(五)

 「確かに、リカが自殺したのは否定できない事実かも知れない。…でも、だからと言って、由良泰子、仁礼文子、青池里子、それに多々羅放庵の四人までも殺した連続殺人犯とイコールとは決められないわ」
 由里子の表情はこれまで見せたことのないような真剣なものであった。
「じゃ、なぜ自殺なんか?…まさか23年前の事件のことを蒸し返され、その時の犯行のことを苦にして自殺したっとでも?」
「まさか。…いくらなんでもそんなことはないでしょ。…リカが何かを苦にしたのだとしたら、それは実の娘殺しを苦にして…でしょうね」
「…?ちょっと待った。さっきはリカは里子殺しの犯人ではないみたいに言ってたじゃん」
「違うわ。四人連続殺人犯じゃないって言ったの」
「じゃ、何、里子はリカが殺したけど、他の三人の事件には別の犯人がいるってこと?」
「そう。おかしい?」
「おかしいも何も…」
 と言ったものの、二の句が続かず、困惑する頭で『悪魔の手毬唄』を思い返していた。
「じゃ、もう少し話させてね。…まず、この解決に関して言えば、青池リカの自殺があって、それを前提に金田一耕助が推理を披露するといった形で書かれているだけで、犯人の自供もなければ、明確な物的証拠もないの。状況証拠だけを元に、それも自分の推理を披露するだけじゃなくて、集めた関係者たちからの意見を聞きまとめながら推理を進行させていくの…。だから、なんとなく集まった関係者たちが納得してしまえば細かなことは目を瞑ってしまっても構わなかったのね」
「金田一耕助ファンが聞いたら卒倒しそうな意見だね」
「別に金田一耕助が間違っているとかそういうことを言いたいんじゃないの。…ううん。むしろ、事件の渦中にあって、あの状況下であれだけの推理を組み立てられるんだから金田一耕助ってやっぱり凄いとしか言えないもん。あたしみたいに全て小説みたいな形で事件のことを知ることができて、金田一耕助の推理まで聞かせてもらってから、それを何度も読み返したりできて、あれこれ考えられる立場と全然違うから…。それに、金田一耕助の立場からすればああいう解決が一番無難だったのかもしれないとは、あたしも思うんだ…」
「無難…か。じゃぁ、お前の考える真犯人の場合は無難にならないって訳?」
「…どうだろ?…後味悪いかもしれない」
 そう言ったまま由里子はしばらくうつむいてしまっていたが、私も由里子がなぜこんなことにこれ程までに執着するのかが理解できずにうつむいてしまいたい気分であった。
「わかったよ。なんにせよ長くなるようなら服着ようよ。…裸のままだとまた話しを途中にして別の事したくなるかもしれないから…」  自分ではちょっと息抜きをしたいくらいのつもりで言った言葉であったが、由里子はハッと顔を上げ、さっとシーツで自分の身体を隠すと「スケベ」と一言いい放ってベットから飛び下りるように出て、脱ぎ散らしたままだった服を片手にキッチンの方へ駆け込んで行ってしまった。
「コーヒー飲むでしょ?」
 と尋ねる由里子の声の、それまでとはうって変わった明るい調子に、本当によくこうまで切り替えができるものだと感心しながら自分も服を着た。
 服のまままたベットに横たわり『悪魔の手毬唄』をパラパラとめくっているとキッチンから流れて来るコーヒーの香りが鼻をつき、由里子と結婚することにでもなると毎日こんな朝を迎えることになるのだろうか…などと考えている自分に気付いてドキリとし、その驚きが結婚ということに対してのものなのか、それともこういった朝ということに関してなのかはよくわからなかったが、そのどちらにしたところで想像のうえだけでは楽しく思えたものの、なぜかあまり現実的な感じには思えなかった。
 『悪魔の手毬唄』を手にキッチンに入っていくと由里子はテーブルに頬杖をついた格好のまま空ろな表情でコーヒーメーカーから立ち上る湯気と香りを見つめていた。
「変な女だよね…」
「誰が?」
「あたし」
「そうかな?」
「そうだよ。…普通じゃないよ…」
「だから、何が?」
「普通は好きな人と一緒にいる時に『悪魔の手毬唄』の犯人がどうこうなんて言わないでしょ」
「…別にいいんじゃない?誰だってこだわるモンはあるだろうし」
「そういった問題なのかなぁ…」
「いいよ。…言いたいことを言いたい時に言えるって悪いことじゃないだろ?…少なくとも、オレはそういうの好きだよ。…それに、話し聞いてると、今まで言いたくても言えなくて我慢してたみたいだし。毎日『手毬唄』じゃオレだって参るけど、幸い明日も休日で休みだし、今日一日、ゆっくり時間はあるんだから、話したいだけ話してスッキリしてみたらいいんじゃない?」
「なんか、そんなに甘えちゃっていいのかなぁ…」
「甘えるもなにも…話し聞くだけだぜ。…だったらコーヒー御馳走になるのも甘えになっちゃうよ」
「あ、御免。今いれるから…」
 そう言って椅子から立ち上がってカップを取りにいく由里子を見ながら、今の会話を思い返していた。
 これまで何度か食事をした時にも、以前に付き合っていた男は何人かいたが、みんな自分のことに呆れて別れたというような話しは聞いていたが、どうやらそのことがこの『悪魔の手毬唄』への執着と関係があって、それが由里子にとってちょっとしたトラウマみたいなものになっているのかな…というくらいの想像はできたが、果たしてそれがどれ程のものなのかまでは、この時にはわかりようもなかった。私とすれば、ただ由里子に、胸に仕舞ったままで話せないでいることがあって、そのことがストレスのように溜まっているのだとしたら、それを聞いてやって発散させてあげられたらいいかな…くらいのつもりで簡単に考えていたにすぎなかったのである。
 コーヒーを前にテーブルの角を挟んで座ると、由里子に話しの続きを促した。
「どこまで話したんだっけ?」
「…金田一耕助の推理が状況証拠だけだった…ってところかな」
「じゃ、そこからね。…状況証拠の場合、納得いく説明がなさればそれらしく聞こえるでしょ。…でも、それが納得いかないものであれば状況証拠にすらならないわよね」
 由里子は私の頷きを確かめるようにしながら話しを進めていった。
「例えば、木村さんがさっき言ってたみたいに、リカが老婆に扮して泰子を誘い出したっていうのが無理なら、もうそれだけでも状況は崩れちゃうわけでしょ。金田一耕助はうまくつじつまをあわせているようにみえるけど、実際は結構無理なことを言ってるし、それなのに同席している関係者が横からあれこれ口を挟んで、さもリカが犯人のように決めつけてるようにしかあたしには見えないの。悪く言えばそういう横からの嘴を見込んで金田一耕助は関係者を集めて推理を披露したんじゃないか…とすら思えてならないの」
「じゃ、ここでも同じように嘴を挟ませてもらってもう一度聞くけど、仮に泰子を殺したのがリカじゃないとしたら、じゃぁ、なぜリカは里子を殺さなきゃならなかったんだ?…泰子、文子と殺していって、三番目の雀であるはずの別所千恵子と間違えて里子を殺してしまったんだ…と金田一耕助は推理しているけど、泰子を殺していないのなら千恵子までの連続殺人にもならないから間違えて里子を殺すこともなくなっちゃうだろ」
「連続殺人はあったし、泰子、文子の次は千恵子が狙われていたのは私も否定しないわ。違ってると思うのは里子は千恵子と間違えられて殺されたんじゃなくて、里子は里子だとわかっているうえで…母親であるリカに殺されたの…」
「!?…な、何だって?ちょ、ちょっと待った。それじゃ、里子の側にあった錠前とか鍵とかは?」
「あれは千恵子を狙った犯人が置いておいたものだろうけど、それと里子が殺された理由とを直接結び付ける必然はないもの。 …さっきも言ったけど、里子を殺したのはリカだけど、泰子、文子、放庵を殺し、千恵子も狙っていた犯人は別にいるの」
「だって、千恵子を狙って別所の家に放火して、リカは自殺しているじゃないか…」
「あれは、千恵子を狙っての放火じゃないわ。…だって、千恵子を殺してその後自殺する決意があるなら、なにも放火なんかしなくたって、里子のお通夜に来た千恵子を亀の湯で殺したっていいじゃない。あの放火には別の意味があるとしか思えないのよ」
「別の意味?」
「つまり、リカが自分から泰子殺し、文子殺し、里子殺し、そしてその後に発見された放庵殺しの犯人であるように捜査陣に思わせるため…じゃないかな…」
「じ、じゃ、何、リカは自分でやっていない犯行まで自分のやった犯行だと思わせるためだけに放火して自殺したって言うの?そんなバカな…なんだってそんなことを…」
「他の三人を殺した犯人が…里子だから」


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