03. 「白山後」時代のチェコ文学の第一世代


 民族文化の代表者たちは亡命生活のなかできわめて悲惨な状況にあえいでいたが、国内では逆にもっとひどかった。亡命者たちは、少なくとも公然と口に出していえたが、ハプスブルク専制体制下にとどまったチェコ国内の民族的活力はあらゆる側面から圧迫された。外国人支配者たちはチェコ民族の力が何世紀ものあいだにつちかわれ広い階層にゆきわたった文化にあることをよく知っていた。だから支配者たちは主要な攻撃目標をイデオロギー的前線に向けたのだった。そこにはエズイット派という最良の道具があった。エズイット派のものたちはきわめて巧みに戦術を転換し、もっとも現実的要求に適応させる術を心得ていた。彼らは自分たちの作品のなかで愛国心を強調することによって、広い層の人たちの趣味に迎合し、民衆的読者の一定の範囲にそれを近づけていった。ふたたびカトリック化の努力にとってもっとも有効だった文学の種類は説教であり、聖者伝、宗教詩および宗教劇だった。そのなかでもとくに説教と劇は直接的に民衆層に作用することができた。レゲンドと劇は、しばしばチェコの歴史から題材をとったもの、チェコ人の聖者にかんするものを改作した。やがて劇は観衆の感情と感覚に効果的な作用を及ぼすために、けばけばしい舞台装置や、人の度肝を抜くような効果を用いるようになった。
 エズイット作品の愛国心はその大部分が反動的性格のものであった。なぜなら、作者たちはカトリックの伝統に結びついているから、カレル四世の時代にまでさかのぼるからである。その愛国心と歴史的関心によってエズイット派のなかにあって、おそらく唯一スポットが当たるのは、小学校の教師ボフスラフ・バルビーン(1621―1688)であろう。彼はこの主題にかんする自分の関心を公認の見解にたいして逆転させた。そして「あまりにも強い祖国愛」のゆえに、プラハからクラトヴァに追放されたが、「そこでも力を損なうことはなかった」。バルビーンはクラトヴァで彼の最も重要な、政治攻撃的著作、ラテン語による『スラヴ語、とくにチェコ語の弁護』(1672年頃)を著している。この著作は再興期においてもペルツルによって出版されている。そして大勢の再興期の人たちに影響を与えた。 バルビーンはチェコ社会の文化生活から市民階層が消滅したことについての哀悼の念から生み出された一連のチェコ歴史の作品の著者であると同時に、韻文作品、学校用の文学理論の手引書、そして聖者伝的著作の著者であった。しかし残念ながら彼はラテン語でしか書かなかったから、彼が成長した市民階層の世界から解放されることはなかった。そのため彼の作品の社会的な普及を自ら狭めることになった。
 バルビーンの時代の歴史にかんする関心は特筆すべきものがある。バルビーンの友人トマーシュ・ペシナ・ス・チェホロドゥはモラヴァの歴史に没頭し、ヤン・フランティシェク・ベツコフスキーは大衆的チェコ史に取り掛かっていた。だが、それと同時に一連の民衆的年代記作者もこの領域における著作につとめた。それらの年代記作者の作品のなかでもっとも有名なのはヤン・フロリアーン・ハンメルシュミットの『クラトヴァ史』、ヤン・コジーネクの『クトナ山の古い思い出』である。コジーネクの有名な文学作品のなかから『ナイチンゲール・ソナタ』という注目すべき音楽手法で現代に取り入れられた。つまり、J.クルチェクがこのテキストを彼の電子音楽作品に用いたのである。もちろん、生存中に出版されたのはほんのわずかの作品だけで、多くは手稿のまま残され、現代になって多くの作品が発見されたのである。
 オリジナル、翻訳(パラフレーズ)をふくめて、すぐれた詩人たちが宗教詩の領域で見出される。この領域に属する詩人としては、世俗人アダム・ヴァーツラフ・ミフナ・ス・オトラドヴィッツやエズイットのベドジフ・ブリデルとフェリックス・カドリンスキーがいる。これらの作者の作品は主なヨーロッパのバロック文学の傾向とチェコ文化の伝統およびチェコ民族の要求とを結びつけ、同時に主要な近代的文学ジャンルの萌芽も宿している。







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