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 ふと、古い小話が頭に浮かびました。
 墓地のなかを通っていた一人の貧乏な男がロスチャイルド家の大理石造りの墓の前にさしかかったとき、溜め息まじりに「いい暮らしをしてやがる」と言ったというのです。
 私たちはオジェホフカのバス停でバスを待っていました。今日の散歩にマリアをこんなところまで引っ張ってきたのには理由があるのですが、その理由を家内に言うわけにはいきません。だからといって、そんなことに気を使う必要もありません。
 いずれにしろ、家内は聞きもしませんし、仮に聞いたとしても、適当に答えておけばいいのです。それとも、まるっきり答えなくても同じことです。
 日曜日のポーク料理のあとはいつも外に出ます。
 ババやバランドフ、あるいはルホトカへ、それどころか、日の長かったこの夏などは、チェルノシツェやドブジホヴィツェにまで足をのばしましたよ。
 私たちは別荘や新築の家のそばを通り過ぎながら、ほかの人たちが何をやっているか、つまり、芝生を刈っているとか、車を洗っているとかしている様子をうかがうのです。
 実は今日の散歩で、私は書類に書いてあった住所を頭のなかに入れて、死亡したブルダ技師の住居を検分しようとして、ここに来ているのですが、そんなことは家内には関係のないことです。
 家内の前で、例の住所の通りがどこにあるかをたずねるのはうまくありません。
 だから、あっちこっち探さなくてもすむように、事務所でその住所、スチェホヴィツェの地図をあらかじめ調べておいたのです。
 私はきっと豪華な邸宅にちがいないとを予想していました。
 ところが、どうです、やがて私たちは本当に豪華な邸宅の前に出たのです。
 庭の中ほどにクリーム色の玄関口があり、庭のなかには車のための道もあり、裸の枝を屋根の上にまでかざした菩提樹まである邸宅でした。
 家の周囲はひっそりとした静寂に包まれ、落ち葉が、垣根のむこうでカーブしてガレージに通じる車道の上に層をなして積もっています。
 このところ、だれかが車で通った形跡はありません。それに窓はすべて閉めきられていましたが、厚地のカーテンの掛かった窓は、しっとりとした静けさを保ち、微動だにする気配はありません。
「いい暮らしをしてやがる……!」
 私は家族のための、このかぐわしいねぐら、愛すべき財産、素晴らしい住居をチラッと検分しながら、そう思わずにはいられませんでした。
 もちろん、今は墓場のように沈黙していましたがね……。
 あえて申しますが、私はブルドヴァー夫人といえども、ここにとどまってはいないだろうという気がします。実家に帰れば彼女にも安らぎの場は得られるでしょう。
 彼女には両親があり、もしかしたら、その家には娘のころの自分の部屋さえそのままかもしれません……。
 ここでは、何もかもが死んだ者たち、休暇の悲劇的結末、事故にまつわる狂騒を思い出させます。
 ブルドヴァー夫人が私の事務室へやってきて、わざわざ聞くまでもないような質問に一つ一つ答えた落ち着きを考えると、それに先立ってあったにちがいない、大変な騒動を切り抜けたばかりであるということなど、いったい誰に想像できたでしょう。
 あの南方の異国の地での、救急車やパトカーのけたたましい警笛の音、それに続く取り調べ、お棺の運搬、プラハでの葬儀のことなど……。
 あの悲劇から三カ月がたちました。それは長いとも、短いとも言えます。しかしもっと時がたてば、あの美しい住まいにも何かが起こるでしょう。
 女主人ももどってくるでしょうし――それに、だいいち、夫を失った二十四歳の夫人がこの家に新しい夫を迎え入れないなんてあるはずがないでしょう。
 それとも、この屋敷を売りに出しますか。いっそのこと、きれいさっぱり手放したほうが、いろんな思い出やら何やら、しがらみを取りのぞくのには楽でしょう。
 来年の春になったら、このガレージへ通じる車道も、ひょっとしたら別の誰かが掃除をするとか、車を洗うとか、芝を刈るとかしているかもしれません。
 急にもう一つの小話が浮かんできました(それとも、こんな無愛想な顔をしていて、そんな気の利いたことができるのかとお思いでしょうか?)。ところが純粋な小話というわけではありません。
 まあ人生の一齣とでも申しましょうか、私の楽しみ、ごく平凡な事実を見て、そこから一種の夢物語をひねり出すという楽しみに関係があります。
 要するに、私は新聞の「交際欄」の愛読者なのです。
 ときには、あなた方だって他人の秘密をこっそりのぞくこがあるでしょう。
 どんなことがわかります?
 そう、人間というのは、誰かと会うときも、自分を見せるときも、誰かと一緒になろうとするときも、相手の人間のことなど、てんで知ろうとしないということです。
「当方、ブルネットの男性、年齢、しかじか、身長、しかじか、気の合う相手を求む……、軽微なる身体上の欠陥は障害とならず、孤独、耐えがたし」
 それから最近、『自由 言論』紙上で、ことのほか感動的な三行広告を読みました。
「三十九歳、一六四センチの母親、息子(住居、別荘、車、および犬)父親を求む」
 これを見て、ことの次第をよく考えてみると、苦笑せずにはいられません。
 このような感動的な広告が新聞を飾るためには、本来の父親があらかじめ一切のお膳立てをして、用意万端ととのったところで心臓発作に襲われ、自分は後進のために席を譲らなければならないということです。
 そうでしょう?
 幸いなことに、私はそんな種類の人間じゃありません。
 自分の健康には注意しています。心臓の発作なんて心配ありませんし、私が死んだところで財産のことでトラブルなんか起こりっこありません。
 いえ、私はべつに貧乏だというわけでもないんです。
 自分の分は自分で稼ぎますし、家内もです。
 住宅は第二種、それ以上は払えません。冷蔵庫、洗濯機、その他のものの払いも済んでいます。子供はないので、二人で気ままに楽しめますし、テレビも見ます。
 それに、いざというときには、貯金通帳に何がしかの蓄えもあります。
 でも別荘や車、週末の行楽、それに犬なんてものは一切、私たちには無縁です。
 第一、そんなものを持ちたいとも思いません。浴室とボイラーのついた、まあまあ結構な住まいになれてしまったいま、年金生活を目前にして、最後のラストストレッチに差しかかった二人の老人が、いまさら何をあくせくする必要があるのです。
 仕事から家に帰ってくつろぎます。
 くつろぐのになんで頭を悩ますことがあるのです。
 私たちは交際範囲を広げるつもりはありません。
 いったいそんなことがなんの意味があるのです? 家内がよその奥さん連中に新しい食器やドライヤーを自慢できるからですか?
 私たちはオジェホフカやルホトカ、チェルノシツェと、プラハの郊外を散歩しながら、一言も口をきかなくても平気です。
 家内がたまに侮蔑的にあごを突き出して、壊れかけた垣根や、しみの入った壁、ひび割れした舗装など、家屋の手入れの不行き届きを示すと、私のほうも道を横切って猫が近づいてくるのを、シッと追い払います。
 でも、まあ、死んだ後に大理石の墓地とか、カーテンを閉じた邸宅が残ったとしても、家のために心臓を悪くしたり、休暇を楽しむために途方もなく遠い地方へ出かけたり、車をぶっ飛ばしたりというのはどんなものですかね。

 ブルドヴァー夫人なら新聞にのせる感動的な広告文を考え出すまでもないでしょう。
 これほど人目を引く美人なら――しかも家屋敷、そのほか見当もつかない、いろんなものを相続した今となっては(それに続いて、私のところの保険局から大金がころがり込んできます)――放っておいても、熊ん蜂みたいな美食家の男どもが周囲に群がってくるとしても不思議はないでしょう。
 しかし、ちょっと待ってください。
 そのようなご馳走というのは、もともと誰の口にもご馳走であるはずですよね。となると、そのご馳走は、以前は、たとえば二年まえまでは、つまり例の魅力的な男やもめが出現するまでは、誰の口をも楽しませていたのかもしれない、ということは考えられませんかな……?
 もし、彼女の興味を引くために、求婚者たるもの、家や庭やスポーツカーや、休暇には海岸に行くプランやらを持っていなきゃならんとしたら、どうです?
 ブルドヴァー夫人にしたところが、これまでのところは火傷の経験はなかったにしろ、若気のいたりで、おもしろそうなことには何にでも好奇心をそそられたということはあるかもしれない。
 そうしたら、このようなことに熱烈にあこがれるってことは、たぶん、あるはずですよね。
 もしかしたら、彼女の家はそれほど裕福ではなくて、娘時代には、自分の部屋をもつなんて贅沢は知らなかったのかもしれません。
 それが、突然、いっぺんにかなえられるチャンスが来たのです。
 あの写真のような女性が……、このキンキラの額縁におさまる権利を放棄するなんてことがあるでしょうか? 私の家内が仕方なしにおさまっているのとは、まるっきりくらべ
ようもないくらい豪勢な額縁なんですよ!
 技師のブルダ氏は上役ないし、たぶん、社長だったのです。
 こんな連中が秘書とどんな関係になるかくらい見当はつきます。とくに後妻のブルドヴァー夫人のようなタイプの秘書とならね。それは容姿ばかりではありません。
 それに加えて、歩き方といい、つんと反らせた頭といい、賢そうな目付きといい、自分の私生活のためなら、厚地のカーテンをはじめ、あらゆる必需品をそなえておかねばすまないようなタイプに見えるじゃありませんか。
 ――何を言ってるんだ、この老いぼれめ。おまえたちだってやってるじゃないか、自分のできる範囲で、満足して、のうのうと。ただ、ブルドヴァー夫人のようなスケールの女に手を出すチャンスがないだけの話さ。要するに、お呼びじゃないってわけだ。
 おまえなんぞは、おまえのカミさん程度がお似合いさ。スケールの違う高嶺の花は、絵葉書や地図みたいに眺めてりゃいいんだ。
 おまえはブルドヴァー夫人から事件の記録ばかりか彼女のアクト(ヌード写真)まで受け取ったじゃないか。そんなら彼女の裸の写真のところにもどって、こころゆくまで、たっぷり楽しめばいい。
 その写真をネタにおまえの欲望や心に秘めた不倫願望を満足させるために三文小説やら異国情緒たっっぷりのテレビのシリーズものの筋書きでもひねり出すんだな
 さあ、今度はどんな具合にはじめるのかね?
 そんなものはお茶の子でさあ、ひとりでに出てきますよ。
 ご主人のほうは娘と一緒に買い物か遠足に行かせて、あらかじめ追っ払っておきます。奥さんのほうはこうら干しでもさせておきましょう。じゃま者はだれもいないと安心させるために、入り江のいちばん奥まったところにいることにします。
 ところが、ちょうどそこに、いいですか、密輸団の秘密の基地があったのです。
 夫人はギャングどもを見てびっくりします――そのときの最初の身構えが、あの写真に写っているあれなんですな。彼女は思わず、とまどったような、それでいてコケティッシュにも見える微笑を浮かべています。彼女の貞操は今や風前のともしびです。
 もちろん、苛酷な事実がたちまち現実となって現われます。男たちは飢えています。彼らを押しとどめるものは何もありません。思い思いに夫人をなぐさみものにしていきます。
 暴力の波が彼女の肉体を突き抜け、目の前が真っ赤な闇になり――このシーンの詳細な描写は、それこそむだというもんでしょう。私はだれもがみんな有能な読者であり、映画の常連なのですから、画面が暗くなった束の間を自分の好みに合わせて、いかに補うかをご存じのはずです。瞬間、目を閉じて無限を紡ぐ一瞬の夢を吸い込めばいいのです――
 さあ、暗転おわり。
 密輸人たちは獲物が警察に秘密の基地の所在を密告するかもしれないというので、彼女をさらっていくことにします。
 ロープに縛られたまま彼女はボートの底に投げ込まれます。密輸団のボスは女をめぐるいざこざを未然に防ぐために、次の寄港地である地中海東部の女奴隷市場で獲物を売りとばします。
 売った金はみんなで飲み、乗組員の友情はふたたび強められます。
 一方、夫人は大勢の見知らぬ荒くれの手を次々にたらい回しにされたあげく……
 以下、次回。
 ざっと、こんな具合です。空想力にかんするかぎり、私は涸れることを知りません。
 普通のテレビ番組もずいぶん勉強になります。
 たとえば、『アンジェリカ』シリーズをご記憶ですか――この番組からアイディアをちょっと借用して、効果満点の次の場面を作ることができます。
 仮に、酋長たちの争奪戦の場面からはじめるのはどうでしょう。
 彼らは自分のハーレムに超目玉の白人奴隷を獲得するためには、金銀はおろか、いかなる卑劣な策謀も辞せずといったかまえです――それというのも、ブルドヴァー夫人は本物の『アンジェリカ』の主演女優と同じくらいに上玉ですからね、その点は保証します。
 そういえば、このまえ、その番組を見ながら思ったんですが、この女優さんの魅力についての伝説はちょっとオーバーな気がします。女奴隷市場に花をそえるあの女優さん程度の娘だったら、毎日、ヴァーツラフ広場で十人やそこいらは簡単に探し出せますよ。
 女奴隷市場。
 そうですとも、これこそまさに第二の冒険シリーズのクライマックス・シーンなのです。 女主人公のトルコ風の下着はすでに裂けています。
 お客たちは肌もあらわな商品の品定めをしようとしています。
 美しい女奴隷はあわてて腕を体に巻きつけるようにして、ひじで隠そうとします――ブルドヴァー夫人の身振りです。物語作者の私でさえ止めるひまもなかったくらいです――そして、なんとかして身をかばおうとして途方に暮れるのですが、そのあいだにも、あちらこちらから怒号が飛び交うのです。
 要するに、フィルムは死んだ写真のように停止することはありません。
 さっそく、後ろから全能の競売の支配人が近づき、夫人の両腕の手首をつかんで、力まかせに腕を両側へ開かせます。
 そして、今やカメラは思う存分、むき出しの胸をを凝視し、黙りこくった茶の間でも、何百万人の視聴者がその画面を見つめて楽しんでいるというわけです。
 いや、違う! そうじゃない。
 最初からやりなおし。みんなご破算だ。
 あんなアンジェリカの低俗さ、ポルノもどきの筋書きは、私の事務室で、私の魂胆を一目で見抜いた、冷えびえとした灰色の知的な目をした女性にはそぐわない。
 安っぽい三文小説のヒロインならヴァーツラフ広場あたりの娘っこにならお似合いだ。 ブルドヴァー夫人が登場するには幼稚すぎます。
 要するに、女子修道院の寄宿学校に籍を置くロマンチックな女子学生より、はるかに知性的で、多分に冷淡で、即物的でさえある生身の現代女性に、とっくの昔に生命を失ったはずのヒロインの舞台衣装を着せようとしたのが間違いだったのです。
 それに、まだあります。シナリオライターはセルロイドに焼き付けたアンジェリカの影像に地獄の舞台装置のなかを駆け抜けさせたり、海賊たちが根城とする酒場の階段を雑巾がけさせたり、打ったり、蹴ったり、締めあげたりさせることができます。
 ヒロインの表情、上半身、全身は、一瞬たりとも画面から消えることはありません――彼女はけっしてぼろっきれに変わることはありません。
 ところがブルドヴァー夫人は、このような非現実的なセルロイドのにせものとはまった
く違います。私は本物の彼女――肉もあり骨もある(その肉は多すぎもせず、少なすぎもしない。その骨格は繊細のうえにも繊細な)実物――と対面したのです。
 私の頭には瞬間、こんな美女のほっぺたに一発くらわせ、徹底的に痛めつけるなんてお安い御用だという思いがよぎったものでした。こちらの場合は、ヒロインは絶対死ぬ心配のないテレビ・シリーズのフィクションとはわけがちがいます。
 彼女は死ぬものなのです――たぶん、だからこそ、私の目に彼女の魅力が何よりも最高に映ったのです。彼女にはロープとか鞭とか、そんな手荒な道具ではだめです。
 もっとデリケートな手口、心理的駆け引きが必要です。
 ストップ!
 やっぱり違う。私はどうも片方の面を誇張しておびえている。はたしてブルドヴァー夫人は、私がいま言ったように、本当に触れるのもはばかられるほどの玉なのでしょうか? これまでだって、何年ものあいだ、この不確実性の世の中を、なんとかうまくくぐり抜けて生きて行くには、それ自体、相当の策謀と強靭さを必要としたはずです。
 私たちを取り巻く現実には悲劇の種はつきず、映画製作者たちの考え出すような、命にかかわる危険がいっぱいと言えるのです。
 車は奈落へ墜落し、父親と子供は死亡して、夫人は助かりました。
 なぜなら、二人を迎えには行ったが、まだ一緒に乗るところまではいっていなかったからです。
 アンジェリカに出てくるのと、そっくりな偶然が彼女を救ったのです。
 それ以外にも、ありとあらゆる災難にめぐりあったのでしょうが、運の悪い人がまぬがれなかった災難も、ブルドヴァー夫人だけは運よくまくまぬがれてきたのです。
 彼女は五体満足に、無傷のまま生き残り、この危険極まりない地球上で二十四年のあいだ、車にひき殺されることもなく、病気や他人の悪意、あるいは単なる不注意、失敗などにも見舞われることなく、なんとか切り抜けてきたのです。
 私は彼女の体じゅうの皮膚を写真でつぶさに観察しました。
 その上、苦痛にもそこなわれることのないストレートな声、ストレートな表情、ストレートな首筋を知っています。
 ここにその成功例があります。
 それはまたひとかたならぬ手強さの証拠をも提供していました……。
 いや、夢のなかでなら、なにかこう、洗練された技巧とか、この夫人の扱いにそれほど気を使うこともないでしょう。女たちは十分すぎるほどの気配りに弱いと言いますな。
 まだ青っちろい小僧っ子のふるえる不器用な指先じゃ感じないんですかな……。
 私は本物の美人の写真を見ています。
 でも本当を言えば、結局、私もフィルムに写った幻影の美女を見ているんです。
 彼女はありとあらゆる業火のなかをくぐり抜けますが、けっして彼女は焼かれません。 カメラは、群衆の前にどうにでもしろと投げ出された裸の美女が、衆目のまえに身をとざし、永遠におびえる、かわいらしい姿を千分の一秒という瞬間のなかにとらえています――だとしたら、私が見て悪いわけはないでしょう?
 それに、私はこの美女の全側面を堪能しつくしたわけではありません。
 もしこんな娘が大富豪の大邸宅で生まれたとでもいうのであれば、手入れのゆき届いた歯や、美しく磨きあげられた肉体は、金にあかして雇った医者や家庭教師や美容食のせいだとなっとくできますし、誰もそう驚きはしません。
 ところがこの夫人は大邸宅どころか、プラハのど真ん中の生まれで、真綿でくるまって育ったのではないはずです。それでもなお、彼女は(ヴァーツラフ広場で毎日お目にかかれるお嬢さん方と同じように)上品に美しく成長したのです。
 彼女は見張りをさげすみ、いざとなったら、奴隷商人の前でも平然と自分から両腕を開いて見せることだって平気でやってのけるでしょう……。
 こんな娘たちの体のなかには、いったいどんなモーターが回っているのでしょうか。
 それにどんなバネが彼女たちの成長に弾みをつけ、ひとりでにあんな優雅さや、落ち着きや、威厳やらを身につけさせるのでしょうかね?
 それにまた、ある種の人間には、このようなバネがまるで存在しないというのはどういうわけなんでしょう?
 たとえば、私の家内とか、ま、私とかにはね――私たちにかぎってどこかへ駆り立てるようなものがないのはどうしてでしょう?
 どうして私たちだけが、こんなに醜いまま、おとなしくしているのでしょう?
 ブルドヴァー夫人は事務室に入ってきて、とてつもなく私を興奮させてしまいました。
 おかげで、私は有能な検閲係としての日頃の面目をつぶされ、取り乱し、この告白を書き記している今でさえ、論理的思考にたいする自信を根底からくつがえされてしまっているのです。
 そればかりか、私の内面を根底から、はらわたの端から端にいたるまで、かき乱してしまいました。次の日曜日のポーク料理のことも、家内との散歩のことも、もはや考えただけでも胸がむかむかしてきます。
 私に何かが起こったのです。
 たぶん、あの彼女のモーターが一瞬のうちに私に作用して、私の心の奥底にひそんでいた野心のバネを掘り起こし、ぐいと弾ませ、私がこれまで知らなかった異次元に私をはじき飛ばしたのでしょうかね?

 この酔ったような気分から覚めようとして、私は「ブルダ事件」の記録を取り出しました。
 私は、謎をかけるような、人をまどわすようなブルドヴァー夫人の一枚目のスナップ写真だけに見とれてはいけないと思い、ほかの写真にもむりやり注意を向けました。
 二枚目の写真はビキニ姿のブルドヴァー夫人の無意識の瞬間をとらえていました。
 砂浜にひざまずき、子供にリボンを結んでやっています。子供はまるまると太っていて、ちっとも嫌味がなく、十九年前にはブルドヴァー夫人自身がこんなだったろうと思わせます。
 いや、そうじゃない、ズザナは彼女の娘ではありません。その点を忘れないようにしなければ……要するに、この二人の体つきに何らかの共通性を見つけだす必要はないのです。
 ブルドヴァー夫人はほほ笑んでいます――子供にでしょうか?
 子供の顔は見えません(もちろん、継母の顔も、カメラのレンズもです)。
 なぜなら、子供の顔はリボンをもった大人の腕がかくしているからです。ブルドヴァー夫人が笑いかけているのはリボンを見てでしょうか……。そうなると子供にではない?
 私はいま継母などという失礼な言葉を思わず使ってしまいました……が、それというのも、私はほとんど無意識に、あのイメージを思い浮かべたからです。

     幼き頭 梳るとき
     真赤き血の 頬に滴る

 ある孤児をうたった悲しい詩です。
 ズザナの表情は見えませんが、新しい母親がこんなに親身な微笑を浮かべてリボンを結んでくれているというのに、涙を流すなんて、そんなことはあるはずありませんよね。
 それに、写真を写しているのは、やさしいお父さんじゃありませんか。
 どんなにか、この娘をかわいがっていたことやら……。
 涙を永遠のものとするためにシャッターを押したのですかねえ?
 ブルダ氏は幼い娘がドアの取っ手に触れないようにと、ただそれだけの理由でツー・ドアの車に変えたのです。猛スピードで走らせるのは好きだったが、格好のいいスポーツカーを買ったのはスピードのためではなかった。
 新しい見目うるわしいお母さんをもらったのも、子供のために必要だったからです。
 お母さんをスピード同様に愛してはいたが、第一の目的は……
 次の写真はブルダ技師自身です。満ち足りた四十五歳のパパです。
 ズザナが生まれたとき、父親と実の母親は四十歳でした。ブルダ氏と新しい母親との年齢の差は二十一歳で、相当のひらき、ほとんど父と娘と言ってもいいくらい……。
 写真のなかのブルダ氏は、砂の上に横になって寝ています。
 私がこの年のころにはもう腹が出ていました。彼はまだスマートです。きっと体のなかにバネをもっているのでしょう。私にはありません。
 スポーツをやっているからでしょうか、バレーボールやテニスを。
 もちろん、今はきわめて幸せそうにくつろいでいます。ラケットは壁にかけてあるのでしょう。この休暇のあいだだけでなく、もう、ずうっと……。
 しかし、よく見ると、この写真の日焼けした男性も、何もしないこと、うとうととまどろむこと以上に幸せな瞬間はないと思う、人生の段階に到達したのではないかという疑念がわいてきませんか?
 ブルドヴァー夫人は、まさにその瞬間をとらえようとしてシャッターを押したんじゃないでしょうか?
 私たちは満足しきった人たちのあいだにいます。かわるがわる写真をとっています。
 夫人は子供のリボンを結わえたり、ボールを投げたりしています(そういえば、次の写真ではこちら向きの子供の姿が見えます)。
 別のところでは、また母親が安眠中の父親をフラッシュで写しています。
 これらの写真は、なごやかな雰囲気をそのままとらえています、が  私の体のなかに緊張が高まって来ました。この私が思慮も分別も失いそうなのです。
 それというのも、もう何枚か先にある写真を知っているからです。
 それだからこそ、私の心のなかはひっくり返るような騒ぎなのです。
 不意に私のなかでもバネがはねました。たしかに意地の悪い、猜疑心の塊のようなものでしたけれども、そのバネは私の物語を奇妙な方向へはじき飛ばしました。
 それはさておき、技師ブルダ氏は愚かな人間ではないはずです。
 そのようには見えません。あのような地位、別荘、まばゆいばかりの奥さんをものにしたのです。一般の凡人たちとは違います。
 最初の奥さんが亡くなって、一年後に再婚するとき、その選択には十分な配慮をおこたらなかっただろうということは考えられます。
 スピードを愛していた。それにもかかわらず娘第一に考えていた。
 自分の秘書のことは仕事のうえからよく知っていた。ソファーの上で信頼し合うほどまでに知っていたのかもしれません。
 おそらく、先妻のブルドヴァー夫人がガンで(後妻のブルドヴァー夫人はこのガンという言葉をことのほか強調していましたっけか)亡くなる以前から、もう始まっていたのかもしれません。
 しかし、二番目の花嫁がどんなに気に入ろうとも、ブルダ氏のようなタイプの人間が結婚式を挙げるのに先だって、なにより先に考えるのは娘のことでしょう。
 彼はテストに、秘書嬢を家に連れてきて、彼女がズザナに、ズザナが彼女にどんなだかを観察したでしょう。なにはともあれ、結婚したということは、その相手を百パーセント信用したからでしょう。
 もし、そうでなければ、少なくとも、その相手のほうが一枚上手で、彼の信用を獲得する手練手管を知っていたからか……です。
 私は最初から疑っていました。私の身中にはひねくれ虫が巣くっているんですな。
 生きているほうのブルドヴァー夫人は薄グレーの氷のように透き通った瞳をしています。 そしてブルダ技師は几帳面な技術者で数学に強くて、学者肌だったのかも……。
「神経質なくらい……」と彼のことを夫人自身が私の事務室で言いましたよね。
 砂浜での写真をどう順番を変えて眺めてみても、休暇を楽しむ気の合った三人という以外には何も出てきません。三人のなかの二人の終局を意味する、想像もできない惨劇を予想させるものは何一つないのです。
 偶然だった。ブルドヴァー夫人は、偶然、助かったのです。
 幸運だったのですかね? 彼女の苦虫を噛みつぶしたような微笑、首まで隠れた黒いコートの肩をかすかにすくめる、あの瞬間の動きが今でも、私の目に浮かびます。

 この極め付きの写真ではその肩は、私のまえにあらわになって身構えています。しかし同時にコケティッシュで挑発的です。それは私の誤解でしょうか?
 実のところ、この写真が普通のポーズの写真なら、たとえほとんど衣装をつけずにカメラの前に立っているとしても、こんなに想像をたくましくなどしません。
 思うに、テレビのアンジェリカ・シリーズに出てくる女優さんたちや、それと同類の女性たちは体のなかにモーターをもっていて、それが彼女たちを美しくなろうとする努力や、成功しようというあくなき欲望へと駆り立てるんでしょうな。
 彼女たちが成功とみなすもののためなら、いさぎよく恥も魂までも犠牲にするのでしょう。
 それにしても、彼女たちの魅力的な容姿は、映画的装飾やメーキャップ、照明家たち、カメラマンたちの魔術に助けられています。
 シナリオライターは彼女たちの周囲の雰囲気をいくらでも濃密にしますし、調味料をたっぷりそえて、銀の皿にのせてご馳走してくれます。
 ほれ、ご覧の通り、ここに取りいだしたるは超一流の映画スターですし、大衆によって十分吟味されたアイドル、完全無欠そのものです。そうなりゃ、あんただって、遠慮はせんでしょう……!
 前宣伝のときから、もう、喜んで信じ、愛し、崇拝する、どうにでも操作できる一般大衆のように、私たちは映画のなかに吸い込まれてしまいます。
 私は劇場初日のハプニングのことを読んだことがありますが、いかにもありそうなことに思えました。
 演出家が舞台裏で、登場のきっかけを待っている使節役の俳優に気づいて、びっくりしました。彼は舞台に出て、訪問国の国王に自分の国からの贈物の宝石箱を渡す仕事があるはずなのに、なにも持っていないのです。
 小道具係がうっかり、その宝石箱を渡すのを忘れたのですな。
 あわやという瞬間、演出家はその俳優を待機している舞台の袖から呼びもどして、たまたま近くで出番を待っていた宮廷貴婦人の帽子から駝鳥の羽根を抜き取り、それを使節の手に押しつけて、急場をしのいだというのです。
 舞台ではすでに使節の到来を告げるファンファーレが鳴り響いていました。
 その俳優はやっとの思いで舞台に出ると、ふるえる手でうやうやしくその羽根を王様に手渡しました。
 そこで王様はその羽根をもっともらしく受け取り、驚いたような表情でその羽根をしげしげと眺めてから、礼を言って、わきのテーブルの上に置きました。
 劇は進み、観客はなんの異変にも気づきません。
 人口の光のなかで、舞台の非現実の輝きに包まれて、人びとは宝石の、正真正銘の宝石の贈呈式を見ていたのです。
 たぶん、私のなかにも、なんとか懸命になって羽根を宝石に変わるように、ガチョウを白鳥に、ごく平凡なただの美女マリリン・モンローを超絶的セックス・シンボルに、ブルドヴァー夫人を女神に変わるように演出し、援助の手を差し延べようとする何かがあるのです。
 恋をすれば誰もがやること……。
 ひょっとして、私はブルドヴァー夫人に恋をしているのでしょうか?
 まさか!
 洗面所に鏡があります。私は行って、恋人役のフベルト・マトラッチの容貌がどう見えるか確かめずにはいられなくなりました。
 しかし、結局、そこには、老犬の怒ったようなしかめっ面がこちらを見つめているだけでした。その面構えは相変わらずで、いささかの改善も見られません。
 私は自分で自分を説得しはじめました――このおまえの醜い面がブルドヴァー夫人の輝くばかりの面と並んでいるところを想像してもみろよ。そうしたらおまえの頭のおかしいことが自分でもわかるだろう。
 書類のなかの写真を見たいというのなら、勝手にしろだ! ところが、あつかましく女の手を取ろうというのは、そりゃあ、世間のお笑いぐさだぜ。道化もいいとこだ。
 私は耳をつんざくばかりの哄笑を脳裏に思い浮かべることができました。不快な響きだ。私はあらゆる騒音を一挙に黙らせたくなって、トイレの水を流しました。
 しかし事務室の静かさのなかにもどった後も、ついに抵抗できなくて、女神のほうへまた一歩、運命的な一歩を、あえて踏み出したのです。
 私は、彼女をもう一度ここへ呼び出したいと思ってはみたものの、その口実をついに思いつくことができなかったので、せめて声だけでも聞きたいと思いました。
 きわめて事務的な事情聴取のあいだも、私の目をじっと見つめ、すべてを見抜き、それを隠そうともしなかった、あの、なんのわだかまりも、けれんみもない、ストレートな声を……
 私は質問の内容をよく考えもせずに、急いで受話器を取りました。番号をまわすあいだにも、額に汗がにじんできます。やや、間をおいて、まったく予期しない声が電話線の向こうの端に出て、明るい声で私の質問に答えました。
「ブルドヴァー夫人は今日は事務所に出ておりません。休みを取って、運転免許の試験を受けにいっています」
 私にもその答えに調子を合わせるくらいの余裕は残っていましたので、軽い調子で言いました。
「うまく、受かるといいですね」
 受話器のなかで、くすくすと笑う声が聞こえました。
「へいちゃらよ、うちのブルドヴァー夫人は大砲なんですからね。なんでもドカンとやっちゃうのよ。なんなら、ご用件をお伝えしておきましょうか?」
 今度は完全にどもりながら言いました。
「いえ、結構」
 私は熱いものでもつかんだみたいに、受話器を放り出しました。受話器のなかで聞こえていたよその事務所のざわめきは消え、あたりの沈黙は一層深くなりました……。
 そういえば、向こうではなにかのお祝いでもしていたのでしょうか?
 私は、ふと、陽気にはしゃいでいたのは、私に答えた声だけではなかったような気がしました。同じような声が背後でも、それにもっとほかの音も、グラスの触れ合う音までが聞こえていたような気がしました。
 事務室で祝杯をあげるなんて、別にめずらしいことではありません。ずっと以前のことですが、ちょっと陽気なヨゼフやヴァーツラフの名の日には、この老犬のしかめっ面も祝いに呼ばれたことを覚えています。
 しかし、私がかいま見たブルドヴァー夫人の職場があんなにくつろいだ雰囲気であったのは意外でした。何を根拠にそう思ったのかはわかりませんが、職場も彼女とともに喪に服して、襟の高い黒い衣装を身にまとっていると思っていたのです。
 私がもっとショックに感じたのは、そのはしゃいだ娘の言葉でした。それは私の白鳥のイメージを冒涜するものでした。
 うちのブルドヴァー夫人は大砲よ、なんでもドカンとやっちゃいますだと! こんなときに、のほほんと運転免許の試験を受けに行っている。
 いや、さすが、これには驚きました。どうも気に入りません。ブルドヴァー夫人はあの悲劇からまだ三カ月にしかならないというのに、もう車の構造やら交通法規の暗記に頭を使っているのです。そんなことできますかね?
 どうして気に入らないか言いましょうか?
 人生は舞台の上の芝居と同様に、どんどん先へ進んでいきます。多少、まずいことがあっても誰も気づきません。現に、この事件だってそうなりかかっています。
 いろんなもののなかには、先延ばしできないことがあり、自動的に処理されていきます――悲しいとか悲しくないとか言っている暇はありません。
 ブルドヴァー夫人は私にはわからない、何かの理由から運転免許の試験を受ける必要が生じた。ただそれだけの話なのでしょう。
 それにしても、ブルドヴァー夫人は首のところまでぴったりの喪服を着て試験にのぞんだのでしょうかね。
 その服装は、試験官の同情を引くのにも好都合だったかもしれんませんな……。
 もっと変に思える点がほかにないわけではありません。
 いったい、どうしてブルドヴァー夫人はずっと以前に運転免許を取っておかなかったんでしょうね? なんでもドカンとやってしまう女性なら、もう、とっくに車のことなんか心得ていてもいいはずです。
 もし彼女が車のことを知らなかったのだとしたら……?
 これこそ、私のなかで執拗に頭をもたげ、しかも絶え間なく私の心をさわがせる、ある冷酷な、秘密の仮説によって、私、フベルト・マトラッチが、解明したいところの疑惑なのです。
 ブルドヴァー夫人がこれまで車のキーに触らせてもらえなかったのはなぜか。
 また、いかなる事情によって運転免許証を必要としなかったか。
 この疑問を論理的に説明するのはきわめてやさしい仕事です。
 彼女が今はじめて自分の車を買おうとしているというのは本当でしょう。
 そのための費用は当保険局が彼女に支払うわけです。ただし、この「HM」氏が「支払い許可」の署名をすればの場合ですがね。
 これまでのスポーツ・クーペは典型的な技術屋さんであるご主人だけの所有物だったのです。こういうタイプの人は自分の宝物を絶対だれにも触らせません。自分の奥さんにもね(たとえ深く愛していたとしてもです)。
 その上、ブルダ氏は娘のズザナを後ろの座席にすわらせていた(きっと娘を愛していたのです)――どんなことがあっても、ハンドルを自分以外の人間にまかせなかった……、ということは、つまり、娘の生命を第三者にはゆだねなかったということです。
 ブルドヴァー夫人がこれまで運転免許の試験を受けずにきたという理由は、まあ、ざっとこんなところでしょう。
 しかし、このことは彼女がエンジンの構造について十分知っていたという仮定を否定するものではありません。
 たとえば、南のマツレに行ったとき、どこかのネジをいじるとか、仕掛けをしたり、いたずらをする……とかできるくらいのことは知っていたでしょう……。
 ――おい、この老いぼれ、少し頭を冷やしたらどうなんだ。おまえはまたもや話を急ぎすぎている。おまえはすぐ愚にもつかないよた話に夢中になるが、今度は探偵ものか。そんなら聞くが、小説のなかならともかく、こんな複雑な事故を仕組んで殺人をやらかすことができる超能力の女が、この世のどこかにいるとでも言うのか?
 つまり、マツレでの状況は百発百中の名人芸を必要としたということです――事件を成立させるための技術面での要求は、どんなに機械いじりになれていようとも、なまじっかな素人の手に負えるような、そんななまやさしいものではありません。
 ブルダ氏はいつも車をきちんと整備していて、彼に気づかれずに何かをいじるというのはそう簡単ではありません。
 熟練した運転手の耳はエンジンをちょっとかけただけで、回転の異常に気づくでしょう。車輪や運転系統に手を加えるということは条件的になおさら困難になるはずです。
 車が故障を起こすのがあまり早くてもいけません。
 何キロかはなれた魚市場まで行って、もどってくる途中、たくさんのカーブを通り抜けて、まさに最後の、最も危険なカーブにさしかかったところで、猛スピードで道路から飛び出さなければならないのです。
 もし車の調子が少しずつおかしくなったのだとしたら、運転手は気がついて、スピードを落とすはずです。もし仮に、突然、重大な欠陥が車に生じたのだとしたら、その後の、警察の注意をまぬがれるわけにはいかないでしょう。
 残骸はたしかに詳細に調査され、報告書には両方のブレーキ系統にも異常がなかったと報告しています。しかもパンクをしなかった四つのタイヤの空気圧まで記録していますし、そのほかにもいろいろと……
 あのとき、ブルドヴァー夫人は唇のあたりにうす笑いを浮かべながら、「タイヤの跡形まで正確に計って……」と言っていましたが、まったくその通りでした。
 あの、うす笑い!
 彼女は、はたして、私がフィルムに仕込まれたトリックの手順どおりに、技術的に超絶技巧の仕掛けを推理するだろうということを見通して、嘲笑していたのでしょうか?
 いや、そうじゃありますまい。彼女の微笑はほかのことを意味していたのです。
 私も彼女がはじめて口をゆがめた瞬間、本当の意味を了解したのです。
 彼女はあのとき手で書類を指して、そのなかにすべてが入っていることを言おうとしました。そのなかに何があるのか。私が何を考えているかを。彼女はとくにあの微妙な写真のことを、それに、私がどんなに貪欲に写真を眺めたところで、しょせんはむだだと言いたかったのです。
 しかし、いいですか。ここのところに、新しい、しかも不思議な問題の側面が開けてくるのです。
 もし夫人がごくプライヴェイトな、事故の公式の証拠写真としてはあまり意味のない写真を警察が加えることを知っていたのなら、どうしてそのとき、その場で拒否しなかったのでしょう?
「それはプライベートな写真ですし、事件には無関係です。事故のまえに写した写真まで取り上げる権利は警察にだってないはずです……」とかなんとか言えばよかったのです。 なにしろ、ヴラスタさんは大砲ですからな、何かほかの魂胆があったのかもしれません。
 ところが、今日も彼女は、未亡人の喪服の助けをかりて、ちょっとばかり運転免許の試験官たちの好意をまんまとせしめる仕掛けをしたというわけです。
 つい最近も、彼女は似たようなことをしました。
「HM」のイニシアルをもつ保険局の検閲係の神経を逆なでしたのです。
 そしてこの検閲係が彼女の衣服の下にかくされている財宝の価値の値踏みができるようにと、ご親切にも書類のなかに、この微妙な間幕劇(セミ・ヌード)を挿入していた……。
 それとも、何かのはずみに、すでにその写真は書類のなかにまぎれ込んでいたのだが、彼女は警察がそのままにしておくのを、少なくとも知っていて拒否しなかった。
 私にはマツレの警察での場面がはっきり浮かんできます。
 賢そうな、薄グレーの瞳がじっとユーゴの警官の上にそそがれています(きっと黒い髪をした、体格のいい、「HM」氏よりは血気さかんな青年のはずです)。
 その男はその写真にすっかり魅入られたことをかくそうともしません。
 夫人は言います。
「ねえ、ちょっと、その写真、返してくださらない……。主人たら、その写真がよその方の手に渡るなんて、思いもしなかったんです……」
 彼女の哀願は例の「やめてちょうだい!」という叫びと同時に「見たけりゃ、この腕ほどきなさいな!」という挑発的な通奏低音も聞こえてきます。
 しかし警官の太い指が写真から離れようとする、その瞬間、もう一度、別のことを低い声でささやきます。
「それとも、こうしましょうかしら? その写真のことはもう忘れますわ。どうせ今となっては、あんな写真、見たくもありません。だって楽しかったときのことを思い出させる
だけですもの。それなのに、あんなことになって……。あなたのおっしゃる通りかもしれません。書類のなかには完全なフィルム、すべてのことにかんする記録がなくちゃいけませんわね。事故のまえどうだったか、事故のあとどうだったか……」
 そして、ため息。
 はたして、こんな具合だったでしょうか? 私の作り話はどんどん駆け足で進んでいきます。どうやら、もっと確かな地盤の上にもどったほうがよさそうです。
 しかし、いったい、何が確かで、確実なのでしょう?
 この写真ですか?
 じゃあ、この写真をじっくり見てみようじゃありませんか。
 ブルドヴァー夫人は、まるで何かを、巧妙に隠しているようじゃありませんか。腕でかくしているのはオッパイだけではなさそうです。それに何もかもが複雑にからみあっています。
 彼女のポーズにしても、やや挑発的ですし、危険な火遊びをしています――ほどけるものなら、ほどいてごらん、あんたなんかにできるかしら?
 普通の女性なら羞恥心というのは正常な現象です。誰でも知っていますし、誰も問題にもしないでしょう。
 普通のごまかしや、普通の保険金詐欺だって、とくに取り立てて言うほどのことではありません――私の仕事はどんな被保険者にもペテン師的傾向があると前提することで成り立っています。
 彼らをおこたりなく監視し、必要とあれば疑わしい記録のしかるべき箇所をチェックするのです。私は毎日、検閲係のこのような責務を遂行しています。
 そして夜は心安らかに眠ります。ブルダ事件だけが私の紋切り型の仕事の流れを麻痺させ、私を立ち止まらせ、安眠を奪ったのです。
 つまり、ここにはどうも異質なものがあります。まかり間違えば、ここには悪巧み(あの夫人の羞恥心のような)があって、にっこりほほ笑んでいるかもしれないのです。
「さあ、勇気を出して、やる気があるんなら、謎を解いて、ほどいて、何が出てくるかやってごらん……!」
 こういう挑発は正常ではありません。一見、自信にあふれ、傲慢に見えるようにふるまっても、それは見せかけにすぎません。
 保険局の私の部屋でのブルドヴァー夫人の高飛車な態度のなかからだって、私のこの鼻は、あの何か妙な落ち着きのなさ、どこか心の奥底に弱みをもっているなという気配をかぎつけないはずはないのです。
 それだからこそ、この隠された、今のところははっきりしない弱点が私を刺激し、引きつけるのです。
 この老犬の頭に、これまで経験したこともないような狩りが、自分の楽しみのためにだけ味わえるという、狂喜にちかい思いを吹き込んだのです。






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