goaisatu ごあいさつ

  ごあいさつ                                  LN.1938.12.25

 人はいろんな国について何かしらの印象をもっています。でも、それはその民族が大事宝にしているような、そんなものとは必ずしも一致するとはかぎりません。ある国や民族を、その政治や体制や政府や一般の世論や、あるいは、そういった類いのものと何となく一致させるのがもう習慣になっています。しかし、その国を何とはなしに、生き生きと思い起させるもの、それはまた別の何かなのです。それは決して自分で考えだしたり、決めつけたりできないもの、あなたが見たもの、まったく偶然に出会ったもの、ありふれたもの、そういったものがあなたの記憶のなかに自然に浮かび上がってくるはずです。まさにその、外でもない、そのささいな体験が、どうしてこんなにも強くあなたの記憶に焼付いているのか、誰にもわかりません。要するに、たとえば、イギリスを思い出す、それだけでいいのです。するとその瞬間、あなたの眼前に浮かんできます

 だから、あなたが何を見ておられるか、また、あなたの場合、それがいったいどんなイメージなのか私にはわかりません。でも、私の場合なら、それは端的に言って、ケントの一軒の赤い家です。それに何かのいわくなど、あるわけではありません。
 列車がフォークストンからロンドンへ猛スピードで走っているとき、ほとんど一瞬、それが目に止まったのです。本当はその家はとくに取り立てて言うほどのものではありません。庭に老人がいて剪定ばさみで生垣を刈っていたのです。そして、もう一方の側には低木の茂みがあり、一直線の道を娘が自転車に乗って走っていた。ただ、それだけのことなのです。だから、その娘がどんな顔立ちだったかさえ覚えていません。
 その黒い服の老人にしても、ほんとは、教区牧師だったかもしれませんし、休日の商人だったかもしれません。要するに、そんなことはどうでもいいのです。
 その家には高い煙突があり、白い窓がついていました。それはイギリスならどこにでもある赤い家でした。だから、その家についてそれ以上言うことはありません。それでも、イギリスの話が出ると私はこのケントのありふれた家と庭ばさみを手にした老人と、まじめな顔をして自転車をまっしぐらに走らせている娘とがありありと浮かんできて、何ともやるせない思いに駆られるのです。
 私は向こうでいろんなものを見ました。たとえば、城や公園や港をです。イングランド銀行やウエストミンスター寺院、それにいろんな歴史的な記念碑まで見ました。でも、それは私にとってイギリスの全体ではありません。私の完全なイギリスは、それは緑の庭をもった質素な家、それに老人と自転車の娘です。なぜ、そうなのかわかりません。ただ、そうだと言うだけです。

 あるいは、ドイツを思い出そうとすると、私の目に浮かんでくるのはいつもバイエルン地方の古い酒場です。それがポツダム門でも、軍隊の行進でもないのは、私にはどうしようもありません。実は、私はその酒場に一度も行ったことはないのです。ただ、いつだったか、ニュールンベルクへ行く汽車のなかから見ただけなのです。夕方でした。そこには生きものの影は見えませんでした。
 その酒場は高くて、大きく広がり、まるで手のひらの上に押し込めた古いおもちゃのような町の真ん中に建つ教会かなんぞのようでした。その前にはニワトコの花が咲き、酒場へ上がる石段がつながっています。その酒場の威圧するような広大さには思わず吹き出しそうになりました。なんとなく暖かい巣のなかで居眠りをしているめんどりを思い出させます。  本当です。私はドイツでその古臭いバイエルン地方の酒場よりは、それらしい、特徴的な、ドイツ的なものを見てきました。しかし、あの堂々とした、そして羽を大きく広げたような酒場がそれらのすべてのものを圧倒したのです。
 私にもなぜだかわかりません。でも、それが私にとってのドイツです。

 それとも、フランスを思い出すんなら、ありとあらゆるいろんなことを思い浮べられるはずだとお思いでしょうね。それが私の場合には、どうしても振り払うことのできないイメージがあるのです。それはパリの通りの外れも外れ、そこは野菜畑の間に何軒かの酒場やガソリン・スタンドが建ったりしています。
「オゥ・ランデヴ・デ・ショフェール」と書かれた布の張出し屋根の付いた酒場の前には、亜麻色毛のノルマンディー産の去勢馬がつながれた重そうな二輪馬車が止まっています。だぶだぶの上っ張りを着た農夫が藁帽子をかぶったまま、分厚なグラスについだ白ワインをゆっくりと飲んでいる、それだけです。それ以上のことはここでは何も起りません。
 ただ、太陽だけがチョークのように白くギラギラと燃えていて、青い上っ張の農夫は顔をまっ赤にしてグラスを飲み干しています。仕様がないんですね、これが私のフランスなのです。

 それとも、スペイン。それはまたプエルタ・デル・ソルの酒場です。隣のテーブルには黒い服を着た黒髪のお母さんが座り、小さな丸い頭で、すごくまじめな黒い瞳をした赤ん坊を腕に抱いています。で、黒いソンブレロを首の後ろにたらした父さんは黒い目のわが子に向かって一生懸命におどけた、しかめっ面をして見せています。それは何でもありません。旅行者なら世界中のいたるところで見かける風景です。ただ、世界中の他のどこの土地でよりも、南国のここでは特別に、お母さんはほんとに聖母のように、父さんはほんとに勇士のように、赤ん坊はほんとに神秘なおもちゃのように見えるのです。私がスペインについて読んだり聞いたりするとき、アルハンブラやアルカザルは全然浮んできません。でも黒髪の聖母の腕のなかのかわいらしい赤ん坊は目の当りに見えるようです。

 または、イタリア。普通の人ならコロッセウムとか松林とかベェスビィアス山などを思い浮べるでしょうね。でも、私は、全然! 汽車です。ゴトゴトと走る鈍行列車です。たしかオルヴィエトからローマへ行く汽車だったと思います。もう夜でした。向かいには眠り込んだ労働者が座っていました。彼のくしゃくしゃの頭は重く、ただ無意識のままに揺れていました。間もなくそのイタ公は目を覚まし、鼻から大きな息を吐き、手の甲で目をこすりながら、何か話しかけましたよね。覚えているでしょう? でも、あなたは言葉がわからない。それに、あなたは相手に気を許さなかった。すると、その労働者はポケットに手を突っ込んで、紙に包んだチーズの塊を取り出し、すごく無造作なしぐさで、少し切り取るようにすすめます。こっちじゃそういう習慣があるんです。すべきことは決まってますよね。山羊のチーズの切れ端をにぎった荒らくれた手。要するに、これがあなたにとってのイタリアのすべてです。

 今日では、国と国とがすごく遠ざかったように思います。だから人間はいろんなことを考えます。本当に、多くのことに腹を立て、そして言います。何があったか、絶対に忘れないからな、と。ですがね、このかつてない遠さと他人行儀について私たちは何を言うことができるんです? そこで、たとえば、イギリスを思い出します。すると急に目の前にケントの赤い家が見えてきます。老人は依然としてはさみで低木を刈り込んでおり、娘は背を張って元気よくペダルを踏んでいます。
 ほら、あなたは本当は挨拶がしたいんでしょう?
「ハウ・ドゥ・ユー・ドゥ?」
「ハウ・ドゥ・ユー・ドゥ?」
「いい、お天気ですね?」
「イエス・ベリー・ファイン」
ほうら、ごらんなさい、もう終わりました。これでが軽くなったでしょう。
 今度は石段をのぼってバイエルンの酒場へも行けますよ。ハンガーに帽子をかけ、挨拶をします。
 「今日は、みなさん」 
 すると彼らはあなたが外国人であることに気付き、テーブルを囲んで少し声を低くして話すでしょう。ときどき、あなたのほうを探るように見ています。しかし、あなたが自分のジョッキの底を彼らと同じように黒いナプキンでぬぐっているのを見たとたん、彼らは警戒心をゆるめ、尋ねるでしょう。
「どこからいらしたかね、旦那?」
 プラハからですよ。そうかい、プラハからね。みなは驚きます。すると中の一人が言います。わしも昔プラハへいったことがあるがね、と。三十年前。美しい町だ、と。
 すると君だって少しはうれしくなります。  それとも、「オゥ・ランデヴ・デ・ショフェール」に君は立ち寄るかもしれない。
 青い上っ張の農夫はちょうど白ワインのグラスを飲み干したところです。そして手のひらで髭をぬぐっている。
「暑いですね」とあなたは言います。
 「あんたの健康のために!」
「あんたのために」と農夫も言います。
 それ以上はもともと言うことはないのです。
 でも、あなたは言います。「いやあ、小父さん、本当に気を悪くしないでもらいたいんだが、どうです、もう一杯一緒にやりませんか?
 そこで、君もそのスペインの赤ん坊に向かって顔をしかめて見せかねませんよね。
 あなたに、しかつめらしい堂々とした瞳が向けられるかもしれません。黒髪のお母さんはさらに一層聖母のように見えるでしょうし、カバレロは帽子を首に引っかけ、君に何かスペイン語で話しかけるでしょう。しかし君にはわからない。そんなこと構いはしない。ただ、子供が驚かなきゃいいんだ!
  そして君はチーズを少しばかり切りとらなきゃなりません。グラツィア、グラツィア。
 口をいっぱいにしてささやき、お返しにタバコを差し出す それだけのことです。
 もともと人間同士、なかよくしようなんてくどくどと言うことなどありはしないのです! どうすればいいんです。国と国との間がすごく遠くなってきました。私たち誰もがだんだん孤独になっていきます。君はもう家から一歩も出ないほうがいい。門をしめ、窓を閉じたほうがいい。そして、今こそ私たちすべてを愛してほしい。私にはもう誰のこともどうでもよくなった。それじゃ、君は今こそ目を閉じて、静かに、ほんとに静かに呼びかけることができるよ。
「ハウ・ドゥ・ユー・ドゥ、ケントのおじいさん!」
「今日は、マイネ・ヘルン!」
「ありがとう、シニョール!」
「ア・ヴォートル・サンテ!」