「清水の舞台からもう一度」
初日(その二)
----------------□
希美は、ぱせりと喫茶店で向かい合わせに座って会話していた。
ぱせりの頬は高潮し、興奮している様子だった。
希美はぱせりを笑顔で見ていた。
そんな二人は、傍から見ると仲のいいカップルにしか見えない。
「ほんでな、受かったら東京に住むことになりますが大丈夫ですか?とか聞かれたでな、『はい大丈夫です』て答えてしもうた」
ぱせりが嬉しそうにそう言った。
「じゃあもう一次審査は絶対大丈夫だね」と希美。
「そうなん?」
「うん。一次審査で質問されるってのは、見込みがあるからってことなんだよ。たいていの人には一次では質問なんてしないんだって事務所の人が言ってたのを聞いたことがある」
手もとのソーダ水をストローでかき回しながら希美が答えた。
「事務所の人って何?健太君芸能界に知り合いがいるの?」
一方、自分の飲み物には全く手をつけず、相変わらず浮かれモードのぱせりが希美にたずねた。
「え・・・えっと、そんな話を聞いたことがあるだけだよ」誤魔化す希美。
「な〜んだ」
と言いつつも笑顔は絶やさないぱせり。
「でも・・・おおきにな」
しばしの沈黙の後、ぱせりが希美を見ながらそう言った。
「何が?」と、希美。
「健太君がおらなんだら、オーディションに行く勇気も出んかったかもしれん」
「そうなの?」
「うん。オーディションの時もな、最初足震えててん。でもお父さんとお母さんの写真握りながらな、健太君が言うてくれたこと思い出してたら、ちょっとずつ落ち着いていった」
「そっか」
「うん。ほんまにおおきに。これからもよろしくな。もしうちが歌手になれても、なれんくて上海に行く事になっても・・・・ずっと親友やんな」
ぱせりは照れくさそうにそう言った。
だが、希美は少し寂しそうな表情をした。
「いやなん?」
そんな希美の表情を見て、不安そうな声でぱせりが言った。
「違う違う。うん、親友」
手をぱたぱたと振りながらあわてて希美が答える。
「ほんまにそう思てる?」と、ぱせり。
「思ってるよ。ぱせりちゃんは親友で・・・・そして運命の人だよ」
希美のその言葉を聞いて、ぱせりはまた先ほどまでの満面の笑顔を取り戻した。
「いいねぇ。なんか男の人にそんなん言われたら引きそうやけど、健太君やったらなんか大丈夫な感じ。って、あ、違うよ、別に変な意味じゃなくて・・・・」
「わかってるわかってる」
その時。
希美は自分の頬になにか生暖かい息遣いを感じた。
驚いて振り向くと、そこには辻家で飼っているミニチュアダックスのマロンがいた。
いつの間にか希美はマロンを抱きかかえていて、マロンが希美の頬を嬉しそうになめていた。
そして希美の姿は、越中健太ではなく、もとの辻希美の姿に戻っていた。
「ちょっとちょっとマロン」
顔をなめまわすマロンに対し、希美は半分迷惑そうに、半分嬉しそうに声をかける。
「ちょっと健ちゃん、喫茶店に犬なんか連れていたらあかんで」
さきほどまでぱせりがいた席に、こんどはさやかが座っていた。
「だってマロンが勝手に」
「あれ〜、健ちゃん犬なんか飼うてたっけ?」
「何言ってんの愛ちゃん?マロンのこと知ってるでしょ?」
「嘘〜、健ちゃん家のお母さん犬嫌いや言うてたやん」
「ちょっとマロンってばぁ〜」
なおもマロンは希美の顔をなめまわしていた。
そこで、希美は目を覚ました。
ピンク色のカーテンは外の陽の光を浴びて明るく輝き、窓の向こうで雀がちゅんちゅんと鳴く声が聞こえる。
希美は顔の肌がべとべとする感覚を感じた。
右手を布団の中から出し、手の甲で顔の肌を触ってみると、やはり何かで濡れていた。
ベッドから上半身を起こしてあたりを見回してみる。
案の定ベッドの下にマロンがいて、尻尾を振りながらつぶらな瞳で希美を見上げていた。
「ちょっと〜、やっぱりあんたでしょマロン」
希美は眠たげな表情で不平を言った。
(えっ!?)
希美の思考がそこで止まった。
目はマロンに張り付いたままだ。
(なんでマロンがいるの?)
そして希美は改めて部屋を見回した。
ピンク色のカーテン。ピンク色のベッドカバー。キティちゃんのぬいぐるみが山積みになっているタンス。小学校のころから使っている学習机。壁にはモーニング娘。やダブルユーのポスター。
「’のん’の部屋・・・・」
見間違うはずはない。
ここは希美の、『自分の世界』の部屋の中だった。
その時突然、半開きになっていた部屋のドアが乱暴に開かれた。
「希美、あんたいつまで寝てんのよ。今日は事務所に行くんでしょ!いい加減起きなさいよ!」
姉の文子だ。
「お姉ちゃん・・・」
ほぼ半月ぶりくらいに見る姉の顔だった。
希美はただボーっと姉の顔を見るしかできなかった。
「まったく時間があったらあったで、ただ睡眠時間を増やしてるだけなんだから・・・・あれ?」
マロンがベッドを這い上がって希美の腕の中に納まろうと動いていた。その様子をみて文子が不思議そうな表情で続ける。
「あれま?昨日まで希美を嫌がってたのに・・・・どうしたんよマロン?」
「嫌がってたの?」と希美。
「めちゃくちゃ避けられてたじゃないの。まぁいいや、とにかくもう起きて着替えなさい」
そう言うと文子はきびすを返し、戻っていった。
リビングへと戻って行く文子のスリッパの音が希美の耳に響く。
「まったく、まだ寝ぼけてたわよあの子・・・・」
姉が家族にそう話しかけているのが希美の耳に届いた。
マロンが希美の腕の中におさまり、鼻を希美の体に押しつけていた。
久しぶりに見る黄色のお気に入りのパジャマ。間違いなく、元の、辻希美の体に戻っていた。
「なんで・・・・?こっちに戻ってきたいなんて願ってないのに・・・・」
----------------□
眠気はもうどこかへ飛んで行った。
そのかわりに混乱が希美の頭の中を支配していた。
(なんで?)
希美はしばらくはその言葉を唱えることしか出来なかった。
昨夜、希美は清水の舞台から飛び降りた。最後の願い、そう、ぱせりの事故をなかったことにして欲しいと願いながら。
そして飛び降りて落ちていったところまでは覚えている。
だが、その後の記憶がない。
全部夢だったんじゃないか?希美はそんな風にも思ってみた。
だがそれにしては、あの世界での10日間の思い出はあまりにもはっきりしていて、そして生々しい。
間違いなく現実の出来事として希美の中に残っていた。
と、すると・・・。
希美の中で一つの答えが見つかった。
きっと自分は『元の世界に自分が帰ること』を願ったのだ。
ぱせりの事故を失くすことではなく。
きっと、飛び降りる瞬間に心変わりしたんだろう。そうしなければ、自分は永遠に元の世界に戻れないのだから。
そうとしか考えられなかった。
希美は暗い気持ちでベッドから降りた。
せっかくもとの世界に戻って来れたのに心が晴れなかった。
着替えもせずにパジャマのまま部屋を出た。
部屋のドアの横には希美のスリッパがあったが、それを履くこともせず、裸足のままリビングへと向かった。
リビングにはいつもの光景が広がっていた。
食卓に座る3人の家族。父はスポーツ新聞を広げ、母は朝のワイドショーを熱心に見ている。姉はみんなの食器を台所へと片付けている最中だ。
食卓には希美の分の朝ごはんだけが手付かずで残っている。
焼き魚と、玉子焼き、そしてお漬物。いつもの朝食。
希美の後ろからマロンが追いかけてきて、希美の足にじゃれついた。いつもはぐうたらで寝ているだけの犬なのに今朝はなぜか妙に元気がいい。
マロンの尻尾がフロアを叩く音に気がついて、希美の父と母が顔を上げた。
「おはよう、希美」
「おはよう。早くご飯食べなさい」
そしていつもの挨拶。
だけど希美はいつものように「おはよう」と返事をすることが出来なかった。
感情を押し込めることができず、自然と涙が溢れてきた。
希美は駆け出し、そして母の胸に飛び込んだ。
母は驚き、「ちょっとどうしたのよ、希美?」と声をかけつつも、やさしく両手で希美の背中を包み込む。
希美は息をつまらせながら、ただ泣きじゃくった。
最初は家族の顔を見てほっとしたゆえの嬉し泣きだった。また家族にあえて嬉しい。自分の世界に戻って来れて嬉しい。
だが、母の胸で泣いているうちに自分がなんで泣いているのかもわからなくなってきた。
そしていつしかその涙の中には、悲しみの気持ちも含まれ始めているのを希美は感じた。希美自身ははっきりとは自覚できなかったが、ぱせりのことで後悔の気持ちが生まれていたのだった。ぱせりよりも自分のことを優先してしまったという思いが、希美の心におおきなしこりを生んでいた。
もう嬉しいのか悲しいのかもわからず、ただひたすら母の胸の中で泣いた。
「まったく・・・17歳になっても子供なんだから」
姉の声が遠くで聞こえた。
----------------□
どれくらいの時間母の胸の中にいたのだろうか?泣き疲れ、そしてそのおかげで落ち着いた希美は、とりあえずパジャマを着替えようと自分の部屋に戻った。
家族は驚いてはいたが、また仕事のことで精神的にまいっているんだろうと思ったのか、あまり深くは追求しなかった。そのような時は何も聞かずただ黙って受け止めてやるのが一番だということを、希美の家族はこれまでの経験から学んでいたからだ。今回の不可思議な経験のことをどう説明していいのかわからない希美にとっては、それはありがたいことだった。
部屋に戻った希美は、パジャマを脱ごうと上着のボタンに手をかけた。
そのとき希美は、学習机の上にぽつんと置かれている四角形の白いものに気がついた。普段からほとんど使っていない机だったので、ひときわ目に付いたのだ。
それは白い封筒だった。
希美は封筒を手に取った。表にも裏にも何も書かれていなかった。
「なんだろ?」
希美は封筒を開けてみた。
糊付けはされていなかったので簡単に開き、中からは折りたたまれた白い便箋が出てきた。
希美はそれを開いた。
「えっ!?」
希美は最初の一行を読んで思わず驚きの声を上げた。
『健太君へ』
そこにはそう書かれていた。
----------------□
健太君へ
ちゃんと自分の世界に戻れましたか?
あ、でも、この手紙を読むことができてれば、戻れてるってことだよね?
最初にもう一回だけ言わせてね。
「おおきに」
もう何回も言って、健太君は耳にたこができるって言ってたけど、ここでもう一回言わさせてください。
自分の世界に戻ることをあきらめてまで健太君がうちにしてくれたことを、うちは一生忘れません。
健太君は優しいよね。優しすぎるよね。うちやったら、男の人の体になって、違う世界でずっと生きていくやなんて絶対嫌やもん。
ううん、健太君もやっぱり嫌やったんよね?
だってオーディションの日から、健太君ずっと変やったもん。すごく寂しそうな顔をよくしてた。
それでも健太君はうちに絶対受かるよって励ましてくれた。オーディションの会場に入るとき、肩をポンとたたいて「行ってらっしゃい」って言ってくれた。あのおかげで、すごく落ち着いてオーディションも受けられた。
全部健太君のおかげです。
ほんまにおおきに。何回おおきにって言うても足りないくらいに、感謝してます。
この前健太君に会いました。こっちの世界の本物の健太君。今までの健太君と違って男の子っぽかったらなんや恥ずかしかった。でもなんか雰囲気は似てたから、やっぱり話しやすかったかな。
ちゃんと色々説明しておきました。今までにあったこと全部。
なんで突然元に戻れたのかがわかって健太君もすっきりしたみたいでした。
健太君も、恋占いの石の間を目をつむって歩いてる途中で入れ替わったんやって言うてました。なんや、男の子同士の罰ゲームでやらされてたって。
で、目を開けたらなんやテレビカメラに囲まれててびっくりしたらしいです。その後も、そっちの世界で結構大変やったって。
あと希美ちゃんに迷惑かけたかもしれんってなんや心配してた。ただ詳しい話はあまり聞けんかったんやけど。
だってあのさやかちゃんって子がいて、すごい顔でうちの事睨んでたんやもん。
そうそう。オーディションの一次審査の合格通知が来ました。
今度は東京で2次審査です。ドキドキするなぁ。
あと、家族にオーディションのことがバレちゃいました。
でも正直に話したら、応援してくれるって。
どうしても歌手になりたいんやったら、もしオーディションに今回落ちてしもても、一緒に上海行くんやなくて日本の東京のお婆ちゃん家に住ませてもうらうようにしてもええって言うてくれました。
どうするかはわからへんけど、でもとにかく今のオーディションに受かるように今は頑張ります。
あのね、別れるときは恥ずかしくて言えへんかったけど、うちにまた一つ目標ができたんよ。
それは健太君と一緒に歌手としてステージに上がること。
この手紙でまた一つ願いを使っちゃったけど、でもあと5回残ってます。だからあと5回うちはそっちの世界に遊びにいける。そのときは、そっちの世界の私にお願いして、ダブルユーのライブに出てみたいなぁって。
でもそのためには、こっちの世界で歌手になって、健太君とステージにでても恥ずかしくない自分にならんとね。
だからそっちに行くのは、うちが歌手になってからって思ってます。そう思っていれば、どんなことだって頑張れる気がするから。
でもこんな事言って、いつまでも歌手になられへんかったらどうしよう(笑)
健太君とすごした日々がもう懐かしく思えてます。
健太君をひっぱたいたこと(2回も!)、一緒にカラオケの練習に行った事、オーディションについて来てもらった事、清水寺の神様に合格をお願いに行ったら突然つかさんが現れた事、そして「あんたが飛び降りたらええねん!!」ってつかさんに言われてびっくりしたこと、健太君の事を全部聞いたときの事、お別れのときにすごく泣いた事、そして健太君を元の世界に戻してって思いながら清水の舞台から飛び降りた事。
(あとうちは覚えてないんやけど、健太君が最後の願いで無かった事にしてくれるまでは、うちは事故で入院してたんやろ?入院した事なんかないから覚えてておきたかったなあ)
なんか色んなことがありすぎて、とても2週間くらいの間の出来事やったとは今でも思われへん。それに、健太君とももうず〜っと昔からの友達やった気がする。健太君が言ってたけど、やっぱりうちら「運命の人」やったんやね。ほんまにそう思います。
まだまだ書きたいことは一杯あるんやけど、今日はこれくらいにしときます。
必ず会いに行くからね。待っててね。そのときに今度は女同士でゆっくり話そうね。
ぱせりより。
健太君、
ううん違う、
希美へ。
またね。
----------------□
手紙を読み終えた希美は、なんとなく事情を理解した。
ぱせりが最初の願いを使って、自分を元の世界に戻してくれたんだ。
そして希美の最後の願い、『ぱせりの事故をなかったことにする』というのはちゃんとかなっていたのだ。
希美は心底ほっとした。さっきあれほど泣いたのに、また目頭が熱くなるのを感じた。
けれど、一つだけわからないことがあった。
ぱせりの手紙によると、希美は最後の願いをかなえた後、しばらく向こうの世界で暮らしていたらしい。
だけどその記憶が希美には全く残っていなかった。
最後の願いを思って清水の舞台から飛び降りたところで記憶が切れているのだ。
「まぁいっか」
希美は幸福感の中で、安直にその問題を忘却の世界に追いやった。
もう少し頭を働かせれば、ぱせりが事故の事を忘れているのとは逆に、希美の場合は、事故が起きなかった場合の記憶がないのだと気がついたかもしれない。そして、同じ時間に並行して起こった事は、その片方しか記憶には残らないもののようだと推測できただろう。
「なんかお腹すいてきた。朝ごはん食べよっと」
・・・・前言撤回。
「希美、もう朝ごはん片付けるよ」
姉の声がリビングから響いてきた。
「だめ〜今から食べるから〜!あと、杏仁豆腐も出しといて〜!!」
希美の元気な声が、辻家にこだました。
----------------□
やはり自分の体は動きやすい。
なんと言っても、体の真ん中に変なものがついてないのがいい。
希美は上機嫌だった。
ちょっと散歩したかったので、事務所から少し離れたところでタクシーを降りた。
そして徒歩でてくてくと事務所への道を歩く。
すっかり秋も深まり、外は少し肌寒い。だが、秋晴れで雲ひとつ無い空を見上げると、希美はなんとも晴れやかな気持ちになった。
(あっちの世界もいい天気かな?)
希美はそんなことを思いながら上機嫌に事務所を目指した。
ほとんど変装をしていなかったので、やはりすれ違う人には結構気がつかれ、視線を浴びた。だがその視線も久しぶりなので悪い気はしなかった。戻ってきたんだという実感が沸いて、逆に嬉しかった。
ただ、視線の種類が依然と違うような気もした。なにか珍しいものを見たかのような視線が多かったのだ。
だが、久しぶりだから自分の感覚が変わっているんだろうと希美は思った。
事務所の建物に入りエレベーターに乗ろうとすると、そこで顔見知りのスタッフに出会った。
希美は笑顔で「おはようございま〜す」と言った。
だが、そのスタッフは顔をひきつらせ、「お、おはよう・・・・」と、とても気のない返事をするだけだった。
いつもは口数の多いそのスタッフが、エレベーターの中では終始無言で、なぜか緊張していた。
----------------□
「か、活動休止〜!?」
事務所の会議室に希美の絶叫が響き渡った。
「あぁ。やっぱりそうするしかない」
残念そうな表情でそう答えたのは、希美の前のソファーに座るダブルユーのマネージャーだ。
「えぇ〜」
希美の隣に座っている加護が不満の表情で続けた。
「なんでなんで〜」
これは希美の言葉。
だがその希美の言葉を聞いて、マネージャーと加護が一斉に非難の視線を希美に向けた。
その視線におもわずたじろぐ希美。
「え?なに・・・・・」
「なにじゃないでしょう、のん!あんたのせいでしょうが!!」
加護が怒りの声を上げた。
「そうだ。お前があんなことしなければ、こんなことにはならなかったんだぞ!」
とマネージャーも続く。
「え・・・・あの・・・・’のん’何やったの?」
「のん!」
「辻!!」
「ごめんなさい」思わず訳も分からないまま謝る希美。
「まぁ確かにお前が怒った気持ちも分かるぞ。そりゃ生放送中に口説こうとするなんて不謹慎にも程がある。向こうの事務所の人もこちらにも責任があるって謝ってたよ。だけどな、それにしても生放送中にその相手を殴るってのはやりすぎだろ。もう少し我慢できなかったのか?」
マネージャーが非難の気持ちこめた視線を希美に向けながらそう言った。
「そうだよ。CM中にすればよかったんだよ」
「そうCM中だったら・・・・・いや加護、そういう問題でもないんだが・・・・」
「だってあいつ、娘。と一緒にテレビ出たときに愛ちゃんに携帯の番号渡してたやつなんだよ。それが今度は’のん’だよ。愛ちゃんからその話を聞いてたから、’のん’も怒ったんだよ。最低の男やわ!」
加護が怒りの表情でそう言った。
「いやまぁそうだろうが、でも殴ったのはまずい。しかもグーで。」
「それくらいやったらな分かんないんだよ。自業自得って言うんや、そういうん」
「加護、お前はどっちの味方なんだよ」
そんな加護とマネージャーのやり取りを聞いて、希美にも事情が分かってきた。
どうやら、希美の体になった健太が、生放送中に共演者を殴ってしまったらしい。
(迷惑かけたかもってこの事かぁ・・・・・健太君、これ迷惑どころじゃないよぉ・・・・)
希美は心の中で、別の世界にいる健太に語りかけた。
「活動休止って、どれくらいお休みしなくちゃならないんですか?」
加護がマネージャーにたずねた。
「それは分からん。世間がどういう風に今回の事件を見るかにもよるし。最悪の場合、ダブルユーは解散して加護だけがソロでやるとかいう可能性もなくはない」
「えぇ〜」
希美と加護がはもった。
「最悪の場合はだ。いくら事情があるとはいえ、女の子が男を殴るシーンが放送されちゃったんだからな。インパクトが強すぎた。だからお前らの活動方針について考え直さなくちゃならないのは間違いないんだ」
「そ・・・・そんなの困るよ!」希美は大慌てでそう言った。
「みんな困ってるんだよ。反省してくれ」とマネージャーが冷たく返した。
会議室に沈黙が下りた。
希美はあまりの事態にガク然とした。やっとこの世界に戻ってこれたのに。やっとまた歌が歌えると思ったのに。
それに、このまま歌手を続けられなくなってしまうと、ぱせりの新しい夢もかなわなくなる。せっかく願いを使ってこっちの世界に来てもらっても、希美が歌手として活動していなければ、二人でステージで歌うことなんかできるはずがない。
希美はちらりと隣に座る加護を見た。
加護は肩を落とし、ただ不安そうな表情をしていた。
どこかで最近見たシーンだなと希美は思った。
そうだ。病院にぱせりをお見舞いに行ったときの、部屋を出る時に見たぱせりだ。
ベッドの上で、寂しそうな表情を浮かべていたぱせり。今の加護の表情にそこまでの悲壮感はなかったが、ただやはり同じ顔だけに、思い起こさせるものがあった。
そしてその時、希美の頭にひらめくものがあった。
そういえばあの時は・・・・・。
希美の表情がきらめいた。
「そっか!」希美はソファーから立ち上がって叫んだ。
「どうしたの、のん?」隣の加護が、希美を見上げて問いかける。
「そうだ!京都に行こう!!」
「は?」加護とマネージャーがいっせいに疑問の声を上げる。
「あいぼんが飛び降りればいいんだ!」
「はぁ?」ますますわけが分からない加護とマネージャーの2人。
「ねぇ、しばらく仕事はないんですよね?」
やる気満々な表情の希美が、元気な声でマネージャーに聞いた。
「あぁ、しばらくは白紙になってるが・・・・」
その勢いに押されるようにマネージャーが答えた。
「よし!行くよ、あいぼん!!」
希美はソファーに座っている加護の手をとって、強引に席を立たせた。
「い、行くって?えっ?京都?」戸惑う加護。
「そう!清水寺!!」
そして希美は加護の手を引いて駆け出す。
「れっつご〜」
加護は希美に引きずられながら、会議室のドアを出る。
「ちょっとちょっと・・・」
そして呆然として声も出ないマネージャーが、ただぽつんと会議室に取り残された。
「ちょっとなに?京都に行ってどうすんの?」
事務所の入っている建物を出て、大通りへと向かう道を希美に引っ張られるようにして駆けながら、加護が言った。
希美はにこりと笑い、振り向いて加護を見る。
「えへへ、行ってのお楽しみ。まずはつかさんを探さなきゃね。幽霊だからたぶんいるでしょ」
「はぁ?」 加護はもうわけがわからない。
「あっ、そうだ!」突然立ち止まって希美が叫んだ。
「今度はなによ?」
「ねぇ、あいぼん?ものすごくおいしいバーベキューしたくない?」
(終り)
>目次