「清水の舞台からもう一度」

四日目(その二)


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「疲れたなぁもう・・・・」
剣道着をかついで八条通りの坂をよろよろと登りながら、希美は一人弱音を吐いた。
先日の大会での一回戦負けの罰だということで、今日の剣道の稽古ではひたすら基礎体力トレーニングをやらされたのだった。
実践練習なんかをさせられてボロが出てしまうのに比べればましではあったが、それでも腕立て伏せに腹筋にランニングにとさんざんしごかれた。しかもそれらを重い剣道着を着ながらやらさせられるのだからたまらない。いくらダンスで鍛えた体とはいえもうくたくただった。もっとも、現在の状況でダンスで鍛えた経験が役に立っているのかどうかはわからないが。

「健太くんもさやかちゃんも、何が楽しくて剣道なんかやってるんだろ?どうせならバレーボール部だったらよかったのに」

そしていっそ明日あたりバレーボール部に転部してしまおうかなどと思いながら坂を上っていたときだった。希美の視線の先に、坂の上から降りてくる2人の制服姿の女の子がいた。さやかの制服とは違うから、別の高校の女の子のようだ。幾分高級そうな気配のただよう制服だから、どこかの名門私立校かなにかかもしれない。
希美はなんとなくその制服の主の顔を見た。
そのとき、希美の足が止まった。驚き、そして眼を見張った。
2人のうちの希美からみて左側の女の子。あの子は・・・・
「あ・・・あいぼん!?」

希美がそうつぶやくのと、2人の女の子が自分達を見つめる剣道着を担いだ男の子に気づくのはほぼ同時だった。
「あら健太君、こんにちは」
右側のショートカットでそばかすだらけの女の子が希美をみてそう挨拶した。
だが希美はそれには反応せず、ただじっと左側の女の子の顔を見ていた。
そして、
「やっぱりあいぼんだ!!どうして!?なんでここにいるの!?」
希美は、嬉しさと、そして驚きが半々といった声でそう叫んだ。
そしてその女の子に駆け寄ると、女の子の小さな手を掴んで上下に振り回し始めた。

「え?ちょ、ちょっと・・・」
あいぼんと呼ばれた少女はただ呆然と希美に腕を振り回されていた。
突然の出来事にどう反応していいかわからないという体だ。
「そっか!青い鳥の撮影で、’のん’の後から来ることになってたんだよね!そうだ!ちょっと聞いてよあいぼん!もう大変なことになってんだよ。あのね、パラソルワールドなの。みんながね違う人になってるの、それで・・・・」
「ちょっとちょっと、どうしたのよ健太君!!」
もう一人の女の子が、希美の話を強引にさえぎった。
「え?」
希美はきょとんとしてその見覚えのないそばかすの女の子を見た。
「さっきから何をわかんないこと言ってるの?あいぼんって誰よ?」
「え・・・だって、ほら今ここにいるじゃん」
希美は目の前で手を掴んでいる女の子を示した。
女の子がさりげなく手を振りほどこうとしたが、希美の力が強かったためうまくいかなかった。
そばかすの子が続けた。
「誰と勘違いしてるのか知らないけど、この子はあいぼんなんて名前じゃないわよ。ねぇ健太君のことなんて知らないでしょ?ぱ・・・・えっと、吉野さん?」
吉野という名前らしい彼女に顔を向けてそう言う。
「う、うん・・・初対面だと思うけど・・・」
吉野さんと呼ばれた少女はおずおずとそう答えた。

「またまた〜」
すると希美は笑いながら今度は吉野さんの腕に自分の腕を絡めた。
親しい相手には傍から見ると過剰にスキンシップをとってしまうのが希美だったので、いつものようになんのためらいもなく腕を組んでいったのだった。それは希美としてはごく自然な行動ではあったが、今この状況にふさわしいものではないのは明らかだった。
「どっからどうみてもあいぼんじゃん。ほらこの顔、この二の腕」
そして空いた方の手でまずほっぺたを触り、その次にちょっとぽっちゃりした吉野さんの二の腕をぷにぷにと突っついた。
すると吉野さんの顔は見る間に赤く変わっていった。
そして、
「何すんねん!このスケベっ!!!」
パーンッ!!!
吉野さんの平手打ちが希美の頬に炸裂した。



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「へ・・・」
後姿にすさまじい怒りのオーラをまといながら坂を降りていく彼女を、希美はただ呆然と見送るしかできなかった。頬にはもみじの形に赤い跡が残っている。
「あんなぁ健太君・・・・」
残されたそばかすの女の子があきれた顔で希美に話しかける。
「そっか・・・・違うんだ・・・・」
平手打ちのショックで、正気に戻った希美。そう、ここは違う世界。希美の知るあいぼんはこの世界にはいないのだということを希美は思い出していた。
「吉野さんはな、結構お嬢様育ちやから男の子としゃべるんも苦手やねん。それやのに、腕絡めたりして・・・そら怒るって。あれで結構気が強い子やし」
「そっかぁ」
この女の子が誰かも希美はわからないのだったが、きっと健太の小学校の時の同級生とかそういう相手なんだろうと推測した。そしてそういう相手に適当に合わせる事に、希美は慣れ始めていた。
「せやけど、誰やのんそのあいぼんて。何?健太君の彼女かなんか?」
「そ、そんなんちゃうよ」
希美は関西弁で返す。標準語をしゃべるたびに怪訝な顔をされるので、希美はできるだけ関西弁でしゃべるようにもなっていた。
「ほんまに〜?まぁそっか、健太君にはさやかちゃんがおるか。あんまり浮気したらあかんで」
とそばかすの子がニヤニヤしながら健太に話しかける。
この年頃の女の子にとっては一番楽しい話題だ。
「え?健太君とさやかちゃんって付き合ってるの?」
希美は驚いてそう言った。
「はぁ?健太君なに言うてんの?」
驚いたのは女の子の方もだ。
「え?ど、どうなのかなぁと思って。ははは。」
誤魔化す希美。
「なんやそれ?まぁでもただの幼馴染にしてはさやかちゃんの態度はちょっとあれに見えるわなぁ。この色男。後は健太君次第なんちゃうか?」
「へぇ」
「へぇって・・・・あっ、あの子もうおらへん!ちょっと宿題写さしてもらおう思うてんのに。ほなな、健太君っ!」
そしてその子は急いで坂を駆け下りていった。

「でも、’のん’は本当は女の子だしなぁ・・・・」
さやかの事を思い浮かべながら、希美はそうつぶやいた。



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「くぅ〜、やっぱ焼肉はいいねぇ」
希美は、また新しく焼きあがった牛肉を口のなかへと放り込んだ。そして幸せそうな表情で噛みながら、新しい肉を網の上に置く。新しい肉が、ジューっという音を出し始める。その肉をいとおしそうに、箸でツンツンと突く。肉汁が炭火の中に落ち、炭が一瞬ジュっとはじけ、赤い火の粉が夜空へとゆっくり昇っていく・・・・。

「清水の舞台の上でバーベキューなんかしたんは、あんたが多分始めてやろな」
つかが呆れ顔で希美を見ながら言った。
「そうなの?」
「そりゃそうやろ。こんな場所でバーベキューやるやなんてケッタイな人間がどこにおるねん。しかも、ここ寺やで。まぁあんたが最初で最後やろ」
「じゃぁギネスに載るかなぁ」網の上の肉をひっくり返しながら言う希美。
「ギネスって何?」尋ねるつか。
「えっとね、世界記録がいっぱい載ってる本。’のん’はね、フラフープの世界記録で載ってるんだよ」
「フラフープって何?」
「え〜と・・・・・まぁいいや」
希美は説明するのが面倒くさくなったようだ。
そして今一番やりたいことを実行する。
希美の口の中にまた一つ肉が消えていった。

一方、つかもフラフープにはさほど興味がなかったらしく、先ほどの話題に会話の内容を戻した。
「しかしあれやな。やっぱりあんたがおった世界とこっちの世界では、見た目に関しては全く同じ人間が存在するみたいやな」
「そうみたい。さやかちゃんと愛ちゃんもそうだし、吉野さんって人とあいぼんも見た目は一緒だもん。似てるとかじゃないよあれは」
「そんで、あんたと健太君って子もそうなんやろ?」
「うん」
「性格とかはどうなん?その辺も一緒なんかな?」つかが続けて質問する。
「う〜ん、多分一緒みたい。とりあえずさやかちゃんと愛ちゃんはすごく性格も似てる。二人とも話にオチがないところとか。’のん’と健太君が似てるのかはわかんないけど、でもお母さんがあんまり変に思ってないみたいだから、多分似てるんだと思う」
と、希美。
「基本的なところでは同じ人間なんかもしれんなぁ。なんとも不思議なもんやな」
つかはそう言って、何かに感嘆したような表情をした。
「じゃあ、つかさんと同じ人もあっちの世界にいるのかな?」
希美がつかを見ながらたずねた。
「さぁ・・・・どうやろ。でもおるとして、その人も幽霊なんやろかな?うちと同じように・・・・」
つかはちょっと寂しそうな表情をした。そして清水の舞台の方に視線を投げ、ただぼんやりとその先の暗闇を眺めた。

「ねぇつかさん?」
しばらくして、希美がつかに声をかけた。
「ん?」
何か昔の事を思い出してでもいたようなつかが、希美の呼びかけに反応した。
「’のん’が、『つかさんが生き返りますように』ってお願いしたら、つかさんは生き返れるのかな?」
子犬のような表情でつかを見ながら、希美は尋ねた。
「さぁなぁ・・・」つかはあまり興味もなさそうにそう答えた。
「やってみようよ」
希美の提案につかは首を振った。
「それはええよ。うちは別に生き返りたくないから」
「え?なんで?」
「やっぱ死んだもんは、ちゃんと死んでいかなあかんと思うねん・・・」
つかは微笑しながらそう答えた。

希美にはよくわからない理屈だった。だが自分がどんなに頼んでも、つかを説得することはできないだろうことだけはなんとなくわかった。
「・・・・つかさんはどうして死んじゃったの?」
「まぁ・・・それはええやんか・・・」
つかはまた寂しそうな表情をしてそう答えた。
「・・・・ごめんなさい・・・」
聞いてはいけないこともあるんだ。希美は少し後悔した。
「気にせんでもええよ。ありがとう」
つかは笑顔で答えた。そして言葉を続ける。
「そんなことより、あんたは自分の好きな事を選びな。元の世界に帰るって願いを最後にとっとかなあかんから、自由に使えるんはあと3つやで。言うとくけど、焼肉食べるとかそんなんやなくて、もっと普通にはできへんこと選んだほうがええとうちは思うで。もったいないやんか」
「普通はできないこと?」
「そうや。神様やないとできへんようなことやな」
「ん〜・・・・」
希美は腕を組んでしばらく考えた。そして、
「そうだ!」
何かを思いついたらしい。
「なんや?ええの思いついたか?」つかが希美を見て興味深そうな表情で尋ねる。
「あのね・・・」
希美は頬を赤らめ、ちょっと恥ずかしそうに言った。
「胸が大きくなりますようにってのはだめかなぁ」



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