舞台監督の部屋



[報告] 舞台監督の視点 ===ある舞台事故の場合===



   昭和48年6月、舞台事故が起こった。
   某タレントが舞台のセリ(迫り)から転落し重傷を負ったのである。そして、その損害賠償請求訴訟の一審判決が提訴以来十年を経て、昭和60年10月にやっと下りた。結果は原告のほぼ全面勝訴となり、被告の四者、つまり、女性歌手およびそのG・Aプロダクション、会場の所有者K市、この公演の企画を請負ったH興行社のいずれもが賠償責任あり認定され、7千万円の賠償金を支払うようにと判決されたのである。
   この判決は舞台事故の賠償請求裁判の初めての裁判所の判断として、われわれ舞台にかかわるものにとって無関心でいるわけにはいかない。何故なら、われわれは常日頃、このような事故の原告とも、被告ともなる可能性のある立場で仕事をしているからである。
   では、被告の四者はどのような点で責任を問われたのであろうか? 以下、この事故の経過をたどり、私なりの問題の提起をしてみたい。


(1) 事故にいたるまでの経過

   地元のある企業が社員の慰安会を計画し、その興行をH興行社に依頼した。Hは興行社は二部からなる演芸・歌謡ショーの企画を立て、その第二部歌謡ショーの中心歌手としてYさんを決め、さらに、もう一人の出演者としてX氏を選び、各々、別個に出演契約を結んだ。
   さて、Yさんはこのショーの一週間前、舞台の下見と打合せをかねて、歌謡ショーの会場であるK市の会館に立ち寄った。
Yさんは打合せの過程でこの会館に大と小のセリが設置されているのを知り、セリの使用を申入れた。しかし、迫りの使用には別料金の支払いが必要なこと。また、自分の出演する歌謡ショーにX氏の出演が予定されていることを会館の職員から聞かされ、H興行社のマネジャー佐藤に電話をしセリ使用の了解を取るとともに、当初、X氏に予定されていた20分の持ち時間を15分に短縮するか、別枠のものとするように申し入れた。
   佐藤マネジャーは了解し、X氏の出番を歌謡ショーの適当なところに挿入してくれるよう依頼し、Yさんもこれを了承する。そこで会館職員とのセリの打合せに入るわけだが、四回のうち三回まではセリの上下にかんするキッカケは、X氏のからむ四回目にかんしては、当のX氏がいない上に、X氏の演目もわからず、なんとなく曖昧なまま、
「Xさんがマイクの前に立ったら下げてくれない」
「でも、センターマイクとセリとの間が狭いから危険ですよ」
「いいわよ、Xさんだってプロなんだから大丈夫よ。連絡はこちらで責任をもってしておくから(傍らのお付のマネジャー小池に)いいわね、小池君、連絡頼んだわよ」
とかなんとかのやりとりがあって、セリの打合せは終わったらしい。
   なぜ「らしい」かというと、ここの部分の証言が相互に微妙にくい違っているからである。そして会館職員は、これで四回目のセリの下げのキッカケは決まったとしているが、この打合せに参加していた操作係の樫山が作成した進行表には、三回目までのセリにかんしては、およそのキッカケの場所が記入されているのに、四回目にかんしては「X氏15分」とあり、舞台管理の責任者谷沢がその表を検閲したときに書き加えたという、「セリ注意」の記入があるだけであった。


   本番当日、歌手Yさん一行は早朝に 到着し、午前九時頃から舞台上で会館関係者などの立会いのもとに、楽員などと音合わせをした。また、会館職員石井と操作盤係樫山は、係長谷沢の指示を受けて控え室にいたYさんのマネジャー小池とセリのキッカケにかんする打合せをした。それにたいして小池は、四回目のセリ下げは先日の打合せどおり、タレントX氏がしゃべり始めたら下げてくれと答えたそうである。(しかし、この時点でX氏はまだ会館には到着しておらず、一方、小池は刑事事件の裁判で、石井などと会ったことはないと証言している)。
   また、Yさんの歌謡ショーに出演するもう一人の歌手石野おさむ(二曲うたう)の証言によると、このころ(11時ごろ)会館職員石井から、石野おさむの出演中にもセリが下りているからと「周到な注意」を受けたということである。「この証言は概ね、会館職員の証言とも符合する」と裁判官も認めている。
   さて、タレントX氏は12時40分頃会館に到着し、控え室で楽団と音合わせに入る。その頃、X氏のマネジャー前原は、小池と思われる人物から「X氏15分」と記載のある進行表を受け取り、出番が1時40分頃だと伝えられたという。
   その後、主催者の会社側との花束贈呈の相談がある。そして、X氏が音合わせを終わって自分の控え室に戻ってきたとき、
Yさんのマネジャー小池が訪ねてきて、X氏の出演中にセリが下りることを伝え、そのキッカケの打合せをする。X氏は小池にたいして、三曲目のあと花束贈呈を受け、四曲目をハンドマイクでうたうから、セリ下げはそれまで待ってからにしてほしいと告げる。小池は了承したが、このことを会館側に伝えるのを忘れたらしい(刑事裁判では、この責任を問われて、罰金三万円の判決を受け、確定している)。
   タレントX氏が自分の出演中にセリが下がるということはすでに知った。そして、そのキッカケも自分の指定どおりに下ろされると信じた。さらに、舞台袖でもショーの司会者と、三曲目のあと花束贈呈を受け、そのあと司会者からハンドマイクを受け取り、四曲目をうたう。セリはそのあいだに下ろすことを確認しあった。
   そのとき、会館職員も傍らでこの話を聞いていた。だから、少なくともこの時点で、会館の職員も、X氏が指定したセリのキッカケを知ったはずだと、X氏、司会者ともに証言する。だが、その職員が誰であったかまでは確認していないらしい。(裁判では、これによってセリのキッカケが会館職員に伝わったとするには、不確定要素が多すぎるとして、この証言はしじぞけられた)
   そして、その前後に、再三にわたりセリにかんする警告が、司会者やH興行のマネジャーなどを介してX氏に伝えられるが、それを仲介した者が皆、肝心のどの時点でセリが下りるのかの認識がないまま伝えたので、X氏にたいし、自分がセンターマイクの前に立ったらすぐにセリが下りるという認識を与えるにはいたらなかった。
   そして事故は起こった。X氏は舞台中央のマイクの前に立ち、前口上を述べたあと、バンドマスターのほうをふり返り合図をした。前奏が始まる。彼は右手で拍子を取りながら、軽快な足取りで二歩、散歩、後退した。その途端、彼の体は宙に浮き、切り穴の中へ仰向きのまま落下していった。ドスンと鈍いおとがする。それはほんの一瞬の出来事だった。
   この事故により、原告X氏は第十一、十二、胸椎間脱臼、第十二胸椎骨折、脊髄損傷の障害を負い、下半身付随となり、第一級の身体障害者と認定される後遺症を残すほどの重傷を負ったのである。




(2) 事故の責任−−裁判官の認定

   では,裁判官はこの事故の責任に関してどのような判断を下したのであろうか。判決の「理由」を述べた部分からその要旨をを紹介しよう。その中で、まず、この会館のセリの位置がセンターマイクから1.7メートルしか離れていず、センターマイク使用中にセリを下げることの危険性を指摘し、「原告出演直後のセリ下げを一応にせよ決めたことは、不適切な選択であった」と判定し、「セリ下げの危険を解消し、その措置を正当化するためには、原告にたいする明確な伝達、確認が必須の条件であり、かつ、原告への伝達、確認の結果、予定のセリ下げ時機に変更があるか無いかを関係者、特に現実にセリを操作する会館側が了知することが必須の条件となる」。しかも「セリ使用に伴う危険は、使用上の安全配慮の措置を尽くして排除すべき」であったと指摘する。
   次に、この会館の使用形態を述べ、「本件会館を設置し常時管理する会館(被告市)としては、使用者側との打合せに応ずるにあたり、単に使用者側の希望を操作に関する『指示』として機械的に聴取し、それに盲従するのではなく、使用者側の希望を尊重しつつ、舞台設備等の構造、機械面の制約はもとより、使用に伴って生ずることがある危険を排除するため万全の配慮をなし、使用方法を変更させ、又は適当な措置をとらせることが条理上要求されるというべきである」と指摘する。
   進行責任の問題に関しては、興行界の慣例、たとえばパッケージ契約(ショー)とか、出演者個々と契約する裸ショーなどの例などを示し、その形態によって色々な形で進行がなされ、決定的な形はないと認定し、本件の場合、ショー当日の舞台進行の責任者はH興行、Yさん、Yさんの所属するG・Aプロダクション、K市、ならびに原告X氏相互間で「明確に確認されること無く、従ってまた、当日の舞台進行上の関係者相互間の指揮命令系統、連絡経路が必ずしも明確でないまま進行し」、「相互に補完、依存しつつ進行責任を分担していたというほかはない」とし、本番一週間前のYさんと会館側との打合せによるセリ下げの時機との食いちがいがセリ操作を担当した会館側に伝わらなかったために、、この事故が起きたと判定している。   
   そこで、これらの認定に基づく各被告の責任の問題である。
(下線筆者、以下同じ))



(2)-1 K市の責任


   会館は使用者にたいして事前の打合せの義務を課している。従って使用者の希望する会館の気候の使用法に伴う「危険性を十分了知できる立場にある」。使用者のほうは『セリを含む会館の設備の構造及び使用に不慣れな上、進行責任者を定めていないなど責任態勢も曖昧で、安全確保のための十分な能力を備えていないことが往々にしてある」から、「安全確保の面では会館側が使用方法及び各使用者間の関係にも配慮して積極的な役割を果たすことが社会的に期待されている」
   しかも、この事故の場合「セリ操作を会館側が引き受け」「原告が出演中の最初から十五分近くにわたり、演技する原告の後方直近の本件セリを下げるという極めて危険かつ不相当な使用方法を採ることを結局容認したのであるから、その危険性の程度及び事故が発生した場合の結果の重大性に鑑みても、他の関係者の安全配慮と並んで、会館側においても、その後の万全の配慮をなすべき」であったと指摘する。<下線筆者・歌謡ショーのもう一人の出演者石野おさむについては会館の石井が、石野の出演中にのセリ下げについて「周到な注意」を与えている>
   従って会館側としては、使用者(Yさん)の要求するセリ使用法の危険性を予見し「より安全な時機にセリ下げ時機を求めるよう」意見を調整するか、一週間前の打合せ以後の何らかの時期に「原告を含めた打合せ」をするか、ともかく万全の安全策を講ずべきだったとする。 



(2)−2 歌手Yの責任

   歌手Yは一週間前の「打合せにおいて主導的な立場に立ち、会館職員の意見を押さえて原告の意向を確かめないまま、自らの出演のために原告出演中の本件セリ使用を一応にせよ決めたのであり、特に会館側の指摘により、原告出演中の早い段階で出演中の原告の背後に近接している本件セリ下げを行うことの危険性は十分認識していたものと認められる」とし、この打合せにおける「セリ下げの時機の選択が極めて危険、かつ不必要不適切で、原告の安全に対する配慮を欠くものであったこと、更に右セリ下げ時機の一応の決定が被告Yの必然的なる必要性によったというよりも、セリ下げのキッカケをつかんでおきたいという被告市側の必要から出発したという前認定の経緯はあるにせよ、被告Yの原告はプロであるから大丈夫である旨の発言と、その場での小池に対する原告への連絡の指示が右決定の要因となったことは前認定とおりである」<下線筆者・歌手Y側はこの発言の事実を否定し、会館職員たちの責任転嫁の口実だと反論している>。そうだとしたら、Yは「自らセリを使用する者として、その使用により危険にさらされることになった原告に対する安全に注意する義務があった」と判定する。
   さらに判決文の中でYは色々な手段、機会をとらえて、自ら原告の安全確保の努力を尽くすべきであったと要求されている。


   被告G・Aプロダクションの責任は、Yおよび小池の行動にたいする使用者責任である。



(2)−3 H興行社の責任

   H興行はアゴ・アシ付きで出演者と契約し「出演者が出演のために要する出発から、帰省までの時間の一切を興行主が『買い取る』という理解で出演契約が履行されている」のだから、その出演者の生命、身体の安全に配慮すべきことが出演契約に附随する信義則上の義務として契約の当然の内容になっている」という理解のもとに、この歌謡ショーに「出演する所属の異なる三人の出演者側と被告H興行との出演契約が別個に結ばれていることに鑑みれば、被告H興行が各出演者の出演内容そのものにつきかんよしないとしても、ショーの円滑かつ安全な進行を確保するためには、被告Y、原告及び石野おさむの二者又は三者間、及びこれらと舞台装置等の操作を担当する被告市側、更には被告H興行も含めて何らかの打合せ、調整が必要となる事態が生ずることは容易に予想できるところであり、その場合の相互の連絡調整ないし統括(ここにいうところは、ショー当日の舞台進行責任とは必ずしも一致しない)は、それを他に委任する等の特段の事情のない限り、その程度、方法は別として、最終的には原告らを組込む形でショーを企画構成し、各出演契約を結んだ興行主たる被告H興行が行うものであって、被告H興行としては、各出演契約の附随的義務として、この連絡調整ないし統括を行うことにより、関係者間の連絡等の不徹底に寄る出演者のショーの進行上及び安全上の不測の事故を防止すべき義務がある」と判定している。



(2)−4 被告らの行為の関連性

   そして被告四者各々の責任の認定の後に「被告らの行為の関連性」として、被告四者は各々原告に対し「出演契約上又は条理上、それぞれ危険防止のための措置をとるべきであったのにこれを怠り、本件事故に至らしめたものでであって、被告らの行為(不作為)は相互に競合し関連しあって本件事故を発生させたものであるから、被告は各自、(不真性連帯の関係において)原告に対し、本件事故による原告の損害を賠償すべき責任がある(なお、前認定の被告らの行為の態様等を総合勘案すれば、原告に対する被告らの責任の程度としては、小池の行為による被告G・Aプロダクションの責任及び小池の行為にかかわった被告Yの責任が一体として比較的大きいほかは、その余の被告らの間では大きな差異はないものと認められる)」

   以上がこの判決において裁判官が示した、この舞台事故に対する各被告にたいする各被告にちての判断である。この他、賠償金額の算定法などに関して述べられているが、この報告では省略する。




(3) この判決の問題点----舞台監督の視点から

   さて、改めてこの事故は何故起こったかを考えてみよう。
   裁判では、この事故は出演者(X氏)とセリを下げる係の者との間に、セリ下げのキッカケについての認識に食いちがいがあったから起こったと認定しているようである。そして、その食い違いが生じたのは、そのことをキチンと連絡する者がいなかったからである。通常、その役目を担うのは進行責任者、または舞台監督であるが、このショーの場合、その進行責任者がいなかった。それ故、この裁判では、この進行責任者の果たすべき役割を誰が、どのようになすべきであったかについて審理されたもののようである。
   従って被告四者とも、本来、自分の職分ではないと信じているところの事柄によって責任を問われることになった。つまり、被告たちの言い分を簡単に言えば、
   * K市(会館)=主催者ではないのだから、進行責任はない。
   * Y歌手(及びG・Aプロ)=興行主と別個に契約を結んだ一出演者であるから、ショー全体の進行責任はない。
   * H興行=Y歌手を中心とするショーであるから、構成、演出、進行は全てY歌手側にあり、興行主の関与する余地はない。
   以上の点にあるように思われる。


   私はこの判決文を読んで、なんとももどかしい気持ちを払拭することができなかった。例えば、五人の子どもが遊んでいて、その中の一人が溝にはまって怪我をしたのに対し、他の四人は皆その溝に落ちれば危ないことはしっていたのに、誰も注意をしてあげなかった。だから四人とも悪い、と言っているようなものである。子どもの場合ならそれでいいかもしれない。しかし、この事故の場合、当事者はそれぞれプロである。プロである以上、各々の人間には職務があり、その職務に伴う責任がある。つまり職能である。
   この観点から突き詰めていけば、当然その責任の所在が明確になるはずである。この判決の基盤にあるのは、あくまで「当日の舞台進行上の関係者相互間の指揮命令系統、連絡経路が必ずしも明確でないまま進行し・・・、相互間に補完、依存しつつ進行責任を分担していた」という認識である。
    だが、舞台の仕事を経験した者としては、このような認識は納得しにくいのではあるまいか。つまり、舞台に関わる者の職能、職責がそもそも何であるかという認識が明確でないから、起こった事故の本質を舞台に関わる者の職能の観点から分析しえないのである。従って、個々の被告の責任の問い方は、一見、その限りでは非の打ちどころもないほど立派そうに見えるのだが、それらが並列的で、有機的に関連づけられていないのだ。
   もし、この論法で行くならば、俳優も、歌手も、演出家も、うっかりセリを使おうとか、何か実験的な舞台機構を使おうなどと安心して言えなくなる。そして舞台監督は演出家に「それは危険ですよ」と二三度言っておくだけで、たとえ事故が起こったとしても、その責任を多少なりと、演出家などと分かち合えるということになる。このような舞台監督像がわれわれ舞台監督協会と無縁であるのは言うまでもない




(4) 事故は何故起こったか?

   では、この事故は何故起こったのだろうか? それは----蓋然性から言えば----出演者が演技中に、その真後ろのセリをおろしたからである。
   誰がおろしたか? ----会館の職員である。
   ここまでは事実である。だが、会館の職員がこのように危険性の高いセリの操作をするに至るまでのかていには、色々な曖昧な要因が入り込んでくる。
   まず、このセリの使用を希望したのは、歌手Yである。そこで彼女は会館側にその意向を伝えた。そして三回目までは問題なかったが、四回目に関しては、「Xさんはプロだから大丈夫よ」という、歌手Yの言葉によって四回目のセリ下げのキッカケも決定したと会館側は主張する(歌手Y側はこの発言そのものを否定している)。
   そして、先に述べたように、四回目のセリ下げの時機については明確に記されていないのだが、それは「歌手Yらとの話しに熱中していたためであり、『15分→セリ注意』の記載により、右打合せに出席していた会館関係初は、原告出演後すぐにセリを下げるものと理解できる旨、一応の説明をしている」のである。


   私はまずこの点に引っかかる。そして事故の原因の一つはここに起因すると思う。つまり「話に熱中して」重要なポイントを記録しなかったとは何事だ! である。
   更に言えば、ここで「熱中していた」話の内容は何だったのかである。おそらく四回目のセリの打合せに入ったとき、タレントX氏の演目もわからないし、わかっているのは彼の持ち時間十五分ということだけである。だから歌手Yとしては、X氏がマイクのほうへ歩いているうちに下ろすのは危ないが、マイクの前に立ってしまえば、それほど大きく動くことはあるまいという、ごく軽い気持ちで、「マイクの前に立ったら・・・」という言葉を不用意に発したのだろう。
   ここで私は問いたいのだが、この打合せにおける舞台管理者としての会館職員の危険に対するチェック機能はどうなっていたかという問題である。
   四回目のセリについて言えば、「次に出演する被告Y歌手のために、原告出演の当初から十五分間近くセリを下げておく必要はない」わけであり、その点をまず会館側としてはチェックすべきであり、タレントX氏の演目がわかった段階で正確なキッカケは決定されるものとして、このセリのキッカケに関しては保留にすべきであったのである。
   だが、実際にセリを操作する会館職員は「右打合せに原告が不在であったこと、セリ穴が開いている時間が長いこと、センターマイクとセリの間隔が短いことなどが念頭にあって、右のようなセリ下げが危険であることを認識していたが、原告がセリ下げの時期を知っておれば大丈夫であろう、また、原告の出演内容は、『ものまね』、『おしゃべり』で動きのないものらしいから、出演中、うしろのセリを下げても危険はないと判断していた」というのである。
   もし、会館職員がこのように思い、こう判断したのだとしたら、この事故の原因はまさにこの判断の甘さにあったといわねばならない。
   一方、会館側は、会館使用者との関係について次のように主張する。
  「市民会館は貸館であって、使用者に対して一定時間施設をその使用者に供するにすぎず、使用者がそこで行う催事の主催者や協賛者になるのではない。たとえ会館職員が使用者から依頼されてセリ等の設備を操作する場合でもこの関係は変わらない。使用者の指示に基づいてその通り忠実に設備を操作するだけである。従って、五月二十八日の打合せにおいても、被告市には『Y歌手ショー』のためのセリ使用を含む会館の使用についての決定権はなく、被告Y歌手からその使用方法について指示を受けただけである」
   この主張には、使用者の会館設備の危険な使用法の要求に対して、会館側はどう対処するかについてはまったく触れられていない。しかし、歌手Yさんと会館側との打合せにおいて、歌手石野おさむの出演中に行われる三回目のセリ使用に関しては、危険性の指摘ばかりでなく、使用法の変更をも含むアドバイスを歌手Yにしていることからみると、使用法に対する危険のチェックも事実上しているし、会館側の職務であるという認識もあったわけである。使用者側に。進行責任者がいないような場合には当然である。



(5) 退けられた証言


◇ 舞台監督の第一の推理(続く)



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