「清水の舞台からもう一度」

十三日目


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待ち合わせは、京都駅の正面改札前に10時ということになっていた。
希美は9時30分ころにはそこに来てぱせりを待っていた。ぱせりにとっては大切なオーディションだ。遅刻するわけにはいかない。

だが。
そこにぱせりは来なかった。
いつまで待っても・・・・。
携帯に何度電話しても、電波が届かない場所にあるか電源が切れているというお決まりのメッセージが流れるだけだった。
希美はオーディションの開始時刻である昼の1時まで待った。
だが、結局ぱせりは現れなかった。

体の調子が悪いからということはありえないはずだった。風邪は治っているはずなのだ。
なのになぜ・・・。
希美にはわけがわからなかった。



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ぱせりの母親からの連絡が希美に入ったのは、もうすっかり日も暮れたころだった。
希美はその連絡を受け、急いで病院へと向かった。
剣道場、そしてぱせりの家のすぐ近くにある大きな総合病院だ。
希美の家からバスで停留所4つ分。
自転車でいくのが一番速いと思ったので、希美は自転車を使った。
希美にとっては久しぶりの自転車だったが、上手くのれた。

病院に着き、受付で吉野という名を告げると、すぐに病室の場所を教えてもらえた。
513号室。
4階の一番奥の部屋だということだった。
この病院では4と9という数字を病室名につけないことにしているため、4階なのに500番台の病室となっていたのだが、希美はそんなことは少しも気にかけることなく、素直にエレベータを使って言われた4階に上った。
エレベータを降りると、広い廊下があった。そこを右へと進む。そして廊下の端までたどり着くと、その左側に目指す513号室があった。
閉ざされたドアの横には「吉野ぱせり」と書かれた名札が貼ってあった。

希美はおそるおそるドアをノックした。するとすぐに「はい」という声が部屋の中から響いた。そしてガチャンという音と共に中から女性が現れた。おそらくぱせりの母親だろうと希美は思った。
母親らしき女性は、希美を見て少し意外そうな顔をした。だがすぐにやさしそうな表情に変わり、「ぱせりのお友達?」とたずねた。
希美はやや緊張しながら「はい」と答えた。
すると彼女はドアを大きく広げて、「どうぞ」と希美を促した。

希美は軽く一礼するとドアをくぐった。
そして部屋を軽く見回す。
ベッドが4つ、部屋の各隅にある。そのうちの3つは空だ。
だが一番右奥のベッドで、ぱせりが上体を起こした格好で希美を待っていた。
「はろ〜」
ぱせりは希美を見てにこっと笑うと、そう挨拶した。
「はろ〜」
思わず希美はオウムのように言い返した。



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「えへへ。足の骨にヒビ入っちゃった」
ぱせりは、まるで擦り傷でも作ったとでも言うような気軽な口調でそう言った。

その後のぱせりの話によると、ぱせりが怪我をしたのは今朝早くということだった。
朝起きるとすっかり体調がよくなっていたことに気をよくして、近くの公園へと発声の練習に行った。そして練習が終わって一旦家に戻ろうとしたとき、公園の隣の交差点でオートバイにはねられたということだった。オートバイの前方不注意という面もなくはないが、ぼーっと歩いていたぱせりにも否はありそうだということだった。
「オーディション受かった時のことを想像して歩いてたら、なんや周りが見えんようになってて・・・・・」ぱせりは照れくさそうにそう言った。

はねられた時のオートバイの速度はさほど速くはなかったらしいが、ぱせりはころんだ拍子に頭を強く打ってしまった。そのため事故直後は意識を失い、救急車で運ばれる騒ぎとなった。
その後ぱせりが意識を取り戻すまでは、ぱせりの家族は気が気ではなかったらしい。
だが、幸いぱせりは意識を取り戻し、その後の精密検査の結果でも脳には異常はみられなかった。
右足がオートバイの下敷きになり、すねのあたりにヒビが入ってしまったが、それはすぐに直るし跡も残らない程度のものだということだった。

「かんにんな。精密検査やなんやで全然連絡できへんかったの。でも、2時くらいまでずっと気い失ってたらしいんで、どっちみち健太君のことずいぶん待たせてしもうたんやろけど」
「そんなこといいよ。でもオーディ・・・・・」
言いかけて希美は後ろを振り向いた。さっきまでそこにいたぱせりの母は、今は気を利かせたのか外にでているようだった。オーディションのことは家族にも内緒だとぱせりが言っていたのだが、今はその気を使う必要はなさそうだった。
「オーディション・・・・行けなかったね・・・・」
「うん。ごめんな。練習まで付き合うてもろたのに」
ぱせりはできるだけ元気を装ってそう答えた。
「そんなのいいよ。でも、ぱせりちゃん、せっかくのチャンスだったのに・・・・」
「まぁ・・・・しゃぁないよ・・・・」
ぱせりは少し寂しそうに笑った。
「ぱせりちゃんだったらさ、絶対受ければ受かると思う。だから次頑張ろう。次絶対また受けようね」
次は自分は一緒にいられないけれど。希美は頭の中ではそう思いながらぱせりに言った。だが、ぱせりはさらに表情を曇らせ、希美から目をそらした。
「次は・・・・ないの・・・・」
「え?」希美は驚いて問い返す。
「多分これが最後」ぱせりはきっぱりとそう言った。
「何言ってんの!?オーディションなんてまたあるよ。それ受ければいいじゃん。絶対受かるよ。絶対!」希美はそう力説した。
「ありがとう。でもな、うち、もうすぐ引っ越さなあかんねん」
「引越?」
「うん。来月から家族で中国に行くの。上海ってところ」
「上海・・・・」
希美は上海が中国という国のどこかにあるという知識くらいは持っていた。そこが日本から遠い場所だということも。
「お父さんのお仕事でな。多分3年くらいは向こうに住むんやって。せやから、もうオーディションとかは無理やねん」
「3年・・・・」
「その話を聞いてな、一回だけ力試しをしてみたかってん。中国に行く前にいっかいうちの歌をプロの人に聞いてもらいたいなぁって。それで受かってしもたらさぁどうしたんかわからへんけどな」
といって微笑むぱせり。沈んだ表情を見せる希美を見ながらさらにぱせりは続ける。
「せやから、まぁおとなしく中国行けって神様が言いはったんかもしれへんな。って受けたら受かったみたいな言い方やけど。健太君が悪いねんで。健太君が絶対受かる言うから、うち絶対受かるに違いないってすっかり思いこんでたもん。それで受かって、東京に住んでるお婆ちゃんの家にいってそこで暮らし始めたりするんかなぁとか」
幸せそうな表情で、自分の想像の中の出来事を語るぱせり。だがそれはあくまで想像の中の世界。そんなぱせりを見ていて希美はなんだか切なくなってきて、気がつけば涙を流していた。
「なんで健太君が泣くねん。もう」
仕方がないなぁという表情でぱせりが続ける。
「あっ、そうか。うちが中国行くから健太君寂しいんやろ。でもあれやで、ちゃんと手紙書くし、多分お正月くらいは京都に帰ってくるから。さよならとちゃうで」

その時、ぱせりの母親が病室に戻ってきた。健太の姿をした希美がめそめそと泣き、それをぱせりが慰めている姿を見て少し驚いたようだった。
「ぱせり」
少し気を使う様子で、母がぱせりに声をかけた。
「ん?」
「ぱせり、頭だけでも洗いたいんやったら、今のうちに洗面所を使ってって看護婦さんが」
「は〜い。じゃあ健太君、またな。なんや今日は念のため入院するけど、明日には退院できるらしいし。そしたらまた連絡するわ」
「うん・・・」力なく返事する希美。
「はいはい。もう帰った帰った。うち頭洗いたいねん。じゃあね」ぱせりは希美に向かって促すように大きな声をかけた。そんなぱせりの声に押されるように、希美は席を立ち、あいさつもそこそこに部屋を出た。

部屋を出る瞬間、ちらりと部屋を振り返った希美の視線の先には、うなだれて目に涙を浮かべるぱせりの姿があった。



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夜の清水寺。
雲が月や星々を覆い隠した空はただ黒くそこにわだかまり、月明かりを失った清水寺は今まで以上に暗く、そして寂しく希美の目に映っていた。まるで希美の心の中を映しているかのように。

ここに来るのはもう何度目だろう?
だけど、今日で最後だ。いや、この世界自体が今日で最後なのだ。
今夜が自分の世界に戻ると決めていた日だったから。

「いよいよやな。まぁ色々あったけど、うちも楽しかったわ」
背後から突然現れたつかが希美に向かってそう言った。
「うん」
振り返りもせずに希美が答えた。
「元気ないなぁ。そやからあんまりこっちにおったらあかん言うてん。別れが辛うなったやろ。でもな、向こうの世界にはあんたを待っとる人が仰山おるはずや。元気出して行っといで」
「ねぇつかさん?」
「なんや?」
「もう一つ別のことを願っちゃったら、’のん’は元の世界には絶対戻れないのかな?」
「はぁ?あんた何をあほなことを言い出すねん。願いは7つだけや言うたやろ。もう戻るしかないで」
「でも・・・・」
「どうしてん?」

希美はつかにぱせりの事故のことを話した。
そしてその事故さえなければ、ぱせりはオーディションを受けれただろうことを。
「だから’のん’が、ぱせりちゃんの事故はなかったことにしてくださいって願ったら、きっとぱせりちゃんオーディションを受けられるよね」
視線を足元に向けながら、自分の言葉を確かめるように希美が言った。
「そりゃ受けれるかもしれへんけど、でもそれで受かるとはかぎらへんやろ。そんなことのためになんであんたの最後の願いを使わなあかんねん。あかんでそんなん」
うなだれる希美の横顔を見ながら答えるつか。
「でも、もし’のん’が、ぱせりちゃんの風邪を治してって願わなければ、多分ぱせりちゃん公園で練習しようなんて思わなかった。それで風邪はひいててもオーディションを受けれた。ぱせりちゃんだったら、風邪をひいてても受かったと思うの。のんが余計なことしなかったら・・・・・」
「あんなぁ。あんたは人が良すぎるねん。それはあんたがぱせりちゃんのためにやったことやし、それにさっきも言うたけど、受かったかどうかわからへんねんで」
「でも」
「それにあんたこの前言うてたがな。努力して叶えるから目標なんやろ。例えその遠い国に行っても、ぱせりちゃんにはまだ努力すれば歌手になれる可能性はあるやんか。せやけど、あんたはこの願いを使うしかないねん。努力しても戻られへんねん。あんたこのまま一生健太君として生きていくんでええのんか?」
希美は首を横に振った。
つかがさらに続ける。
「自分の世界の家族や友達に会いたいやろ」
希美は今度は首を縦に振る。
「わかったな。そやからちゃんと自分の世界に戻りたいって願うんやで。大丈夫や、ぱせりちゃんはしっかりやっていくって。きっかけなんてたくさん転がってるもんやで」
そう言って、つかは希美の頭に軽く手を置いた。
「・・・・うん・・・・わかった」
半ば泣きそうになりながら希美はやっとそう答えた。
「よし。ほんならうちまた下で受け止めたるさかいな。行ってくるわ」
そしてつかはまたいつものように舞台の下へと降りていった。



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「準備できたで〜。いつでもええで〜」
やがて舞台の遥か下の方からつかの声が聞こえた。この台詞を聞くのは7回目だ。
希美は舞台の端へと向かう。舞台の柵を乗り越え、舞台の端に立った。ここに立つのもこれで7回目だ。

舞台の下を見ると、相変わらず夜の闇に景色が溶けている。
月明かりのない今夜はいつもに増して闇が深い。その闇が希美の心に恐怖心を作り出す。
だがその一方、この闇の向こうには、自分の生まれた世界がある。懐かしい人たちがいる。
そう思うと、この闇が何か自分の味方のようにも希美には思えてきて、気分が落ち着いてきた。

希美はこれまでに起きた出来事を思い返してみた。
さやかとの出会い。自分の姿が男になっていたこと。剣道の大会とその後の稽古。学校での見知らぬ男友達との会話。健太の家族の事。そしてぱせりとの出会い。
この世界を去ることが寂しくないといえば嘘になる。けれどそれ以上に、帰りたいという気持ちの方がやはり強かった。自分のいるべき場所はここではないのだ。
だから、願うべき事は一つだ。迷う必要なんてない。

けれど。
ぱせりの顔が思い浮かぶのを抑えることが出来なかった。病院のベッドの上で最後に見た、涙を堪えていた彼女の表情を。

きっかけはたくさん転がっている。つかはそう言った。
けれど・・・・。
希美は自分のことを思い返してみた。
あの日たまたまASAYANを見ていなかったら、自分はモーニング娘。にはなっていなかっただろう。
あの日家族で外食に行ってたりしたら、きっと自分は普通の高校生になっていたに違いない。
みんなだってそんなもんだ。モーニング娘。になるのが必然だったメンバーなんて一人もいない。みんなたまたまの偶然だ。そんなことをよくメンバー同士で話し合ったりもした。

ぱせりは、その偶然を失ってしまったのかもしれない。
そう思うと、希美は罪の意識に押しつぶされそうになった。

そして。
希美は最後の願いを胸に、清水の舞台から飛び降りた・・・・。



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