芳香物質の生合成経路


芳香物質はいかにして生成するか?

 別のところで述べてあるとおり、天然香料は主に植物から精油という形で採れます。精油は芳香を持つ物質の混合物です。すなわち植物内には芳香を持つ物質を作り出す(酵素)系が存在しているわけです。ここでは植物内で芳香物質が、何から、どのように生成しているかについてを述べます。とは言え、謎の部分も多い・・・ので、そんなには当てにしないで下さい(なるべく最新の研究発表を参考にしているけど)。まあ、大学の講義では(少なくともこういう「芳香物質だけの」視点からは)あまり触れられない分野なので興味がある方はどうぞ。

 ついでに言うとこっちには「香水陣」には載せていないようなオタッキーな(?!)芳香物質が含まれています。しかも慣用名爆裂(笑)なので慣用名辞典としても使えるかも知れません(もっともゲラニオールを(2E,6E)-3,7-ジメチルオクタジエン-1-オールと呼ぶ気には到底ならないけど・・・)。

 で、参考文献の紹介を望む人が結構いますので書いておきます。

全体的な参考文献:


目次

香りのお部屋に戻る ホームに戻る

テルペノイド

テルペノイドとは?(歴史的経緯)

 19世紀はじめに、松の精油であるテレビン油(主成分はピネンC10H16)の炭素と水素の比が5:8であることが見いだされました。このあと多くの精油の成分がこの比率に従うことが発見され、ケクレ(ベンゼンの構造式とその振動仮説の提唱者として有名)によってこの比率に従う化合物がテルペンと名付けられました。そしてワーラッハによってこのテルペンはいずれもイソプレンを部分構造として含んでいることが提唱されました(テルペン化学の研究によりノーベル賞を受賞)。現在では、ケクレの名付けたテルペンより広範な化合物をテルペノイド(もしくはテルペン類、もしくはイソプレノイド)と呼んでいます(その定義は後述)。

1-1

 上にいくつかのテルペノイド芳香物質とそのイソプレン型の部分構造(イソプレン単位:青の部分)を示しました。ここにあげられた芳香物質は2つのイソプレン単位を持っていること、2つのイソプレン単位は一方の1位(頭)ともう一方の4位(尾)が結合していること、炭素、水素以外に酸素をしばしば含んでいること、炭素は10個であるが、水素は16個とは(比が5:8とは)限らないことが分かります。なお、これらがほとんどのテルペノイドに共通する特徴です。

1-2

 しかし、何事にも例外はつきものでα-サンテノンのように炭素数が足りないもの、ヒノキチオールのように一部のイソプレン単位が転位して崩れているもの、ラバンジュロールのようにイソプレン単位の結合が1-4位間ではないもの、p-メンタン-8-チオール-3-オンのように硫黄を含むものも知られています(大きな分子では窒素を含むもの、すなわちアルカロイドも知られています)。なので現在ではテルペノイドとは構造から見ると結構ファジーな分類であると言えるでしょう。それ故、現在ではどんな構造であるかはそれほど重要でなく、後述するメバロン酸経路で生成する化合物はすべてテルペノイドということになっています(微生物にはメバロン酸を経ないでテルペノイドを合成する経路が見つかっていますが・・・)。

イソプレン単位

 多くのテルペノイド芳香物質はイソプレン単位を2つ持っています(すなわち炭素の数はC10です)。このような化合物をモノテルペンといいます。また、イソプレン単位が4つ(C20)のものをジテルペン、6つ(C30)のものをトリテルペン、8つ(C30)のものをテトラテルペン、それ以上のものをポリテルペンといいます。一方でイソプレン単位を奇数個含むものがあります。イソプレン単位が1つ(C5)のものをヘミテルペン、3つ(C15)のものをセスキテルペン、5つのもの(C25)をセスタテルペンといいます。これらは初期の有機化学では単離構造決定するのが困難であったり、自然界に存在する量が少なかったりしたために後から確認されたものがほとんどです。そのため当初はC10がテルペンの最小単位と考えられていました。そのため後から発見されたこれらのグループには半端な倍数(ヘミは1/2、セスキは3/2、セスタは5/2を意味する)が割り当てられることになってしまっています。

1-3

 C20以上の化合物には揮発性がほとんどないため、芳香物質ではありません。なので芳香を持っているのはヘミ、モノ、セスキの各テルペンになります。余談ですがトリテルペンはステロイドというホルモン等として働く化合物群を含んでいます。またテトラテルペンはカロチノイド、すなわちβ-カロテン(カロチン)をはじめとする植物色素として有名です。それからセスキ、ジ、セスタの各テルペンには強い薬効、毒性を示すものが数多く知られています。

テルペノイドの生合成経路・・・メバロン酸経路

1-4

 まず、テルペノイドの生合成の第一段階はイソプレン単位の生成です。アセチルCoAがマロニルCoAとなって活性化され、他の2分子のアセチルCoAと反応し、還元されてメバロン酸が生成します。さらにこれが脱炭酸してイソペンテニルピロリン酸およびジメチルアリルピロリン酸となります。この2つがイソプレン単位の起源である2つのC5分子です。

1-5

 そして第二段階がイソプレン単位の結合です。ジメチルアリルピロリン酸に次々にイソペンテニルピロリン酸が付加していくことによって炭素数が5つずつ増えていきます。ここで前述のテルペノイドの特徴であるイソプレン単位が1位(頭)と4位(尾)で結合した骨格が作られていきます。そしてすべてのモノテルペンはゲラニルピロリン酸から、セスキテルペンはファンネシルピロリン酸から、ジテルペンはゲラニルゲラニルピロリン酸から、セスタテルペンはゲラニルファンネシルピロリン酸から生成します。

 また、後で出てくるので詳細は省きますが、トリテルペンとテトラテルペンは生成経路が違っていて、トリテルペンはファルネシルピロリン酸が2分子が結合して生成するスクアレンから、テトラテルペンはゲラニルゲラニルピロリン酸が2分子が結合して生成するフィトエンから生成します。

 第三段階目が種々の骨格の生成です。骨格形成反応はほとんどがカルボカチオン中間体を含むものと考えられています。しかし、単一エナンチオマーが生成する例が多いことから酵素が絡んでいるのはほぼ間違いないでしょう。また、植物によって含むテルペノイドの種類が違うのはこの段階を触媒する酵素の種類の違いによると考えられます。例えば柑橘類ならリモネンを生成する経路を触媒する酵素を持っているわけです。またカルボカチオンの反応らしく、水素やアルキル基の転位を伴うこともしばしばあります。

ヘミテルペン

1-6

 ヘミテルペンとしてはテルペノイド型の骨格を持ついくつかの化合物が知られています。しかし、これらの化合物の生合成にはメバロン酸経路はあまり寄与しておらず、大部分はエステルの生合成のところで後述するアミノ酸の代謝経路によって生成すると考えられています。

鎖状モノテルペン

1-7

 次に鎖状のモノテルペンの系です。鎖状のテルペンの生合成ではほとんど転位を起こさないので骨格は比較的きれいです(前述のラバンジュロールなどは数少ない例外で、この生成の形式は後述します)。ゲラニルピロリン酸からカルボカチオン中間体を経てネロール、リナロールを生成します。また、そのまま加水分解されてゲラニオールが生成します。ゲラニオールやネロールは酸化や還元を経て他のモノテルペンに変化します。また、図にはありませんが、それぞれのアルコールはアセチルCoAと反応して酢酸エステルに変化することもしばしばあります。

単環式6員環モノテルペン

1-8

 単環性のモノテルペンはそのほとんどが6員環を持ちます。ゲラニルピロリン酸から生成するカルボカチオンが閉環するときに6員環が生成するのが一番有利な経路だからです。こうしてできる6員環カルボカチオンからはα-テルピネオール、リモネン、テルピノレンが生成します。余談ですが、酸性の条件で水蒸気蒸留をするとこの3つの化合物は相互変換をします。α-テルピネオールやテルピノレンはライム様の香りを持ち、リモネンはオレンジ様の香りを持ちます。よって柑橘類(クエン酸を含むので酸性)を水蒸気蒸留すると精油中のリモネンが変化してライム様の香りがついてしまいます。なので、ライム以外の柑橘類は水蒸気蒸留ができないのです。

 リモネンやテルピノレンは二重結合の異性化によりテルピネンやフェランドレンといったテルペン炭化水素も生成します。また、これらの炭化水素はアリル位が酸化反応を受けて酸素官能基が導入され、そこからさらに酸化還元反応で種々の香気成分が生成します。

1-9 

 しかし、例外的に5員環や7員環をもつモノテルペンが知られています。5員環を持つのがイリドイドと呼ばれる化合物群です。有名なのが猫を活性化(?)させるマタタビの有効成分、マタタビラクトンです(イヌハッカに含まれるネペタラクトンも同じく猫を活性化させます)。これはゲラニオールの末端が酸化されたω-ヒドロキシゲラニオール経由で生成すると考えられています。(経路の詳細は明確ではなく、環化をおこすのはω-オキソゲラニオールやω-オキソシトラールという説もあります。)

1-10

 また7員環を持つ化合物としてヒノキチオールをはじめとするトロポロン化合物が知られています。トロポン骨格は6員環テルペノイドからトロピニウムイオンが転位で生じて構築されると思われますが、正確な出発物質、経路ははっきりしていません(他にカレンが酸化脱水素されたのちに3員環が開裂してトロピニウムイオンができる説もある)。またごくわずかですがゲラニルピロリン酸が直接7員環に環化したと思われるカラハナエノンのような化合物も存在します。

双環式モノテルペン

1-11

 双環性モノテルペンは単環性モノテルペンを生成する6員環カルボカチオンがさらに閉環反応を起こして生成しますが、カルボカチオンの転位を伴うことがしばしばあります。まず6員環カルボカチオンが二重結合のどちらの炭素と結合するかで、ピネンおよびカンファーの骨格を持ったカチオンが生成します。そしてこれが転位をおこして別の骨格に変化します。

1-12

 カレン、サビネン、ツエンといった3員環を持つ双環性モノテルペンも不安定そうに見えますが、天然にかなりの量で存在しています。これらは通常の単環性6員環カルボカチオンができるところで水素の転位や脱離が起こって得られてきます。

酸素環を含むモノテルペン

1-13

 今までのものは環が炭素だけからなるものでしたが、一部に環に酸素を含むものもあります。これらは対応するアルコールの環化によって生成します。環は5員環のもの、6員環のものがあり、エーテル以外にフランやラクトンの形のものもあります。

頭-尾結合を持たないモノテルペン

1-14

 モノテルペンには極一部ですが、ゲラニルピロリン酸を経ないで生成するものがあります。これらには1-4結合を持っていないという構造上の特徴があります。これらはジメチルアリルピロリン酸同士が結合して生成するカルボカチオンから生成します。

セスキテルペン

 一方、セスキテルペンに属する芳香物質は多数知られていますが、合成香料として価値を持つものは意外と少ないものです。これはモノテルペンに比べて揮発性が低い分、特に低い閾値を持つ化合物以外は香気への貢献が低いためと考えられます(しかも合成や単離に非常に手間がかかるため高価)。生合成的に見るとファルネソールから生成するカルボカチオンの反応点が多いために非常に多様な骨格が生成してきます。

 まず、モノテルペンの1つの水素をプレニル基で置換したアナローグ化合物がしばしば見出されます。ファルネソールはゲラニオールとネロールに、ネロリドールはリナロールに、ビサボレンはリモネンやテルピノレンに、ベルガモテンはピネンに対応します。これらの生合成経路もモノテルペンと対応しています。

参考文献:

目次へ戻る


フェノール系芳香物質(フェニルプロパノイド)

フェニルプロパノイドとは?

 芳香物質にはテルペノイド以外にフェノールもしくはそのエーテルに属する芳香物質の一群が知られています。例えばオイゲノール、アネトール、バニリンなどがこの群に属しています。

2-1

 この群の化合物を芳香環(フェニル)および3炭素の鎖状側鎖(プロパン)を有しているものが多いためフェニルプロパノイドと呼ばれます(もっともバニリンのように側鎖が失われているものも多いですが)。また芳香物質以外に俗にポリフェノール類と呼ばれる化合物もフェニルプロパノイドに属します(代表例は茶の渋みであるカテキン)。もっともすべてのフェノール系芳香物質がこの群に属しているわけではなく、例えばチモールはテルペノイドに属します。

フェニルプロパノイドの生合成経路・・・シキミ酸経路

 フェニルプロパノイドの生合成はどのように行われているかというと、その大部分はアミノ酸であるフェニルアラニンおよびチロシンに由来します。構造を見るとフェニルアラニンとチロシン自身も芳香環に3炭素の側鎖がついた構造でフェニルプロパノイドの一種であることが分かります。フェニルアラニンおよびチロシンの合成経路はシキミ酸を経由することからシキミ酸経路と呼ばれています。またトリプトファンもシキミ酸経路で合成され、その中間体からも芳香物質が生成します。

 シキミ酸回路の出発点はホスホエノールピルビン酸とD-エリトロースです。ホスホエノールピルビン酸は解糖系から、D-エリトロースはペントースリン酸回路から供給されます。経路はコリスミ酸のところで2つに分かれて片方はトリプトファン行き、もう一方はフェニルアラニンとチロシン行きになります。

 トリプトファンの中間体であるアントラニル酸はグレープやマンダリンの香気成分のアントラニル酸メチルやN-メチルアントラニル酸メチルの直接の前駆体となります。またトリプトファンが分解してアントラニル酸が生成する経路も存在し、回路をつくっています(トリプトファン-アントラニル酸回路)。またトリプトファンにはインドールが生成する分解経路もあります。これらがフェニルアラニンやチロシンを前駆体としない数少ないフェニルプロパノイドです。

 アロゲン酸からは脱炭酸の形式によってフェニルアラニンかチロシンが生成します。またチロシンはフェニルアラニンの芳香環が直接酸化されることでも生成します。

フェニルアラニンを前駆体とする芳香物質の生合成

 フェニルアラニンは色々な反応により芳香物質へと変換されます。まず多くの香気成分がフェニルアラニンが脱アンモニア反応を起こして生成するケイヒ酸から生成します。ケイヒ酸が還元されてシンナムアルデヒドやシンナミルアルコールが生成します。また、ケイヒ酸がβ酸化で代謝されると安息香酸となります。それからケイヒ酸のオルト位が酸化されて生成する2-クマル酸からは、β酸化でサリチル酸が、cis-trans異性化を経て環化しクマリンが生成します。

 またフェニルアラニンが脱炭酸してβ-フェニルエチルアミンを生成し、そこからベンズアルデヒド(植物内ではマンデロニトリル配糖体として存在し酵素分解されてベンズアルデヒドとなります)、フェニルアセトアルデヒド、フェニル酢酸、β-フェニルエチルアルコールといった香気成分が生成する経路もあります。今まで挙げた酸やアルコールはエステルとしても存在します。

チロシンを前駆体とする芳香物質の生合成

 チロシンからもフェニルアラニンと同じように芳香物質が生成します。チロシンから生成する芳香物質においてはフェノール性ヒドロキシ基がメチル化されたものが重要です。まずチロシンの脱アンモニア反応で4-クマル酸が生成します。これが還元、メチル化されてアネトールとエストラゴールが生成します。一方、4-クマル酸がβ酸化を起こすとアニス酸、アニスアルデヒドが生成します。なお、チロシンの脱炭酸によってチラミン=β-(ヒドロキシフェニル)エチルアミンを生成する経路も存在しますが、芳香物質として重要なものを生成しないので省略してあります。

 またフェニルアラニンからチロシンが生成するのと同じように、チロシンの芳香環がさらに酸化されて生成する芳香物質も存在します。チロシンが酸化して生成するのはパーキンソン病の治療薬として有名なドーパです。これが脱アンモニア反応をおこしてコーヒー酸(ロースト前のコーヒー豆にキナ酸とのエステルのクロロゲン酸として大量に含まれます)となります。また4-クマル酸からもコーヒー酸が誘導されます。そしてこれが今までに述べたのと類似の経路でオイゲノール、バニリン、ヘリオトロピン、サフロールなどになります(ただし詳細ははっきりしておらずバニリンは4-クマル酸からヒドロキシベンズアルデヒド経由で生成するという説もある)。また、コーヒー酸の芳香環がさらに酸化して生成する芳香物質も知られています(アピオールはパセリ、ミリスチシンはナツメグ、アサロンは菖蒲に含まれます)。

シキミ酸経路で生成するその他の芳香物質

 例外としてギンゲロン(生姜の香気成分)、ラズベリーケトン、4-フェニル-3-ヒドロキシ-2-ブタノン(藤の花の香気成分)のように、フェニルプロパノイドの側鎖に炭素をさらに付け加えたような化合物が存在しています。これらはフェニルプロパノイドとポリケチドの反応によって側鎖が延長されて生成するとされています。一例としてギンゲロンの生合成を示します。ギンゲロンの前駆体であるギンゲロールとそれから生成するショウガオールは生姜の辛味成分として有名です。余談ですが、同じようにフェニルプロパノイドとポリケチドから生成する化合物にアントシアニジン(ブルーベリーなどの青紫色素アントシアニンのアグリコン部分を構成する)やフラボノイド(植物の黄色色素)といったポリフェノール類があります。

参考文献:

目次へ戻る


エステル系芳香物質

 柑橘類を除く果物類の芳香は大部分が脂肪族エステルによるものです。脂肪族エステルはもちろんカルボン酸とアルコールが脱水縮合して生成します。そしてアルコールは(テルペノイドなどを除けば)一般的にカルボン酸が還元されて生成します。それではカルボン酸はどのように生成するのでしょうか?

直鎖カルボン酸、アルコールおよび芳香環を持つカルボン酸、アルコールの生合成

 カルボン酸のうち偶数炭素数の直鎖カルボン酸(酢酸、酪酸、カプロン酸、カプリル酸、カプリン酸)はパルミチン酸、ステアリン酸といった高級脂肪酸のβ酸化によって生成します。 また安息香酸、ケイ皮酸など芳香環を持つカルボン酸はフェニルプロパノイドであるので前述してある経路によって生成します。また、エステル以外にバターやチーズなどに良く見出される2-ヘプタノン、2-ノナノン、2-ウンデカノンといった化合物もβ酸化の中間体であるβ-ケト酸の脱炭酸で生成します。

分岐カルボン酸、アルコールの生合成

 またエステルの中には分岐メチル基をもつ脂肪酸やアルコールがしばしばみられます。これらはいずれも分岐メチル基をもつアミノ酸であるバリン、ロイシン、イソロイシンから生成します。ロイシン、イソロイシンから生成するものは、その骨格がテルペノイド型であるために前述の通りヘミテルペンと呼ばれることがありますが、生合成の観点からみるとテルペノイドとは言えないのです。なお天然の2-メチル酪酸や2-メチルブタノールとそこから生成するエステルは、前駆体であるイソロイシンの立体配置を保っているので高い光学純度で存在します。

目次へ戻る


不飽和脂肪酸由来の芳香物質

4-1

 不飽和脂肪酸としては植物油に含まれるリノール酸やリノレン酸が有名です。これらが酵素により酸化分解されて生成すると考えられる芳香物質が知られています。不飽和脂肪酸はcis型の二重結合を持っているため、これらの芳香物質の二重結合もcisになっていることが多いものです。また不飽和脂肪酸は側鎖を持たないために、テルペノイドの様な側鎖のある構造もあまり見られません。このタイプの芳香物質の代表例は青葉アルコール、すなわちcis-3-ヘキセノールです。他の化合物もグリーンな香りを持つものが多いです。これらは植物が害虫などに傷つけられたことを周りに知らせる伝達物質の役割を果たすこともあると考えられています。

不飽和脂肪酸の生合成

4-2

 植物において不飽和脂肪酸はグリセリド(グリセリンエステル)の形で合成されます(図では簡略化のため遊離脂肪酸の形で書いていますが)。すなわちステアリン酸の結合したグリセリドが脱水素反応を受けてオレイン酸のグリセリド、さらに脱水素が進行するとリノール酸、リノレン酸のグリセリドへ変化します。これらの不飽和脂肪酸のグリセリドは細胞膜に貯蔵されていきます。

C6化合物の生合成

4-3 

 植物が傷つけられたりすると、まず細胞膜に貯蔵されていた不飽和脂肪酸がリパーゼによって切り出され遊離脂肪酸となります。そして次にペルオキシダーゼと呼ばれる酸化酵素によって酸素と反応します。この酵素は非常に特異的に13位を酸化し過酸化物を生成します。生成した過酸化物は速やかに分解されてC-6の化合物群を生成するわけです。

 ところでC-6化合物が切り出された残りの部分(C-12)がどうなるかという疑問があるかも知れませんが、実はこちらは植物内で傷つけられたことを知らせるシグナル物質として働きます。そしてこれが防御物質を分泌させるホルモンなどを誘導するわけです。

C-9化合物の生合成

4-4

 一方でペルオキシダーゼの中には9位を酸化するものもあります。こちらの経路で生成する過酸化物も同様の開裂反応が進行しC-9の化合物群が生成します。9位を酸化するペルオキシダーゼは特にウリ科の植物の果皮に存在しています。そのためC-9の化合物はウリ科の果実(キュウリ、スイカ、メロンなど;分類は野菜ですが・・・)の特徴をあらわす化合物となっています。

その他の化合物

 そのほかにこのジャンルに属する化合物としてはγおよびδ-ラクトン類、マツタケオールのようなC8化合物やジャスモンのような5員環ケトンがあります。これらはいずれも13位がペルオキシ化された脂肪酸から生合成されます。ラクトン類は過酸化物が還元されてヒドロキシカルボン酸となり、β-酸化によって環化に適当な長さまで短縮されて生成します。C8化合物はC6化合物と同じ過酸化物から開裂位置が異なる経路で生成します。ジャスモン類はアレンペルオキシド経由で生成し、植物ホルモンの一つであるジャスモン酸の代謝産物であるとされています。

 また、天然の大環状ムスク化合物もその二重結合の位置とcis配置であることから脂肪酸から合成されているものと推定されます。なお、市販されているAmbrettolide(R)は天然から見出だされているものとは別の化合物で(E)-9-Hexadecan-16-olideなので注意が必要です。

参考文献:

目次へ戻る


色素由来の芳香物質(アポカロテノイド)

5-1

 β-カロテンはニンジンなどに含まれるオレンジ色の色素であり、前述のテトラテルペンですが、これも不飽和脂肪酸と同様に酵素で酸化分解して芳香物質を生成すると考えられています。代表例としてスミレの香りのイオノンがあります。この化合物はテルペノイドに特徴的な骨格を持っていながら炭素数は13と半端な数になっています。これはセスキ以上のテルペノイドが開裂してできたことを物語っています。また分解が起こったと考えられる位置には酸素官能基が導入されており、酸化分解であることを示しています。そしてイオノン類などと共存しているセスキ以上のテルペノイドとしてはカロテノイドが最も多いことから、カロテノイドが酸素と反応して分解し、生成したものと考えられているわけです(そのため、これらの化合物はアポカロテノイドとも呼ばれます)。

 この類の化合物は一般に精油中には微量しか含まれていませんが強い芳香を持つものが多く、香りに大きく寄与しています。この系統の化合物が最も多く見いだされているのはおそらく紅茶(なにしろわざわざ発酵させて酸化酵素を働かせているのですから)で、イオノン、ダマスコン、ダマセノン、テアスピラン、ジヒドロアクチニジオライドが見いだされています。その他、ダマスコン、ダマセノンはバラの精油の重要香気成分であり、サフラナール(これは炭素数が10なのでモノテルペンとして生成している可能性が否定できませんが)はサフランから、エデュランはパッションフルーツから、メガスチグマトリエノンはタバコから見いだされています。

カロテノイドの生合成

5-2

 テトラテルペンはゲラニルゲラニルピロリン酸の2量化によって生成します(余談ですがトリテルペンもゲラニルファルネシルピロリン酸の2量化で生成します)。形式的にはまず片方のゲラニルゲラニルピロリン酸からピロリン酸がα脱離を起こしてカルベンを生成し、もう一方のゲラニルゲラニルピロリン酸にSimmons-Smith反応した中間生成物が得られます。次の段階はシクロプロパンがピロリン酸基を追い出しながら環拡大してシクロブテン環を生成し、さらに電子環状反応でジエンに開環したものと見なせます。こうしてまずフィトエンが生成します(トリテルペンでは、さらに中央のcis-二重結合の還元が起こりスクアレンとなります)。この2量化で生成する分子中央の結合はイソプレン単位としてみると、セスタ以下のテルペンで見られる1位(頭)-4位(尾)の結合ではなく4位(尾)同士の結合です。次にフィトエンは全trans体に異性化後、次々に脱水素反応が進行し二重結合の共役が広がります。こうしてリコペン(トマトやスイカの赤色色素)が生成します。さらにこれの両末端部が環化してβ-カロテンが生成します。β-カロテンはさらに酸化されてβ-クリプトキサンチン(ミカンの橙色色素)やゼアキサンチン(トウモロコシの黄色色素)などを生成します。

 β-カロテンやクリプトキサンチン、ゼアキサンチンなどの二重結合が酸素によって酸化分解されることによってさまざまな芳香物質が生成します(余談ですがビタミンAもこの経路で作られます)。しかしその経路の詳細については良く分かっていません。いくつかの中間体と考えられるものが単離されている程度です。

 また、イオノンの類似化合物としてアヤメの根に含まれる芳香物質イロンがあります。これらもテルペノイドの酸化開裂によって生成しますが、その前駆体はカロテノイドではなくトリテルペンです。またイロンと同様にトリテルペンが酸化開裂してできる芳香物質にアンバーグリスの香気成分であるイオノン、コロナール、アンブリノール、アンブロキサン、アンブラオキシドがあります。

参考文献:

目次へ戻る


糖類由来の芳香物質

 数は少ないですが、糖類に由来すると思われる芳香物質もいくつかあります。しかしこれらは酵素による生合成というより、メイラード反応が自然にゆっくりと起こって生成してくるという面が強いので経路については省略します。

6-1

 なお、ソトロンについては人間のイソロイシンの代謝異常のメープルシロップ尿症で生じることからイソロイシンからの生合成も考えられます。

目次へ戻る


アミノ酸由来の芳香物質

 数は少ないですが、上で述べた以外のアミノ酸に由来すると思われる芳香物質もいくつかあります。

 ジメチルスルフィドはS-メチルメチオニンスルホニウムクロライド(ビタミンU;キャベツに含まれ、キャベジンの有効成分)が加水分解されて生成すると考えられています。

 アリルジスルフィドはニンニクやタマネギなどユリ科の植物によく見られる成分でニンニクではアミノ酸であるアリインが酵素分解されてアリシンとなりこれが還元されたりして生成すると考えられています。

 イソチオシアナート類はワサビやダイコンなどアブラナ科の植物によく見られる成分です。主要な成分であるアリルイソチオシアナートはシニグリンという配糖体が酵素分解して生成します。アリル部分の前駆体としてはメチオニンなどが考えられますがはっきりとは分かっていません(ベンジルプロピルイソチオシアナートのようにフェニルプロパノイド由来のものも見いだされています)。

 レンチオニンのような環状ポリスルフィドはシイタケに含まれる特異なアミノ酸であるレンチオニン酸が分解して不安定な中間体が生成しそれが再結合して生成していると考えられています。 

 また、ピーマンなどに特有の土臭い香りを持つ、2-イソプロピル-3-メトキシピラジン、2-イソブチル-3-メトキシピラジンといった化合物はバリンやロイシンとグリシンから生合成されると考えられています。

 香り米に特有の香気成分である2-アセチルピロリンはプロリンから生合成されると考えられています。