう隠れた愛を強いられる状況に、堪えがたい思いをしていることを見逃すはずはありません。 ブルダ氏の死でさえ、この意味では、安堵感を与えるどころか、事情をもっと複雑にしたのはたしかです。ダネシュはあの善良な人をあざむき、その最後の日々を泥で汚したことにたいして、けっして自分を許しはしないでしょう。
 もし、古い呵責に、マツレでの事故は偶然ではなかったのではないかという疑惑、あるいは確信まで加わってくればねえ……
 そうです、私は    ヴラスタが、恋人を永久に失うかもしれない、と非常に恐れていることを  この目で見て取ったのです。
 たぶん、女ごころというのは、こんなこまかなことに思い悩むものなんですな。
 この世のあるかぎり、船乗りや兵士は去っていくものですし、猟師や炭坑夫にしても同じことです。どんな職業にだって危険はつきものですからね。
 煉瓦積み職人は高い足場にのぼり、鉄道員は走っている列車に飛び乗り、トラックの運転手はアクセルをいっぱいに踏みつけるでしょう。
 この連中の奥さん方にしてみれば、うちの旦那が外で何をしているか、年中、不安で仕方がないのです。だって危険は仕事のほかにも、旦那の好きな遊びや、同僚、それに何かおもしろそうな罠にだってありそうですからね。
 その一方で、彼女たちは自分たちのことを、退屈な環境にとじこめられて、愚にもつかない雑事に追われながら、ただただ待ち続けるように運命づけられていると、いまいましく感じているのです。
 しかし、かつてのブルドヴァー夫人の不安のなかにはもっといろんなものがうごめいていることでしょう。
 そのもとになっているのは彼女の罪の意識    さもなくば、鎧のしたで罪の意識のかわりに目を覚ましていたもの    ですよ。
 しかも、ここが肝心なところですがね、結局、この彼女の不安にいっそう輪をかけたのが、一件書類の検閲係であり、破廉恥な介入者であり、神の裁きの潜在的代行者たる、この私であるということを無視するわけにはいきません。
 現に、私は、愛人たちの抱擁に、五〇メートルばかりの距離をおいて感じるよりはずっと身近に、参加していると言えるかもしれませんよ。
 私は売店の陰に身をひそめています。しかも、そのとき、その二人を引き分け、同時に、私をも引きはなしたのは、この私かもしれません……
 名残を惜しむ時はおわり、ダネシュは計量器のそばへ歩いていき、残りの手続きもすませ、最後の仕切りのところまできて、ふり返りました。
 彼はあいまいに手をふり    この距離でははっきり見えないのですよ――ヴラスタは手摺のところから、それに応えています。
 なおも、しばらくのあいだ、そこに立って、彼が行ったあたりを目で追っていましたが、やがて、周囲の世界には盲目となり、おしとなり、ロビーを後にして送迎デッキのほうへ小走りに出ていきました。
 私も彼女の後から……
 彼女はそこに場所を占めていました。そこからコンクリートの上のあぶらのしみ、離陸にそなえて待機中の巨大な旅客機が見えます。
 私は彼女以外のことは眼中になく、もはや何の陰にも隠れようとさえしませんでした。 長いあいだそうして立ったまま、私が彼女を見つめていますと、乗客たちがすチュワーデスのうしろに続いて飛行機のほうへ歩いていくのが見えました。
 すると、彼女はもう一度激しく手をふり、やがてその手もだんだん弱くなっていきますが、それでも執拗にいつまでもふり続けています。
 愛する人(今はもう見えなくなった)がきっと機体のたくさんの丸窓のどれかから自分を認めてくれることを願ってでもいるように……
 飛行機は滑走路のほうへ進んでいき、全速力で走り出したかと思うと、機体は風のなかに浮き、やがてギラギラと輝く太陽に向かって突進していきました。
 それから、しばらくして、やっと彼女はふり向きました。
 しかし、その瞬間、彼女は私を認め、そこに立ちすくんだのでした。






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