1990(平成2)年、子息竹中労の編集により三一書房から刊行され、現在のところ唯一の竹中英太郎個人作品集である『百怪、我ガ腸ニ入ル』
竹中英太郎作品について探求しようと考える者にとっては、この本なくして英太郎挿絵を探求する道へ踏み出すことはおよそ考えられないと言っても過言ではない。
また、竹中英太郎作品の愛好家は言うに及ばず、一人の画家の作品集が平成3年度第44回日本推理作家協会賞を評論その他の部門で受賞するという驚嘆すべき事柄から見ても、探偵小説ファン等からの支持も高く、単なる絵の作品集という枠を超えた、いかにも「怪奇幻想の画家」と言われた竹中英太郎の作品集らしい、ある意味「奇書」であるとも言える。
ここで「奇書」と書いたのは、他でも無い。掲載されている情報を丹念にたぐってみると、間違った記述が驚くほど多いのである。
寄稿された個人的な文章については、事実誤認があったとしてもおかしくないので「間違い」とするわけにもいかないかもしれないが、挿絵に添えられたキャプションや年譜にある記載など、私のような素人探求家でもちょっと調べてみただけで判るような間違いが多いのだから驚かされる。
確かに竹中英太郎その人の挿絵画家時代については、語られることのないままの事柄も多く、今となっては、当時のことを語れるであろう人さえもほとんど皆無となりつつある。
しかし、作品のこととなると話は違う。その全てを果たして見ることが可能かと問われると答えに窮するが、それにしても調べてみればそれなりに確認することくらいは可能である。なのに、これは一体どういうことであろうか。
以下に、誰に頼まれたわけでもないが、その正誤関係を書き出してみる。


 P 2

 ココナットの実(夢野久作「新青年」昭和6年)2点共

 江川蘭子 砂丘の怪人(大下宇陀兒「新青年」昭和5年)2点共
 P 3  江川蘭子(大下宇陀兒「新青年」昭和5年)  出典不詳 ※ 別ページにて詳細
 P 21  ※原題「芋虫」  「芋虫」は後年の改題で、原題は当然初出掲載誌にある「悪夢」
 P 21

 白龍殺陣(瀬戸英一『国民新聞』昭和3年)

 このキャプションの挿絵は「白龍殺陣」ではない。※ 別ページにて詳細
 P 24-25

 不明

 虚實 -あり得る場合-(濱尾四郎「新青年」昭和5年)
 P 31

 盲獣(江戸川乱歩「朝日」昭和6年)

 細かいようだが、左上の挿絵だけは昭和7年発行の号に掲載

 P 31

 江川蘭子(大下宇陀兒「新青年」昭和5年)

 このページ挿絵は2点とも江戸川乱歩の回の「江川蘭子」

 P 31

 右上「彼が殺したか」の挿絵

 天地がさかさま

 P 40

 不明

 まづしい戀(ハンス・ヒアン「新青年」昭和4年)

 P 42  呪ひの塔  決して間違ってはいないのだが、なぜこのページは旧仮名使い?
 17ページの同書からの挿絵では「呪いの塔」としてあるのに…。
 P 58

 地獄風景(江戸川乱歩全集『探偵趣味』連載・昭和6年)

 このページ挿絵は2点とも横山隆一によるもので、英太郎の挿絵ではない。

 P 80

 大江春泥作品譜/パノラマ島

 パノラマ國

 P 80

 名作挿絵全集

 名作挿画全集

 P 81

 大江春泥作品譜「陰獣」決定版

 特に『決定版』とは記されていない。

 P 84

 大江春泥作品譜/春泥のピエロ

 この挿絵には特に作品題はつけられていない。

 P115

 江川蘭子(口絵、博文館・昭和6年)

 長篇三人全集 6 情火・美玉(口絵、三上於菟吉・新潮社・昭和5年)

 P127

 呪ひの塔(横溝正史、新潮社・昭和7年)

 この函装幀は山六郎。英太郎は本文挿絵およびカットのみ。

 P161

 「斜光」

 「斜光」の新青年掲載時の挿絵は横山隆一

 P161

 『暗黒公使』の装幀も手がけた

 「暗黒公使」の装幀は松野一夫

 P166

 大正12年 産業組合発行『家の光』等に絵や挿絵小説を

 「家の光」の創刊は大正14年5月

 P167

 昭和3年 同発行の「少年世界」「譚海」にも、執筆。

 昭和3年発行の「少年世界」「譚海」に英太郎の挿絵は見られない。

 P167

 昭和3年「朝日新聞」・甲賀『幽霊犯人』

 甲賀三郎の「幽霊犯人」が東京朝日新聞に掲載されたのは昭和4年

 P167

 昭和4年 「主婦之友」「婦人公論」「キング」「文芸倶楽部」
     「講談雑誌」「オール読物」「少女之友」などが

 昭和4年度の「主婦之友」「キング」「少女之友」に英太郎の挿絵は見られない。
 「オール読物」は「文藝春秋」の臨時増刊として昭和5年から。

 P167

 昭和5年 映画雑誌「蒲田」年度前半号では、ほぼ全頁に

 このほぼ全頁に見られるのはほとんどが中村進治郎のもの

 P167

 昭和5年 「探偵雑誌」・下村千秋『近代本牧怪談』、

 「講談雑誌」・下村千秋『近代本牧怪談』

 P167

 昭和5年 「読売新聞」・邦枝完二の『女学生殺し』、

 不明 ※ 別ページにて詳細

 P168

 昭和6年 『落語・かつらぎや』

 『落語・かつぎや』

 P168

 昭和6年 貴司山治の『ゴー・ストップ』

 不明 ※ 別ページにて詳細

 P168

 昭和7年 「新青年」で夢野久作『斜光』、

 「斜光」の新青年掲載時の挿絵は横山隆一

 P168

 昭和10年 出世作・『陰獣』の画を捨て、

 元々、「名作挿画全集」の企画では、代表作を新たに書き下ろしでという
 コンセプトがあったので、わざわざ英太郎が画を捨てたわけでは無い。


一つ二つの間違いなら、誤植であったりとさして問題視するべきことでもないのであろうが、一体これ程までの間違いが見過ごされてしまったのは、どういうことなのだろか。これだけの問題の全てが誤植であるとは考えにくいし、確かに出版にまつわるゴタゴタがあったという話しも噂には聞くが、それと記載されている内容のことに直接関係があるとも思えない。

唯一考えられそうな理由としては、編者が竹中労であるということが挙げられるかもしれない。
つまり、編者である竹中労がドキュメンタリー記録者でも、小説家でも、ましてやミステリーマニアや書誌マニアなどではなく、『ルポライター』であったということが要因なのではないか…ということである。
竹中労による「別冊新評 ルポライターの世界」(新評社 刊 昭和55年) に掲載された『現代/ルポライター論』の一節を引用すれば、

 そもそも……、無限に連環する森羅万象を有限のフレームに切りとる営為は、すぐれて虚構でなくてはならない。活字にせよ映像にせよ、ルポルタージュとは主観であります。実践といいかえてもよい、ありのままなどという、没主体であってはならない。

とあり、マーク・ゲインの『ニッポン日記』を例に挙げたうえで、

 マーク・ゲイン記者には、民謡と流行歌の区別がつかなかった、彼の叙述はまちがっている。だが、訂正しなくてよろしい、むしろまちがっていることが正しいのであります。

としている(太字箇所は掲載誌では強調のための点がついているものを太字に変更した) 。
この引用箇所だけをもってして竹中労のルポルタージュ論の全てと言うつもりはなく、 そういうことはこの際ここで語るつもりもない。
しかし、単純にこの言葉を念頭において、この『百怪、我ガ腸ニ入ル』を見れば、なるほど確信犯的に間違っていようがいまいが関係なく、主観的にまとめられた部分があってもおかしくはないののかもしれないという考え方をしても問題はあるまい。
もちろんこの場合の主観とは編集者である竹中労の主観であり、絶対に竹中英太郎のものではない。
なるほど、そう考えると、『百怪、我ガ腸ニ入ル』以前に書かれた竹中労による諸々の竹中英太郎に関わる著述の中に見受けられるいくつかの疑問であったり、繰り返される夢野久作作品に関する挿絵の間違いなども、竹中労の思い入れからすれば、間違いであろうがなかろうが関係なく書かれていたものであったのだろう…と頷けなくもない。頷けなくもないと言うだけであって、決して納得できるということではないが。

重ねて言うが、ここでは竹中労のこうした編集方針(があったかもしれないという仮定)の是非を問うつもりはない。
しかし、現実問題として、この 『百怪、我ガ腸ニ入ル』 にある記述を元に竹中英太郎作品を改めて確認したいと願う者にしてみると、記載事項の確認だけではなく、その記載事項の正誤から確認せねばならないという大変厄介な行程を踏まねばならないことになるということになるのである。

ここでは、竹中労の言うようなルポルタージュとして 『百怪、我ガ腸ニ入ル』を見るつもりはないので、間違いは間違いと指摘しておく。
そして、 このような事実とは関係なくともある意味正しいとされる記述が余りにも多い画譜を指して、「奇書」と言う以外に適当な言葉を私は思い付かない。

或いは、穿った見方をすれば、竹中労亡き後にもいろいろな形で書かれることがあるかもしれない「竹中英太郎論」を念頭において、その論中に、竹中労の主観として書かれた間違ったままの記述をそのまま確認もせず引用しているだけの箇所がある「竹中英太郎論」などは、それは所詮、竹中労の主観を別の言葉に置き換えただけものだとの判断基準、つまり、有り体に言えば、安易に『百怪、我ガ腸ニ入ル』などにある記述を引用しただけで語られる「竹中英太郎論」など、所詮ちゃんと調査すらしてない程度のものである。という目安になる…といった試金石的な意味合いもあったうえで、こうした記載にしてあるのだろうか…とすら思えなくもないのだが、これはあまりにも穿ち過ぎた考え方なのだろうか。

いずれにせよ、『百怪、我ガ腸ニ入ル』の、それまでなかった「竹中英太郎作品譜」として価値は否定されるべきことではなく、また、掲載されている画の美しさ、寄稿された方々の文章から伝わる竹中英太郎への思いなど、大変素晴らしい本であることは間違いない。


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